苦楽園太郎の兵庫お城探検

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筑波山麓 平将門を歩くI

<12月8日(月) 更新しました!>


 


今回は茨城県筑西市(ちくせいし)東石田にある平将門の伯父の平国香(たいらのくにか)の館跡を紹介したいと思います。一般に長光寺境内が館跡と言われていますが、はっきり特定されておりません。長光寺を訪れた時、お墓参りに来ていた年配の女性に館跡の場所を尋ねてみると別の場所を教えてくれました。そこは長光寺から歩いて4分位の場所でした。


いろいろな説があるので、振り回されないようにしなくてはいけません。なにしろ1000年以上も昔の出来事なので分からないのが当たり前なのですから。


 


 


 


畑の中に森がありました。ここが館跡だそうです。



 


 


 


館跡らしい雰囲気はたっぷりあります。



 


 


 


とても長閑な風景です。ここを訪れた時はぽかぽか陽気でした。その時の心地良さが今でも忘れられません。



 


次回は平将門の叔父の平良正の水守(みもり)の館跡を紹介したいと思います。


更新は随時とします。




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筑波山麓 平将門を歩くH

<12月1日 更新しました!>


 


今回は平将門の最後の本拠地となった茨城県坂東市岩井にあります石井(いわい)の館跡を紹介したいと思います。写真にある島広山(しまひろやま)というのは,昔は地名だったのですが,今は失われております。この島広山に館があったと言われています。インターネットの地図には載っておりません。坂東市のホームページでやっと見つけましたが簡単な地図だったので分かりにくかったです。館跡の場所は特定されておらず、いろいろな説があります。


 


 


 


「伝平将門営所跡 島広山」と書かれた案内板です。国王神社に車を止め歩いて3分位の場所にありました。住宅地の中にあって少し分かりにくいです。人は少ないです。


※営所とは兵が居住している場所のことを言います。



 


 


 


館跡の公園です。とてもきれいに整備されています。



 


 


 


公園内にある「石井営所跡」の石碑です。



 


 


 


反対側にかわいい駐車場がありました。2台駐車できます。小さな気配りがうれしいです。


 


 


 



 


次回は筑西(ちくせい)市東石田にある平国香(たいらのくにか)の館跡を紹介したいと思います。


更新は随時とします。



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筑波山麓 平将門を歩くG

<11月25日(水) 更新しました!>


 


今回は堀越の渡しの戦いが行わた結城郡八千代町仁江戸(にえど)を紹介したいと思います。鬼怒川の流れが美しく、とても雄大でした。今でも忘れる事ができません。こんな素晴らしい場所でジョギングができたら幸せと思い、思い出作りにジョギングをしてしましました。不思議な事にいくら走っても疲れないのです。美しい風景が神経を麻痺させたのかもしれません。


 


(堀越の渡しの戦いとは)


子飼いの渡しの戦いで敗れた将門は、堀越の渡しに陣を張り、叔父の平良兼に戦いを挑みます。しかし、戦前に病(脚気と言われています)のため落馬し退却します。またもや戦わずして敗れ去ります。


 


 


 


堀越の渡しがあったとされる仁江戸付近です。



 


 


 


土手に咲く彼岸花です。彼岸花の神秘的な赤い色が、草木の中で映えていました。



 


次回は将門の最後の本拠地となった坂東市岩井にある石井(いわい)の館跡を紹介します。


更新は随時とします。



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 この仁江戸は高台にあり、古墳や板碑、古代住居跡など八千代町では最も遺跡が多い場所です。この集落には「御所神社」という将門ゆかりの神社もありますし、「桔梗伝説」=将門の側室の桔梗が敵側に寝返ったため、つい最近まで桔梗は植えてはならない、箪笥などの桔梗の家紋ははがす・・などの風習があったようですhttp://www.asahi-net.or.jp/~np4m-hrok/masakado.htm
 

[ 湯本 ] 2015/04/19 1:07:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

湯本さん、コメントありがとうございます。

湯本さんからのコメントに、今、気がつきました。
気がつくのが遅れて申し訳ございません。

仁江戸で見た、彼岸花の美しさは今でも忘れられません。
仁江戸は遺跡が多い地区だったのですね。
桔梗伝説の風習の件には驚きです。

明るい雰囲気の楽しそうなHPを開いていらっしゃいますね。
楽しく勉強させていただきます!

