阪急沿線文学散歩

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遠藤周作の灘中の授業風景に抱腹絶倒(『口笛をふく時』)

 遠藤周作の灘中時代の生活は様々なエピソードを残しています。そしてそれが天下の灘中で実際にあった話ですから、意外性が更に笑いを誘います。

小説『口笛をふく時』にも、その様子が描かれています。たとえば、試験の答案です。
<「お前か。平目というのは」「へえ」「お前、自分の答案に何を書いた。言うてみい」平目は相変わらず干魚の顔のような表情で黙っていた。フグ先生は答案用紙の一番上の紙をとりだし、平目に読んでみよと命じた。>
平目は最初は拒んだものの、ボソボソと答え始めます
<「それは問題の方だ。お前はその問題の答えとして何と書いた」平目は眼をふせて沈黙し、クラス全員も息をこらえて黙っていた。「お前が何と書いたと聞いておるのだ」「へい」「へい、じゃない。お前はどのような答えを書いた」平目は眼をふせて沈黙し、クラス全員も息をこらえて黙っていた。「お前が何と書いたと聞いておるのだ」「へい」「へい、じゃない。お前はどのような答えを書いた」「あのオ……ぼくは……こう答えましてん。その通り、ぼくもそう思う」>
 数学試験のすべての問題に対し「その通り。ぼくもそう思う」と書いたという平目の言葉に、教室は爆笑の渦となってしまいます。

<フグ先生は今までに見せたことのないほど怒気をこめて、皆を怒鳴りつけた。「教える者を愚弄するにも、ほどがある。平目。気をつけの姿勢をとれ」先生は平目の頬を大きな手で叩いた。煎餅のはじけるような音がした。「お前、一時間、たっておれ」>
傑作な答えでありますが、これはどうも遠藤が灘中でやらかしたことのように思われます。

1965年『神戸っ子』6月号掲載「想い出すこと」にはしばしば立っとれと言われたと述べているのです。
<学校では「宿題やっていないものは?又、遠藤か、立っとれ」「後で騒いでいるのは誰か?又、遠藤か、立っとれ」兎に角、「又、遠藤か、立っとれ」と拳骨の雨で終始した。母に懇々と諭されて授業中、一生懸命、黒板をみつめ先生の言われる事を聴くのだが、どんなに努力してもさっぱりわからない。>
そして今の時代には考えられない鉄拳制裁ですが、ケガをしたことに対して、周作の母、郁が灘中に怒鳴り込んだ話も書かれていました。

<何と気の強い母親なのか私がびっくりしたことがある。例によって教師になぐられ、その時は相当ひどいわるさをやったのか、前歯をへし折られて家へ帰った。それを見て母は顔色を変えて学校へどなりこんで行った。「息子を教育してもらうために学校へやっているのであって傷をつけてもらうためではない」と。「謝れ」「謝る必要ない」教師も相当頑張ったらしいが、兎に角、謝る迄はここを動きませんと座りこんだおばはんに根負けしたのか、結局、母は自分の言い分を通して引きあげてきた。>
 気の強い母親と書かれていますが、遠藤郁さんは小林聖心で音楽教師をされていて、怒られたときはピアノの鍵盤蓋をバーンと閉めて、じだんだふんでいたそうです。

 それにしても遠藤周作は灘中の歴史に残るいたずら坊主だったようです。




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遠藤周作『口笛をふく時』に描かれた国道電車の想い出

 遠藤周作『口笛をふく時』では、旧制灘中の帰りに小津と平目が住吉川から西宮に向かう阪神国道電車に乗る様子が描かれています。これは遠藤周作の実体験をもとに小説にしたのでしょう。

