阪急沿線文学散歩

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須賀敦子さんがエディンバラで宿泊したホテルは

 須賀敦子さんが父親に強く勧められてエディンバラを訪れたのは昭和34年30歳の時でした。

 父親の勧めでステイション・ホテルに宿泊しようとしますが、日本からの留学生の予算にはとてもあいそうもなく、老バトラーに別のホテルを教えてもらうことになります。

 須賀さんは、到着したNorth British Staion Hotelのロビーで、意を決して老バトラーに次のように切り出します。
<「もうしわけないけれど」私はバトラーの顔を見すえて、でもうっかりすると震えそうになる声を気にしながら、切り出した。「三十年まえ、このホテルに泊まった父にいわれて、駅からまっすぐこちらに来たのですが」そういうと、はてな、といった表情が一瞬、老バトラーの顔をよぎったが、それでも彼はまったく笑顔をくずすことなく、カウンターのこちら側に身をのりだすようにして私のいうことに耳を傾けてくれた。>

写真の左側のカウンターでの出来事かもしれません。

<「どうも、私の予算にくらべて、こちらは立派すぎるようです」覚悟を決めて私が一息にそういってのけると、「ほっほ」というような、深みのある音がバトラーの口から洩れた。「それで?」「こちらでいちばん高くない部屋はいくらぐらいかしら?」消えてしまいたい気持ちをおさえて、でも、一歩もゆずってはだめだと、さっぱり気分にそぐわない笑顔をつくった。>
 結局、どれも須賀さんの予算をはるかに超えるものでした。

<「ほんとうに申し訳ないけれど……」私はもういとどくりかえした。「あまり遠くないところで、こちらほど上等でなくて、でもしっかりしたホテルをおしえていただけないかしら。父に言われていたので、ここに泊まることだけを考えて来たものだから」
老バトラーの目が糸のように細くなり、野球のグローブのような手をまるめてペンをにぎったと思うと、ステイション・ホテルの紋章がついた贅沢な用箋にすらすらと別のホテルの名を書きつけ、ウィンクしながらそれを背の高いカウンターのまえで背伸びしてる私に差し出した。「正面のドアを出て、通りを渡ったところです。ちゃんとしたホテルだから、安心なさって大丈夫です。では、おじょうさん、よいご旅行を」>
とバトラーに希望にあった近くのホテルを教えてもらうのです。日本人としての須賀さんの態度もさすがですが、述べられている老バトラーの対応も素晴らしく、これぞ伝統のスコットランドのバトラーといったものでした。

 須賀さんがこの時宿泊されたホテルの名前は、松山巌さんが作成された年譜に記されていました。

<昭和三十四年十月九日、午前十時に部屋を出て、タクシーで、キングス・クロス駅に。午前十一時半の列車に乗り、ヨーロッパではじめて食堂車で昼食。六時半、エジンバラに到着。ロイヤル・ブリティッシュ・ホテルに泊まる。>
たしかにロイヤル・ブリティッシュ・ホテルはプリンセス通りを渡った向かいのホテルでした。

時計塔のあるバルモラル・ホテル(旧North British Station Hotel;写真右)と須賀さんの宿泊したロイヤル・ブリティッシュ・ホテル(写真左端)です。

<エディンバラのステイション・ホテルのある通りをへだてて斜向いの小ざっぱりしたホテルの清潔なベッドで目をさますと、私はこの思いがけない宿に来ることになった前夜の出来事を考えて、いろいろあったけれど、とにかくすべてうまくいったと思うと、いまいる部屋の落着いたたたずまいにも気がなごんで、羽枕ほどふわふわした満足感が、じんわりとからだにひろがっていくのだった。>

 賑わっているプリンセス通り。左側にロイヤル・ブリティッシュ・ホテルがあります。

しかし、調べるとロイヤル・ブリティッシュ・ホテルも1899年開業の伝統あるホテルでした。



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須賀豊次郎氏が宿泊したエディンバラのステーションホテル

 須賀敦子さんの父豊次郎氏は1936年日本貿易振興協会主催による世界一周実業視察団体団旅行に参加し、途中ロンドンのキングス・クロス駅からフライイング・スコッツマンに乗ってエディンバラを訪れます。

