心はずっと0798

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1Q83

1983年春、社会人になりました。

大学卒業したけれど就職活動というのが心底イヤで形だけちょこっと撫でたけど

郵政外務職員(=郵便屋)の試験を受けて合格してたので郵便屋になりました。

学生時代ずっとバイトしてた西宮東郵便局で。

 

なのでガラっと変わった周囲の環境に戸惑ったりということはそれほどありませんでした。唯一イヤだったのは労働組合のドロドロでしたけど乗り切りました。

優秀な郵便屋ではまったくなかったけどね。

 

学校は高校に電車で1時間大学で1時間半だったのが就職したら原付で10分ほどに

縮まって遠くへ(というかよその地域へ)行かなくていい西宮密着生活に

急変したわけです。

 

そして国道2号線よりも山手幹線よりも阪急神戸線の線路よりも北の地域を

本格的に深く知るようになりました。阪急今津線以東に限られましたが。ろそれまではそれらの地域は友人のいた段上地域か西宮北口駅周辺か(OUTPUTがあったから)というスポット的なことしかわからず、郵便配達バイトで知ってた高畑町深津町高松町などをよく知っている程度でした。

 

そういう仕事に就くまでは田近野町にも行ったことが殆どなかったんですが

速達担当の日に日常的に行くようにもなりました。

 

今思えばあの西宮密着ライフが人生の一番いい時期だったなあと思います。

仕事の内容だとかは横に置いといて。

この虚弱な体もあの肉体労働に耐えてたし更に登山なんかも始めたし。

 

「大阪よりも神戸」な自分の指向もよく身に着いた時代でした。

 

いろいろ思うことはあったし考え抜いた結果ではあったけど、

なぜのちに私は西宮を出てしまったのか。

最大の後悔です。大きすぎてしんどい後悔。

 

東夷国に来て幸せだったことなんかひとつもありません。

3年間西宮に戻って暮らせていたけど家族抜きの状態でした。

再び東夷国に戻された理由はいつもブログに書いてるとおりやし。

考えがここに至るといつも思考の身動きがとれなくなります。

 

 

Tatsuro Yamashita - Marry-go-Round

https://www.youtube.com/watch?v=ZMr-VXF4xkY

 




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甲子園 ヨーカドー

昨日も今日もまったく生産的なことをやっていません。まあ毎日そうではありますが。

 

昨夜もシャワーをサボって寝たのでこのあとシャワー浴びます。

それがすんだらこの畳部屋を平面的に散らかしてるのを片付けたいと思います。

外はドヨーーーーーンと曇っていて陰気です。

いつ降りだすかわからないので歩きに出るのもなんかなあという様子なので。

 

さっき、ららぽーと甲子園のところのイトーヨーカドーを思い出していました。

もともとヨーカドーと西友は関西に店舗をつくらない会社でしたが、

こっち(相鉄沿線)から全てのイトーヨーカドーが撤退しきってしまうのと

入れ替わるように関西に店ができはじめました。

甲子園のヨーカドー1階の野菜の売り場には2006〜2008年の西宮Uターン期間中はたびたびお世話になりました。

けっこう安いのが一番奥にあったりしましたので。

上階の服の売り場も本当によくお世話になっていました。下着とか靴下とか。

普段着もたいがいあそこで。

 

はじめの頃はなんとなくいつもららぽーと側(球場側)入口の自転車置き場に自転車置いたりして入っていましたが、途中でそんなんしなくても鳴尾側に自転車も置けてすぐにヨーカドーやないかと気づいてそっちから入るようになりました。

物を買いもしないのにあの長いららぽーと廊下を歩かんでも、てなことです。

 

 

もう長年ここに足を踏み入れていません。

行きたくてしかたないですわ。

今もし行ったら懐かしさのあまり涙が出るかもしれませんわ。

 