上の写真は現在の阪神国道の住吉橋交差点です。上を走るのは六甲ライナー。阪神国道電車は交通量の増加に伴い、1975年には全て廃線となりました。
<国道に出た時、小津は「電車に乗るんか」と尋ねた。彼自身もこの国道を走る褐色の古ぼけた電車を利用して通学していたのである。「そやで」と平目はうなずいた。「西宮に住んどんねん、ぼく。西宮三丁目まで乗るねん」「ふん俺は夙川や」「夙川、ぼくと同じ方向やな」しかし小津はこの臭い少年と電車に乗ることに気がひけた。>
下の写真は業平橋を走る国道電車。


 小説では小津の灘中三年の想い出が書かれているのですが、遠藤周作が中学三年の時は夙川に住んでおり、この国道電車で夙川から灘中のある住吉川まで通っていたのでしょう。
<この国道電車には前の停留所からやはり彼等と同じように学校から帰宅する甲南の女生徒たちがいっぱい乗り込んでくる。沢庵の臭いのような平目の体臭を彼女たちはどんな顔をしてかぐだろうか。>

上の写真は佐藤愛子さんも通っていた甲南女学校の正門で、現在は本山南中学となっています。

上の地図でわかるように、甲南女学校は灘中より東側にありました。(水色丸印が灘中)
 小説では前の停留所から甲南の女生徒たちが乗り込んでくると書かれていますが、実際は同じ停留所か、次の停留所から乗り込んできたはずです。
これは遠藤周作の他の小説でもしばしば見られるように、阪急電車の駅の数を違えたり、阪神大水害の日を違えたりするフィクションであることを強調するかのような手法の一つなのかもしれません。

<白いセーラー服を着た彼女たち。その白いセーラー服の肩もまるく、胸もふっくらとしている娘たち。彼女と同じ電車に乗り合わせると小津はなぜか体全体が固くなってしまう。おたがい同じ年ぐらいなどに、彼女たちは一日ごとに美しくなり、自分たち男の子は一日ごとに醜くなっていく。>

遠藤もあこがれた甲南女学校の夏服です。



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遠藤周作『口笛をふく時』灘中の想い出

 遠藤周作『口笛をふく時』で描かれた小津と平目の姿は、まさしく遠藤周作の旧制灘中時代の想い出がベースになっているようです。


下校風景は次のように描かれています。

<放課後になるとー 学校の正門から松林をぬけ、小さな住吉川にそった道を蟻の列のように帰校の生徒たちが歩いていく。薄黄色い制服を着た彼等は当時の阪神の中学生たちがすべて、そうであったように、ゲートルをまき、軍靴のようなドタ靴をはいていた。>

灘中・高は上の写真の住吉橋から見て左手にあります。
戦前の住吉川は遠藤の記憶にあるように小さな流れだったのかもしれませんが、現在は両岸には立派な遊歩道が整備されています。

このあたりを灘中の生徒たちが蟻の列のように並んで帰校したのでしょう。向こうに見えているのが住吉橋です。

住吉川両岸に昔からあった松は、上の写真のように石垣をしてうまく残されています。左は灘高西門。

<雨の日のほかは水のほとんどないこの住吉川ぞいの道が、ちょうど、大阪と神戸とを結ぶ国道にたどりつくあたりで、列をなした生徒の足が急に遅くなるのだ。小さな鯛焼の屋台がいつもそこに置いてあって、そこから、甘い餡とメリケン粉を熱する匂いが空腹の彼等の鼻をほのかに刺激するからだ。学校では生徒たちのいっさいの買食いを禁じていたから、たちどまるわけにいかない。もし見つかれば、すぐに教員室に連れていかれ、歩くすると、登校禁止一日をくらってしまう。>

