阪急沿線文学散歩

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常盤貴子「旅するフランス語」で須賀敦子さんの訪れたコルマールへ

 須賀敦子さんが最後の取材旅行で尋ねられたコルマールが、がNHKのEテレ、常盤貴子さんの「旅するフランス語」第22章 アルザス紀行3で取り上げられていました。

「旅するフランス語」は語学番組というより、むしろ紀行番組といった感があり、昨年私も訪ねたコルマールの街を隈なく案内してくれました。

パステルカラーのかわいい建物が並ぶ美しい町。

中世の面影を残すユニークな建築物が多く、「頭の家」「小ヴェニス」など、おとぎ話のような風景をあちらこちらに見ることができます。

 須賀敦子さんは『アルザスの曲がりくねった道』で、主人公フランス人修道女オディールが故郷について話す場面からです。
<あっ、コルマールに行ったの。いつもは控え目な彼女が叫ぶようにそういうと、まぶたを半分とじるようにして、つぶやいた。ああ、コルマール。なつかしい、コルマール。戦争の前は、あの辺りのぶどう畑がぜんぶ、わたしたちの家のものだったのよ。シュレベール家のぶどう畑。息をつめるようにしてひと息にそういい終えた彼女に、わたしはあっけにとられた。>

『考える人』2009年冬号に、「一九九六年九月、最後の旅」と題した鈴木力氏(新潮社)の記事があり、須賀さんがコルマールを訪れたときの写真が掲載されていました。

「旅するフランス語」にも同じ場所(La Petite Venise)の光景が映されていました。

旧税関の前に建つ須賀敦子さん。

当然この場所も「旅するフランス語」に登場します。

コルマールは、日本では宮崎駿監督の『ハウルの動く城』のロケ地になったことでも有名。

プフィスタの家も、アニメのシーンに描かれていました。

八角形の塔、出窓、壁に描かれた絵画などいたるところが芸術的で、16世紀に裕福な商人のために建てられた家だそうです。

アルザス地方は歴史的にドイツとフランスの間を行ったり来たりした場所。そのため、地元の言葉であるアルザス語がとても大切にされてきましたとのこと。

「旅するフランス語」第24章はアルザス紀行5は最終回。

アルザス地方にあるオーベルジュでの豪華ディナーが紹介されていました。

昨年行ったときな見ることができなかったアルザスのシンボルともいえるコウノトリの映像も見ることができました。

これで終わりかと思いましたが、「常盤貴子の旅の手帖 大人のパリとアルザス地方」の今回のシリーズは4月から9月まで再放送されるそうなので、楽しみにしています。




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須賀敦子さんは最後の取材旅行でコルマール郊外旧聖心女子のリセへ

 須賀敦子さんの未定稿『アルザスの曲がりくねった道』に登場する主人公のフランス人修道女オディールの故郷はアルザスでした。

<オディール修道女の故郷がアルザス地方の小さな村だと聞いたのは、わたしが友人たちと、車でアルザス地方を旅したことがあると彼女に話したときのことだった。>

 そして『アルザスの曲がりくねった道』の構想が書かれた「ノート1」では、
<Zという一九八八年に七九歳で生涯を終えた、ひとりのフランス人修道女の、伝記を断片的につづりながら、彼女の歩いた道を、日本人の「わたし」がたずねるかたちで、書く。「なんとなく」修道女になる道をえらんだZが、読書をはじめとするさまざまな経験を経て、宗教にめざめてゆく話。>と書かれており、Zが主人公オディール・シュレベールでした。

 また「ノート6」でも、
<わたし −ローマ在住?の日本人?年齢?職業?
オディール・シュレベール
1909 十月三日生まれ アルザス、N村
1929 二十歳で、修道会に入る。
……>と書かれています。「わたし」は当然須賀敦子さんですが、オディールのモデルも実在したのではないでしょうか。

『アルザスの曲がりくねった道』の序文では、オディールが文学について三十年代にフランスのリセで勉強したと書かれており、コルマール郊外のキンツハイム(Kientzheim)にあったリセ(教育施設)のことだと思われます。

