懐かしい西宮

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堅牢染?

歴史資料写真展から。

これは市役所本庁ロビーに飾られていた写真。


戦前の与古道町ですが、細い路地です。
いまこの場所は用海筋ですね。
風呂屋の看板に目が行きがちですが、よく見ると奥の方にお店が。
古川さんの染め物屋さんですね。
屋根の上の看板に「古川」という文字。
そして暖簾に、「印袢天…」「堅牢染」と読めます。

前を歩く人は、もしかしたら古川さんのお母さん?



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戦前の西宮の会社

ある人の昭和11年の日記帳がうちにある。
細かい字でぎっしりと書いてあって興味をそそる。
それは別として、この日記帳に色々と付録のページがある。
その中のこれは当時の会社のページ。


見てるだけで面白い。
ところが「西宮酒造」が用海町ではなく濱松原町になっている。これは?
昭和11年なら、用海町だと思うが。


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阿波屋や西宮土地株式会社など聞いたことのある名前や、恵美酒銀行など知らない名前、面白く読ませていただきました。

[ seitaro ] 2015/10/08 14:36:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん
この中で今も建物が残っているのは八馬汽船だけでしょうね。今は久保町になってますが当時は石在町だったんですね。

[ akaru ] 2015/10/08 15:19:06 [ 削除 ] [ 通報 ]

阿波屋は、現在の大手前大学の理事長福井家の会社で味噌屋やさんす。西宮食料品卸売市場(現在のドンキの場所)にも支店がありました。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2015/10/09 20:50:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

研究所員さん
鳴尾村の川西航空機も日本の近代史の上で貴重な存在ですよね。ここで働いていた人で御存命の人を知ってますよ。もう100歳近いですが、しっかりしてはります。

[ akaru ] 2015/10/10 8:41:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん
今日、偶然見た資料に「恵美酒銀行」のことが出ていました。
創立明治18年。西宮最初の銀行ということです。

[ akaru ] 2015/10/10 13:50:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

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戦前の用海小学校

常連さんの松本行史さんだが、大正15年のお生まれ。
ご自分では昭和元年だとおっしゃる。
90歳に近いが頭はしっかりしておられる。
この人、隣の用海小学校の卒業生。
それで今日、用海小学校100周年記念誌を見せてあげた。

その中のこのページにいたく感動された。
「懐かしい、懐かしい」を連発。
80年ほど昔の話を次々とご披露下さる。
学校の様子。地域の様子。
興味深いこといっぱいある。これは機会を見て録音させて頂かなくてはならない。
中で、「葛馬酒造」という言葉が出て来て驚いた。近所にあったというのだ。初めて聞いた。
今「宮っ子」用海版の編集長が葛馬さんだ。きっと関連があるのだろう。一度聞いてみよう。
それからこのページに載っている、昔の用海小学校の校歌。
歌詞は載っているが楽譜がない。曲がわからない。
用海小学校にも残ってないのでは?たしかそんなことを聞いた覚えがある。
ということで「歌ってみて」と頼んだ。すると、ちょっとだけ歌えた。これは録音させてもらわなくては、と思ったが、「いやや」と言って帰って行かれた。
また機会を見て…。



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そうなんですか。私の母も大正15年生まれですが、本人は決して昭和元年とは言いません。大正にこだわっております(笑)

[ さとっさん ] 2014/12/25 14:06:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

さとっさん
  この松本さんは未だに色気のある人で、女性好きです。オシャレさんです。少しでも若く見て欲しいんですね。男前ですし。

[ akaru ] 2014/12/25 23:30:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

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寛永通宝

地蔵さんの境内の土の中から寛永通宝が。


今でもたまに出土しますが、昔、わたしが子どもだったころは、土遊びをしていると人骨らしき骨のカケラと共によく出ました。
ここ「小墓圓満地蔵尊」が鎮座する所は昔、墓地だったところ。
ということで冥銭が埋まっているのですね。
ご本尊は寛政4年の建立ですから、220年前です。
この一文銭が実際に使われたのは明治中期ごろまでと言われていますが、三途の川の渡し賃としてはいつごろまで使われたのでしょうねえ?