写真に写っている橋が阪神国道の住吉橋。したがってその橋のあたりに鯛焼の屋台があったことになります。

ところで、次のような授業中、転入生の平目が小津の背中をつつく場面が描かれています。
<「あのな」急に背中を指でつつかれた。ふりむくと眼をショボショボさせた魚のような顔が彼をじっと見ていた。「あのな」「なんや」「今、何、教えとんや」小津は明暗先生に気づかれぬよう、小さな声で、「図画」と答えた。それから、しばらくの間静寂が続いた。静寂の中で背後のゴソゴソと身じろぐ音と、言いようのない妙な臭いとが小津の心を乱した。「あのな」また背中をつついてくる。「なんや」「今、何時や」小津は返事をしなかった。転校生のくせにうるさく背中をつつき、しつこく話しかけてくる。>
 小説とは少し異なりますが、遠藤が灘中時代、授業中前の生徒の首筋をつついていたことが、1965年『神戸っ子』6月号に掲載された随想「想い出すこと」に述べられていました。
<母に懇々と諭されて授業中、一生懸命、黒板をみつめ先生の言われる事を聴くのだが、どんなに努力してもさっぱりわからない。たまりかねてあたりをきょろきょろしはじめる。友だちは皆、温和しく先生の話を聴いている。前に座っている奴の首すじを尖った鉛筆でチュッチュツと突いてみる。「キャアー」驚いた友だちは、突っ拍子もない声をあげる。「ハックショイ」私はあわてて誤魔化すため嚔をする、が先生の眼は鋭くこちらをにらんでいる。
 「こらぁ、又、遠藤か、お前はどうして……」放課後、皆帰ってしまった教室で一人残された私は、さすがに悲しくなって「なんで僕はせいでもええことばかりして叱られるんやろか」と考え込んでしまった。>
灘中時代の遠藤周作は数々のエピソードを残しています。

小説に描かれた住吉川沿いは、文化財も多く残されています。
住吉橋から北に上がっていくと白鶴美術館があります。

右手に写っているのはオーキッドコートという超高級マンション、 これはもともと日立財閥の創設者の久原房之助さんの邸宅だったところです。

逆に住吉川を南に下がれば谷崎潤一郎の倚松庵があります。


もう少し暖かくなれば、このあたりの散策もお薦めです。


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TVドラマ『最後の晩ごはん』小説家淡海の執筆場所はホテル竹園


 椹野道流原作の『最後の晩ごはん』では「ばんめし屋」の常連客の小説家・淡海五郎の家は芦屋神社の近くに設定され、そこで執筆しています。

<「行き過ぎた。神社より、ちょこっと下がるんだよな」スクーターを反転させ、今度は注意深く低速で走らせながら、海里はハンディライトを片手に、道路からやや奥まった場所に門扉のある家に、「淡海」という表札がかかっていた。どうやらここが、目指す小説家の邸宅らしい。>

