阪急沿線文学散歩

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河野多恵子と村上春樹が描いた阪神香櫨園付近の戦前、戦後の風景

 昭和11年の阪神香櫨園での郊外生活を描いた小説が河野多恵子の『みち潮』でした。


 建石小学校で出会った友人達の家庭について次のように述べています。
<新しい友達の中には、少女と同じように、他に店があり、そこが居宅になっている家庭の少女たちも幾人かいたが、大半は勤め人の子供だった。少女は節季の日でも友達と往来し、そして、ままごとをしながら、会社の部長さんとか、知事さんとか、ボーナスとか、転勤とかいうような言葉を知るようになった。授業参観の日、今度の学校では父親の姿は殆んどなく、母親ばかりだった。その中に、少女をびっくりさせたお母さんが二人いた。洋装で、朱色のふわふわした羽根を掲げた帽子をかぶり続けていたお母さん。もうひとりは、唱歌の時間に、一緒にハミングで歌いだしたお母さん。少女は以前に住んでいた都会の学校では、そんな突飛なお母さんは見たことがなかった。>
ままごとのお話は、彼女たちの家庭を想像させます。

 


写真は『みち潮』の舞台となった、昭和11年の夙川下流の鳥瞰図です。夙川に架かっている橋は下流から葭原橋 翠橋でしょう。

(写真は現在の翠橋)

 阪神間モダニズムと呼ばれた時代に、風光明媚な六甲山南斜面の阪神間で郊外住宅の開発が進められました。そして鉄道の発達とともに、富裕層だけでなく、当時の新興階級であったインテリサラリーマン層、すなわち中流階級の住宅地として発展したのです。

 

 阪神香櫨園付近の住宅街は、戦災にあった後も、昭和の初めの面影が保たれていたのではないでしょうか。少年時代に西宮市川添町に住んでいた村上春樹は『国境の南 太陽の西』でその町の雰囲気をベースにした小説の舞台を創り上げています。


上の写真は村上春樹『ランゲルハンス島の午後』に出てくる葭原橋で、川添町は写真の右手から翠橋にかけてです。

 主人公は1951年生まれ、父親は大手の証券会社に勤める会社員、母親は普通の主婦という設定です。


<でも僕が生まれた頃には、もう戦争の余韻というようなものはほとんど残っていなかった。住んでいたあたりには焼け跡もなかったし、占領軍の姿もなかった。僕らはその小さな平和な町で父親の会社が提供してくれた社宅に住んでいた。戦前に建てられた家でいささか古びてはいたが、広いことは広かった。庭には大きな松の木が生えていて、小さな池と灯籠まであった。>


今や、西宮市内では村上春樹が描いているような家は少なくなりましたが、散策していると、大きな松や石灯籠の庭園があった邸宅跡をみつけることができます。


< 僕らが住んでいた町は、見事に典型的な大都市郊外の中産階級的住宅地だった。そこに住んでいるあいだに多少なりとも親交を持った同級生たちは、みんな比較的小奇麗な一軒家に暮らしていた。大きさの差こそあれ、そこには玄関があり、庭があり、その庭には木が生えていた。友達の父親の大半は会社に勤めているか、あるいは専門職に就いていた。母親が働いている家庭は非常に珍しかった。おおかたの家は犬か猫かを飼っていた。アパートとかマンションに住んでいる人間を、僕はその当時一人として知らなかった。>
 村上春樹は1960年代の香櫨園近辺の住宅地の記憶から、典型的な大都市郊外の中産階級的住宅地を小説の舞台として創りあげたのです。

「国境の南、太陽の西」に登場するジャズを集めた特別編集CDがありました。

 




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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