『考える人』2009年冬号に、「一九九六年九月、最後の旅」と題した鈴木力氏(新潮社)の記事があり、須賀さんがリセを訪れたお話と写真が掲載されていました。

<ここはかつて、広大なブドウ畑の真ん中に聖心の学校があったのだそうです。須賀さんの説明では、昔はブドウ畑全体も聖心のものだったらしいのですが、学校はすでに聖心のものではなくなっていて、しかし建物はそのまま残って、成城学園のリセになっていました(二〇〇五年には成城学園のリセも廃校)。須賀さんはこの学校の建物をみておきたかったようでした。ちょうど夏休みだったので、生徒たちはだれもいませんでしたけど。>

 1986年からは、ここに東京の成城学園が"アルザス成城学園(Lycee Seijo d'Alsace)"という日本人のためのボーディングスクールを設置していて、閉校後はその敷地と建物をCEEJA( アルザス・欧州日本学研究所 )が使用しています。

古い修道院を改修して、校舎として使用していたそうなので、オディールはその修道院で暮らしていたのかもしれません。



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須賀敦子『アルザスの曲がりくねった道』と常盤貴子『旅するフランス語』

 須賀敦子さんが、未定稿「アルザスの曲がりくねった道」の取材旅行に訪ねたコルマールの街が、先日Eテレの常盤貴子さんの「旅するフランス語」で紹介されていました。

 常盤貴子さんは小学校4年から西宮市へ移り、春風小学校、上甲子園中学校、高校1年までは市立西宮東高等学校に在籍していたという西宮にもゆかりのある女優です。

2月、3月にアルザス紀行が5回にわたって放映されます。

 第21章は「アルザス紀行2」。フランス北東部のアルザス地方でワイン街道めぐりで、アルザスのぶどう畑の曲がりくねった道が登場しました。


 須賀敦子さんは『アルザスの曲がりくねった道』で、主人公フランス人修道女オディールの故郷について、次のように書かれています。
<オディール修道女の故郷がアルザス地方の小さな村だと聞いたのは、わたしが友人たちと、車でアルザス地方を旅したことがあると彼女に話したときのことだった。>
<そこからミュールズを抜けて、コルマールからワインの道をストラスブールまで一直線。そこまでいうと、オディールの目がぱっとかがやいて、わたしをさえぎった。あっ、コルマールに行ったの。いつもは控え目な彼女が叫ぶようにそういうと、まぶたを半分とじるようにして、つぶやいた。ああ、コルマール。なつかしい、コルマール。戦争の前は、あの辺りのぶどう畑がぜんぶ、わたしたちの家のものだったのよ。シュレベール家のぶどう畑。息をつめるようにしてひと息にそういい終えた彼女に、わたしはあっけにとられた。>

 アルザスは有名な白ワインの里。

常盤貴子さんも地元のワインとおつまみでピクニック。

 須賀敦子さんの未定稿『アルザスの曲がりくねった道』の序章の最後では
<むかし、シュベール家のものだったという青いぶどう畑の道を、二十一歳であとにしたきりもういちど歩くことのなかったオディールのかわりに、わたしの足で歩いてあげよう。「オディールのあとをたずねる」というのは、もしかしたらわたしなりの墓参りなのかもしれなかった。>
と書かれています。

常盤貴子さんも歩いていたアルザスの青いぶどう畑の道。
須賀さんの最後の取材旅行となったコルマールの足跡をもう少し訪ねてみましょう。


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大阪城公園梅林のあとはNHK大阪放送局で「べっぴんさん」セット見学

 大阪城公園にある梅林は100品種以上、約1270本もの梅が植えられていると聞き、見学に行ってきました。


 JRで行きましたが、大坂城公園駅を降りて目についたのが、改札口の上に飾られている司馬遼太郎の大阪城公園駅誕生記念の詩文が焼き付けられた見事な陶板レリーフ。


次のように始まります。
<おごそかなことに、地もまたうごく。私どもは、思うことができる。この駅に立てば、台地のかなたに渚があったことを。遠い光のなかで波がうちよせ、 漁人(いさりびと)が網を打ち、浜の女(め)らが藻塩(もしお)を焼いていたことども。秋の夜、森の上の星だけが、遙かな光年のなかで思いだしている。>
読んでいると、はるか昔の大坂に思いを馳せることができます。

