心はずっと0798

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ガキの頃の違和感

ヒーローが敵役を殺してしまうことが無条件な「正義」として賛美されているのが

なんか、イヤというのかなんでやねんという違和感が充ちていました。

本能に従って動いているだけなのに有無をいわさず無条件に殺戮の対象にされてしまっているのがなんかおかしな感じでした。

怪獣がビルを蹴飛ばしてあるいても怪我もしないし、ウルトラマンがあの図体で

大ゲンカしたら同じように建物ぶっこわすはずなのに壊れないのもなんか変な感じでした。

それにあのぶっ壊しようだったら子供心にも「火事になるやろ・タタカイどころやないやろ」という感覚がありました。

何よりも怪獣が無条件ぶっ殺す対象であるのが変な気分でしたけど。

あのスペシウム光線って核兵器の暗喩ですよね。

 

小1の時初代ウルトラマンの本放送を見た世代です。

小6の時帰ってきたウルトラマンというのがテレビ放送されましたがこれは

懐かしさで見ていました。これより後正義のヒーローっていうのが嫌になって

見ませんでした。

ちょうど弟が夢中になってそういうの見始めた頃でした。

 




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9月の雨

本格的なのはまだですが、ボショボショと雨が降る東夷国方面。

洗濯はお預けです。

 

2008年の勤務先破綻後の呆然期、ちょうど今頃の季節だったと思います。

いつものように、となっていた亡き幼馴染との自動車彷徨。

あの日は午前中から曇天でした。

用もなく中津浜線を北上していました。

小林駅に曲がる交差点も過ぎてそれでも北上し逆瀬川駅方面にも行かず

ずっと北上していました。

雨がけっこう強めに降り始め、車内から見る北の空にものすごい巨大な雲が

もくもくと発達しました。この世の終わりみたいな雲でした。

今でもたぶん、あれより不気味で巨大な雨雲は見たことがありません。

 

やがてすさまじい勢いで豪雨が始まり、前が見づらくなりました。

なんとなく伊丹方向というか猪名川方向にコースを変え、慎重に走りました。

とりあえずイオンか何かでかい建物に逃げよう、と。

 

途中の住宅ばかりの比較的広いまっすぐな道にさしかかった時、

まったく前が見えない勢いの雨となり、たまらず幅寄せして停まりました。

あの雨はホントに怖かったです。

そのままの場所で15分以上停まっていました。

 

 

September in the rain - Red Garland Trio

https://www.youtube.com/watch?v=GBLQMPtgGbU

 

 



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今歩けていること

時々、今自分が立って歩けていることに感謝したくなります。

イヤ、その、いつも感謝しているべきなんですが。

 

何度も記事に書いてきたように、2014年10月の終わり頃の日曜日朝、

体の左半分・正確には左腕全部と左脚全部が自分で動かせない状態になっていました。痛覚はあったし左目もちゃんとしていたし喋ることもできていたのですが。

脳梗塞でした。

大怪我もせず熱病的なものにもならず体が部分的にマヒするなんて生まれて初めてだったし混乱するばかりで、西宮の友人から電話をもらって脳梗塞と断言してもらって初めて、「そうか、母親と同じことになったんだ自分は」と気付き救急車を呼んで運ばれました。

2週間の入院と2週間の自宅療養でした。退院後のリハビリなんていうものに出せるお金は一銭もなく、リハビリは自己流でした。

元々いくらでも歩けてしまう性分だったのでひたすら歩くことで脚を刺激し、

握力訓練用グッズとギターの指トレーニング器具で左手を刺激して、あとは

ギターをいじってなんとかしました。

今は病前のように思った通りギターを弾くことができませんが不自由なく

左手はそれなりに使えていて、左脚も急いで走ることはできないけれど日常の歩行にまったく支障がありません。

病歴をカミングアウトする相手にはそれを言う前に私の歩き方について質問してから話しています。

 

考えてみたら肢体不自由になっていたかもしれない経験はそれ以前にもあったのです。

八ヶ岳赤岳で一人で転落滑落した時も、滑り落ちるのを止め得たのは目の前に見えたダケカンバにわざと突っ込んで止めたからでした。

この時の左脚の向う脛の傷跡は今もはっきり見えます。

この時ぶつかり方がたまたま良かったので激突負傷とか骨折とかがなく自力で

下山できたのもたまたまの偶然だったに違いありません。

脚の神経や太い血管や背中や頭にあの時何かあったなら赤岳の沢筋の死体になっていたかもしれないし助かったとしても肢体不自由になっていた可能性は大きいのです。

芸能人が撮影中などに体を強打したりして動かせなくなるという事例はあとを絶たないし、私が助かったのはある意味奇跡だったのでしょう。

 

