阪急沿線文学散歩

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『鹿島茂コレクション フランス絵本の世界』から「ぞうのババール」

 5月29日のBS「ぶらぶら美術・博物館」は先日訪ねた東京都庭園美術館の新館で開催されている「フランス絵本の世界」展でした。


 

 案内には鹿島茂氏ご本人が登場し、よくわかる解説。この番組を見てから行けばよかったと思ったほどです。


 展示を見た時に印象に残っていたフランス絵本の人気シリーズ「ぞうのババール」も番組の最後で紹介されていました。


作者は1899年生まれのジャン・ド・ブリュノフ。

1924年にブリュノフは若いピアニスト・セシル・サブランと結婚し、二人のむすこをもうけますが、まもなく胸の病のため妻と幼い息子から離れ、スイスの山で療養生活を余儀なくされます。

 妻は子どもたちにお話をするのが好きで、次から次へ話は
毎晩続き、王様ババールはその物語の主人公だったそうです。つまりババールはブリュノフ家の愛所のこもった生活から生まれたと言えるのです。
 そしてスイスで療養中のブリュノフは、遠く離れて住む息子のために画用紙にババールを描いたのです。

 ファッション誌「ジャルダン・デ・モード」の編集長をしていたブリュノフの兄ミッシェルがこの絵を見て、弟に勧めて本を作らせたのが「ぞうのババール」だったのです。
値段は高くても大変な売れ行きだったそうですです。


 ブリュノフは38歳という若さで亡くなりますが、長男のロランが父の作品のつづきを描き、子どもたちを喜ばせたそうです。

 ベッティーナ・ヒューリマンは『子どもの本の世界 300年の歩み』次のように称賛しています。
<「象の王様ババール」の絵本はこれからも長くおおぜいの子どもたちにとって、子ども部屋になくてはならない日々の糧となるであろう。その度合いは必ずしも同じではないかもしれないが。いかなる子どもの心にも善への芽と悪への芽が潜んでいる。ある種の粗野な本は、たとえどんなに無邪気にみえようとも、悪い芽をのばす性質がある。だがババールの太陽のもとでは善のみが生い育つ。>と。





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「鹿島茂コレクションフランス絵本の世界」から『ペール・カストール文庫』

 フランスの出版人、ポール・フォシェは、自ら「ビーバーおじさん」(ペール・カストール)と名乗り、子どもにやさしく語りかけ、絵本こそ教育の道具として最適だと考え、1931年に「ペール・カストール・アルバム」を創刊しました。


 今回の東京都庭園美術館新館での展示でも、『ペール・カストール文庫』から多くの絵本が展示さていました。


 ベッティーナ・ヒューリマンは『子どもの本の世界 300年の歩み』で次のように解説しています。
<これらの本はすべて、まだ文字が読めないか、ようやく読めるようになったばかりの子どもを対象としている。この年ごろが、おそらく感受性の最も純粋で豊かなときであり、将来の精神発達の基礎が築かれるときである。「知的な読書、すなわち、精神を啓発し豊かにする読書は、単に字を読んで意味がわかるというだけの問題ではなく、予備教育全般の問題である。この予備教育、この予備的読書がまさにわれわれのアルバムの存在理由となっている」とペール・カストールは書いている。>
とし、教育的、芸術的な質はきわめてたかく、現代の子どもの本の発展にはかりしれない影響をおよぼしたと、絶賛しています。

『リスのパナッシュ』ロジャンコフスキー絵 文は夫人のリダ・フォシェ

『野うさぎのフル―』ロジャンコフスキー絵 リダ 文

 挿絵画家については
<現在はアメリカに渡って子どもの本の挿絵画家として名のたかいロジャンコフスキーは、大型の本ですぐれた芸術性をうちだしたが、一方、小型の本や工作本ではナタリー・バレンがとりわけ腕をふるった。この女の人はペール・カストールのグループで、ロジャンコフスキーとならぶすぐれた挿絵画家であった。>と説明