地蔵さん
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六文銭が冥銭といわれていたとは知りませんでした。貨幣損傷等取締法が制定され(昭和22)、通貨を意図的に破損すると罰せられるようになった。とか、火葬における副葬品制限で炉内に金属を入れることが禁じられて...、とありますから地域によって違いますが、実際に埋葬に使われなくなったのは戦後でしょうか。お地蔵さんの境内のお墓はいつまで土葬だったのでしょう。

[ ふく ] 2012/11/15 22:21:23 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん その辺り調べてないのでよく分からないです。火葬はかなり昔からあったと思われます。これまでに骨壺が大量に出土してますので。しかも、随分昔に全て無縁墓になっていたようです。

[ akaru ] 2012/11/15 22:42:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大日本帝国

この焼印、スゴイですね。




時代を感じますねえ。


焼印
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今手元に資料がありませんので、いいかげんなことしかかけません画、西宮勝部重右衛門、酒造業で目神山から鷲林寺あたりの山林を殆どもっておられた方だと思います。その一族から絵師勝部如春齋がでていると思われます。

[ ふく ] 2012/11/01 14:55:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん へぇ〜〜〜、そうなんですか!調べれば色々分かるのでしょうね。

[ akaru ] 2012/11/01 15:41:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

検索いたしますと、西宮ブログ「夙川 苦楽園 松と桜の寄り道」を書かれていらっしゃる「gri」さまの2010年4月10日の甲陽園のあたりに、書いてありました。
griさま引用させて頂きました。失礼いたしました。

[ ロックウェル ] 2012/11/01 16:14:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

ロックウェルさん griさんのブログ、見ました。勝部重右衛門、豪商だったんですね。多分、酒造業だけではなかったのでしょう。市史には載ってるでしょうね。

[ akaru ] 2012/11/01 16:35:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

勝部姓は西宮に多いです。本家だけではなく遠い昔に分かれられたご一族もおられると思います。どちらのお家も名家は養子さんが継がれることが多かったりするのと、生業がなくなると地元にいる必要がなくなり、転居されるかたが多いので、公けにされた歴史のなかでは語られていないことも多く、簡単にアクセスできるエピソードがぐるぐると転用されることになって、残念です。市史を見てみましょう。

[ ふく ] 2012/11/02 8:03:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん たしかに勝部姓は多いですね。うちのご近所にもあります。

[ akaru ] 2012/11/02 8:16:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

信行寺さんはうちの町内ですが、おっしゃるように戦災に遭われて過去帳を焼失しておられます。『西宮物語』の大村利一さんもあれを書く時にそれでちょっと困られたような…。

[ akaru ] 2012/11/02 8:45:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

『酒造家名鑑 西宮郷・今津郷』藤田卯三郎さん著という本があるようですが、藤田卯三郎さんで検索すると郷土史家のようですが、この方ご存じですか。紡績会社のことについてもまとめられたようです。
http://www.nishi.or.jp/media/2011/furusato.geijutu.pdf

[ ふく ] 2012/11/02 9:21:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん<< 藤田卯三郎さん、わたし知りませんねえ。もしかしたら宮崎翁がご存知かもしれませんが。 

[ akaru ] 2012/11/02 9:59:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

『酒造家名鑑 西宮郷・今津郷』著者からいただきました。これを読んでびっくりしました、上記勝部重右衛門は曾祖母の兄のようです。

[ ふく ] 2013/07/20 19:13:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん
縁は異なものですね。なんかうれしいですね。

[ akaru ] 2013/07/20 19:51:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん
この焼印の持ち主を近々もう一度お訪ねしようと思っています。西宮文化協会の堀内陽光さんも同道の予定です。

[ akaru ] 2013/07/20 19:53:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

藤田さんは、この間のえべっさんの会で堀内さんからご紹介いただきました。なんですかたくさん自費出版されていて、切手や郵便がご専門のようですが、ものすごく西宮のお酒関係に詳しい方のようです。祖母の実家の酒屋のことが書いてあるとのことで読んでいましたら、祖父の母の兄が養子にいって何代目かの勝部重右衛門を名乗っていたらしいです。私もびっくりでした。

[ ふく ] 2013/07/20 20:28:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん
藤田さんという人、気になりますねえ。

