凛太郎の自転車操業

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/p_lintaro2002

鳴尾駅にて 1

 久しぶりの登場になります。 v( ̄∇ ̄)v

 もう12月も半ばです。一年が終わるなあ。今年は、腰を痛めたりや何やらでWebではほぼ何も出来ませんでした。いろいろ書こうと考えていたことは、また来年ですかねー。
 今は、快復してます。本調子とまではまだまだいきませんが、社会生活くらいは普通にいとなめています。

 この一年でも、街はずいぶん様相が変わりました。
 僕の住む甲子園界隈では、甲子園警察署が何だか工事をしています。別に普段から警察のご厄介にはなっていないので、あまり関係ないとも言えますが、ひとつ気がかりなのは、南側にある石造十三重塔です。

  


 まだここにありますが、大丈夫でしょうかねー。明治から昭和初期にかけて存在した鳴尾の遊覧施設「鳴尾百花園」の唯一の遺構と言ってもいい歴史的遺物なのですが。
 そこにおられた警察関係の方にちょっと尋ねてみたのですが、「へーそうなんですか?」と言われてしまいました。だいじょぶかなぁ(汗)。

 変化として大きいのは、やはり阪神電車の武庫川〜甲子園間の高架工事でしょう。ついに下り線が運行開始しました。
 まだ上り線が下を走ってますので、日常生活的には小曽根線の西開踏切の遮断間隔が短くなったので多少渋滞が緩和されたかな、というくらいですが、大きく変わったのは何といっても鳴尾駅でしょう。
 といって、僕の最寄り駅は甲子園駅ですので、鳴尾駅にはあまり関わりがありません。めったに利用しない。ですが先日、ららぽーとのイトーヨーカドーでちょっとカミさんと買い物をしたあと、僕だけ神戸に行く用事がありまして。で、鳴尾駅から電車に乗ったのです。

  


 なんだか、雰囲気が変わりましたねー。
 ちょっと近未来的な…こういうデザイン、流行りなんでしょうか。このデザインには武庫川女子大が関わっているという話を聞きました。あそこには建築科がありますから、そういうこともあるんでしょうね。
 ちょっと検索しましたら、こんな感じみたいです。→建築学科ページ
 なるほど。この丸い曲面は、風をうけた船の帆のイメージなんですか。この浦舟に帆を上げて〜で有名な謡曲「高砂」の一節に「波の淡路の島影や〜遠く鳴尾の沖過ぎて〜」とありますが鳴尾と言えばやはり船の行き交う鳴尾浦なのですね。

  


 僕はそういうデザイン的なセンスは全く無い不調法人間で、船の帆を近未来的か、とか言っちゃって反省です。ごめんなさい。しかしまあ、カッコいいかなあ。

  


 構内も、出来立てですから当然ですがきれいですね。
 トイレ前にちょっと面白いものが。

  


 タイル壁には、寛政年間(18世紀末)に刊行された「摂津名所図会」の中から鳴尾に関わる絵図が何枚かピックアップされています。
 鳴尾浦の帆船の絵があります。武庫女のデザインのコンセプトですからね。
 しかしこの画像ですと、小さすぎてわかりませんね。(^-^;
 実はアップを撮ろうとしたとき、用を済ませて出てこられたご婦人と鉢合わせしまして。僕のことをトイレ前でカメラを構えている変態だと思ったのでしょう、キッと強く睨まれてしまいました。いやいやそんなつもりは…。しかし気が弱い僕は即座に退散(汗)。また興味のある方は、直接ご覧ください。m(_ _;)m

 ホームに上がります。

  


 見晴らしがいいですね。六甲の山並み、そして甲山まで一望です。
 この風景は、今だけ。レアなものになるはずです。いずれ上り線ホームが出来れば、北側の視界はなくなるはずですから。
 駅名表示です。

  


