心はずっと0798

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歩行者専用の踏切

19時をとっくに回ってるけど食欲がありません。

お腹の調子はごく普通とはいえないけどとりたてて不調ともいえない。

だるさは最高潮。軽い頭痛。これは扇風機のせいかと思います。

 

小さい頃の、幼稚園から帰ってきた時のあのだるさに似ています。

「お医者さん行って注射してほしい」と幼児らしからぬことをしょっちゅう言ってたあの頃に。

このお医者さんというのは昔の明和病院の小児科のことです。

リンゲルだかカンフルだかの注射がまだ一般的に子供にもおこなわれていた時代。

60年代前半の話。

木造の渋い建物だった明和病院。

 

そのちょっと西にあった鳴尾八幡神社にはあの頃行ったことがなくて。

 

 

鳥居のすぐ前に歩行者専用の踏切があることを知ったのは小学校に

入ってからでした。

 

阪神電車高架化に伴って、今はより踏切らしくなっているのですね。

廃止されなくてよかった。

でも高架化により地上線路が撤去された後はどんなふうになるんでしょうか?

 

 

身体重いけど何か摂取しなくては。

 

Ding-Dong Day / Marc Johnson

https://www.youtube.com/watch?v=rgxmCAmE2pg




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果物と野菜の記憶

バナナが昔(昭和元禄・高度成長前くらい?)今と違って高価なものだったという

事実は若い世代もけっこう知っています。

でもウルトラマン世代の私の子供時代(1959年生まれです)にはもうそんなことは

なくなっていました。おそらく台湾からたくさん輸入できるようになってからだと

思うのですが。

でも若い人と世代談義というか子供時代話をしてるとほぼ必ず

「バナナはそんなに高価なもんだったの?」の話が出ます。

私が思うにバナナ=高いものだったのは団塊の世代の子供時代までだったのでは

ないかと。

 

 

嫌いな或いは嫌いだった野菜は何?という話では結構明確な境界線を

ウルトラマン世代も感じます。

私の子供時代にガキに嫌われていた野菜は

ピーマン・トマト・ホワイトアスパラ・ニンジン・グリーンピースなどでした。

今の子供に嫌われる野菜の代表格のブロッコリーなんていうのはまだ我らが子供時代には珍しめの野菜でした。

 

Paul McCartney - Hi Hi Hi

https://www.youtube.com/watch?v=du_XApRgbdE



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明日の雨は・・・

やっつけの「気分はちょっとだけカツカレー」を食べたあと、通常の夏どおりの

大汗が止まらなくなりました。今もバスタオル片手です。

 

郵便屋時代、バイクに乗るので汗は向かい風で乾くには乾きますがばあっと移動中

以外は汗が頭からボタボタ。

本当はいけないことなんですがタオルハンカチを頭皮とヘルメット内面の間に入れていました。でないと目に汗が入りっ放しになって何もできなくなるんで。

長いタオルは首にかけたままではあかんのでズボンのベルト部分に押し込んだり

バックミラーのシャフトに軽く結んだり、それはそれはもう苦労しました。

ドボドボになる前はハンドル前の革鞄に入れておけるんですが。

 

夏の雨の日はものすごく面倒でした。合羽を着てて暑くて汗いっぱいだし

雨で濡れるし。それはもう地獄でした。今は懐かしいと思えますが。

 

汗拭きポイントは日野神社だったり高木小学校の塀の前だったり今津線の線路沿いの道だったり。

 

 

セミの騒音、働く自動車、西宮北口駅へ歩いていく人達・・・。

ばさっと束ごと受け箱に入れたり直接手渡したりしないといけない配達先・・・。

 

遠い日の残像がごくたまによみがえってきます。

あの頃私は西宮の一部でした。

 

今のユービンなんていうところはとんでもない大まっ黒であり、組織をあげて

血道をあげて護り続けてきた誤解の虚像は結局そのままですが。

皆さん、あそこはいまや、あなたが先入観で思っているようなところではない。

 

