阪急沿線文学散歩

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六甲山森林植物園へ紅葉狩りに

 昨日は温かく好天に恵まれたので、紅葉狩りに六甲山をドライブして、森林植物園まで行って来ました。


 昨年の秋に行ったときは、もうシーズンを過ぎていましたが、昨日はまだ見頃と言えるほどの美しい紅葉を楽しむことができました。

駐車場のすぐそばにあるメタセコイア並木。夜はライトアップして、金色に輝くようです。

管理事務所前の広場では、もうサンタとソリの展示の準備が始まっていました。

長谷池に向かう途中も紅葉が見られます。

園内で最も美しかった紅葉です。

黄色に染まる木も。

ドウダンツツジの紅葉も見事でした。

今回は「国際親善の森・香りの森散策コース」を約1時間で回ってきましたが、充分紅葉を楽しむことができました。



 ところで柳原白蓮、江木欣々とともに大正三美人と称された九条武子は『六甲山上の夏』で、明治・大正の六甲山上の風景を次のように述べています。

<ゴルフリンクから遊びつかれた人たちが帰ってくる。大かた異国の人ばかりであった。ゴルフもこの頃は日本人の遊びの一つになったけれども、今から七八年も前のその頃は、ゴルフの楽しみも異国の人のほかは、ほんの一部の人の享有するところであったらしい。異国の人はあらゆる運動を生活の中に取入れて、明るい、豊かな生活を創造しようとする。残念であるけれども日本の人、ことに老いた婦人たちは、運動などは子供の世界のことのように思って、歩くことさえ大義がる。>

 もし現在の様子を九条武子が見たら何と言ったことでしょう。
現代は、多くの老いた(?)婦人たちのハイカーが連れ添って、にぎやかに六甲山上を歩いています。明治時代の女性とは様変わりです。




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明治32年あの静かな六甲山が鳴動していたとは!(吉井良秀『老の思ひ出』)

 東日本大震災以来、日本列島のあちこちで火山活動が活発化しているようですが、吉井良秀著『老の思ひ出』を読んでいると、「六甲山の鳴動及桜島噴火の灰が降った事」と題した一文があり、六甲山は火山でないと安心していた私は大変驚かされました。


<明治三十二年六月七日(或いは八日か)より六甲山が鳴動した、最初の日は驚くべき音響で地が震うた、以来日々に幾回と無く大砲の如く六甲山の底に当って聞こえる、昔から未聞かざる一珍事で尼ヶ崎辺では稍微で、大阪池田辺は感じが無かって神戸は微で御影は強甚で有ったと云う、月末に至るも尚止まない、地学者大に研究を重て居ると各新聞は報告した、同月三十一日に至って初回以上の激甚な音響で大小十回も聞こえた、爾後毎日引続く事もあり、又は数日の間隔を置く事も有って、最早鎮静であろうかと思うて居ると、九月二日に又激甚で有った、十八九日又々強震数回、其後は漸次遠ざかって十月以降は全く鳴り止んだ丁度五ヶ月間鳴動したので有った、>


「神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所」というサイトに詳しい説明がありました。
http://kdskenkyu.saloon.jp/tale41keq.htm
「1899年(明治32年)7月5日、六甲山を中心に、不気味な地鳴り、戸や障子が揺れて外れるほどの地震動が1年間続いた」とのこと。やはり「すわ、六甲山の大噴火、大地震の前兆」と大騒ぎになったそうです。


『老の思ひ出』では原因が次のように述べられています。


<是は六甲山の地底に空大なる隙が有って其所へ土石が崩落する、之が起因で地震の様に音響がするので有ると云う、>
当時の地震学者の調査により、六甲山での火山活動の兆候は見られないとして、 噴火説は否定されており、六甲山周辺の活断層における鳴動を伴う群発地震であったと推定されています。


震源地は有馬温泉付近らしく、

<有馬では激しい時に棚の物が墜落したそうである。而して温泉は従来余等の実験では温度が低過ぎて入浴にはチト適度で無かったが、異変の後は俄に温度が増して水を加えざれば浴し難き迄に成った、>とも述べられており、有馬温泉の泉源が枯渇しなかったことは幸いでした。

 

