苦楽園太郎の兵庫お城探検

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八甲田山雪中行軍を歩くI

<鳴沢死の彷徨>

 

23日午後9時に露営を決定した青森歩兵第5連隊でしたが、隊員達は 「雪濠で動かずにじっとしていては寒くて朝までには全員が凍死する。雪濠を出て動いている方がまだいい」 と、雪濠を出ることを上官に伝えます。 山口大隊長は、最初は反対していましたが最後は要求をのみ、24日午前2時に露営地を出発し田代温泉をあきらめ、青森へ帰営することを決断します。


しかし、夜間の行軍のため帰路の発見ができず、隊は鳴沢の谷に突き当たります。

 

帰路を間違えたことに気がついた隊は露営地に引き帰えそうとしましたが、途中で佐藤特務曹長が 「田代温泉への道を知っている」 と進言し、山口大隊長は帰営することやめ、ふたたび田代温泉を目指すことを決断。 これが大参事の幕開けになります。

 

本隊は平沢森からの長い斜面を田代温泉へ下っていきますが、リングワンデリングに陥り駒込川本流に突き当ります。


隊は田代温泉を諦め、鳴沢を登っていき馬立場を目指すことにします。

鳴沢の谷を上流へ登っていきますが、崖に突き当たり左側の斜面(平沢森への急斜面)をはい上がることになります。 鳴沢第二露営地では、スコップがないため雪濠を掘ることができず、食料・鍋・薪等の物資がなく、空腹で立ったまま露営することになります。 おそらく、この斜面を這い上がる時に、スコップ・食料・鍋・薪等を運んでいた隊員達が次々と亡くなったと思われます。

同じ這い上がるのであれば、左側ではなく右側の斜面を這い上がれば中の森だったのですが・・・・・・。


 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅) → 平沢第一露営地 → 鳴沢死の彷徨 → 鳴沢第二露営地 → 中ノ森第三露営地

 

 

平沢第一露営地から北西に進み森を抜けました。

森の中では方向感覚が麻痺し、コンパスなしでは進むこともできません。

右の森の400m奥に平沢第一露営地があります。

傾斜しているのが分かりますか?

平沢森は台地になっており三方へと傾斜しています。

 

 

 

鳴沢の谷に突き当たりました。

向こうに見える台地は中の森です。

ここで帰路を間違えたことに気がついた隊は露営地に引き帰そうとしますが、佐藤特務曹長が田代温泉への道を知っていると進言します。

 

 

 

かなり下に渓谷がありますが、あれが駒込川本流です。

本隊は田代温泉を目指し、あの底まで坂を下りていきました。

 

 

 

駒込川本流です。

田代温泉に向かっていたはずが、リングワンデリングで方向を見失い、この駒込川本流に突き当たります。

隊は田代温泉をあきらめ、鳴沢の谷を登って馬立場を目指します。

 

 

 

駒込川支流の鳴沢渓谷です。

この渓谷を上流を目指し登っていきました。

あれだけ大きな鳴沢の渓谷なのに底はこんなに狭いのです。

 

 

 

渓谷は上流に行くほど狭くなっていきます。

 

 

 

青森歩兵第5連隊はこの崖に突き当たりました。

崖に突き当たった本隊は、左側の急斜面を登ることを決定。

元の露営地に戻り馬立場を目指そうとします。

右の斜面を這い上がれば中の森だったのですが・・・・・。

 

 

 

鳴沢の谷からはい上がってきました。

ここから再び馬立場を目指すことになります。

 

 

 

鳴沢の谷の急斜面です。 深部はほぼ垂直です。




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八甲田山雪中行軍を歩くH

<平沢第一露営地>

 

馬立場を経て田代温泉に向かう青森歩兵第5連隊でしたが、ソリ隊の遅れ(後方2`)が響き、この時点でやっとソリの放棄を決断します。

また、設営隊を田代温泉に先行させますが、リングワンデリング状態に陥り、先行しているはずの設営隊が本隊の後部に現れるような現象が起きます。

田代温泉への第二斥候の報告より、田代温泉をあきらめ、午後9時に露営を決定。

その場所がこの平沢森だったのです。

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅) → 平沢第一露営地 → 鳴沢死の彷徨 → 鳴沢第二露営地 → 中ノ森第三露営地

 

 

 

霧の平沢第一露営地です。

 

 

 

石碑が立っています。 

 

 

 

