阪急沿線文学散歩

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神戸元町一番街のユーハイムへ

 センター街から元町一番街までぶらぶら歩いて、ファミリアの展示を見たあと、ユーハイムに立ち寄りました。


アールグレイとケーキのセットでゆっくり。


 昭和のユーハイム本店は、谷崎潤一郎や野坂昭如など関西に住んだ作家たちの小説にもしばしば登場します。大正12年9月の関東大震災で神戸に移ってきたカール・ユーハイムが洋館を借りて店を開いたのは11月1日のことでした。

 その場所は、当時のプレートには神戸市三宮町警察署前書かれており、正確には、頴田島三郎『ユーハイム物語』に神戸市生田区三宮町一丁目三〇九番地と記されています。

それは現在の神戸市中央区三宮町1丁目4−1で、写真左手のローソンが入っている建物の位置にありました。

当時の建物は次のように説明されています。
<英国人ミッチェルさんの設計になるその建物は、神戸に建った洋館の、最初のものだといわれる。(中略)左の端が二階三階へ上がる階段口。それから順に右へ、三つの腰高のD型の大窓が並び、左一つ、右二つの間に幅広くとった三段の石段を上がって入口。>

現在まで残っていないのが本当に残念な建物です。

 堀辰雄の『旅の絵』には昭和7年のクリスマス・イブに立ち寄ったユーハイムの様子が詳しく描かれています。
<夕方、私たちは下町のユウハイムという古びた独乙菓子屋の、奥まった大きなストーブに体を温めながら、ほっと一息ついていた。其処には私たちの他に、もう一組、片隅の長椅子に独乙人らしい一対の男女が並んで凭りかかりながら、そうしてときどきお互の顔をしげしげと見合いながら、無言のまんま菓子を突っついているきりだった。その店の奥がこんなにもひっそりとしているのに引きかえ、店先は、入れ代り立ち代りせわしそうに這入ってきては、どっさり菓子を買って、それから再びせわしそうに出てゆく、大部分は外人の客たちで、目まぐるしいくらいであった。それも大抵五円とか十円とかいう金額らしいので、私は少しばかり呆気にとられてその光景を見ていた。それほど、私はともすると今夜がクリスマス・イヴであるのを忘れがちだったのだ。>

当時の雰囲気を残す写真がありました。
<やがて若い独乙人夫婦は、めいめい大きな包をかかえながら、この店を出て行った。JUCHHEIMと金箔で横文字の描いてある硝子戸を押し上げて、五六段ある石段を下りて行きながら、男がさあと蝙蝠傘をひらくのが見えた。私は一瞬間、そとには雪でも振りだしているのではないか知らと思った。ここにこうしてぼんやりストーブに温まっていると、いかにもそんな感じがして来てならなかったが、静かに降りだしているのは霧のような雨らしかった。>

 現在のユーハイム本店は元町一番街にありますが、壁には昔のユーハイムの写真が種々掛けられ、創業当時のユーハイム夫妻と従業員の写真もありました。


 現在の本店のテーブルに座ってメニューを見ると1ページ目にはユーハイム夫妻の写真と歴史が書かれています。

 
 そのユーハイム夫妻が芦屋市朝日丘の芦屋霊園に眠っていると知り、後日訪ねました。

「平和を創り出す人達は幸いである」と刻まれたユーハイムご夫妻の墓碑です。

そこからは、芦屋市内から大阪湾を見晴らす素晴らしい景色が開けていました。




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 元町は歴史のある街ですね☆彡

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/02/25 8:28:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうですね。
最近よくTVでも紹介さえていて、足をはこぶようになりました。

[ seitaro ] 2017/02/25 10:56:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

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黒田征太郎の原風景のひとつは「きれいな夙川と美しい香櫨園の浜」

 今年で夙川公園80周年ということで、夙川にまつわる文学作品などを調べているのですが、私の子供の頃の記憶にある夙川の印象に最も近いのが、黒田征太郎さんの夙川のお話でした。
 黒田征太郎は1939年、大阪道頓堀生まれのイラストレーター、野坂昭如との親交が深く、戦争童話集『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話』の絵などを描かれています。


フェリシモの神戸学校の講演で次のように話されています。
<5歳のときに夙川に引っ越ししました。夙川のすぐ近くに住んでいたんですが、5〜6歳ぐらいから戦争が始まって、だんだんひどくなりました。大阪が燃えている。神戸が燃えている。真っ赤になった空の色の記憶があります。そのころに読んだおどろおどろしい絵の孫悟空の絵本が大好きだったことも思い出します。>

