阪急沿線文学散歩

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夙川カトリック教会でテレマン・アンサンブルのチャリティコンサート

 夙川カトリック教会で5月21日(日)にバザーとともに、テレマン室内オーケストラによるチャリティコンサートが開催されました。


 I.J.プレイエルのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ハ長調から始まりましたが、今回は馴染みのある曲ばかり。

 延原武春氏の軽妙なおしゃべりと曲目紹介です。

ルロイ・アンダーソンのフィドル・ファドル、ジャズピチカート、ブルータンゴなども演奏いただき、さらに延原武春氏も演奏に加わったオーボエ・コーナーでは、星に願いを、浜辺の歌、初恋なども。

 前回はこの聖堂で、ヘンデルの「メサイア」をお聴きし、荘厳さにうたれましたが、今回は楽しい曲ばかりでした。

わずかばかりの献金をさせていただき、教会をあとにしました。楽しいひと時を、ありがとうございました。




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夙川カトリック教会聖堂地下ホールがブスケホールと名付けられていました

 夙川カトリック教会の地下ホールは、戦時中海軍療品廠となり、須賀敦子さんが薬の整理に従事した場所でもあります。


その部屋が、今年の3月に夙川カトリック教会の創立者であるブスケ神父の名をとって「ブスケホール」と命名されました。



 5月21日(日)には恒例のバザーと併せて、「シルベン・ブスケ師展」が開催されており、訪問いたしました。


ブスケ神父に関わる貴重な写真や資料、映像が大石輝一画伯が描いたブスケ神父像とともに展示されていました。

(上の写真は昨年夏芦屋市民センターギャラリーに展示されたブスケ神父像の前で)

 1943年北野教会の主任司祭を務めていたブスケ神父は憲兵に捕らえられ、3月に亡くなり、服部霊園に埋葬されていましたが、戦後満池谷墓地のキリスト教区に改葬されることになります。
 神父の死後6年を経て、1949年に信徒たちが神父の墓を掘り起こし、遺体を夙川教会に安置し、田口司教によるミサが捧げられた後に、満池谷墓地のキリスト教区に葬られたのです。

満池谷墓地キリスト教区のブスケ神父の墓所


その時の貴重な写真が展示されていました。

戦時中憲兵隊に連行され拷問を受けたメルシェ神父の姿も見えます。



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 ずっと気になっていた品川の洋食屋さん「つばめグリル」へ       

 久しぶりに品川で宿泊しましたので、以前から気になっていた「つばめグリル」に初めて入ってみました。


 
つばめという名前の由来は、昭和5年10月1日に東京駅を出発した“特急つばめ”にちなんだもので、その名を後世に残そうと、「つばめグリル」と命名されたそうです。


レストランに入るとすぐ目の下にキッチンが見えました。

食材いこだわり、製法にこだわった、いかにも老舗のプロの洋食屋さん。

接客もテーブルへの案内もしっかりしています。

まずはビットブルガー・プレミアム・ピルスと黒のケストリッツァー・シュヴァルツビアを注文して乾杯。

次に湯むきした丸ごとのトマトにチキンサラダを詰めたつばめグリルを代表するサラダというトマトのファルシーサラダを注文。

メインはやはり一番人気のハンブルグステーキ。
ビーフシチューとハンブルグステーキを組み合わせて包み焼にすることで、より旨味が凝縮されるそうです。

アルミホイルで包まれふっくらと膨らん運ばれてきました。
サイドディッシュのベークトポテトもホクホクです。

アルミホイルをフォークで開けるとそこにはビーフシチューと絡み合った熱々のハンバーグがでてきました。

ホテル並みの味とサービスで、値段は大衆食堂。大満足でした。



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大昔誰だったか年長者の方に連れて行ってもらってご馳走になった記憶があります。

[ せいさん ] 2017/05/21 21:40:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

一人では、入りにくそうだったので前を通るだけだったのですが、今回訪れて、一人でビールを飲んでおられる方や、親子二人づれなど、常連さんも多く、雰囲気の良いお店でした。

[ seitaro ] 2017/05/22 5:05:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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堂島のパボーニで「味いちもんめ」の倉田よしみ 漫画・イラスト原画展

「味いちもんめ」の倉田よしみ 漫画・イラスト原画展が、大阪市北区堂島の「カーサ・ラ・パボーニ」にて開催中です。

期間:2017年5月16日(火)〜6月9日(金)


倉田よしみ氏は、ちばてつやのアシスタントを経て、1978年、「週刊少年サンデー」に掲載の『萌え出ずる…』でデビュー。

86年から「味いちもんめ」シリーズを漫画誌で連載、現在は「味いちもんめ〜にっぽん食紀行〜」を手がけられ、2013年から京都造形芸術大マンガ学科教授。神奈川県にお住まいとのことですが、大手前大学専任教授も務められており、西宮にも来られるとのこと。パボーニでお会いしてお話させていただきましたが、気取らない大変親しみの持てる方でした。





