凛太郎の自転車操業

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近況その他いろいろ

 えー、ご無沙汰しております。凛太郎です。もう忘れられてしまったかもしれませんが。(^▽^;)

 少し近況を書きます。
 ある日のこと。まだ寒い頃です。あたくし、ちょっと早足だったかもしれませんが、普通に道を歩いていたのです。そのとき突然に、背骨がずれたような衝撃が腰に走りまして。

  ( ̄□ ̄;)!! アッ!!

 そのまま、一歩も動けなくなりました(汗)。しゃがみ込むでもなく、足を一歩踏み出したまま固まってしまいました。
 その瞬間、あたしの背骨と背骨の間を繋ぐ軟骨の部分が、ぶしゃっと潰れたのですな。そして潰れた軟骨が飛び出て脊髄を圧迫し、結果、脚に激痛が走るという、つまり「椎間板ヘルニア」というヤツを発症してしまいまして(汗)。
 しばらく寝たきりです。(´_`。)グスン
 その間、厳しい坐骨神経痛を抑えるために尾骶骨からぶっとい注射を打ったり(神経ブロック注射。これ涙出ますな^^;)、様々なことを致しまして。今はなんとかギリギリ社会生活を営んではいるものの、まだ完全治癒には遠く、余暇は基本的に背骨を垂直にすることを避け、横になっています。
 僕はスマホなどというハイカラなものは持ち合わせておらず、PCを操作するには座らなければなりませんから、しばらくネットからは遠ざからざるを得ず、結果ご無沙汰ということになってしまいました。また僕がここで書いているブログは基本的には自転車による西宮史跡探訪であり、チャリなんぞまだ全然乗れませんから、書くことなんぞありません。
 本当は今年、また大きな連載を目論んでいたのですけれどもね…。今のところ予定が立ちません。(T_T)


 まあその暗い近況はこのくらいにして(汗)。ちょっと近所の話だけでも。

 



 阪神甲子園駅東改札ですが、すっかり整備されました。
 前回記事を参照していただければと思うのですが、ここに存在した路面電車阪神甲子園線の最も大きな痕跡であった架線柱が、僕が寝込んでいる間に見事に無くなってしまいました。予想されていたこととは言え、寂しい限りです。

 


 停留所の屋根の一部はまだ僅かに残っているものの、これも時間の問題です。
 これで、路面電車の遺構として今後残るものは…

 


 国道43号線の高架下にある架線支持金具(架線を留めていたフック)のあとです。4つづつポツポツとならんでいます。そして、

  


 甲子園筋西側に6つ存在する架線柱の台座です。これについてはこちら記事を参照してください。
 なお、この台座の存在を僕に教えて下さった14たくぢさんが、西宮流で連載を始められました。こちらも是非ご覧下さい。→西宮から路面電車が消えて40年〜その遺構を探す@〜


 さて、もうひとつだけ。阪神武庫川線の洲先駅についてなのですが。

 


 以前別サイト「ちょっと歴史っぽい西宮」で、洲先駅の位置の変遷がわからない、ということを書きました。→昭和〜廃線跡ウォッチ2〔旧武庫川線〕
 武庫川線の前身は、戦時中に突貫工事で造られた省線(JR)西ノ宮駅から現在の武庫川団地の場所にかつてあった川西航空機への引き込み線であり、洲先駅はその終点(現在の武庫川団地前駅)に位置していました。そして戦後、軍需工場であった川西航空機への引き込みが不要となり、元洲先駅は廃止、そして北へ移転します。その戦後の洲先駅が現在の場所と同じであったのか、あるいはもう少し南にありさらに移転して現状に落ち着いたのか、ということが資料によって異なり、特定できない、ということを書きました。
 ここ3ヶ月の間に、この件についてコメントをいただいたり、またメールも何通かいただいたりしました。2011年に書いたこの記事に何ゆえ今反響がいくつもあったのか不思議なのですが、最近どうも昭和の西宮の写真集が出版されたという話を聞きまして、あるいはその影響があったのかもしれません。
 結局、はっきりしたことはまだ分かってはいないのですが、面白いことが判明しました。
 上記ブログ記事のコメント欄を参照していただきたいと思いますが、「Fernweh」さんのお話から、どうも洲先駅のホームはかつて現在の西側ではなく、東側(武庫川側)に存在していたようです。
 また、「元団地民」さんからのメールにおいても、やはり東側にホームがあった推察がなされています。メール添付の画像を無断で公開することは本来いけないことだとは思いますが、ストリートビューを加工されてわかりやすく位置説明をされていますので、申し訳ありませんがリンクを張らせていただきます。→元団地民氏のgoogleマップ加工画像
 元団地民さんは、堤防強化工事のための移転であると推察されています。おそらくそうでしょう。