平沢第一露営地と刻まれています。

 

 

 

平沢第一露営地に草木が生えていない空間を発見。私はここを滞在期間中の基地としました。

夜は霧が深く、熊に遭遇する危険性もあるので車外に出ることはできませんでした。



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雪に埋もれていなくても迷ってしまいそうな
山深い神秘的な空間なのですね。。

[ サイバーアクセルの採用情報 ] 2015/08/25 9:36:57 [ 削除 ] [ 通報 ]

コメントありがとうございます。

確かに木々が高いので中に入ると東西南北が分からなくなります。

実際、何度も迷いコンパスを利用することになりました。

標高は決して高くないのですが、天候の変動が激しく、霧が立ち込めると、ますます方向感覚が麻痺してしまいます。

八甲田山は、兵庫県にはない神秘的な山でした。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/08/25 11:43:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

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八甲田山雪中行軍を歩くG

<馬立場(うまたてば)>

 

青森歩兵第5連隊は按ノ木森から中ノ森を経て馬立場を目指します。

馬立場は標高732mあります。

青森歩兵第5連隊の死の彷徨の最中、この馬立場こそ生死の鍵を握る重要なポイントになりました。

馬立場にはダテカンバの林がありますが、この木は1700m以上の高地に生息する木なのです。標高732mの馬立場にダテカンバの林があることは不自然なことなのです。馬立場は氷山とも呼ばれ、1700m以上の高地と同じ環境なのでしょう。


駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

銅像茶屋です。

夕方になると、どこからともなく霧が走るように出てきて写真のような状態になります。

写真右に私の車が見えますが、その奥の遊歩道を登っていくと馬立場です。

 

 

 

馬立場までの遊歩道の周りにあるダケカンバの林です。

 

 

 

霧の中を歩いて馬立場を目指します。

 

 

 

馬立場が見えてきました。

 

 

 

馬立場に到着しました。 霧が湧くように出ています。

 

 

 

馬立場に立つ後藤房之助伍長の像です。

総指揮官 神成文吉大尉の命令により、田茂木野村に救援要請に向かう途中に動けなくなり救助隊に発見されます。

命は取り止めましたが凍傷により両手両足を切断したと言われています。



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霧がかかって寒そうですね。
それにしても壮絶なお話です…。

[ 北本駅 美容室 ] 2015/08/24 5:36:35 [ 削除 ] [ 通報 ]

コメントありがとうございます。

滞在期間中、日中は涼しく、夜は肌寒い感じでした。

日中も霧がかかっていましたが、夜になると運転が困難になるほどの霧になりました。

夏でもこんなに天候の変化が激しいのに、真冬だと、どうなるか想像もできません。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/08/24 7:54:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

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八甲田山雪中行軍を歩くF

<按ノ木森 (やすのきもり)>

 

青森歩兵第5連隊210名は、賽の河原から按ノ木森を目指します。

東北では、森と山を同意義に用いるらしいです。 なので 「按ノ木森」 = 「按ノ木山」 ということになります。

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

按ノ木森です。

 

 

 

東北電力の巡視路があるので利用させてもらいます。

青森歩兵第5連隊210名もここを通ったのでしょう。

 

 

 

中腹まで登り振り返りました。

賽の河原方面です。

 

 

 

霧が出てきました。

 

 

 

 

あっという間に霧に囲まれました。

気温の低下がはなはだしく、かなりの恐怖心があります。

 

 

 

按ノ木森の山頂です。

青森湾を眺めたかったのですが、この霧では無理です。

 

 



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八甲田山雪中行軍を歩くE

<賽の河原>

 

大峠より先は、雪の量はますます増え、胸まで埋まり歩けなくなるほどだそうです。

小峠で遅れ気味だったソリ隊は、大峠ではますます遅れ、賽ノ河原に到着した段階では、隊は身動きとれない状態になったみたいです。

しかし、ソリを放棄するなどの対策をとることもなく、隊員は目も開けれないほどの地吹雪の中を進むことになります。

 

写真で見ての通り 「賽の河原」 と言っても河原らしきものはありません。

小説の中で、「村の若い者が田代温泉に行くと言って賽の河原で全員死んだ」 というのがありました。

厳冬期には、ここから先は生きて渡ることができない目に見えない 「三途の川」 があるという意味でつけられた地名ではないかと思いました。

昔から多くの人がここで命を落とされたのでしょう。

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

賽の河原です。

河原らしきものはありません。

冬になると、ここに目に見えない 「三途の川」 が現れるのでしょう。

 

