阪急沿線文学散歩

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 ずっと気になっていた品川の洋食屋さん「つばめグリル」へ       

 久しぶりに品川で宿泊しましたので、以前から気になっていた「つばめグリル」に初めて入ってみました。


 
つばめという名前の由来は、昭和5年10月1日に東京駅を出発した“特急つばめ”にちなんだもので、その名を後世に残そうと、「つばめグリル」と命名されたそうです。


レストランに入るとすぐ目の下にキッチンが見えました。

食材いこだわり、製法にこだわった、いかにも老舗のプロの洋食屋さん。

接客もテーブルへの案内もしっかりしています。

まずはビットブルガー・プレミアム・ピルスと黒のケストリッツァー・シュヴァルツビアを注文して乾杯。

次に湯むきした丸ごとのトマトにチキンサラダを詰めたつばめグリルを代表するサラダというトマトのファルシーサラダを注文。

メインはやはり一番人気のハンブルグステーキ。
ビーフシチューとハンブルグステーキを組み合わせて包み焼にすることで、より旨味が凝縮されるそうです。

アルミホイルで包まれふっくらと膨らん運ばれてきました。
サイドディッシュのベークトポテトもホクホクです。

アルミホイルをフォークで開けるとそこにはビーフシチューと絡み合った熱々のハンバーグがでてきました。

ホテル並みの味とサービスで、値段は大衆食堂。大満足でした。




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大昔誰だったか年長者の方に連れて行ってもらってご馳走になった記憶があります。

[ せいさん ] 2017/05/21 21:40:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

一人では、入りにくそうだったので前を通るだけだったのですが、今回訪れて、一人でビールを飲んでおられる方や、親子二人づれなど、常連さんも多く、雰囲気の良いお店でした。

[ seitaro ] 2017/05/22 5:05:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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BSでも紹介されていた国立新美術館のミュシャ展へ

 東京に所用があり、4月にBSプレミアム「華麗なるミュシャ 祖国への旅路 パリ・プラハ 二都物語」で紹介されていた国立新美術館の「ミュシャ展」に行ってきました。


 2017年は日本とチェコが国交を回復してから60周年を迎える年にあたるということで、ポスターにも書かれているように、超大作ミュシャの「スラヴ叙事詩」がチェコ国外では世界で初めて、全20点の公開が実現したようです。


 アルフォンス・ミュシャは、モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡ります。

 34歳の時に、女優サラ・ベルナールのポスターを手がけ、成功し、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルでよく知られています。


 私も「スラヴ叙事詩」については、テレビで知ったのですが、ミュシャは50歳で故郷のチェコに戻り、晩年の17年間を捧げて、古代から近代にいたるスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を巨大なカンヴァスに描いた20点の油彩画「スラヴ叙事詩」を完成させたそうです。

 初めての新国立美術館でしたが、さすが東京で、入場にも大変な行列に並ぶことになりました。


 普通は美術館や博物館では写真撮影が許されませんが、嬉しいことに数作品の写真撮影が許されているコーナーがありました。

「聖アトス山」

「ロシアの農奴制廃止」

「スラヴ民族の賛歌」

「スラヴ叙事詩」は、1960年代以降、モラヴィアのクルムロフ城にて夏期のみの公開で、ほとんど人の目に触れることはなく、その幻の傑作が、ようやく2012年にプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿で全作品が公開され、今回初めて国外で公開されることになったそうです。

 ミュシャ展では、《スラヴ叙事詩》のみならず、パリ時代のポスターやアクセサリー、チェコスロヴァキア時代の切手など、よく知られているミュシャの作品を見て回ることができました。



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旧帝国ホテルのライト設計の椅子と自由学園明日館の遠藤新による椅子

 NHKスペシャル - ドラマ 東京裁判は見ごたえのある力作でした。


その中で目を惹いたのが、判事たちの宿舎となった帝国ホテルのシーン。

 明治村で撮影したようですが、当時の帝国ホテルの様子が再現され、興味深く見ておりました。

 須賀敦子さんも、東京裁判が終わって2,3年後だと思いますが、『ヴェネツィアの宿』で父上から帝国ホテルの夕食に招かれた時のことを、次のように述べていました。
<ホテルという日常からかけはなれた空間を父が愛するようになったのには、あのヨーロッパ旅行での経験が大きく影響していたのだろう。私が女子大の寮にいたころ、父は関西から出てくると、うれしそうに電話をかけてきて、彼が定宿にしていた帝国ホテルの夕食に呼んでくれた。もちろんまだライトの建築だったころで、天井の低い、迷路のような廊下を通って彼の部屋を訪ねていくのが、私にとっても、家にいるときの気むずかしい父とは別人に会いに行くようで、愉しかった。>

