山口を歩く

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/yamaguti-sanpo

NHKドキュメンタリー”赤秋〜仲代達矢・喪失からの出発〜”

 録画していたドキュメンタリー番組を観た。12年前に初回放映された「赤秋〜仲代達矢・喪失からの出発〜」という番組だった。
 あらためて仲代達矢という稀有な役者の偉大な足跡に共感した。撮影当時72歳だった彼も今や85歳を数える。撮影の8年前に最愛の妻であり同志でもあった宮崎恭子を膵臓癌で亡くしている。番組は恭子を亡くした後の喪失感からようやく脱して「老い」をテーマとした舞台に挑む仲代の姿を追っている。
 妻・恭子が立ち上げた俳優養成塾である無名塾を引き継いで若い俳優たちを育てる姿が描かれる。仲代の厳しく苛烈な指導を恭子が温かくサポートするという役回りが、恭子亡き後は仲代自身がその両方を使い分けながら指導しているという塾生の言葉が印象的だ。同志であった妻の役回りも引き受けながら喪失感に立ち向かっていたのだろう。
 仲代は「赤秋」という言葉を好んで使うようだ。「青い春(青春)」に対峙した意味合いなのだろう。燃えるような秋をひた走る自身の想いを重ねているのだろうか。
 久々に見応えのあるドキュメンタリーを味わった。

 




goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11663542c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

長尾和宏著「薬のやめどき」

 在宅医・長尾和弘氏の著作「薬のやめどき」を読んだ。在宅ケアについての学習を重ねるに従い、現代医学の薬物治療への依存度の高さに疑問が深まった。漢方は別にしても薬にはなにがしかの副作用が避けられない。多剤投与の弊害の最大の問題点である。
 この著作は長尾氏のかねての主張を集大成したもので大いに共感した。全体が二つのパーツで構成されている。第1章は降圧剤、糖尿病薬、抗がん剤、抗認知症薬、睡眠薬、胃腸薬等、個々の治療薬ごとのやめどきのサジェスチョンである。第2章では多剤投与に流される今日の医療界の背景や事情を在宅医の立場から断罪する。「薬には必ず副作用がある」「臓器別縦割り医療の弊害」「お薬ムラとお薬利権」等々。
 私は7年前から降圧剤を服用している。降圧剤は一度飲み始めたら止められないという説を素朴に信じていた。当初はアムロジン2.5mg2錠を毎朝服用していたが、その後ジェネリックのアムロジピンに切り替え更に1年前からはかかりつけ医のためらいを押し切って1錠に減量した。血圧は服用を始めた頃の155-105をピークに現在は135−75と安定している。減量を申し出た時は130ー70だったが、減量直後の1ケ月も135−73と著しい変化はなかった。ちなみに服用薬のアムロジン(アムロジピン)はこの著作でもお勧めの降圧剤として紹介されている。
 「薬のやめどき」もさることながら著作の中でしばしば語られる「やめどき」という言葉が気に入った。人はしばしば始めることに関心が深い。次々に始めた結果、生活ががんじがらめになることも多い。古希を越えて終活が迫られている。今取り組んでいる様々な活動は多岐に渡る。「やめどき」を真剣に考えなければならない。



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11661678c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

興味深い話です。後半の「やめどき」、同感です。

[ akaru ] 2017/09/20 15:09:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさんとは共通の問題意識が多いですね。「薬のやめどき」に続いて同じ著者の「痛くない死に方」を読んでいます。

[ 明日香 亮 ] 2017/09/21 7:20:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

乙川優三郎「武家用心集」

 乙川優三郎著「武家用心集」を再読した。様々な制約や仕来りに覆われた息苦しい武家社会を生きる8人の武家の男女の姿を描いた短編集である。それぞれの物語がさりげない日常を切り取って情感豊かに紡がれている。読後の余韻がじわっと心に沁みる珠玉の短編集である。
 巻末の解説が乙川優三郎という作家を巧みに表現している。「乙川の小説は思想が主題ではない。論理が主題なのでもない。人間の心の最も奥底に潜んでいる感情ないし情緒に形を与え、日本語の繊細な調べに乗せること、それが乙川の本当の目的ではないだろうか。(略)乙川優三郎にとっては、まず『言葉ありき』なのだ。言葉を核として、物語世界が生成され、醸成されていく。すなわち文学のあるべき姿がたち顕れてくる」。共感できる解説だった。
 1953年生まれの乙川優三郎は63歳である。その年齢の割に著作はそれほど多くない。むしろ寡作と言ってよい。20冊に満たない時代小説は読み尽した。数編の現代小説を読むことの逡巡がある。時代小説で培われた彼のイメージが壊されるのではないかという危惧がある。それほどに彼の時代小説は魅力的である。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11652292c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