 

 

歩いていると「賽の河原」 の石碑を発見しました。

草木に埋もれてなかなか分かりづらい残念な状態です。

車で走っていたら発見できないでしょう。

 

 

 

持ってきた鎌で草木を取り除き、県道からはっきり見えるようにしました。

はっきりと 「賽の河原」 と刻まれています。



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本当だ、賽の河原ですね。ひっそりと立っていて、注意しないと気づかないですね。これは貴重。

[ 北本の美容室おすすめクーポン ] 2015/08/22 2:39:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

コメントありがとうございます。

冬に、この場所を越えてはいけない。

越えれば、あの世に行くことになる。

注意喚起の意味もあるかもしれませんね。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/08/22 7:11:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

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八甲田山雪中行軍を歩くD

<大峠>


青森歩兵第5連隊は、吹雪の中での作戦会議で田代温泉を目指すことを決定し小峠を出発します。

途中、大峠という所を通過しますが、国土地理院の地図上では小峠から大峠まで約700mですが、車の走行距離で計測すると小峠の道路標識から大峠の道路標識までは約1300mでした。

峠とは一般的に 「山道を登りつめた所」 という意味ですが、小峠・大峠にはそのような所はなく、広い範囲でこの辺りが小峠、大峠という解釈でいいと思いました。

個人的な解釈ですが、雪の量が格段と増える所を小峠・大峠と呼んだのではないでしょうか。

 

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

大峠です。

小峠の道路標識から1300mの所にある大峠の道路標識です。

猛吹雪の中、隊はこの道を通り田代温泉を目指しました。

おそらくソリ隊の遅れが、すでに隊全体の負担になっていたと思われます。

しかも、大峠を超えると雪は胸まで埋まり歩けなくなるほどだそうです。

 

 

 

ズームしてみます。



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八甲田山雪中行軍を歩くC

< 小峠 >

 

小峠は青森歩兵第5連隊の生死を分けた場所です。

隊が小峠に到着する頃、天候が急変します。

風の急激な強まり・気温の急激な低下・猛吹雪などが隊に襲いかかります。

隊では、「青森測候所の予想通りの大暴風雪の前兆ではないのか」 「このまま田代温泉に進むか、それとも駐屯地に帰るべきか」 などの作戦会議が行われました。

しかし、このまま田代温泉まで行軍することが決定。 隊は破滅への道を歩んでいきます。

 

個人の感想ではありますが、真夏ではありましたが実際に歩いてみて、真冬に青森駐屯地から田代温泉までの道のりはかなり無理があるように思えました。

幸畑から田茂木野村までは緩やかな坂ですが、田茂木野から小峠まではきつく感じる坂になっています。

真冬ということで小峠に到着するまでには、隊員の体力はかなり消耗していたのではないかと思われます。

小峠からは格段と雪の量は増え、ますます坂も険しくなり,飛雪の壁が立ちふさがるなどで隊は窮地に追い込まれます。

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

小峠です。

 

 

 

天候の急変に見舞われ、この地で前進するか帰還するかの作戦会議が行われました。

 

 

 

冬は馬立場 (現在の銅像茶屋) まで通行止めになります。

写真にある鉄門でこの道は閉ざされます。

 

 

 

小峠にある道路標識です。

 

 

 

ズームしてみます。

 

 

 

昭和52年 (1977) にワーナーパイオニアから販売されたLP盤オリジナルサウンドトラックのレコードの表紙です。

表紙の写真は小峠で撮られました。

演奏は東京交響楽団で、壮大なスケール感を味わうことのできる曲です。

 

 

   

レコードの写真と同じ場所です。

 

 

 

小峠から見た青森湾です。

 

 

 

ズームしてみます。

遠く津軽半島が見えます。

これから先、青森湾を望めたのはこの場所だけでした。

滞在した期間、小峠から先の山中では霧が深く青森湾を望むことはできませんでした。

夏でも小峠から先は気候の変化が激しいと感じました。



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八甲田山雪中行軍を歩くB

< 田茂木野村 (たもぎのむら) >

 