 大阪の南で生まれた黒田征太郎ですが、昭和19年に夙川に引っ越し、まだ米軍の空襲が始まっていなかった頃の香櫨園の思い出を次のように話しています。

<香枦園の浜の思い出は、阪急のガード下から夙川の川原をお手伝いさんに手を引かれて川を下っていくと、水の中の砂に混じっている水晶体がキラキラ光って見えるのがとてもきれいだった。そしてあるところから潮のにおいがしてくるんです。だんだん潮のにおいが強くなって、曲がると突然海が見えるんです。小さかったからでしょうが、水平線が高いところに見えました。>

オアシスロードのあたりを歩いたのでしょうか。

 私も夙川の白い砂、夙川公園を下って海に近づくと潮の香りが漂ってきたのを覚えているのですが、現在は小さな入り江のようになったためか、潮の香りはあまりしません。

昔は階段を上がって堤防の上に出ると、水平線が見えたのです。


<右側に回生病院の赤い屋根、左に青い松林、興奮して振り返ると六甲山の山並み。とても美しかった。生まれて5〜6年の間にドロドロのどぶ川も見ているし西宮のきれいな風景も見ているし、両方を体験しているんですね。>

そして回生病院の赤い屋根。

わずかに残っていた回生病院の旧玄関も取り壊され、今日行ってみると上の写真のような姿になっていました。

 昭和20年、阪神間への空襲も激しくなり、7歳で安井国民学校に上がった黒田征太郎ですが、黒田にとって安井小学校が避難所だったそうです。
最後に次のように述べています。
<道頓堀川、きれいな夙川と香枦園の美しい浜、爆撃された野原、これが僕の原風景なんです。>

この記憶は野坂昭如のそれとつながり、親交を深めていったのでしょう。


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香櫨園 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
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昭和23年新潟から家出して五泊目、香櫨園浜に向かった野坂昭如

 昭和23年、新潟県副知事の野坂相如邸から家出して五泊目、満池谷にやってきた野坂昭如は、親戚の三女と出会い、翌日阪急六甲駅前で午後一時に、もう一度会う約束をして別れると、香櫨園の浜に向かいます。

自伝的小説『行き暮れて雪』からです。
<園子と別れると、悠二は香櫨園の浜へ向かった。足が地につかない感じで、うろ覚えのシャンソン「巴里祭」や「巴里の屋根の下」など、判らない部分は出たらめに口ずさみ、やがて海べりに建つ回生病院の、尖った屋根を眼にして走り出した。>

戦事中、一歳の妹をおぶって、親戚の三女とよく歩いた道です。


<浜へ出ると、向こうに、紀州の山並みが浮かぶ、〜佐渡ヶ島山たそがれて、悠二は寮歌を歌った、誰もいない、かなり風は強かった。>

香櫨園の浜に出ると、水平線と紀州の山並みが見えていました。
懐かしい風景です。

現在は、かろうじて残っていた回生病院の旧玄関の建物もなくなり、まったく異なる光景になりました。


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野坂昭如 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
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西宮が舞台となったアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』がNHK-BSで再放送

 谷川流原作の人気アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」が、NHK・BSプレミアムで4月から放送されることがTwitterで話題になっていました。


「涼宮ハルヒの憂鬱」は、西宮北高出身の谷川流のライトノベルが原作で、宇宙人や未来人、超能力者、超常現象が大好きな女子高生・涼宮ハルヒと平凡な男子高生のキョンの物語。

NHK・BSプレミアムで4月7日から毎週金曜午後11時45分、2006年、09年に2期にわたって放送された全28話が放送されるそうです。

『涼宮ハルヒの憂鬱』は日本政府観光局発行の「JAPAN ANIME MAP」でも紹介されており、The Melancholy of Haruhi Suzumiyaと翻訳され、世界に発信されています。


The Melancholy of Haruhi Suzumiya is a manga and anime adaptation of a “light novel” (an easy-to-read style of Japanese novel primarily targeting young adults, often with anime-style illustration). It enjoys great popularity in Japan and many other countries. The story is set around Nishinomiya City, Hyogo Prefecture. Many fans at home and abroad are visiting the city, especially after the summer of 2006 when the anime was aired. The cosplayers (costume players) of The Melancholy of Haruhi Suzumiya characters have become a very familiar scene of Nishinomiya City.

