苦楽園太郎の兵庫お城探検

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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 下野国府A

<2011年2月7日(月) 更新しました!>


 


【物理的な死の準備】


最近の抗がん剤は、昔と比べると効果が期待でき、副作用も少なくなっているみたいです。その点は喜ばしいことなのですが、困ったこともあり、若い医師は、それらの薬に期待を持ち過ぎ、患者を頑張らしてしまい、患者に死の準備をさせることなく、亡くならせてしまうことがあるそうです。


患者の命を守ることは医師の役目ですが、患者に死の準備をさせることも医師の大切な役目ではないかと思われます。私の知り合いの女性で、夫が急に亡くなったため、夫名義の株券の処理等で苦労された方がいます。死への準備はどうしても精神的なイメージがありますが、物理的な処理が存在することも忘れてはならないと思います。


 


 


 


下野国府の案内板です。昭和54年に発見されるまで、場所は特定されていませんでした。国府の内郭の大きさは約90m四方あると書かれています。



 


 


 


国府跡にある模擬建築物です。これがなかなかいい雰囲気を醸し出しているのです。プチ平城京みたいです。



 


 


 


国府跡の南側の風景です。



 


 


 


西側の風景です。人の姿はまったくありません。



 


 


 


北側の風景です。あまりにもあまりにも長閑過ぎます。



 


次回は数々の有名な武将が往来した碓氷(うすい)峠を紹介したいと思います。


次回の更新日は2月14日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 下野国府@

<2011年1月31日(月) 更新しました!>


 


【テニスの試合初体験】


私は一昨年の10月からテニスを習っているのですが、これがなかなか、恐ろしいほど上手くならないのです。おまけに今、五十肩でヒーヒー言っているような状態なのです。このような私が初めてテニスの試合(初級のクラス)に出場しました。試合なんてまだまだ早いと思っていたのですが、いつも教えてもらっている女性コーチから「試合ってどんなものか分かるから出場しなさい」と言われ出場することになりました。試合形式はダブルスで、出場する生徒は全員コーチとペアを組みます。生まれてから50年、こんなに緊張し、必死になったことはありませんでした。私はその女性コーチとペアになりました。試合中はコーチに怒られてばかりでしたが、この年になって他人様から怒られることはなく、とても新鮮な気持ちになりました。面白かったのは試合中に、試合を中断して講義が始まることでした。試合中「私をなんとかして勝たしてやりたい」というコーチの気持ちがひしひしと伝わってくるのです。試合結果は3戦全勝でブロック1位だったのですが、決勝で上のクラスの1位のチームと試合をして負けて準優勝になりました。しかし、試合の結果よりも、私に初陣を飾らしてやりたいというコーチの気持ちがありがたくて、感謝でいっぱいになりました。「ありがとう、ありがとう」と何度ありがとうを言っても言いつくせないほど感謝の気持ちでいっぱいになったテニスの試合初体験の日でした。


 


 


 


今回から栃木県栃木市田村町(たむらまち)にある下野(しもつけ)国府跡を紹介したいと思います。下野とは栃木県の旧国名で、栃木県全土を含みます。936年、百余の平将門軍は数千の平良兼(よしかね)・良正(よしまさ)軍を下野国境(場所は不明)にて奇襲し勝利します。良兼・良正軍は下野国府に逃げ込み、将門軍は国府を包囲しますが、これ以上の叔父との戦いを避けたい将門は、国府の西側の陣を空け、良兼・良正軍を逃しました。その後、将門は良兼・良正軍に2度の惨敗を喫します。


 


 


 


素晴らしい田園風景の中に下野国府跡がありました。兵庫県にはこんな風景は存在しない!


まだ、この時は「あれが国府跡かなぁ?」と半信半疑の状態ででした。



 


 


 


下野国府跡の案内板がありました。この案内板を見てホッとしました。



 


 


 


だいぶん近づきました。私の全国長閑度ランキング1位はここに決定しました。



 


 


 


近づくにつれて、1000年前にタイムスリップしたような気になる光景です。



 


 


 


「ここは天国の入口?」と思うほど別世界にいるような気分になりました。「あ〜、あの建物に吸い込まれる〜」という感じなのです。


 


次回も下野国府跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は2月7日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 川曲

<2011年1月24日(月) 更新しました!>

 