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/05/08 23:56:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

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筑波山麓 平将門を歩くF

<11月23日(月) 更新しました!>


 


今回は平将門が石井(いわい)の館に移るまでの本拠であった鎌輪(かまわ)の館跡を紹介したいと思います。館は現在の下妻市鎌庭(かまにわ)にあったと言われています。子飼(こかい)の渡しの戦いで将門が、叔父の平良兼に敗れた時に焼かれてしまったとも言われております。


 


 


 


なかなか館跡を見つけることができず苦労しました。現在は香取神社になっています。周りは畑と住宅に囲まれています。境内の写真は直接関係ないので撮っておりません。



 


 


 


史跡「平将門公鎌輪之宿址案内」と書かれた案内板です。



 


次回は堀越の渡しの戦いが行われた仁江戸(にえど)付近を紹介したいと思います。美しくて雄大な鬼怒川の流れが忘れられません。


更新は随時とします。


 


 



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筑波山麓 平将門を歩くE

<11月17日(火) 更新しました!>


 


今回は小飼(こかい)の渡しの戦いの舞台になった小貝川愛国橋付近を紹介したいと思います。下野国府跡には時間的に余裕がなく行くことができませんでした。


 


(下野国境の戦いとは)


川曲(かわわ「)村の戦いに敗れた平良正(たいらのよしまさ)は、兄の平良兼(たいらのよしかね)に助けを求めます。良兼は下野にて二千の兵を集め、将門の本拠石井(いわい)を目指します。将門は良兼・良正連合軍が石井に向かっているとの情報を得ます。しかし、わずか百の兵力で大軍を相手にするには、石井での合戦は不利と見て、下野国境にて良兼・良正連合軍を待ち伏せし奇襲する作戦に出ます。将門の作戦は成功し大勝利します。良兼・良正は下野国府に逃げ込み、将門は国府を包囲します。しかし、将門は「これ以上、叔父達と争いはしたくない。また、戦になれば下野国府に迷惑が掛かる」との考えから国府の囲みを解き良兼・良正を逃します。


 


(小飼の渡しの戦いとは)


将門に恥をかかされたと復習に燃える良兼・良正は、将門の祖父である平高望(たいらのたかもち)と将門の父である平良将(らいらのよしまさ)の肖像画を合戦に利用することを画策します。小飼の渡しに陣を張った良兼・良正は軍の前に肖像画を掲げ将門を威圧します。二つの肖像画を見た将門は「祖父・父の肖像画とは戦うことはできない」と退却し戦わずして敗れ去ります。


 


純粋すぎる将門の性格を利用した叔父達の卑劣な作戦。許せ〜ん!


 


 


 


子飼の渡し跡です。愛国橋付近にあったと言われています。向こうに見えるのは筑波山です。すばらしい風景でしょう。



 


 


 


愛国橋から見た子貝川です。川の名前から小さな川と思い込んでいたのですが、思っていたよりも大きな川だったのでびっくりしました。将門関連の本にはよく出てくる川です。



 


次回は将門の本拠があった鎌輪(かまわ)の館跡を紹介したいと思います。


次回の更新は11月23日(月)の予定です。



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筑波山麓 平将門を歩くD

<11月16日(月) 更新しました!>


 


今回は川曲(かわわ)村の戦いが行われた関本分中(せきもとわけなか)を紹介したいと思います。川曲という地名は現在失われており、場所が特定できていません。しかし、川曲という文字から鬼怒川が大きく曲がっている場所ではないかと推測できます。そこで二つの説が誕生します。ひとつは今回紹介する関本分中付近という説と、もうひとつは前々回紹介しました野爪(のつめ)付近という説です。どちらも鬼怒川が大きく曲がっている地域です。今回は関本分中を選びました。


将門関連の本を読んでいるといろいろな説に遭遇しますが、それらの説に振り回されずに、自分なりの説を持ち研究していきたいと思っています。


 


(川曲村の戦いとは)