Pilgrimage to Scared Places(聖地巡礼)の兵庫県のページを見ると、アニメのシーンが地図付きで紹介されています。

西宮北口駅前広場
The SOS Brigade’s meeting point is located at around Hankyu Nishinomiya Kita-guchi Station (Kobe Main Line, Imazu Line).

阪急甲陽園駅
In the story, Koyoen Station was written “光陽園駅” whereas the actual one is 甲陽園駅. 

西宮北高
The characters are “Kita High School” (Kita-Kou) students and the high school in real life is Hyogo Prefectural Nishinomiya Kita High School.

夙川公園
Shukugawa Park (Shukugawa-koen) is located at near Shukugawa Station (Koyo Line, Kobe Main Line) next to Kurakuen-guchi Station. Many spots appeared in the anime such as a row of cherry trees and the stream are found everywhere in this park.

西宮中央図書館
The appearance and the inside of the library in the anime looks exactly like those of the Nishinomiya Central City Library which is about a 7-minute walk south of Shukugawa Station.

甲山森林公園
The outdoor stage in Kabutoyama Forest Park (Kabutoyama Shinrin-koen) where Yuki Nagato and Mikuru Asahina, two SOS Brigade members, battled for the first time is well-known among the fans. 

尼崎中央商店街
The featured shopping street where SOS Brigade members shot their amateur movie was modeled after Amagasaki Chuo Shopping Street and Sanwa Hondori Shopping Street at the north side of Hanshin Amagasaki Station (Hanshin Main Line, Hanshin Namba Line) in Amagasaki City,

阪神百貨店
There are also several settings for the story near the Umeda Head Store of Hanshin Department Store in front of Umeda Station (Hanshin Main Line, Hankyu Kobe Main Line, Hankyu Kyoto Main Line etc.) in central Osaka. The “closed space” with buildings lined up was modeled after this area. The “阪神電車” (Hanshin Electric Railway) sign at Umeda Station was changed to “東阪電車” (Tohan Electric Railway) in the anime.

などアニメに登場する舞台が詳しく紹介されていました。




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谷川流 | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

 私の店も登場します☆彡

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/02/16 14:23:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

尼崎中央商店街が出るシーン、楽しみです。

[ seitaro ] 2017/02/16 14:47:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

 日本全国はもちろん これのおかげで世界中から若者がやってきます 台湾や中国 シンガポールとかね〜

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/02/17 9:24:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

売上げに寄与するといいですね。

[ seitaro ] 2017/02/17 13:30:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

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NHK朝ドラ「べっぴんさん」はどのように終えるのでしょう?

 NHK朝ドラ、今回は脚本が不評のようですが、一体最後はどうなるのでしょう。
 すみれの夫、紀夫のモデルとなった坂野通夫が亡くなったのは76歳、1992年のこと。

有馬、六甲山を家族でドライブし小林一三が建てた六甲山ホテルでステーキを楽しんだあと、病院に帰り、2日後に昏睡状態となり、亡くなられたそうです。

 家族葬は灘カトリック教会で、社葬は遠藤周作も受洗した夙川カトリック教会で行われました。
 娘の坂野光子さんは小林聖心女子学院出身であり、カトリック信者であったことから、ご両親も晩年、洗礼を受けたそうです。このあたり、須賀敦子さんとご両親の受洗に似ています。

 一方「べっぴんさん」では坂東さくらの入学した学校のロケは神戸女学院で行われたようです。


 坂野惇子は2005年に亡くなりましたが、エイス社長岩佐栄輔のモデルとなった石津謙介も2005年に亡くなっています。

「ベビーショップ・モトヤ」の南隣にあったのがレナウン・サービス・ステーション(佐々木営業部が開いた営業部門)で、石津謙介はスタッフを務めていました。石津は1951年に独立して「VAN」ブランドの石津商店を設立しています。

そのレナウン・サービス・ステーションの跡地に建てられたのがファミリア1号店です。

現在は神戸メディテラスとなっています。

 坂野惇子、べっぴんさんの関連本は数多く出版され、そこには実在したレナウングループ、高島屋グループ、阪急東宝グループ、皇后陛下など華麗なる人脈が紹介されドラマ以上に興味深いものがありますが、ドラマではそれらのエピソードを土台にした感動的なお話が創れていないのが残念です。



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今回の脚本は全くダメですね。
番組を楽しんでいる妻の横で文句を言う私、同じく不評です。
いろんなエピソード、有難うございます。
この記事、妻にも見てもらいますね。

