山口を歩く

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今村欣史著「触媒のうた」

 今村欣史氏の新著「触媒のうた」を読んだ。西宮市在住の氏とはブログを通じて交流し主である喫茶・輪にも訪ねて懇談させて頂いた。前作の「コーヒーカップの耳」も興味深く読ませて頂いた。http://nishinomiya.areablog.jp/page.asp?idx=1000061331&date_sel=2013/03/09 「触媒のうた」は、兵庫県文苑の長老・宮崎修二朗翁の知遇を得た著者が翁との対話を通じて得られた「文学史秘話」をまとめたエッセイ集である。一般にはそれほど馴染みの少ない宮崎修二朗翁の業績をこの著作を通じて初めて知った。神戸新聞記者・編集員・出版部長、「のじぎく文庫」創設者にして初代編集長、大学講師、神戸史学会代表等が翁の略歴である。著作も「文学の旅・兵庫県」をはじめ数えきれない。とはいえ「触媒のうた」を読み終えて宮崎修二朗翁とは何者かという疑問は拭えない。
 その疑問の答えが巻末にある。この種の著作には異色の「人名索引」がついている。石川啄木、柳田圀男、田辺聖子をはじめとしてその数は300人にも及ぶ。それは翁の交流の幅広さを物語る以上に翁が19歳にして志した”触媒”という役割の証(あかし)を物語っている。「触媒」とは「自身は変化せず他の物質の化学反応を速める物質」である。著作の中で翁と深い絆で結ばれた作家・足立卷一氏は次のように述べている。「宮崎さんは、(略)根は無償の発掘者ではないかと思います。(略)地方文学史という無償の発掘作業を終生の仕事に選び、戦後一貫して推し進めてこられたのだともいます」。”触媒”仕事の本質が端的に表現されている。
 私自身も著作を読んで間接的に翁の”触媒”仕事に感化された。著作にしばしば登場する「兵庫文苑」という言葉が好きだ。文壇でなく文苑である。その違いを説明できる知識はない。ただ作家や詩人たちが闊歩する「文壇」の近寄りがたい雰囲気でない単なる「モノ書き」にも片隅で息づけるような雰囲気が「文苑」にはあるように思える。それこそが翁が創設した「のじきく文庫」の意図であり、翁の”触媒”を忠実に普遍化したいという著者の想いではあるまいか。だいそれた創作活動は及びもつかないが「モノ書き」の端くれ程度の想いはある。近い将来「自分史」か「自叙伝」を発刊したいとも思っている。そんな私にこの著作を通して鮮やかに兵庫県の「文苑」の世界を提示してもらった。俄かに文苑が身近なものになった。「触媒のうた」をものにした著者の最大の功績ではあるまいか。
 著作の最終章には「字余り」のような形で幻の詩人・北山冬一郎氏が取り上げられている。著者の思い入れの深い人物なのだろうか。周囲に迷惑をかけまくる厄介な無頼漢ながら何とも言えない魅力的な人物のようだ。この章を読みながら姫路市飾磨区出身の同郷の級友である直木賞作家・車谷長吉氏のことを想った。どこか北山氏にオーバーラップする作家のような印象がある。個人的にもなにがしかの関わりのあった幼馴染みである。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani.htm 兵庫県出身の作家である彼のことを宮崎翁はご存じだろうが、翁の目には彼はどのように映ったのだろう。そんなことをふと思ってしまった。

 




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ご丁寧なご紹介、ありがとうございます。一人でも多くの人に宮崎翁の素晴らしさを知っていただけることがうれしいです。
翁から車谷長吉氏の話を聞いた覚えはありません。おそらく接触はなかったものと思います。今度お会いした時に聞いてみます。

[ akaru ] 2017/06/25 18:10:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

個人的には宮崎翁の業績以上にこの著作を通じてakaruさんの営みの方に親近感を感じます。”触媒”の「触媒」に徹した貴兄の姿勢に限りない共感を覚えています。

[ 明日香 亮 ] 2017/06/25 20:05:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

身に余るお言葉、うれしいです。今回の本のことを「触媒の触媒」と評してくださった方もありました。宮崎翁の触媒仕事とは比すべきもありませんが、少しはできたかな?と思っております。ありがとうございました。