 鳴尾(武庫川女子大前)と。
 いつから「武庫川女子大前」という副名称が併記されるようになったんでしたっけ。
 鳴尾駅には学生専用の改札口があるくらいで、乗降客に占める女子高大生の割合は相当高いはずです。ましてや新駅のデザインまで大学が関わっておられます。
 「鳴尾駅」が「武庫川女子大前駅」になったりしないでしょうね(汗)。駅名なんてのは滅多に変わらない、と思いきや、案外簡単に変更されたりしますから。頼むよ、鳴尾という地名には伝統があるんですから。

 列車が来ました♪

  


 と思ったら、急行でした。通過です。(^_^;)
 鳴尾って、普通しか止まんないんですね。これだったら甲子園駅まで戻ったほうが早かったかも。
 しかし鳴尾に止まる列車が少ないとはなんたることでしょうか。これについては、いろいろifを考えたくなるのです。

  


 駅から線路を見ても、路線がカーブしているのがわかっていただけると思います。ホームまで曲線です。
 尼崎から来ますと、武庫川を渡ってすぐ線路は南方面へカーブし、鳴尾駅はかなり南に位置します。
 武庫川駅と甲子園駅のあいだを真っすぐ結べば、線路は鳴尾八幡神社の北側を通り、駅は明和病院あたりにあってもおかしくなかったはずです。それを、わざわざ八幡さまの参道を横切ってまで南に引っ張ったことについての逸話を、ご存知の方も多いと思います。
 これは簡単に言いますと、当時の豪商だった鳴尾辰馬家ら村の有力者が、鳴尾村の今後の発展のために村の中心近くに駅を誘致すべく、そのために路線敷設用の土地を確保し阪神に無償提供したことによります。
 そうして明治38年に阪神線開通と同時に鳴尾駅が誕生したのですが…以来100年以上が経ち、鳴尾駅には今、特急も急行も止まらない。これはどうしたことなのでしょうか。

 その歴史を考えたいと思うのですが、長くなってますのでまた次回に。


鳴尾駅

goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061497/p11305264c.html
見て歩き | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

おはようございます。鳴尾駅は我が人生の最寄り駅。武庫川駅と等距離ながら常に鳴尾を選択していました。幼時からの記憶がたくさん詰まっています。小松西の実家はもう失われたけれど、鳴尾は魂の帰る場所です。

[ せいさん ] 2015/12/11 10:02:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

>せいさん
おはようございます。(^-^)
せいさんの追憶の中の鳴尾駅そのものは、もう既に失われてしまっているかもしれません。神戸行きホームは高架上にあり、大阪行きホームは仮駅です。
ただせいさんの心象風景に映る鳴尾駅は、永遠なのでしょうね。

[ 凛太郎 ] 2015/12/12 5:36:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

≫見晴らしがいいですね。六甲の山並み、そして甲山まで一望です。
 この風景は、今だけ。レアなものになるはずです。いずれ上り線ホームが出来れば、北側の視界はなくなるはずですから。≪
なるほどそうか。わたし先日、明和病院に行くのに初めて鳴尾駅を利用しました。その時わたしもこのような写真撮りましたけど、残念、消去しちゃったなあ。

[ akaru ] 2015/12/20 9:31:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

>akaruさん
ありがとうございます。
消去されましたか。確かにこれは撮影場所だけのことで、市内であればちょっと高いビルやマンションにでも上がればよくある眺望ですから、珍しい風景ではないんですよね。
最近、出版や展示会等で、西宮の古い写真を見る機会が多くありますが、こういうのは何十年か後に「阪神鳴尾駅では約1年間だけ市内が一望できた」なんてキャプションがついて珍しがられるかもしれません。

[ 凛太郎 ] 2015/12/20 16:30:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

近況その他いろいろ

 えー、ご無沙汰しております。凛太郎です。もう忘れられてしまったかもしれませんが。(^▽^;)

 少し近況を書きます。
 ある日のこと。まだ寒い頃です。あたくし、ちょっと早足だったかもしれませんが、普通に道を歩いていたのです。そのとき突然に、背骨がずれたような衝撃が腰に走りまして。

  ( ̄□ ̄;)!! アッ!!