【子育てと親の介護】

久しぶりに阪急電車に乗った時のことです。私は吊革につかまり立っていたのですが、私の前に座っている二人の50〜60歳位と思われる女性の会話が気になりました。ひとりの女性が「子供が親の面倒を見るのは当たり前よね」と相手に同意を求めているのです。同意を求められた女性も「そう、そう」とうなずいていました。親の介護を経験した人はそのような会話をしないと思います。親の介護をして苦労してきた人は、自分の子供には同じ苦労をさせたくないので、子供に依存しない生き方をするのではないでしょうか。今から40年以上も昔、私の母は10年間も寝たきりの両親の世話をしてきました。当時は今のような便利な紙パンツはなく、たいへんな苦労をしてきているのを私は見てきました。そのような大きな苦労を経験したため、現在、母は健康管理に十分な注意をしています。80歳を超えても歯は全部自分のものですし、毎日夙川駅までウォーキングしています。母は健康管理に留意し、私の世話にならないように努めているのです。

私は、親が子供の世話になることを悪いと言っているのではなく、そのことを当たり前にしてはいけないと思うのです。私は「親は子供の世話をするのが当たり前」だけれど「子供は親の世話をする必要はない」と思っています。親の介護のため、子育てがおろそかになってはいけないと思うのです。親の面倒(または介護)と子育てを両立させることは、あまりにも負担が大きすぎます。できるだけ健康管理には留意し、子供に依存しない自立した老人になりたいものです。

 

 

 

今回は川曲(かわわ)の戦いの舞台である茨城県結城郡八千代町新井にある川西地区運動公園付近を紹介したいと思います。この戦いは935年に平将門の叔父である平良正が、野本の戦いで将門に討たれた兄の国香の仇打ちのために行われた戦いです。この戦いで将門は野本の戦いに続いて勝利します。

現在、この戦いがあったとされる川曲の地名は失われています。いくつかの説がありますが、川曲という地名から見て川が曲がっている場所であることが想定できます。1年前に紹介しました「平将門 筑波山麓を歩く」では鬼怒川が大きく曲がっている筑西市関本分中(せきもとわけなか)付近を紹介しました、しかし、将門の居館(豊田とした場合)から北へ直線距離で15キロ、良正の居館(水守)からは北西で17キロで、両者の本拠地から、かなり離れており、どう考えても不自然です。また、鬼怒川ばかりに気を取られていますが、小貝川の可能性もあります。川が大きく曲がっている場所よりも、川が蛇行している場所の方が、川曲の地名にふさわしいようにも思えます。今回紹介する川西地区運動公園付近は昔は鬼怒川が流れていました。旧鬼怒川跡には小さな川が流れています。地図をみればすぐに分かるのですが、蛇行の仕方がすごいのです。ここに川曲村があったのでしょうか? ロマンが広がります。

 

 

 

川西地区運動公園の入口です。とても静かな公園です。

 

 

 

公園の南側の風景です。昔、ここに鬼怒川が蛇行してし流れていました

 

 

 

公園の南側の風景です。

 

次回は下野国府跡を紹介したいと思います。

次回の更新日は1月31日(月)の予定です。

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 兵庫からわざわざお越しいただきありがとうございます。またコメントさせていただきます。この河川改修関係の文献では 北海道大学名誉教授 地理学の堀淳一先生が JTB「旅」に連載したものをまとめた本に、現地での写真含めて載っておりますhttp://books.rakuten.co.jp/rb/1399764/ 八千代町図書館には以前リクエストしましたので、在庫あるはずです。 失礼いたしました

[ 湯本朋巳 ] 2015/01/04 18:26:47 [ 削除 ] [ 通報 ]

湯本さん、コメントありがとうございます。

「地図で歩く古代から現代まで 」千数百年の時を越えて、かつての道が、川が、眼の前に!地形図にひそむ忘れられた歴史の足跡(細くて長い遺跡)を探る・・・・・たいへん興味のある本です。
教えていただきありがとうございます。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/01/04 21:46:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 野爪

<2011年1月17日(月) 更新しました!>

 

今回は野本の戦いの舞台で有名な野爪(結城郡八千代町野爪)の風景を紹介したいと思います。

野本の戦い(935年)とは平将門と伯父の平国香(たいらのくにか)との合戦のことを言います。この戦いは坂東平氏である平国香と坂東源氏である源護(みなもとのまもる)の三人の息子が、将門を待ち伏せをして討とうとしたことから始まりました。この合戦で源護の三人の息子は討死します。この戦に勝利した将門は国香の館のある石田に攻め込み、国香を討ち、館を焼き払います。

現在、この野本の戦いの場所は特定されておらず、野爪か赤浜(筑西市赤浜)辺りではないかと言われています。ちなみに吉川英治氏の「平将門」では野本合戦ではなく野爪合戦と書かれています。