夏場の北海道マラソンを堪能した

 テレビ番組表にマラソンの文字を見つけた。この猛暑にマラソン?どうせマイナーな大会だろうと思ったが、東京五輪マラソン代表選考対象レースでもある本格的な北海道マラソンだった。
 午前9時札幌大通公園スタートのレースをテレビ中継で満喫した。男女が同時スタートし、それぞれのレース展開を二重に味わえる。実際にレースは男女それぞれにドラマ性を帯びた見応えのある展開だった。
 このレースのもうひとつの興味は東京五輪選考会への出場権をかけたゴールタイムである。男子は1位で2時間15分以内か2〜6位で2時間13分以内、女子は1位で2時間32分以内か、2〜6位で2時間30分以内に入ることが条件となる。
 男子は序盤からスローペースで終盤まで設定タイム以内のゴールは絶望的だった。ところが終盤に抜け出した村沢明伸が懸命にスピードアップした。2時間15分の設定タイムをクリアできるかどうかゴール直前まで手に汗握る展開となった。結果的に2時間14分48秒で優勝し出場権を獲得した。
 女子は序盤から設定タイムを上回るペースで何人が2時間30分以内でゴールできるかという期待に満ちたレースとなった。優勝争いは後半に野上恵子が抜け出しそのまま独走してゴールするかに見えた。ところがいつの間にかペースを落とした野上をマイペースで刻んだ前田穂南が追い上げ終盤に一気に抜き去りそのまま2時間28分48秒で設定タイムを悠々とクリアしてゴールした。残るは野上が設定タイムをクリアできるかにかかった。こちらもギリギリのタイムだったが最後に惜しくも10秒余りオーバーし出場権獲得はならなかった。
 苛酷な夏場のマラソンでありタイム的には期待薄だったが、五輪出場権を絡めた設定タイムという仕掛けが思わぬ興趣をもたらした。



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11651670c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

乙川優三郎「冬の標」

 乙川優三郎の「冬の標」を再読した。江戸時代のしがらみや仕来りに縛られた女性の自立を描くことでは定評のある作者の代表的な作品と言える。
 この物語の主人公は幼い頃から絵を描くことに魅せられ13歳の時に南画の画塾に入門し、生涯を南画ともに生きた明世である。自身の想いとは別に世間は明世に自由に絵を描くことを許さない。家に縛られ意に染まぬ結婚を強いられ、無理解な夫が若くして亡くなった後は20年に渡って息子を育て姑に仕えながら家を守る生活をおくる。明世の意に染まぬ生活をストイックに過ごす支えになったのは細々と続ける南画の世界だった。
 息子が一人前に育ち姑を看取り明世にようやく自由に絵に生きる境遇が訪れる。その頃に画塾の幼馴染みで心を許し合った塾生・修理との出会いが待っていた。二人で絵と一緒に生きることを約束したのもつかの間、修理は藩内の抗争であっけなく命を落とす。ここに至って明世は息子や実家や画塾といったあらゆるしがらみを断ってひとり江戸で絵の世界を生きることを決意する。
 この作品の文庫本表紙には南画の墨絵が描かれている。雪景色の中で二羽の鴉が枝に寄り添う風景である。作品のラストシーンは明世が渡し舟で江戸に向かって出立する場面である。折しも降りだした雪の中で「雪が降ったら、二羽の鴉を描きましょうか」という修理と交わした約束を思い出す。無意識に矢立てと紙を取り出し心に現れた二羽の鴉を描き始める。美しい場面の結末だった。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11643761c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

八上俊樹著「介護施設の花嫁」

 八上俊樹著「介護施設の花嫁」同じ住宅街の同僚民生委員さんから「介護施設の花嫁」という書籍を頂いた。つどい場”あん”でお会いした民生委員さんの友人であるご婦人の息子さんの著作である。
 さっそく読んでみた。埼玉県下で運営されている六つの介護施設「ソレアード」を舞台とした様々なエピソードが物語風に綴られている。そのエピソードの紹介を通してソレアードが目指し、実際に実現している利用者に寄り添った運営の実態がいききと伝えられている。
 著者は施設運営の当事者でなくソレアードの顧問会計士である。ソレアードの代表から「ソレアードの歩みを本にして残せないか」と相談されたのが著作のキッカケだという。それだけにし運営当事者でない距離を置いた立場から客観的で冷静なタッチで物語が紡がれている。
 5章からなる物語はどれも人物や動物が主人公として展開する。ソレアードの施設内で結婚式を挙げたスタッフの花嫁、施設内で皆の尊敬を集めまとめ役となっている「委員長」と呼ばれる利用者、ダイちゃんと呼ばれみんなのアイドルになっている利用者の飼い犬、徹底して利用者に寄り添った介護というソレアードの原点と基礎を築いた「介護の鉄人」等々。
 何よりも共感し、感動した点が二つある。ひとつはソレアードが積極的に利用者の看取りを受入れている点である。既に60人もの利用者の看取りを行ってきた。終の棲家として入所した筈の施設で看取りを拒否され緊急入院する事例が多い中でこれは特筆すべきことである。しかも看護師である医療看護の責任者がスタッフと一緒になって家族のように見送る環境を整える。
 今ひとつは「利用希望者を絶対に断らない」という点である。周囲に迷惑をかけたり、経済的に豊かでない利用者はしばしば入所を断られるのが介護業界の現状だ。だけどソレアードは断らない。今まで一人も断ったことがない。これもまた驚くべきことだ。
 介護施設のあるべき姿をあらためて教えられた一冊だった。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11641348c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