 また、「我太呂」さんからもご連絡をいただき、管理運営されているブログ「鉄道の旅 音楽の旅」において、武庫川線洲崎操車場の写真をお父様のアルバムから発見され公開されている由、教えていただきました。大変貴重な資料ですので、ご紹介させていただきます。→「父親のアルバムから(1) 新発見 武庫川線洲崎操車場」以降のページ


 もう既に季節は夏かと思わせる気候となっていますが、僕はまだまだ冬眠が続きそうです。花粉も落ち着いた今じぶん、自転車ウロウロには実にいい季節なんですけれどもねぇ…。
 今年は、僕はマンボウについて書きたいのです。
 明治7年、大阪神戸間に鉄道が敷かれました。この市内南部を万里の長城のように分断した路線で、まだまだ江戸時代の延長線上にあった農村がどのように影響を受けたのか、その歴史を「マンボウ」を中心に細かくめぐってゆきたいと思っていたのですが…果たしていつ頃とりかかれるのか(汗)。何とか年内にはとは思ってるのですが。
 なるべく早めにお目にかかりたいと念じておりますー。(* ̄▽ ̄)ノ~~
   



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凜太郎さん!!近況読ませていただきました。
大変でしたね。一歩も踏み出せない…というところが大変なことだったことをうかがわせます・・・
どうぞお大事になさったください。凜太郎さんのブログファンといたしましても早い回復をお祈りいたします。

[ ちゃめ ] 2015/05/06 20:12:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

私も腰痛持ちで、会社を辞めようかと思ったくらいの時期もありましたが、手術もせず色々治療をトライし、なんとかゴルフができるまで復活しました。その間に読んだ腰痛関連の本は何冊にのぼることか。必ず良くなりますので、ゆっくりご静養ください。
私の経験ではストレスが血流を悪くするため、大敵でした。

[ seitaro ] 2015/05/06 20:12:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さん、こんばんは。
わたしゃ酔って転んであばら損傷。ただの自業自得です。
身体が思うように動かない辛さをちょっとだけ体験中です。
早い回復、早いブログ復帰を心待ちにしています。
とはいえ、ついつい無理して元の黙阿弥っぽいことをしてしまいがちです。(経験者)
ゆっくり、じっくり治してください。お大事に。

[ もしもし ] 2015/05/06 22:45:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

>ちゃめさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
自分じゃまだまだ若いつもりで居たのですが、どうも要因のひとつに「椎間板の老化」ということもあるようです。いやぁ何とも…(笑)。
もちろんそうでないと困るのですが、当初よりもかなり好転しております。あたしも早く復活したいー。どうも有難う御座いました。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:25:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

>seitaroさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
僕も背骨にメスを入れるという選択は怖くて出来ず、保存療法ということにしています。
やはり最初は焦燥感が強くストレスも感じておりましたが、フリだけでも達観したような顔をしていましたら、本当に「なるようにしかならぬ」と思えてきました。その頃から少しづつ良くなってきたように思います。ご助言身に沁みます。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:35:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

>もしもしさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
あばらも大変ですね(汗)。こちらこそお見舞い申し上げます。くしゃみが怖いというところでは、僕と共通項があるようです。
発症したときには、西宮にもまだ粉雪が舞っていました。その後梅も桜も知らぬ間に散り…夙川の鯉のぼりも見ずにしまいました。季節が勝手にかわってゆくことに戸惑いがありますが、おっしゃるとおり無理するとここまで我慢してきたことが無駄になりますので、おとなしくしていたいと思います。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:48:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

お大事になさってくださいね〜。
私もぎっくり腰をした後は治ったつもりでも今までのようには距離は歩けないし
家から離れたところでまたギックリきたらと思うとなかなか出歩けませんでした。
今年は市政90年に絡んでか、さくらFMの西宮徹底解剖も4月は市の歴史、
5月は路面電車と古い西宮の話なので、ゆっくりしながらお過ごしくださいね。

[ にゃんこ ] 2015/05/07 9:39:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
本当に痛めますと、腰というのはやっぱり要なんだということをつくづく思い知らされますね。再発が怖いお気持ち、よくわかります。
姿勢の問題で最近はTVというものをほとんど観ることがなく本ばかり読んでますが、無聊を慰めるものとして読書以外はラジオも聴くことがあります。しかしさくらFMはうっかりしていました。あれは確か過去番組も聴けるので、アクセスしてみたいと思います。どうもありがとう。(o ̄∇ ̄)/