そのステーションホテルを訪ねるのが今回のイギリス旅行の楽しみでした。

 しかし、エディンバラでステーション・ホテルと呼ばれたのが上の写真の「ウォルドルフ・アストリア」だと知り混乱したのですが、やはり豊四郎氏が宿泊し、1959年に須賀敦子さんが訪ねたのは現在のバルモラル・ホテル(旧North British Station Hotel)だったようです。

 エディンバラには当時、カレドニアン鉄道のプリンシーズ・ストリート駅とノース・ブリティッシュ鉄道のウェーバリー駅がありました。
 しかし、ロンドンからフライイング・スコッツマンが向かったエディンバラの駅はウェーバリー駅であったことがわかり、そのステーションホテルとは現在のバルモラル・ホテル、当時のNorth British Station Hotelに違いないようです。

写真は1948年のウェーバリー駅とNorth British Station Hotel

North British Station Hotelは1902年開業し、1988年までその名前で続いていました。
須賀敦子『オリエント・エクスプレス』からです。
<ロンドンを出るときは晴れ上がっていた空が、列車が北上するにつれて灰色になり、私の感覚では東京―大阪とほぼおなじくらいの距離と思えたエディンバラの駅に到着したのは午後の遅い時間だった。>

現在のウェーバリー駅の様子です。

現在も古い駅舎の面影をとどめています。

ウェーバリー駅はエディンバラの新市街と旧市街の間の谷にあります。

 
現在のウェーバリー駅から地上に上るスロープですが、当時はどんな道がホテルにつながっていたのでしょう。


 須賀さんは駅に降り立つとStation Hotelという赤いネオンが見え、それを目指して歩きます。暗い通路を行き着いて、いきおいよくドアを開けたとたん、その豪華さに圧倒されるのです。

地上から見たバルモラル・ホテルです。
<あの安っぽいネオン・サインからは想像もつかない、ケイトウ色の赤い絨毯が海のように私の前にひろがっていて、通路の暗さとはうってかわった、まるで豪奢なルネッサンスの宮廷に迷い込んでしまったかと思うほど美しいシャンデリアが、クリスタルのしずくのひとつひとつに光を反射させて燦いていた。>

現在も美しいシャンデリアがあるロビーです。

昔はもっと豪華絢爛だったようですが、ここで須賀敦子さんと老バトラーとの素晴らしい会話が始まるのです。
<あちこちに真鍮がきらめいている、顔のうつりそうなマホガニーの腰高なカウンターの前に立つと、でっぷりふとった、そしてこれも正装した白髪の老バトラーがにこやかに近づいてきた。キングス・クロスの駅を離れてからずっと、往年の父の優雅な旅をあたまのなかで追ってきた私が、そのとたん、貧乏旅行しかしたことのない戦後の留学生に変身した。
「もうしわけないけれど」私はバトラーの顔を見すえて、でもうっかりすると震えそうになる声を気にしながら、切り出した。「三十年まえ、このホテルに泊まった父にいわれて、駅からまっすぐこちらに来たのですが」>
<「こちらでいちばん高くない部屋はいくらぐらいかしら?」消えてしまいたい気持ちをおさえて、でも、一歩もゆずってはだめだと、さっぱり気分にそぐわない笑顔をつくった。>

今回は粋な老バトラーには出会えませんでしたが、キルトを着たドア・マンも風格を漂わせています。



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 日本のホテルとは全然違いますね 風格と言い伝統と言い 

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/06/25 10:14:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

ステーション・ホテルのイメージは、日本とは全然違いました。いつになったら、日本もあんなに心豊かに暮らせるのでしょう。

[ seitaro ] 2017/06/25 15:24:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ミュージカル『オペラ座の怪人』を見にハー・マジェスティーズ劇場へ

 ロンドン最後の夜、この機会にミュージカルを見に行こうとホテルのコンシェルジェに相談すると、伝統あるハー・マジェスティ―ズ劇場で『オペラ座の怪人』を上演しているとのこと。早速座席をリザーブしてもらいました。


 劇場は1705年に開場し、18世紀から19世紀にかけてはバレエやオペラなどが上演され、20世紀になってミュージカルの上演が多くなったそうです。

そもそも、『オペラ座の怪人』は、この劇場で1986年10月6日に世界初演されたとのことで、そこで観劇できるとは。
ピカデリー・サーカスから通りを南に向かうと、重厚な建物が見えます。
19時前に着きましたが、まだまだ外は明るい状況。

