山口を歩く

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乙川優三郎著「椿山」

 乙川優三郎の7冊目の再読である短編集「椿山」を読んだ。短編4作品が納められている。
 表題作「椿山」は短編集の半分を占める中編で、最も骨太な作品である。乙川作品の中では珍しく悪漢物語の印象の残る作品だが、最後のシーンでやっぱり乙川風の優しさに包まれる。
 印象的だったのは「花の顔」である。今日の認知症介護というテーマを江戸時代に置き換えて鮮やかに描いている。主人公さとは武家社会の掟に縛られて厳しい仕打ち耐えながら姑たきに仕える。その果てに認知症になっていくたきを必死に支えながら永年の確執との葛藤にさいなまれる。追い詰められた果てに最後の手段に訴えようとした瞬間に童女に戻ったかのようなたきの呟きに彼女が背負ってきた重荷の深さを知り共感する。ここでも乙川らしい優しさで結末を飾っている。

 




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乙川優三郎著「五年の梅」

 乙川優三郎の短編集「五年の梅」を読んだ。五篇の短編がおさめられている。どの作品にも共通しているのが不幸のどん底にあえぐ主人公たちが追い詰められながらも最後の土壇場で踏みとどまり、生き直す力を取り戻す姿である。生きることに不器用な、あるいは下劣な生き方しかできない人物たちにスポットを当て、ギリギリのところで生き直す機会を与えている。解説でも指摘されているように、それは作者・乙川優三郎の優しさなのろう。その優しさに魅かれ浸されながら読者は乙川ワールドに引き込まれていく。
 そうした主題の醍醐味とは別に、作者の情感溢れる表現力に圧倒されたのが表題作の「五年の梅」だった。慕い合い暗黙のうちに将来を誓い合っていた助之丞と弥生。助之丞は弥生との別れも決意して主君に諫言し蟄居の身となる。募る想いを振り切って嫁いだ弥生は婚家の惨酷な家風と誕生した盲目の娘の養育という苛酷な境遇に晒される。蟄居を解かれ出仕した助之丞は幾度も弥生に救いの手を差し伸べるが頑なに拒否される。それでも助之丞はようやく主君お抱えの眼医者の診療を弥生の娘に受けさせられるところまでこぎつける。
 眼医者の薬園の梅林に向かう道筋で助之丞は弥生母子と出会う。道なりを歩きながら泥濘が道を塞いだ時、助之丞は娘を抱き上げて渡してやる。弥生にも手を貸そうとして振り向く助之丞。以下は最後の三行の描写である。
 「鮮やかな紅梅の向こうに歩いてきた道のりが見えて、胸のつまる気がした。その案外に長い道のりの終わりに弥生はうつむいて両手を握りしめていたが、助之丞が泥濘から手を差し出すと、震える手を伸ばしてきた」。頑なに拒否してきた弥生が意を決して受け入れた瞬間の鮮やかで余韻の籠った描写だった。

 



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乙川優三郎著「喜知次」

 乙川優三郎の長編時代小説「喜知次」を読んだ。同じ作者の長編時代小説「蔓の端々(つるのはしばし)」に続いての読了だった。乙川優三郎ワールドを満喫している。
 喜知次とは東北地方で通称され一般にはキンキと呼ばれる海水魚のことである。この物語ではヒロイン花哉の呼び名でもある。主人公?小太郎の家にもらわれてきた幼い花哉の「くるりとした大きな目に赤い頬」をみて小太郎が「花哉はまるで喜知次のようだな」と口を滑らせたのが呼び名の由来である。この小太郎と花哉の出会いの場面で始まった物語は、晩年に小太郎が哀しい別れの果てに夭折した花哉を訪ねる場面で完結する。出会いと別れを物語の始まりと結びに展開するのは作者が好んで使う手法のようだ。
 「解説」でも指摘されているが、作品タイトルにあるように作者は「喜知次(花哉)」こそが主人公であることを暗示している。ところがこの長編を読み進みながら読者は主人公は小太郎としか思えない。藩内抗争に明け暮れる藩の裕福な上士の嫡男である小太郎の藩政改革に挑む成長物語が主題と思える。
 にもかかわらずなぜ作者は「喜知次」を主人公と暗示したのか。藩政改革を表面上の主題としながら、何のための藩なのか、何のための藩政改革なのかを問うている。物語の節々に苛酷な運命を受入れながら明るくひたむきに生きる喜知次の姿が登場する。小太郎と喜知次の結ばれることのなかった恋を絡めながら「生きる」ことの意味を暗示し、そのことを読者は否応なく考えさせられる。
 爽やかな読後感をもたらした作品だった。

 