[ akaru ] 2017/06/25 20:14:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

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乙川優三郎著「霧の橋」

 五木寛之の漂白をテーマとした二作品を読了し、再び蔵書の再読に戻った。その前まで再読を続けていた乙川優三郎の著作「霧の橋」である。
 この作品は第7回時代小説大賞受賞作ということだ。当然ながら巻末の「解説」でも高い評価がコメントされている。だが個人的にはこの作品の評価は他の乙川作品に比べ高くない。
 本作のテーマが夫婦愛であることは容易に理解できる。ただそのテーマを描き方が余りにも多面的で多くの要素を折り込みすぎている気がした。武士を捨てて商人として生きるということをモチーフにしながら「仇討ちがもたらすもの」「商人どうしの策謀」「商人と武士の魂の葛藤」「夫婦間の気持のズレ」等々。それぞれに巧みな描写で惹きつけられるがそれらが全体としてのまとまりを欠いているように思えた。
 とはいえ作者の提示したラストにはその情緒あふれる描写とともに共感した。武士の魂と商人としての生きざまの葛藤が続く中で、いずれにも徹しきれないありのままの姿こそがかけがえのないものとしてラストを迎える。
 ○か×かの割きりでない○も×も時に△もありのしなやかな生き方に魅かれるこの頃である。

 



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五木寛之著「風の王国」

 五木寛之の異色の大作「風の王国」を読了した。この作品も知人のブログの紹介記事で興味を抱き手にしたものだった。
 これまでの読書体験のどのジャンルにも属さない「歩き」をテーマとした単行本400頁余りもの長編小説である。「歩き」を原点として様々な営みが語られる。「山窩(サンカ)」「山の民」「化外の民」「遍路」「遊行」「千日回峰」等々。それぞれに作者の膨大な資料を読み込んだ確かな実証性に裏付けられた記述である。
 この長編を5月中旬の二泊三日の房総半島ツアーに持参した。たっぷりあるバス移動の車中で一気に読み切った。それほどに興味深く物語性に富んだ作品だった。
 この作品を読み終えて思った。私たちが学び受け入れてきた歴史とは「定住の民」の歴史ではなかったか。農耕を受入れて以降、民は定住が基本となり、権力者たちは定住を正義とする歴史を刻んできた。農耕以前の途方もない長い縄文の歴史は軽んじられ顧みられることは永く稀だった。他方で定住を潔しとしない少なからぬ民が脈々と生き続けた。定住の民の歴史や文化の限界が見え始めた。その究極の姿がグローバル資本主義という醜悪で強欲な怪獣のようにふるまっている。
 山の民、里の民の狭間で流浪した民の学ぶべき息遣いを知った。

 



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いつもブログを見るのを楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね!

[ 青山エリア 南青山の美容室mod's hair 【モッズ・ヘア】 青山プリヴィレージュ店 ] 2017/06/03 21:36:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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五木寛之著「日本玄論・漂泊者のこころ」

 知人のブログで紹介のあった作品である。ブログの記事内容に共感したこともさることながら、作品内容のタイトルの「隠岐共和国」「柳田国男と南方熊楠」「かくれ念仏」「蓮如」に魅かれた。どれも個人的に知りたいと思っていたことばかりだった。
 納められた9篇の著述は全て五木寛之氏の講演やインタビューの収録である。冒頭の「隠岐共和国の幻」は幕末から明治にかけて隠岐の島に短期間成立した島民だけのコミューンについて語られる。個人的に現役の50歳前後の頃に何度も隠岐の島の島後を仕事で訪ねたがそうした歴史的事実に接する機会は全くなかった。それだけに思い入れもある隠岐の島のコミューンの話題は新鮮で驚きだった。
 柳田国男と南方熊楠の交流物語にも知的な好奇心を満たされた。往復書簡を題材に二人の巨人の人間臭い側面を描いて余りある著述だった。
 「『かくれ念仏』の系譜」は私にとってもゆかりのある浄土真宗の宗派の「正統と異端」に焦点をあてた興味深い内容だった。また一向宗が持つ三つの牙(思想的、政治的、経済的)の指摘にも納得させられた。
 三部に渡る「蓮如」の講演収録も説得力のある内容だった。作者が傾倒する浄土真宗の中興の祖についての講演である。作者が宗祖・親鸞以上に乱世の組織者・蓮如に共感を寄せていることが如実に表れている。蓮如に何よりも注目に値するのはオルガナイザー(組織者)としての資質であるとする。戦国の世に85歳まで生き5度結婚し27人の子をもうけたこと自体が自らの思想の普及者としての驚異的な条件を備えていた。今日の日本最大教団である浄土真宗の確立は蓮如の存在をぬきには語れない。この著述はその背景と要因を見事に描いている。

 