『ハリネズミのキピック』ロジャンコフスキー絵 リダ 文

 立派な絵本ですが、みんなに読んでもらえるよう価格も配慮されています。
<これらの本は、できるだけひろく人々の間にいきわたるよう、値段はいずれもやすくしてある。しかし美的水準は高く、それもそうざらには見られないほどすぐれたものである。>
まさに教育者ポール・フォシェの面目躍如。
子どもたちが美しい絵とともに学びながら遊べる絵本のシリーズが「カストール文庫」でした。




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「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」から『ペロー童話集』

 東京都庭園美術館で開催されている本館の「建物公開 旧朝香宮邸物語」については既に紹介しましたが、新館では「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」と題して、フランス文学者の鹿島茂氏が30年以上に渡り収集を続けてきたフランスの子どものための絵本コレクションが公開されています。


 そのなかで、栗田明子さんとも交流のあったベッティーナ・ヒューリマンさんが『子どもの本の世界 300年の歩み』でも言及されている絵本もいくつかみつけました。


 印象に残った絵本を少しご紹介いたします。
まず『ペロー童話集』

(展示されていたものではありません)


今回の展示では次のように説明されています。
<フランスにおいて子どもの本の時代が到来するのは19世紀半ばです。出版社であり編集者、またP.-Jスタールの筆名で作家としても活躍したエッツェルが、ジュール・ヴェルヌを発掘し、『ペロー童話集』(ギュスターヴ・ドレ画、1861年)など歴史に残る児童書を誕生させました。>

ベッティーナ・ヒューリマンは『子どもの本の世界 300年の歩み』でペロー童話集について、おおくの時代にわたって子どもの精神的な糧になったとし、次のように解説しています。
<ペローの言葉は簡潔で具象的である。勇気と人間性に対する健全な理解が、美や富とならんで女主人公たちの最も重要な属性をなしている。血はたっぷり流される。グリム兄弟の話に魅力を添えているロマンチックな可憐さは、ペローにはまったく欠けている。だからグリムが語ると、たとえば「赤ずきん」のような話も、寝室のこわい場面があるにもかかわらず、小さい子どもたちの心をひきつけ、まるで冗談ごとみたいに、すべてを飲み込ませてしまうのである。ペローでは、赤ずきんはいいつけを守らなかったために罰せられる。先回りしておばあさんを食べてしまい、おばあさんになりすましたオオカミは、赤ずきんにおばあさんの寝床へいっしょにはいるように頼む。それから短い話のやりとりがあって、赤ずきんもオオカミに食べられてしまい、二度とふたたび姿をみせない。ロマンチックな漁師もでてこなければ、オオカミも罰せられないし、お菓子とぶどう酒で祝われるハッピーエンドもない。>

(絵葉書より;シャルル・ペロー著「ペロー童話集」赤ずきん 画ギュスターヴ・ドレ1867年 木口木版 )

『ペロー童話集』は今日もフランスの子どもたちにとっての「日々の糧」となっているそうです。




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ビュールレ・コレクション ルノワールの名画がたどった140年

 国立新美術館での「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」、現在は九州国立博物館に移り、その後名古屋市美術館に巡回するそうですが、どれも素晴らしい作品ばかりでした。

 その中でも、どうしても見たかったのがルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」。
 肖像画の美しさはもちろんですが、NHKの日曜美術館「イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年」を見て、その数奇な運命を知り、この機会に見逃してはならじと行ってまいりました。

番組は次のように紹介されていました。
<裕福なユダヤ人富豪の令嬢を描いた肖像画には、想像を超える激動の物語が秘められている。モデル・イレーヌの家族を襲ったホロコーストの悲劇。ナチスによる肖像画の略奪。そして戦後、奇跡的な肖像画の再会。ピアニスト・西村由紀江さん、カメラマン・渡辺達生さん、多摩美術大学教授・西岡文彦さんが、それぞれの視点から名画が秘めた「美の物語」を語る。>