最後は次の様に終わります。
<悲しみは、この街に似合わない。ただ、思うべきである。とくに春、この駅に立ち、
風に乗る万緑の芽の香に包まれるとき、ひそかに、石垣をとりまく樹々の発しつづける多重な信号を感應すべきであろう。その感應があるかぎり、この駅に立つひとびとはすでに祝われてある。日日のいのち満ち、誤りあることが、決してない。 司馬遼太郎>

 さて、春近い大阪城公園駅に立ち、梅林に向かいました。

大阪城梅林は内濠の東側、約1.7haの広さに約1,270本近くの梅が植えられています。

梅の木が太いので古くからの梅林かと思いましたが、1972年に北野高校同窓会から22種880本を寄贈されたのを機に1974年3月に開園され、現在では97品種1270本となっているそうです。


品種の豊富さでは関西随一の梅林となっており、それぞれの木に品種のタグがついて、わかりやすくなっています。

日本一の城をバックにした梅林は見ごとです。


また京橋の高層ビル群をバックにした梅も、ある種の風情があります。

梅林でしばらく時間を過ごしたあと、NHK大阪放送局へ。

大阪放送局では、「連続テレビ小説べっぴんさん」のセットが3月26日(日)まで1階アトリウムで公開されています。

キアリス本店


あさや靴店

世界の料理「レリビィ」

ハットリベーカリー

など港町商店街のドラマセットが並んでおり、歩かせていただきました。
ようやく、どうなることかと心配した「べっぴんさん」も終わります。



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大阪 | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

大阪城をバックの梅林スケールがちがいますね 感動しました
素晴らしい画像を有難うございました。

[ チエリー ] 2017/03/25 21:52:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

チェリーさんコメントありがとうございます。いくつか梅林をまわりましたが、品種といい、数の多さといい大阪城梅林が、やはり一番見事でした。

[ seitaro ] 2017/03/25 22:06:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

おはようございます。
昨日、『西宮文学案内』の受講当選通知がとどきました。
4月22日、楽しみです。

いつでしたか、大阪城梅林内の「盆梅展」で、苗木を買ったものの、早々に枯らしてしまいました。無精モノには無理でした。

[ 373 ] 2017/03/26 6:36:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さんおはようございます。会場の都合上定員が限られていましたので、よかったです。お会いできるのを楽しみにしております。

[ seitaro ] 2017/03/26 9:53:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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奈良の志賀直哉旧居を訪ねる

 志賀直哉は大正14年から奈良に移り、幸町の借家で過ごした後、昭和4年から自ら設計した上高畑町の家に昭和13年まで住んでおり、代表作『暗夜行路』もここで執筆された作品です。上高畑町の家には、多くの文化人たちを招き芸術を論じ、子供たちの家庭教育を行い、家族との絆を育んだ生活だったそうです。

 
 志賀直哉は奈良の自然を愛したようで、エッセイで次のように述べています。
<私は土地としては関西を好んでいる。一生、奈良で暮らしても自分はいいが、男の児を其処で育てることは少し考えた。奈良の人が皆、そうだと云うのではないが、土地についた、退嬰的な気分は、自然、住む者の気持ちに影響する。男の児のためにそれを恐れた。又、仮に子供がそれに影響されまいと心に努力する場合を考えても、丁度引き上げていい頃だと思った。>
どうも子供の教育問題が奈良から東京へ移った原因のようです。
 
 谷崎潤一郎と同じく、関西人があまり好きでなかったようで、次のようにも述べています。
<然し住民は東京の方が段違いにいい。言語、慣習、その他色々なものが私に親しいからでもあろうが、他に親切で大体関西人に較べて文化の進んだ感じがあると思った。前にも一度書いたが、関西と関東と、土地と人とを別々に好きだという事は、私の不幸だと今も想っている。>
どうも関西人は不親切で、文化が遅れているという印象のようです。

ともかく旧志賀直哉邸に入ってみましょう。
敷地は435坪、建物は2階建て134坪という広大さで、和風、洋風、中国風の様式が取り入れられており、建築物単味でも見ごたえがあります。