将門は待ち伏せされていたのですが、どこに行こうとしていたのでしょうか? もし合戦場所が野爪なら下野(しもつけ)国府が考えられます。赤浜なら平国香の館が考えられます。 赤浜で待ち伏せするなら、小貝川辺りでしょうか。いろいろ考えていると心がワクワクして、また、坂東に行きたくなります。

 

 

 

県道136号線です。案内板には野爪と書かれています。

 

 

 

南側の風景です。南側から北側へ順次写真を撮りました。

 

 

 

西側の風景です。中央の森が川曲(かわわ)の戦いで有名な川曲村があったと推定される川西地区運動公園付近です。写真を撮った県道から500m程西側にあります。

 

 

 

西側の風景です。

 

 

 

北側の風景です。

 

次回は川曲の戦いの舞台となった川曲村があったとされる川西地区運動公園付近(結城郡八千代町新井)の風景を紹介したいと思います。

次回の更新日は1月24(月)の予定です。

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 この集落出身で、山形大で日本史専攻しておりました。この田んぼを「古戦場」とはすこし言い難いと思います。理由は奈良時代に旧鬼怒川の河道を変えた後の河川跡を、昭和50年代に耕地整理した場所だからです。この田んぼの手前〜新井部落南に平安期集落跡がありますが断定できる確信ないですね。・・この川曲=川西地区南部のどこかなんでしょうが。 古戦場の話ついでに南北朝時代の「常陸合戦」は、この野爪、沼森、八丁、川向こうの「駒城」付近を含めて展開しています。失礼します

[ 湯本 ] 2015/01/04 18:14:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

はじめまして、湯本さん。

今、平将門のコーナーにコメントをいただけるとは思ってもみませんでした。
もう4年前になります。 今でも野爪の風景はしっかりと憶えております。
また、彼岸花咲く鬼怒川が今でも忘れられません。
 
貴重なご意見ありごとうございます。 勉強になります。
川西地区の上空写真を見れば、蛇行している旧鬼怒川らしきものが写っています。 その跡から野本合戦、川曲合戦の場所を想像し、遠き昔に想いを馳せる。歴史の醍醐味ですね。

常陸合戦が野爪辺りとはまったく存じておりませんでした。
ありがとうございます。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/01/04 21:39:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 椎尾の里

<2011年1月10日(月) 更新しました!>


 


今まで二度、自家用車で、茨城県へ将門関連の遺構を探し求めに行ってきました。その期間、何度も目的地が分からなくなることがありました。赤信号の間に地図を確認します。ふっと気付くと信号が青になっているではありませんか。私の前に停車していたはずの数台の車の姿はなく、雰囲気的に青信号になってからしばらく時間が過ぎているのが分かりました。恐る恐るバックミラーを見ると車が数台待っているではありませんか。こういうことを西宮市内でやるとクラクションの雨嵐ですよね。茨城県の人達はクラクションを鳴らさずに、運転手が気付くまでひたすら待ってくれるのです。このパターンを茨城県にいる間に何度も経験しました。それ以来私は茨城県のファンになってしまったのです。私の車が神戸ナンバーだからという説もありますが、私は茨城県民の人柄だと思っています。


 


 


 


今回はNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」に登場する、菅原道真公の三男である菅原景行卿が住まわれていた椎尾(しいお)の里(茨城県桜川市椎尾)の風景を紹介します。ドラマでは京都の生活に嫌気がさし、この地に移り住み、自ら田畑を耕し、民人から尊敬される人物という設定になっています。この地は筑波山の山麓にあり、ほとんどが田畑です。今回訪れた時はあいにくの雨でした。晴れていれば素晴らしい筑波山の絶景が眺められます。


 


 


 


関東鉄道バスの椎尾のバス停です。



 


 


 


椎尾の里を北側から南側へと順番に撮りました。



 


 


 


北東側の風景です。平良兼の館があった羽鳥の山々が遠望できます。



 


 


東側の風景です。写真右側の山が筑波山です。



 


 


 


南側の風景です。長閑な風景が広がります。



 


次回は野本の戦いの舞台となった野爪付近(結城郡八千代町野爪)の風景を紹介したいと思います。野本の戦いの場所は特定されておらず、野爪ではなく赤浜辺り(筑西市赤浜)ではないかという説もあります。吉川英治氏の「平将門」では野本合戦ではなく野爪合戦となっています。


次回の更新日は1月17日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平将門 鎌輪の館

<2011年1月4日(火) 更新しました!>


※更新が遅れて申し訳ございません。


 


