阪急沿線文学散歩

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夏目漱石が『倫敦塔』で見た「怖い絵展」のポスターの幻想

 ロンドン塔の処刑の様子を描いたポール・ドラローシュ 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」 が9月18日まで兵庫県立美術館「怖い絵展」で展示されています。

 白いドレスを着て、目隠しをされ、今まさに断頭台の露と消えそうなうら若き乙女がレディ・ジェーン・グレーです。この時、弱冠16歳。イングランド初の女王となってからわずか9日後のことでした。

 漱石は『倫敦塔』でボーシャン塔(The Beauchamp Tower)を訪れた時、処刑の場面を幻想を見たように描いています。

<気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。銃眼のある角を出ると滅茶苦茶めちゃくちゃに書き綴つづられた、模様だか文字だか分らない中に、正しき画かくで、小ちいさく「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。>
 ボーシャン塔の銃眼のところで「ジェーン」の文字を見つけた漱石は、その処刑の場面に思いを馳せます。

<英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙をそそがぬ者はあるまい。ジェーンは義父と所天の野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気もなく刑場に売った。蹂躙られたる薔薇の蕊より消え難き香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙とく者をゆかしがらせる。希臘語を解しプレートーを読んで一代の碩学アスカムをして舌を捲かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見するの好材料として何人の脳裏にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。>


 ここから漱石の空想の場面が広がります。
<始は両方の眼が霞すんで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の端はじには男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、瞬たくまにズッと近づいて余から五六間先ではたと停まる。男は前に穴倉の裏で歌をうたっていた、眼の凹んだ煤色をした、背の低い奴だ。磨ぎすました斧を左手に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台ぐらいの大きさで前に鉄の環が着いている。台の前部に藁が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色こんじきの髪を時々雲のように揺らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面、なよやかなる頸の辺に至るまで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分違がわぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握の髪が軽くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真の道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹っとして「まこととは吾と吾夫の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹んだ、煤色の、背の低い首斬り役が重た気げに斧をエイと取り直す。余の洋袴ズボンの膝に二三点の血が迸ばしると思ったら、すべての光景が忽然と消え失うせた。
 あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に化ばかされたような顔をして茫然と塔を出る。>
この漱石が見た幻想は、まさにポール・ドラローシュ が描いた「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の場面そのものでした。



夏目漱石『倫敦塔』は青空文庫でも読めます。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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