妄想ストーリー中で須田さんらに行ってもらおうかな。

でも10年前の様子しかわからないんで矛盾が出るかなあ。

 

amazing rhythm aces who will the next fool be

https://www.youtube.com/watch?v=K8Xt8f3PNZo

 

Brinsley Schwarz - I Should Have Known Better

https://www.youtube.com/watch?v=FYazROAJhvU

 

 

 

 

 

 



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突然の登場 浜松

今日は朝起きてすぐに珍しく薬服用〜血圧測定直後くらいに餌を摂ることができました。昨夜に最近の悪癖よりも早くに寝つけたおかげかと思います。

 

昨夜見た夢に浜松が出てきました。場所や風景が出てきたのではなくて、なんかめっちゃべっぴんさんの女性となぜか会話してて話の端っこに浜松という単語が出てきて自分は昔浜松に短期間だが住んだんだと言ったら相手の女性が私は浜松出身なんですと答えて、浜松のどこに住んでたんですかと訊かれるっていうところだけ憶えています。

その女性は私は蜆塚なんですって言ってた気がします。佐鳴台のすぐそば。

話がそこに至るまでとか前後の脈絡とかはまったく憶えてないけど。

 

で、浜西ストアーなんていう単語が出てきたりしました。

車が置きにくくて困ったんだ、とか。

佐鳴台という名を付けられることになった切り開かれた荒地に住宅を建てる先鞭をつけた県営住宅にいたのですが、その1号棟のすぐ横にあった開発当時からあった今はもうない(セブン・イレブンになっています)スーパーです。

我が妄想ストーリーの初期にも名は出さなかったけど出て来させたところ。

たしか輸入盤屋の『ハマラジ』も一緒に出て来させたかと思います。

 

在りし日の浜西ストアー。いつ閉店したのか知りません。

浜松にしては野菜も生鮮も安かった。

(田舎はだいたい高いんです大都市圏よりも。ご存じでした?)

WEBを漁って探したけどこれしか写真が見つかりませんでした。

でもひとつでもあっただけ幸せ。

 

芸能人とかでも(サッカー界は昔からたくさんでしたが)浜松出身の人が

地味に増えているようです。

ごく軽い親近感を感じます。

 

Life's Railway To Heaven~The Amazing Rhythm Aces

https://www.youtube.com/watch?v=p__sRcRf_Nw

浜松ってカントリー・ミュージックがすごく似合うのにぜんぜん盛んではありません。惜しいなあ。やっぱり昔日の京都みたいにはなられへんのかなあ。

 

 

 



なんで出てきたんでしょう
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とある大雨の日の記憶

前記事で微かな雨だと表現したら「ほなもうちょっといかせてもらうし」てな感じでいっとき雨が強まりました。今は又ゆるい雨です。

 

せいさん名物の狼少年型不定愁訴を又やりますが、今朝起きた直後から身体がだるくて(低気圧の影響やと思います)右手指の感覚の様子も良くなっていないのでポロシャツのボタン付けもまだ決行していません。ただぐったりしております。

 

小松小学校の頃、ごくたまにものすごい外が暗くなる雨降りの日というのがありました。午前11時とか10時半とかに日暮れのように暗くなり空は重い濃い灰色になり

教室の照明が全部点いても暗くて異様な感じになる日が。

なんか不吉な感じやなあと思いながらその一方で異様な暗い昼間を面白がってもいました。

季節的にはちょうど今頃くらいか秋のはじめ頃が多かったんとちゃうかな。

体育の授業は予定変更になって講堂でなんか急しのぎみたいなことをやったんとちゃうかったかなあ。

 

けっこう前にも記事に書いたけど2008年に会社に潰し逃げされて茫然だった日々に亡き幼馴染と彼の車で私の運転で三日にあげずそこらじゅう走り回っていたエコの敵をやってた頃宝塚市内で北の空にすさまじい暗黒の巨大雨雲が発生発達してみるみるうちに昼下がりのものとは思えない暗さに包まれ、ほどなくして