乙川優三郎著「かずら野」

 乙川優三郎の「かずら野」を読んだ。文庫本にして320頁の作品の最後の2頁のために綴られた物語だと思った。その劇的で感動的なラストに向けて延々と続く物語は、裏返せば少々退屈で苛立ちすら覚える展開だった。
 貧乏な足軽の娘・菊子の奉公に出された先の若旦那・富治との出奔と流転の物語である。健気でひたむきで誠実な菊子と短気で身勝手で不実な富治のかりそめの夫婦関係に、菊子の幼馴染みである高潔な人柄の清次郎が絡んでくる。
 好みで言えば乙川作品の中では駄作の部類に入る。ラストにむけた前段の展開が冗長に過ぎるし起伏に乏しい。それでも乙川優三郎という作家の作品は今尚再読するに値する。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11637495c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

今村欣史著「触媒のうた」

 今村欣史氏の新著「触媒のうた」を読んだ。西宮市在住の氏とはブログを通じて交流し主である喫茶・輪にも訪ねて懇談させて頂いた。前作の「コーヒーカップの耳」も興味深く読ませて頂いた。http://nishinomiya.areablog.jp/page.asp?idx=1000061331&date_sel=2013/03/09 「触媒のうた」は、兵庫県文苑の長老・宮崎修二朗翁の知遇を得た著者が翁との対話を通じて得られた「文学史秘話」をまとめたエッセイ集である。一般にはそれほど馴染みの少ない宮崎修二朗翁の業績をこの著作を通じて初めて知った。神戸新聞記者・編集員・出版部長、「のじぎく文庫」創設者にして初代編集長、大学講師、神戸史学会代表等が翁の略歴である。著作も「文学の旅・兵庫県」をはじめ数えきれない。とはいえ「触媒のうた」を読み終えて宮崎修二朗翁とは何者かという疑問は拭えない。
 その疑問の答えが巻末にある。この種の著作には異色の「人名索引」がついている。石川啄木、柳田圀男、田辺聖子をはじめとしてその数は300人にも及ぶ。それは翁の交流の幅広さを物語る以上に翁が19歳にして志した”触媒”という役割の証(あかし)を物語っている。「触媒」とは「自身は変化せず他の物質の化学反応を速める物質」である。著作の中で翁と深い絆で結ばれた作家・足立卷一氏は次のように述べている。「宮崎さんは、(略)根は無償の発掘者ではないかと思います。(略)地方文学史という無償の発掘作業を終生の仕事に選び、戦後一貫して推し進めてこられたのだともいます」。”触媒”仕事の本質が端的に表現されている。
 私自身も著作を読んで間接的に翁の”触媒”仕事に感化された。著作にしばしば登場する「兵庫文苑」という言葉が好きだ。文壇でなく文苑である。その違いを説明できる知識はない。ただ作家や詩人たちが闊歩する「文壇」の近寄りがたい雰囲気でない単なる「モノ書き」にも片隅で息づけるような雰囲気が「文苑」にはあるように思える。それこそが翁が創設した「のじきく文庫」の意図であり、翁の”触媒”を忠実に普遍化したいという著者の想いではあるまいか。だいそれた創作活動は及びもつかないが「モノ書き」の端くれ程度の想いはある。近い将来「自分史」か「自叙伝」を発刊したいとも思っている。そんな私にこの著作を通して鮮やかに兵庫県の「文苑」の世界を提示してもらった。俄かに文苑が身近なものになった。「触媒のうた」をものにした著者の最大の功績ではあるまいか。
 著作の最終章には「字余り」のような形で幻の詩人・北山冬一郎氏が取り上げられている。著者の思い入れの深い人物なのだろうか。周囲に迷惑をかけまくる厄介な無頼漢ながら何とも言えない魅力的な人物のようだ。この章を読みながら姫路市飾磨区出身の同郷の級友である直木賞作家・車谷長吉氏のことを想った。どこか北山氏にオーバーラップする作家のような印象がある。個人的にもなにがしかの関わりのあった幼馴染みである。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani.htm 兵庫県出身の作家である彼のことを宮崎翁はご存じだろうが、翁の目には彼はどのように映ったのだろう。そんなことをふと思ってしまった。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11624658c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 3 ) | トラックバック( 0)

