阪急沿線文学散歩

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遠藤周作の未公開恋文みつかる(4月22日日本経済新聞文化面)

 4月22日の日本経済新聞文化面に遠藤周作の未公開の恋文がみつかったことが報じられていると「パイン」さんから教えていただきました。


 遠藤周作は昭和25年6月に戦後最初の留学生としてフランスの現代カトリック文学を勉強するため、横浜港を出港しました。しかし昭和26年末から血痰が出、体調を崩し、療養生活を送り、昭和28年2月にマルセイユを発ち、日本に帰国しています。

 その当時の様子や心の葛藤は、『ルーアンの丘』に収められた「滞仏日記(一九五二年九月〜一九五三年一月)」に書き残しています。


 帰国前のフランスでの最後の三日間(1月9日〜11日)は、遠藤が愛したフランソワーズという女子学生と二人でパリからリヨン、マルセーユへと旅したことが述べられています。
 加藤宗哉氏は次のように解説しています。
<それは「明日ぼくが断腸の思いで巴里を去る」という日なのだ。この日、日記の冒頭には大きく「フランソワーズ」という文字が書き込まれている。なぜなら、フランス滞在の最後の思い出に、船が出るマルセイユまで三日をかけて、フランソワーズとふたりだけの旅に出るのだから。>

 この出来事について、3月のNHKBSプレミアム「ハイビジョン特集 ルーアンの丘から 遠藤周作・フランスの青春(初回放送:2006年)」再放送でも触れられていました。


リポーターは長塚圭史。
列車の旅の様子を再現し、長塚は1月9日(金)の日記を読みます。

<朝、巴里を発つ。フランソワーズと…… 巴里からフォンテンブローにかかる郊外は白い凍雪が一杯につもっていた。裸の樹々が風にゆられえていた。>

1月10日(土)リヨンで遠藤はスルシエ神父に別れを告げに行きます。


その日の日記の最後は、
<夜、再びフランソワーズに手をふれなかった。>


 長塚は撮影中リヨンで大きな虹に出会います。

まさに遠藤が確信していた「目に見えない力」が虹をかけてくれたのでしょう。

1月11日(日)早朝の汽車で二人でマルセイユに向かい、ホテルでフランソワーズとの最後の夜を過ごします。
<窓の外が黎明の白い光にさされ、海風にカーテンがゆれるまで、我々は時々眠った。月光に照らされたお前の寝顔はあまりに清潔で純粋だった……
 そのお前を起こさぬよう、ぼくはあけ方の窓に靠れ、覚め始めたこの大都会の入口をじっと眺めていた。今日、今日の午後ぼくはお前と判れ、このフランスを去る。長かったこの二年半の滞仏の日々よ。しかし、昨夜最後の夜すらも、お前に触れなかった自分に満足しながら……>

1月12日(月)<朝、お前と二人でベッドで朝食をとった。クロワッサンと紅茶とで……
お前がそれから風呂にはいっている間、ぼくは鞄をつくった。お前に貸したピジャマを入れた。バス・ルームでお前は歌を歌っていた。戸を少し半開きにしていたので、偶然、その間からお前の整った白い体がバスの湯気の間にちらりと見えた。>

 あまりにも美しく描かれているので、遠藤周作の作り話かと思ってしまいましたが、事実だったようです。

 夫人の遠藤順子さんも当然この事実をご存じで、多感な時期にこのような経験がなければ不思議よと、この日記を公開されたそうです。

また結婚の約束をして分かれたフランソワーズは、その後遠藤に会いに日本を訪れています。そのことについては、今回の日経の記事に詳しく書かれていました。

<フランソワーズは日本文学の研究者となり、65年に来日する。遠藤とも再開し、「沈黙」を翻訳することになった。このころ遠藤に出そうとしていた手紙の下書きも今回みつかった。「私は自殺することを決めました」「沈黙の作者の誠意を信じています」。恋が破れて10年。和解にはほど遠く、そこにはなお癒えぬ心の痛みが切々とつづられていた。
「沈黙」は苦い過去を思い出させる小説だったのかもしれない。作品を批判したことで口論になり翻訳は途絶。病を得てフランスに帰り、生涯独身のまま71年に世を去った。41歳だった。>
遠藤周作にももうひとつの「舞姫」物語があり、大きな苦しみを抱えていたのです。
日経新聞が、おおきく「遠藤周作「罪」の原点」として取り上げているのも、よくわかりました。