[ akaru ] 2013/07/20 21:38:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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焼印の件。

焼印のことで誤解がありそうなので、もう一度。
先に上げた鳳凰など、砲金で作られた版は、菰の上に塗られた白い塗料の上に版を押すのですが、菰に直接押す焼印もあります。
これがそうです。↓


結構大きくて重いです。これは鉄です。
後ろは柄がついてます。


この鉄の柄にまだ木製の柄をつなぐそうです。そりゃ熱いですもんね。
下の写真の菰の右に押されているのがそれです。


茶色く焦げてます。と言っても、この菰は現在使われているもので、焼印を模した印刷でしょう。


焼印
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鳳凰など、砲金で作られた版とありますが、鳳凰とその後ろに写っている版は銅と云うよりも木に見えます。木に貼り付けてあるのでしょうか。つまり活字のようなものでしょうか? 確かに何回も使うのであれば、摩耗しない方がよいです。火にかけないなら鉄より銅の方がよいです。木版活字から銅版活字にかわっていくのと関係があるのでしょうか。火で熱く焼いて表面を焦がして色づけするものは鉄製でよいのでしょう。ということは前者は焼き型とはいわないのではないでしょうか。

[ ふく ] 2012/11/01 12:21:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん  鳳凰は木の板にネジでとめてあります。後ろの「大関」も砲金です。これらは凸版活字のようなものしょうか。次のページに書きましたように焼くものではありません。

[ akaru ] 2012/11/01 12:33:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

さきほど、浮世絵の木版は一つの版で200枚ほど刷るという話を聞きました。小紋の型染の紙は一枚で十領分ぐらいだそうです。日本は江戸期には木版活字が主流で、金属活字は明治以降のようです。

[ ふく ] 2012/11/01 15:01:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん 砲金なら、いくらでも刷れたでしょうね。

[ akaru ] 2012/11/01 15:44:06 [ 削除 ] [ 通報 ]

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酒樽菰印

昨日の堂本さん所有の焼印についてもう少し。
これもわたしは焼印だと思っていました。砲金で出来ています。磨けば金色に光ると。
この作り方を説明して下さいました。しかし堂本さんも当時は子ども。なかなか説明がうまく出来ません。というより、私がそのような現場を知らないので理解しにくいのです。
http://www.youtube.com/watch?v=rA1uxkmZgr4&feature=plcp


こんな繊細なものをどうして菰に焼くことができるのか?と疑問に思いました。
そしたら違ったのです。これは朱肉などのインクをつけて刷るのだと。
そしてこれを見せて下さいました。


見えるでしょうか?「日本盛」と中央にありますが、その両隣に鳳凰の絵が印刷されています。写真をクリックして見て下さい。上の砲金で出来た版と同じ図柄です。この菰は今も使われているもの。
藁でできた菰の上に何かが塗ってあり、その上に印刷されてます。昔もこのように使われたということでした。


焼印
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たしか白鹿酒蔵館に展示がありましたね。
白鷹禄水苑や西宮市立郷土資料館にはあったかなぁ?
またしっかり見ておきたいと思います。

[ にゃんこ ] 2012/11/01 9:17:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

菰に焼印を捺すと焼けてしまうのになぜ?なぜ?という疑問が消えました。尼崎の菰屋さんのお蔵にはこのような貴重なものがいっぱいあると、親方から聞きました。

[ やっこちゃん ] 2012/11/01 9:39:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

にゃんこ様
白鹿には酒蔵で使った灯明皿を寄贈されたと仰ってました。
焼印もそちらには有るようです。

[ akaru ] 2012/11/01 10:45:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

やっこちゃんさん 次のページにもう少し説明を書きました。

[ akaru ] 2012/11/01 10:46:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

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酒樽の菰の焼印

用海町の堂本秀雄さん宅を訪れました。
写真を写させてほしかったのです。
これです。

 


応接室のインテリアにされてますが、戦前の焼印です。
酒樽の菰に押すもの。

 


ご無理を言って、写真を多数撮らせて頂きました。
何年か前、この堂本さんを取材させて頂いた時に、この応接間に通されたのでした。そして私は驚いたのです。いつかまた写真を撮らせて頂こうと思っていました。それが今日実現したわけで。
本来は全て、注文主の酒造会社に納品される物ですが、何かの都合で残っていたものです。戦火を潜っていて、変形しているものもありました。
しかし見事な職人の技です。