うんと小さい頃にも、先日ブログ記事に書きましたが公園の滑り台の上から落ちて

頭を強く打っています。

この時も落ち方次第では脊髄などを損傷していた可能性が高いです。

家屋内の廊下でこけて体のどこかが不随になる事例だって山のようにあるわけですから。

もっともこの時頭を打ったことは以後の私の精神構造やら何やらに大きい影響を残したのかもしれない可能性は捨てきれませんが。

 

体の麻痺となるとリハビリと一口に簡単に言うけれど、何年という規模で生活もしながら膨大な費用でやらなければなりません。

それを免れ得たことに感謝すべきなのですが。

そして脳梗塞が今日現在再発していないことにも。

 

 



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大変でしたね〜規則正しい生活を!今在るを感謝して前向きにお過ごしくださいね。

[ チエリー ] 2017/09/16 21:31:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

ありがとうございます。後遺症と思われるものはちゃんと残っていますが。それで具体的ないやな目に遭うのも事実なんですが。

[ せいさん ] 2017/09/16 21:59:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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小松西町は静かでした

昨夜無事気絶して先ほど目覚めました。

相変わらず頭は汗まみれ足先は冷え冷えのひとり四季状態です。

着替えの選択がとても難しいです。

 

精神状態は変わらず。体の状態もそんなに変わらず。

 

2006〜2008年の西宮Uターン期、朝の風呂屋へ行くためにド早朝起きしてたことは

先日なんかもそうですが何度も記事で書きました。

実家は車道に面しておらずおもいっきり生活道路沿いだったので

トラックの走る音だとかそういうのはぜんぜん聞こえませんでした。

ド早朝におきても静かなもんでした。

あの静かさは今にして思えば貴重でした。

すぐ近所での夜中〜早朝のトラック横付けとかもなかったし、騒音はほとんどなかったですから。

阪神電車の線路もそこそこ近くだったけどガタンゴトンは殆ど聞こえませんでしたし。

やはり静寂は大事ですね。

 

 

Nouela - The Sound of Silence (Amazing cover of Simon & Garfunkel's song)

https://www.youtube.com/watch?v=Q4oInT79CUk



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どうしても書いてしまう9/12

夥しい寝汗で気持悪くて夜明け前に目がさめました。

枕カバーが気色悪くてもう一度目をつぶる気になれずこの時刻になりました。

 

今日9/12は亡き幼馴染の「推定命日」です。何度もブログに書いています。

2011年のことでした。

6年後の今日は天気があの時とよく似ています。

さて、何時何分頃に彼はこと切れたのか。

あの年はこんなに暑くはなかった気がします。

 

 

連絡無しで出てこない彼のもとに勤務先の人が電話しても出なかったということだったので朝8時すぎ頃にはもうだめだったのかもしれません。

前日の夕方電話で話したおぼえがあるので11日の夜間だったのかもしれません。

推定ということの意味は、翌日強制開錠して自宅の中に入り死亡が確認されたことによります。

もうこのあたりの時系列の記憶が私は曖昧になってるかもしれませんが。

荼毘ができたのは諸事情により10月に入ってからでした。

そのあたりのことは過去に記事に書きました。

 

兄弟同然の無二の親友でした。

 

今日も天上界から私のことを見ていてくれているでしょうか。

 

 

Hello Old Friend by Eric Clapton

https://www.youtube.com/watch?v=U3PM0mOtLSY

 



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空似?当たり?もうわかりません

昨夜の溜め放題汚れ食器の洗いあげに伴う疲労と腰痛がまだ少し尾をひいています。めちゃくちゃ蒸し暑い横浜市瀬谷区です。タスケテ。

 

実際の帰省ができないので帰省時の話をします。

 

帰省時にはいろんな時間帯にウロウロするわけですが、特に地元中の地元地域を

ウロウロしていると昔の見覚えのある顔を目撃することも多いです。

私は面の皮は厚い方だと思っていますがそれほど社交的なわけでも

小中学校時代の中心人物だったわけでもないので、寄っていって話しかけるというのは致しません。よほど昔親しかったのなら話は別ですがそういう経験は稀です。

 

髪や体型は年齢に応じて変わっていますが、ほぼ変わらない気がするのは

顎と目ですね。それに歩き方。

前方から歩いてくる人物を見て「おう、あれはNとちゃうか?」とか思うと

距離が近くなってきたところでだいたいアタリが判明します。

 

過去に記事に書いたことがありますが、そのパターンで一番印象深いのは

阪神電車の梅田方面行き各駅停車の車内で青木あたりで気づいた

『チャー坊とちゃうか?』でした。

この人がどういう人なのかは私の過去記事をキーワード検索すればわかります。

女性です。同級生です。

 