  目についたのが判事たちが語らっているバーや食堂の椅子のデザインです。


 現在の内幸町にある帝国ホテル東京の2階にあるオールドインペリアルバーもフランク・ロイド・ライトの設計を踏襲したような背を持つ椅子が使われています。


 そこで思い出したのが、ライトと遠藤新の共同設計による自由学園明日館の椅子でした。

上の写真は明日館の暖炉のある部屋ですが、帝国ホテルのような部屋です。

 上は明日館のシンボルともいえる大きな明かり窓ですが、この場所も旧帝国ホテルの婦人用ラウンジに感じが似ています。


 明日館の小食堂に置かれている古いテーブルと椅子について、遠藤新が「卓と椅子とに因む」と題したエッセイがありました。

<自由学園の卓と椅子を頼まれてやった。試みに普通の考えにして見積もったら予算の二倍にもなった。これはいけないと思った。すぐ方針を換えなくてはならぬと感づいた。>
 そこで知恵を絞って、目的のデザインを達成するのです。
このような学園で学び、食事ができた児童たちはなんて幸せだったのでしょう。



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録画しましたので、正月にゆっくり見ようと思っています。

[ akaru ] 2016/12/26 8:09:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

それほどドラマチックではありませんが、事実に基づいて製作され、映像も良い力作でした。私自身は、いかなる見解があろうとも、その後の政治家たちが東京裁判の結果を、受け止め、十分な反省を世界に発信しなかったことが、今もまだ海外から批判されている原因だと感じております。

[ seitaro ] 2016/12/26 13:13:57 [ 削除 ] [ 通報 ]

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芳川泰久『坊ちゃんのそれから』と小林信彦『うらなり』

 12月の朝日新聞に「明治の現場が迫る名作の続編」と題した、芳川泰久著『坊ちゃんのそれから』の書評が掲載されました。

<超大型新人の登場である。文芸批評家にしてフランス文学研究者、翻訳家、大学教授の立場で現代文学を作ってきた芳川泰久が、本格的に小説家デビューした。その最初の作品は、夏目漱石の名作『坊っちゃん』の続編である。
 愛媛の中学教師を辞めた坊っちゃんは東京に戻り、不動産会社、印刷工、街鉄(今の都電)の運転手を経て、保安関係の刑事になる。一方、山嵐は群馬の牧場勤めから富岡製糸場の寮の監督になるが、ストライキに関わったとしてクビになると、東京に出てスリで生計を立てつつ、片山潜や幸徳秋水と出会い、社会主義に惹かれていく。追う者、追われる者という対立関係の中で、二人は大逆事件に巻き込まれ、意想外な形で支え合うことになる>
との書評を読んで、早速読んでみました。

 そこには坊ちゃんが東京へ帰った明治28年(1895)から、大正時代の、関東大震災が発生したあたりまでの時代背景が解説付きで、描写されています。
明治後期の富岡製紙工場の様子、日露戦争、日比谷公会堂焼き討ち事件、大逆事件などを、うまく登場人物にからめた物語となって、一体どうなるのかとハラハラしながら読ませていただきました。
 ただ『坊ちゃんのそれから』と題した割には、『坊ちゃん』の登場人物にはどう考えてもそぐわない末路をたどります。

夏目漱石『坊ちゃん』の最後は、
<その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎はいえんに罹かかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋うめて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。>
で終わり、坊ちゃんは街鉄の技手になります。

『坊ちゃんのそれから』では街鉄の技手になるまでは、原作を踏襲しているのですが、最後には坊ちゃんは刑事に転じ、山嵐などはスリに成り下がってしまうのですから、いけません。マドンナも女郎になるなんて、夏目漱石の『坊ちゃん』が台無しです。