ご丁寧なご紹介、ありがとうございます。一人でも多くの人に宮崎翁の素晴らしさを知っていただけることがうれしいです。
翁から車谷長吉氏の話を聞いた覚えはありません。おそらく接触はなかったものと思います。今度お会いした時に聞いてみます。

[ akaru ] 2017/06/25 18:10:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

個人的には宮崎翁の業績以上にこの著作を通じてakaruさんの営みの方に親近感を感じます。”触媒”の「触媒」に徹した貴兄の姿勢に限りない共感を覚えています。

[ 明日香 亮 ] 2017/06/25 20:05:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

身に余るお言葉、うれしいです。今回の本のことを「触媒の触媒」と評してくださった方もありました。宮崎翁の触媒仕事とは比すべきもありませんが、少しはできたかな?と思っております。ありがとうございました。

[ akaru ] 2017/06/25 20:14:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

乙川優三郎著「霧の橋」

 五木寛之の漂白をテーマとした二作品を読了し、再び蔵書の再読に戻った。その前まで再読を続けていた乙川優三郎の著作「霧の橋」である。
 この作品は第7回時代小説大賞受賞作ということだ。当然ながら巻末の「解説」でも高い評価がコメントされている。だが個人的にはこの作品の評価は他の乙川作品に比べ高くない。
 本作のテーマが夫婦愛であることは容易に理解できる。ただそのテーマを描き方が余りにも多面的で多くの要素を折り込みすぎている気がした。武士を捨てて商人として生きるということをモチーフにしながら「仇討ちがもたらすもの」「商人どうしの策謀」「商人と武士の魂の葛藤」「夫婦間の気持のズレ」等々。それぞれに巧みな描写で惹きつけられるがそれらが全体としてのまとまりを欠いているように思えた。
 とはいえ作者の提示したラストにはその情緒あふれる描写とともに共感した。武士の魂と商人としての生きざまの葛藤が続く中で、いずれにも徹しきれないありのままの姿こそがかけがえのないものとしてラストを迎える。
 ○か×かの割きりでない○も×も時に△もありのしなやかな生き方に魅かれるこの頃である。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11615529c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

五木寛之著「風の王国」

 五木寛之の異色の大作「風の王国」を読了した。この作品も知人のブログの紹介記事で興味を抱き手にしたものだった。
 これまでの読書体験のどのジャンルにも属さない「歩き」をテーマとした単行本400頁余りもの長編小説である。「歩き」を原点として様々な営みが語られる。「山窩(サンカ)」「山の民」「化外の民」「遍路」「遊行」「千日回峰」等々。それぞれに作者の膨大な資料を読み込んだ確かな実証性に裏付けられた記述である。
 この長編を5月中旬の二泊三日の房総半島ツアーに持参した。たっぷりあるバス移動の車中で一気に読み切った。それほどに興味深く物語性に富んだ作品だった。
 この作品を読み終えて思った。私たちが学び受け入れてきた歴史とは「定住の民」の歴史ではなかったか。農耕を受入れて以降、民は定住が基本となり、権力者たちは定住を正義とする歴史を刻んできた。農耕以前の途方もない長い縄文の歴史は軽んじられ顧みられることは永く稀だった。他方で定住を潔しとしない少なからぬ民が脈々と生き続けた。定住の民の歴史や文化の限界が見え始めた。その究極の姿がグローバル資本主義という醜悪で強欲な怪獣のようにふるまっている。
 山の民、里の民の狭間で流浪した民の学ぶべき息遣いを知った。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p11613622c.html
書評・ニュース怪説 | コメント( 1 ) | トラックバック( 0)

いつもブログを見るのを楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね!

[ 青山エリア 南青山の美容室mod's hair 【モッズ・ヘア】 青山プリヴィレージュ店 ] 2017/06/03 21:36:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

  1  |  2  |  3    次へ
  
このブログトップページへ
明日香 亮イメージ
明日香 亮
プロフィール
山口は豊かな自然と歴史や伝統に育まれた街である。散歩道で目にする四季折々の風景や風物詩を綴ってみたい。
前年  2017年 皆勤賞獲得月 翌年
前の年へ 2017年 次の年へ 前の月へ 9月 次の月へ
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
今日 合計
ビュー 61 766712
コメント 1 1286
お気に入り 0 12

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<

お気に入りリスト

おすすめリンク