 そのまま、一歩も動けなくなりました(汗)。しゃがみ込むでもなく、足を一歩踏み出したまま固まってしまいました。
 その瞬間、あたしの背骨と背骨の間を繋ぐ軟骨の部分が、ぶしゃっと潰れたのですな。そして潰れた軟骨が飛び出て脊髄を圧迫し、結果、脚に激痛が走るという、つまり「椎間板ヘルニア」というヤツを発症してしまいまして(汗)。
 しばらく寝たきりです。(´_`。)グスン
 その間、厳しい坐骨神経痛を抑えるために尾骶骨からぶっとい注射を打ったり(神経ブロック注射。これ涙出ますな^^;)、様々なことを致しまして。今はなんとかギリギリ社会生活を営んではいるものの、まだ完全治癒には遠く、余暇は基本的に背骨を垂直にすることを避け、横になっています。
 僕はスマホなどというハイカラなものは持ち合わせておらず、PCを操作するには座らなければなりませんから、しばらくネットからは遠ざからざるを得ず、結果ご無沙汰ということになってしまいました。また僕がここで書いているブログは基本的には自転車による西宮史跡探訪であり、チャリなんぞまだ全然乗れませんから、書くことなんぞありません。
 本当は今年、また大きな連載を目論んでいたのですけれどもね…。今のところ予定が立ちません。(T_T)


 まあその暗い近況はこのくらいにして(汗)。ちょっと近所の話だけでも。

 



 阪神甲子園駅東改札ですが、すっかり整備されました。
 前回記事を参照していただければと思うのですが、ここに存在した路面電車阪神甲子園線の最も大きな痕跡であった架線柱が、僕が寝込んでいる間に見事に無くなってしまいました。予想されていたこととは言え、寂しい限りです。

 


 停留所の屋根の一部はまだ僅かに残っているものの、これも時間の問題です。
 これで、路面電車の遺構として今後残るものは…

 


 国道43号線の高架下にある架線支持金具(架線を留めていたフック)のあとです。4つづつポツポツとならんでいます。そして、

  


 甲子園筋西側に6つ存在する架線柱の台座です。これについてはこちら記事を参照してください。
 なお、この台座の存在を僕に教えて下さった14たくぢさんが、西宮流で連載を始められました。こちらも是非ご覧下さい。→西宮から路面電車が消えて40年〜その遺構を探す@〜


 さて、もうひとつだけ。阪神武庫川線の洲先駅についてなのですが。

 


 以前別サイト「ちょっと歴史っぽい西宮」で、洲先駅の位置の変遷がわからない、ということを書きました。→昭和〜廃線跡ウォッチ2〔旧武庫川線〕
 武庫川線の前身は、戦時中に突貫工事で造られた省線(JR)西ノ宮駅から現在の武庫川団地の場所にかつてあった川西航空機への引き込み線であり、洲先駅はその終点(現在の武庫川団地前駅)に位置していました。そして戦後、軍需工場であった川西航空機への引き込みが不要となり、元洲先駅は廃止、そして北へ移転します。その戦後の洲先駅が現在の場所と同じであったのか、あるいはもう少し南にありさらに移転して現状に落ち着いたのか、ということが資料によって異なり、特定できない、ということを書きました。
 ここ3ヶ月の間に、この件についてコメントをいただいたり、またメールも何通かいただいたりしました。2011年に書いたこの記事に何ゆえ今反響がいくつもあったのか不思議なのですが、最近どうも昭和の西宮の写真集が出版されたという話を聞きまして、あるいはその影響があったのかもしれません。
 結局、はっきりしたことはまだ分かってはいないのですが、面白いことが判明しました。
 上記ブログ記事のコメント欄を参照していただきたいと思いますが、「Fernweh」さんのお話から、どうも洲先駅のホームはかつて現在の西側ではなく、東側(武庫川側)に存在していたようです。
 また、「元団地民」さんからのメールにおいても、やはり東側にホームがあった推察がなされています。メール添付の画像を無断で公開することは本来いけないことだとは思いますが、ストリートビューを加工されてわかりやすく位置説明をされていますので、申し訳ありませんがリンクを張らせていただきます。→元団地民氏のgoogleマップ加工画像
 元団地民さんは、堤防強化工事のための移転であると推察されています。おそらくそうでしょう。