 激動期の明治の政治・経済・社会問題をたっぷりと詰め込んだ小説ですが、著者の芳川泰久氏の実力を考えれば、やはり登場人物を自ら設定して、違和感のない小説にしてもらいたかったと思います。

 同時代を描いた作品として、日露戦争を背景に、開戦論者と幸徳秋水たち非戦論者の闘いを実在の人物をモデルに創り上げられた一大ロマンス、辻原登『許されざる者』と読み比べると、後者に軍配が上がるでしょう。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10797359c.html

 『坊ちゃん』の続編としては、小林信彦の『うらなり』がありますが、こちらの方は人物描写も原作との連続性があり、すんなり面白く読めました。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11191259c.html

 漱石は愛媛県尋常中学校で1895年(明治28年)から教鞭をとり、1896年(明治29年)に熊本の第五高等学校へ赴任していますが、東京市街鉄道の開業は1904年(明治36年)です。
 『うらなり』では坊ちゃんが生卵事件の共謀者である山嵐と松山を去った年を明治36年頃とし、所用で上京した元英語教師の古賀(うらなり)は、銀座四丁目で、かつての同僚・数学教師の堀田(山嵐)と約30年ぶりに会います。古賀は姫路に住んで隠居生活、堀田は執筆した参考書が版を重ねて、生活には困らないという近況。
 小林信彦は、うらなりの半生を、派手さこそないものの、明治・大正・昭和を生きた一人の知識人の落ち着いた人生として描いています。大阪の金満家に嫁いだマドンナ・望月多恵子には神戸の広東ホテルで再会する場面もあり、時代考証もしっかりしたお薦めの作品です。

 1916年12月9日に夏目漱石が亡くなってから,今月でちょうど100年です。
漱石に関する番組の放送や記念展が次々と開催されています。

上の写真は神奈川近代文学館特別展「100年目に出会う 夏目漱石」のポスター。
夏目漱石の墓所は雑司ヶ谷霊園にあり、特に目を惹くお墓です。

100年目に訪れて、傍に坐って出会われた方はいたのでしょうか。



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『美しい暮らしの手帖』平塚らいてうの「胡麻じるこ」

 朝ドラで平塚らいてうの「胡麻じるこのつくり方」が登場します。


老いた「らいてう」を演ずるのは真野響子。


 ところで、『美しい暮らしの手帖』に平塚らいてうの寄稿文があるのか、バックナンバーを調べると、第2号に「陰陽の調和」と題したエッセイが掲載されていました。



その中で、料理研究家の中江百合子さんに出した胡麻しるこについて言及しているのです。

<その時これは中江夫人がお好きそうなとおもってこしらえた胡麻じるこが、果たしてたいへんお気に入り、、今でもまだ時折その話をして下さる。女はおしるこ好きとは定説になっているようだが、この胡麻じるこはまた格別なもの、わたくしももちろん大好きである。普通の小豆じることは味も香りも、栄養価も比較にならない。搗きたてのやわらかいお餅を、そのまま入れれば一層結構である。
 東京へ帰ってからは、なかなか胡麻じるこでもなく過ごしているが、同じようなしるこ店のいくつも出来るこの頃、何處かに一つ位本ものの胡麻じるこを食べさせる特殊な店は出来ないものか。>

 このように紹介された胡麻じるこが、読者の反響を呼び、第四号で再び、「ゴマじるこの作り方」と題して平塚らいてうが寄稿しているのです。

<ところが、ニ三の友だちからその作り方をたずねられましたが、最近また関西の未知の人から、商売にやりたいから是非教えてくれという手紙を受け取りました。研究所の方にも同じ問い合わせが来ているとか。礼賛だけして、その作り方を書き添えなかったのは、いわば私の手落ちのようなもの、そこで、ここに作り方をご披露いたします。多くの方々に知って頂き、大にはやらせて頂ければ本望でございます。>
と述べられています。

 ゴマじるこの作り方については細かく書かれていました。



 なお最初のNHKの朝ドラで登場した紙面の本文は『美しい暮らしの手帖』の平塚らいてうのエッセイ、2号の「陰陽の調和」と4号の「ゴマじるこの作り方」を抜粋して作られていました。ドラマのワンカットを作るだけでも、かなり手の込んだことをするものだと感心いたしました。