将門の叔父である平良正(たいらのよしまさ)は野本の戦いで討死した兄の平国香(たいらのくにか)と姻戚関係である源護(みなもとのまもる)の息子達の仇を討つため、川曲村にて将門と戦いますが敗れます。水守(みもり)に逃げ帰った良正は兄の平良兼(たいらのよしかね)に助けを求めます。


 


 


 


関本分中付近から見た筑波山です。高い建物がなく、広々とした、とても素晴らしい風景です。



 


 


 


この先、土手の道が大きく右に曲がっています。地図を見れば鬼怒川が一番大きく曲がっている地域です。遠く日光の山々が見えます。中央の山は男体山です。



 


 


 


カーブの頂点から北側を望みました。右側が関本分中です。ここに川曲村があったのでしょうか?もしこの地域ならば、合戦場所が将門の本拠石井(いわい)から北へ直線距離で約20Km、平良正の本拠水守から北西へ直線距離で17Kmと、両者の本拠から遠く離れた地域で行われた合戦ということになります。



 


次回は小飼(こかい)の渡しの戦いが行われた小貝川愛国橋付近を紹介したいと思います。


次回の更新は11月17日(火)の予定です。



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筑波山麓 平将門を歩くC

<11月9日(月) 更新しました!>


 


前回は野本の戦いが行われた野爪(のつめ)・桐ヶ瀬(きりがせ)を紹介したした。今回も同じく野本の戦いが行われた赤須(あかす)を紹介したいと思います。また、私が将門関係で初めて購入した本と西宮芦屋研究所員さんから紹介されました村上春樹氏の「将門記」の本も紹介したいと思います。


 


 


 


赤須の地名標識です。



 


 


 


なかなか人と遭遇しません。時間が止まっているような錯覚が起ります。



 


 


 


赤須集落センターから鬼怒川方面を見た風景です。なぜか気に入っている1枚です。むこうに見えるのは鬼怒川の土手です。



 


 


 


BOOKOFFで購入した童門冬二(どうもんふゆじ)氏の「平将門」です。BOOKOFFによく行くのですが、100円の本ばかり買っています。100円の本を購入すると、なんだか得をしたような気がするのです。この本は100円ではありませんが、どうしても将門関係の本が欲しかったので、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入しました。450円だったかなぁ・・・。



 


 


 


西宮芦屋研究所員さんから紹介いただきました村上春樹氏の「将門記」です。あの「ノルウェイの森」を書かれた村上春樹氏ではありませんよ。でも、実は私はそう思っていました。「物語を歩く」がキャッチフレーズの本です。実際に著者が物語に沿って、現場に足を運んで書かれているため、歴史小説と比較してかなり説得力があります。私こんな本だ〜いすき。また、少し読みにくい漢字にはルビが振られているので、漢字を大の苦手とする私にはたいへん助かりました。物語を楽しむというよりも、物語を研究したい人向けの本ではないでしょうか。将門の舞台を散策したい人には必読の本です。



 


次回は川曲(かわわ)村の戦いが行われた関本分中(せきもとわけなか)を紹介したいと思います。


次回の更新は11月16日(月)の予定です。


 


 



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筑波山麓 平将門を歩くB

<11月2日(月) 更新しました!>


 


今回は野本の戦いが行われた場所を紹介したいと思います。将門記(しょうもんき)にある野本という地名は現在失われており場所がはっきりしていません。今回は野爪(のつめ)・桐ヶ瀬(きりがせ)・赤須(あかす)付近ということにさせていただきます。


 


(野本の戦いとは)


京都で官位を得ることができず、故郷へ戻った将門を待ち受けていたものは土地争いでした。留守中に自分の土地が伯父の平国香(たいらのくにか)・叔父の平良兼(たいらのよしかね)・叔父の平良正(たいらのよしまさ)に奪われていたのです。それに伯父達と姻戚関係にある源護(みなもとのまもる)も関係していたことを知ります。将門は伯父達に話し合いを求めますが相手にしてもらえません。将門追放をたくらむ伯父達の執拗な嫌がらせに、本拠を鎌輪(かまわ)から岩井に移しますが、嫌がらせは続きます。そして、遂に野本の戦いが起こります。この合戦で将門は平国香と源護の三人の息子を討ち取ります。この合戦を皮切りに承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱へ突入していきます。


 


 


 


野爪の地名標識です。



 