 また、「我太呂」さんからもご連絡をいただき、管理運営されているブログ「鉄道の旅 音楽の旅」において、武庫川線洲崎操車場の写真をお父様のアルバムから発見され公開されている由、教えていただきました。大変貴重な資料ですので、ご紹介させていただきます。→「父親のアルバムから(1) 新発見 武庫川線洲崎操車場」以降のページ


 もう既に季節は夏かと思わせる気候となっていますが、僕はまだまだ冬眠が続きそうです。花粉も落ち着いた今じぶん、自転車ウロウロには実にいい季節なんですけれどもねぇ…。
 今年は、僕はマンボウについて書きたいのです。
 明治7年、大阪神戸間に鉄道が敷かれました。この市内南部を万里の長城のように分断した路線で、まだまだ江戸時代の延長線上にあった農村がどのように影響を受けたのか、その歴史を「マンボウ」を中心に細かくめぐってゆきたいと思っていたのですが…果たしていつ頃とりかかれるのか(汗)。何とか年内にはとは思ってるのですが。
 なるべく早めにお目にかかりたいと念じておりますー。(* ̄▽ ̄)ノ~~
   


goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061497/p11199199c.html
雑記 | コメント( 8 ) | トラックバック( 0)

凜太郎さん!!近況読ませていただきました。
大変でしたね。一歩も踏み出せない…というところが大変なことだったことをうかがわせます・・・
どうぞお大事になさったください。凜太郎さんのブログファンといたしましても早い回復をお祈りいたします。

[ ちゃめ ] 2015/05/06 20:12:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

私も腰痛持ちで、会社を辞めようかと思ったくらいの時期もありましたが、手術もせず色々治療をトライし、なんとかゴルフができるまで復活しました。その間に読んだ腰痛関連の本は何冊にのぼることか。必ず良くなりますので、ゆっくりご静養ください。
私の経験ではストレスが血流を悪くするため、大敵でした。

[ seitaro ] 2015/05/06 20:12:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さん、こんばんは。
わたしゃ酔って転んであばら損傷。ただの自業自得です。
身体が思うように動かない辛さをちょっとだけ体験中です。
早い回復、早いブログ復帰を心待ちにしています。
とはいえ、ついつい無理して元の黙阿弥っぽいことをしてしまいがちです。(経験者)
ゆっくり、じっくり治してください。お大事に。

[ もしもし ] 2015/05/06 22:45:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

>ちゃめさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
自分じゃまだまだ若いつもりで居たのですが、どうも要因のひとつに「椎間板の老化」ということもあるようです。いやぁ何とも…(笑)。
もちろんそうでないと困るのですが、当初よりもかなり好転しております。あたしも早く復活したいー。どうも有難う御座いました。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:25:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

>seitaroさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
僕も背骨にメスを入れるという選択は怖くて出来ず、保存療法ということにしています。
やはり最初は焦燥感が強くストレスも感じておりましたが、フリだけでも達観したような顔をしていましたら、本当に「なるようにしかならぬ」と思えてきました。その頃から少しづつ良くなってきたように思います。ご助言身に沁みます。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:35:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

>もしもしさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
あばらも大変ですね(汗)。こちらこそお見舞い申し上げます。くしゃみが怖いというところでは、僕と共通項があるようです。
発症したときには、西宮にもまだ粉雪が舞っていました。その後梅も桜も知らぬ間に散り…夙川の鯉のぼりも見ずにしまいました。季節が勝手にかわってゆくことに戸惑いがありますが、おっしゃるとおり無理するとここまで我慢してきたことが無駄になりますので、おとなしくしていたいと思います。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:48:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