数奇屋作りの一階書斎です。

ここは、執筆に関係ないものは一切排除し、余計なものを置かなかったそうです。

一階の6畳の茶室です。

直哉は来客と気軽に話をしたり、将棋をさしたりする部屋にするつもりだったようですが、結局、夫人と子供たちのお茶のお稽古に使われたそうです。

中庭です。

食堂は約20畳もある広さ。
ひっきりなしに訪れる来客はここで家族と一緒に食事をし、子供たちの娯楽室でもあったそうです。

ここが「高畑サロン」が開かれたサンルームです。
大きく明るいガラス張りの天窓があり、床は特注の瓦敷塼です。
 この部屋に多くの文人画家が集い、芸術を語り人生を論じたり、麻雀、囲碁、トランプ等の娯楽に興じたそうです。

社交の一コマ。中列に武者小路実篤、志賀直哉の顔が見えます。

お風呂は珍しい角型の五右衛門風呂。中を覗く鉄釜になっていました。

窓から若草山が見える客間です。
小林多喜二らがここに泊まったそうです。

二階の書斎です。
直哉の昭和6年4月に書かれた日記に「 これから二階の書斎を充分に利用しよう」という記述があり、『暗夜行路』もここで書き上げたそうです。

裏庭の小プールです。
直哉は、大正3年に結婚して昭和7年までの間に2男7女をもうけており、子供たちのために作った庭の一角の小さなプールです。

 志賀直哉は、この旧居に9年間住み、関西人にはあまり馴染めなかったようですが、奈良の美しさについては次のように述べています。
<兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互いに溶けあってゐる点は他に比を見ないと云って差支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名畫の殘欠が美しいやうに美しい。御蓋山の紅葉は霜の降りやうで毎年同じやうには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。5月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も奈良を憶う種となるだろう>


 志賀直哉旧居のお隣に、たかばたけ茶論という喫茶店がありました。

オープン。カフェからは山岳画家・足立源一郎画伯が大正8年、南仏プロヴァンスの田舎家をモチーフに建てられた洋館や樹齢100年以上というヒマラヤ杉を眺めることができます。

奈良の散歩に疲れたときは、ここで休憩されるのがお勧めです。


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その志賀直哉旧居は、私が尊敬する宮崎翁の息子さんの嫁さんの実家だったのです。今はそのようになってますが。わたしも何年か前に見学に行って帰ってきて翁に話したら、「うちの嫁の実家…」とかで驚きました。

[ akaru ] 2017/03/27 10:56:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうだったのですか。一度だけ、多分そのご夫妻にAraiさんのご紹介でお会いいたしました。ボランティアをされていて、立派な方でした。

[ seitaro ] 2017/03/27 15:58:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

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関東人にとって芦屋とは?(山口瞳『温泉へ行こう』より)

 あの江分利満氏で御馴染みの山口瞳の昭和60年の温泉紀行『温泉へいこう』、第10話は有馬温泉。

<六甲の桜は蕾だったが、阪神競馬場の桜花賞は満開― 太閤さんも愛した有馬の湯につかり、夜のミナト神戸に繰り出したら……>と始まります。

 太閤秀吉が愛した有馬温泉として有名ですが、その起源は日本書紀にまで記されている程古く、山口瞳は日本最古の温泉ということで、訪れたようです。

<有馬温泉へ行く。温泉紀行を続けるかぎり、この名湯を見逃すわけにはいかない。僕は有馬温泉の上品なところが好きだ。ここは大阪でも神戸でもなく芦屋だという感じがするのである。ところが関西人に言わせるとそうじゃない。関西人のなかに有馬温泉をイカガワシイところと見る人がいる。そのへん、僕はまだわかっていない。>
 関西人としては有馬温泉が上品というのは、なんとなくわかるような気がしますが、そこから、「大阪でも神戸でもなく芦屋」という発想が、理解しがたいところです。

 また、有馬温泉がイカガワシイと言った関西人は何を意味していたのでしょう。有馬には温泉街によくあるフウゾク関係のお店は全くありませんし、そのような表面的な温泉街の雰囲気ではなく、私が箱根温泉にイメージするような秘密裏の男女の隠れ家でもあるのでしょうか。

