阪急沿線文学散歩

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/bungakusanpo

東郷青児とクラブ化粧品

 西宮とゆかりのある東郷青児は、苦楽園に太陽閣を建てた中山太一の中山太陽堂(クラブ化粧品;現在株式会社クラブコスメチックス)で働いたことがあります。

(写真は大石輝一の描いた苦楽園の太陽閣)

 大正8年、宝塚少女歌劇団に転職した友人の原田潤を頼って宝塚へ都落ちした東郷青児は中山太陽堂の図案化募集に応募します。
『私の履歴書』からです。
<ある日、便所の中に置いてあった古新聞を何気なく見ていると、クラブ化粧品の中山太陽堂が図案化を募集している広告記事が目についた。その締切日がすぐ翌日になっていたので、原田夫妻には内証で、こっそり試験を受けてみたのだが、意外にも百人以上来ていた応募者の中から、採用になる二人のうちの一人に私が残ったのである。>
 中山太一社長から月給はいくらぐらいほしいかと聞かれて、当時の月給が二十五円か三十円だったころに、六十円くらいと答えたことに対し、中山社長は「よろし、それだけ出しましょう」と答えたのでした。

<双美人のマークで売り出したクラブ白粉は上昇の一途をたどる段階にあったし、中山太一社長の陣頭指揮は行くとして可ならざるはなかった当時のことだったから、たかが図案家一人の捨扶持ぐらい、特別意に介することもなかったに違いないが、結局はこれが私の命取りとなって、いつとはなしにやめてしまうことになった。おそらく二週間ぐらいしか出勤しなかったろう。>

 社員ではなくなったもののその後も青児は同社の顧問として、新聞広告や雑誌広告、パッケージ、劇場の緞帳にいたるまで多くのデザインを手がけたそうです。




 ところで株式会社クラブコスメチックスでは4月1日より第 14 回企画展「人によりそう〜中山太陽堂に見る販売促進・営業活動」展が開催されるそうです。




goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11564511c.html
苦楽園 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

■同じテーマの最新記事
東郷青児と西宮
大正時代末期の苦楽園ラジウム温泉に客を運んだ自動車フォードの写真
涼宮ハルヒの西宮北高ができる前にあった幻のゲンコツホテル
<<新しい記事へ     以前の記事へ>>
このブログトップページへ
seitaroイメージ
阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

カテゴリー一覧

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<