凛太郎の自転車操業

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近況その他いろいろ

 えー、ご無沙汰しております。凛太郎です。もう忘れられてしまったかもしれませんが。(^▽^;)

 少し近況を書きます。
 ある日のこと。まだ寒い頃です。あたくし、ちょっと早足だったかもしれませんが、普通に道を歩いていたのです。そのとき突然に、背骨がずれたような衝撃が腰に走りまして。

  ( ̄□ ̄;)!! アッ!!

 そのまま、一歩も動けなくなりました(汗)。しゃがみ込むでもなく、足を一歩踏み出したまま固まってしまいました。
 その瞬間、あたしの背骨と背骨の間を繋ぐ軟骨の部分が、ぶしゃっと潰れたのですな。そして潰れた軟骨が飛び出て脊髄を圧迫し、結果、脚に激痛が走るという、つまり「椎間板ヘルニア」というヤツを発症してしまいまして(汗)。
 しばらく寝たきりです。(´_`。)グスン
 その間、厳しい坐骨神経痛を抑えるために尾骶骨からぶっとい注射を打ったり(神経ブロック注射。これ涙出ますな^^;)、様々なことを致しまして。今はなんとかギリギリ社会生活を営んではいるものの、まだ完全治癒には遠く、余暇は基本的に背骨を垂直にすることを避け、横になっています。
 僕はスマホなどというハイカラなものは持ち合わせておらず、PCを操作するには座らなければなりませんから、しばらくネットからは遠ざからざるを得ず、結果ご無沙汰ということになってしまいました。また僕がここで書いているブログは基本的には自転車による西宮史跡探訪であり、チャリなんぞまだ全然乗れませんから、書くことなんぞありません。
 本当は今年、また大きな連載を目論んでいたのですけれどもね…。今のところ予定が立ちません。(T_T)


 まあその暗い近況はこのくらいにして(汗)。ちょっと近所の話だけでも。

 



 阪神甲子園駅東改札ですが、すっかり整備されました。
 前回記事を参照していただければと思うのですが、ここに存在した路面電車阪神甲子園線の最も大きな痕跡であった架線柱が、僕が寝込んでいる間に見事に無くなってしまいました。予想されていたこととは言え、寂しい限りです。

 


 停留所の屋根の一部はまだ僅かに残っているものの、これも時間の問題です。
 これで、路面電車の遺構として今後残るものは…

 


 国道43号線の高架下にある架線支持金具(架線を留めていたフック)のあとです。4つづつポツポツとならんでいます。そして、

  


 甲子園筋西側に6つ存在する架線柱の台座です。これについてはこちら記事を参照してください。
 なお、この台座の存在を僕に教えて下さった14たくぢさんが、西宮流で連載を始められました。こちらも是非ご覧下さい。→西宮から路面電車が消えて40年〜その遺構を探す@〜


 さて、もうひとつだけ。阪神武庫川線の洲先駅についてなのですが。

 


 以前別サイト「ちょっと歴史っぽい西宮」で、洲先駅の位置の変遷がわからない、ということを書きました。→昭和〜廃線跡ウォッチ2〔旧武庫川線〕
 武庫川線の前身は、戦時中に突貫工事で造られた省線(JR)西ノ宮駅から現在の武庫川団地の場所にかつてあった川西航空機への引き込み線であり、洲先駅はその終点(現在の武庫川団地前駅)に位置していました。そして戦後、軍需工場であった川西航空機への引き込みが不要となり、元洲先駅は廃止、そして北へ移転します。その戦後の洲先駅が現在の場所と同じであったのか、あるいはもう少し南にありさらに移転して現状に落ち着いたのか、ということが資料によって異なり、特定できない、ということを書きました。
 ここ3ヶ月の間に、この件についてコメントをいただいたり、またメールも何通かいただいたりしました。2011年に書いたこの記事に何ゆえ今反響がいくつもあったのか不思議なのですが、最近どうも昭和の西宮の写真集が出版されたという話を聞きまして、あるいはその影響があったのかもしれません。
 結局、はっきりしたことはまだ分かってはいないのですが、面白いことが判明しました。
 上記ブログ記事のコメント欄を参照していただきたいと思いますが、「Fernweh」さんのお話から、どうも洲先駅のホームはかつて現在の西側ではなく、東側(武庫川側)に存在していたようです。
 また、「元団地民」さんからのメールにおいても、やはり東側にホームがあった推察がなされています。メール添付の画像を無断で公開することは本来いけないことだとは思いますが、ストリートビューを加工されてわかりやすく位置説明をされていますので、申し訳ありませんがリンクを張らせていただきます。→元団地民氏のgoogleマップ加工画像
 元団地民さんは、堤防強化工事のための移転であると推察されています。おそらくそうでしょう。