原作では淡海五郎の家は山手のこのあたりの高級住宅地にあります。

 ところでTVドラマ化された第4話「女の子とアイスキャンデー」で、淡海の執筆場所として登場したのはホテル竹園芦屋。読売巨人軍の関西の常宿としても有名なホテルです。

このアングル、ホテル竹園の最上部が見える場所も少なくわかりませんでしたが、JR芦屋駅の北出口を出たところからです。


ホテル竹園芦屋から出て、ばんめし屋に向かう淡海です。


淡海が執筆の為に借りている部屋は709号室。

撮影で使われている机は持ち込んだのかもしれません。


私も雰囲気を味わいにランチタイムにホテル竹園芦屋の一階のマグネットカフェへ。

ステーキ&フライランチです。

サラダバーとスープ付きなので、お得感があり、ホテルクオリティのランチと銘打つだけあって、いい雰囲気でした。




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遠藤周作『口笛をふく時』の冒頭は灘中の想い出から

 遠藤周作『口笛をふく時』は阪神間を舞台とした物語。


 その冒頭は浜名湖あたりを過ぎた新幹線の車内で、主人公小津が上田という男から「灘中時代、ご一緒だった上田です」と声をかけられるところから始まります。
<「今は灘中も我々の頃とは違うて、秀才学校に変わりましたよ」「そうらしいですな、わたしらの頃はほかの中学を落ちた連中も入学してきたもんですが……」名古屋でおりるといういう上田が自分の車輛に引きあげたあと、今もらった名刺にじっと眼を落として男は三十年以上も前の記憶におのずと浸りはじめた。(そうか、灘中か)あの学校を自分が出たというのが、ふしぎなくらいだ。
 時折、灘高の話を耳にしたり、週刊誌で読んだりすることがある。彼が通学していた時とはすっかり違って、今では秀才ばかり集まる高校に変わってしまったようだ。東大などの入学率も全国で上位にランクされているらしい。子弟をこの高校に入学させるため、わざわざ、阪神に住居を変える父兄もいると耳にしたことがある。>

 私が狐狸庵シリーズを読んでいたころ、遠藤周作が灘高の卒業生だったと知ってびっくり仰天でした。
また遠藤周作が通っていたころの灘高は現在ほどのレベルではなかったとはいうものの、兄の遠藤正介氏は灘中を一年早く四年で修了し、一高、東京帝大を卒業し、日本電信電話公社理事、総務理事まで務めていますから、当時から秀才も集まっていたようです。

小津は息子から「父さんが灘を出たことは信じられんね」とまで、言われます。
<「あの学校じゃ一年でもう普通の高校の二年分を教えてしまうと言うんだから。むかしはそうじゃなかったんだろ」「父さんの頃か……まだ、そこまでは、やっていなかったな」小津はその時、首をふったのを憶えている。「もっと、ノンビリしていた。成績順にクラスをA、B、C、Dの四つにわけて、秀才はA組に入れたけれど、C組やD組はできない連中の集まりだった」「父さんはいつもD組だったのか」「いやBとCとDを往復していた」>
と答えます。
 実は遠藤周作の成績は主人公小津より悪く、一年はA組でしたが、二年B組、三年C組と下がり、四年と五年は最下位のD組だったのです。
 この会話を読んでいると、実際に遠藤父子で交わされた会話のようにさえ思われてきます。

更に小説には創設者嘉納治五郎についても書かれていました。

<そうだ。あの頃の母校はまだのんびりした何かがあった。御影にちかい住吉川のほとりの松林に建てられたクリーム色の建物。その右に木造の柔道場があるのは、この学校が柔道の始祖嘉納治五郎が建てたためである。柔道は生徒全員の正課になっており、小津が入学した頃はドブ先生という柔道教師がいたっけ。>
 小津が通っていた灘中に、加古川の中学校から平目が転入してきますが、彼の授業中の態度も、遠藤そっくりに描かれています。
 少し切ない小説ですが、本の帯に書かれていたとおり、灘中の二人の劣等生の様子には思わず吹き出してしまいます。




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『平成細雪』妙子のデザイン工房ロケ地となった夙川のカフェ「茶家」

 『平成細雪』で妙子のデザイン工房のロケ地となったのは夙川の越木岩橋のたもとにあるカフェ「茶家」。

外観だけでなく、部屋の中も撮影されたようなので訪ねてみました。

女性オーナーが日本茶の美味しさを知ってもらいたい、とオープンしたカフェで、各地から厳選した茶葉を急須で三煎までいただくことができます。

いただいたのは丹波大納言小豆のたい焼きと静岡茶

ご自慢のたい焼きとあって、香ばしくほどよい甘みでした。

店内は、木のフロアと家具に囲まれた落ち着いた雰囲気になっています。

お茶柄の手ぬぐいや風呂敷も置かれていました。
 
 お茶を飲みながらロケの時のことを女性オーナーに色々お聞きしました。
 夏にぶらりと入ってきたお客から撮影に貸してもらえるかと尋ねられたことがきっかけとなり、10月の土、日2日間で準備し撮影を行ったそうです。

ストーリー展開から、水害で流されそうなくらい川の傍にある民家を探していたそうですが、芦屋川沿いの家は川べりから離れており見つからず、夙川をずっと歩いて探し当てたのが茶家さんだったそうです。