劇場の入口を入ると座席の位置の方向が示されています。

チケットを見せると、すぐに地階のバーに案内され、開演までの時間を座ってゆっくり過ごすことができました。

内部は4階建てで約1,200人収容。
上を見上げて日本の劇場にはない豪華な造りにビックリです。


立派な劇場ですが、ミュージカルの場合は皆さんカジュアルな服装です。

比較的前の座席でも、1ポンドでオペラグラスが借りられるようにセットされていました。
公演中は撮影できませんので、購入したパンフレットから。



まさに写真そのものの舞台が繰り広げられました。

ファントム、クリステーヌはじめ、全員が素晴らしい声量と音域です。

大阪の四季劇場で見た『オペラ座の怪人』は生演奏ではなかった記憶ですが、今回はオーケストラ・ピットから力強く、また繊細で、情緒豊かな演奏を聴くことができました。

終了後、オーケストラ・ピットを覗きに行くと、ハープも置かれていました。

 最後はスタンディング・オベーションとなりましたが、これは前の人が立ちだすと、座っていると舞台挨拶が見えないので、全員立たざるをえなくなるということがよく分かり、良い経験となりました。

外に出ると10時をまわり、ようやく暗くなっていました。

 観劇の楽しみ方にも、日本には追い付けないイギリス文化の歴史と伝統を強く実感した次第です。

帰ってきて調べると、ホームページからチケットの購入は可能で、価格は£151.25から£27.75まで9種類に細かく分けられ、視界を遮るものがあれば明記されており、日本に比べて、リーズナブルな価格設定になっていました。



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須賀敦子さんがキングス・クロス駅から乗ったフライイング・スコッツマン

 須賀敦子さんの『ヴェネチアの宿』の最終章「オリエント・エクスプレス」は次のように始まります。
<「朝、九時にキングス・クロス駅から、『フライイング・スコッツマン』という特急列車が出ているはずです。それに乗ってエディンバラまで行ってください。パパも同じ列車でスコットランドへ行きました。エディンバラでは、ステイション・ホテルに泊まること」
行ってください、という一見、おだやかでていねいな口調とはうらはらな「泊まること」という命令のほうが父の本音だということぐらいは、すぐにわかった。>

キングスクロス駅の外観は昔の様子のまま残されていました。

<フライイング・スコッツマン、空飛ぶスコットランド男、たぶん、父はなによりもその列車の名前が気にいっていたのだろう、自分に似て旅の好きな娘をそれに乗せて古い北方の首都まで行かせる。一見、唐突にもとれる手紙だったのだが、いかにも彼らしいロマンがそこには読みとれて、父への反抗を自分の存在理由にしてきたみたいにしてきた私も、こんどばかりはめずらしくすんなりと彼の命令を受けるつもりになった。>

 須賀さんがフライイング・スコッツマンに乗ってエジンバラを旅したのは1959年のことですが、1959年に走っていたフライイング・スコッツマンの写真がありました。まだ蒸気機関車のままでした。

<そしてキングス・クロス駅で、おどろいたことに父の言ったとおりの列車が言ったとおりの時間に出るのを知ってほとんど無力感におそわれながらも、さっそく三等車の切符を求めると、八月十八日の出発を心細さと期待のまざった気持ちで待ちわびた。>

 調べてみるとフライング・スコッツマンは、1862年からずっとキングスクロス駅の同じプラットフォームの10番線から同じ時刻の午前10時にエジンバラに向けて出発しているのです。
これもイギリス人の伝統を頑なに守る気質からでしょうか。

このフライイングスコッツマンが、ハリー・ポッターのホグワーツ特急のモデルになっているのです。

ホグワーツ特急もフライイングスコッツマン同様、キングスクロス駅を毎11時に93/4線から出発するのです。

話が逸れましたが、これから須賀敦子さんの「オリエント・エクスプレス」に登場するエディンバラのステーションホテルを明らかにしていきます。



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ハリー・ポッターのホグワーツ特急の始発駅、キングス・クロス駅へ

 キングス・クロス駅は、1852年に開業したロンドンの主要鉄道ターミナルで、須賀敦子さんがフライイング・スコッツマンでエジンバラに向かった駅ですが、J.K.ローリングの小説『ハリー・ポッター』シリーズでホグワーツ特急の始発駅として登場する有名な駅です。


 ホグワーツ特急は秘密の9¾番線に発着しますが、それは9番線と10番線の間の煉瓦の壁を通り抜けたところにあり、そのセットが実際に設置されていました。
 ところが、駅の改造によりプラットホームに自由に入れなくなり、そのセットの位置も動かしたと聞いていましたので、現在はどのようになっているのかと、確かめに行きました。