 因みに、六甲山をつくる花崗岩は、白亜紀後期の9600万年〜6500万年前ごろ、地中深くのマグマがゆっくり冷えて固まったものが、断層運動によって少しずつ押し上げられ、地表に出てきて山になったと考えられているそうで、やはり六甲山は火山ではありませんでした。

 



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 読ませて頂きありがとう御座いました。

 「六甲山鳴動」は、当時、神戸新聞記者だった江見水陰も取材で六甲に登ったそうですね。
 
其の山頂辺りの岩面に、墨で「我もまた六甲山程の高さかも あたりに不二の無きお蔭にて 明治32年7月23日、午前11時、水陰記」

と、一首の狂歌を書き残したそうですね・・・

[ shiratori ] 2015/10/04 6:48:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

shiratoriさん ありがとうございます。そんな記録もあったのですか。昔から西宮にお住まいの方であれば、六甲山鳴動についてご存知なのでしょうが、そのような事があったとは想像もできませんでした。

[ seitaro ] 2015/10/04 7:31:29 [ 削除 ] [ 通報 ]


 水陰一首の岩面は、山頂に楠正成像を建てる際、礎石の一部に使われたのでしょうね。

 鉄道が敷かれた明治7年以降「住吉から六甲越え有馬へ」が当時の観光ルートで、幸田露伴や大橋乙羽等多くの文人による紀行文が残されております。

[ shiratori ] 2015/10/04 9:43:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

shiratoriさん御紹介ありがとうございます。また読ませていただき、機会を見つけて現地を訪ねたいと思います。

[ seitaro ] 2015/10/04 10:14:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

「六甲山鳴動」は神戸新聞の記事になっていると宮崎翁からお聞きしています。
shiratoriさんのお話は、住吉からの有馬へのルートのことなど宮崎翁からお聞きした話とよく重なります。

[ akaru ] 2015/10/06 16:08:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

六甲山鳴動もご存知だったのですね。かなり長期にわたり鳴動は続いたそうなので、当時の神戸新聞を探してみます。

[ seitaro ] 2015/10/06 20:39:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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六甲山頂神戸ゴルフ倶楽部からの景色(大岡昇平『酸素』)

「ミモザの会」が六甲山頂の神戸ゴルフ倶楽部で開催されたの昭和16年の6月のことでした。

<梅雨に入っていた。神戸港の水面より八百メートル高い山上は、冷やされた大阪湾の水蒸気のため、六月から霧に閉ざされていた。この月の「ミモザの会」が、瀬川の別荘で開かれると通知を受けて、阿蘇竜介は不満であった。五十六歳の老人の痛風は、山上の湿気をを嫌った。会をゴルフパーティとしたのは、瀬川の新らしがりの現われの一つだと、彼は思っていた。>


 当日の霧も相当濃かったようですが、クラブハウスはW.M.ヴォーリズの設計によるもの。


<クラブ・ハウスを取り囲む自然は、濃い霧に閉ざされていた。木々が層をなして霞み、二十メートルしか離れていない一番のティを飾る楢の若木が、見えたり見えなくなったりした。冷気は呼吸困難に似た不安の感じを人々に与えた。洗いざらしの白服を着たボーイが、木の床に足音を立てて近づき、そそくさお給仕して退いた。>


この伝統あるゴルフ・クラブのラウンジで「ミモザの会」は開かれたようです。
<ラウンジの前まで迫った最終コースのホールの旗もかすむほどの霧であった。クラブ・ハウスを取巻く空間は、灰一色に閉ざされていた。「こりゃ霧じゃない、雲ですね」と西海が言った。「面白いじゃないの。あたしこんなの好きよ。西海さん、あたしたちも散歩しましょうか」と雅子は良吉を横目で見ながらいった。>


霧の最終ホールグリーンです。


 結局ゴルフをしない西海、雅子、頼子、良吉の四名は霧の中を散歩にでかけます。風が出て、霧が動き出し、不意に視界が晴れます。
<雅子の指差す下に霧が切れて、遠く広い笹の尾根に、降りて行く雅子と西海の姿が見えた。その先に住吉、岩屋、大石の河川がつくるデルタを海岸に突出した六甲山麓の沖積地が、学校や工場や住宅の屋根を、曇った空の下に拡げていた。>