 このドラマチックな物語はきっと本になっているだろうと、調べてみましたが、日曜美術館で紹介されたほど詳しく書かれたものはなく、備忘録としてその内容をブログに記録しておきます。

 ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が描かれたのは1880年。モデルは8歳のパリに暮らす裕福な銀行家の令嬢イレーヌでした。
 当時39歳のルノワールは印象派展で評判をとったものの、作品はあまり売れず、美術界の権威だったサロンに復帰します。

そこで「シャルパンティエ夫人と子どもたち」が評判を呼び、ある人から裕福なユダヤ人銀行家「ルイ・カーン・ダンヴェール伯爵」と「ルイーズ夫人」を紹介され、イレーヌの肖像画を描いたのです。

 ルノワールはこの作品を自信を持ってサロンに出品し、「このブロンドの少女ほどかわいらしい作品を思い描くことはできない」と称されるほどの評判を得ました。

ふっくらとした手やドレスは、印象派の特徴である筆跡を残した表現。栗色の髪は細かく筆を重ね一本一本が見えるようです。一方で顔は陶器のようになめらかに描かれ、白い肌に血管が透けてみえるようです。古典的な描き方を取り入れて、白い肌、青い瞳を丁寧に表しています。

 しかし、イレーヌの両親たちはこの絵を気に入らず、ダンベール家ではイレーヌの肖像画は人目に触れる場所には飾られなかったそうです。

 彼のお気に入りは古典的な表現で人気を集めた肖像画の重鎮・カロリュス・デュランが描いたイレーヌの母「ルイーズ・カーン・ダンベール」のような格調高いアカデミックな作品だったのです。

 イレーヌに続いて描かれた妹たち「アリスとエリザベス・カーン・ダンヴェール」は、2人でポーズをとっています。

実はルノワールは3人それぞれの肖像画を描くつもりでしたが、両親がイレーヌの絵を気に入らなかったため、妹たちは2人まとめてしか描かせてもらえなかったのです。
 期待したほどの報酬も支払われず、「あの家族は本当にしみったれだ。僕は金輪際手を組まない」とルノワールは大憤慨したそうです。

 モデルとなったイレーヌは19歳の時、同じユダヤ人で銀行家のカモンド伯爵と最初の結婚をし、その暮らしぶりは貴族のようにゴージャスなもので、壁には隙間がないほど絵が飾られていたとのこと。

ひとまわり年上の夫との間には一男一女が生まれましたが、結婚生活は10年ほどで破綻。その後30歳でサンピエーリ伯と再婚し、20年ほど後に二度目の離婚をしています。


 イレーヌの肖像が描かれて60年後の1939年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまり、肖像画は数奇な運命をたどることになります。

 当時、肖像画を所有していたのは長女のベアトリスでした。

ベアトリスは同じユダヤ人と結婚し、親子4人パリで暮らしていました。パリでは裕福なユダヤ人を標的にした強奪が繰り返され、イレーヌの肖像画も略奪され、ジュ・ド・ポーム美術館に集められました。

一時期は美術好きのゲーリングの手もとにあったといわれています。
 また、ベアトリス夫妻と幼いイレーヌの孫たちは、絵を奪われた後、強制収容所に送られ、戻ることはなかったのです。

 イレーヌの肖像は終戦後にベルリンで発見され、幸運にもパリに戻り、戦争を生き延びることができたイレーヌのもとに返還されたのです。

彼女はすでに74歳になっており、その3年後に競売にかけられ、ビュールレによって落札されたのです。

 晩年、イレーヌは南フランスの移住し、1963年、91歳で生涯を閉じました。失った家族について決して触れることはなかったそうです。

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」はスイスのビュールレ・コレクションにやってきました。ここは、元実業家エミール・ゲオルク・ビュールレの邸宅でした。


