凛太郎の自転車操業

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今頃ですが台風の話 その1

 1日に、台風被害でライトアップが停止していた大阪通天閣が「再点灯」したとのニュースが流れましたが、僕はたまたま現地でそれをみていました。
 ようやく、といった感じですね。あの台風21号から今日でちょうど2ヶ月です。

 とにかく、今年は災害の多い年でした。ことに、この夏は厳しかった。冬の北陸大豪雪などもう彼岸のことのように思えるほどに、立て続けに日本を災厄が襲いました。
 6月の地震は西宮もかなり揺れました。さらに西日本豪雨。続いて北海道の大地震。 
 台風がまた凄かった。東から関西を襲った逆走台風12号にもビビりましたが、何といっても西宮にとっては台風21号でしょう。
 
 あんなえげつない台風は、僕には初めての経験でしたね。自宅待機だったのですが、窓ガラスが割れるかと思えるほどの激風。ベランダから見える電柱が揺れています。あれ、ポキッといったら風向き的にも高さ的にもちょうどマンションの僕の部屋に…。 
 恐怖心は味わいましたが、幸いにして我が家は停電も短時間でしたし、具体的な被害は僕個人にはありませんでした。しかし、街は大変なことになりました。夕刻、南の空を見ればヘリが7〜8機飛んでいます。甲子園浜の自動車大量火災の取材だったのでしょう。停電がずっと続いた地区も多く、家屋にも相当の被害が出ました。あれからふた月経ちましたが、まだまだ爪痕は街に色濃く残っています。 
 先日、土木学会が「芦屋市の高潮・高波は5.3mに達していた」と報告していましたが、僕はTwitterでこの動画を見たときには心底恐怖を感じました。   


 ギリギリです(汗)。防潮堤でなんとか助かりましたが、高潮というものはこういうものか、と初めて実感したように思います。 

 

 コロワ甲子園(元ダイエー甲子園店)の所在地は甲子園高潮町ですが、その命名はかつて新川に架かっていた高潮橋に由来します。高潮橋は現在国道43号線によって失われていますが、つまりこのあたりまで災害時には高潮が新川を遡り襲ってきていたということです。恐ろしい。
 
 災害の当り年でもありましたので、僕はちょっと西宮の過去の台風被害について調べてみました。以下は僕のメモ代わりみたいなものです。長いので読みとばして下さい。 

 古いものを市史から拾いますと、文明7年(1475)8月6日に洪水の記録があります。これは旧暦で、今ですと9月15日。暴風雨と高潮被害ですから台風の可能性が高い。
 
 また、弘治3年(1557)8月26日(旧暦)の暴風雨は、過去西宮でも有数の災害と伝えられています。
 続応仁後記に、「…尼崎 別所 鳴尾 今津 西宮 兵庫 前波 須磨 明石の浦へ大浪打ちかけ、高潮さし上げ、浦々の民家ことごとく引き流され、死亡幾千万…」と記されています。超大型台風でしょう。この翌日、武庫川が決壊し枝川が分流したとされます。枝川とは現甲子園筋です(大正期に川を廃して道になった)。

 江戸時代。寛政3年(1791)8月20日(旧暦)の記録が凄まじくリアルです。 
 「雨天未刻過より東風つよく暮方雨頻ニ降、戌刻前東南風俄かに吹変り暫時之内大西之烈風になる」 
 このように四井家に伝わる文書を市史が引用していますが、今回の台風でも、途中一瞬静かになったと思った刹那、風向きが一転しました。何か実感を伴います。
 「浜辺に有之候納屋大半吹崩るゝ。町中の屋根ハ瓦を吹飛し、大木吹倒るゝもあり」 
 怖かったでしょうね(汗)。今とは建物の造りが違いますから。

 明治29年(1896)8月末には暴風雨で武庫川決壊、洪水の記録があります。瓦木方面に大被害が出たのですが、これが直接の台風被害であったかはちょっと難しいかもしれません。それまで長雨が続いていて武庫川が飽和状態にあったようなので。ただ台風の進路は紀伊水道から大阪湾に入っていますから、台風災害と見ていいかも。また翌年も武庫川は決壊しています。