[ 凛太郎 ] 2015/05/08 4:39:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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旧阪神国道線の敷石

 いろいろな考え方がありますが、1月15日までは松の内でありつまり正月気分で良い、との見方もあります。ということで(汗)、謹賀新年、凛太郎です。ヾ(- -;) イマゴロデスカ?
 新年発売の「大阪春秋・西宮特集号」につきましては、読んでいただいた方に厚く御礼申し上げます。
 m(_ _;)m
 僕が書きました砲台の話は、ここで連載した内容のダイジェストであり全く新鮮味はございませんが、他に偉い先生方が執筆された興味深いお話が多数載っていますのでご勘弁いただければと。

 さて、今日は小ネタなんですが…。
 こちらでも時々話題になっていますが、阪神甲子園駅の改修工事が進んでいます。

 


 派手な屋根がつきましたねぇ。
 もちろん甲子園駅だけではなく、駅以東は高架工事で鳴尾駅含め大きく変貌中なのですが、こちらの駅にはかつて甲子園筋を走っていた阪神甲子園線の痕跡が残っていましたので、工事の状況がやはり気になるわけでして。
 
 阪神甲子園線とは、戦前に開通し国道2号線上を走っていた路面電車「阪神国道線」の支線で、上甲子園から浜甲子園までを繋いでいました(戦前は中津浜まで走っていた)。昭和50年まで存続していましたので、ご存知の方も多いと思います。
 既に廃線となって40年ですが、43号線高架橋の下に架線支持金具の跡があったり、こちらで書きましたように球場東側に架線柱跡がいくつかあったりと、なんとなく往時の痕跡のようなものがあるので、昔を偲ぶことができます。
 そして、甲子園駅には、停留所の屋根の一部が残されていました。

 


 この画像は何年か前に撮ったものですが、この部分がかつての甲子園線の停留所覆屋根です。この前に路面電車が停まり、昇降客の雨除けになっていたのです。
 これは、ほぼなくなりましたねぇ…。

 


 わずかに一部分まだ残っていますが。しかし段階をおって撤去されていて、もはや風前の灯火と言っていいでしょう。時間の問題ですな。もうすぐ歴史遺産がひとつ完全に消えます。
 さて、駅にはもうひとつ、架線柱が完全な状態で一本存在していたのですが。

 


 これは、まだありますね。(^ー^* )
 東側駅舎は工事によって解体され、この架線柱に隣接していたタイ焼き屋さん(廉価で皮が分厚かったのが好みでした。僕はしっぽの先まであんこがはいってない方が好き)も無くなって寂しい思いをしていましたが、こいつはまだ残されています。
 これは、旧甲子園線の遺構として残される可能性もありますねー。期待したいと思います♪

 さて、僕はこういう話も含めまして、以前にサイト「ちょっと歴史っぽい西宮」で、西宮の路面電車の廃線跡の記事を書きました(→こちら)。
 その折に、甲子園線の痕跡はこのように在るものの、国道線の名残はバス停名を除いて一切ない、と書きました。
 確かに2号線上にはいくら探しても線路も架線柱も何もなかったわけですが、これを少し訂正したいと思います。実は敷石の一部が残っていました。知りませんでしたよ。
 昔の「宮っ子」を繰っていましたら、こういうことが書いてありまして(→1998年9月:まちかどスポット)。
 どうやら平木小学校に、阪神国道線の線路の敷石が移設されていたらしいのです。
 では、平木小へ。

 


 小学校は阪急神戸線の北側にあり、正門は御手洗川(東川)に面しています。
 平木小は昭和49年11月に開校。阪神国道線は昭和49年3月に上甲子園以西が廃線となりましたので、時期的には合致しています。
 僕はもちろんOBでもPTAでもありませんので中には入れません(汗)。門の外から校内を見ます。

 


 門からすぐ、御影石がずらりと敷き詰められているのが見えます。これが、国道線の敷石の一部を移設したものに間違いはないでしょう。
 大阪から神戸まで、もちろん西宮を横断して走っていたかつての路面電車、阪神国道線の痕跡で、市内に残るものはこれがおそらく唯一だと考えられます。「何も名残は無い」と書いてしまったサイトのほうには、このことを追記したいと思います。
 ただ、なぜこちらに敷石が運ばれたのかについては、あちこち資料を見てもその事情を知ることは出来ませんでした。おそらくは、歴史的遺物であるということから保存に尽力された方々がいらっしゃったのだろうと想像するのみです。
 ありがたいことですね。廃線となって40年を超え、若い人は2号線に路面電車が走っていたことなどもう知らないでしょう(鉄道マニア除く)。しかしおそらく平木小学校の卒業生は、みんなそのことを知っているはずです。そうして、語り継がれてゆくものがあるのだと思います。