水圧7kgf/㎠でシャワーを出せばかくやと思われるような豪雨が叩きつけ始めました。まともに前が見えずワイパーを一番強にしても前方視界なんてあらへんという

状態になりました。

やむなく左に寄せて停まり勢いの弱まるのを待ちました。

大して弱まってくれなかったのでどこやったかのイオンやったかサティやったかに逃げ込みました。

その時買った\1,000のチノパンがまだ今私の傍らにあります。まだまったく使えています。

あれから10年か・・・。あーあ。彼はもういない。妻ももういない。みんな夢の中。

 

 

For Stefan Wolpe - Tony Scott & Bill Evans

https://www.youtube.com/watch?v=WCm256esmXs

 

 

 



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調子悪くても回想はできる

鼻グズグズ息しにくい平衡感覚ユラユラはましになってきました。

鼻はそんなに状態改善してませんが、ユラユラは体が慣れ始めたのかマシになりました。

夜餌も摂ったけど味があまりわかりませんでした。

 

体調おかしい→虚弱児童だった からの連想で昔の明和病院を又思い出してしまいます。

重厚な和洋折衷様式で入口は左右からのスロープがせりあがっていました。

入口から中に入って正面が薬局でした。

薬局のあるゾーンからたしかほぼ左右対称で右へ向かうとさんざん世話になった

小児科や内科があったはずです。

当時の明和病院は外来は全て1階でした。それは今もそうなのかな。

逆に左へ行くと子供心に怖かった手術設備とかだったような気がします。

薬局の向かい側壁沿いには手を洗ったりする水道が約4つか5つタイル貼りの

ところに壁付けで並んでいました。

家では見ないようなクラシックな水栓だったようにおぼえています。

耳鼻科や眼科にもたびたび世話になったはずなんですが位置をおぼえていません。

 

当時(1960年代前半〜半ば)は、まずかかりつけ医の町医者に行きなさいそれから

必要があれば大きな病院総合病院などに回してもらいなさいみたいな締め付けは

なかったので薬教・注射教・大きい医療施設に信仰にちかい感覚を持っていた私の母は明和病院に事あるごとに連れて行ったのでしょうね。

 

照明も今みたいに蛍光灯や類似の電灯類のあの白い青白い無機質な光ではなく

通常の電球が用いられていたような気がします。

雨の日なんかの病院内の感じを思い出すと。

 

 

" My Old Timey Baby  Dan Hicks and The Hot Licks

https://www.youtube.com/watch?v=iVjVvcpDay0

 

 

 



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西宮でのオカルト経験

そういうのは以下ふたつ以外ありません。

 

ひとつは、高3の頃亡き幼馴染と不埒なことに兵庫医大病院を夏の涼み場やトイレ借りる場所にしてた頃のこと。

兵庫医大の屋上にあがってみようということになりエレベータに乗っていきなり

Rのボタン押したら遊んでるの丸出しになるから13階で一度降りて階段使おうという企てで13階で一度降り、トイレかなんか借りて再びエレベータのところへ来て

横にある階段を上ったんです。上がりしなにエレベータ前のスペースを見たら

座れるくらいの出っ張りに青いパイピングのある水色パジャマ着た30歳くらいの男性が座って向かい側の見舞いらしき男性としゃべっていました。

あんな幅の無い出っ張りに座ってケツ痛くないんやろかと思いつつ屋上へ上がって景色視て涼んで

私「ようあんな幅の無いとこに座れるなあ。」

幼馴染「へ?何の話?」

私「ほら、さっきエレベータの傍に・・・云々」

幼馴染「そんなんおらへんかったで」

なんていうかみ合わない会話。

そして2〜3分で13階へ降りてエレベータの前を見たらその水色パジャマ氏も

見舞いらしき人もいませんでした。

いないだけなら普通のことなんですが、エレベータのゾーンにそんな腰かけられるような出っ張りなんかありませんでした。つるんとした壁が床まで。

「ええ、そんな。さっきこのへんに。」と私は言いながら背筋がぞっとしてました。

 