 大正元年(1912)9月23日、また大正10年(1921)9月26日にも、西宮を水害が襲っています。いずれも大型台風です。

 そして昭和9年(1934)9月21日。あの「室戸台風」が西宮を襲いました。 
 この全国で約3000人の死者・行方不明者を出したとされる超大型台風では、西宮も被害は甚大でした。高潮は3.1m、阪神電車以南の大半に浸水しました。死者行方不明者22名。この被害者の大部分は、当時西宮市と合併前の鳴尾村でした。
 南野武衛氏は「むくつけき防潮堤がこの時から出現、白砂青松は消えた(西宮メモ)」と書かれていますが、なんと申しましょうか、それは確かに残念ですがあっちを立てればこっちが立たない(汗)。今台風でも、もし防潮堤なかりせば、と考えると冷や汗が出ますからね。

 昭和13年の阪神大水害は7月で台風ではないのですが、大変な災害でした。そして、それと同等と言っていいかどうかは判断がつきませんが、昭和19年(1944)にも大規模水害に襲われたことはあまり記録に残っていません。こちらは、台風でした。 
 9月17日に、鳴尾を中心に高潮により浸水、なんと阪神の路線を超え旧国道あたりまで海水が襲ってきました。これ、相当なものだと思うのです。里中町の古跡「鳴尾の一本松」の三代目の松は、このときの塩害で枯れました。
 これは、人災なんです。鳴尾飛行場建設(→こちら)により防潮堤が外されたために高潮が来たのです。しかも、戦時下でありマイナスの事象はあまり報道もされず、記録も少ない。なんたることでしょうか。

 戦後。まだまだ焼け跡の町にも台風はやってきています。昭和20年9月17日に枕崎台風。10月8日に阿久根台風。生瀬川鉄橋など多くの橋梁が流失、福知山線は長期不通に追い込まれます。 
 そして、昭和25年(1950)9月3日に、ジェーン台風が襲ってきました。室戸台風以来の超大型台風でした。
 鳴尾川、武庫川の堤防決壊、さらに高潮が押し寄せ、阪神電車以南一帯は「水域と化した」と市史は記します。これさえなければ、鳴尾村は芦屋市のように独立市制をしいていたかもしれないことは、以前も書きました。甚大な被害で村は立ちゆかなくなり、翌年西宮市と合併しました。

 翌昭和26年にはルース台風。これも海岸付近では浸水被害が出ました。
 昭和35年の台風16号は雨台風であり、市域山間部では雨量200mに達したと言われています。社家郷山、山口、名塩などで土砂崩れによる被害が多く25人が死亡。山口では有間川の流路が決壊により変わりました。社家郷山の死傷者は芦有道路工事現場の災害であるようです。今であれば防げた可能性は高い。 

 翌36年は第二室戸台風。そして昭和39年の台風20号。昭和40年の台風23号と続きます。これらの台風でさらに水害が発生しているため、さらに防潮堤はかさ上げ、強化がなされています。それがなければ今回もやられていたでしょうね。
 以後は、僕も生まれたのでもういいかな。

 さて、話を台風21号に戻そうと思ったのですが、字数オーバーにひっかかりアップできませんでしたので、記事を分けます(汗)。




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今頃ですが台風の話 その2

 さて、その1の続きです。今年の台風21号に話を戻します。

 被害状況については、西宮ブログではZ探偵団さんがかなり詳細にレポをしてくださっています。ありがとうございます。
 報道でもさまざま伝えられていましたが、気になったのはこちらの記事でした。(→神戸新聞)
 文化財関係の被害状況ですが、市域では西宮砲台と、旧辰馬喜十郎住宅の被害状況が伝えられています。
 大変に気になりますので、しばらく経ってから見に行ってきました。砲台では「外壁のしっくいが剥がれ、囲っているフェンスが倒れた」と書かれていますのでね。僕は市民の中でも、砲台についてはかなり気にしている部類の人間ですので。

 