お大事になさってくださいね〜。
私もぎっくり腰をした後は治ったつもりでも今までのようには距離は歩けないし
家から離れたところでまたギックリきたらと思うとなかなか出歩けませんでした。
今年は市政90年に絡んでか、さくらFMの西宮徹底解剖も4月は市の歴史、
5月は路面電車と古い西宮の話なので、ゆっくりしながらお過ごしくださいね。

[ にゃんこ ] 2015/05/07 9:39:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
本当に痛めますと、腰というのはやっぱり要なんだということをつくづく思い知らされますね。再発が怖いお気持ち、よくわかります。
姿勢の問題で最近はTVというものをほとんど観ることがなく本ばかり読んでますが、無聊を慰めるものとして読書以外はラジオも聴くことがあります。しかしさくらFMはうっかりしていました。あれは確か過去番組も聴けるので、アクセスしてみたいと思います。どうもありがとう。(o ̄∇ ̄)/

[ 凛太郎 ] 2015/05/08 4:39:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

旧阪神国道線の敷石

 いろいろな考え方がありますが、1月15日までは松の内でありつまり正月気分で良い、との見方もあります。ということで(汗)、謹賀新年、凛太郎です。ヾ(- -;) イマゴロデスカ?
 新年発売の「大阪春秋・西宮特集号」につきましては、読んでいただいた方に厚く御礼申し上げます。
 m(_ _;)m
 僕が書きました砲台の話は、ここで連載した内容のダイジェストであり全く新鮮味はございませんが、他に偉い先生方が執筆された興味深いお話が多数載っていますのでご勘弁いただければと。

 さて、今日は小ネタなんですが…。
 こちらでも時々話題になっていますが、阪神甲子園駅の改修工事が進んでいます。

 


 派手な屋根がつきましたねぇ。
 もちろん甲子園駅だけではなく、駅以東は高架工事で鳴尾駅含め大きく変貌中なのですが、こちらの駅にはかつて甲子園筋を走っていた阪神甲子園線の痕跡が残っていましたので、工事の状況がやはり気になるわけでして。
 
 阪神甲子園線とは、戦前に開通し国道2号線上を走っていた路面電車「阪神国道線」の支線で、上甲子園から浜甲子園までを繋いでいました(戦前は中津浜まで走っていた)。昭和50年まで存続していましたので、ご存知の方も多いと思います。
 既に廃線となって40年ですが、43号線高架橋の下に架線支持金具の跡があったり、こちらで書きましたように球場東側に架線柱跡がいくつかあったりと、なんとなく往時の痕跡のようなものがあるので、昔を偲ぶことができます。
 そして、甲子園駅には、停留所の屋根の一部が残されていました。

 


 この画像は何年か前に撮ったものですが、この部分がかつての甲子園線の停留所覆屋根です。この前に路面電車が停まり、昇降客の雨除けになっていたのです。
 これは、ほぼなくなりましたねぇ…。

 


 わずかに一部分まだ残っていますが。しかし段階をおって撤去されていて、もはや風前の灯火と言っていいでしょう。時間の問題ですな。もうすぐ歴史遺産がひとつ完全に消えます。
 さて、駅にはもうひとつ、架線柱が完全な状態で一本存在していたのですが。

 


 これは、まだありますね。(^ー^* )
 東側駅舎は工事によって解体され、この架線柱に隣接していたタイ焼き屋さん(廉価で皮が分厚かったのが好みでした。僕はしっぽの先まであんこがはいってない方が好き)も無くなって寂しい思いをしていましたが、こいつはまだ残されています。
 これは、旧甲子園線の遺構として残される可能性もありますねー。期待したいと思います♪

 さて、僕はこういう話も含めまして、以前にサイト「ちょっと歴史っぽい西宮」で、西宮の路面電車の廃線跡の記事を書きました(→こちら)。
 その折に、甲子園線の痕跡はこのように在るものの、国道線の名残はバス停名を除いて一切ない、と書きました。
 確かに2号線上にはいくら探しても線路も架線柱も何もなかったわけですが、これを少し訂正したいと思います。実は敷石の一部が残っていました。知りませんでしたよ。
 昔の「宮っ子」を繰っていましたら、こういうことが書いてありまして(→1998年9月:まちかどスポット)。
 どうやら平木小学校に、阪神国道線の線路の敷石が移設されていたらしいのです。
 では、平木小へ。