もうひとつはその兵庫医大の南にある小松墓地で心霊写真撮れたらおもろいなと

いうのでやはり同じ夏にふざけて墓地の写真撮りました。4枚くらい。

で現像に出したら墓地より後で撮ったのも含めてフィルム1本分が全コマ

真っ白or真っ黒だったのです。

4年前ブログ記事にも書きました。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061488/p10994956c.html

 

以後心霊おふざけはやらなくなりました。

 

実家付近とか浜甲団地とかにオカルト的にぞっとする場所っていうのはありませんでした。立ち回り先にもありませんでしたね。

 

そういうネタなら今イヤイヤ住んでるこのクソ瀬谷の方がたくさんあるようです。

なんといっても昔は誰も住まない辺境だったのでどこで何やってたか知れたもんではありません。

藪も放置林も今もふんだんにあるし。夜真っ暗になる地帯もそこらじゅうにあるし。

 

 

Ghostbusters Music Video

https://www.youtube.com/watch?v=cU4qbnNmxWA

 

出てこいキャスパー (Casper And The Angels) - キャスパーのハロウィーン(To Boo Or Not To Boo)

 



幸い 大したもんはありません
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生まれつき という面倒

毎日毎回不定愁訴ばかり書いており申し訳ございません。

今回はその根本のとこについて呟きたいと思っています。

 

幼児時代から虚弱でした。根本の理由は何なのか今ではもうよくわかりません。

母乳が少なかったのは確かだし、生まれつき弱かった私に対する母親の発想が異様だったせいで虚弱が加速した点も大いにあるでしょう。

その異様って何かというと、すぐ風邪をひくのならたくさん着せればそれでいい式の浅薄さでパンツを2枚穿かせたり上の下着を2枚3枚着させたりをもう2歳くらいでやってたようだし、赤ん坊時代の背負われている写真なんかを見ればねんねこ過剰だったりしてました。抵抗力が身に着くはずがないことを一方的浅薄な思い込みで何の疑いもなく次から次に膨大にやってたわけです。

ものすごい幼心にもおぼろげな記憶があってむやみに重ね着させられて鬱陶しかった記憶はあります。

やりすぎて汗かいて汗冷えしてよけいに面倒なことになる、とかっていう発想があの人にはなかったようでした。大人になってから思い返せば。

虚弱の芽を摘んで抵抗力を身に着けさせるという発想ができなかったんですね。

そういう母親なので生涯を通じて「薬・注射崇拝教」の信者でした。

 

不幸中の幸いだったのは特にアレルギーがないことでした。

弟は思春期頃に甲殻類アレルギーが判明したりしましたが私にはそういう特定品目アレルギーもなく今もって花粉症にもなってません(の、はずです)。

余計なことながら、白髪染め剤の事前バッチ・テストしても悪い反応出ないんです。

 

虚弱児童は同時にアレルギー持ちっていうのは私の年代にはごくありふれたことだったようです。

 

小学校に入って見かけ上はごく普通レベルになったと思ってからは母親のやりすぎはなくなりました。ホッとしましたねあの頃。

まあ異常な父親がそこにいるっていうことで「この子気の毒」が強かったせいもあるかと思うんですが。それなりに庇うとすれば。

で、虚弱児童育ちは結局元に戻って45歳すぎてからは病気に好かれてしまって

落とすべき命を何故か落とさずに今ここにいます。

 

猫などの動物アレルギーもないようです。ラテックスとかのマテリアルにも。

強いていえば私に強くあるのはアルコール・アレルギーともいうべき酒類への

体の嫌悪反応が一種のアレルギーかと思います。

そればっかりは酒どころ西宮で育ってもどうにもなりませんでした。

 