 京都新聞の「知と感性の異種格闘技」というコラムに、倉田よしみ氏と料亭「木乃婦」社長の高橋拓児氏との対談が掲載されていました。

そこで夢を持つ若者を導き、技術を伝える責任について、次のように述べられていました。

<倉田 40年以上前にちばてつや先生のところでアシスタントをしましたが、当時は誰も教えてくれず、見よう見まねで覚えた。>


<倉田 漫画制作を学ぶ学生も静かな子が多い。見えないところで努力すればもっとうまくなるのにと思うこともあります。今の漫画界は若い人を育てる体制ではなく、ある程度仕事ができる人を集める。僕がアシスタントの時代は周りを見て一つ一つ仕事を覚える余裕もあった。背景などを描く中で、これだけはほかの人に負けないようにと技術を磨いた。>


<倉田 うちは4人のアシスタントがいて、1回16ページを隔週で雑誌に連載中です。朝方まで描き続ける日々ですが、アドレナリンが出るのか、ずっと書いていたい気持ちになる。ペン先や鉛筆など道具にもこだわります。細部に完璧さを求めるので、完成はいつも締め切り間際。20時間以上起きていることもあり、息抜きにみんなで食事に行くこともある。>

一流の漫画家への道の厳しさが伝わってくる対談でした。


でも倉田教授の授業は学生には人気があるとのこと。人柄からでしょうか。




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BSでも紹介されていた国立新美術館のミュシャ展へ

 東京に所用があり、4月にBSプレミアム「華麗なるミュシャ 祖国への旅路 パリ・プラハ 二都物語」で紹介されていた国立新美術館の「ミュシャ展」に行ってきました。


 2017年は日本とチェコが国交を回復してから60周年を迎える年にあたるということで、ポスターにも書かれているように、超大作ミュシャの「スラヴ叙事詩」がチェコ国外では世界で初めて、全20点の公開が実現したようです。


 アルフォンス・ミュシャは、モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡ります。

 34歳の時に、女優サラ・ベルナールのポスターを手がけ、成功し、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルでよく知られています。


 私も「スラヴ叙事詩」については、テレビで知ったのですが、ミュシャは50歳で故郷のチェコに戻り、晩年の17年間を捧げて、古代から近代にいたるスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を巨大なカンヴァスに描いた20点の油彩画「スラヴ叙事詩」を完成させたそうです。

 初めての新国立美術館でしたが、さすが東京で、入場にも大変な行列に並ぶことになりました。


 普通は美術館や博物館では写真撮影が許されませんが、嬉しいことに数作品の写真撮影が許されているコーナーがありました。

「聖アトス山」

「ロシアの農奴制廃止」

「スラヴ民族の賛歌」

「スラヴ叙事詩」は、1960年代以降、モラヴィアのクルムロフ城にて夏期のみの公開で、ほとんど人の目に触れることはなく、その幻の傑作が、ようやく2012年にプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿で全作品が公開され、今回初めて国外で公開されることになったそうです。

 ミュシャ展では、《スラヴ叙事詩》のみならず、パリ時代のポスターやアクセサリー、チェコスロヴァキア時代の切手など、よく知られているミュシャの作品を見て回ることができました。



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もう夙川に蛍が乱舞していた!

 ここ数年、6月になって苦楽園太郎さんのブログの夙川の蛍の飛び始めの情報を頼りに、蛍を見にいっていました。
 ところが今日(5月19日)21時ごろ、阪急苦楽園口駅から苦楽園口橋を渡って家に帰ろうとしている時に、蛍が飛んでいるのが目に飛び込んできたのです。


直野祥子さんの『夙川ひだまり日記』によると、

<昭和三十年代までは、夙川も水遊びができるきれいな川でした。メダカを追いかけたりカワニナを集めたり、さらさらの砂が足の指をとおりぬけました。それより前は蛍がたくさん飛んでいたそうです。>
と、書かれているように、昭和30年代以降になって蛍はいなくなったのです。

 その後、下水道も整備され夙川の浄化も進み、5,6年前からなのでしょうか、おそらく地元の方々の努力により、チラホラ蛍が見れるようになりました。


 今日乱舞とは少し大げさですが、蛍が舞っていたのは、赤矢印で示した苦楽園口橋の直下から上流にかけてです。


griさんのイラストを拝借しました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061426/p10738869c.html

 苦楽園口橋といえば、宮本輝の『にぎやかな天地』の挿画で描かれているように、自動車が頻繁に通る橋です。

こんなところに蛍が戻ってきてくれたとは驚きでした。
そして、今年はなんでこんなに早く蛍が飛び始めたのでしょう。



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門井慶喜『屋根をかける人』W.M.ヴォーリズと心斎橋大丸