 それでは、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。現在ブログはほぼ冬眠中ですが。(^▽^;)


廃線跡
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≫おそらくは、歴史的遺物であるということから保存に尽力された方々がいらっしゃったのだろうと想像するのみです。≪
その通りですね。ちょっと気のつく人がおられるかどうかで歴史遺産の運命が別れてしまいますよね。

[ akaru ] 2015/01/15 8:48:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

鉄塔、残ればいいのですが、仮設の券売機が撤去されるときに
なくなるのではと想像しています。
屋根が乗って一区切りな気分ですが、東改札の建物が着々と
出来てきてますね。

[ にゃんこ ] 2015/01/15 13:27:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

>akaruさん
ありがとうございます。
しかしこういうのは難しい問題ですね。遺構遺物をこうしてわざわざ残すのも大変です。そして、処分・撤去される段階においては、将来歴史的遺産になるかどうかはよくわからないものが多いわけで。時間経過が、その時にはなんでもなかったものを史跡にしていってしまう。おっしゃるとおり「気のつく人」がおられるかどうかですね。
遺構遺物を残すということは、学術的価値は措いて、ものの考え方としては「思い出を残したい」という気持ちであろうと思うのです。人が生きてきた証しはその足跡にある。しかし「前しか見ない」「振り返るのは嫌い」という人もいて、価値観が千差万別であるのもまた難しい問題ですね。

[ 凛太郎 ] 2015/01/16 6:30:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。
架線柱については、おっしゃる様な可能性が最も高い…僕はノー天気に書いていますが、普通に考えればそうです。うーむ…。
僕は全くグズでして、記事ひとつ書くのも遅いのです。ここの画像を撮ったのは昨年末です(汗)。そのくらい大丈夫だろうと思っていましたら、みるみる間に東側改札の建物の鉄組が上がっていて(笑)。全く即時性のないブログでございます。m(_ _;)m

[ 凛太郎 ] 2015/01/16 6:40:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「大阪春秋」に西宮砲台が!

 今年ももう少しで終りですね〜。どーもー凛太郎です。( ̄∇ ̄)
 えー、いわゆるネタばれになりますのでこの話を書いていいのかどうか迷うのですが、新年には発売されることですし、あたしは明日からネット環境もない青森のニョーボの実家へ帰省してしまいますので、もう我慢できずに書いてしまうことにします。おそらく迷惑はかかんないんじゃないかと。

 「大阪春秋」という季刊誌があります。大変に伝統ある雑誌で、以前にふくさんが詳しく紹介されています。(→犬と歩く夙川:大阪春秋)
 基本的には大阪エリアの歴史文化を扱っておられるのですが、こちらが、2015年新年号で西宮特集を組まれます。「西宮まちたび博」に合わせて、という意図のようです。

 


 表紙はみやたんです。 v( ̄∇ ̄)v
 中身はもちろんえびす神社からハルヒまで様々な側面から西宮の魅力を紹介しておられます。また以前取材を受けられたことを書かれておられましたとおり(→ネッスンドルマ 「樽工場の片隅で」)、樽商さんの親方さんとやっこちゃんも見開きでご登場されています。付録は吉田初三郎の西宮市鳥瞰図の復刻版です。

 その中に、西宮砲台を論じた小文が載っています。
 えーと、書いたのは僕です。( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
 伝統ある雑誌ですし、執筆陣は主に大学の先生方で、西宮からも郷土資料館の合田先生や俵谷先生が書かれていまして、タダのブロガーの僕はもう場違い感がはなはだしいのですが、何故かそういうことになりまして。
 秋に、僕に一本のメールが入りました。「大阪春秋」に編集委員として参画されておられる大学の先生からだったのですが、僕のサイト「ちょっと歴史っぽい西宮」をご覧になっていただいたようで、「書いてみませんか?」と。ビックリしましたね。ワシでええの? σ( ̄∇ ̄;)ワテ? と。
 もちろんご評価いただいたのは大変に嬉しいことで、多少の気後れもありますが有難く受けさせていただきました。
 ただ、条件をつけました。
 ひとつは「HNでええか?」ということ。そこはブロガーとしてのプライドもあります。やっぱり「凛太郎」として書きたい。で、紆余曲折あって「北川凛太郎」という三流ミステリー作家のような名前で書いてます(笑)。姓がないのはいかになんでも…ということでして。
 もうひとつは、題材ですが。
 依頼側としては、阪神パークと鳴尾飛行場についての話が望まれていたようです。確かに、僕の「昭和〜旧阪神パークそして鳴尾飛行場」という記事は、サイトの中でも群を抜いてアクセスが多く、反響もあった記事です。
 僕も悩みました。この話は、読み物として考えれば面白いものに仕上げられると思います。それにおそらく「西宮特集」として書かれるものはだいたい市域西側に偏ります。鳴尾などは出てこないでしょう(事実そうでした)。それには常々不満もありましたし、ここで僕が鳴尾を書かなくてどうする、という気持ちもありました。
 しかしながら僕は、