Joe Sample - MELODIES OF LOVE

https://www.youtube.com/watch?v=luALcf1g0_0 



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天気話

ひと夏にわたって雨降り続きという、夏が好きなんていうような私とは対照的な人々にとっては悪夢みたいな現状ですね。

1982年、私の本来よりも1年多かった大学生活の最後の年もこんな気象でした。

暑いのが大好きというこれも又私とは対照的な人々にとっては「寒い夏」の記憶と

なったことでしょう。

夏より前に楽曲制作されていたサザン・オールスターズの

『夏をあきらめて』が、まるで1982年の夏を予見していたような歌だったのが

記憶に残っています。せっかく海に来たのに雨雲が・・・という歌詞。寒い夏。

 

夏をあきらめて 研ナオコ

https://www.youtube.com/watch?v=Tatr4uSXcmw

 

1987年の夏も梅雨が明けず悪天候の夏でしたが、この1982年時の夏を増幅再現したような夏だったのが2003年の夏でした。

来る日も来る日も雨、雨、雨。関西ではどうだったのか知らないんですが。

でも全然蒸し暑くなくて私には嬉しい夏でした。

だってですよ、この異常汗かき暑がりが秋が来るまで上着を着用して過ごせたんですから。空の色はいやな色でしたがとても快適でした。

ズボンの裾は毎日濡れたけど。

 



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ふわっと思い出したこと

今も汗がすごいんですが、汗のことは書くのやめときます。

書いてて自分でウンザリしてくるので。

 

昔まだ20代の頃、浜松も東京も横浜もなかった頃、新大阪駅はとりたてて

意味を持たない駅でした。

 

80年代末。弟が悪乗りしてあの駅の付近まで自転車で走って行って、理由は忘れましたが乗らないで帰ってきた時、これも理由は忘れましたが私が置き去りになった自転車を翌日日曜日かなんかに回収しに電車で行って、実家まで乗って帰ってきたというのが印象に残っているエピソードです。

おそらく弟は体調がおかしくなったかなんかで、そのせいで乗ったまま帰って来れず置いてきたっていう流れだったのではなかったかな。

 

どこをどう通って西宮の小松西町まで戻ったのか何も憶えていませんが。

曇りの日で「降るなや、降るなや」と思いながらぺダルを漕いでいたのはうっすら

憶えています。

ネットもへちまも携帯もへちまもなかった80年代末。

本屋に寄って地図を見るというのも行きしなに一回やっただけという状態で

預かってきたカギで自転車のロックを解除して跨り、一応暗記したつもりの方向へ漕ぎ出しました。新大阪周辺は道が全部斜めでぐにゃぐにゃしてて、阪神間の人間にとっては魔界でした。

道中別にこれといったエピソードもなく最後に武庫川を渡って戻ってきただけでしたが。喉が渇いて何回も自販機で水分補給はした気がします。

 

 

 

 

 

 



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雨はもう降ってないので

冷蔵庫の冷蔵室がめっちゃご機嫌斜めでフテ寝してはるんで、食材の買い置きが

冷凍食品以外は難しい状況です。

冷凍ばっかし毎日食うわけにもいかんし(ほぼジャンク・フード的になってまう)、今から蛋白源を最寄り貧乏人スーパーへ買いに行きます。

冷凍の『王将の餃子』はあるんですが、身体全体・内臓が弱り果てていて

とても「今夜は餃子」という感じになれません。

惣菜コーナーに天ぷら盛り合わせ一人分\200が残ってたらそれにしようかなと

思ってます。天ぷらなら油ものでもいけそうなので。

コロッケ食うぞという気分でもないですから。

永谷園の粉末お吸い物も久しぶりに買ってみるかな。

 

10年規模で昔話になる西宮Uターン時代、完全自炊でしたが大風邪ひいたりの時以外は内臓のご機嫌が悪くて食べるものを思案したということはなかったです。

身体は今と同じく年中クタクタのヨレヨレになっていましたが。

 

 

吉本新喜劇 《辻本茂雄 ギャグ》【 100連発!】

https://www.youtube.com/watch?v=6A05-Xj23LY

 

 



