苦楽園太郎の兵庫お城探検

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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平国香館A

<2010年11月29日(月) 更新しました!>


 


我が家には2台のパソコンがあるのですが、昨日、そのうちの1台がいきなり壊れてしまいました。すごく調子が良かったのに、なんの前兆もなく、いきなり壊れたのです。


私は「人間もこのようにして人生の終末を迎えるのかなぁ」としんみりと思ってしまいました。健康診断でも大きな異常もなく、自分は健康だと思っていても、いきなり体調を崩し、あの世からお迎えが来る。このような出来事が、日本のどこかでたくさん起きているのではないでしょうか。また、病気以外の原因で死に直面する場合も多々あると思います。


平国香も若い将門にまさか負けるとも思っておらず、いきなり死に直面したのではなかったかと思われます。


「死を意識して生きる」 このような考えを持って生きていかなくてはいけない年齢になってきたことを自覚する今日この頃です。


 


 


 


今回も平国香(たいらのくにか)の居館跡を紹介したいと思います。平国香の館は茨城県筑西市東石田(ちくせいし ひがしいした)にある長光寺にあったと伝説されています。また、長光寺の北側400メートルの場所にある鹿島神社も館跡と伝説されています。


 


 


 


長光寺です。右側に平国香の案内板があります。



 


 


 


長光寺遠望。長光寺を西側より見た風景です。晴れていれば筑波山が大きく見え、素晴らしい風景が広がっているのです。



 


 


 


長光寺の北側の風景です。写真の中央にある森が鹿島神社です。


 



 


 


 


もう一つの館跡候補である鹿島神社です。



 


 


 


鳥居に鹿島神社と書かれています。



 


次回は平将門の豊田館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は12月6日(月)の予定です。


このブログで遠き坂東の風景を楽しんでいただければ幸せです。




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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平国香館@

<2010年11月22日(月) 更新しました!>


 


今回から平将門の伯父である平国香(たいらのくにか)の館跡を紹介したいと思います。場所は茨城県筑西(ちくせい)市東石田(ひがしいした)にある長光寺付近もしくは長光寺の北側400mの場所にある鹿島神社付近が館跡だと言われています。東石田は「ひがしいしだ」と呼ばず「ひがしいした」と呼びます。


935年に野本(場所は不明。 野爪のことか? 諸説有り )にて平将門は源護(みなもとのまもる)の3人の息子達と戦います。この戦いに勝利した将門は、源護と手を結んでいた平国香の東石田の館に攻め込みます。平国香はこの戦いで戦死し東石田の館は焼け落ちました。


 


 


 


東石田の交差点の東側を望みます。この日は霧雨が降っていました。晴れていれば筑波山が望めたのですが残念でした。



 


 


 


東石田と書かれています。



 


 


 


東石田の交差点の北側を望みます。



 


 


 


長光寺近くにある看板です。



 


 


 


長光寺の入口にある平国香の案内板です。



 


次回も平国香の館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は11月29日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平良正館A

<2010年11月15日(月) 更新しました!>


 


今回は平良正(よしまさ)館跡の中心部を紹介したいと思います。田水山(たみやま)小学校の運動場が館跡です。戦国時代は関東の名門である小田氏の枝城(水守城)として利用され、運動場の北側と南側には古墳を利用した櫓台が残っています。


935年、良正は、野本合戦で将門に討たれた兄の平国香(くにか)の仇打ちのため、軍勢を率い川曲(かわわ)村に向かってここを発ちました。


 


 


 


運動場の北側にある古墳には水守城の石碑がひっそりと立っています。



 


 


 


運動場の北側の風景です。



 


 


 


運動場の南側の風景です。



 


 


 


北側の古墳(櫓台)の全貌です。この小山の中に石碑が立っています。




 


 


 


南側の古墳(櫓台)の全貌です。



 


次回からは茨城県筑西市東石田にある、将門の伯父である平国香の館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は11月22日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平良正館@

<2010年11月8日(月) 更新しました!>


 


今回から茨城県つくば市水守(みもり)にある、平将門の叔父の平良正の館跡を紹介したいと思います。現在、館跡は田水山(たみやま)小学校になっており、周りはとても長閑な風景が広がっております。


935年に川曲(かわわ)村で平将門と平良正が戦います。平良正の館と平将門の本拠である豊田の館は直線距離は約11キロ程になります。


 


 


 


平良正館跡の全貌です。



 


 


 


館跡の南側の風景です。兵庫県では見られないとても高い鉄塔が遥か彼方まで続いています。銀林みのる氏の小説「鉄塔武蔵野腺」の映画の場面を思い出しました。



 


 


 


南側より館跡を望みます。



 


 


 


田水山小学校校舎です。



 


 


 


校庭を望みます。ここに平良正の館がありました。



 


次回も平良正館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は11月15日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台をたずねて 常陸国府跡A

<2010年11月1日(月) 更新しました!>


 


今回は常陸国府が眠っている茨城県石岡市総社の石岡小学校を紹介したいと思います。平将門の本拠地である石井(いわい)の館(茨城県坂東市岩井)からは直線距離で約40キロの場所にあります。939年に将門軍1000人は国府軍3000人を相手に戦い(合戦場所は不明)圧勝します。その後、将門は国府を包囲して降伏させています。この戦いを皮切りに将門は坂東八カ国を征服していきますが、また、自らの滅亡への道を歩み始めたことにもなりました。


 


 


 


西側から撮った常陸国府跡です。台地の上に常陸国府がありました。



 


 


 


角度を変えて撮りました。



 