 ビュールレはドイツに生まれ、やがてスイスに移り機械の製造で成功をおさめます。きっかけは世界的ベストセラーになったエリコン20ミリ砲で、1940年代、ナチス・ドイツへの納入業者になったのです。兵器で得た莫大な富を戦後ビュールレは惜しみなく美術品に注ぎ、ビュールレの死後、コレクションは美術館として公開されました。

ビュールレがイレーヌのたどった生涯について知っていたのか定かではありませんが、イレーヌの肖像画を娘の部屋に飾り、毎日のように見つめていたそうです。

NHK日曜美術館の情報で、なお一層感動を呼ぶ素晴らしいルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」でした。



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東京庭園美術館で展示されていた20世紀最大のモード誌

 6月12日まで開催されている「アール・デコ・リヴァイヴァル!旧朝香宮邸物語」で20世紀最大のモード誌といわれている『ガゼット・デュ・ボン・トン』が展示されていました。

『ガゼット・デュ・ボン・トン』は「上品で美しい(上流社会の)雑誌」という意味で、芸術性豊かなファッション誌。20世紀最大のモード誌とも称されています。


この雑誌の最大の特徴は、新進のイラストレーターが描いたデザイン性の高いイラスト。

それを特漉きの高級紙にポショワールと呼ばれる版画技法で刷り、それまでのモード雑誌とは違う新しいスタイルを打ち出しています。

その結果、有閑階級の教養ある婦人女性たちの間で瞬く間に人気となったそうです。

当時のファッションデザイナー、ポール・ポワレやジャンヌ・ランバンらの最新コレクション。

展示されているのはわずかですが、それでも20世紀初頭の代表的な挿絵画家たちが競うように腕をふるったこれらの作品は、アール・デコ・スタイルを余すところなく現在に伝えています。

そのファッションを纏った允子内親王の写真も映し出されていました。



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アール・デコ・リヴァイヴァル!いよいよ東京都庭園美術館の室内へ

 建物の形から細部に至るまで、アール・デコ様式にのっとって作られた朝香宮邸。


 いよいよルネ・ラリックのガラス製のレリーフの玄関大扉の横の入口から入場いたしました。

まず目を引くのが玄関を入った「次の間」にある「香水塔」です。
フランス海軍より献上されたセーブル社製の照明器具で、渦巻き部分に香水を入れて電灯の熱で気化させていたそうです。

大広間。

絵はこんな感じで、今も変わっていません。

隣の大客室の天井にはラリックのシャンデリアが輝いています。

飾り扉にはレイモン・シュブの金工装飾とマックス・アングランによるエッチング作品が嵌め込まれています。

大客室に続く大食堂。湾曲した窓から庭園が見えます。

一階の大広間の階段から二階に上がってみました。
二階広間に飾られている充子妃の肖像画です。

朝香宮邸の竣工は1933年5月で、入居して間もなく充子妃は体調を崩し、11月に亡くなっていますから、アール・デコの館で過ごされたのはわずか半年でした。亡くなられてからは、肖像画は元は妃殿下のお部屋に飾られ、毎朝殿下がそこにお辞儀をしてから、食堂に降りられたそうです。(青木淳子『パリの皇族モダニズム』)

朝香邸は戦後まもなく政府が借り上げ、外相官邸となり、昭和23年には吉田茂がここを首相公邸とし、6年間暮しています。

大給湛子著『素顔の宮家』には二階の丸い書斎について次のように述べられています。

<吉田首相はとりわけ二階の書斎と居室が気に入ったそうでした。父の書斎として、ラパンはアール・デコの粋を集めてつくった部屋です。正方形ですが、角に棚を配して、丸い部屋にしています。書斎の二つの窓からは、玄関へのアプローチが見渡せます。誰が来たのか、ここからすぐに見えるのです。首相の館としては、大変好都合だったのではないでしょうか。>