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芦屋で知る人ぞ知る名店「ばんめし屋」(椹野道流『最後の晩ごはん』)

 椹野道流『最後の晩ごはん』では、ねつ造スキャンダルで活動休止に追い込まれ神戸に戻った若手イケメン俳優の五十嵐海里は芦屋の定食屋の夏神留二に救われ、彼の店で働くことになります。


 その「ばんめし屋」は次のように紹介されています。
<芦屋にある、知る人ぞ知る名店。店長の夏神がひとりで切り盛りする。営業時間は日没から日の出まで。メニューは日替わりで一種類のみ。その味に惚れ込み、常連になる客は多い。>

「ばんめし屋」の所在地は、第三話「お兄さんとホットケーキ」の第一章にわかりやすく書かれていました。
<兵庫県芦屋市。六甲山と大阪湾に挟まれ、神戸市に隣接するこの小さな街には、東西方向ほぼ並行に、三本の線路が走っている。その中でもいちばん南……いや。ご当地に言えば海手を走る阪神電車芦屋駅からほんの少し北上したところにあるのが、芦屋警察署だ。
 愛想の欠片もない鉄筋コンクリートの建物だが、一角だけは、かつての壮麗な庁舎の玄関部が残されているのが、何とももの悲しく、印象的である。>

 芦屋警察署は昭和2年に建てられた旧建物の玄関と正面ファザードを保存する形で平成13年に立替られたものです。旧建物と新築部分があまり違和感なく繋がれています。

 玄関アーチの上部でフクロウが往来に睨みを利かせていますが、夜行性なので夜警、寝ずの番という意味だそうです。

<一方、警察署から芦屋川沿いに北上、すなわち山に向かって歩いて行けば、緑がかった尖塔の屋根が目印のゴシック風建築、カトリック芦屋教会が見えてくる。>

設計は、建築家の長谷部鋭吉氏によるもので、戦後昭和28年に竣工しています。

<そして、そんな二つの対照的な建物の間にある、典型的な昭和の木造二階建て住宅。それこそが、この物語の舞台である。一見、古い民家とおぼしきその家の玄関には、「ばんめし屋」と書かれた木製のプレートが掲げられている。>

芦屋警察と芦屋カトリック教会の間の芦屋川沿いの風景です。椹野さんは、よくこんなところに、「ばんめし屋」を設定したものです。

 広報あしや3月1日号のに椹野さんのインタビュー記事が大きく掲載されており、その中でもう少し詳しく、「ばんめし屋」の場所が説明されています。
<芦屋税務署の横にある駐車場あたりの設定です。世間では「芦屋に住んでいます」というと山手に大きなお屋敷がある、お金持ちのまちのイメージが強いので「あーっ、あの芦屋」と言われます。でも、本当は普通の住宅が立ち並び、親しみやすい飲食店があちこちにある庶民的なまちなので、そいう芦屋を紹介したいと思い阪神沿線を中心に書いています。>