<新神戸着、三時五十二分。そこからタクシーで約四十分、有馬温泉、“中の坊瑞苑”に到着した。新神戸トンネルが完成して、ずいぶん近くになった。
この旅館は、すばらしい日本建築であったが、神戸ポートピアにあわせて改築された。残念だが仕方ない。>

太閤橋から正面に見えている建物が「中の坊瑞苑」です。
昔の中の坊旅館はどんな日本建築だったのでしょう。

<国際情緒豊かな酒と肉の神戸、上流社会の芦屋、名湯有馬温泉、桜花賞の阪神競馬場、少女歌劇の宝塚が、それぞれ近いということは夢を見ているような思いになる。ここもまた桃源郷か。>
関東に暮らす人にとって阪神間はどうも桃源郷のように映るようです。

山口瞳は有馬温泉から2日間、仁川の阪神競馬場に通っています。

1日目は阪神競馬場で惨敗したあと、仁川駅から電車に乗った山口瞳。

<仁川駅から、阪急で西宮北口まで。電車の網棚に鞄を忘れた。途端にスバル君が疾駆する。その電車、鞄を乗せたまま折り返して宝塚まで行っちまった。僕等夫婦の銀婚式の祝いに梶山季之が買ってくれた双眼鏡。これは金には換えがたいものだ。他に携帯用ラジオ。ウイスキイ。その鞄、宝塚駅の駅長室に保管されているという。「よかった!阪急の客は上等だ」>
桃源郷に暮らす人々の心も上等だったようです。大切なものが返ってきてよかった。



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川端康成『古都』に描かれた京都府立植物園を訪ねる

 梅が見ごろとなり、先日京都府立植物園の梅林を訪ねました。


ところでこの植物園は、川端康成の小説『古都』にも登場します。

『古都』は京都を舞台に、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命が描かれた作品で、京都各地の名所や史蹟、年中行事が盛り込まれています。

 また何度も映画化、テレビドラマ化、舞台化された作品でもあり、初回映画化(昭和38年)の主演は岩下志麻さんでした。

 京都府立植物園は日本で最初の公立植物園として、大正13年に開園していますが、昭和21年から12年間は連合国軍に接収され、昭和36年4月にようやく再開しています。
 朝日新聞に『古都』が連載され始めたのは、再開直後の昭和36年10月からですから、『古都』では次のように書かれています。
<植物園はアメリカの軍隊が、すまいを建てて、もちろん、日本人の入場は禁じられていたが、軍隊は立ちのいて、もとにかえることになった。
 西陣の大友宗助は、植物園のなかに、好きな並木道があった。楠の並木道である。楠は大木ではないし、道も長くはないのだが、よく歩きに行ったものだ。楠の芽ぶきのころも…。
「あの楠は、どないなってるやろ。」と、機の音のなかで思うことがあった。まさか占領軍に伐り倒されてはいまい。宗助は植物園が、ふたたび開かれるのを待っていた。>
朝日新聞連載時の挿画は小磯良平によるものでした。




「くすのき並木」は今も健在で、楠木は大木になっています。

 仁和寺の御室の花見に行った太吉郎、しげ、千恵子の三人は、花見客の騒々しさに辟易し、静かなところへ行こうと車で、再開したばかりの植物園に向かいます。
<植物園は、この四月から、ふたたび開かれて、京都駅の前からも、新たに植物園行きの電車が、しきりに出るようになっていた。「植物園もえらい人やったら、加茂の岸を少し歩くのやな。」と、太吉郎はしげに言った。>

賀茂川沿いの道もいい散歩道になっています。

<植物園は門の前の並木道から、ひろびろと明るかった。左は加茂の川づつみである。しげは入園券を、帯のあいだにはさんだ。ひらけるながめに、胸もひろがるようだった。>

植物園の正門に至る並木道です。
<植物園に入ると、正面の噴水のまわりに、チュウリップが咲いていた。「京都ばなれした景色どすな。さすがに、アメリカさんが、家を建ててはったはずや。」と、しげは言った。「そら、もっと奥の方やったんやろ。」と、太吉郎は答えた。噴水に近づくと、そう春風もないのに、こまかいしぶきが散っていた。噴水の左向うには、円い鉄骨のがらす屋根の、かなり大きい温室が、つくられていた。>
正門を入り、少し歩くと大きな温室が見えてきます。