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朝ドラを見ていて胡麻じるこの作り方が気になっていました。
(自分で作る気は毛頭ありません。)
お蔭さまでスッキリしました。
ありがとうございました。

[ 西野宮子 ] 2016/08/11 23:03:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『暮らしの手帖』創刊号表紙の絵に花森安治が最後に書いたサイン

 今日のNHK朝ドラの最後は、花山 伊佐次が雑誌『あなたの暮し』の創刊号の表紙となる絵にHのサインを入れる場面で終わりました。


創刊号の表紙にサインがあるとは、まったく気づいていなかったのですが、手持ちの『暮らしの手帖』300号記念特別号で創刊号の表紙を見てみると、確かに同じ位置に花森安治のHのサインがありました。




創刊2号にもHのサインがありました。


花森安治のサインはその後徐々に変わったようで、こんなサインもありました。


テレビの「ととねえちゃん」のシーンでは、これでようやく目指した雑誌の表紙が完成したという感慨が強く伝わってきました。自らの絵の最後に入れるサインの意味は重そうです。



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おはようございます。

朝ドラはみていませんが、17日オンエアされたNHK Eテレ『日曜美術館』は、花森安治の特集で、この創刊号の表紙絵の原画や制作のエピソードも紹介されていましたよ。
今度の日曜日、24日夜8時から再放送されますので、もしご関心があれば、ぜひどうぞ!

[ 373 ] 2016/07/22 5:37:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さんありがとうございます。私も楽しく見ておりました。良かったです。

[ seitaro ] 2016/07/22 8:51:24 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「すずらん本屋堂」で広岡浅子の特集

 BS11の「すずらん本屋堂」で広岡浅子の特集が放映され、朝ドラの原案本『小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯』の作者古川智映子さんがゲストとして出演されていました。


 広岡浅子はご存知のように、幕末から明治という激動の時代に、炭鉱の運営や日本初めての女子大学設立、大同生命の創設など「九転十起」の信念で奔走した女性です。

古川智映子さんの5年に及ぶ綿密な取材活動や執筆への想いが紹介されていました。

 

 広岡家の家族写真。中央が広岡浅子、信五郎ですが、浅子の実子亀子とその夫広岡恵三(W.M.ヴォーリズの妻となった一柳満喜子の実兄)とともに側室の4人の子どもたちも広岡家の家族として厚く遇されたことも紹介されていました。

 

 広岡恵三は大同生命二代目社長ですが、写真右端の小藤の息子松三郎も大同生命4代目社長を務めています。

 

 朝ドラでは、成瀬仁蔵をモデルとした人物が登場し、日本女子大も注目を浴び、成瀬記念館で広岡浅子展が開催されているそうです。

   

玉岡かおる著『ヴォーリズ満喜子の種まく日々 負けんとき』にも、廣岡浅子と日本女子大創立のお話が登場しています。
<日本の女子教育会は、大きな成長の時を迎えていた。梅子の女子英学塾が開かれた翌年、やはり満喜子の人生を大きく変える一人の女性が尽力した学校が目白台に開校する。成瀬仁蔵が創立した日本女子大学校である。この学校の立ち上げについて惜しみなく経済援助をしたその人は、廣岡浅子といった。胸にフリルのあるブラウスに裾を引くスカート。活動的な浅子の洋装は、モダンな西洋建築が建ち並ぶ大阪中之島の界隈にはこれ以上ないほどよく溶け込んだ。>

 


日本女子大の広岡浅子展は4月8日までです。



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華恵さんのJミステリーはここから始まった! 第2回は「横溝正史“八つ墓村”」

 NHKBSプレミアム「Jミステリーはここから始まった!」 第2回は横溝正史の「八つ墓村」。


ちょっと不思議な推理小説を読み解く読書会です。

横溝ミステリーの真髄を知る探偵たちとして選ばれたゲストは綾辻行人,高橋源一郎,中野信子,道尾秀介,華恵。


 今回も進行役はエッセイストで女優の華恵さん。


 読書会の会場は豪華なシャンデリアと螺旋階段、大きなステンドグラスが特徴的なレトロな洋館。

 東京のどこかのお邸だと思うのですが、洋館好きの私もわかりませんでした。


 番組では私が住んでいた倉敷市にある横溝正史疎開宅や、高梁市の西江邸、満奇洞などが登場し、懐かしく見ておりました。


 ところで第一回から気になっているのは華恵さんのエッセイ。

『本を読むわたし』、初めて読ませていただきましたが、驚いたことに15歳の時に出版されたエッセイ集。アメリカ生まれで、6歳の時に日本に移って来たにもかかわらず、全国小・中学校作文コンクール文部科学大臣賞を受賞するなど、何という才能でしょう。また今回の番組で多くの方がTwitterに大人になったと感想をいれられているのも、巻末の華恵さんの写真を見てよくわかりました。