芦屋税務署前のタイムスの駐車場に設定したそうです。

航空写真の矢印の位置になります。

「芦屋歩記」のアプリ(無料)を入れると、下のような画像が見れるそうです。

 芦屋市(政策推進課、経済課、芦屋市商工会)のこのような文学作品に対する力の入れようは、他市に抜きんでています。



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早川茉莉編『京都好き』は文学好きには手放せない京都案内

 リタイアして、京都に時々出かけるようになりました。多くの文学作品の舞台になっている京都ですが、地理に詳しくなく、どのように巡るかが悩みの種でした。

それを解決してくれたのが、早川茉莉さんの『京都好き』。

 森茉莉、渡辺たおり、植草甚一、池波正太郎、山田詠美ら29人の、作家、詩人、エッセイストの魅力ある京都のアンソロジー。

 もちろん早川茉莉さんの「のばら珈琲」のエッセイも含まれています。

巻末には、各作品で紹介されているお店や名所等のリストとMAPが付いているので、京都歩きにはとても便利です。

 最後に早川茉莉さんの「塩一トンの京都」と題した編者解説がありました。早川さんも須賀敦子さんの作品はよく読まれているようです。
<京都を特集したテレビ番組や雑誌を見るたびに、知らなかった場所やエピソードに出合う。本当にビックリする位、知らないことだらけなのだ。いやはや何とも……と思い、そのたびに須賀敦子さんの『塩一トンの読書』の冒頭の一文を思い出す。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ」(『塩一トンの読書』河出文庫)
京都もまた、気が遠くなるほど長く付き合っても、理解しつくせない街なのだと思う。だが、歩くたび、お気に入りの場所を訪れるたびに、襞の細部にあるものを少しずつ見せてくれる、それが京都という街である。>

 西宮からは少し時間がかかりますが、まだまだ京都に通わないと本当の良さがわからないようです。訪ねた場所を少しずつブログでも紹介していこうと思っています。



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 植草甚一さんと聞いただけで読みたくなります。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/04/28 9:01:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

植草さんのエッセイは銀閣寺の近くにある喫茶店のお話などが述べられており、訪ねてみたくなりました。

[ seitaro ] 2017/04/28 10:18:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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石野伸子さんの講演「阪神間ゆかりの作家たち」河野多恵子

 4月から芦屋市公民館で産経新聞編集委員の石野伸子さんによる「阪神間ゆかりの作家たち」(全4回)の講演が始まりました。

笹舟倶楽部さんもご出席でした。
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 石野さんは産経新聞で「浪花女を読み直す」というコラムを連載されています。その取材の過程で発見された阪神間について紹介され、第一回は戦後日本の女性作家の代表格で、少女時代に香櫨園に住んだ河野多恵子さんを取り上げられました。

(上の写真は石野伸子さんの産経新聞連載記事「浪花女を読み直す」より)

「河野多恵子における香櫨園」について次のように解説されています。
 <大阪の中心の典型的な老舗のいとはんである。もし書こうとすれば山崎豊子と同じく大阪商人ののれんにまつわるど根性哀話でも、織田作之助的な大阪の庶民の生活のかなしさも十分に書けるはずである。しかし彼女の小説的関心はそこにはない。ただ、河野多恵子の観念的本能的な異常性と生活的理性的な健全性との並存と調和は大阪商人の根源にある伝統的な人生観(保守性と進取性)と関係あるかもしれない
  けれど昭和十一年、彼女が十歳の頃、店と住居とを分離する当世の風潮によって、阪神の香櫨園に居宅を移してからの生活は(東京育ちの自分にとって)大体想像できる。郊外の文化住宅地への移転により西洋的なモダンな文化に無理なく接することができた。その頃のことを書いたものに佳作『みち潮』がある」(昭和46年学研「現代日本の文学50」「曾野綾子・倉橋由美子・河野多恵子集」奥野健男・評伝的解説)>
として、『みち潮』が描く世界についてお話いただきました。


(写真は「みち潮」の生原稿)

 また、異常性愛を描いた作品群「幼児狩り」「蟹」「不意の声」「みいら採り猟奇譚」も解説いただきましたが、今回初めて教えていただいて驚いたのは、雑誌『群像』に瀬戸内寂聴さんが連載小説「いのち」を執筆し、2年前に亡くなられた河野多恵子さんの秘密を暴露していること。

 連載第3回の2016年6月号から河野多恵子が登場し、丹羽文雄氏や大庭みな子とのライバル関係、、私生活までが小説として本名で書かれているのです。
 いずれ単行本になりそうですが、早速図書館から借りて読み出しました。文壇の関係を垣間見るこんな面白い連載小説はありません。

次回は5月18日(木)谷崎潤一郎です。



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椹野道流『最後の晩ごはん』主人公五十嵐海里の実家は東灘区岡本

 芦屋を舞台とした小説『最後の晩ごはん』の第一作は「ふるさととだし巻き卵」。捏造されたスキャンダルで活動休止に追い込まれた若手イケメン俳優の五十嵐海里は、全てを失い、郷里の神戸まで戻ります。