4月になれば、書かれているようにチューリップが一面に咲くことでしょう。

今は、かわりにキンギョソウが花盛りでした。

正面にあった噴水というのは今はなく、洋風庭園に移したようです。

< ひまらや杉の若芽の下枝が、孔雀の尾をひろげたようだとするなら、ここに咲き満ちる、いく色ものチュウリップは、なににたとえたものだろうかと、太吉郎はながめつづけた。花々の色は、空気を染め、からだのなかまで映るようであった。>

ひまらや杉のある洋風庭園、現在はばら園になっていますが、小説を読むと、当時はチューリップ畑だったようです。

< 叡山、東山、北山は、植物園のほとんどいたるところでながめられるのだが、しゃくやく園の東の叡山は、正面のようであった。「比叡山は、濃いかすみのせいか、なんやら、低う見えるようやおへんか。」と、宗助は太吉郎に言った。「春がすみで、やさしいて……。」と太吉郎はしばらくながめていて、「そやけど大友はん、あのかすみに、ゆく春を、お思いやさしまへんか。」「そうどすな?」>と話は進みます。

しゃくやく園にも行ってみましたが、養生中でした。

植物園の木が大きく育ったせいか、叡山が眺められる場所も限られています。


<「大友はん、あんたのお好きやいう、楠の並木を通って、帰りまひょうか。」と、太吉郎は言った。「へえ、おおきに。わたしは、あの並木を歩いたら、それでよろしいのどす。来る時も、くぐって来ましたんやけど……。」と、宗助は千重子を振りかえって、「お嬢さん、つきおうとくれやすな。」楠の並木は、木ずえで、左と右の枝が交わしていた。その木ずえの若葉は、まだ、やわらかく薄赤かった。風がないのに、かすかにゆれているところもあった。五人はほとんどものを言わないで、ゆっくり歩いた。めいめいの思いが、木かげでわいてきた。>

最後は再びくすのき並木を通って帰って行ったようです。

 3月も梅林や、クロッカスなど美しく、園内の散歩を楽しめましたが、4月、5月になれば緑も芽吹き,花も一面に咲きそうですから、もう一度訪れたくなりました。



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織田作之助『六白金星』に描かれた昭和の初めの香櫨園

『六白金星』は、織田作之助の代表的な短編で、心根は優しいが頭が悪く強情な主人公楢雄と、ずる賢く冷淡な兄、身勝手でエゴイスティックな父、年とともに気弱になる母の関係を描いた作品です。


 要領の良い兄と比べ、出来も良くなく親に疎まれ育った弟は、香櫨園の海岸で自分が妾の子であることを知らされます。

<中学へはいった年の夏、兄の修一がなにを思ったのか楢雄を家の近くの香櫨園の海岸へ連れ出して、お前ももう中学生だから教えてやるがと、ジロリと楢雄の顔を覗き込みながら、いきなり、「俺たちは妾の子やぞ」と、言った。ふと声がかすれ、しかし、そのためかえって凄んで聴えたはずだがと、修一は思ったが、楢雄はぼそんとして、「妾て何やねん?」効果をねらって、わざと黄昏刻の海岸を選んだ修一は、すっかり拍子抜けしてしまった。>
父は芦屋の病院長で、芦屋に本宅があり、母と修一、楢雄が住む香櫨園の我が家が妾宅だったのです。

 主人公楢雄は織田作之助の中学の同級生がモデルとも云われていますので、舞台となったのは大正2年生まれの織田作之助が中学へ入学した大正14年か昭和初年頃の香櫨園浜でしょう。
 香櫨園海水浴場が開設されたのも、西宮回生病院が創立されたのも明治40年のことでした。

昭和の初年の香櫨園の海岸の風景は、昭和11年の吉田初三郎の鳥瞰図とあまり違わないのかもしれません。

楢雄が家出する場面では、阪神香櫨園駅で、兄弟が顔をあわせます。
<ところが、阪神の香櫨園駅まで来ると、海岸の方から仮面のように表情を強張らせて歩いてくる修一とぱったり出会った。楢雄はぷいと顔をそむけ、ちょうど駅へ大阪行の電車がはいって来たのを幸い、おい楢雄とあわてて呼び掛けた修一の声をあとに、いきなりその電車に乗ってしまった。修一は間抜けた顔でぽかんと見送っていた。>