正面の橋が越木岩橋。茶家さんはその左手。水かさをCGで上げてやれば、流されそうな民家がでてきますが、芦屋川の川岸には、そのような条件に合った家はなさそうです。

店内のシーン、見比べると撮影に持ってきた家具と、もともとあった棚などよくわかります。

木の机や丸椅子は一部店内の物を使われたようです。

ところで、撮影に使われた小道具で店の前にある木の柵と鉢は残していってくれたそうです。

確かにFace Bookに載せられているお店の写真には柵がありません。


 初めて訪ねた客にもかかわらず、撮影の時の楽しい経験や女優さんとお話されたことなど色々聞かせていただき、店内の写真も気兼ねなく撮らせていただきました。

興味のある方は、ぜひ一度お訪ねください。




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『平成細雪』暴風雨シーンは平成29年の台風21号実写でした

 原作の住吉川・芦屋川の阪神大水害シーンは『平成細雪』では夙川に場所を変えて登場します。

四女妙子のデザイン工房は夙川の越木岩橋のたもとにあるカフェ「茶家」さんでロケ。


夙川の上流、航空写真の黄色の丸印の位置。


 夙川の水位が上がり、デザイン工房が流されそうになり、妙子が暴風雨の中を芦屋の分家に帰る様子が描かれています。

これが台風の実写ではないかと思いだしたのは、「茶家」さんの外装が、上の映像のようにアトリエ風にされていない元のままの姿が映っていたことがきっかけでした。

さすがに、夙川の水位はCGですが、雨や風の様子はCGとは思えません。

北夙川橋のシーン。

大井出橋付近のシーン。

 ロケがあった「茶家」さんに伺って、ロケのお話をお聞きすると、やはりこの暴風雨のシーンは実写だったとのこと。
10月の「茶家」さんでのロケの約一週間前、台風接近で近くでロケをすると連絡があったそうです。CGはやはり実写には及ばないとのこと。

ただ妙子がアトリエ工房の中から、外の様子を確かめる場面は、撮影日が異なり放水車を呼んで雨を降らせたそうです。

 超大型で非常に強い台風台風21号が夙川に来たのは平成29年10月22日のことでした。神戸の瞬間風速が45・9メートルを記録し神戸の観測では、「ジェーン台風」に次ぐ歴代3位の強風で、「第2室戸台風」も上回ったそうです。

「茶屋」さんでお聞きしたロケの時のお話を次回にも続けます。

総合テレビで「平成細雪」の再放送が始まります。
●第1話 2月20日(火)午前0時15分〜 ※19(月)深夜
●第2話 2月20日(火)午前1時09分〜 ※19(月)深夜
●第3話 2月21日(水)午前0時15分〜 ※20(火)深夜
●最終話 2月21日(水)午前1時09分〜 ※20(火)深夜



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芦屋が舞台の『最後の晩ごはん』ばんめし屋の撮影スポットは東京?

 椹野道流『最後の晩ごはん』の「ばんめし屋」は、小説では次のように椹野道流さんが大好きだったカトリック芦屋教会の建物と芦屋警察署の間、すなわち芦屋税務署のあるところに設定されています。

<一方、警察署から芦屋川沿いに北上、すなわち山に向かって歩いて行けば、緑がかった尖塔の屋根が目印のゴシック風建築、カトリック芦屋教会が見えてくる。

 そして、そんな二つの対照的な建物の間にある、典型的な昭和の木造二階建て住宅。それこそが、この物語の舞台である。一見、古い民家とおぼしきその家の玄関には、「ばんめし屋」と書かれた木製のプレートが掲げられている。>