[ たくじろう ] 2017/02/16 12:21:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

たくじろうさん、やはりそう思われますか。最近のストーリーで、ますます面白くなくなりました。それでも身近な話なので、我慢して見ておりますが、家内は私より文句言っております。
マッさん、朝が来たと好調だったので、残念です。

[ seitaro ] 2017/02/16 14:04:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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野坂昭如と谷川流が描いた夙川公園でのデート

 昭和23年、新潟県副知事の野坂家から家出してきた野坂昭如は、満池谷の親戚の三女郷子(『行き暮れて雪』では園子)と出会い夙川公園を歩きます。自伝的小説『行き暮れて雪』からです。

<「この道、よう歩いたねぇ」遊歩道に出ていた、阪急のガードをくぐり抜け、川に面した古い木のベンチにすわり、園子、日傘をとじた。「林檎いただきましょうか」園子が包みを丁寧に開き、その指が、妙に荒れた感じで、古町の振袖さんの水仕事を想い出し、園子の暮し向き、そんなに裕福ではないんじゃないか。服装、バッグは決してみすぼらしくない、夫が羅紗を扱っているなら、これは金まわりいいはず、しかし、溌溂としたところがない。さっき、フジヤマの出来ごとを聞いて、いかにもおかしそうに笑い、笑われて悠二、救われたのだが、ややもすればだまりがち。高汐町の名前は知らないが、果たしてどんな住いなのか、甲子園へは何度も通ったけれど、周辺の家の記憶はまったくない。>

現在も川べりには、木のベンチが所々に置かれています。
園子は結婚して、満池谷から西宮の甲子園高潮町に移っていました。

 恋慕する女性への心理をしっとりと描いている野坂昭如に対し、谷川流れが描く、高校生の主人公きょんと朝比奈みくるのデートシーンは明るく描かれています。

 
 谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」からです。舞台は平成16年頃の夙川公園です。

<俺たちは近くを流れている川の河川敷を意味もなく北上しながら歩いていた。一ヶ月前ならまだ花も残っていただろう桜並み木は、今はただしょぼくれた川縁でしかない。散策にうってつけの川沿いなので、家族連れやカップルとところどころですれ違う。>


 女性の描き方の差は、文才だけではなく、小学校の4年から男女の教室が別になったという野坂昭如の世代と、男女共学、女性の社会進出があたりまえになった谷川流の世代の差を象徴するかのようです。



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佐藤愛子が甲南女学校時代に見た冬の香櫨園浜の風景

 昭和のはじめの少女時代に鳴尾に住まれ、鳴尾小学校(赤矢印)、甲南女学校に通われた佐藤愛子さん。


 もう93歳になられたそうで、『それでもこの世は悪くなかった』 (文春新書)とう新書が1月に出版されています。


 彼女が甲南女学校3年の昭和12年の冬に、友人と阪神香櫨園駅から香櫨園の浜まで歩いた様子が、『愛子』に描かれていました。

<それは冬休みが始まった日の、午後のことだった。わたしたち −わたしと山川よし子は、夙川に沿って歩いていた。夙川は水が涸れ、川底の石は白かった。山川よし子は学校の、きまりの紺のオーバーを着、紺の毛糸の手袋をしていた。わたしは制服の上に、レンガ色のセーターを着て、スカートのポケットに、手を入れて歩いていた。わたしの心は真面目で静かだった。真面目になると私は感傷的になる。わたしは十二月の、雪もよいの空を見上げながら、低い声で呟くようにいった。「海が鳴ってるね」>

上の図は昭和11年の吉田初三郎による西宮市鳥瞰図ですが、佐藤愛子が歩いた昭和12年12月には既に夙川公園も竣工しており、遊歩道が整備されていました。海鳴りが聞こえるほど川口に近づいたようです。

<川は海へつながるところへきても、白く涸れたままだった。波はいつも同じ、壊れたボートがひっくり返っているところまで、静かに流れ入ってきて、不思議なほど正確にそこで止まった。わたしたちは、涸れた川口にかかっている、たよりない渡し板を撓ませながら渡った。そして戸を閉した貸しボート屋の、戸袋のかげに倒れている絵看板の上に坐った。
 山川よし子はわたしのために、そこにいつものように用意している風呂敷を敷いてくれた。わたしがしゃべっている間、彼女は黙っていた。それが癖の、軽く下唇を噛み、水平線の方を見ていた。>