 門井慶喜『屋根をかける人』の最後には、ヴォーリズ建築の研究者として有名な大阪芸術大学教授・山形正昭氏から教示を得ましたとの謝辞が記されており、小説の中でも数々のヴォーリズ建築が登場します。
 広岡浅子の大同生命本社ビルはもちろん、昨年から建替え工事にはいっている心斎橋大丸も登場します。


 大正4年の秋か冬のこと、近江八幡の事務所に戻って来たヴォーリズは佐藤久勝を呼びます。
<メレルは彼の横に立ち、ぽんと肩をたたいて、「おもしろいところから話がきました。教会でも保険会社でもない、あなた好みの業界です。デパートメントストア」「でぱーと?」「百貨店ですよ。心斎橋の大丸」>と佐藤久勝にデザインをまかせるのです。
 佐藤久勝は、滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)出身で、ヴォーリズのバイブルクラスで学んだ生徒の一人でした。

2015年には「心斎橋大丸原図展〜ヴォーリズと佐藤久勝〜」が各地で開催されていました。

この人事が図に当たります。
<ひとたび心斎橋筋に面した東側の中央玄関から入った客は、「わっ。」わっ」大きな声をあげ、ぽかんと口をひらくのがつねだった。何しろ一階の天井がたかだかとしている。壁沿いに中二階がぐるりと浮いている。>

<親柱、太い。まるで床柱のような存在感だが、てっぺんが六角状になっていて、その六つの側面はそれぞれに雪の結晶にも似た幾何学模様の電飾がきらきらと埋め込まれているのが斬新だった。様式的にはアールデコに属するのだろうが、それにしても重厚で軽快、少々しちくどいほどのモダンさの演出。こういう異質感あふれる空間設計は、メレルのついぞ発想し得ないところだった。>

<この雪の結晶ふうの紋様はまた、全館を通じての主旋律ともなっている。壁、天井、エレベーターホール、いたるところで大きさを変え、色を変えつつ目立ちに目立っているため、― 商品がかえって貧相に見える。百貨店の支配人が当惑顔をしたほどだった。>

<いちばん街の話題になったのは、内部装飾ではなかった。外壁でもなかった。その境界線というべき東側の中央玄関。いったいに大阪はむかしから屋号をまったく憶えぬことを粋とする客が多く、−高島屋?どこの反物屋や。などとうそぶくのが常だったが。その彼らでさえ、こと大丸に関しては、−ああ、あの孔雀の。しぶしぶ言わざるを得なかった、その孔雀のレリーフが中央玄関の上に凛然とはめこまれていた。>

<常識的にはあり得ない選択だが、これもまた、発注先であるアメリカのアトランティック・テラコッタ社の担者が、−こんなのはどうでしょう。と提案してきたのへ、「メレル先生、これですよ。これにしましょう」熱心に言ったのは佐藤久勝に他ならなかった。>
<こうして大丸心斎橋店は「あの孔雀の」になり、日本最高の百貨店建築のひとつとなった。>
 しかし佐藤久勝は完成少し前、大丸の建設現場で肺炎で突然倒れます。
昭和7年1月6日佐藤久勝は、完成した大丸の建物を見ることなく永遠の眠りについたのです。

昭和 20 年3 月の大阪大空襲で5 階以上を焼失しながらも耐えた歴史的建造物。
どのような姿でよみがえるのでしょう。

発表されている完成予想図です。




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グリコ・森永事件が題材の『罪の声』に登場する思い出の阪神パーク

 グリコ・森永事件を題材にして、昨年の「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位に選ばれた『罪の声』の作者は、尼崎市生まれ、関西学院大学社会学部卒業、2012年に神戸新聞社を退社し、専業作家となったという塩田武士氏。


 著者は、「この一冊を書くために、グリ森の関連書籍や公表されている資料に可能な限り当たったのはもちろん、事件が起こった84年から85年にかけての新聞すべてに目を通しました。事件現場にも何度も足を運びましたし、周辺に住んでる方への「聞き込み」もやりました。」と取材への情熱を語り、
『罪の声』の最後のページには、<本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ。森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の文言、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。>記しています。

 現場の様子から脅迫状の文言に至るまで、忠実に再現しながら、80年代半ばの日本社会の世相を描き、事件が紐解かれていくという構成によって、「グリコ。森永事件」の臨場感を味わいながら読み進むことができた作品でした。

 著者が取材する過程で、特に印象に残ったのは大阪の摂津市にある水防倉庫と述べています。

<ここは「グリ森」で江崎勝久社長が実際に監禁された場所ですが、行ってみると、倉庫だけがぽつんと立ち、周辺には何もない。「犯人に土地鑑がなければ、絶対にここには連れてこないだろう」と改めて思いましたね。>