 


 


野爪は野本の戦いが行われた場所ではないかという説がありますが、川曲(かわわ)村の戦いがあった場所ではないかという説もあります。いろいろな説がありますが、振り回されずに、のんびりと自分なりに研究して楽しみたいです。


澄み切った青空とのんびりした風景が広がります。



 


 


 


桐ヶ瀬(きりがせ)の地名標識です。



 


 


 


平将門関連の本を読んでいると、野爪・桐ヶ瀬・赤須という地名はよく出てきます。


とにかく長閑です。ゆったりと時間が経つ感じがします。



 


次回は野本の戦いが行われた場所である赤須(あかす)を紹介したいと思います。


 


次回の更新は11月9日(月)の予定です。



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 また失礼します。桐が瀬、野爪は南北朝時代の「常陸合戦」の駒城攻防戦が行われた場所でもありますが、最近は「下妻温泉」ができ、さらに分譲地までできまして、かつての風景は変わっております。下妻温泉は埼玉・千葉県からも来る方も多く、蕎麦も美味・・宿泊もできたはずです。また訪問されましたら、ご入浴を!

[ 湯本 ] 2015/04/19 1:13:32 [ 削除 ] [ 通報 ]

実は、茨城県を訪れた時は、夜は毎日ビアスパークでお風呂に入って、その日のうちに明日の散策予定地に行って車内泊し、翌日朝一から活動することにしていました。
ビアスパークでは、特に、釜風呂と露天風呂が良かったです。
千葉県市川市に住んでいる小学校3年生から付き合っている親友と将門の遺跡巡りをした時も 「下妻温泉」 で入浴しました。親友もはビアスパークが大好きです。

私は、いろいろな温泉施設に行きましたが、兵庫県朝来市山東町の 「よふど温泉」 と 「下妻温泉」 は、個人的には一番お気に入りの温泉施設です。
今は、家事や仕事で忙しく、なかなか茨城県には行けませんが、子供に手がかからなくなったら訪問したいです。
最近も妻に、 「茨城県が呼んでいる〜」 と言ったばかりです。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/05/09 0:14:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

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筑波山麓 平将門を歩くA

<10月26日(月) 更新しました!>


 


今回は茨城県常総市向石下(むこういしげ)にある平将門の父、平良将の居館跡を紹介したいと思います。将門の生まれた場所にはいろいろな説がありますが、やはり父の居館である豊田館が有力だと思います。


将門探検で一番最初に行った場所だったのですが、なかなか見つけることができず苦労しました。初っ端からの苦労に、先が思いやられる気がしました。人に尋ねようにも人が見当たりません。最後は根性で見つけました。とにかく道が狭く、神戸ナンバーの軽自動車が狭い道をウロウロしているのを、地元の人に怪しまれないかと心配でした。でも、このような苦労はとても良い思い出になります。苦からは良い思い出が生まれますが、楽からは良い思い出は生まれません。


 


 


 


「休憩所将門公苑」として整備されております。とても小さな公園です。地元の人が掃除をされていて、とてもきれいです。



 


 


 


この日は天気が良く、ぽかぽかと気持ちが良かったです。とても、のんびりした雰囲気で、「平和だなぁ〜」と感じました。



 


 


 


公園の案内板には館跡の図が書かれていました。館の周りは土塁で囲まれており、かなりの規模の館だったことが分かります。今は宅地化され遺構は見られません。「休憩所将門公苑」は館跡のほんの一部でしかありません。



 


 


 


筑波山の写真をたくさん撮りましたが、一番気に入っている写真です。それにしても美しい!



 


次回は野本の戦いが行われた野爪(のつめ)・桐ヶ瀬(きりがせ)・赤須(あかす)を紹介したいと思います。とても長閑な風景です。


 


次回の更新は11月2日(月)の予定です。


 


 


 


 


 


 



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筑波山麓 平将門を歩く@

シルバーウィークを利用して、茨城県筑波山麓に平将門の居館跡や合戦城跡を訪ねてきました。1000年以上も昔の出来事で、当時の地名も失われており、地元の人に聞いても分からない状態でした。今までの経験が通用せず、かなり苦労しましたが、なんとか最低限度納得できる状態で帰ってくることができました。事前に十分な勉強をしたつもりでしたが、1000年以上昔の出来事であることと、兵庫県から遠く離れた場所での探検を考えれば、もっと勉強してから行くべきだったと反省しております。もっと勉強して、来年も将門探検をしたいと思っています。