 


 


台地の上にある石岡小学校です。この下に常陸国府が眠っています。



 


 


 


校舎の東側から角度を変えて撮りました。



 


 


 


同じく校舎の東側から撮った写真です。



 


次回は、平将門の叔父である平良正館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は11月8日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 常陸国府跡@

<2010年10月25日(月) 更新しました!>


 


今回から茨城県石岡市にある常陸国府跡を紹介したいと思います。JR石岡駅から西側へ1キロの場所にある石岡小学校(石岡市総社)が国府跡になります。ここは938年に平将門と常陸国府軍が戦った場所で、将門軍は数倍の国府軍を破り降伏させました。今も石岡小学校の運動場の下には国府跡が眠っています。


 


今回は常陸国府跡があるJR石岡駅周辺を紹介していきたいと思います。小京都でとても素朴な町です。中心街を少し外れれば田園風景が広がります。写真は朝の6時頃の石岡駅周辺の風景です。


 


 


 


JR常磐線の石岡駅です。






正面から撮った石岡駅です


 


 


 


石岡駅前の風景です。この道は駅前を西側へ延びる県道277号線です。この道の方向に国府跡があります。関東三大祭りのひとつである常陸國總社宮大祭( ひたちのくに そうしゃぐう たいしゃ )の期間中であったため露店がたくさん並んでいました。とにかくすごい露店の数なのです。こんな風景は今まで見たことがありません。祭りの期間はとても賑やかですが、祭りが終われば、もとの静かな小京都の町に戻ります。



 


 


 


石岡駅から県道277号線を西側に上がっていきます。緩やかな上り坂になっています。



 


 


 


500メートル程で国道355号線に突き当たります。写真は国府三町目付近の風景で、この道は石岡中心街を南北に延びる国道355号線です。



 


次回は常陸国府跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は11月1日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平良兼館A

<2010年10月18日(月) 更新しました!>


 


今回も平良兼の館跡を紹介したいと思います。茨城県桜川市真壁町羽鳥(はとり)にも平良兼の館跡があります。NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」や小説では、良兼は上総介であるので、本拠地はこの千葉県の横芝とされています。屋形四社神社が平良兼の館跡ならば、かなり広大な屋敷であったと思われます。


 


 


 


境内(平良兼館跡)を正面から撮りました。



 


 


 


屋形四社神社です。



 


 



 


境内にある屋形四社神社の案内板です。



 


 


 


平良兼の名があります。「良兼の館があったと伝説されている」と書かれています。


 


 


 


館跡から南へ約2キロ程で、有名な九十九里浜があります。波が高く、多くのサーファーで賑わっていました。



 


次回からは常陸国府の戦い(平将門と常陸国府軍との戦い)の舞台となった茨城県石岡にある常陸国府跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は10月25日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平良兼館@

<2010年10月12日(火) 更新しました!>


 


子供の行事等で忙しく月曜日に更新することができませんでした。申し訳ございませんでした。


 


今回から兵庫古城探検から少し離れまして、先月18日〜23日の間に平将門の遺構を訪ねて坂東に旅をしてきた写真を紹介したいと思います。平将門に関しては昨年、「筑波山麓 平将門を歩く」という題名で、このブログで紹介しましたが、今回の旅は、前回に回りきれなかった場所を訪ねての旅になりました。西宮市内にも平将門に興味を持たれておられる方々がいらっしゃると思います。遠き坂東に思いを馳せておられる方々に喜んでもらえるようなブログにしたいと思います。よろしくお願いいたします。


 


では第1回目は平将門の伯父であり、上総介(かずさのすけ=上総(現在の千葉県)の国の国司の次官という意味です)である平良兼(よしかね)の館跡を紹介したいと思います。場所は千葉県山武郡横芝光町屋形(さんぶぐん よこしばひかりまち やかた)にある屋形四社(やかたししゃ)神社が良兼の館跡と言われています。935年に良兼の弟である平良正(よしまさ)が、下総(しもふさ=現在の茨城県)の国の川曲(かわわ)村の戦いで将門に敗れます。良正は良兼に援軍を頼み、936年、ついに良兼は自ら兵を率いて、良正の館がある常陸(ひたち=現在の茨城県)の国の水守(みもり)を目指し、この地を発ちます。この館から水守までは、地図上では直線距離で60キロ程ですが、実際に良兼が行軍した距離はその倍以上ではなかったかと思われます。私も実際に車で走りましたが、かなりの距離感があり、走っても走っても到着しない感じがしました。


 


 


 


JR総武本線横芝駅です。この駅から南へ5キロ程の場所に屋形四社神社があります。駅の北側にも四社神社がありますので間違う可能性があります。私はしっかり間違いました。



 


 


 


屋形四社神社(平良兼館跡)です。ここから南へ2キロ程行けば九十九里浜です。



 


 


 


平良兼館跡を南側から望みます。



 


 


 


館跡の南側にバス停がありました。時刻表を見てびっくり、1日3本しかバスがありませんでした。



 


 


 


四社神社と書かれています。屋形地区にあるので屋形四社神社とも呼ばれています。



 


次回も平良兼館跡を紹介したいと思います。


次回の更新は10月18日(月)の予定です。


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苦楽園 太郎
プロフィール公開中 プロフィール
土の城に心惹かれ44年。

遠き昔に想いを馳せ、ただ、何も考えずに、苔むした城跡と同化する。

それが私にとって至福の時なのでございます。

このブログで、私が至福の時を過ごした孤高の城達を紹介していきたいと思います。


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