 私がこの作品の中で印象に残ったのは、今も当時の姿のまま残っている水防倉庫とは対照的に、2003年に閉鎖され、今や跡形も無くなっている「阪神パーク」の光景。


 ネタバレになりますので、登場人物の説明はいたしません。
<「時期は分からないんですが、達夫さんは一度、俊也さんを動物園に連れていかれたみたいですよ。阪神パークやったかな」阪神パークはかつて甲子園球場前にあった娯楽施設で、動物園のほかジェットコースターや観覧車なども設置していた。
「あっ、そうや。レオポン見に行ったとか言うてましたね」久しぶりにレオポンと聞いて、俊也の海馬が疼いた。何かあると思った後、すぐ頭に浮かんだのは、ヒョウとライオンの間に生まれた珍獣の姿ではなく、キツネ目の男だった。>

レオポンの剥製は現在もリゾ鳴尾浜に展示されていました。

<たまに思い出すキツネ目の男を尾行するシーン。あれは阪神パークの伯父の後をついて歩く光景だったのではないか。今はなき素朴な施設の情景が甦り、俊也の胸に懐かしく、切ない気持ちが込み上げる。>

著者は1975年生まれ、グリコ森永事件発生時は6歳ですから、この光景は著者の幼いころの思い出と重ねているのかもしれません。

その跡地には今は何も残っていません。



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『涼宮ハルヒの憂鬱』に登場した阪急甲陽線水道道踏切と甲山

 現在、BSプレミアムで『涼宮ハルヒの憂鬱』が毎週金曜午後11時45分から再放送されています。

先日見ていると、阪急甲陽線の水道路踏切のシーンが登場していました。

阪急甲陽線沿いに水道路踏切へと歩く、涼宮ハルヒとキョンです。


水道路踏切で立ち話する二人です。
背景に描かれているなだらかなカーブの山は、実際の写真と見比べてもらえばお分かりのように甲山がモデルなのです。

でも、もう少し甲山らしく描いてほしかった。

阪急電車も登場です。

でも渋いマルーン色が、アニメでは少し残念な色です。

 ところでこの踏切がどうして「水道路」踏切と呼ばれているかご存知ですか。

 神戸市は、上水道水源として、千苅貯水池から宝塚市を横切り、西宮市に新設した上ヶ原浄水構場(浄水場)を経て、神戸市内までの水道の建設に大正3年に着工し、昭和6年に完成させています。

甲山森林公園展望台から見える上ヶ原浄水場です。

 この水路のことを神戸水道と呼び、水道管を埋設した上を管理し易いように道路にしていたため、住民からも水道路と呼ばれていたのです。

 水道路は大池の南側の道から甲陽線水道路踏切を通り、夙川学院前の道から芦屋方面に向かっています。でも今や、西宮ではほとんどの方はご存知ないようです。

ここにあった夙川学院の中・高等学校の校舎は跡形も無くなっていました。


残されたのは付属幼稚園だけのようです。






西宮 甲子園 ラフィット
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門井慶喜『屋根をかける人』に描かれたヴォーリズ設計の広岡本邸

 W.M.ヴォーリズの波乱の人生を題材にした門井慶喜『屋根をかける人』では、広岡浅子がヴォーリズに依頼し、建てられた広岡本邸の場所が明らかにされています。

 小説では、広岡浅子が亡くなる直前に、見舞いに来たメレルに次のように言い残します。
<その直前、メレルは満喜子とともに浅子をみまった。浅子はベッドのから起きられなかった。指で押した痕がのこるほど顔がむくんでいて、意識もやや遠かったが、それでも目を見ひらいて、「……ほんてい」「え?」「本邸、はよ建てなはれ」>
広岡浅子が亡くなったのは大正8年1月ですが、その翌年に本邸が完成しています。

広岡浅子の実の娘が広岡亀子、その夫がヴォーリズの妻・満喜子の実兄・広岡恵三です。

<兵庫県武庫郡本山村の広岡本邸は、翌年、完成した。
 施工は神戸の気鋭の会社、竹中工務店が担当した。実質上の施主である浅子はもうこの世にはいなかったが、それでも広岡恵三・亀子の主人夫婦に五人の子供、アメリカ人家庭教師、執事、それに多数の女中や下僕がいっぺんに住み始めたため、村そのものが活気づいた。一家というより、一企業が誘致されたような騒ぎだった。>

現在の住所は神戸市東灘区本山町森で、現在の甲南女子大一帯が広岡本邸の跡地だったのです。


小説に書かれているように、ヴォーリズ建築には珍しい、お城のような広岡本邸でした。


大同生命大阪本社の特別展に展示されていた、広岡夫妻・ヴォーリズ夫妻の写真です。

神戸の大邸宅のベランダで撮影したもののようです。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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