阪急沿線文学散歩

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甲山神呪寺の開祖・如意尼と如意輪観音坐像

 北尾鐐之助『近畿景観』の「甲山頂上」には神呪寺の開祖・如意尼公のお話が簡潔に述べられています。

<如意尼公は淳和天皇第四の妃で、延暦二十二年(803年)に出生された。丹後余佐郡国府籠宮の祝部直海部(はふりあまでのあたい)の女(むすめ)、真井御前(まないごぜん)のことである。尼公のことは随分委しく小説のように書き残されている。二十歳で東宮妃となられたが、世に稀な美しい方であった。「甲山縁起」に、尼公の美しさを描いて
……儀容端麗にして玉をのべたる肌の光、あたり輝けり……沐浴したまはざれども、身體垢つくことなく、薫りを用いたまはざれども、異香自然に薫れり。常に肉味を嗜まず、ほどこしを行うを好み、如意輪尊の真言を念誦して日課とし給う。
と書いている。今の神呪寺の本尊である如意輪観世音は、弘法大師が、尼公のあまりの美しさに震感を催し、その姿をモデルにして、花顔柳腰を、そのまま写し奉ったというのである。>

 国指定重要文化財の像は神呪寺の本尊で桜財寄木造り彩色、像の高さ98.7cmで、河内の観心寺・大和の室生寺の観音と共に日本三如意輪と言われています。


 また、この伝承は鎌倉時代・元亨2年(1322)に京都東福寺の僧虎関師錬が撰進した『元亨釈書』の如意尼の伝に、詳しく出ています。
 しかし、西宮市教育委員会の調査では、如意輪観音坐像のもつ美は平安初期のものではなく、まさしく藤原期のもので、製作技法もまたそれを示しているので、弘法大師の年代から
約100年おくれた10世紀の中ごろの製作と推定されています。

北尾鐐之助は真井御前に心をはせます。
<二十六歳で山に入って、三十三歳で亡くなられた。その一代の麗人の墳墓としては、いかにもわびしい。悵然として傍らをみると、貼札がある。曰く「雨は天から、涙は目から、松茸とる人盗みから」と、この山にも松茸が出るとみえる。現実の世界だ。赤松が美しい。>
 現実の世界に戻った北尾鐐之助は、面白くこの話を結んでいます。
昭和の初め、甲山に松茸が生えていたとは。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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