下の地図の赤矢印の位置です。


 
 ドラマでも同じ場所に設定され、ばんめし屋のシーンの前後には芦屋川の風景がでてきます。

たとえば、ばんめし屋で働く五十嵐海里に電話がかかってきて、店の外に出る場面。


写っているのは阪神芦屋川駅近くの公光橋です。


 この「ばんめし屋」はセットと思っていたのですが、先日の椹野道流さんの講演会で、東京下高井戸の住宅街に実在するお店が使われたことがあかされました。

調べると下高井戸駅から徒歩2分の昨年4月にオープンしたばかりの居酒屋フジタカ食堂さん。

 閉店後の深夜から朝まで店を借り切って、しんとした住宅街でフジタカ食堂さんだけが不夜城のように煌々とライトが照らされ、撮影されたそうです。

この映像、よく見るとばんめし屋の表の掲示板には「芦屋歩記」や「芦屋少年少女合唱団」のポスターまで張られているではありませんか。


 椹野道流さんが講演の中で話されていましたが、東京のお店が突然芦屋に登場。しかしまったく違和感なくドラマは進みます。




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芦屋の中山岩太邸跡を訪ねる

 1930年代の都市モダニズムを色濃く反映した作品などで知られる中山岩太は1927年にパリから帰国し、1929年に芦屋市に移住、ハナヤ勘兵衛らと「芦屋カメラクラブ」を結成しました。

写真は中山岩太による《神戸風景(トアロード)》1939年頃 

ところで1927年に建てた芦屋の家について中山正子著『ハイカラに、九十二歳 写真家中山岩太と生きて』に詳しく述べられていました。

中山岩太は将来、写真学校にしたいという考えで自ら設計したそうです。
<一階のアトリエはパリーのベロニのアトリエそのままに天井は吹き抜け、丸太造り、窓は高く大きく造り、二階は各部屋カギをかけられるようにした。その中の一室は私の部屋。私はパリーの友人の主婦の部屋をまねて、天井はオレンジ色の柔らかい絹の布で覆い、まん中にしゃれたシャンデリアをつけたいと夢をいっぱいふくらませた。>
新築にあたっての構想は二人が過ごしたパリのベロニ街のアトリエでした。

写真は2階建ての半丸太張りの中山邸。
残念ながら阪神淡路大震災で倒壊してしまいました。

<二階の廊下は丸太の手すりををつけた。応接間の入口の戸は二人で濃淡をつけて手で染め、壁土は板に布を巻いて二人して型をつけた。たのしい作業だ。椅子も彼の好きな形に大工さんに作ってもらい、二人して何か彫ろうと楽しんでいたが、とうとうそれは果たせなかった。>

二階の丸太の手摺。

応接間の入り口の扉。

<たたみの嫌いな彼は全部板張り、一枚も畳はない。赤穂から来た静子ねえやが「お願いですから、一枚でいいからたたみを敷いてほしい」と言うので、彼は彼女のためにたたみ一枚敷きで寝台にも使えるものを考案し、その台の下にはふとんがしまえるよう三段の引き出しを作り、身のまわりのものを入れるように大工さんに作らせた。なかなか便利だ。どの部屋も靴で歩くよう油でみがきじゅうたんを敷く。>
欧米の生活に慣れ親しんでいた中山夫妻の邸の中は総板張りだったようです。

跡地がどのようになっているか尋ねてみました。

上の地図に示した業平橋を国道2号線沿いに少し西に行ったところにハナヤ勘兵衛写真店(青丸印)があり、その次の角を右に曲がった所(赤丸印)が中山邸のあった場所です。

業平橋を西に向かいます。

同じように丸太を使った建物がハナヤ勘兵衛写真店。

上の写真の左角に震災前まで中山岩太邸がありました。

 ハナヤ勘兵衛との関係も『ハイカラに、九十二歳 写真家中山岩太と生きて』に紹介されていました。
<芦屋にただ一軒あった写真材料店のハナヤ勘兵衛店に材料を買いに行くうちに親しくなった。写真の同好者を集めてクラブを作ろうという話が持ち上がり、この材料店へ来るお客さまや中山の知人を集めて出発したのが芦屋カメラクラブだ。>