海里はJR摂津本山駅から実家のある岡本まで歩いたようです。

<それから五時間後、海里は実家の最寄りの駅に降り立った。兵庫県神戸市の、JR摂津本山駅。青い瓦屋根の、一見、一般家屋のような駅舎が懐かしい。ミュージカル俳優になるため一度も帰ったことのない故郷の駅である。各駅停車しか停まらない、どこか田舎じみた雰囲気のあるこぢんまりとした駅だが、何故か駅前のロータリーだけは立派で、周囲には嫌というほど様々な店舗が立ち並んでいる。>

 小説に描かれているレトロな青い瓦屋根の旧北口駅舎は2012年に解体されてしまいました。


現在のJR摂津本山駅は整備され駅ナカ店舗もできています。


駅を出た海里は、天上川沿いに北に上って行きます。

<コンクリートで固められ、やや貧弱な水量が悲しい天上川沿いに、この辺りの人間がナチュラルに使う表現で言えば「山側」、つまり六甲山系が見える北側に向かて、緩い坂道を上がっていく。高校時代、毎日通った道のりだ。>

いつごろからでしょうか、天上川には、上流にある六甲山系の山から野生のイノシシが度々下ってきて問題となっています。


 この川沿いの道は、早川茉莉さんが『エッセンス・オブ・久坂洋子』でも次のように述べられていました。

<お気に入りのカフェをめざして、川べりの道を歩いている時、目指す道の視界の先に小豆色の阪急電車をとらえた瞬間、私はふいに彼女の気持ちが分かるような気になったりしたこともあるのです。>


『最後の晩ごはん』に戻ります。海里は更に上って阪急の高架下をくぐります。

<阪急電車の高架を潜り、さらに坂道を上がり続けて、昔からある診療所のある角を斜め左に曲がる。典型的な住宅街を東から西へ向かってひたすら歩いていくと、そのうち、南北に走る十二間道路という幹線道路にぶち当たる。>


診療所とは園田医院のことのようです。

<そこからほんの少しだけさらに西へ行ったところで、海里は足を止めた。少し古びた白い低層マンションの横にある、鬱蒼とした木立。その向こうに見える赤茶けた屋根の一軒家が、海里の今の実家である。>

十二間道路の突き当りの交差点からもう少し西に行ったところが海里の実家に設定されています。椹野道流さんはこの辺りに住まれたことがあるのかもしれません。

 



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芦屋を舞台とした小説『最後の晩ごはん』と謎の作家・椹野道流

 芦屋を舞台とした小説『最後の晩ごはん』シリーズが阪神間で人気を呼んでいます。


 小説を読んで、作者の椹野 道流さんとはどんな人だろうかと興味を持ったのですが、
Wikipediaでも
<日本の法医学者・小説家。兵庫県出身。血液型はO型。四緑木星。デビューから数年はとある医科大学の法医学教室に籍を置く、非常勤の監察医だった。現在は専門学校で教壇に立つかたわら、作家活動をしている。特技は一弦琴。中原中也が好きで、ペンネームの「椹野」は椹野川に由来する。>
とのみ。
 年齢、性別不詳でしたが、第1回兵庫医科大学フォーラムでのご講演の写真や、Twitterに椹野さんの雑誌のインタビュー記事の写真があり、女性であることがわかりました。

(写真はamazonの著者紹介より)

インタビューでは、
<医科大学を卒業して、すぐに法医学教室に入りました。大学院生を経て助手になり、兵庫県の非常勤監察医も経験させていただきました。司法解剖や行政解剖でたくさんのかたがたの死やご遺族の感情に触れたことが、小説を書き続ける動機の一つとなりました。経験したそのままではありませんが、人の死にまつわることを書き続けていきたいです。今は現場から退き、医療系専門学校などで、解剖学、公衆衛生学、法医学を教えています。>
と述べられています。
 大変な経歴をお持ちの作家であり、小説に幽霊まで出てくる理由がわかったような気がします。
しばらく小説の舞台を訪ねてみましょう。


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アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』で夙川公園が世界に発信された

 NHK・BSプレミアムで4月から西宮北高を舞台としたTVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が毎週金曜日の午後11時45分から再放送されています。全28話。


 4月21日の第3話では主人公キョンと朝比奈ミクルさんが夙川公園でデートする様子が描かれています。





場所は苦楽園口橋と大井手橋の間のようです。



 夙川公園の桜は散り、今は青葉が目を休ませてくれます。

『涼宮ハルヒの憂鬱』に登場する夙川公園は日本政府観光局発行の「JAPAN ANIME MAP」でも紹介されており、次のように世界に発信されています。

Shukugawa Park (Shukugawa-koen) is located at near Shukugawa Station (Koyo Line, Kobe Main Line) next to Kurakuen-guchi Station. Many spots appeared in the anime such as a row of cherry trees and the stream are found everywhere in this park.