 その砲台です。これは、台風が過ぎて10日後ぐらいですね。  砲台のまわりは打ちあげられたゴミだらけで、重機がはいっていました。

 

 
 フェンスも倒れていますが、しっくい破損は、ぱっと見たところわからない程度でした。

 


 確かに、よく見れば、何か所か剥がれています。

 
 
 このくらいであれば、史跡としての価値にはあまりかわりはありませんね。

 砲台のしっくいは、もちろん建立当時のものではありません。まず明治17年に火災で、外壁は剥げ落ち岩肌がむき出しになりました。その後、室戸台風などでさらに損壊し、崩壊の危険性が出たため補強。そのときに屋根がつきました。さらに昭和50年に大規模補強工事が行われ、しっくいはそのときに塗られたものです。
 ただし、ただ塗っただけではなく建立当時の記録から、幕末と同等の方式で行われているため、幾重にも塗り込まれています。なので今回のような軽微な損傷ですんだのでしょう。 
 本音を申しますと、僕は「岩肌が見えているかも」との不遜な野次馬根性もほんの少しはあったのですが、さすがにそんなことはありませんでした。

 さて、旧辰馬喜十郎住宅はどうなっていますか。

 

 瓦屋根の損壊がみられますね。これは、あの暴風雨では致し方ないでしょう。これは、Z探偵団さんもレポされています。→爪痕 

 僕は、海岸線でまだ気になっていた史跡がありましたので、そちらに向かいました。今津灯台です。あそこも、相当にやられたはずです。

 

 無事でした。まわりの公園のタイルはかなり剥がれ、場所は相当に被害が出ていますが、灯台はしっかりと立っていました。さすが。

 さて、もうひとつだけどうしても気になる史跡(?)が僕にはあったのです。甲子園浜へ行きます。

 

 海岸線は、かなりの被害です。みんな剥がれちゃってる。

 
 
 これは厳しい状況です。台風の凄まじさがわかります。

 では、アレを探しに海に少し入ります。干潮の時間は確認してます。

 

  おお、あったぞ。失われてなかった♪

 

 すさまじい高潮の水圧をうけたでしょうが、無事に元の位置にのこっていました。一安心です。
 しかし…見る人が見ればわかるでしょうけれど、この状況ではわかんない人が多いでしょう。藻に覆われてるんですよ。掃除すれば、こうなります。昔撮った画像。

 

 はい、ライオンです。
 戦前の浜甲子園阪神パークの名残なんです。さっきの記事をもう一度(→こちら)

 海岸線の史跡は、一部損壊はあるもののだいたい無事でした。郷土史オタクとしては、ホッとしました。

 ずいぶん古い内容で恐縮でしたが、思い出したのでちょっとWebに残しておきます。


台風
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西宮のトマソン

 いつもより早く夏がやってきたようで、既に茹であがっている久しぶりの凛太郎です。今年もまた猛暑かな…(-。−;)

 先だっての休日、カミさんと臨港線のマルナカへ買い物に。
 僕はちょっとエディオンにも用事があったものですから、カミさんがなんやかや買い込んでる隙に、クルマを駐車場に置いたまま、テクテクと歩いてゆきました。
 で、再びマルナカへ戻ったのですが、ヤマダ電機の向かいにある中古車販売店の裏(南側)にも道があったのを知りませんでした。往きは臨港線をあるいたんです。こっちのほうがショートカット。
 歩いてますと、マルナカの隣に小さな公園がありました。へー。こんなん知らんかったわ。

  


 「浜松原東児童遊園」となってます。ホント小さな公園。ぼやっと見てますと、あれ?