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傘寿間近の知人の悠々たるつれづれ

 現役時代の知人で労組活動の先輩でもある知人から著作を贈って頂いた。まもなく傘寿を迎えようという年配で悠々自適の中に尚社会法人の理事等を引き受けながら地域と関わっておられる。そんな日々のつれづれを綴った自費出版の著作である。
 労組活動、流通業での職場復帰、リタイヤ後の民生委員等の地域活動という彼の経歴は私の人生の軌跡に重なる部分が多い。それだけに綴られた想いは多くの点で共感できる。著作は端的に言えば「日本の政治状況に対する憂い」と「終活の勧め」ということだろう。
 日本の政治状況については、市場経済のグローバル化の果てに貧富の格差が極限にまで及んいる。その貧困と格差社会を招いた新自由主義政策の背景と経過が丁寧に述べられ、その延長線上のアベノミクスがめざす危険な「原発推進」「兵器産業振興」と「国家主義の復活」の潮流が指摘される。富が少数者に集中する経済構造は貧困層の劇増による社会負担の減少と福祉需要の増大をもたらし社会保障財源の破綻の危機が迫っている。2025年問題はこれに拍車をかけ絶望的な超高齢社会の到来が予想される。
 もうひとつのテーマは著者にとっても身近な問題である「終活」である。煎じ詰めれば「死と向き合い、受け止め、準備する」ということ。そのための「エンディング・ノート、遺言書、遺産相続、葬儀の準備」が促され、健康寿命を延ばし認知症リスクを予防する実践的な心得が説かれる。それぞれに各種のノウハウ本でも入手できる情報もあるが、著者の実践に裏付けられた情報だけに説得力を持っている。
 傘寿間近の知人の悠々たるつれづれの日々を垣間見た。

 



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乙川優三郎著「蔓の端々(つるのはしばし)」

 乙川優三郎の長編時代小説「蔓の端々(つるのはしばし)」を読んだ。短編集が多い作品のなかでも珍しい長編である。それだけに作品としてはプラス面とマイナス面が相半ばするように思えた。
 プラス面は長編ならではの物語性が発揮されている点である。主人公の瓜生禎蔵の幼馴染みでありともに想いを寄せ合っている筈の隣家の娘・八重がある日突然、禎蔵の親友であり剣友でもある黒崎礼助とともに忽然と姿を消してしまう。このドラマチックな幕開けで物語が始まる。更に礼助には藩の筆頭家老暗殺の嫌疑がかかる。筆頭家老の突然の死によって否応なく苛烈な藩内抗争がもたらされる。ドラマチックな幕開け後は延々と藩内抗争の行方が展開される。このいささか冗長な中だるみ気味の展開が不慣れな長編のマイナス面と思えた。
 ラストになってようやく礼助と八重の失踪の真相が明かされる。藩主も巻き込んだ複雑に絡み合った上層部の権力争いだが、この部分もまたいかにも解説風の展開で作者の持ち味を殺している。
 ラスト近くの余命いくばくもない養父の貞蔵への語らいが印象的だった。「明日のことを考えられなくなったら人間は仕舞だ。いかに財を成そうがそうでなかろうが、明日のことを考えぬ人間は惨めだ、若い頃は十年、二十年先まで考えたものだが、歳をとるにつれて五年さき一年さきとなり、そしてとうとう明日のことすらかんがえられなくなってしまった」。
身につまされる言葉だった。作者・乙川優三郎は私より8歳若い年齢である。その年齢にしてこのような言葉を吐かしめる作家の凄みを見た。

 



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乙川優三郎著「屋烏(おくう)」

 乙川優三郎作品の再読に嵌っている。三作目は5編の短編を納めた時代小説「屋烏(おくう)」である。
 5編の内最も魅かれたのは何といっても表題作「屋烏」だった。冒頭でのヒロイン揺枝(ゆえ)の与四郎との出会い。曲折を経て辿り着いたラストシーンでの同じ出会いは、ともに小高い海神山頂きの海を臨む茶店である。この印象的な風景描写をはじめ情感あふれる情景描写は作者の真骨頂である。揺枝と与四郎のそれぞれを取り巻く苛酷な現実が巧みな伏線となってラストシーンに繋がっていく。ラスト2頁に至った時、思わず涙してしまった。齢を重ねて感動することが稀になった今、久々に蘇った新鮮な感情に我ながら驚いた。

 



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乙川優三郎「露の玉垣」

 日々の読書が蔵書の再読に戻って2冊目を読了した。乙川優三郎の「露の玉垣」である。時代小説とばかり思っていたが歴史小説である。しかも単に史実を素材にして物語に仕上げるという通常の歴史小説よりもはるかに史実に密着した「武家社会の実像」を描いた物語である。江戸幕府の開闢期から明治初年まで実在した越後・新発田藩に残された藩の正史「世臣譜」を忠実に物語に紡いだ労作である。
 「世臣譜」は江戸後期に新発田藩家老として藩の苦難に立ち向かった溝口半兵衛長裕によって編まれたものである。「露の玉垣」には、この半兵衛長裕を影の主人公として「世臣譜」のから紡ぎ出した8編の短編が納められている。決して英雄伝説でない生の武家社会の日常生活の出来事や事件を丹念に描いた連作歴史小説である。それでいてそれぞれの物語には情感豊かな風景と武家社会を生きる男女の葛藤がテーマ性豊かに描かれている。
 関わっている地域活動に次々と難題が持ち上がっている。そんなストレスの多い日々に潤いと意欲の喚起をもたらす作品に癒された。