幸畑陸軍墓地を発った青森歩兵第5連隊210名は現在の県道40号線を通り八甲田を目指します。

幸畑から田茂木野村まで約2.5`ほどですが、雪の量は増えソリ隊の遅れが目立ってきます。

隊は田茂木野村で遅れたソリ隊を待つために小休止します。

この時、村人が隊に 「案内人がいないと田代温泉には行けない」 と案内役を申し出ますが、隊はその申し出を断ったと伝えられています。

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

田茂木野村です。

この道を青森歩兵第5連隊は通りました。

厳冬期 (1〜2月) では田茂木野村より先、雪の量は格段と増えるそうです。

 

 

 

田茂木野村の入り口です。



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八甲田山雪中行軍を歩くA

<幸畑 (こうはた) 陸軍墓地>

 

今回は、明治35年1月23日 (1902) 青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発して最初に立ち寄った幸畑陸軍墓地 (現在の幸畑墓苑:青森市幸畑字阿部野163-4) を紹介します。

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

 

 

青森歩兵第5連隊210名は駐屯地を出発し八甲田に向けて、この道 (現在は県道40号線) を通りました。

途中、この幸畑陸軍墓地に立ち寄っています。

 

 

 

整備が行き届いて、とても緑が鮮やかな墓地です。

ここで、とても楽しそうにバーベキューをしている家族4人がいました。

 

 

 

お墓が見えてきました。

 

 

 

陸軍の境界を示す石だそうです。

 

 

 

陸軍用地と掘られています。

 

 

 

観光客はだれもいません。

とても静かな所です。

 

 

 

八甲田雪中行軍で亡くなられた199名の隊員のお墓です。

 

 

 

中央にあるのは、将校のお墓です。

将校とは少尉以上の階級です。



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八甲田山雪中行軍を歩く@

8月5日から11日にかけて青森県に行ってきました。

観光ではなく、八甲田山雪中行軍遭難事件の遭難現場をどうしても見たかったからです。

 

私が高校2年生の時に、父が 「八甲田山」 の映画を観に連れていってくれました。

映画を観た後の衝撃は今でも忘れられず、38年間の想いが叶い、この夏青森に行くことができました。

 

八甲田山雪中行軍遭難事件とは、明治35年、陸軍がロシアとの戦争の準備演習として、世界屈指の豪雪地帯である八甲田山にて雪中行軍を行い、天候悪化により200名近い遭難者をでした事件で、世界最大の遭難事故として有名です。

明治35年(1902)1月23日に出発し、いきなりその日に遭難してしまいます。

 

 

青森歩兵第5連隊の第1日目のコースは、

 

駐屯地 (現在の県立青森高等学校) → 幸畑陸軍墓地 → 田茂木野村 → 小峠 → 大峠 → 賽ノ河原 → 按ノ木森 → 中ノ森 → 馬立場 (現在の銅像茶屋) → 鳴沢 → 田代温泉泊 (現在はダム工事により消滅)

 

という予定でしたが、悪天候とそれによるソリ隊の遅れにより田代温泉にはたどり着けず、帰路を探し続け雪の中を彷徨い多くの犠牲者を出してしまします。

 

 

 

今回は、八甲田山雪中行軍遭難事件の主役となった青森歩兵第5連隊の駐屯地跡を紹介します。 現在は県立青森高等学校になっております。

 

 

 

県立青森高等学校の旧正門です。

青森歩兵第五連隊の駐屯地があった場所です。

明治時代の門柱は木製だったので、写真の門柱は当時のものではありません。

明治35年 (1902) 1月23日 6時55分 210名はここを出発します。

 

 

 

敷地内を時計回りで撮りました。

 

 

 

想像していたよりもはるかに広いです。

 

 

 

西宮にこんなに広大な敷地のある高校はありません。

 

 

 

当時、どのような施設があったのでしょうか。

 

 

 

それにしても広大な敷地です。



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「八甲田山死の彷徨」は出たとき直ぐに読みました。次に読んだのが「孤高の人」 

[ 笹舟倶楽部 ] 2015/08/18 9:17:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

私も高校3年生の時に、「孤高の人」 を読みました。

私のクラスでは、なぜか山岳小説が流行っており競って読んでいました。

[ 苦楽園 太郎 ] 2015/08/18 10:58:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

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苦楽園 太郎
プロフィール公開中 プロフィール
土の城に心惹かれ44年。

遠き昔に想いを馳せ、ただ、何も考えずに、苔むした城跡と同化する。

それが私にとって至福の時なのでございます。

このブログで、私が至福の時を過ごした孤高の城達を紹介していきたいと思います。


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