三階に上がると、かつて植物がたくさん置かれていたという白と黒のモザイクの床面のサンルームがありました。

庭に出てみました。

広い芝庭で多くの方が楽しまれています。

三階に見えるのがサンルームです。

日本庭園と茶室もありました。


次は鹿島茂コレクション「フランス絵本の世界」を見に、新館へ行ってみましょう。



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アール・デコ・リヴァイヴァル!東京都庭園美術館へ

 Twitterで庭園美術館で、「フランス絵本の世界」展が開催されていると知り、訪ねてきました。


同時に、「旧朝香宮邸物語」として建物公開されています。


 今回は二度目の訪問になりますが、前回購入した『庭園美術館へようこそ』を片手にゆっくりと見学させていただきました。
<五月、目黒通りに面した庭園美術館の門を私は歩いて通り抜ける。アスファルト敷きの小道がゆるやかなカーブを描いている。

木々が青い葉を広げ始めていて、その向こうには、四角い窓とカーブを描くバルコニーの並ぶ白い洋館が見える。車寄せのアーチの向こうにある玄関が開かれている。>
(『庭園美術館へようこそ』小林エリカ「はじまり」より)

その玄関から早速中に入ってみましょう。

 
 『庭園美術館にようこそ』で朝吹真理子さんが「かわらないもの」と題して、ルネ・ラリックのガラスの女性像について、面白い説明をされています。

<まずは車寄せの対になった唐獅子像を背に、玄関のルネ・ラリックのガラス扉をみる。何体ものガラスの女性像。当初は裸像だったのだが、お公家さんの玄関が女性の裸像はどうだろうか、と誰かが苦言を呈したことで、急遽、裸身だった女性たちはローブを纏った姿にかわった。目を近づけてゆくと、半透明のガラスに近づくと、胸のあたりに、ぽちりと、乳首の名残のような突起があるように見えた。もしかしたらそのエピソードを聞いたことによって目がみせたふくらみなのかもしれないが、肌にはりつくようなローブによって、かえって女性像はエロティックになっている。>

今回は繁々と胸のあたりのぽちりを探してみたのですが、はっきりしません。着衣像は新たな作品に取り換えたということなのでしょう。

 そして、4体の像の一番右端の女神像のガラスにヒビが入っているのですが、これは近年のものではなく、朝香宮家が住まれていたときにできたものでした。
朝香宮家第二女王の大給湛子著『素顔の宮家』に、次のように述べられています。
<玄関を入るとすぐに、女神像のレリーフが美しいガラス扉四枚、大きな光輪を背に両手を広げて訪れた人を歓迎しているかのようです。入口に続く大広間からの照明を受ければ、黄金色に輝きます。室内に入って振り返れば、外の光があたって、穏やかな曇りガラスのなかで、まるで女神が外敵から守ってくれるような優しい安堵感を与えます。アール・デコを代表するルネ・ラリックの作品です。
 このガラスには、いまもひびが入ったところがそのまま残っています。建てて間もないころに、二番目の兄が帰宅してバタンと元気よく閉めた時に入ってしまったものです。以後、お客様以外は開けないことになって、右側から出入りするようになりました。>