『本を読むわたし』のあとがきでは、次のように述べられています。
<いつも本があった。自分の本棚に並んでいる本を見ていると、一冊一冊、読んだ頃のことを思い出す。小さい頃に買ってもらった数少ない本は、背表紙がボロボロだ。引越しの度に、いつも自分で箱に入れて、どこに移動するにも一緒だった。一番上の段にある本を開くと、アメリカのアパートやグランマの家のにおいがする。図書館にはしょっちゅう行った。>
 小学校で仲間はずれにされた時も、図書館という場所があったからこそ耐えることができたのでしょう。
<ずっと本と一緒だった。アメリカでも、日本に来ても、一人のときも、いろんな人に出会ったときも。だから、やっぱり、いつもわたしと一緒にいてくれた本たちに、改めてお礼を言いたい。>


本好き、図書館好きの華恵さん、ますますファンになってしまいました。



華恵
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BS「Jミステリーはここから始まった!」 第1回読書会は自由学園明日館で

 BSプレミアムで放映された「Jミステリーはここから始まった!」 は文学作品をテキストにこだわって読み解く「読書会」シリーズ。第一回は松本清張の代表作「ゼロの焦点」。

 戦後日本の闇を背景にした“社会派小説”で、 読書会に登場するゲストは、笠井潔,小森陽一,中村文則,橋本麻里,華恵。

 

 テレビを見ていると、以前訪ねたことのある建物がでてきました。

 

エッセイストでモデルでもある華恵が向かった読書会の会場は大正10年に女子の学校として創立された自由学園明日館でした。
 設計は芦屋のヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)や西宮の甲子園ホテルでも馴染みのあるフランク・ロイド・ライトとその高弟・遠藤新の設計によるもの。

 


(写真はヨドコウ迎賓館)


 ライトと遠藤新が意図した明日館の光と影が、読書会の演出に遺憾なく発揮されていました。


東棟の回廊でゼロの焦点を読む中村文則。

 

中央棟の入口とトップライトが印象的な廊下。

 

中央棟ホールで読書する華恵。

 


やはり絵になります。

 


庭に面した中央棟ホールの大きな窓から差し込む光。

ライトはホールの窓には高価なステンドグラスを使用する代わりに、木製の窓枠や桟を幾何学的に配して工費を低く抑え、かつユニークな空間構成を実現したそうです。

 


読書会が開かれるのは、校舎の中心に位置する食堂です。


 羽仁もと子が明日館に食堂を作った経緯について、孫の羽仁進は『自由学園物語』で次のように述べています。
<彼女は発育盛りの学童の昼食が弁当であることに、大きな疑問を持っていた。夕食より、昼食をゆっくり食べるほうが健康のためには大切だという見地から、栄養のあるあたたかい昼食を子供たちにとらせる方法はないものかと考えた。それと同時に、祖母はかねてから、一般の女学校で教える料理が真似ごとばかりで、少しも実用的ではないと考えていた。そこで、この二つの考えが結合し、学校に食堂を併設して、学校の料理の時間を、生徒たちの昼食をつくる時間にすればいいということになったわけである。>
古いテーブルと椅子は遠藤新のデザインによるもので、照明も当時のデザインのままだそうです。

 


『ゼロの焦点』の読書会の会場を自由学園明日館としたのは、時代背景とマッチした素晴らしい演出でした。

 



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おはようございます。
23日の文芸講演会は、参加されたのでしょうか?
ラブレーについては皆目知らなかったのですが、高村光太郎の詩を教えていただけたのはうれしかったです。
アンナ先生は、サービス精神いっぱいの先生でした。
ただ、ギャグのセンスは、う〜ん(笑)
当方がヨシモト流の、どぎつい笑いに慣れきっているせいでしょうか?