 また、「我太呂」さんからもご連絡をいただき、管理運営されているブログ「鉄道の旅 音楽の旅」において、武庫川線洲崎操車場の写真をお父様のアルバムから発見され公開されている由、教えていただきました。大変貴重な資料ですので、ご紹介させていただきます。→「父親のアルバムから(1) 新発見 武庫川線洲崎操車場」以降のページ


 もう既に季節は夏かと思わせる気候となっていますが、僕はまだまだ冬眠が続きそうです。花粉も落ち着いた今じぶん、自転車ウロウロには実にいい季節なんですけれどもねぇ…。
 今年は、僕はマンボウについて書きたいのです。
 明治7年、大阪神戸間に鉄道が敷かれました。この市内南部を万里の長城のように分断した路線で、まだまだ江戸時代の延長線上にあった農村がどのように影響を受けたのか、その歴史を「マンボウ」を中心に細かくめぐってゆきたいと思っていたのですが…果たしていつ頃とりかかれるのか(汗)。何とか年内にはとは思ってるのですが。
 なるべく早めにお目にかかりたいと念じておりますー。(* ̄▽ ̄)ノ~~
   



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凜太郎さん!!近況読ませていただきました。
大変でしたね。一歩も踏み出せない…というところが大変なことだったことをうかがわせます・・・
どうぞお大事になさったください。凜太郎さんのブログファンといたしましても早い回復をお祈りいたします。

[ ちゃめ ] 2015/05/06 20:12:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

私も腰痛持ちで、会社を辞めようかと思ったくらいの時期もありましたが、手術もせず色々治療をトライし、なんとかゴルフができるまで復活しました。その間に読んだ腰痛関連の本は何冊にのぼることか。必ず良くなりますので、ゆっくりご静養ください。
私の経験ではストレスが血流を悪くするため、大敵でした。

[ seitaro ] 2015/05/06 20:12:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さん、こんばんは。
わたしゃ酔って転んであばら損傷。ただの自業自得です。
身体が思うように動かない辛さをちょっとだけ体験中です。
早い回復、早いブログ復帰を心待ちにしています。
とはいえ、ついつい無理して元の黙阿弥っぽいことをしてしまいがちです。(経験者)
ゆっくり、じっくり治してください。お大事に。

[ もしもし ] 2015/05/06 22:45:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

>ちゃめさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
自分じゃまだまだ若いつもりで居たのですが、どうも要因のひとつに「椎間板の老化」ということもあるようです。いやぁ何とも…(笑)。
もちろんそうでないと困るのですが、当初よりもかなり好転しております。あたしも早く復活したいー。どうも有難う御座いました。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:25:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

>seitaroさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
僕も背骨にメスを入れるという選択は怖くて出来ず、保存療法ということにしています。
やはり最初は焦燥感が強くストレスも感じておりましたが、フリだけでも達観したような顔をしていましたら、本当に「なるようにしかならぬ」と思えてきました。その頃から少しづつ良くなってきたように思います。ご助言身に沁みます。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:35:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

>もしもしさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
あばらも大変ですね(汗)。こちらこそお見舞い申し上げます。くしゃみが怖いというところでは、僕と共通項があるようです。
発症したときには、西宮にもまだ粉雪が舞っていました。その後梅も桜も知らぬ間に散り…夙川の鯉のぼりも見ずにしまいました。季節が勝手にかわってゆくことに戸惑いがありますが、おっしゃるとおり無理するとここまで我慢してきたことが無駄になりますので、おとなしくしていたいと思います。