  


 北側入口が、金網で閉ざされてしまっています。

 「無用門か!」

 いわゆる「トマソン」らしき物件ですねこれ。
 超芸術トマソン。ご存じない方もいらっしゃるかもしれません。が、思った以上にこの言葉は人口に膾炙してますので、知らない方はググってくれ、とだけ申し上げてもいいのですが…いちおうwikipediaだけは張っておきますか。
 赤瀬川原平翁も他界されてしばらく経ちますね。僕がトマソンの本を文庫でもとめたときは、確かまだ学生だったような気が。この概念が成立してからもうそんな時間が流れたのですな。

 それはさておき。
 僕は歴ヲタですので、ついこういうものは出自を調べたくなる。ビックモーターの前は確かハナテンだったはずですが、その前は…確かここには集合住宅があったような気がします。中古車販売店が出来た時点で、この門は塞がれた、と容易に想像ができるのですが、一応図書館に行って古い住宅地図を引っぱり出して参照してみました。
 さすれば、集合住宅が存在していた時代からこの公園はありましたね。おそらく、そういうことでしょう。この公園にはアパート群からも出入りできるようになっていた。しかし形態がかわって、子供が出入りする場所ではなくなってしまったと。
 その集合住宅は、JFEの社宅でした。なるほどなー。
 震災前の地図もあったので見てみましたら、やはりここは川崎製鉄の社宅。マルナカも社宅でした。ヤマダ電機は日本盛の流通センター。今でこそ繁華な臨港線ですが、昔はそうでもなかったのですねー。僕は震災前の西宮は知りませんので、興味深く見てしまいました。その頃から、この小公園はあったようです。

 トマソンの話からそれましたが、僕は時々わからなくなることがあるんです。
 例えば、こういうやつ。

  


 これは、甲子園球場の近くにあるやつです。
 ぶった切られた柱の台。近くに同様のものが全部で6つ確認できて、しかも歩道の植込みもこれに気遣っている様子があり、きちんと保存されている無用の長物と言っていいでしょう。トマソンの要件を満たす「アタゴ物件」と言うことはできると思います。
 ですが、これは実は、失われた路面電車「阪神甲子園線」の架線柱の台座です。そのことは、以前に書きました。(→記事)
 これは、トマソンに分類すべきか遺構・史跡に分類すべきか。超芸術か文化財か。
 我ながら面倒くさい性格ですな(笑)。


 トマソンと言えば「高所ドア」がよく発見されています。西宮ブログにおいても、過去に笹船倶楽部さんが報告されています。
 →四角いものを丸く撮る 謎のドア(トマソン)謎のドアその2(トマソン)

 僕も以前言及したことがあります。阪神西宮商店街の高所ドア。

  


 開けて外に出たら真っ逆さま、の高所物件ですが、僕はこれについては、アーケードがあった時代の名残ではないかと推測してます。ここからアーケードの屋根に降りる、という行為も(?)なのですが、少なくとも当時は開ければ地面に落ちる、ということにはならなかったはず。
 

  

 
 ここにもあります。
 ところで、この商店街、上を向いて歩いてますと他にも首をひねるような面白い建造物が結構見つかります。あんまり載せるとプライバシー問題が生じそうで出せませんが。

 これは、いいかな。

  


 この横から伸びるコンクリート柱はなんでしょうかねぇ。これもアーケードの名残かもしれませんが、まあトマソンだろうと思います。


 トマソンは、鳴尾ミステリーゾーンにゆけば、いくらでも見つかりそうな。

  


 そもそも、過去にも話題になった この踏臼支点石説と天秤棒置石説の両説ある石は、トマソンの「生き埋め物件」とも言えなくもないわけで。これ、たくさんあるんですけどほとんどが狭い路地にあって、大八車の時代はいざしらず、今は車止めの要件は果たしてません。しかも美しい。
 しかし、こういうのは僕は文化財なのか超芸術なのかやはり迷うわけです。σ( ̄、 ̄=)ンート・・・

 同様物件ですが、この石のカッティングは、いったいなんでしょうね。

  


 トマソンというより、この人工的にカットされた意匠が僕には気になります。もしかしたら、用水路関係のものではないだろうか。そうだとすれば、結構古いものの転用かも。
 東一公園でも、僕はT字型の石を見たことがあるんですね。あれも用水路関係かなぁ…。
 
 またトマソンから話がそれてしまいます。鳴尾ゾーンで目をひく建造物といえば、この元駄菓子屋さんと推測される建物ですが。

 


