苦楽園太郎の兵庫お城探検

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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて(最終回) 千曲川合戦B

<2011年3月22日(火) 更新しました!>


 


【日本沈没からの復活】


日本の政治は世界から軽蔑されるような末期的状態でした。国民にも日本がだんだんボロボロになっていくような気がしている人がたくさんおられたのではないでしょうか。まさしく日本沈没状態でした。しかし、今回の地震で世界のマスコミが暴動や略奪を起こさない日本国民を絶賛しています。また、日本国民に一体感みたいなものがでてきているような気がします。政府もよくがんばっていると思います。一昨日、テレビで数人のコメンテーターが政府の地震後の対処方法を批判していました。現地の苦労を知らない人が安易にそのような発言をしてほしくないものです。日本が復活しようとしている今、批判するのではなく建設的な発言をしていただきたいものです。今回の地震で多くの方々が亡くなられています。その方々のためにも、今回の地震を機に「世界から尊敬される日本を作れたらいいなぁ」と願っています。


 


 


今回は平将門と平貞盛とが戦った千曲川合戦場を紹介したいと思います。938年、京都へ逃れる貞盛を将門は追います。そして、この地で追いつき合戦になりました。しかし、将門は貞盛を討つことができず、2年後、反対に貞盛に滅ぼされます。


今回で「風と雲と虹と」の舞台を訪ねてを終了させていただきます。いろいろな方々からたくさんコメントをいただき深く感謝しております。次回からは元のスタイルである「苦楽園太郎の兵庫古城探検」に戻らさせていただきます。長い間、「風と雲と虹と」の舞台を訪ねてを見ていただきありがとうございました。


 


 


 


千曲川から上田市の中心街方面を望みます。この近くに信濃国分寺跡があります。合戦で信濃国分寺は炎上しました。おそらく合戦はこの付近で行われたと思われます。



 


 


 


長野新幹線の橋脚です。向こう岸は信濃国分寺跡がある国分地区です。



 


 


 


轟音とともに水しぶきが高く舞い上がっていました。今にも吸い込まれそうでした。



 


 


 


浅間山方面を望みます。写真左は浅間山の山裾です。



 


 


 


今回の旅はここが最後です。あ〜楽しかった。



 


次回は中世城郭ファンにはメジャーな此隅山(このすみやま)城址を紹介したいと思います。応仁の乱で有名な山名宗全の居城です。


次回の更新日は3月28日(月)の予定です。


このブログでお城の好きな人が増えたらいいなぁと思っております。




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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 千曲川合戦A

<2011年3月15日(火) 更新しました!>


 


 


この度、東北関東大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。


 


 


昨日は、地震で被災された人々のことが気にかかり、ブログを更新するパワーが湧きませんでした。申し訳ございませんでした。


 


宮城県沖地震はいつ起きてもおかしくなかった状態でした。この地方の人々は日頃から津波には気を配っていたはずですが、実際起こってみれば、人々の想像をはるかに超えたものでした。阪神地区にも今後大きな被害をもたらす地震が起こる可能性があります。西宮には10を超える活断層があり、この他にも大阪の上町断層・和歌山沖の南海トラフ・和歌山から四国にまたがる中央構造線など、都市を壊滅状態にする力のある活断層が存在します。南海地震も東南海地震と同時に起これば、今回の地震と同レベルの被害が起こる可能性があると思われます。


地震に関するテレビで、被災された方々のインタビューを見ていて「救援、援助が遅い!」「国の対応が悪い!」と怒声をあげたり、語気を荒げる人がいないことに気が付きました。冷静で前向きで自立心が強い人々が多いなぁと感心しました。遠い昔から何度も津波を経験し、それを乗り越えてきた人々の力強い遺伝子が、現在に引き継がれているように思えました。そのような人々が1万人も亡くなっているかもしれないとは残念で堪りません。


両親を失った小さいお子様がたくさんいると言われています。「二人くらいだったら引き取れるなぁ」と妻がポツリ。でも、心配しなくても子供達には津波などには負けない強い遺伝子が組み込まれていると思います。おそらく、この地方の人々は、地震からの立ち直りが早いのではないでしょうか。


 


 


 


今回は平将門と平貞盛とが戦った尾野山(おのやま)付近を紹介したいと思います。千曲川合戦で敗れた貞盛は尾野山に逃げ込み、尾野山にある孫台(まごだい)で再び合戦になったと丸子町誌に伝えられています。尾野山へはなかなか道が分からず苦労しましたが、地元の親切な人々のお陰で無事現地へ到着することができました。地元の方々は孫台が将門と貞盛の合戦場であることを知っていました。ネットで孫台について検索しましたが、紹介されておらず、結構貴重?な写真ではないかなぁと思っております。