[ 凛太郎 ] 2015/05/07 5:48:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

お大事になさってくださいね〜。
私もぎっくり腰をした後は治ったつもりでも今までのようには距離は歩けないし
家から離れたところでまたギックリきたらと思うとなかなか出歩けませんでした。
今年は市政90年に絡んでか、さくらFMの西宮徹底解剖も4月は市の歴史、
5月は路面電車と古い西宮の話なので、ゆっくりしながらお過ごしくださいね。

[ にゃんこ ] 2015/05/07 9:39:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。m(_ _;)m
本当に痛めますと、腰というのはやっぱり要なんだということをつくづく思い知らされますね。再発が怖いお気持ち、よくわかります。
姿勢の問題で最近はTVというものをほとんど観ることがなく本ばかり読んでますが、無聊を慰めるものとして読書以外はラジオも聴くことがあります。しかしさくらFMはうっかりしていました。あれは確か過去番組も聴けるので、アクセスしてみたいと思います。どうもありがとう。(o ̄∇ ̄)/

[ 凛太郎 ] 2015/05/08 4:39:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「大阪春秋」に西宮砲台が!

 今年ももう少しで終りですね〜。どーもー凛太郎です。( ̄∇ ̄)
 えー、いわゆるネタばれになりますのでこの話を書いていいのかどうか迷うのですが、新年には発売されることですし、あたしは明日からネット環境もない青森のニョーボの実家へ帰省してしまいますので、もう我慢できずに書いてしまうことにします。おそらく迷惑はかかんないんじゃないかと。

 「大阪春秋」という季刊誌があります。大変に伝統ある雑誌で、以前にふくさんが詳しく紹介されています。(→犬と歩く夙川:大阪春秋)
 基本的には大阪エリアの歴史文化を扱っておられるのですが、こちらが、2015年新年号で西宮特集を組まれます。「西宮まちたび博」に合わせて、という意図のようです。

 


 表紙はみやたんです。 v( ̄∇ ̄)v
 中身はもちろんえびす神社からハルヒまで様々な側面から西宮の魅力を紹介しておられます。また以前取材を受けられたことを書かれておられましたとおり(→ネッスンドルマ 「樽工場の片隅で」)、樽商さんの親方さんとやっこちゃんも見開きでご登場されています。付録は吉田初三郎の西宮市鳥瞰図の復刻版です。

 その中に、西宮砲台を論じた小文が載っています。
 えーと、書いたのは僕です。( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
 伝統ある雑誌ですし、執筆陣は主に大学の先生方で、西宮からも郷土資料館の合田先生や俵谷先生が書かれていまして、タダのブロガーの僕はもう場違い感がはなはだしいのですが、何故かそういうことになりまして。
 秋に、僕に一本のメールが入りました。「大阪春秋」に編集委員として参画されておられる大学の先生からだったのですが、僕のサイト「ちょっと歴史っぽい西宮」をご覧になっていただいたようで、「書いてみませんか?」と。ビックリしましたね。ワシでええの? σ( ̄∇ ̄;)ワテ? と。
 もちろんご評価いただいたのは大変に嬉しいことで、多少の気後れもありますが有難く受けさせていただきました。
 ただ、条件をつけました。
 ひとつは「HNでええか?」ということ。そこはブロガーとしてのプライドもあります。やっぱり「凛太郎」として書きたい。で、紆余曲折あって「北川凛太郎」という三流ミステリー作家のような名前で書いてます(笑)。姓がないのはいかになんでも…ということでして。
 もうひとつは、題材ですが。
 依頼側としては、阪神パークと鳴尾飛行場についての話が望まれていたようです。確かに、僕の「昭和〜旧阪神パークそして鳴尾飛行場」という記事は、サイトの中でも群を抜いてアクセスが多く、反響もあった記事です。
 僕も悩みました。この話は、読み物として考えれば面白いものに仕上げられると思います。それにおそらく「西宮特集」として書かれるものはだいたい市域西側に偏ります。鳴尾などは出てこないでしょう(事実そうでした)。それには常々不満もありましたし、ここで僕が鳴尾を書かなくてどうする、という気持ちもありました。
 しかしながら僕は、