あけまして おめでとうございます。


本年もよろしくお願いいたします。


 


今の日本は不景気で、国民が希望を持てず、生きていくのが辛い国になっています。普段から、自分が無宗教であることを自慢しているような人達までが、初詣で神社やお寺に足を運んでいるのではないでしょうか。その姿はあまりにも滑稽です。浄土真宗の開祖である親鸞聖人は宗教に奇跡を期待してはいけないと言っています。この様な世の中を作ったのは人であり、それを神や仏に救ってもらおうとは人間の身勝手ではないでしょうか。人間達が作った問題は人間達が解決しなくてはいけない。初詣の雑踏を天から神や仏が見て、我々人間達の身勝手さを笑っているような気がするお正月三箇日でした。


 


 


 


今回は平将門の本拠があったと伝えられる茨城県下妻市鎌庭(かまにわ)にある鎌輪(かまわ)の館跡を紹介したいと思います。館のあった場所は特定されておらず、香取神社辺りではないかと言われています。NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」では豊田の館と石井(いわい)の館は登場しますが、鎌輪の館は登場してきません。鎌輪の館跡は豊田の館跡の北4キロ程の場所にあります。


 


 


 


鎌輪の館跡(香取神社)を東側より望みます。写真の道は県道56号線です。



 


 


 


館跡(香取神社)を南側より望みます。



 


 


 


香取神社にある鎌輪の館跡の案内板です。



 


 


 


香取神社から東へ700m程の場所に下妻市役所千代川庁舎があります。その裏通りにも鎌輪の館跡の石碑があります。



 


 


 


「平将門公鎌輪之宿址碑」と彫られています。



 


次回はNHK大河ドラマで登場する菅原道真公の三男、菅原景行卿が住まわれていた茨城県桜川市真壁椎尾(しいお)の里を紹介したいと思います。


次回の更新日は1月10日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 現在の豊田地区

<2010年12月27日(月) 更新しました!>


 


小6の娘が「24日にクリスマス会を家でしたいから、友達を呼んでもいい?」と言ってきました。もちろん了承しましたが、友達の人数が当初よりもだんだん増えてきて、かなりの人数になってしまい、小さい家なので入りきれなくなるのではと心配しました。当日、私は料理を作ったり、ケーキを買ってきたりで、てんやわんやの大忙しだったのですが、娘の友達からかなりのパワーを貰ったようで、その日は疲れなかったのです。不思議だ! 娘の友達が料理を家に持って帰りたいと言い出し、数人のお子さんが自宅に持って帰りました。その後、娘さん達のお母さんからお礼の電話があり、ひとりのお母さんが「お父さんの作った唐揚げはプロ顔負けだ」と言ってくれたのです。50歳になっても褒められたら嬉しいんですね。料理がんばろうと思いました。その一言は私にとって最高のクリスマスプレゼントになりました。50歳になったおっさんでも褒められたら嬉しいのです。子供ならなおさらのこと。ちょっとしたことでも我が子を褒めてあげようと再確認したクリスマスイブでした。


 


 


 


今回は現在の豊田地区の風景を紹介したいと思います。現在の豊田地区(茨城県常総市豊田)は鬼怒川と子貝川に挟まれた小さな地域だけになってしまっていますが、将門の時代の豊田は今よりもはるかに広大な地域だったのです。


 


 


 


豊田地区にある常総市立豊田小学校です。



 


 


 


豊田小学校と書かれています。



 


 


 


豊田地区の北側の風景です。ほとんど民家がありません。



 


 


 


東側の風景です。この日は曇りでした。晴れていれば筑波山が望めます。



 


 


南側の風景です。



 


次回は平将門の鎌輪の館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は2011年1月3日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平将門 豊田の館B

<2010年12月20日(月) 更新しました!>


 


先週の15日(水)に放送された水谷豊主演の「相棒 season 9」の「ボーダーライン」はたいへん重い作品でした。


ある男性は、大学を卒業後、正社員として採用されず、派遣社員として働くが、派遣切り等で職を転々としていく。資格を取得しても実務経験がないという理由で採用されない。彼なりに努力するが道は開けない。そうしているうちに年齢を重ね37歳になってしまう。ついに婚約者にも愛想を尽かされ捨てられてしまう。社会的弱者となった彼を利用しようとして悪人達が近づいてくる。生きていくことに精一杯だった彼は名義貸しや連帯保証人等でお金を得ることになる。しかし、彼の名前が知られすぎたため、利用価値がなくなり、悪人達からも見捨てられる。日々、スーパーの試食コーナーをはしごして食いつなぐが、遂に限界が訪れ自殺をしてしまう。


