阪急沿線文学散歩

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戦争末期、理科少年・北杜夫が短歌にした梓川 

 先日、はじめて上高地を訪ね、穂高連峰の景色に圧倒され、梓川の透明な流れの美しさにも感動して帰ってきました。
 井上靖『氷壁』では梓川について、主人公の新鋭登山家・魚津恭太が遭難した小坂乙彦の妹・かおると上高地を訪れた場面で、次のように語られます。

<「梓川ですよ」魚津は梓川の流れが初めてくるまの右手の方へ姿を現してきた時、かおるに教えてやった。「まあ、日本で一番美しい川ですのね」「日本で一番美しいかどうか知りませんが、とにかくきれいなことはきれいですよ」魚津が言うと、「兄は日本で一番美しい川だと言っておりましたわ。小さい時から、何回も兄にそう教育されて来ましたので、わたし、いつかそう思い込んでしまいましたのね」>
梓川の美しさには本当に驚きました。かおるが話したように日本で一番美しいかもしれません。

 上高地を、旧制中学時代から何度も訪れている北杜夫は『梓川』と題したエッセイで次のように述べています。終戦直前、昭和20年の7月末に、死ぬ前にぜひとも一目だけでもみておこうと、松本から徒歩で向かったときのことです。
<確か釜トンネルを抜け、もう上高地も間近くなってきたとき、私たちは道から降りて、すでに清流となっている梓川の河原の上で、宿で作ってくれた握り飯を食べた。>

<そしてまたしばらく小石まじりの道を辿って右折したとき、突然それまでの景観とはまったく異なった山容が現れた。それが死火山の荒れ果てた岩だらけの焼岳であった。その前面にひろがる大正池も、現在のように濁ってはおらず、水面に林立する樹々の中にはまだ白い白樺の幹もあった。>

水面には林立するほどまでは残っていませんが、枯れた樹が数本見えます。

<更に右方に目をやると、穂高連峰があまりにも荘厳に連なっていた。まだ午後もそれほど遅くない陽光をあびて、溶け残った雪渓があえかに身をくねらし、岩々は固く凝結した殿堂であった。>


そして北杜夫は梓川を次のように絶賛します。

<当時、上高地では温泉旅館だけがまだ開いていた。そこへ行くためには梓川を越えねばならない。そして、島々からずっと見続けてきたこの川が、上高地ではあまりにも澄明で、そして早く流れているさまを私は年齢にふさわしい哀愁を覚えながら眺めた。このような浄らかな水というものを、その後何十年を経ても私はまだ見たことがない。>

なかなか、写真で透明感をお伝えするのは難しいのですが、本当に水は透き通っていました。

支流の水の中で藻が流れに泳ぐ様子もはっきり見えます。

 戦争で死ぬ覚悟をしていた中学5年の北杜夫は、こんな歌を作っています。

一人きてただ眺め入る川水は悲しきまでに速く流るる

現身(うつせみ)のわれの眺める川水は悲しきまでに透きとほりゐる

作者は「いかにも感傷的な歌にすぎないが、理科少年が初めて作りだした作だからまあ仕方あるまい」と述べていますが、梓川の流れの速さ、透明感は歌のとおりでした。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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