 「題材は是非、西宮砲台とさせてください」

 と頼みました。こんなチャンスは滅多にありませんので。
 僕が西宮流時代に連載した砲台についての話を読んでいただいた方もいらっしゃると思います。一言で言えば「一発撃てば煙充満の役立たず不良品砲台やと言われとるけど、そうとちゃうかったかもしれんのやで」という話。
 この話を紙媒体に載せる機会がついにめぐってきた、と思いましてね。
 題材を西宮砲台とする了承も得られ、僕に与えられたスペースは4ページ、約6000字です。なので新しい話は書けず、ここで連載した話のダイジェストになっていますが、それでも「大阪春秋」に書けるのですから有難い。タイトルは「西宮砲台を笑うな」と付けました。
 皆様に育てていただいた砲台の話が、ついに活字になりました。うれしい。(T_T)ウルウル
 本当にありがとうございました。

 「大阪春秋」は、基本的に大阪の大きな書店でしか扱っていませんが、西宮特集ですからもしかしたら北口のジュンク堂などにも並ぶかもしれません。よくわかりませんが。お手にとられる機会があれば、僕も書いていますのでよろしくお願い申し上げます。m(_ _;)m

 それでは皆様、よいお年をお迎えください。
 


西宮砲台
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すごいですね〜。
この雑誌の西宮特集号が出ることは知ってましたが
まだ読んでませんので、楽しみにしています。

[ にゃんこ ] 2014/12/27 12:20:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

わ〜〜〜〜〜〜〜い!
スゴイ!スゴイ!!!
買います(^_-)-☆

>ここで僕が鳴尾を書かなくてどうする
そうだ!!!
あれっ^_^;
「西宮砲台」も、大事ですよねぇ……(笑)

[ Lady J ] 2014/12/27 12:24:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

これは大阪の紀伊国屋へ行ってさがしてみなければ。付録の吉田初三郎の西宮市鳥瞰図復刻版もスゴイ!

[ seitaro ] 2014/12/27 14:07:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さんの「ちょっと歴史っぽい西宮」の中でも西宮砲台を「世界最後のマルテロ・タワー」とされたことが最もオリジナリティがあり素晴らしい発見であると思っていました。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2014/12/27 16:44:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

>にゃんこさん
ありがとうございます。西宮流の岡本さんも出られていますので、にゃんこさんはおそらくご存知だろうとは思っていました。
まあすごいですよ〜(笑)。また読んでください。

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:22:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

>Lady Jさん
ありがとうございます。いや確かにスゴイのですが…あれっ?
すみません(汗)。
僕も何だか鳴尾を裏切ったようでまだ引っかかってるんです。もうチャンスはないだろうなぁ…。m(_ _;)m

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:24:23 [ 削除 ] [ 通報 ]

>seitaroさん
ありがとうございます。砲台のことではseitaroさんには本当に感謝しています。おかげさまであの話が活字にまでできました。
鳥瞰図は昭和27年のもので、そんなに大きくはないのですが資料にはなると思います。
今日の午後大阪に居まして、カーサ・ラ・パボーニの向かいのジュンク堂に少し寄ったのですが、もう平積みしてました(笑)。西宮でも売ってるんじゃないでしょうか。

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:26:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

>西宮芦屋研究所員さん
ありがとうございます。僕も連載の最後に「西宮砲台こそが世界最後のマルテロタワーなのです」と書いたときには自分でもゾクゾクしたことをおぼえています。ただ今度の原稿では字数が足らず、マルテロタワーの歴史を書くことが出来ませんでしたのでやむなくそのことは割愛してしまいました。残念です。

[ 凛太郎 ] 2014/12/27 20:29:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

その節はいろいろとありがとうございました。
思い切ってメールをして、お願いして本当に良かったと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

[ 小川雅司 ] 2015/02/27 3:52:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

>小川先生
とんでもございませんこちらこそお世話になりました。
機会を与えていただいて本当に感謝しています。
今後の小川先生の益々のご発展をお祈り申し上げております。都市としての西宮研究も大変に楽しみです。

[ 凛太郎 ] 2015/03/01 16:34:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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リンクのご報告&道をふさぐ木

