阪急沿線文学散歩

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/bungakusanpo

宮本輝『北病棟』の舞台となった阪急門戸厄神駅近くの病院

 宮本輝の短編集『星々の悲しみ』に収められている『北病棟』の舞台となった馬野病院は、小説を読み進むと描かれた情景から、阪急門戸厄神駅の近くの熊野病院とわかりました。


 後で、宮本輝の公式サイトThe Teru’s Clubを調べてみると、年譜に
<1979年(昭和54年)32歳
肺結核で伊丹市民病院に入院。その後、西宮市の熊野病院に転院。>
と書かれており、間違いありませんでした。

 小説では主人公尾崎は転院したことにはなっていませんが、
<はじめは、兵庫県のS市にある結核療養病院に入る予定だったが、普通の病院と違って、専門の療養院はおいそれとは退院させてくれないという話を誰かから聞きつけて、急遽知人の紹介でこの馬野病院医に変更したのである。>
と書かれており、同様の理由で昭和47年から伊丹市に住んでいた宮本輝は伊丹市民病院から熊野病院に転院したのかもしれません。

 さて、馬野病院は次のように説明されています。
<馬野病院は、もとは結核専門の病院だったのだが、患者数が減ってきたことと、予防法の設置によって医者にとってはあまり儲けにならない病気になったことで、いつの間にか胃腸科や他の外科とか肛門科などを主とする病院に変わってしまったのだった。>
熊野病院に行くと、小説通りの現在の診療科の掲示がありました。


 北病棟は次のようにうらぶれて寂しく描かれています。
<北病棟は、病院の中にあって、ぽつんと忘れ去られたような建物だった。広い敷地内の奥の、裏門の傍に建てられた小さなプレハブは、病院の器材や薬品を収納しておく倉庫みたいに見える。雨は、その雫をいつも天井に直接打ちつけてくるようだったし、風はガラス戸をやかましく鳴らして隙間から吹き込み、太陽は薄い屋根やら壁やらをじりじりと焦がすのである。>
 
 表玄関から北病棟があると思われる裏側にまわってみました。

 左手にはまだ畑が残っており、結核専門の病院だった頃は、周りには何もなかったのでしょう。

閉ざされた裏門からの病院の景色です。
プレハブのような病棟?が今も残っていました。


<ぼくはパジャマ姿のまま階段を降りて、病院の庭に出た。真新しい鉄筋の三階建ての病棟と、ぼくのいる北病棟との間は中庭になっていて、古い藤棚と丸い小さな泉水があった。>

裏門の左手にパイプ製の藤棚がありました。

 泉水は見えなかったので、航空写真で見てみると、プレハブの棟に囲まれた中心部に今も残っているようです。


 航空写真を見ていて気付かされたのは、実際の熊野病院の鉄筋コンクリート3階建ての病棟が敷地の北端にあり、宮本輝が入院していた病棟は南側の端にあったこと。

でも「南病棟」では、この小説のテーマの表題にすることはできなかったでしょう。

 





goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11681603c.html
宮本輝 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

■同じテーマの最新記事
宮本輝が描いたもう一つの阪急電車今津線の物語
宮本輝『北病棟』の舞台となったのは西宮市の熊野病院
『星々の悲しみ』宮本輝が通った頃の中之島図書館
<<新しい記事へ     以前の記事へ>>
このブログトップページへ
seitaroイメージ
阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

カテゴリー一覧

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<