昭和初年の香櫨園の駅舎はどんなだったのでしょう。

著作権の切れた『六白金星』は青空文庫でも読ます。



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今、「六白金星」を読み終わりました。
織田作之助の作品も青空文庫も読むのは初めてでした。
(「夫婦善哉」は映画を観たことがあります。) 

[ 西野宮子 ] 2017/03/19 13:26:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

織田作の小説は現代人に好まれる小説ではないかもしれませんが、当時の日本の世相や、当時の人情などがよくわかる作品だと思います。コメントありがとうございました。

[ seitaro ] 2017/03/19 22:28:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪神間のセレブな生活を垣間見る高殿円の『上流階級 富久丸百貨店外商部』

 テレビドラマにまでなった高殿円『上流階級 富久丸百貨店外商部』。


 バイトからのたたき上げで、契約社員から晴れて富久丸百貨店の正社員になった30代半ばの鮫島静緒は、突然百貨店の年商の約3割を稼ぐ外商部へ異動になります。芦屋の高級住宅街に車を走らせ、宝飾品や化粧品から結婚式の引き出物の手配まで、お得意様のあらゆる要望に応える外商の姿がリアルに描かれています。
 主人公鮫島静緒の顧客の様子は、あたかも「阪神間上流階級あるある」話です。

 訪問先の場所だけでも紹介してみましょう。
最初に登場するのは、西日本有数のブルジョア街として名高い神戸・御影の地主の倉橋家。
<美しい塀がある。築半世紀は経っているであろう漆喰の塗られた外周の壁。下方は貴重な小松石を贅沢に積んだクラシックな造り。瓦は葺き替えられてはいるが本瓦葺きの屋根というのに変わりはない。>
 阪急御影駅を降りると山崎豊子『華麗なる一族』のロケにも使われた旧大林義雄邸の塀、


旧乾邸の塀、


蘇州園(旧弘世助三郎邸)のれんが塀など、

それぞれ長く見事な塀が続きますが、ここに描かれた白い漆喰の塀は見つけられませんでした。

 次はやはり芦屋の高級住宅地六麓荘。

<六麓荘は、日本でも名のしれた高級住宅地である。日本広しといえども古い時代から景観を損ねるという理由だけで、住人が私費を投じて電柱をなくした街はほかにない。ここでは土地は百二十一坪以下に分筆できず、それだけの固定資産税と相続税を払い続けることができる者のみが居住を許されている。その六麓荘に住み続けれ前島家は、一族全員が有名なファッションデザイナーだ。>

 芦屋では他に西山手町の億ションに住む謎の富豪美女美谷朱里が登場します。

 しかし、実際には芦屋市には山手町は存在するのですが、「西山手町」は存在しません。
どうも山手町の西にある山芦屋町あたりを想定したようです。

 お仕事で外国に住まれることになったお客から住んでもらえないかと頼まれ、静緒が住むことになった想像を絶するほど豪奢な東芦屋町のマンションも登場します。
<芦屋の東芦屋町といえば、阪急芦屋川より北の芦屋の中でも一等地と呼ばれている場所だ。六麓荘など駅に向かうのに車で十分以上走らなければならない場所は別として、この場所時は駅から徒歩五分ほど。坂の上でも歩いて十五分ほどという好立地なのである。たしかに管理費だけでも十万以上もするマンションが林立している場所である。>

マンションの名はフランス語で気品という意味の
L’ Allure。
<プロヴァンス風の大きな門をくぐり、テラコッタタイルを踏んで少し歩くと、ようやく建物が見えてくる。ここにたどり着くまで二回セキュリティのためにキーが必要だ。
自動扉が開くと、まるでホテルのロビーのように広々とした空間があって、すぐに食器を洗うカチャカチャという音が耳に入った。なんとカフェテリアが営業している。中央に大きな天球儀を抱いた豪奢なシャンデリアが、ただの人工の明かりを無数の光の雨に変えている。覚悟はしていたが、ここは豪華すぎる。さすが管理費十万円のマンション様だ。>