これは帰省時ではなくUターンしてきて間もなくひどい胃潰瘍で入院して

退院後にあちこち歩き回って身心のリハビリめいたことをやってた時でした。

2006年の初夏でした。5月のことでした。

出発地はどこやったんやろ・・・阪神御影やったんかなあ。

香櫨園駅に行こうと思ってたので各駅停車に乗ってました。

 

前の座席に乗ってる人をなんとなくぼんやりと眺めてたら正面におられました。

はじめは他人の空似のパターンかと考えましたが、視線が吸い込まれるように

見ていたら、年齢は(同級生なので)行ってるけど本人としか思えなくなりました。あまり凝視していては失礼になるので加減は考えましたが、顔も背丈もどうしてもご本人としか思えませんでした。

美術関係の人と結婚して甲陽園に住んでたというくらいまでは風の噂で知ってたんですが、阪神電車に乗ってるというのが違和感ありありでやはり酷似した容貌の人なんだろうと考えて話しかけませんでした。

結局その人は打出で降りたんですが。

バカなこととわかってながら私も降りて後を追ったんですが、打出駅の南側の商店街の中で見失いました。

 

あれは幻だったのか、ものすごい他人の空似だったのか、今もわかりません。

 

 

「あの頃のまま」ブレッド&バター

https://www.youtube.com/watch?v=aTOZVn7mWSI

 

 



以前も記事に書いたけど
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野井戸の記憶

どう考えても今日の横浜市瀬谷区は午前中から30℃に達しています。

蒸し蒸しと気持ち悪いです。

うるさい米軍機やいつもそこらじゅうに溢れるトラックに関しては今日は少ないのですが。

 

そういえば私が育った学文中学旧校区には怪談スポットがありませんでした。

昔あったのかもしれないですが私は全く知りません。

唯一それらしき話は、今は鳴尾小松住宅(12階建)が建っている敷地は

長い事更地のままでした。小松西町二丁目1街区ですね。

特に入ることが禁止されてもいなかったので子供の頃は広い遊び場でした。

聞く話によると戦闘機の製造工場だったとか。

 

ここの南側の長辺・真ん中あたりの敷地内に入ってすぐの辺りに我々住民が

『野井戸』と呼んでいた井戸跡がありました。

けっこう大きくて直径2mくらいの丸いやつで、木組みではなくセメントで造られたものにやはりセメントで造られた蓋が乗っていました。

うんと幼いころは周りに棘の出た針金の囲いがあったのですが、朽ちたのか

結局なくなっていました。

 

はっきりした怪談めいた話は聞いたことがありませんでしたが、中を覗き込もうと

してはならないと町内レベルの話では戒められていました。

野井戸といってもきっと井戸跡にすぎず中に水はおそらくなかったのでしょう。

深さも知らないままでしたし、『焼け跡』と呼ばれていたあの敷地の中で

何故井戸跡だけが破損せず残っていたのかも知りません。

空襲を受けても持ちこたえそうなというような頑丈風な見た目でもなかったし。

ひょっとしたら空襲を受けて工場が燃えてなくなった後、井戸が使えるように

セメントで丸く囲ったのかもしれません。

 

井戸の跡といっても屋根掛けしてあったでもなし、ポンプの残骸があったわけでもなし、本当に井戸があったものなのかどうかもわかりません。

なんせ戦闘機を作ってた工場があったという場所。

爆弾の狙い撃ちに遭ったでしょうから、どういう歴史を歩んだのか。

 

 

これは式部井戸という鳥取県の現役の由緒正しい名水の井戸の写真ですが、

あそこにあった野井戸はちょうどこんな感じでサイズも同じくらい。

あそこの『野井戸』は蓋もセメントでした。地面は土むきだしで。



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子供時代のローカル感覚E

今回は国道2号線以北のことを書きたいなと思っています。

子供時代よりも思春期以降の方がいろいろ思い出があります。

 

小学生の頃、基本的に遊びで国道2号線以北に行くのは旧甲子園ホテルの池が

フェンスも破れっ放し一部は設置すらされておらずイケイケだった時代に

ザリガニ採りに行った時くらいでした。あそこらへんの町名すら知らずに。

 

子供の頃墓参だ法事だ或いは伏見桃山の親戚の所に行くんだという時は

当時の国鉄に乗りっ放しで甲子園口まで帰ってきて弟や母親や祖母とタクシーで小松西町まで帰ってくるというパターンで、通常の大阪や神戸への移動で甲子園口駅を利用することは殆どありませんでした。

 

なので松山大学温山記念会館の美しい建物や甲子園口一丁目のみごとな邸宅などの存在を知ったのは中学以降でした。

阪神武庫川駅から延びていた延伸の線路はこのあたりで絶妙のうやむや具合で

邸宅の並ぶ風景の中に溶け込んでいました。

 

