阪急沿線文学散歩

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なんと旧ハンター邸がトアロードのTORの語源だったとは!

 弓倉恒夫『神戸トアロード物語―その名の謎に挑むー』は、詳細な資料調査に基づいて、TOR ROADの由来を解明し、更に今でも神戸っ子でさえあまり知らない驚くべき事実を教えてくれました。


まずトアロードの由来の諸説を列挙し検証を進めています。
1.ホテル説 ロードの山手の突き当りにトアホテルがあっ たからとする。
2.英語説 torは古語で岩山を意味する。
3.ドイツ語説 TORは門の意味
4.東亜説 漢字説。
5.鳥居説 「とりい」のローマ字綴りtoriiからiiがぬけ 
  落ちた。

これらの説の検証が進められ、
・明治41年のトアホテル開業後かなりたった大正12年の
 ジャパン・ディレクトリーの神戸地図にはまだ「三ノ宮
 筋」と記載されていたこと。
・大正10年発行英字神戸案内の広告欄にTor Hotel Roadが
 5例出現していること。
・昭和4年発行神戸・大阪英字電話帳にTor Hotel Roadが多く
 現れ、Tor Roadが顔を出し始めたこと。
を資料とともに明らかにし、「ホテル説」が正解としています。


 次にTorの名が何処からとってきたのかが明かされます。
ホテル建築着工の少なくとも6年前から2年前までの5年間、英国人F.J.バーデンズなる人物が大邸宅を構え、これを”The Tor”と表示していたことが判明します。
これがトアホテルのルーツ、ひいてはトアロードのルーツだったのです。

 この館と、ホテルの敷地となった高い石垣と庭園を含む広大な土地などを築造したのは、A.グレッピー氏で、その2700坪の底地の名義は、明治23年から明治40年にホテルに売却されるまで、妻のS.M.さんでした。
このグレッピー氏が建てた大邸宅の末期に、住んだ英国人F.J.バーデンズ氏が、自宅に”The Tor”の名を付したのです。

その理由について、著者の弓倉恒夫氏は、
<山手に向かって辿る夕景、英国人の目に映る風化花崗岩の山肌や石垣が、ノスタルジアの念ひとしお、故国のTor(岩山)を思い起させたとしても不思議ではない。>
と、推定しています。

トアホテルの跡地にある神戸外国倶楽部の石垣の上を見ると、AG1890という文字が彫られています。

AGはエー・グレッピー氏の頭文字で、1890は日本人妻のS.M.さんの名前が旧土地台帳に登記された年(明治23年)だったのです。

さらに驚かされたのは、現在王子公園内にある旧ハンター邸が元々ここにあり、この建物がThe Torだったことです。

昭和40年兵庫県教育委員会発行の「旧ハンター氏邸移築工事報告書」に、
「詳しいことはわからないが、ハンター氏は、この建物を新築したのではなく、トアホテルの建っていたところにあった。ドイツ人貿易商、エー・グレッピー氏の居宅を買い取り、これに改造を加えて移建したといわれている。グレッピー氏が、この居宅を建てたのは明治二十二年と伝えられ」
と書かれていたことから、移建直前の5年間、F.J.バーデンズ氏がThe Torと称して住んでいたことが明らかになったのです。

 この事実は生粋の神戸っ子でもほとんど御存知ないのではないでしょうか。

この名著、弓倉恒夫『神戸トアロード物語―その名の謎に挑むー』は残念ながら古本としては流通しておらず、購入できません。
西宮、芦屋の図書館にもありませんが、さすが神戸市立図書館で借りることができました。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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