凛太郎の自転車操業

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西宮砲台30 世界史上に位置する西宮砲台〜むすびにかえて

 


 西宮砲台。今日も昨日とかわらず、でーんと香櫨園浜に鎮座しています。

 修復されて、もう37年。薄墨色の迷彩も徐々に色褪せ、漆喰の崩落もみられます。海風のほかに、地震の影響もあったかもしれません。そうして、建売り住宅の壁のようと言われたこの修復後の肌あいも、徐々にまた古色を帯びてゆくのだろうと思われます。

 唐澤靖彦氏の論文「マルテロ・タワーとしての和田岬石堡塔:その世界史的位置」は、以下のようにしめくくられています。

「現存する和田岬砲台の石堡塔の歴史的価値は、日本の近代を告げる史跡という価値だけにとどまりません。それは、日本が世界に開かれていくことになる神戸に築造された、そして世界のマルテロ・タワーのなかでも最後期に造られた日本式のマルテロ・タワーという、世界史的価値をも有しているのです」

 マルテロ・タワーは、実は世界的には、1850年代でほぼ建造が終わっています。それは、軍艦砲のレベルが上がったからです。施条砲弾(ライフル砲)により照準が安定し正確になったことがあげられます。火砲力向上。これによりマルテロ・タワーはフロリダのキーウェストで建造中のものが1866年に工事を中断。以後、史上に姿を見せなくなります。
 だから砲台は時代遅れなのだ、と言ってしまうことも可能です。しかし、唐澤先生もおっしゃってますが、黒船によっていきなり西洋軍事技術に直面した日本人が、必死で蘭書を読み解き、想像し、それまでの日本技術を融合させながらあれだけのものを造ったということは、誇るべきことであるように思えて仕方がありません。
 そして、1866年にフロリダで最後の工事が中断したということは、慶応2年(1866)に完成した西宮砲台こそが、「世界最後のマルテロ・タワー」なのです。唐澤先生の「日本の近代を告げる史跡という価値だけにとどまらない、世界史的価値を有するもの」とおっしゃる言葉は、まさに西宮砲台にこそ与えられてしかるべき冠である、と僕は思うのです。
 そういう面も踏まえて、この地に住む方々に、この西宮砲台という史跡にもう一度新たな目を向けて欲しい。僕はそう願ってやみません。


 長々と書いてきました。
 西宮砲台は以前からどうしても気掛りな存在であり、歴史散策サイトを始める前から資料を読んだりして、人よりも多少の知識は持っていたつもりでしたが、徹底的に考察する、というまでは至っていなかったと思います。
 seitaroさんの4/12記事をきっかけに、歴史オタクの僕は、この際本気でとことん西宮砲台について考えてみよう、と思いこのシリーズを始めました。途中、唐澤靖彦氏の論文に出逢えたことは、誠に僥倖でした。
 役立たずの無用の長物と言われ続けた砲台の、少しは名誉回復への一助になったか、と言われれば、それはわかりません。ですが、こういった考え方もあるんだ、ということをネット上に置いておく事も多少の意味があるのではないかと自分を納得させつつ、筆をおくことにします。

 以下、参考文献です。

「西宮市史」 「西宮町誌」 「新修神戸市史」 「兵庫県史」 「老の思ひ出」吉井良秀 「西宮物語」大村利一 「日本城郭大系」第12巻(大阪・兵庫) 「新版ひょうごの城」橘川真一・角田誠編著 「兵庫の城紀行(下)」朽木史郎・橘川真一編著 「岡方文書」神戸市教委編 「勝海舟」石井孝 「勝海舟」「坂本龍馬」松浦玲 「幕末海防史の研究」原剛 「神戸居留地史話」土居晴夫 「神戸〜尼崎 海辺の歴史」辻川敦・大国正美編著 「和田岬砲台の源流を探る」唐澤靖彦他

 他にも数多くの書籍を参照しましたが、スペースがないので、引用だけした書籍は本文に譲り割愛させていただきます。野坂先生ごめんなさい(汗)。
 リンクを張らせてもらった多くのサイトにも感謝いたします。
 そして、書くきっかけとなりその後も様々なサポートをいただいたseitaroさん、的確な助言を数多く下さったimamuraさんをはじめ、この長い話を読んでいただいた西宮流コミュニティの皆さんに、厚く御礼申し上げます。
 