 


 


 


尾野山のバス停です。この辺りの道は狭く、バスの大きさはマイクロバスではないかと思われます。



 


 


 


尾野山と書かれています。



 


 


 


尾野山のバス停から見た孫台です。あの山で合戦があったと伝えられています。



 


 


 


孫台の山頂です。山頂は斜めに削られていました。



 


 


 


孫台山頂からは遠くに浅間山が望めました。



 


次回(「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 最終回)は千曲川合戦場跡を紹介したいと思います。


次回の更新日は3月22日(火)の予定です。


このブログで遠き坂東の風景を楽しんでいただけたら幸せです。



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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 千曲川合戦@

<2011年3月7日(月) 更新しました!>


 


【ブラックジャックによろしく】


妻がBookOffで「ブラックジャックによろしく」という大人向けのマンガ本(全13巻)を1300円で買ってきました。佐藤秀峰さんが書かれた本で、手塚治虫さんの「ブラックジャック」とは関係がありません。マンガにはまったく興味がない私でしたが、食わず嫌いは良くないと思い、読んでみようと決心しました。ところがこれがとても面白かったのです。大学病院で勤める研修医の物語なのです。真面目な研修医が理想の医療と現実の医療との間でもがき苦しみ成長していく物語なのです。この本には現在の日本の医療が抱える問題点や闇の部分が赤裸々に描かれています。医師って世間で考えているような聖職ではない。「医師って何?」と考えされられる本でした。この本の読者は私のようなオッサンではなく、医大を目指している高校生が読んでほしい本だと思いました。また、子供の意思に関係なく子供を医師にしようとしているお母さん方にも読んでいただきたい本です。


 


 


 


今回は938年に行われた平将門と平貞盛との千曲川合戦の舞台を紹介したいと思います。場所は現在の長野県上田市にある信濃国分寺跡近くの千曲川付近と伝えられています。この合戦で信濃国分寺が炎上しました。千曲川合戦後、貞盛は尾野山(おのやま)の孫台(まごだい)に逃れ、そこでも合戦が行われたと伝説されています。結局、将門は貞盛を討つことができず、940年に藤原秀郷・平貞盛に滅ぼされます。


 


 


 


信濃国分寺跡にある案内板です。信濃国分寺跡は入場無料で大きな駐車場があります。



 


 


 


案内板に平将門と平貞盛の名前がありました。



 


 


 


国分寺跡はとてもよく整備されています。左側に写っているのは、しなの鉄道の線路です。



 


 


 


なかなか広くて、充分楽しむことができました。



 


 


 


発掘調査をしていました。テレビでは見たことがありますが、実際の発掘調査を見たのは初めてでした。



 


次回は「丸子町誌」に紹介されている孫台(まごたい)を紹介したいと思います。「丸子町誌」によると千曲川合戦後、貞盛が逃れたのが尾野山にある孫台で、ここでも合戦が行われたと伝えられています。孫台についてネットでいろいろ検索しましたが、今まで孫台の写真は紹介されておらず、結構、貴重な写真?ではないかと思われます。


次回の更新日は3月14日(月)の予定です。


このブログで遠き坂東の風景を楽しんでしただければ幸せです。



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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 碓氷峠B

<2011年2月28日(月) 更新しました!>


 


【こだわりってなに?】


知り合いに「自分は麺にこだわっていて、自宅で打った麺しか食べない!」と言っている人がいます。私は「この人は自分で麺を打つんだ。凄いなぁ。私にはできない。」と最初は思っていたのですが、よく聞くと奥さんに本を読ませて作らせているとのこと。「それってこだわり? ただのワガママじゃないの?」と思ってしまいました。こだわりとは自分一人だけのものにするべきであり、他人様(配偶者を含む)を巻き込んではいけないのではないでしょうか。 最近、私はこだわりをたくさん持っていると疲れてしまうような気がするのです。どうせ、こだわるなら「こだわらないことにこだわりたい」と思う今日この頃です。


 


 


 


今回は旧碓氷峠付近と旧軽井沢の風景を紹介したいと思います。今回から坂東を離れ信濃国に入ります。長野県に入る時、すごく淋しい気持ちになりました。


 


 


 


旧碓氷峠にある地面に埋め込まれている県境の案内板。左側が信濃国、右側が坂東になります。



 


 


 


旧碓氷峠から見える早朝の浅間山。とても雄大な風景です。



 


 


 


旧碓氷峠から下りると森の中に素敵な場所がありました。とても静かで何とも言えない雰囲気なのです。何も考えずにゆったりと散歩してみたい気持ちになりました。



 


 


 


軽井沢発祥の地と書かれています。



 