 地下鉄サークルラインのキングス・クロス・セント・パンクラス駅で降りると、最初に入ったのが立派なセント・パンクラス駅で、ここはユーロスターの終着駅となっていました。



 その隣が、1852年開業のキングス・クロス駅で、当時描かれた絵と比較しても、駅舎の外観は保存されているようです。



 しかし改修工事により、プラットホームには自由に入れなくなっています。


The Harry Potter Shop at Platform 9¾9の入口の横の壁にセットがあり、写真撮影の行列ができていました。


写真撮影の申し込みはShopの中でするようです。

Shopにはハリーポッターのグッズで一杯でした。



ここではハリー・ポッター人気は少しも衰えていませんでした。



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英国で、最も素晴らしい景色のバス停?

 湖水地方の旅で泊まったホテルは、ウィンダミア駅から555番のバスで約10分のところにあるリゾートホテルですが、そのバス停には、次のようなしゃれた宣伝文句が。



The Most Senic Bus Stop in Great Britain?

ウィンダミア湖の美しい景色が広がります。

ヨットハーバーが見えています。

湖水地方にあるイングランド最大の湖ウィンダミア湖。

レークディストリクト国立公園の景色が広がりますが、
最後の?がイギリス人のウイットでしょうか。

それとも1850年創業というバス停の前に立つホテルが考えた誇大宣伝?


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The Most Senic Bus Stop in Great Britain?
最後の“?”がミソですね。

[ 西野宮子 ] 2017/06/20 8:23:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうなんです。これが?と思いましたが、許せました。

[ seitaro ] 2017/06/20 9:23:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ハリー・ポッターの作者J.K.ローリングが通ったカフェを訪ねる

 NHKBSプレミアムのアナザーストーリーズ 運命の分岐点「ハリー・ポッター 魔法のような誕生劇」で、無名のシングルマザーだったJ.K.ローリングが、生活保護を受けながらエディンバラ市内の「Nicolson's Cafe」で、ハリー・ポッターを書いていたことが紹介されていました。


 しかし、「地球の歩き方」を読むと、執筆活動をしていたのは、「Elephant House」と紹介されており、その二か所を訪ねました。

 まずは、NHKで紹介されていたDrummond StreetとNicolson Streetの交差点にある「Nicolson’s Cafe」へ。

 Nicolson's Cafe はその後、Chinese Buffet King という中華料理店となった後、Spoonというお店に変わったそうですが、それも閉鎖されています。現在は一階がThe Black Medicine Coffee Co.  というカフェになっており、二階は閉じられ行けなくなっていました。

 
 通りに面したコーナーにJ.K.Rowlingがこの建物の二階(イギリスではFirst Floor)で初期のハリー・ポッターの章を書いたという小さな掲示がありました。

 残念ながら今やその2階には行けなくなってしまいましたが、TVの紹介場面の映像です。


 次に向かったのが「Elephant House」。

ここは宣伝が行き届いているらしく、多くの人が店の前で写真を撮っていました。

 店の前には”Birthplace”of Harry Potter と掲示されていました。

しばらく席が空くのを待って中に通してもらいました。

窓からは世界遺産のエディンバラ城が見えています。

 因みにエディンバラ城は大きな岩山の上に聳え、その礎が映画『ハリーポッター』での、ホグワーツ城のモデルとなったと言われています。

J.K.Rowlingが使っていたのは、ここでもエディンバラ城が見える窓際の一番端の席だったそうです。

 私が通されたのは、幸いにもその隣の席でした。
窓際に座っていたのはJ.K.Rowlingを思わせる若い女性で、彼女も熱心に写真を撮っていました。訪ねてみるとやはりJ.K.Rowlingのファンとのこと。

 ところでElephant Houseが本当に”Birthplace”of Harry Potterなのか調べてみました。
彼女がエディンバラに越してきたのは1993年で、最初の原稿が書きあげられたのは1995年。
Elephant Houseのオープンは1995年ですから、彼女はここではほとんど最初の小説を書いていないことになり、誇大広告に違いありません。
この宣伝は地元の人も快く思っていないとか。
Elephant Houseで執筆していたことも事実らしいのですが、多くは義弟の店のNicolson’s Caféを使っていたそうです。