芦屋カメラクラブ写真展は1930年から現在まで続いています。




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ドラマ『最後の晩ごはん』に登場した鈴木商店のアイスキャンデー

 先日、椹野道流さんの講演会「芦屋を舞台にした小説『最後の晩ごはん』の誕生」に参加しました。1月からBSジャパンで実写版『最後の晩ごはん』の放映が始まっており、小説のお話だけでなく、ドラマ制作のエピソードも披露していただきました。
 少しずつそれらを紹介させていただきますが、今回はドラマ『最後の晩ごはん』の第4話「女の子とアイスキャンデー」に登場した鈴木商店のアイスキャンデーです。


 最近スランプ気味だという小説家淡海五朗(石井正則)から五十嵐海里(中村優一)が新作小説へのアドバイスを求められる場面です。

背景は業平橋と六甲山系。左手には仏教会館、右手に芦屋ルナ・ホールが見えます

ベンチに腰かけて淡海と海里が話するのですが、実はこのようなベンチは、ご覧のように河川敷には一切置かれていません。


 淡海が原稿を読んでもらうため海里に手渡したあと、お礼と言ってはなんですがと渡したのが白いビニール袋にはいった新聞紙で包まれた品物。

出てきたのは鈴木商店の「高級アイスキャンデー」。自ら包装紙に「高級アイスキャンデー」と銘打つのも大した自信ですが、鈴木商店は昭和22年創業の由緒あるアイスキャンデー屋さん。

この場面、海里(中村優一)がアイスキャンデーを口にいれたとたん悲鳴をあげたそうです。
 寒い寒い日の撮影で、アイスキャンデーが舌にひっついてしまったのです。そのためアイスボックスから出してしばらく置いてから、撮影をし直したとのこと。

 早速私も鈴木商店の高級アイスキャンデーを求めて阪神国道を西へ。

場所は東灘区田中町、業平橋を西に進み、阪神国道と十二間道路が交わる「田中交差点」の北西角です。

店舗の白壁に赤い字で書かれたキャッチフレーズ「味覚の王座」が目立っています。夏は店の前に行列ができるそうですが、さすが冬場のお客は少ないようです。

真冬でも売っているのはキャンデーとアイスモナカとソフトクリームだけ。高級といいながらもお値段は手ごろです。

お店の方にお話を伺うと、キャンデーのテレビでの放映には許可を得にこられたそうです。

新聞紙にしっかり包んでもらい、ビニール袋に入れてもらいました。なんとも昭和の風景です。

彩の良いレトロっぽい包み紙。前日から原料の液を型で冷やし固め、手作業で包装するこだわりの製法です。

家に戻っても本当に舌にひっつきそうな冷たいアイスキャンデーでした。

 ところで業平橋から六甲への阪神国道は谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』の舞台となった道路。庄造は阪神国道を自転車で阪急六甲駅の近くに住む前妻品子の家に向かいます。途中、甲南学校前あたりの、国酔堂というラジオ屋で二十銭借りて、向かいの甲南市場へ駆け込んでリリーを呼び寄せるための餌にする鶏肉を買ってくるのです。

この甲南市場が「鈴木商店」から100mほど西に行ったところにありました。
数少なくなったアーケード商店街です。


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椹野道流 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

だいぶ前に「探偵!ナイトスクープ」で取り上げていました。
アイスキャンデーを新聞紙で包んだだけなのに、新幹線に乗って東京まで持っていっても溶けていませんでした。
恐るべし鈴木商店のアイスキャンデー。

[ 西野宮子 ] 2018/02/12 15:01:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

本当ですか。それほどもつとは。
昭和の時代の市場に行けば何でも新聞紙に包んでもらっていたような気がします。久しぶりの新聞紙包装でしたも

[ seitaro ] 2018/02/12 22:32:47 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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