★ご報告★

 前回記事のときに申しておりましたが、ようやくブログのリンク張替えを終了しました。西宮流→西宮ブログとなったためにリンクした記事のURLがかわってしまったための措置です。時間かかっちゃったよー ( ̄ー ̄; 
 リンク張りました(^O^)/ のお知らせはブログの場合は本来、トラックバックでなされるべきものですが、前回書きましたようにこのエリアブログには新着TB一覧が表示されませんのでお知らせにはなりません(汗)。一応TBは飛ばしましたがおそらく気づいてもらえないと思われますので、ここに一覧を表示させていただきます(ブログタイトルでアイウエオ順)。
 大変お世話になりました。m(_ _;)m

犬と歩く夙川
 2012/5/13 西宮砲台の修復メモ

今津いまむかし物語
 2010/10/16 今津砲台
 2010/11/03 六石の餅と六石の渡し(2)
 2010/11/16 与古道町から松原天神まで
 2010/12/22 江戸時代の今津港★築港200年とは
 2011/3/26 旧西国街道を歩く(5)★西宮〜御茶屋所
 2011/4/11 旧西国街道を歩く(補足5)★「森具」村名の移り変わり(1)
 2011/4/11 旧西国街道を歩く(補足6)★「森具」村名の移り変わり(2)
 2011/11/3 阪急電車暴走事件(1)
 2011/11/17 新堀川上流最大の謎の地図
 2011/11/29 西宮北口駅のダイアモンドクロス(1)
 2012/1/5 甲子園劇場
 2012/6/4 移設された上ノ町の道標

てもちぶたさん
 2007/11/22 小清水の泉
 2011/9/7 オイチのナス
 2011/11/3 樋之口の煉瓦遺構
 2011/12/19 御茶家所町の道標 

西宮芦屋研究所レポート
 2011/12/10 ビアホール「砲台」 春樹少年が見た香櫨園浜 えべっさん筋はムラカミ・ロード54
 2010/9/1 旧図書館のステンドグラスのある図書館
 2009/11/17 徳川将軍家茂も視察した御前浜(香櫨園浜)の砲台

阪急沿線文学散歩
 2012/4/12 西宮砲台 

フラモニ番外地
 2011/11/3 コスモス目指してサイクリング!

 なお、リンクさせていただいたのは「ちょっと歴史っぽい西宮」ならびにこの「凛太郎の自転車操業」ですが、自転車操業についてはミラーブログもあり、そちらのほうからTBを飛ばしています。理由は、西宮流ブログは字数制限があって記事によってはかなり端折っていましたが、ミラーブログの方はその削った部分を補完し、さらにいただいたコメントもコピペした完全版であることです。もちろん、このブログのリンクも修正済みですが、基本的には同じ記事であるためにTBはひとつにしました。ご了承いただければ幸いです。
 ふくさん、今津っ子さん、にゃんこさん、西宮芦屋研究所員さん、seitaroさん、フラモニさんに心より感謝いたします。ありがとうございました。


 
 まあそれだけでは何ですので、ちょっと歴史っぽい話を。道をふさぐ木の続編です。別ブログでは既に書いたのですがここでも少し。
 滅多に行かない坂の上なんですけど、満池谷墓地とニテコ池の近く、こんな木がありました。
 

 光雲荘西

 
 光雲荘の西側です。かなり大きな松が、道にはみ出しています。
 この場所は、ニテコ池の西側丘陵(南郷山)のピークといってもいい場所です。そこから、この木について少しだけ想像をふくらませることはできます。
 式内社でもある古社、名次神社は、平安時代は越水丘陵にあったという説もありはっきりしませんが、明治時代には南郷山の上に存在していたとされます。
 つまり、ちょうどこのあたりにあったことが想像できます。当時は、相当に廃れていたと言われます。そして明治41年に、おそらくは宅地開発のためだと思われますが、この場所より少し北に規模を縮小して遷座しました。
 この巨木は、もしかしたら明治末までこの地にあった名次神社の御神木のひとつだったのではないでしょうか。
 そういった意味合いで、道を塞いでいるにもかかわらず現在もこうして残っているのではないでしょうか。想像ですけど(汗)。 
  


