阪急沿線文学散歩

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夏目漱石『倫敦塔』を歩く

 漱石は明治33年10月から明治35年12月までの2年間、文部省留学生としてロンドンに留学し、その時のロンドン塔見物を題材にした短編を書いています。

『倫敦塔』を読みながら、歩いてみました。
<二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断わった。一度で得た記憶を二返目に打壊わすのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。>
 二度と倫敦塔を訪ねなかったのは、下宿の主人に漱石の想像を悉くつぶされたことも一つの原因になっているようです。
漱石にはロンドンの喧騒が肌に合わず、神経衰弱に陥ったそうですが、次の文章にも表れています。
<表へ出れば人の波にさらわれると思い、家に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維もついには鍋の中の麩海苔のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。>
倫敦塔に行くのも、一枚の地図を頼りに歩いて行ったようです。
<無論汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦を蜘蛛手十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披らいて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。>

 私もホテルから地図を頼りに歩いて行きました。

歩いているとシティ・オブ・ロンドンの境界を示す守護獣のドラゴン像がありました。ロンドン塔はロンドンの中心といえど、正確にはシティ・オブ・ロンドンの境界から外れていました。

 さて漱石の倫敦塔の説明が始まります。
<倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云う怪しき物を蔽える戸帳が自と裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆さかしまに戻って古代の一片が現代に漂よい来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。この倫敦塔を塔橋の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた古の人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺ながめ入った。>

1902年に漱石が感動した光景は今も保たれています。

絵地図を見ながら倫敦塔の中に入ります。

<空濠にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向こうへ抜ける。中塔とはこの事である。>

エントランスの向こうに見えるのが中塔(Middle Tower)です。

<また少し行くと右手に逆賊門がある。門の上には聖セントタマス塔が聳えている。逆賊門とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼らが舟を捨ててひとたびこの門を通過するやいなや娑婆の太陽は再び彼らを照らさなかった。テームスは彼らにとっての三途の川でこの門は冥府に通ずる入口であった。>

テムズ川につながる逆賊門(Traitor’s Gate)です。

テムズ川と堀に囲まれた中世の倫敦塔の絵がありました。逆賊門から船が入ろうとしています。

<左へ折れて血塔の門に入る。今は昔し薔薇の乱に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草のごとく人を薙、鶏のごとく人を潰し、乾鮭のごとく屍を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。>

血塔(Bloody Tower)です。

<血塔の下を抜けて向うへ出ると奇麗な広場がある。その真中が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中のもっとも古きもので昔むかしの天主である。竪二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角楼が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位をせまったのはこの塔中である。>

倫敦塔の中心に来ました。

白塔(White Tower)です。中に入ってみましょう。

<南側から入って螺旋状の階段を上るとここに有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴか光っている。日本におったとき歴史や小説で御目にかかるだけでいっこう要領を得なかったものが一々明瞭になるのははなはだ嬉しい。しかし嬉しいのは一時の事で今ではまるで忘れてしまったからやはり同じ事だ。ただなお記憶に残っているのが甲冑である。その中でも実に立派だと思ったのはたしかヘンリー六世の着用したものと覚えている。全体が鋼鉄製で所々に象嵌がある。もっとも驚くのはその偉大な事である。>

漱石もこの陳列には目を見張ったようです。

 下宿に戻った漱石は主人に倫敦塔の話をしますが、中世の倫敦塔の空想を打ち破られ、最後に次のように述べています。
<これで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である。それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事にきめた。>

さて漱石の『倫敦塔』、イギリスではロンドン塔のカラスについて初めて記述した作品として評価されていることがわかりました。それは次回に。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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