甲子園口商店街(現:ほんわか商店街)には中学以降自転車で行っていました。

主な行先は本屋さん。じっくり立ち読みしたい時は鳴尾書店だと店主の露骨な嫌味が始まっていたので避けていました。

そして忘れられないのが2号線に面していた山下レコード店です。

 

高校の時はたまに気分転換に梅田で阪神に乗らずに国鉄に乗って甲子園口まで

帰ってきてのんびりわざと長距離を歩いたりしてました。

 

大学生時代には神戸尼崎大阪と東西に行動ゾーンが延びたので若干疎遠でしたが

西宮で郵便局員になってからは再びの地元回帰・再発見で原付に跨って

甲子園口商店街や近隣へ出向くようになりました。

郵便局に入って最初に学んだ地域が熊野町・松山町・日野町でしたので

なじみの地域が更に北に広がりました。

 

そして1987年3月に浜甲子園団地に転居して、地理的に離れたので再び疎遠に

なってその後西宮を出て暮らしたのでそのあたりから甲子園口や上甲子園に関しては浦島太郎状態になったまま現在に至ります。

 

 



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早朝風呂屋の話 又々

寝なおしがうまくできないので又投稿させていただきます。

 

2006〜2008年の西宮Uターン期、平日は早朝に起きてゆ〜とぴあ琴浦まで

自転車を走らせて入浴していました。当時朝の6時か6時半頃に入浴可能でしたので。

これが土日になると洗濯物を持って先にコイン・ランドリーの乾燥機投入経由だったということはしつこいくらいこれまでに記事に書いてきました。

 

天井川である武庫川を自転車で越えるのは若者ではない身にはなかなか疲れました。

夏場は汗だらけ、冬は凍えてでした。

もう今はゆ〜とぴあ琴浦さんはそんな早朝営業していませんし、元浜温泉は廃業したし現地事情は変わっていますが、あの脚の疲労ともども強烈に懐かしい思い出です。

大事に使われている家屋や建物のおかげで近年でも風景は驚くほど変わっていません。

これは故郷を失って異郷で暮らしている阪神間出身者にとってはとても嬉しいことです。

またああやって他の風呂屋さんでもいいから朝入浴に行きたいものです。

 

なぜ朝がいいのかといえば一年中寝汗と縁が切れない特異体質だからで、

夜のうちに風呂に入っても朝起きたら汗で気持悪いからです。

なので昔のがっつり風呂屋時代には朝なんだか気色悪かったです。

23時には普通の風呂屋さんは閉まっていたし朝営業の風呂屋さんなんて

昔は近所になかったから。

 

突然の雨でも決然として自転車に跨り武庫川を越えていました。

辛くはありませんでした。

だって、西宮に還ってきて暮らしてるんですから。

尼崎は本当にありがたい街です。

 

 

John Frusciante - Life's Bath

https://www.youtube.com/watch?v=6dcGAcGUS9o



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40年前

時々ふいに思い出す光景のひとつ。

 

高校3年の時、進路に関する三者面談で母親と高校に行っていました。

私はまだ誕生日が来ておらず17歳だったと思います。

めったにない経路なのですが、母親が疲れていたか何かで武庫川や鳴尾の駅から

実家まで歩くというスタンダードプランは取らず、甲子園下車でバスに乗って

学文中学前バス停で下車というパターンを実行していました。

 

今は甲子園線の西側球場側にその該当バス停がありますが、当時は東側のバス停でした。

母親と突っ立って待っていると、鉄錆色に髪を染めた不良(今風にいえばDQN)が誰だか連れと道路側で自転車に跨ったまま

「おい。××××。俺や。●●●や。おぼえとるか?」と

ちょっと離れたところにいる私に話しかけてきました。

顔をよく見たら小6の時の仲がよかったクラスメイトでした。

忘れてるはずはありません。仲良しでしたから。

私は返事をしましたが、横に母親がいたせいなのか彼は

「また会おうな」とだけ言って連れと自転車で走り去りました。

 

当時の兵庫方式の犠牲となり近所の公立高校に行けず(入試受験すらさせてもらえず)大阪の高校に行った私とは違って彼は鳴高か南高に行ったはずでした。

けっこうなド不良になっているというのはたまに遠回しに見かけて知っていました。

その後彼がどうなったかはまるで知りませんが、少なくとも今の私よりはまともに

生きているかと思います。

 

なぜその時の光景がくっきりと記憶に残っているのかはわからないのですが、

すぐに思い出せる光景のひとつです。

40年前のことでした。

 

 

 



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せいさん
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もう帰れなくなった西宮・阪神間を横浜のはずれから想う。
でもいつか戻って暮らしたかった。
その望みはなくなりました。

そういう者です。
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