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須賀豊次郎氏が宿泊したエディンバラのステーション・ホテル

 父親からの手紙に書かれていたとおり、須賀敦子さんはエディンバラの「ステイション・ホテル」に泊まるつもりで、ロンドンからフライイング・スコッツマンに乗ってでかけます。
須賀敦子『オリエント・エクスプレス』からです。
<ロンドンを出るときは晴れ上がっていた空が、列車が北上するにつれて灰色になり、私の感覚では東京―大阪とほぼおなじくらいの距離と思えたエディンバラの駅に到着したのは午後の遅い時間だった。>
 このエディンバラの駅というのが問題ですが、先に進みましょう。
 駅に降り立つとStation Hotelという赤いネオンが見え、それを目指して歩きます。暗い通路を行き着いて、いきおいよくドアを開けたとたん、その豪華さに圧倒されるのです。
<あの安っぽいネオン・サインからは想像もつかない、ケイトウ色の赤い絨毯が海のように私の前にひろがっていて、通路の暗さとはうってかわった、まるで豪奢なルネッサンスの宮廷に迷い込んでしまったかと思うほど美しいシャンデリアが、クリスタルのしずくのひとつひとつに光を反射させて燦いていた。>
Station Hotelという赤いネオンも、ホテルを探すのにヒントになります。
<あちこちに真鍮がきらめいている、顔のうつりそうなマホガニーの腰高なカウンターの前に立つと、でっぷりふとった、そしてこれも正装した白髪の老バトラーがにこやかに近づいてきた。キングス・クロスの駅を離れてからずっと、往年の父の優雅な旅をあたまのなかで追ってきた私が、そのとたん、貧乏旅行しかしたことのない戦後の留学生に変身した。
「もうしわけないけれど」私はバトラーの顔を見すえて、でもうっかりすると震えそうになる声を気にしながら、切り出した。「三十年まえ、このホテルに泊まった父にいわれて、駅からまっすぐこちらに来たのですが」>

 私は今まで、このエディンバラのステーションホテルとは、エディンバラ・ウェーヴァリー駅のすぐ上にあるバルモラル・ホテルだと思っていました


 しかし、今回エディンバラに来て『地球の歩き方』のホテルの頁を開いてみると、「かつてステーション・ホテルとして、バルモラルとともに名をはせた古式ゆかしいホテル」と説明されていたのは、何と「ウォルドルフ・アストリア」というホテルだったのです。

 上の地図の赤矢印の位置にある「ウォルドルフ・アストリア」は、「ステーション・ホテル」といってもプリンスィズ通りの西端にあり、ウェーバリー駅からはかなり離れているのに、何故ステーション・ホテルと名付けたのでしょう。

 更に調べると1870年、そこにはPrinces Street Stationという駅が幹線駅として存在していたことがわかりました。
しかも、この駅は1965年には完全に無くなっていたのです。

 ここから、私の頭の中の混乱が始まったのですが、取り敢えずかつて「ステーションホテル」だったという「ウォルドルフ・アストリア」に向かいました。

アーチ型の窓や入り口が駅舎を思わせるデザインになっています。

当時存在したPrinces Street Stationの門も、現在は駐車場の入口となっていますが。残されていました。

 豊次郎氏が宿泊したのは、このステーションホテルだったのでしょうか。
帰国後に、もう一度今まで調査した資料と比較して、明らかにするつもりです。


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須賀敦子『オリエント・エクスプレス』のエディンバラの足跡を追って

 須賀敦子さんの回想的エッセイ『ヴェネツィアの宿』の最終章「オリエント・エクスプレス」の冒頭は、父豊次郎氏からロンドンからフライング・スコッツマンに乗って、エディンバラに行きステーション・ホテルに泊まるよう言われた話から始まります。
<「朝、九時にキングス・クロス駅から、『フライング・スコッツマン』という特急列車が出ているはずです。それに乗ってエディンバラまで行ってください。パパも同じ列車でスコットランドへ行きました。エディンバラでは、ステイション・ホテルに泊まること」
行ってください、という一見、おだやかでていねいな口調とはうらはらな「泊まること」という命令のほうが父の本音だということぐらいは、すぐにわかった。>
 須賀さんは1959年8月にロンドンからエディンバラを訪れます。父親に言われた通り、ステーション・ホテルに向かった須賀さんは、そこで老バトラーと感動的な会話を繰り広げたのです。