今回のストーリーは、「犯人は人間ではなく社会だった」という設定だったのですが、これに近いようなことが今の日本のどこかで起きているのではないでしょうか。作品があまりにもリアルすぎて、私の心の中が分厚いダークグレーの雲に覆われてしまいました。生きながら地獄を味わう。「地獄というのは死後の世界ではなく、この世自体が地獄なのではないのか」と問いかけてくれる名作だったと思います。


 


 


 


今回も平将門の生誕の地と伝説されている豊田の館跡を紹介したいと思います。戦国時代は向石下(むこういしげ)城として使用されました。当時は館跡の西側に鬼怒川が流れていましたが、川の改修工事により、現在は館跡の東側に流れています。


 


 


 


豊田の館跡を西側から撮りました。館跡の最北端部分です。



 


 


 


中央部分です。



 


 


 


最南端部分です。



 


 


 


館跡付近を散策していたら、おもしろい発見がありました。将門川という川があったのです。将門川と書いて、しょうもんがわと呼びます。当時はここに鬼怒川が流れていました。



 


 


 


橋の名前は「はりつけはし」です。ゆったりと散策しているといろいろな発見があります。



 


次回から現在の豊田地区(茨城県常総市豊田)の風景を紹介したいと思います。


次回の更新日は12月27日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平将門 豊田の館A

<2010年12月13日(月) 更新しました!>


 


今回も平将門の生誕の地と言われる豊田の館跡を紹介したいと思います。1976年に放送されたNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」では、堀越の渡しの戦いで平良兼・良正軍に将門が敗れるまで、将門の本拠とされていました。この戦いで豊田の館が焼失し、将門は本拠を石井(茨城県坂東市岩井)に移します。石井は「いしい」と呼ばず「いわい」と呼びます。


 


 


 


館跡の公園(将門公苑)内には平将門の出陣風景がレリーフとして描かれています。描かれている山は筑波山です。



 


 


 


公園内にある館跡の石碑です。



 


 


 


館跡は、戦国時代は向石下(むこういしげ)城として使われていました。将門が描かれている石碑の裏には向石下城の図が描かれています。



 


 


 


館跡の西側の長閑な風景です。



 


 


 


館跡の西側に流れる将門川です。「まさかどがわ」と呼ぶのではなく「しょうもんがわ」と呼びます。昔、ここは鬼怒川が流れていました。現在の鬼怒川より西へ800m程の場所にあります。



 


次回も豊田の館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は12月20日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 平将門 豊田の館@

<2010年12月6日(月) 更新しました!>


 


最近、五十肩で腕が肩より上にまったく上がらなくなりました。日頃から運動をしていたのですが、そういうことは関係ないみたいです。運動していても五十肩になる人はなる、ならない人はならないらしいです。インフルエンザも同じで、予防接種していても、感染する人はするし、しない人はしないらしいです。まぁ、とにかく、なるようにしかならないということなのです。


 


 


 


今回から茨城県常総市向石下(じょうそうし むこういしげ)にある豊田の館跡を紹介したいと思います。この館は将門の父である平良将の館でした。将門生誕の地は茨城県の各地に伝説されています。なんと千葉県にもあるのです。しかし、自然に考えて父の館である豊田の館が生誕の地として妥当ではないかと思われます。


 


 


 


豊田の館跡の最寄り駅である関東鉄道常総腺の石下駅です。関東鉄道は茨城県下館市と取手市を結ぶ鉄道なのです。



 


 


 


豊田の館跡遠望。石下駅から西へ300m程の所にある鬼怒川と石下橋です。川向うの写真中央の森付近が豊田の館跡です。




 


 


 


豊田の館跡遠望。角度を変えて撮りました。




 


 


 


石下橋を渡って300m程行くと左側に「ママの店」(写真左の家)という小さなお店があります。このお店の角を左に曲がって奥まで(写真)行くと将門公苑があります。とにかく狭い道なのです。館跡の案内板などはまったくありません。1年前に初めて訪れた時は探すのにかなり苦労しました。


 


 


 


現在、豊田の館跡は将門公苑になっています。




次回も豊田の館跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は12月13日(月)の予定です。


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苦楽園 太郎イメージ
苦楽園 太郎
プロフィール公開中 プロフィール
土の城に心惹かれ44年。

遠き昔に想いを馳せ、ただ、何も考えずに、苔むした城跡と同化する。

それが私にとって至福の時なのでございます。

このブログで、私が至福の時を過ごした孤高の城達を紹介していきたいと思います。


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