では、平将門の生涯と私が訪れた場所を簡単に紹介します。


 


<平将門の生涯>(○●は合戦の勝敗)


904年  平将門生まれる<父、平良将の居館豊田館>


918年  官位を得るため京都に上る


930年  官位を得ることができず、故郷(鎌輪)へ帰る


       伯父の平国香、叔父の平良兼、叔父の平良正に土地を奪われて


       いたために対立


       国香達の執拗な嫌がらせにより、本拠を鎌輪から岩井に移す


935年 ○野本の戦い<平国香と源護と戦い、国香と護の三人の息子を討


      つ>


     ○川曲(かわわ)村の戦い<平良正を破る>


936年 ○下野国境の戦い<将門が百の兵力で良兼・良正軍二千を破る>


937年 ●小飼(こかい)の渡しの戦い<良兼・良正軍に敗れる>


     ●堀越の渡しの戦い<良兼・良正軍に敗れる> 


     ○羽織(はとり)・弓袋(ゆぶくろ)峠の戦い<良兼軍を破る>


     ○石井(いわい)の館の戦い<良兼の夜襲を受けるが撃退>


938年 ○信州千曲川の戦い<国香の子、平貞盛を破る>


     ○常陸国府の戦い<平貞盛・平為憲を破る>


      常陸国府制圧


      下野国府制圧


      上野国府制圧


      上総国府制圧


      下総国府制圧


      安房国府制圧


      相模国府制圧


      伊豆国府制圧<坂東八カ国を制圧>


940年  朝廷が平将門の追討命令を出す


      征夷大将軍藤原忠文が坂東へ出発


      平貞盛・藤原秀郷が藤原忠文の到着前に将門に戦いを挑む


     ●川口村の戦い


     ●将門最後の戦い=北山の戦い<こめかみを射抜かれ戦死>


 


<訪れた場所>


※平将門に関してはいろいろな説があり、はっきりと場所が特定されていない場合が多く、だいたいこの付近もしくは説の一つという解釈でお読みください。


★印の場所は、私が現地で土塁等を確認して、場所の特定ができた所です。


 


 1.将門誕生の地、将門の父、平良将の居館跡<★常陸市向石下(むこういしげ)>


 2.将門の鎌輪(かまわ)の居館跡<下妻市鎌庭(かまにわ)付近>


 3.伯父の平国香の居館跡<筑西(ちくせい)市東石田付近>


 4.叔父の平良兼の居館跡<★桜川市真壁町羽鳥(はとり)>


 5.叔父の平良正の居館跡<★つくば市水守(みもり)>


 6.野本の戦い<結城郡八千代町野爪(のつめ)・下妻市桐ヶ瀬(きりがせ)・下妻市赤須(あかす)付


  近>


 7.川曲村の戦い<筑西市関本分中(せきもとわけなか)付近>


 8.小飼(こかい)の渡しの戦い<下妻市大園木(おおぞのき)子貝(こかい)川愛国橋付近>


 9.堀越の渡しの戦い<結城郡八千代町仁江戸(にえど)付近>


10.服織(はとり)・弓袋(ゆぶくろ)峠の戦い<桜川市真壁町羽鳥(はとり)>


11.将門の石井の居館跡<坂東市岩井付近>


12.常陸国府の戦い<★石岡市立石岡小学校内>


13.川口村の戦い<結城郡八千代町水口(みのくち)付近>


14.北山の戦い<坂東市辺田(へた)付近>


 


 


 


筑波山です。すばらしい!初めて見た筑波山に感動。



 


次回からは上記の私が訪れた場所を写真で紹介していきたいと思います。


次回の更新日は10月26日(月)の予定です。



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苦楽園 太郎
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土の城に心惹かれ44年。

遠き昔に想いを馳せ、ただ、何も考えずに、苔むした城跡と同化する。

それが私にとって至福の時なのでございます。

このブログで、私が至福の時を過ごした孤高の城達を紹介していきたいと思います。


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