上の絵は大石輝一による昭和7年の夏の香櫨園浜の様子です。

 次にこの浜辺から見える光景が描かれていました。
<わたしたちの前には、いつもわたしたちが見慣れた、同じ光景があった。水平線の右よりに、雨雲のように低く淡路島が横たわっていた。海の色は暗く、砂浜は白茶けていた。そして更に遠く、海岸線の外れに見える製鉄工場の四本の大煙突から、今日も真直ぐに太い黒い煙が立ち上がっていた。わたしは黙ったまま、それらを見た。わたしたちが黙ると、急に思い出したように、海の底から重々しい力強い響きが甦ってくるようだった。>

昔は夙川の川口まで来ると水平線と淡路島が見えたのです。

海岸線の外れに見える製鉄所の四本煙突とは、小松益喜が描いている葺合に在った川崎製鉄の平炉工場の五本煙突のことでしょう。
私の生まれる前の景色ですが、不思議に懐かしく感じます。

昭和20年の夏、野坂昭如は夙川の川口で同じ水平線を眺めていたのです。


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佐藤愛子 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
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堀江珠喜さんの講演「華麗なる芦屋マダムの世界」

 先日芦屋市立公民館で、堀江珠喜さんの「華麗なる芦屋マダム」と題した魅惑的な講演会が開催されました。


堀江さんは夙川で生まれ、中学から大学院修士課程まで神戸女学院という華麗なるお嬢様で、現在は芦屋市在住という、芦屋マダムを語るに十分な資格をお持ちのかたでした。しかし、お嬢様らしからぬ、歯に衣着せぬ楽しいお話で、思わず引き込まれてしまった90分でした。


 
講演では、昭和のはじめに作られた「なのりそ会」という芦屋の名流夫人たちの社交クラブの紹介にはじまり、日本で初めてのファッション月刊雑誌『ファッション』が柴山Y子によって芦屋から刊行されたことや、そのファッションクラブの会員の面々のお話など、芦屋マダムの源流に遡って紹介いただきました。

 講演内容は、堀江さんの著書『人妻の研究』の第3章「ファッション誌の花形夫人 −芦屋マダム」にも詳しく述べられていますので、ご参照ください。

 
 そこには講演では触れられなかった面白いお話も書かれていましたので、少し引用させていただきます。
 マスコミが作った芦屋のイメージとして『週刊朝日』(1988年6月17日号)の記事からです。
<まるで一流ホテルのロビーで、ディナーショーの開演を待つ奥様、お嬢様のような雰囲気だ。その人たちが、みんなゆっくりと買い物カートを押している。ここは「日本で最もハイグレード」といわれているスーパーマーケットである。場所は、日本のビバリーヒルズ、兵庫県芦屋。一般のスーパーマーケットと変わらない趣なのは、この買い物カートだけだった。>

このスーパマーケットとは白羽弥仁監督の映画『She’s Rain』にも登場したイカリスーパーに違いありません。


そして堀江さんは次のように解説されます。
<さて、芦屋マダム自身は、それほどオシャレをしている自覚はないと思うが、それでもこの女性記者を驚かすファッションだったのは、「使用人」ではないことを無意識のうちに示すためかもしれない。そもそも先代の芦屋マダムなら、このような買い物は、お手伝いさんか御用聞きまかせだったはずだ。しかし今はそうもゆかず、奥様みずから、夕飯の材料、もしくはおかずそのものを買いに行かねばならない時代になった。とはいえ、依然として使用人をおつかいに行かせる裕福な家だってある。というわけで、奥様方は、しかるべく身なりを整えて、スーパーマーケットに行き、他家のお手伝いさんとの差別化をはからなければならないのだ。>
 
 この章は雑誌『VERY』で2000年から使われた新語「アシヤレーヌ」のお話で終わりますが、清水博子著『カギ』にもアシヤレーヌ談義がありました。

<1/11 「アシヤレーヌなんて言葉聞いたことがない」と姉が言うので、参考資料を持って池田山へ行きました。わたしたち姉妹はむかしアシヤレーヌの圏内に住んでいました。姉は今シロガネーゼの圏内に住んでいます。なのに姉はそういうことにちっとも興味がないみたいで残念です。シェルガーデンで買い物をしてきました。>

 参考資料とは雑誌「VERY」。
芦屋マダム談義はなかなか奥深いものがあります。


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芦屋 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

清水博子さんの「Vanity」(新潮社)ご存知ですか?

