阪急沿線文学散歩

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阪急神戸線の若い女性の話し言葉のルーツは?

 産経新聞編集委員石野信子さんの「宝塚―阪田寛夫」の講演で面白い評論を紹介していただきました。

鹿島茂氏が中央公論に連載している『宝塚をつくった男 小林一三』第12回(2016年9月号)で「阪急はいかにして文化的記号となったか」と題して、阪急沿線の女性の話し言葉について面白い解釈を述べておられます。

<大正七年、箕面電気軌道は社名を阪神急行電鉄に改称したが、その略称である「阪急」は単なる鉄道会社の名称であることを超えて、阪神間の郊外文化、東京には存在しない独特の雰囲気を持つ文化の記号となった。>

 だがその理由はよくわからないとしつつも、その手掛かりの一つが言語にあると述べています。
<あれはたしか、大学四年生のとき初めて梅田から阪急神戸線に乗ったときのことだったと記憶する。途中駅から乗り込んできた若い女性たちの会話を耳にしたとき、彼女たちの話す言葉の音韻とイントネーションに完全に魅了されたのだ。阪急沿線の若い女性の会話は私の耳にまるで音楽のように響いたのである。>


 この魅力的な阪急沿線の女性言葉について、鹿島滋は折口信夫の評論「『細雪』の女」で解説された「宝塚歌劇団の座員用語」を曳いてきて、それが「阪急文化」の核になっていると述べています。
<「阪急」から「文化」が生まれたとすれば、それは、小林が宝塚歌劇団をつくり、団員養成のための宝塚音楽学校を組織したことにあったにちがいない。>
と阪急の文化とは宝塚音楽学校から生まれたとしているのです。

<そこに応募してきたのは、従来のスペクタクル業界の人間とはまったく異なった、なんらかのかたちで自己表現したいという意欲をもった良家の子女だった。この良家の子女たちは小林の教育方針に基づいて西洋音楽と日本舞踏、セリフとしての東京語などを学ばせられたが、本来のラングである大阪語に新しい語彙として東京語を取り入れる一方、日本舞踏などの源流にある「遊所の語の舌たるさを加味しつつ、全体をブルジョワの親たちの志向であるハイカラ趣味でまとめて、集団的創作たる「宝塚歌劇団の座員用語」を生んだのである。>

 そして、これが家庭から阪急沿線に多い女学校(神戸女学院、小林聖心女子学院、梅花高等女学校など)の間で広まって行ったとし、更に、
<村上春樹の文体のルーツをたどれば、「宝塚歌劇団の座員用語」に行きつくはずなのである。>と結論しているのです。

 さすがに鹿島滋の説には納得しがたいのですが、「宝塚歌劇団の座員用語」が高貴で音楽性に富んだものであるということは、よく理解できました。




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宝塚 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

昔Uターン就職活動でたびたび帰省してた頃に思ったのはもう一歩進行してて東京言葉のイントネーションに関西弁語彙を乗せて話す女性が阪急沿線には多いなということでした。電車内で聞いててはっきり感じたのです。

[ せいさん ] 2017/12/08 0:25:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

鹿島茂氏の説には少し無理があるかと思いますが、一度は宝塚歌劇団の座員用語なるものを聞いてみたいものです。

[ seitaro ] 2017/12/08 8:53:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

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