なんせ「この子は成人を迎えないかもしれませんよ」と医師に言わしめたという

虚弱っぷりだった奴がこの年齢に達していることだけでも奇跡なんでしょう。

どんなに陰鬱でダメな人生であるとしても。

 

そんな要素が娘達に遺伝しなかったのは幸せなことです。

 

 

Life is Just a Game / Stanley Clarke

https://www.youtube.com/watch?v=Al5T2VhAKM8

             ↑

こんなふうに言い切れる人生がいいですね。本当にいろんな意味で。

 

 

 



更に加えて
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再び壊れたスニーカーをもう一度手直しするかな・・・

雨は今のところ降ってないんですが今日も強風がびゅーびゅー。

洗濯物を入れてきますわ。吹っ飛びそうなんで。貴重な着衣を紛失したくないから。

 

で、たった今取り込んだんですが、シャンブレーのシャツの襟に橙色のシミがぺちょっと。

こんな感じ↓ 実写ではなく作った画像ですが。

 

 

見たところ鳥のフンですがうちの物干しは鳥が留まることができる形状ではないので、きっと空中に投下されたばかりのバクダンが強風に乗って飛んできて運悪く(フンだけに)付着したものと思われます。

もう・・・もう一回ここだけつまみ洗いせなあかんやん。

 

薄雲は広がっていますがなんとか陽射しはあるので風に乗ってくる砂除けに眼鏡かけて外を歩きに行こうと思います。ダイエーで仏壇の切り花も見てきたいし。

そのあと夕方にでも米を買いに行かないと。こっちはリュック持参で行くので

歩いたついでとはしづらいので出直して。

 

12年前の2006年の今頃、生涯初の入院を胃潰瘍でやらかしたんですが、絶食療法の影響で体重激減してた頃でした。明和病院でした。Uターンしてきてたので。

ようやく風に揺られずにまっすぐ歩けるようになったくらいの時期でしたねえ。

で、以後の人生にとても影響した潰し逃げしやがった通販会社に応募してた頃でもあります。

胃潰瘍の原因になったところからは脱兎のごとく逃げ出していましたので。

ここらへんのことは履歴書では濁して書く部分です。

 

ずいぶんと西宮市内のあちこちを体調戻す訓練に歩いてたですね。

 

 

Nick Lowe - "I Knew The Bride When She Used To Rock And Roll"

https://www.youtube.com/watch?v=Kn1CXbf2xF8

 

 

 



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なんやしらんけど打出の話

お空をコン!とノックしたら雨がジャバ!と落ちてきそうな雲行きだった今日5/9も雨降っていない夜になった東夷国・瀬谷区です。

そろそろ食品の買い足しやらお米の買い出しやらしたい頃合いなんですがお金を遣うのが怖くてやっていません。先延ばしなだけやけど。

今夜は残り物祭りでなんとかなりそうやし。まだご飯も炊けていませんが。

炊飯器殿が今しっかり稼働してくれています。

高野豆腐とキンピラごぼう。my黄金の組み合わせで。

高野豆腐ホンマに好きで。いんげんも。

 

香櫨園〜打出手前にかけての阪神電車以南ってなんか懐かしい気がしてしゃあないんです。さっきもぼんやり思い出していました。

たぶんおそらく、鞍掛町の木賃アパートにいたよちよち歩きの頃母親がお古でもらった重いごつい仕事用自転車に私を乗せて昼間所在なく夙川の川原やらを

さまよっていた日々にあのへんにも行ってたんでしょう。

そんなごくごく幼い時の刷り込みが無意識の中にあるんでしょうね。

初めて打出駅南の打出商店街へ行った時既視感が強くあったので。

当時(1962とか1963年くらい)臨港線という道路はもうあったのかどうか知らないですが。

 

 

Sugar Plum - Bill Evans

https://www.youtube.com/watch?v=KDqMQBuzYI0

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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やっと頭が回りはじめたので回想