 「題材は是非、西宮砲台とさせてください」

 と頼みました。こんなチャンスは滅多にありませんので。
 僕が西宮流時代に連載した砲台についての話を読んでいただいた方もいらっしゃると思います。一言で言えば「一発撃てば煙充満の役立たず不良品砲台やと言われとるけど、そうとちゃうかったかもしれんのやで」という話。
 この話を紙媒体に載せる機会がついにめぐってきた、と思いましてね。
 題材を西宮砲台とする了承も得られ、僕に与えられたスペースは4ページ、約6000字です。なので新しい話は書けず、ここで連載した話のダイジェストになっていますが、それでも「大阪春秋」に書けるのですから有難い。タイトルは「西宮砲台を笑うな」と付けました。
 皆様に育てていただいた砲台の話が、ついに活字になりました。うれしい。(T_T)ウルウル
 本当にありがとうございました。

 「大阪春秋」は、基本的に大阪の大きな書店でしか扱っていませんが、西宮特集ですからもしかしたら北口のジュンク堂などにも並ぶかもしれません。よくわかりませんが。お手にとられる機会があれば、僕も書いていますのでよろしくお願い申し上げます。m(_ _;)m

 それでは皆様、よいお年をお迎えください。
 


西宮砲台
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すごいですね〜。
この雑誌の西宮特集号が出ることは知ってましたが
まだ読んでませんので、楽しみにしています。

[ にゃんこ ] 2014/12/27 12:20:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

わ〜〜〜〜〜〜〜い!
スゴイ!スゴイ!!!
買います(^_-)-☆

>ここで僕が鳴尾を書かなくてどうする
そうだ!!!
あれっ^_^;
「西宮砲台」も、大事ですよねぇ……(笑)

[ Lady J ] 2014/12/27 12:24:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

これは大阪の紀伊国屋へ行ってさがしてみなければ。付録の吉田初三郎の西宮市鳥瞰図復刻版もスゴイ!

[ seitaro ] 2014/12/27 14:07:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さんの「ちょっと歴史っぽい西宮」の中でも西宮砲台を「世界最後のマルテロ・タワー」とされたことが最もオリジナリティがあり素晴らしい発見であると思っていました。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2014/12/27 16:44:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。西宮流の岡本さんも出られていますので、にゃんこさんはおそらくご存知だろうとは思っていました。
まあすごいですよ〜(笑)。また読んでください。

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:22:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

>Lady Jさん
ありがとうございます。いや確かにスゴイのですが…あれっ?
すみません(汗)。
僕も何だか鳴尾を裏切ったようでまだ引っかかってるんです。もうチャンスはないだろうなぁ…。m(_ _;)m

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:24:23 [ 削除 ] [ 通報 ]

>seitaroさん
ありがとうございます。砲台のことではseitaroさんには本当に感謝しています。おかげさまであの話が活字にまでできました。
鳥瞰図は昭和27年のもので、そんなに大きくはないのですが資料にはなると思います。
今日の午後大阪に居まして、カーサ・ラ・パボーニの向かいのジュンク堂に少し寄ったのですが、もう平積みしてました(笑)。西宮でも売ってるんじゃないでしょうか。

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:26:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

>西宮芦屋研究所員さん
ありがとうございます。僕も連載の最後に「西宮砲台こそが世界最後のマルテロタワーなのです」と書いたときには自分でもゾクゾクしたことをおぼえています。ただ今度の原稿では字数が足らず、マルテロタワーの歴史を書くことが出来ませんでしたのでやむなくそのことは割愛してしまいました。残念です。

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:29:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

その節はいろいろとありがとうございました。
思い切ってメールをして、お願いして本当に良かったと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

[ 小川雅司 ] 2015/02/27 3:52:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

>小川先生
とんでもございませんこちらこそお世話になりました。
機会を与えていただいて本当に感謝しています。
今後の小川先生の益々のご発展をお祈り申し上げております。都市としての西宮研究も大変に楽しみです。

[ 凛太郎 ] 2015/03/01 16:34:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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