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乙川優三郎著「椿山」

 乙川優三郎の7冊目の再読である短編集「椿山」を読んだ。短編4作品が納められている。
 表題作「椿山」は短編集の半分を占める中編で、最も骨太な作品である。乙川作品の中では珍しく悪漢物語の印象の残る作品だが、最後のシーンでやっぱり乙川風の優しさに包まれる。
 印象的だったのは「花の顔」である。今日の認知症介護というテーマを江戸時代に置き換えて鮮やかに描いている。主人公さとは武家社会の掟に縛られて厳しい仕打ち耐えながら姑たきに仕える。その果てに認知症になっていくたきを必死に支えながら永年の確執との葛藤にさいなまれる。追い詰められた果てに最後の手段に訴えようとした瞬間に童女に戻ったかのようなたきの呟きに彼女が背負ってきた重荷の深さを知り共感する。ここでも乙川らしい優しさで結末を飾っている。

 



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乙川優三郎著「五年の梅」

 乙川優三郎の短編集「五年の梅」を読んだ。五篇の短編がおさめられている。どの作品にも共通しているのが不幸のどん底にあえぐ主人公たちが追い詰められながらも最後の土壇場で踏みとどまり、生き直す力を取り戻す姿である。生きることに不器用な、あるいは下劣な生き方しかできない人物たちにスポットを当て、ギリギリのところで生き直す機会を与えている。解説でも指摘されているように、それは作者・乙川優三郎の優しさなのろう。その優しさに魅かれ浸されながら読者は乙川ワールドに引き込まれていく。
 そうした主題の醍醐味とは別に、作者の情感溢れる表現力に圧倒されたのが表題作の「五年の梅」だった。慕い合い暗黙のうちに将来を誓い合っていた助之丞と弥生。助之丞は弥生との別れも決意して主君に諫言し蟄居の身となる。募る想いを振り切って嫁いだ弥生は婚家の惨酷な家風と誕生した盲目の娘の養育という苛酷な境遇に晒される。蟄居を解かれ出仕した助之丞は幾度も弥生に救いの手を差し伸べるが頑なに拒否される。それでも助之丞はようやく主君お抱えの眼医者の診療を弥生の娘に受けさせられるところまでこぎつける。
 眼医者の薬園の梅林に向かう道筋で助之丞は弥生母子と出会う。道なりを歩きながら泥濘が道を塞いだ時、助之丞は娘を抱き上げて渡してやる。弥生にも手を貸そうとして振り向く助之丞。以下は最後の三行の描写である。
 「鮮やかな紅梅の向こうに歩いてきた道のりが見えて、胸のつまる気がした。その案外に長い道のりの終わりに弥生はうつむいて両手を握りしめていたが、助之丞が泥濘から手を差し出すと、震える手を伸ばしてきた」。頑なに拒否してきた弥生が意を決して受け入れた瞬間の鮮やかで余韻の籠った描写だった。

 



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乙川優三郎著「喜知次」

 乙川優三郎の長編時代小説「喜知次」を読んだ。同じ作者の長編時代小説「蔓の端々(つるのはしばし)」に続いての読了だった。乙川優三郎ワールドを満喫している。
 喜知次とは東北地方で通称され一般にはキンキと呼ばれる海水魚のことである。この物語ではヒロイン花哉の呼び名でもある。主人公?小太郎の家にもらわれてきた幼い花哉の「くるりとした大きな目に赤い頬」をみて小太郎が「花哉はまるで喜知次のようだな」と口を滑らせたのが呼び名の由来である。この小太郎と花哉の出会いの場面で始まった物語は、晩年に小太郎が哀しい別れの果てに夭折した花哉を訪ねる場面で完結する。出会いと別れを物語の始まりと結びに展開するのは作者が好んで使う手法のようだ。
 「解説」でも指摘されているが、作品タイトルにあるように作者は「喜知次(花哉)」こそが主人公であることを暗示している。ところがこの長編を読み進みながら読者は主人公は小太郎としか思えない。藩内抗争に明け暮れる藩の裕福な上士の嫡男である小太郎の藩政改革に挑む成長物語が主題と思える。
 にもかかわらずなぜ作者は「喜知次」を主人公と暗示したのか。藩政改革を表面上の主題としながら、何のための藩なのか、何のための藩政改革なのかを問うている。物語の節々に苛酷な運命を受入れながら明るくひたむきに生きる喜知次の姿が登場する。小太郎と喜知次の結ばれることのなかった恋を絡めながら「生きる」ことの意味を暗示し、そのことを読者は否応なく考えさせられる。
 爽やかな読後感をもたらした作品だった。

 