川の流れも綺麗に描かれています。


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南郷山にヴォーリズ建築事務所設計の建築物が出現か

 今年110周年を迎える夙川地区自治会長様より、夙川に残っているヴォーリズ設計の建物について教えていただきました。

(「夙川地区100年のあゆみ」より)


 多くのヴォーリズ設計の外国人住宅があった夙川地区ですが、旧ナショナルシテイ銀行社宅やヨスト邸は既に取り壊されてしまいました。

(映画『She's Rain』より)


(旧ヨスト邸)


 今もメンテナンスされ残っているのは西田ひかるさんのご主人の実家や広岡邸など数軒にすぎないとお話されていました。

(上田安子記念館)

 夙川地区に近年新たに建てられた一粒社ヴォーリズ建築事務所設計の建築物としては、上田安子記念館やレディース&マタニティクリニック サンタクルス ザ シュクガワがあるそうです。

(ホームページより)

 まさかあの煌びやかな産婦人科の建物がヴォーリズ建築事務所設計によるものとは、想像もできませんでした。

 
 南郷山も上野邸はじめ多くの豪邸が並んでいますが、今日普段あまり歩かない一角がまたまた更地になっているのを見つけました。

以前はどんな景色だったかと、グーグルストリートビューで調べみました。


 このような邸宅の跡地に、次に出現する建物は何かと掲示物を見てみますと、

用途は賃貸長屋、申請代理人は一粒社ヴォーリズ設計事務所となっているではありませんか。

一粒社ヴォーリズ設計事務所設計の2階建て中庭付きの集合住宅になるようです。
どんなデザインの建物が出現するのでしょう?



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そんな賃貸住宅に住んでみたいものです。

[ せいさん ] 2017/04/23 10:39:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

家賃はいくらくらいでしょう。

[ seitaro ] 2017/04/23 11:16:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

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遠藤周作の戯曲『薔薇の館』のブルーネ神父のモデルはメルシェ神父

 遠藤周作の戯曲『薔薇の館』は昭和17年4月から昭和21年にかけての軽井沢の教会が舞台。かつて薔薇の花で彩られていた瀟洒な教会で、戦争という事態に直面した修道士や信者、教会に集う人々の苦悩が描かれ、それは遠藤周作自身が抱えていたキリストを信じることへの苦悩でした。

遠藤周作は次のように述べています。
<幸い私は、この戯曲を執筆する前に現実に戦争中、日本のある村で起こった一つの事件を知っていた。その事件はここではそのままのべるわけにいかないが、私はそれを幾分、変えることによって自分の意図が実現できそうな気がしたのである。>
 この事件とは、夙川カトリック教会のメルシェ神父の拘留のことを指しているのではないでしょうか。

舞台に選ばれたのは、堀辰雄『木の十字架』にも出てくる軽井沢聖パウロ教会です。
 遠藤周作は戦争末期に軽井沢の堀辰雄の病床を毎月のように訪ねていたそうで、その頃の思い出を次のように述べています。
<堀辰雄氏も書いておられた何処かスイスの寒村にもありそうな素朴なこの教会は、チェコのレイモンド氏が設計したもので、村のメイン・ストリートと並行した水車小屋道に建てられているのだった。あの頃、僕は友達と自転車を手ばなしで走らせながらここに遊びに来たものだった。>