 


 小学校は阪急神戸線の北側にあり、正門は御手洗川(東川)に面しています。
 平木小は昭和49年11月に開校。阪神国道線は昭和49年3月に上甲子園以西が廃線となりましたので、時期的には合致しています。
 僕はもちろんOBでもPTAでもありませんので中には入れません(汗)。門の外から校内を見ます。

 


 門からすぐ、御影石がずらりと敷き詰められているのが見えます。これが、国道線の敷石の一部を移設したものに間違いはないでしょう。
 大阪から神戸まで、もちろん西宮を横断して走っていたかつての路面電車、阪神国道線の痕跡で、市内に残るものはこれがおそらく唯一だと考えられます。「何も名残は無い」と書いてしまったサイトのほうには、このことを追記したいと思います。
 ただ、なぜこちらに敷石が運ばれたのかについては、あちこち資料を見てもその事情を知ることは出来ませんでした。おそらくは、歴史的遺物であるということから保存に尽力された方々がいらっしゃったのだろうと想像するのみです。
 ありがたいことですね。廃線となって40年を超え、若い人は2号線に路面電車が走っていたことなどもう知らないでしょう(鉄道マニア除く)。しかしおそらく平木小学校の卒業生は、みんなそのことを知っているはずです。そうして、語り継がれてゆくものがあるのだと思います。

 それでは、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。現在ブログはほぼ冬眠中ですが。(^▽^;)


廃線跡
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061497/p11153144c.html
見て歩き | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

≫おそらくは、歴史的遺物であるということから保存に尽力された方々がいらっしゃったのだろうと想像するのみです。≪
その通りですね。ちょっと気のつく人がおられるかどうかで歴史遺産の運命が別れてしまいますよね。

[ akaru ] 2015/01/15 8:48:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

鉄塔、残ればいいのですが、仮設の券売機が撤去されるときに
なくなるのではと想像しています。
屋根が乗って一区切りな気分ですが、東改札の建物が着々と
出来てきてますね。

[ にゃんこ ] 2015/01/15 13:27:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

>akaruさん
ありがとうございます。
しかしこういうのは難しい問題ですね。遺構遺物をこうしてわざわざ残すのも大変です。そして、処分・撤去される段階においては、将来歴史的遺産になるかどうかはよくわからないものが多いわけで。時間経過が、その時にはなんでもなかったものを史跡にしていってしまう。おっしゃるとおり「気のつく人」がおられるかどうかですね。
遺構遺物を残すということは、学術的価値は措いて、ものの考え方としては「思い出を残したい」という気持ちであろうと思うのです。人が生きてきた証しはその足跡にある。しかし「前しか見ない」「振り返るのは嫌い」という人もいて、価値観が千差万別であるのもまた難しい問題ですね。

[ 凛太郎 ] 2015/01/16 6:30:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。
架線柱については、おっしゃる様な可能性が最も高い…僕はノー天気に書いていますが、普通に考えればそうです。うーむ…。
僕は全くグズでして、記事ひとつ書くのも遅いのです。ここの画像を撮ったのは昨年末です(汗)。そのくらい大丈夫だろうと思っていましたら、みるみる間に東側改札の建物の鉄組が上がっていて(笑)。全く即時性のないブログでございます。m(_ _;)m

[ 凛太郎 ] 2015/01/16 6:40:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

  1  |  2  |  3    次へ
  
このブログトップページへ
凛太郎イメージ
歴史っぽいものを探しながら西宮の街を自転車で走ってます。
前の年へ 2017年 次の年へ 前の月へ 8月 次の月へ
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
今日 合計
ビュー 8 134387
コメント 0 402
お気に入り 0 6

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<