 私も『オリエント・エクスプレス』に登場する格式のあるステーション・ホテルが、現在はどのようなホテルになっているのか訪ねてみようと、スコットランドの古都、エディンバラに向かい、到着したのは6月13日のことでした。

 そこには石造りの家など、他のヨーロッパ地域とは異なるスコットランド特有の風景が広がっていました。

 一番、目についたのが、ほとんどの家の屋根にあるチムニー・ポット。

 空港からホテルに向かう途中に見えるすべての家々の煙突に、チムニーポットが付いているのです。

エディンバラ郊外の住宅地の風景です。


 集合住宅風の家の煙突の上には何本ものチムニーポットが並んでいます。


 一つ一つの暖炉に一本ずつチムニーポットが繋がっているはずなので、煙突の上のチムニーポットの数で暖炉がついている部屋の数がわかります。



 チムニーポットを調べると、日本では園芸用品として販売されており、暖炉で薪が燃やされることもほとんど無くなった現在では、イギリスでも無用の長物となって取り外され、煙突上のチムニー・ポットは残り少なくなっているだろうと想像していました。

 しかし、エディンバラに到着して目にした光景は、想像していたものと全く違う光景でした。

 特にスコットランドは気温が低いせいか、はたまた北海のガス田に恵まれているせいか、薪や石炭を使う暖炉が少なくなった現在も、部屋ではガスストーブが暖炉に組み込まれて使われているようです。

 メリーポピンズにも登場するチムニーポット。
ロンドンでも健在なのでしょうか。


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増山実『風よ僕らに海の歌を』のモデルとなった宝塚のリストランテへ

 増山実『風よ僕らに海の歌を』は史実をモチーフにしており、主人公ジルベルト・アリオッタは、数奇な運命をたどり、戦後間もなく宝塚にイタリアン・レストラン・アベーラを開いたオラッツィオ・アベーラさんがモデルとなっています。


 アベーラさんは、第二次世界大戦中はイタリア軍の軍人として輸送艦「カリテア号」に乗り込んでいましたが、1943年、神戸港に停泊していたときに、イタリアが降伏したため、アベーラさんたちイタリア兵は日本軍の捕虜となってしまいます。
 その後、姫路の捕虜収容所に入り、戦後に武庫川河畔の武田尾温泉で知り合った日本人と結婚し、1946年湯本町の蓬莱橋近くに「イタリアンレストラン・アベーラ」を開業したそうです。

 現在のお店は宝塚南口駅近くの閑静な住宅街にあり、オラツィオさんが帰天した後の1971年に“アモーレ・アベーラ”として元の自宅を改装して移転した店舗で、子息のエルコレ・アベーラさんがオーナーとなり、父親から伝授したシチリア風テイストを受け継いでおられます。

芝生の庭を見ながらの席もよさそうです。

 店内に入ると、創業者で『風よ僕らに海の歌を』のモデルとなったオラッツィオ・アベーラさんの写真が掛けられていました。

 幾つかのお部屋があるようですが、80席の収容力があり、お昼に伺いましたが、ほぼ満席でした。

 評判のピザも魅力的でしたが、今回オーダーしたのは「アベーラランチ」。

焼きたての柔らかいグリッシーニは初めての味でした。

前菜は生ハムとメロン。

アサリのスパゲティは、貝柱も大きなアサリでトマトソースも美味しくいただきました。

メインはシュニッツェル

ドルチェは抹茶のアイスクリームと苺のケーキ

 食べログでも3.55の評価で、お店の雰囲気も味も、十分満足できました。
さすが日本で一番歴史のあるイタリアンレストラン、その歴史を知るとファンになってしまいます。



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増山実 | コメント( 3 ) | トラックバック( 0)

『人生で予想できることがひとつだけある。それは、予想もしないことが起こるということだ』
https://www.facebook.com/masaichi.yokoi1/posts/1561727780524243?pnref=story

[ 笹舟倶楽部 ] 2017/06/11 23:47:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

以前、紹介していただいた「勇者たちへの伝言」を読んでから増田実さんのファンになりました。「風よ僕らに海に歌を」もぜひ読んでみたいし、「アモーレアベーラ」のランチもいただきたいです。

[ mamimi ] 2017/06/12 10:23:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

「風よ僕らに海に歌を」は史実に基づいたストーリーで面白く、その舞台をもう少し訪ねてみるつもりです。

[ seitaro ] 2017/06/16 6:27:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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