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いまでこそ、松が減りましたが、50年ほど前はこのあたりの家の庭にも、県道沿いの空き地にも夙川公園と同じように松がたくさん生えていました。松ではありませんがこの道の二本西側の通りをふさぐようにして楠が一本あります。曲がり方から見てその道が旧道だと思います。南郷山、名次山といわれているところは越水丘陵と対面するニテコ池の西側かと思っていますが、南郷と名次の区別が今ひとつよくわかりません。南郷山と書いた石の柱は南郷町と若松町の境目のあたりの家の庭にいまでも残っているようです。http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10762304c.html 南郷山一帯が明治末まで神社というのはあまり聞いたことがありませんが、ならば発掘したら何かでそうなものですが、近世の遺構が出たという話も聞いたことがありません。

[ ふく ] 2012/10/20 12:57:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

二本西側の道のあたりは現在のバス道と県道の間に池があったおんが、池が埋め立てられて市営住宅になったようです。楠のあるあたりが池の土手かもしれません。

[ ふく ] 2012/10/20 14:23:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

>ふくさん
まずは、本文の件ではお世話になりありがとうございました。m(_ _;)m
僕は甲子園に住んでいますので、実生活では夙川方面に本当に縁がなく、ことに阪急以北は全然ウロウロする機会などないわけです。三条実美の苦楽瓢のことを知って「ああ苦楽園命名は幕末維新と関係あるのか」ということで初めて苦楽園に行ったくらいです(汗)。
そういう感じなので、ここの二本西側の道は通ったことがなく、クスノキのことも存じ上げませんでした。一度いってみます。今日行けるかな…。
地図で見ますと丘陵上の道ではないようですね。確かに、丘の上の道より古いのでしょう。池があったことも存じ上げません。灌漑用のため池だったのでしょうか。
これは定かではないのですが、どうも名次神社は最初は越水丘陵にあった可能性が高いことが指摘されています。あちらは、近世どころか古代の遺物まで出土していますね。延喜式に載る古社ですから、その方が相応しいかもしれません。
ということは、後に南郷山へ遷座したわけです。その移転の時期はわからない。足利尊氏が越水に陣をしいた南北朝時代か、それとも瓦林正頼の頃か。僕は越水城が旧名次神社跡ではとの妄想を持っていますが、さすれば遷座は戦国期以前です。
実際は鎌倉時代、或いは越水城以降は古名次神社は廃れていて、延喜式が注目されだした江戸時代後期に新名次神社として再建、というのが正しいのかもしれませんけれどもね。
なので、古歌に詠まれる名次山というのはもともとニテコ池西の丘のことではなかった、という説が有力です。越水のほうが名次山だったと。名次町、北名次町という名は現名次神社由来ですので、明治以降に便宜的に名づけられたのでしょう。南郷という地名のほうが古いと思われます。なのであの丘は南郷山であると思うのですが…。
ただ、南郷という名も由来がわからないらしく(北郷があるわけじゃないですからね^^;)。南郷という字名は昔から存在していて、そこから南郷町という町名が出来たと山下先生の「町名の話」には書いてありますが、その字名南郷はかつてはもっと狭い範囲だったかもしれず、あの丘陵全域を指していた名なのかはよくわかりません。

[ 凛太郎 ] 2012/10/21 6:56:01 [ 削除 ] [ 通報 ]


もしも「南郷山」の石碑が明治以前のものであれば、あの一帯は完全に南郷山ですが、明治以降のものだと、南郷町という町名成立によって南郷山と呼ばれるようになったという可能性も出てきます。その石碑、見てみたいですねー(見たっていつの時代のものか僕が鑑定できるわけではありませんが^^;)。
南郷山一帯、と申しますか中心部が明治末まで神社だったということは、名次神社内の説明板に書いてあるんです。遷座の記録も残り、何といっても近年のことですからこれはもう間違いない事柄でしょう(残念ながら昔の名次神社の写真その他は見たことがないのですが…残ってないのかな)。
ただ、宅地開発されるくらいですから、相当廃れていたのではないかと想像できますね。遺構の記録も、僕は読んだことはありません。どのくらいの規模だったのでしょうね? 現名次社よりは、大きかったらしいんですけど…。
とにかく、また現地に行ってみます♪ ありがとうございました。

[ 凛太郎 ] 2012/10/21 6:57:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

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