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8/11という日

私は1986〜1987年にかけて登山一色の日々でした。

8/11は去年から『山の日』という祝日になりましたね。

 

当時の常識として夏山縦走の最適期は「梅雨明け10日」でした。

小笠原高気圧が鬱陶しい梅雨前線をはねのけて好天率が高く残雪の雪渓もまだ大きく、朝方の冷え込みも1年で一番緩い時ですから。

 

お盆にひっかける山行は大悪天に見舞われることも多く夏山最適期とは考えていませんでした。

とはいうものの1986年1987年のどちらも盆の時期北アルプスへ行っていました。

 

1987年は盆が来ても梅雨明け宣言がなく、稜線を歩いていたら梅雨前線が見えていたりしました。

 



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風呂屋発日本海経由帰宅の頃

久しぶりに亡き幼馴染との彷徨の話を書こうと思います。

1984年6月はじめ、私は最初の自分の車を買いました。
1978年型 初代アコードの赤でした。ミッションは当時まだ当たり前だったマニュアル。


よく風呂屋へ乗って行ってそのまま夜の彷徨にでかけました。

あっちゃこっちゃ行ったものです。


一度思い立って、翌日翌々日休みの時にシャンプーやバスタオルを載せたまま能登半島へ走りました。今ほどの道路網がまだなかった時代なので西宮から一般道をたくさん走って行きました。ちょうど今頃の季節のことでした。


たしか、海岸線に沿ってぐるっと一周しました。

眠くなったら車内で寝て。

食事は、当時やっと増えつつあったファミレスで。

飲み物は自動販売機で。


能登半島から見る日本海は本当にきれいでした。

あれよりきれいな日本国内の海を私は見たことがありません。

以降、きれいな海というものの基準が能登半島の海になりました。


そんなことをやって平気で帰って来れる体力が私にもあったんです。


A FAREWELL TO THE SEASHORE(午後の水平線) / 松岡直也(Naoya Matsuoka)

https://www.youtube.com/watch?v=K-PnB6D0dtQ





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べちゃあ

 

窓から外へおそるおそる手を出してみても焦げそうにならなくなったので

どうやら今日の異常気温のピークは過ぎたものかと思います。

 

昔西宮あたりでは(だいたい90年代に入ったくらいまで)真夏の炎天下には

道路のアスファルトの表面が熱で溶けてにちゃっとしたり靴底についたりしました。

真夏炎天下に工事で道路を掘り返してアスファルトを敷きなおしたりした場所は

なかなか固まらずにいたので歩くとき注意して通ったりとか。

 

アスファルトの品質が向上したのでしょうね。2006〜2008年のUターン期の真夏も

[アスファルトべちゃぁ]は経験せずにいられました。

 



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大学生時代の8月の記憶

本日、横浜市瀬谷区あたりの空は青いとまではいきませんが水色くらいの色が

見えています。

空気は最悪の蒸し蒸しベタベタですが。

 

大学時代2年目〜5年目まで、毎年この夏休み時期は郵便配達のアルバイトでした。

原付と普通免許のみで自動二輪免許がなかったので自転車でした。

よくひと夏続いたもんだと今にして思えば感心します。

冬休みも春休みもやっていましたが。

 

自転車の視点から見る津門住江町〜高畑町・高松町というのが

大学時代のリアル生活の原風景みたいなもんです。

 

旅行もレジャーもなくひたすら配達のアルバイトに必死だった大学時代の

学校休み期間。

今やフジ昆布もアサヒビールもブレーブスの寮も西宮球場ももうあの場所には

ないけれど、一か所だけ道路に立って眺めたらほぼ変わっていない(ようにも見える)場所はあります。

 

 

一番奥に見える低めの建物は当時の背景にはなかったけれど。

どこだかわかりますか?

 

The Beach Boys-Sumahama

https://www.youtube.com/watch?v=TqbfDlmqrCg&fmt=18



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せいさんイメージ
せいさん
プロフィール公開中 プロフィール
もう帰れなくなった西宮・阪神間を横浜のはずれから想う。
でもいつか戻って暮らしたかった。
その望みはなくなりました。

そういう者です。
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