 本当にありがとうございました。

 西宮砲台シリーズ 了



西宮砲台

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西宮砲台29 我々が誇るに値する史跡として

以前、和歌山へ行った時に、こんな石碑を見ました。

 



 「勝海舟寓居地」。和歌山市駅からほんのすぐそこです。文久3年に海舟が紀州藩で、摂海防備の台場建設の助言をしに和歌山に来たときに、ここに逗留したという記念です。ただそれだけのことで、ここで砲台の建造を海舟が行ったわけではありません。が、石碑が建っています。これは坂本龍馬も一緒に来たということが寄与しているのかもしれませんが、それでも、たったこれだけのことで顕彰されているのです。
 このシリーズを始めた頃seitaroさんが「砲台酒饅頭」などの銘菓があってもいい、と楽しい話を寄せて下さいましたが、実際に横浜では、海舟が設計した神奈川台場を記念して「勝サブレ」なる菓子が販売されていました。その是非はともかく、顕彰されていることは間違いありません。
 その神奈川台場はもう地面の下なのですが、ちょうどこの連載を始めた頃、発掘され公開されるというニュースが出ました。Web上の記事はもう消えていますが、丁寧に紹介してくださっているブログがありましたのでリンク張らせていただきます。(→Forth!) お世話になります。
 勝海舟ということで言えば、神戸では海軍操練所があったことから、顕彰碑がいくつも建っています。直接砲台というわけではありませんが、神戸発展の礎のひとつとして認識されているようです。
 それと比べて西宮市は…と言うつもりはありません。僕は別に勝海舟だけを顕彰せよとは思いません。ただ、馬鹿にしなくても良いとは強く思いますが。

 あの砲台は、もちろん勝海舟だけが顕彰されるべき史跡ではありません。幕末という激動の時代に生きた人たちの、知恵と努力と粘りの賜物として存在していると思っています。設計したひともいれば、献金した人もいる。また、杭を打った人足の人たち。石を運ぶ途中に難破してしまった船頭さん。熟練の石工さん鋳物師さん大工さん左官さん。そんな人たちの力が集約されて、あの砲台が今も残っているのです。

 今津砲台は、もうありません。大正4年(1915)に払い下げられ、解体されました。
 今津砲台のことについては既に失われているため、あまり語られることがありませんが、そこはやはり今津っ子さんが丁寧な記事をあげられています。→今津いまむかし物語:今津砲台
 鷲尾三郎氏の砲台への挽歌を引用されています。その惜寂の思いが、胸をうちます。鷲尾氏と大村利一氏は同世代のはずですが、今津と西宮でここまで描写が違うとは。



 今は残石がひとつ、石碑となって残っています。この記念石を見るだけでも、むかしの人に思いを馳せることは出来ます。


 


  


 


 丁寧に扇型に削られた巨石。相当の手間がかかったことでしょう。このカーブが、弾丸の衝撃を分散させるのです。
 細工があります。前方側面に見えるホゾ穴は、左右の石と石を繋ぐための鉄千切(チギリ)と呼ばれる金具を埋め込むためのもの。そして裏面にある穴は、上下を固定するための鉄製のダボを装着するための穴です。こうして、弾丸が当たっても崩れない接続を生み出しています。もちろん西宮砲台もそのような構造です。そうでなければ、いくら補強をほどこしたところで、あの未曾有の震災を乗り切れなかったと思うのです。
 西洋のマルテロ・タワーはレンガ造りです。レンガのなかった日本は、なんと石細工でこれを造り上げたのです。日本の伝統技術が、あの巨大要塞の建造を可能にしたと言えます。
 仮に、設計に不備があったとしても(僕はそうじゃないと縷々言い続けていますが)、この幕末の巨大建造物を「マヌケ」「馬鹿みたい」と笑う気には、僕は到底なれないのです。

 次回、最終話です。



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西宮砲台28 仮説・後世まで語り継がれた「その間違い」

 前回、西宮砲台含む兵庫の4砲台は、オランダ築城書によるマルテロ・タワーを完全に模したものであり、大砲は本来屋上となる三階部分に設置される予定ではなかったのか、と仮説を立てました。これでしたら、黒色火薬による大量の硝煙が充満することはありません。
 また、石堡塔は軍艦との砲戦を想定して建造されていますが、同時に陸戦の可能性も勘案し、堡塔のまわりに塁を廻らせ歩兵との応戦を可能にし、さらに従来砲門と考えられていたものは鉄砲狭間すなわち銃眼であって、城塞としての役割をも同時に果たそうとしたのではないか、と考えました。