上の写真の水車小屋道で、遠藤周作は自転車で遊び回っていたようです。

 戦時中、敵国からの外国人宣教師は追放、あるいは抑留され、教会は監視下に置かれ、信者の若者は次々と戦地へ送られました。戯曲では、ブルーネ神父も昭和18年2月に警察に抑留されます。そして抑留から解放されたブルーネ神父は再びこの教会に戻ってくるのです。
<田端 本当だ。抑留生活で、神父さん、凍傷で左足を切って義足をつけられたそうだが、もう痛まんのかねえ。だが昔のように町の若い連中と山登りをしたり、兎狩りもできなくなったね。それにしても、流石はブルーネ神父さんだ。もうここには戻らんのかと思っていたら、戻ってきたんだから。
夫人 どうして戻っていらっしゃらないと思ったの?
田端 まあ、こう言っちゃ何だが……抑留生活で、辛い目にも会われたろうし……兵隊たちに撲られもしただろうし。戦争だったんだから仕方ないと言えば言えるんだろうが……神父さんにしてみれば日本人が嫌いにもなったろうとこう考えとったんですよ。それなのに、自分は日本から出ていかん。あの町にまた戻りますと、療養所から葉書をもらった時は、意外でしたなあ。>

その姿は、終戦後いたいたしい姿で夙川カトリック教会に戻ったメルシェ神父とどうしても重なるのです。


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4月22日本経済新聞朝刊の文化面に「遠藤周作の未公開の恋文見つかる」が掲載されています。

[ パイン ] 2017/04/23 11:57:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

えっー、そうですか、早速読ませていただきます。ありがとうございました。

[ seitaro ] 2017/04/23 12:40:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

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遠藤周作『赤ゲットの佛蘭西旅行』と戯曲『薔薇の館』に登場すウッサン師

 遠藤周作『赤ゲットの佛蘭西旅行』に留学でお世話になったウッサンというフランスの神父様の所に毎週フランス語会話を習いに行く話がでてきます。

<この神父様は今は東京の大神学校の副校長をしておられるが、ぼくらは、彼が大好きになりましたね。みんなウッサンとはいわずにオッサン、オッサンと言っていた。彼は生粋のフランスはアンジェ市の生まれを自慢するだけあって、そのフランス語会話教授法たるや、芝居か何かわからない。>
この後、面白いフランス語会話の教授場面が続きます。
そして、感想を次のように述べています。
<ずる休みをすると、オッサンは顔を赤くして、「このナマケモノ!」と覚えたての日本語で怒鳴りつけますから仕方ない。実際、いい、大好きな神父様でしたね。フランス人の善良さ、ヒューマニズム、そういったもの全てを、溢れさすばかりにもっている神父様でした。そのため一同、さらにフランス人が好きになった。>

 アレクシオ・ウッサン神父は1948年に来日し、東京練馬区の大神学校で副校長を務め、関町教会も手伝っていました。


 1958年からは広島の翠町教会に赴任されますが、1963年54歳という若さで、脳溢血の発作により天に召されました。

 この遠藤周作がお世話になり、大好きだったウッサン神父と同じ名前の人物が、『真昼の悪魔』では悪魔と対峙する神父として登場し、戯曲『薔薇の館』にも修道士ウッサンとして登場します。

『薔薇の館』は遠藤周作の追及している信仰の問題が、全て集約されている作品です。

(写真は「薔薇の館」の演出者芥川比呂志と遠藤周作)
その中で、修道士ウッサンは、背負いきれない重荷を負って死んでゆく無力で子供のような修道士として描かれ、遠藤周作は明らかにイエスの像を重ねているのです。


 この『薔薇の館』は堀辰雄の『木の十字架』にも登場するアントニン・レイモンド設計の軽井沢聖パウロ・カトリック教会が舞台のモデルとなっています。

しかし、そこに登場するブルーネ神父の姿は、明らかに夙川カトリック教会の主任司祭で、戦争中に抑留され、終戦後、痛々しい姿で教会に戻りながら恨み言ひとつ言わなかったというメルシェ神父がモデルになっています。

次回は『薔薇の館』についてもう少し説明しましょう。



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「真昼の悪魔」は読んだことはありませんが、今年の冬にテレビドラマで見ました。
原作と、脚色したテレビドラマは別物だと思うので、いつかは小説も読んでみたいと思いました。

[ 西野宮子 ] 2017/04/20 12:05:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

結構怖いお話だったと思いますが、残念ながらドラマは見逃してしまいました。よくご存じですね。

[ seitaro ] 2017/04/20 13:01:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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