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傘寿間近の知人の悠々たるつれづれ

 現役時代の知人で労組活動の先輩でもある知人から著作を贈って頂いた。まもなく傘寿を迎えようという年配で悠々自適の中に尚社会法人の理事等を引き受けながら地域と関わっておられる。そんな日々のつれづれを綴った自費出版の著作である。
 労組活動、流通業での職場復帰、リタイヤ後の民生委員等の地域活動という彼の経歴は私の人生の軌跡に重なる部分が多い。それだけに綴られた想いは多くの点で共感できる。著作は端的に言えば「日本の政治状況に対する憂い」と「終活の勧め」ということだろう。
 日本の政治状況については、市場経済のグローバル化の果てに貧富の格差が極限にまで及んいる。その貧困と格差社会を招いた新自由主義政策の背景と経過が丁寧に述べられ、その延長線上のアベノミクスがめざす危険な「原発推進」「兵器産業振興」と「国家主義の復活」の潮流が指摘される。富が少数者に集中する経済構造は貧困層の劇増による社会負担の減少と福祉需要の増大をもたらし社会保障財源の破綻の危機が迫っている。2025年問題はこれに拍車をかけ絶望的な超高齢社会の到来が予想される。
 もうひとつのテーマは著者にとっても身近な問題である「終活」である。煎じ詰めれば「死と向き合い、受け止め、準備する」ということ。そのための「エンディング・ノート、遺言書、遺産相続、葬儀の準備」が促され、健康寿命を延ばし認知症リスクを予防する実践的な心得が説かれる。それぞれに各種のノウハウ本でも入手できる情報もあるが、著者の実践に裏付けられた情報だけに説得力を持っている。
 傘寿間近の知人の悠々たるつれづれの日々を垣間見た。

 



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乙川優三郎著「蔓の端々(つるのはしばし)」

 乙川優三郎の長編時代小説「蔓の端々(つるのはしばし)」を読んだ。短編集が多い作品のなかでも珍しい長編である。それだけに作品としてはプラス面とマイナス面が相半ばするように思えた。
 プラス面は長編ならではの物語性が発揮されている点である。主人公の瓜生禎蔵の幼馴染みでありともに想いを寄せ合っている筈の隣家の娘・八重がある日突然、禎蔵の親友であり剣友でもある黒崎礼助とともに忽然と姿を消してしまう。このドラマチックな幕開けで物語が始まる。更に礼助には藩の筆頭家老暗殺の嫌疑がかかる。筆頭家老の突然の死によって否応なく苛烈な藩内抗争がもたらされる。ドラマチックな幕開け後は延々と藩内抗争の行方が展開される。このいささか冗長な中だるみ気味の展開が不慣れな長編のマイナス面と思えた。
 ラストになってようやく礼助と八重の失踪の真相が明かされる。藩主も巻き込んだ複雑に絡み合った上層部の権力争いだが、この部分もまたいかにも解説風の展開で作者の持ち味を殺している。
 ラスト近くの余命いくばくもない養父の貞蔵への語らいが印象的だった。「明日のことを考えられなくなったら人間は仕舞だ。いかに財を成そうがそうでなかろうが、明日のことを考えぬ人間は惨めだ、若い頃は十年、二十年先まで考えたものだが、歳をとるにつれて五年さき一年さきとなり、そしてとうとう明日のことすらかんがえられなくなってしまった」。
身につまされる言葉だった。作者・乙川優三郎は私より8歳若い年齢である。その年齢にしてこのような言葉を吐かしめる作家の凄みを見た。

 



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乙川優三郎著「屋烏(おくう)」

 乙川優三郎作品の再読に嵌っている。三作目は5編の短編を納めた時代小説「屋烏(おくう)」である。
 5編の内最も魅かれたのは何といっても表題作「屋烏」だった。冒頭でのヒロイン揺枝(ゆえ)の与四郎との出会い。曲折を経て辿り着いたラストシーンでの同じ出会いは、ともに小高い海神山頂きの海を臨む茶店である。この印象的な風景描写をはじめ情感あふれる情景描写は作者の真骨頂である。揺枝と与四郎のそれぞれを取り巻く苛酷な現実が巧みな伏線となってラストシーンに繋がっていく。ラスト2頁に至った時、思わず涙してしまった。齢を重ねて感動することが稀になった今、久々に蘇った新鮮な感情に我ながら驚いた。

 



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明日香 亮
プロフィール
山口は豊かな自然と歴史や伝統に育まれた街である。散歩道で目にする四季折々の風景や風物詩を綴ってみたい。
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