阪急沿線文学散歩

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パボーニの歴史

「LA PAVONIラ・パボーニとは」と題して大石輝一氏が書かれていた記事からの紹介です。
 物語は尼崎出身のバリトン歌手小森譲氏のミラノ留学から始まります。彼は帰国後もミラノの街で使っているコーヒー沸かしの器械「ラ・パボーニ」の魅力が忘れられず昭和2年にミラノの某店に注文し、昭和3年1月31日に郵船の香取丸で神戸に荷揚げされます。
 そして大阪堂島仲町にCASA LA PAVONI茶房に収まり、おいしいコーヒーを出したのですが、一年を待たず経営に行き詰まり、カザー・ラ・パボーニ茶房は義兄の中村善太郎氏が譲り受け、ラ・パボーニ茶房として変わります。その後場所も、堂島仲町から御堂筋の西側高麗橋筋南側に変わり何年か後、支那事変が勃発し中村善太郎邸の一室で、時が来るのを待つことになります。
 それを譲り受けた大石画伯が、昭和9年西宮夙川に器械の名称を冠した茶房を開き、ルージュ・ラ・パボーニ「紅孔雀」と屋号をつけ、更にラ・パボーニと改称されたとのことです。それぞれのお店の写真は
http://www.sutv.zaq.ne.jp/pavoni/reserve.htmlを参照ください。

 ひでの氏に見せていただいた1956年山下清が訪れた時の写真の後ろには、確かにROUGE LA PAVONIの屋号が見えます。野坂が訪れた時もこの屋号だったでしょう。
 このイタリアから長い船旅で来日して、昭和の歴史をきざんだ器械「ラ・パボーニ」は、太平洋戦争、阪神淡路大震災を乗り越え、日本に来てから93年経た今も大切に大阪のカーサ・ラ・パボーニの階段の踊り場に保管されていました。


「砲弾型でスマートなスタイルと、銀色の肌色は皆さんから愛され、伊太利の情熱を込めた味と香を誰にでも忘れずウインクしたのでございます。」と書かれていましたが、自慢の銀色の肌は錆色に変わっていました。
 そして大石氏は次のような芸術家らしい文章で結んでいます。
「LA PAVONI「孔雀は」百鳥の王と世界で愛称され、美の象徴です。仏蘭西語では LA PAON、英語ではPEACOCK。そこで、PAVONIとは美と解釈していただいても誤りではありません。美は健康であり、正義であり、輝きでもあります。
パボーニを愛して生活の糧としてください。そして私等の西宮を美しく創造していきたいと想います。無論祖国日本も、世界も、美しく楽しい自由な楽園にいたしましょう。」
 大石氏は本当に西宮を愛した芸術家でした。
1995年阪神大震災で全倒壊したラ・パボーニは、瓦礫の中から、できるかぎりのものが取り出され、翌年福井ひでの氏により、大阪堂島にカーサ・ラ・パボーニとして復活いたしました。



何代目のパボーニでしょう、あかがね色に輝いて、今も変わらず伊太利の情熱を込めた味と香を、誰にでも忘れずウインクして、おいしいエスプレッソを出してくれます。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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