[ 373 ] 2016/01/28 8:11:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さん 楽しみにしていたのに、残念ながら所用ができてしまって、参加できませんでした。いつもの講演会後の茶話会もあったのでしょうか。かえすがえすも残念です。

[ seitaro ] 2016/01/28 18:58:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『ジミーの誕生日』第一章「子爵夫人」の南青山を歩く

 横浜のホテルニューグランドで、マッカーサーが厚木到着後、日本で最初に宿泊した部屋を見せていただいて、当時の様子を描いた本を探していました。

 

 その中で一番面白く、かつ考えさせられたのが猪瀬直樹著『ジミーの誕生日』です。

 小説では、ある女性が著者に相談の手紙を送ってくる場面から始まります。彼女は祖母が遺した日記帳をめくるうち、「ジミーの誕生日が心配です」という記述に目を留め、いったい「ジミー」とは誰なのかという質問が頭から離れなくなります。そんな彼女との対話を通じて物語がはじまりますが、ジミーとは実は当時の皇太子明仁のことだったのです。
<前文お許しください。ご相談があります。わたくしは、先生のお住まいの西麻布に比較的近い、南青山におります。表参道から根津美術館へ向かう道筋で、一度、お姿を拝見したことがあります。>


 手紙の送り主は、向田邦子が住んでいた地下鉄表参道駅A5出口からすぐの「南青山第一マンションズ」に住んでいたことになっています。

<手紙の主が教えてくれた住所は「南青山第一マンションズ」だった。A5番の出口がそのまま吸い込まれていきそうな八階建ての大きなマンションである。>


<隣に小さな稲荷の祠があって、赤い涎掛けをかけた白い狐が二匹坐り、緑の葉陰から虚空を睨んでいる。「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」などのテレビドラマの脚本やエッセイの「父の詫び状」、小説「思いでトランプ」でいまも固定ファンが多い向田邦子が住んでいた。コムデギャルソンに向かい合っている間口一軒の稲荷について、小さいのに大松、と不思議に思いながら無病息災を祈っていた、と向田邦子は書いている。>


南青山第一マンションズの横にある稲荷とは大松稲荷神社のことで、向田邦子『父の詫び状』の「隣の神様」という章で登場します。


<私の住いは青山のマンションだが、すぐ隣はお稲荷さんの社である。大松稲荷と名前は大きいが、小ぢんまりしたおやしろで、鳥居の横にあまり栄養のよくない中位の松がある。七年前、マンションに入居した最初の晩に、お隣さんでもあることだし、ご挨拶をして置こうと、通りかかったついでに鳥居をくぐったのだが、……>

と少しお気に召さないことがあって、向田さんは拝みそびれてしまうのです。

しかし、この章の最後はあるきっかで、
<私は、何となく素直な気持ちになり、十円玉をひとつほうって、頭を下げた。隣の神様を拝むのに、七年かかってしまった。>と結ばれています。

 

『ジミーの誕生日』に戻りましょう。更に表参道駅A5出口を出て、大松稲荷神社から根津美術館に向かう「みゆき通り」は次のように描かれています。


<真昼の日光がアカシアの並木の影をアスファルトに圧しつけ、リズミカルな縞模様ができている。遠近法で描かれた風景画のもっとも遠い中心の部分に、根津美術館の森がかすかに見えるはずだが、狭い道路はわずかにカーブして隠れている。
 六百メートルほどの間に、コムデギャルソン、プラダ、カルティエ、ヨックモック、ヨージヤマモト、フロムファースト、カタカナだらけのショーウインドーを過ぎ、根津美術館の前を左折すると青山墓地が臨める。>
 たしかにこの通りは、私のようなおのぼりさんには壮観でした。

 プラダやカルティエはあまり縁がありませんが、東京みやげに昔よく買っていたヨックモックの南青山本店がこんなに立派だったとは知りませんでした。


結局、第一章で僕は手紙の主と会うことにします。
<近くのコーヒーショップで待ち合わせよう。紺色のタイルがきれいで中庭のハナミズキの木が涼しげなヨックモックでもよいし、フロムファーストの一階のガラス張りのレストランでもよい。>
ヨックモックにはブルー・ブリック・ラウンジというカフェがあり、次回は立ち寄ってみたいところです。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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