3月のはじめ並みに温度低く寒いですがようやく東夷国の雨は止んだようです。

先ほどは足かけ3日ぶりにお日さんの光も見えていました。

すぐ曇りましたけれど。

又降り出す可能性じゅうぶんにありです。


8年前2010年の今頃は、妻が亡くなって間もない頃、墓所探しを開始した頃でした。

 

母方の祖父が没後墓所がない(それまでは京都じゅうの納骨堂にばらばらにお願いしてたみたいです、どこにどなたがっていうのを私は全く知りません)というので祖母が適当に(本当にウルトラ適当だったようです)京都の小寺院の墓地に決めて祖父が収まったんですが信心も地縁しがらみも何もなかったので祖母は

寺からの金の無心(わざとこういう言い方しています、仏教への不信感のあらわれとして)を無視し続けていたので寺が態度を硬化させ高飛車に出てきたのが2001年頃。なんか御仏もクソもない汚い生臭い諍いになっていました。

私は「そんな墓寺に返上してまえ」と言いました。私らしいでしょ?

偶然の救けもあってそれをどうにか片付けたのが翌年くらい。

2004年に亡くなった祖母は知恩院の納骨堂に収まっています。

 

という状態でしたので私が新たに妻の死去きっかけで墓所を探す、と。

母も叔母も京都がええんちゃうかと言いましたが私は自分に縁も所縁もない

京都は絶対イヤで阪神間にと固く決めていました。さもなくば浜松とかね。

妻のことだけ考えて妻の地元の共同墓地も訊いてみてもらったんですが

一旦嫁いで姓も本籍も変わった場合はダメといういかにも田舎丸出しの陰湿な理由であきませんでしたし。

 

ネットで検索して、寺院墓地は全部除外して、はっきりせんやつは一応メモっておいて、神戸〜阪神間の広域で探しました。

西宮は満池谷なんて数十年の空き待ちですし市内はお高い墓所目白押しでした。

何度か現地確認をしに帰省して亡き幼馴染にも付き合ってもらってそこらじゅう見て回りました。車使わせてもらって伊丹や宝塚にも。

 

そんな中、東灘区の住吉霊園というのがヒョコっと見つかったんです。

新たに拓いた場所の募集も始まってて制度しくみもしっかりしてて何より

信心してもいない宗教の縛りも受けず金の要求もされずに済むという私向きな

ものでした。

費用の折り合いがよければ交通の便もいいしなんていっても六甲の山ふところという良いロケーションだしということで亡き幼馴染についてきてもらってさっそく見に行き石材店の話を聞いて決めました。

あのタイミングでいい出会いだったと思っています。

なんといっても民族も宗教もミックスの眺めがとてもいいなと思ったし。

 

というのが8年前の今頃の私でした。

あの頃はまさか約1年後にその幼馴染が急死するなんて思ってもみなかったんですが。

そういうことは全て私の身の上に起きることだみたいな気持で生きてましたから。

 

あれからの年月はガタガタの谷の底。

又ボヤキを始めてしまいそうになるんでここまでにしますわ。

過去にも記事に書いたことを再三再四書いているかと思いますが

年寄の繰り言らしいもんだと思っておいてくださいね。

 

 

DO YOU KNOW THE WAY TO SAN JOSE? /  Dionne Warwick

https://www.youtube.com/watch?v=FOR5lgrVBCg

 

Ramsey Lewis - Do You Know The Way To San Jose?

https://www.youtube.com/watch?v=p7sJRxbVwbk

 

I SAY A LITTLE PRAYER /  Dionne Warwick

https://www.youtube.com/watch?v=cNKu4CS8lVc

 

バート・バカラックのメロディって棘が立ってしまった心の治癒に

効果てきめんですね。

 

 

 



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せいさん
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もう帰れなくなった西宮・阪神間を横浜のはずれから想う。
でもいつか戻って暮らしたかった。
その望みはなくなりました。

そういう者です。
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