 



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乙川勇三郎著「逍遙の季節」

 昨年の6月以降、読書は好きな歴史小説・時代小説を断って、直面している介護・医療・認知症関連の専門書に絞った。以来12冊の書籍を読了した。この読書を通じて自分なりのこの分野での基礎的な知識と基本的なスタンスを学んだ。この分野の次の読みたい書籍は見当たらず、再び蔵書の中の時代小説の再読に戻ることにした。
 その最初のチョイスが乙川勇三郎の「逍遙の季節」だった。どちらかと言えば藤沢周平風の穏やかで静謐な世界に浸りたい気分だった。ところが藤沢周平の著作はほとんど再読済みである。同じような作風のお好みの作家が乙川勇三郎だった。書棚の中から比較的記憶に薄い作品として「逍遙の季節」を手に取った。
 三絃、蒔絵、茶道、画工、根付、糸染め、雛細工、髪結い、活け花、舞踊といった工芸の世界を題材とした七篇の短編集である。芸を恃みに生きる江戸の女たちの物語である。作者のそれぞれの分野の造詣の深さに驚かされる。それぞれの物語の中に芸と人との葛藤が描かれる。読み継ぎながらひと時をそうした世界に浸れるのも作者の卓越した文章力の故だろう。現役作家としては乙川勇三郎はもっとも魅かれる作家に違いない。

 



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書評・鎌田實著「下りのなかで上りを生きる」

 鎌田實著作の「下りのなかで上りを生きる」を読んだ。直前に読んだ「〇に近い△を生きる」という著作の姉妹編である。ポプラ新書の同じ装丁で内容の切り口も似通っている。
 この作品の最大の特徴は、著者の政治的、経済的立ち位置が極めて明快に表明されている点だろう。「グローバリズムと金融資本主義に翻弄されて、地域や家庭や教育や環境が壊れかけている。個人主義が広がり、競争至上主義が暴れまわり、価値観は多様化している。人間の心がささくれ立っている」という現状認識は、アベノミクスをはじめとした今日の主流をなす新自由主義への異議申し立てである。
 その上で「1〜2%の経済成長を目指しながら、できるだけ多くの人がまあまあの生活を送れるような成熟社会づくり」を訴える。それは「右肩上がりの経済の中で身につけた上り坂を生きる思想はもう古い。日本もゆるやかな下り坂に差し掛かっていると考えた方がいい」という問題意識につながっている。
 私たちを取り巻く社会経済環境が下り坂であるなら、多くの人の人生もまた下り坂に包まれかねない。そうした「下りのなかで上りを生きる」ための6つの智恵やパワーが章に分けて語られる。楽観力、回転力、潜在力、見透す力、悲しむ力、突破する力である。
 著者はあとがきの最期をこう結んでいる。「国の勢いが衰えていても、日本の経済がゆるやかな下り坂に差し掛かっても、自分の人生が少しずつ黄昏に近づいていても、そこには上り坂では見えない光景や楽しみがある」。同感である。

 



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鎌田實著「〇に近い△を生きる」

 鎌田實著作の4作目「〇に近い△を生きる」を読んだ。発行元のポプラ社の「ポプラ新書」の創刊号のようだ。ポプラ社はポプラ新書発刊に当たって「生きるとは共に未来を語ること、共に希望を語ること」と題した宣言を巻末に掲載している。
 「〇に近い△を生きる」というこの著作は発刊元のそんな気負いを感じさせる作品だった。この作品のテーマは裏表紙に端的に語られている。「今の日本に必要なのは『別解力』。たった一つの『正解』に縛られるのではなく幾つもある「別解」の中から〇に近い△を見つけていきましょう。会社の中でも、家庭の中でも、地球の中でも、みんながより幸福にあたたかく回転していくために・・・・。」
 そして随所にそうした生き方のヒントが提示される。印象的だった事例を記しておこう。「今までの慣例を壊していくと必ず、後ろ指をさされたり、批判されたりする。(略) いいのだ。どんなにいいことをしても、批判する人がいていい。だが、その口を封じてはいけないのだ」「打たれ強い『出る杭』になることが、今の日本で生きていくためには大事。(略)打たれた時の弱さも、つらさも、さらけだしてしまえばいい。杭は徐々にたくましくなり、打たれても打たれても、負けない杭になる。『別解力』のある生き方や△に生きる生き方は、一つのイズムに自分をがんじがらめにしない生き方である。がんばるだけでは、もろくて、壊れやすい。ところどころ、がんばらない生き方をしていると、ガラス細工のようではなく、鋼のように、柔かで強い『新しい人間』になる。」
 この作品からも多くの人生の味わいと生きるヒントをもらった。

 



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明日香 亮
プロフィール
山口は豊かな自然と歴史や伝統に育まれた街である。散歩道で目にする四季折々の風景や風物詩を綴ってみたい。
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