みんな手仕事ですからねえ。堂本さんは先代まで、この酒樽の菰の焼印専門の鍛冶屋さんだったということで、秀雄さんは子どもの頃、フイゴ吹きを手伝わされたのだと。
動画も撮らせて頂きました。
http://www.youtube.com/watch?v=icZcWJZmm6Q&feature=plcp

まだ、倉庫にたくさん有るということです。
堂本さん「私が死んだら、これどうなるかと思ってます。息子は全然興味がなさそうで。どこか資料館へでも寄贈しようかと思いますが、もらってくれる所ありまっしゃろかなあ?」と。
わたし、「そらありますよ。こんな貴重な資料は捨てたらあきません」



酒樽
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これが先日から言われていた焼印ですね、りっぱなお仕事されていたんですね。

[ やっこちゃん ] 2012/10/31 17:56:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

すばらしい宝物ですね。こんないいものは納まるところに納まるでしょう。

[ だんご ] 2012/10/31 19:04:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

焼印だけでなく、砲金を使って印刷の版も作っておられたとのことです。これは細かい細工が施されています。三枚目の写真がそれで鳳凰の図柄ですが、この絵は今も使われています。もちろん今はこんな版を使ってはいないでしょうが。

[ akaru ] 2012/10/31 19:16:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

Imamuraさま
見事なものですね。 これは是非、資料館に保存しておくべきものでしょう。説明をして頂き、残しておかねば。貴重なものですね。残っていてよかったです。

[ ロックウェル ] 2012/10/31 22:08:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

ロックウェル様  普通なら戦時中に供出される物だったと思うのですがねえ。大砲の弾になってしまっててもおかしくないかと。

[ akaru ] 2012/10/31 22:12:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

本当ですね。残っているのが不思議ですが、守りとおされたのでしょうか。
もしかすると、ふくさまの探していらっしゃる「清光一」もあるかもしれませんね。

[ ロックウェル ] 2012/10/31 22:58:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

今度お会いしたらお尋ねしておきましょう。

[ akaru ] 2012/11/01 0:42:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

焼印といわれなかったら、インドネシアの更紗の形かと思ってしまいます。焼印は薯蕷饅頭のぐらいしか使ったことがないです。
上記の焼印、みつかるとうれしいです。一度酒造会館にいってみなくてはなりませんが、なかなかうかがえません。

[ ふく ] 2012/11/01 9:43:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ガスタンクと酒蔵

 お見えになったお客様から貴重な写真を見せて頂きました。そのうちの一頁をスキャンさせて頂きました。そのうちのごく一部を紹介します。大平様お許しくださいね。

 

 これは戦前でしょうか。よく見て下さい。前の左端の人が持つ物に「日本盛」の文字が。そして後方に昔のガスタンク。その手前に木造酒蔵。そして、タワーのように積まれているのは樽の材料になる木材ではないでしょうか。それとも木箱の材料?樽商さん、どうでしょうか?



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タイヘイレコード。

 この本を読んでいて気になる記述が。


1970年発行の『鏡』。


 わたしが生涯尊敬してやまない足立巻一先生の著書である。先生の大抵の著書はこれまでに読んでいるがこれはまだだった。先日尼崎の古書店「街の草」さんで購入したもの。


 以前、この西宮流で話題になったことがある、タイヘイレコードにちょっと関する記述が。


 「かれ(大下雲海)はそのころ西宮の今津にあったタイヘイレコードの専属作詞家になっており、その作詞したレコードを全部聞かせるつもりらしかった。」


 ここでいうそのころとは、戦前、昭和7年ごろのことである。まだ足立先生、二十歳前後の時代である。雲海はのち、情事のもつれから女に殺されたという新聞記事が出た…。とのこと。


 タイヘイレコードの専属作詞家としては妹尾太郎という人がある。後、写真家になった人。妹尾はまた、「神戸みなとのまつり」の「みなと音頭」の作詞者(これは公になっていない。ゴーストライターが書いたということになっている)。これについての詳細はちょっとここには書けない。



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