海洋町にあるザ・レジデンス芦屋のようなイメージでしょうか。

尼崎の豪邸も登場します。

<尼崎・園田に住む秋吉太一郎はもう長いこと富久丸の外商を利用しているお客様で、このあたりの地主であり、現在は老人ホームや不動産業を経営している。かつて昭和四十年代に中東で活躍した大企業の石油マンだ。>

 もちろん西宮も登場します。タイで高級外車を扱うディーラーの会社を経営しているタイ人のお客さん、愛称「ベンツさん」の住む家です。
<西宮のヨットハーバー前に百坪以上ある邸宅を構え、一年中ウィンドサーフィンとヨットに明けくれている。海を愛する人間が彼のボートに集まりしょっちゅうパーティをするので、あおのたびに静緒は出かけて行って世話をする。一番しんどかったのは毎週のように行われる花火大会のシーズンで、ボートの上から花火をたのしみたいというベンツ氏の要望を叶えるため、西宮の警察署に何度も問い合わせてボートでどれくらいまで近づけるかを確認した。おかげで静緒には夏はなかった。>

新西宮ヨットハーバーだと思うのですが、このあたりには一戸建ての豪邸はありません。
しかし豪華な組み合わせです。

『上流階級 富久丸百貨店外商部』の最後は、
<ここは私が愛した百貨店。夢の宝石箱。午前十字富久丸百貨店芦屋川店、開店。>
で終わりますが、お客様の描写の方も夢の宝石箱をひっくりかえしたような上流階級の人達ばかりでした。しばらく現実の世界を離れて楽しめました。 



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芦屋のセレブな生活を垣間見る高殿円の『上流階級 富久丸百貨店外商部』@

 西宮文学回廊で紹介されていた高殿円『上流階級 富久丸百貨店外商部』は西宮も舞台として登場するとのことで、早速読ませていただきました。

http://nishinomiya.jp/bungaku/work/work-s24.html

 通俗小説ですが、それだけにエンタテイメント性は素晴らしく、調べてみるとフジテレビ系列で2015年に放映された竹内結子主演スペシャルドラマ『上流階級〜富久丸百貨店外商部〜』の原作でした。

 ドラマは神戸の老舗一流百貨店でバイトから契約社員、そして正社員となり外商部にやってきた竹内結子演じるアラフォー女性・鮫島静緒が、女性社会の百貨店の中で唯一男性社会の外商部で生き残るために、ノルマ月1500万を目指し一癖も二癖もある日本屈指のお金持ちを相手に奮闘する姿を描いたものです。

撮影は、神戸大丸や神戸のお屋敷などが使用されたそうです。
 小説で登場する百貨店は「富久丸百貨店芦屋川店」。

 実際には阪急芦屋川駅付近には小川洋子『ミーナの行進』にも登場する芦屋山手サンモール商店街しかありません。

 モデルとなったのはJR芦屋駅の大丸芦屋店のようですが、イメージは心斎橋店や神戸店なみに豪華に仕立ています。

<富久丸百貨店芦屋川店は、大阪の本店と比べると規模も小さく地域密着型に近いが、場所が場所だけに利用者に富裕層が多い。そのため、二階はすべてシャネル・エルメス・ブルガリ・カルティエなど名だたる海外の一流メーカーでテナントが埋まっている。(二階だけ、あからさまに大理石と真っ赤な絨毯敷きなんだもんな)
 やや低さを感じるヴォーリズ建築のレトロな内装、エスカレーターで二階へ上がったとたん、目が合った店員は無言のうちに「お前はここの客じゃない」と一瞥をくれる。>

心斎橋店のヴォーリズ建築、内装をモデルにしたようです。

プロローグではこんな風に書かれていました。

<いま、ガラスのドアの内側で、私はあのころの私と同じ目をした少女を出迎えている。「いらっしゃいませ。ようこそ富久丸百貨店へ」ここは私が愛した百貨店。夢の宝石箱。>


次回は『上流階級』に描かれた芦屋や阪神間に住む「日本屈指のお金持ち」の暮らしというのを見てみましょう。


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