次回からは平将門と平貞盛が信濃国で戦った千曲川の合戦場を紹介したいと思います。なかなか貴重?な写真が撮れています。


次回の更新日は3月7日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 碓氷峠A

<2011年2月22日(火) 更新しました!>


 


体調不良で更新が一日遅れました。申し訳ございません。


 


【春病】


毎年この時期になると、なんやら訳の分からない病になります。「春病」と自分では言っておりますが、頭痛・微熱・だるさ・ボ〜となる症状が出ます。まだ寒いうちからこの症状が出ますので、誰よりも早く春の訪れを私は知ることができるのです(自慢)。また、同時に花粉症にもなるので、私にはたいへん辛い季節になります。四季を楽しむ季節としての春は大好きなのですが、肉体的、精神的には最悪の季節になります。二十歳代の頃にいくつか大きな病院を回りましたが、原因不明のまま現在に至っております。ところが、数年前、この時期に長野県に行ったことがあるのですが、春病が治ってしまったのです。妻にこのことを言うと「ただのワガママ病じゃないの?」と怒られます。「この苦しさを誰か分かって〜!」っていう感じなのです。もちろん春病なので冬には発症しないのですが、今から20年程前の12月に尼崎市立北図書館に行った時のことなのですが、暖房がよく効いていて最初は心地良かったのですが、30分位経ってから春病の症状が出始めたのです。結局、わざわざ電車に乗って武庫之荘まで行ったのに、30分で帰る羽目になりました。もしかして春病は温度が関係しているのではないか思われたので、その経緯を病院で説明しましたが、ドクターからは「分からない」の一言でTHE END。「誰か同じような症状を持つ人がどこかにいないかなぁ〜」と考える昨今です。


 


 


 


今回は旧碓氷(うすい)峠から見える上州(上野国の別名)の山々を紹介したいと思います。妙義荒船佐久高原国定公園にある妙義(みょうぎ)山の山々で、その姿はとても荒々しく絶景なのです。坂東下総国豊田から遠きこの地まで、平貞盛を追ってきた平将門は、この峠で同じ風景を見たのではないでしょうか。いや、貞盛を討つことのみを考え、感慨にふける余裕などはなかったのかもしれません。


 


 


 


上野国(現在の群馬県)から旧碓氷峠への旧中山道の長坂道の案内板。



 


 


 


旧碓氷峠付近にある旧中山道の長坂道



 


 


 


旧碓氷峠から見る上州妙義山の絶景



 


 


 


とにかく素晴らしいの一言なのです。


 


 


 


さらば、坂東



 


次回は旧碓氷峠から旧軽井沢付近の風景を紹介したいと思います。


次回の更新日は2月28日(月)の予定です。


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「風と雲と虹と」の舞台を訪ねて 碓氷峠@

<2011年2月14日(月) 更新しました!>


 


今回からは数々の有名な武将が往来した碓氷(うすい)峠を紹介したいと思います。この峠は信濃国(現在の長野県)と上野(こうずけ)国(現在の群馬県)の境にある峠で、中山道(江戸時代以前は東山道と呼ばれていました)の中でも最大の難所と言われていました。信濃国から見た碓氷峠は坂東の入口になります。現在の碓氷峠は国道18号線にあり、この峠の西側が長野県、東側が群馬県になります。ところが、昔の碓氷峠はここではなく、現在の碓氷峠から北へ直線距離で2キロ程の場所にありました。


 


938年、平将門は京都へ向かった平貞盛を追い、碓氷峠を越えました。そして、現在の長野県上田市国分(こくぶ)辺りで貞盛に追いつき合戦(千曲川合戦)になります。しかし、将門は合戦には勝ちますが、貞盛を討つことはできませんでした。この失敗は将門の人生に大きな影響を及ぼします。


 


 


 


現在の国道18号線にある碓氷峠(長野方面)です。この峠を越えると長野県です。峠を越えると目の前には雄大な浅間山がそびえ、軽井沢の風景が広がります。



 


 


 


旧中山道にある旧碓氷峠です。ちなみに写真に写っている車は、旅行時には私の宿泊施設にもなるタントです。



 


 


 


朝7時頃です。まだ、人の気配はありません。



 


 


 


ここに県境があります。



 


次回は旧碓氷峠の山頂からの風景を紹介したいと思います。とにかく妙義山の荒々しい山々が素晴らしいのです。


次回の更新日は2月21日(月)の予定です。


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苦楽園 太郎
プロフィール公開中 プロフィール
土の城に心惹かれ44年。

遠き昔に想いを馳せ、ただ、何も考えずに、苔むした城跡と同化する。

それが私にとって至福の時なのでございます。

このブログで、私が至福の時を過ごした孤高の城達を紹介していきたいと思います。


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