 僕は資料を読んでいて、読み落としていたことがありまして。
 このシリーズの第10話「和田岬砲台との比較」において、新修神戸市史と日本城郭体系を引き、和田岬砲台で試射が実際に行われた史実があると記しました。
 実は「新版ひょうごの城」にも、この試射の記載がありました。さほど詳細ではなかったので措いたのですが、よく読めばそこには、元治元年60ポンド砲と18ポンド砲各一門を「堡塔上(内部ではなく屋上)」に運び上げた、と記されていたのです。なんですと!
 この読み落としは全く恥ずかしい限りなのですが、この仮説においては追い風です。僕は神戸図書館で裏付けをとろうと、旧兵庫津の岡方惣会所に伝存されてきた町政文書「岡方文書」を繰りました。
 元治元年の「岡方會所日記断簡」。内容のほとんどは金の証文ばかりなのですが、その中に「御臺場」の文字がちらほら。その証文のひとつに、

「一、弐拾壱貫五百弐拾弐文 手傳 清八
 右者和田大炮御囲場取竹木夫々江運送幷門取建手傳尚又六十斤筒壱挺御囲場ヨリ運送之上御臺場上へ引上ケ人足賃」

 御台場上へ引き上げ。これは、傍証になるかもしれません。

 もうひとつ、いつもの三菱造船所のページですが、その構造の欄に「2階と屋上にはそれぞれ11門、16門の砲門が設けられていますが」とあります。これですと屋上に16門の砲門があったことになっています。うーん。
 この話の出典の確認はまだとれていませんが、他にも屋上に大砲を据えて撃った、という記録が残っているのかもしれません。

 和田岬砲台は何度か試射をしていますが、その最初は「日本城郭体系」によれば元治元年8月13日で、60ポンド砲はそのときです。海舟はその日から幕命による急な出張で豊後姫島へ。ただ岡方文書によれば「當浦御碇泊順動丸御船へ當月十三日御軍艦奉行勝安房守様神戸村御操練所ヨリ御越御乗船」とあり、兵庫津に来ています。試射に立ち会う時間はなかったかもしれませんが指示はしたかもしれません。
 次の試射は10月13日です。海舟の動向はわかりませんが、江戸への召喚命令が10月22日ですから、まだおそらく神戸にいます。試射に立ち会った可能性もあります。
 そして、試射はおそらく成功しているのです。煙充満失敗という記録はありません。設計者の海舟、与之助が神戸にいる以上、立ち会ってはおらずともそんなことがあれば何か伝わるはずです。
 やはり、屋上を砲床として(御台場上へ引き上げて)、当たり前のように試射したのではないでしょうか。蘭書に載るマルテロ・タワーと同様に屋上に大砲を据えて。

 それから2年。この間時代の流れは速く、安政条約も勅許され攘夷論も空論化してきました。幕府の凋落傾向は如実となり、裏では薩長同盟。そんな忘れられた頃に、西宮砲台は完成しました。


 もちろん、もう海舟も与之助もそこにはいません。指揮する監督官不在です。
 砲術の専門家すらその場に居たかどうか。慶応2年後半であれば、幕府は第二次長州征討戦の真っ最中であり、しかも幕軍は大苦戦です。大砲が撃てる専門家はみな駆り出されていたかもしれません。
 もしかしたら、長州がこのまま攻め上ってくるかもしれない。そんな情報も出ていた可能性もあります。この砲台も使えるかとにかく試せと命じられ、下級幕吏がよくわからぬままとりあえず窓が開いている二階へ大砲を持ち込み、2、3発撃ってみた…。
 結果、煙充満。砲手はいたたまれず外へ。それを町衆は笑い、吉井良秀少年が記憶して後世に伝えた。
 この西宮砲台の試射失敗の原因は、設計ミスでもなく、大砲や火薬の不備でもなく、真相は単なる「マニュアル伝達の不備」だったのではないでしょうか。
 これが、僕の仮説の結論です。ただ、使い方を間違っただけ。

 学者か歴史家かどなたか偉い人にご検討いただけないでしょうか。



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