扉の裏からの写真。

 あまりにも装飾的なので、これが玄関の大扉とは気づかなかったのですが、私も玄関ホールの右手にある入り口から入らせてもらいました。




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丸の内の重要文化財、明治生命館へ

 東京駅で時間ができたので、KITTEで昼食後、一般公開されている明治生命館に行ってみることにしました。


KITTEの屋上テラスからの東京駅です。

その後、お堀端の重要文化財、明治生命館(昭和9年竣工)へ。

5階分を貫くコリント式列柱が立ち並ぶ古典主義様式に則ったデザインが目を惹きます。

1階は大理石の柱が林立する吹き抜けの大空間となっており、中央部からガラス屋根のトップライトが注いています。

二階への階段にある窓の意匠も古典様式。

天井には漆喰と石膏彫刻が精緻に施されています。

二階から見た一階店頭営業室(丸の内お客様ご相談センター)。平日実務をされている様子はどんなでしょう。

二階の回廊は一階と同様、壁、柱、柱型に大理石が用いられています。

ブロンズ製の手すりは、戦時中の金属回収令で供出されましたが、昭和31年の改修工事で復元。

応接室。

執務室は木製パネルによる内装。

会議室です。

戦後、GHQ(連合軍最高司令官総司令部)にアメリカ極東空軍司令部として接収され、昭和21年には第一回対日理事会が開かれたそうです。

立派な食堂です。

 東京駅に近くて、建物好きには見ごたえのある観光スポットでした。チャンスがあれば一般公開する日が限られているそうですが、第一生命ビルのマッカーサー総司令官室も見てみたい。





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国立新美術館「至上の印象派展」モネの睡蓮

 5月7日に終わってしまいますが、東京・国立新美術館で開催中の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」に行ってきました。

 

 ビュールレのことや、話題沸騰の美少女・ルノワール「可愛いイレーヌ」の感想は後にして、今回の展示で唯一写真撮影が許されていたモネの「睡蓮の池、緑の反映」について。

 
 モネの「睡蓮」は国内の美術館でも常設展示されており、私が見ただけでも、倉敷の大原美術館、直島の地中美術館、大山崎美術館、箱根のポーラ美術館などがあります。

今回展示されている《睡蓮の池、緑の反映》は、スイス国外に初めて貸し出されることになったという、高さ2メートル×幅4メートルのモネ晩年の大作です。


 フランス・ジヴェルニ―のモネの睡蓮の池も日本各地で再現されており、高知北川村の「モネの庭」などが有名です。
私が睡蓮の絵を見ていて、思い出したのが先月訪れた六甲山高山植物園の、睡蓮の池。

 こちらの橋は、モネの丸橋を模したものではなく、「プリンスブリッジ」と呼ばれ、今上天皇が皇太子時代にここを訪れられたのを機に命名されたそうです。


 モネの池の上には日本の浮世絵に描かれたような太鼓橋が架けられていますが、プリンス・ブリッジもそれを思い起こさせます。
 高山植物園の睡蓮が開花する7月にもう一度行ってみたいと思っています。




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 ずっと気になっていた品川の洋食屋さん「つばめグリル」へ       

 久しぶりに品川で宿泊しましたので、以前から気になっていた「つばめグリル」に初めて入ってみました。


 
つばめという名前の由来は、昭和5年10月1日に東京駅を出発した“特急つばめ”にちなんだもので、その名を後世に残そうと、「つばめグリル」と命名されたそうです。


レストランに入るとすぐ目の下にキッチンが見えました。

食材いこだわり、製法にこだわった、いかにも老舗のプロの洋食屋さん。

接客もテーブルへの案内もしっかりしています。

まずはビットブルガー・プレミアム・ピルスと黒のケストリッツァー・シュヴァルツビアを注文して乾杯。

次に湯むきした丸ごとのトマトにチキンサラダを詰めたつばめグリルを代表するサラダというトマトのファルシーサラダを注文。

メインはやはり一番人気のハンブルグステーキ。
ビーフシチューとハンブルグステーキを組み合わせて包み焼にすることで、より旨味が凝縮されるそうです。

アルミホイルで包まれふっくらと膨らん運ばれてきました。
サイドディッシュのベークトポテトもホクホクです。

アルミホイルをフォークで開けるとそこにはビーフシチューと絡み合った熱々のハンバーグがでてきました。

ホテル並みの味とサービスで、値段は大衆食堂。大満足でした。



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大昔誰だったか年長者の方に連れて行ってもらってご馳走になった記憶があります。

[ せいさん ] 2017/05/21 21:40:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

一人では、入りにくそうだったので前を通るだけだったのですが、今回訪れて、一人でビールを飲んでおられる方や、親子二人づれなど、常連さんも多く、雰囲気の良いお店でした。

[ seitaro ] 2017/05/22 5:05:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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