 味がありますねぇホント。松坂牛はご愛嬌として(笑)。
 ここに雨樋があるんですけど、それがちょっと歪んでいます。

  


 おわかりいただけますか。一部出っ張ってます。

  


 以前に何か避けねばいけないものがあったのでしょうね。それがなくなっても、樋はそのまま、しかもちゃんと補強されてます。この空間がトマソン的ではあります。
 しかし、この雨樋は縦樋だけで、上部に軒樋がないんですね。建築のことはよくわかんないので樋そのものがトマソンであるとは言えませんが。

 トマソンでよく話題になるものに「純粋階段」がありますが、これが僕の行動範囲の中ではなかなか見つけられていません。気づいていないだけでたぶんどこかにはあるんでしょうけれどもね。
 これは、夙川の堤防にある石の階段なんですが。

  


 片鉾池の川を隔てて東側ですね。上っても柵があります。おそらく歩道橋が出来たのでこの階段は役目を終えた、ということなんでしょうが。
 しかし、あの柵は乗り越えられるのですね。なので、ちょっと不完全要素が残ります(笑)。

  


 これは、阪神電車の南側、新川にある階段ですが、金網フェンスに鍵のかかった扉が設えてあるので、トマソンとはいえません。普通の階段です。
 しかし、子供たちは簡単にフェンスの横から入って階段を利用してる(笑)。むしろこれはフェンスが無用の長物…トマソンなのではないでしょうか。(^▽^;)
 でもこの金網は美しくないからなぁ…やっぱり違うかな。

 どうも僕の場合、ヘンに面倒くさい性格であるために史跡・遺構と超芸術の間をいったりきたりしてしまい、なかなかトマソンを見つけられません。

 こういうのがいいのかも。

  


 草木に埋もれてゆく玄関。甲子園口駅近くにあります。この裏にはもちろん家はありません。無用門物件です。
 蔦の繁茂具合からいっても、結構放置されているような。しかしインターホンの存在が効いてますね。思わず押したくなってしまう。そこがなんだかトマソンっぽい。絶対に史跡じゃない(笑)。
 
 なんだか七面倒くさい話も書いてしまいましたが、西宮には間違いなく史跡であり、同時にトマソンでもある物件が存在します。これはちょっと、そういうものを超越している。
 もうおわかりの方もおられるかもしれませんが、これですね。

  


 一応「甲武橋マンボウ(仮)」と僕は勝手に呼んでますが、これを以前、史跡として考えたことがあります。→「新堀川上流最大の謎」に迫る 〜以下連載
 僕の西宮ブログデビュー作なので思い入れもあるんですが、結局最終的には推察で終わっています。郷土史家の今津っ子さんが太鼓判を押して下さったのでおそらく旧道の遺構であることは間違いないとは思いますが、別にちゃんとしたところが言及して下さったという話は聞いてませんし、甲東文化財保存会が説明板を建ててくれたりもしてません。o(^▽^)o
 なので史跡云々は措いたとしても、これがトマソンであることは間違いないでしょう。物件としては珍しい「純粋トンネル」に該当するのではないでしょうか。

  


 もちろん煉瓦積みのこのトンネルは、むきだしです。トンネルというものは、何かを貫通するために存在するもの。したがってこれは、無用の建造物です。

  


 そして何よりも、美しい。煉瓦造りはいいですねー。この美しさが超芸術たるトマソンには必要なのでしょう。


 いろいろ並べまてみましたが、これらは僕個人の観測範囲内であって、市内には他にもいっぱいトマソンは眠っているんでしょうね。僕も(・_・ ) ( ・_・)キョロキョロいたしますが、またどなたか見つけたら教えていただけませんでしょうか。v( ̄∇ ̄)v
     


トマソン
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 興味深いお話ですね。「トマソン」知らないのでさっそくググってみます。

[ mamimi ] 2017/07/15 10:00:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

>mamimiさん
ありがとうございます。無用の長物なのに撤去されず何故か保たれているものには、確かになにか面白みがあるような気がします。

[ 凛太郎 ] 2017/07/18 5:16:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

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