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旧西国街道を歩く(5)★西宮〜御茶屋所



大阪を出て西宮で西国街道と合流するのが江戸時代の中国路に由来する中国街道です。西国街道が西宮経由になった後は与古道町で西国街道に合流して中国街道は終わりますが、それ以前は西宮を通って御茶屋所町で旧西国街道に合流するまでが旧中国街道でした。

なお、現在では京都発の街道を西国街道、大阪発の方を中国街道と使い分けることが定着していますが、かつては中国街道も西国街道と呼ぶことがありましたので、古老の話や過去の文献に接する際は注意が必要です。







43号線から斜めに分かれるのが旧街道です。



すぐ西で一旦北に曲がってから再び西に向きを変えますが、今ではこの部分は道が失われています。



鳴尾御影線が建石筋に突き当たる付近に斜めの路地があります。これが旧中国街道です。かろうじて自転車が通り抜けることが出来る10mほどの路地の先は普通の道になっています。



夙川堤にさしかかるところが、かつての西宮の西墓で、旧街道はその中を通っていたようです。



西墓は明治時代に廃止されましたが、夙川堤上にその名残りと思われる石造物がいくつか残っています。



ここで夙川を渡ります。





国道2号線から南東に向って斜めに旧中国街道が残っています。現在では写真左の空き地にマンションが建っているので、一旦行きすぎてから振り返らないと見落としてしまいます。



大正15年、国道2号線建設中の写真で、夙川堤上から西に向って撮影されています。左端から旧中国街道が国道へ斜めに突き当たっている様子がよく分かります。



旧西国街道との合流点は、一般の地図上では国道建設時に吸収されてしまったようになっていますが、昭和10年ころに発行された『西宮町土地宝典』を見ると、掬水荘があった敷地内にわずかに旧道が残っていて、完全消滅したわけではなかったことが分かります。



なお、旧街道が西宮と御茶屋所を斜めにほぼ一直線に結んでいたと推定した根拠は、御茶屋所町にあった道標の記述や和田岬へのご神幸への道として必要な道であったこと以外に、この道が旧街道であると言う伝承が残っていたと思われ、幕末生まれの吉井良秀氏が昭和3年刊行の『老の思い出』で次のように書いておられること等が挙げられます。

  西墓は夙川の東堤で東面の緩斜地に有つた、丁度大昔の西国街道に當る邊で僅の地で有つた。

この後、補足として、「西宮経由になった時期」と「森具と夙川の移り変わり」「武庫郡と兎原郡の境界線」について書く予定です。




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