[ Mitts ] 2017/02/13 8:24:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

Mittsさんコメントありがとうございます。
「vanity」は清水博子さんの阪神間スノビズム批判の最高傑作。
当ブログでも紹介させていただき、どこまでが事実であったのか探るのが面白かったのですが、若くして亡くなられたのは残念です。

[ seitaro ] 2017/02/13 9:34:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

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須賀敦子さんの最後の旅はコルマール

 昨年の夏、ストラスブールからコルマール、バーゼルへとアルザスを旅しましたが、そこは1996年9月に須賀敦子さんが最後に取材旅行された地でした。


 須賀敦子さんの未定稿「アルザスの曲がりくねった道」は須賀さんがかつて出会ったフランス人修道女、オディールについて書かれています。
<オディール修道女の故郷がアルザス地方の小さな村だと聞いたのは、わたしが友人たちと、車でアルザス地方を旅したことがあると彼女に話したときのことだった。>

 日本に帰ろうと決めたすぐあと、ヨーロッパを見おさめておきたいと、ミラノから車でアルザスに行くのです。

<そこからミュールズを抜けて、コルマールからワインの道をストラスブールまで一直線。そこまでいうと、オディールの目がぱっとかがやいて、わたしをさえぎった。あっ、コルマールに行ったの。いつもは控え目な彼女が叫ぶようにそういうと、まぶたを半分とじるようにして、つぶやいた。ああ、コルマール。なつかしい、コルマール。戦争の前は、あの辺りのぶどう畑がぜんぶ、わたしたちの家のものだったのよ。>

1996年リトルベニスと呼ばれるコルマールの旧市街に立つ須賀さんの写真。

 それから20年後の2016年の写真です。須賀さんはこの歩道に立っておられました。

旧税関の前の広場のバルトルディの噴水の前に立つ須賀さん。

20年後も変わりません。

 コルマールは2004年に公開された宮崎駿監督の『ハウルの動く城』の制作にあたってロケハンされた美しい街でした。


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須賀敦子 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
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香櫨園浜から無くなった海

 野坂昭如が夙川河口の堤防から大海原を眺めていたのは昭和20年のこと。


 その後賑わった海水浴場も海水汚染が進み、昭和40年に香櫨園海水浴場は甲子園海水浴場とともに閉鎖されました。
更に西宮浜の埋立が昭和46年から行われ、平成元年に完工しています。

私の少年時代は、夙川河口まで行けば大海原を見ることができましたが、今は閉ざされた入り江のようになってしましました。(矢印が現在の夙川河口)

村上春樹は、『辺境・近境』の「神戸から歩く」で次のように述べています。

<堤防を上がると、かってはすぐ目の前に海が広がっていた。なにも遮るものもなく。でも今は、そうそこには海はない。堤防の向こう側、かって香櫨園の海水浴場があったあたりは、まわりを埋め立てられて、こじんまりとした入り江(あるいは池)のようになっている。
 そこでは一群のウィンドサーファーたちが風をつかまえようと努力している。そのすぐ西側に見えるかつての芦屋の浜には、高層アパートがモノリスの群れのようにのっぺりと建ち並んでいる。>

 まったく同じ印象が書かれているのが平中悠一の『八年ぶりのピクニック』です。
(下の写真は白羽弥仁監督の映画『She's Rain』)

<その間に挟まれた、海はもはや海と呼べるものではなくて、ほとんど大きな水溜り、といった方が適切だった。貨物船の浮かぶ海はその水溜りの外にあった。

 あの日のこの浜が、僕の脳裏をちらりとかすめた。もっと海らしい海と、やさしい波。砂浜ではしゃいだ子供の僕ら。 ―でも、まあ、すてたもんじゃないさ>

 私も西宮に戻って、夙川の河口に立った時、海が無くなったように感じました。

 でも、平中悠一の言っているように、「まあ、すてたもんじゃないさ」と思うしかないでしょう。



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香櫨園 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

seitaroさん、こんばんは。
わたしは、その前を知りませんが、「まぁ、すてたもんじゃないさ」に同意です。
ネコの額のような浜でも宝物です。

[ もしもし ] 2017/02/08 21:16:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん 昔に比べて海水の汚染は良くなったように思います。小学校の頃香櫨園の浜で泳いだ時は、水中めがねをしてもぐると視界は1mもありませんでした。渡り鳥が集まる今の砂浜もすてたもんじゃありません。

[ seitaro ] 2017/02/09 8:58:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

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seitaroイメージ
阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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