霧がなければ1番ホールグリーンからは大阪湾が見晴らせます。


<さらに遠く神戸、兵庫の突堤から、川口造船所の大船台が、建造中の航空母艦を板でかこっているのが見えた。海岸線と並行に凹んだ曲線を持つ防波堤で、扇形に切り取られた「扇港」に、沢山の船が繋留されていた。葺合の鉄工所の煙突が吐き出す煙が棚引いて、俯瞰景の一部を隠していた。汽車か電車が、沖積地を横に貫く三本の線路の上のどれかを走っていた。>

川口造船所とは川崎造船所のことでしょう。川崎造船所では瑞鶴、大鳳、飛鷹、生駒(未成)といった航空母艦が建造されました。葺合の鉄工所とは当時未だ川重の鉄鋼部門だった川崎製鉄の平炉だと思われます。

 


戦前とはかなり景色も変わりましたが、晴れた日は美しい眺望が広がります。



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六甲山ヴォーリズ設計のクラブハウスで「ミモザの会」(大岡昇平『酸素』)

 大岡昇平『酸素』の最終章はヴォーリズ設計のクラブハウスがある六甲山頂の神戸ゴルフ倶楽部が舞台として登場します。そこで神戸在住のN大学出身者の親睦会である「ミモザの会」が開かれます。


<日本で最初に作られたコースは、わずかに有馬の方に傾いた山頂の高原性の起伏を利用している。クラブはもと外人専用だったが、極東の形勢が険悪になり、神戸大阪に留まる外国人が減るに従って、維持が困難になった。そして前年の春二人の日本人に特別加入を許したのをきっかけに、外国人はとうとう全部脱退してしまった。>


 神戸ゴルフ倶楽部は明治36年にイギリス人貿易商A.H.グルームによって六甲山上に造られた日本最古のゴルフ場です。
 この舞台設定はドイツ軍がパリに無血侵攻した昭和16年の夏のことでした。

 多島斗志之『黒百合』でも、昭和17年夏の出来事として、ひょうたん池から見えるゴルフ場が描かれています。

<池の向こうはゴルフ場や。日本で一番古いゴルフ場や。けど、止まってるボールなんか打って何が面白いんやろな。おれは野球のほうが好きや。}後年、ゴルフを一番の趣味にするようになる一彦だが、あのときはそんなことを言ってあしもとの小石を拾い、大きく振りかぶって池に投げた。>

 

『酸素』に戻ります。
<コランの資格を引き継いでいた瀬川の肝入りで、クラブ・ハウスが「ミモザの会」のために、解放されるということだった。ゴルフの出来ない者は、茶菓と一品料理を食べていればいいのである。瀬川はルガノ湖範のリンクスで仕込んだ腕を、仁川のクラブ会員の勝田に見せるのだと称し、死んだマルサンのクラブを、若林に山の上まで届けさせた。>
 現在の瀟洒なクラブハウスは、昭和7年竣工でウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計ですから、昭和16年の小説の舞台となったクラブハウスも、このクラブ・ハウスでした。
<クラブはしかしこの夏の避暑のシーズンが終わったら、閉鎖するということであった。小学生の修学旅行さえ禁止されそうな時節に、大人がゴルフみたいな国策に副わない遊戯に耽るのは怪しからんという、企画院あたりの意見に従って、自粛勧告が行われていた。それに青少年雇用制限令の公布以来、キャディになる少年がなくなりかけていた。>

 

 神戸ゴルフ倶楽部のホームページから百年の歴史を読むと、昭和12年に日中事変が勃発するや、各種統制令をはじめ戦時体制が急速に人々を縛りはじめ、戦局の悪化とともに、各地のゴルフ場は軍用地や農耕地として徴用されましたが、神戸ゴルフ倶楽部は山上という立地のためか、徴用を免れ、昭和17年まで倶楽部選手権が行われ、昭和19年までプレーも可能だったが、ゴルフをする人もなく雑草だらけとなっていたそうです。
http://www.kobegc.or.jp/history/

多島斗志之の『黒百合』似登場する六甲山ロープウエイの写真もありました。



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大岡昇平『酸素』昭和16年の夏、瀬川夫妻は六甲山の貸別荘へ

 戦前は六甲山には多くの別荘があったようです。多島斗志之『黒百合』では昭和17年の六甲山避暑地の様子が描かれていました。

 

<美しい季節、明るい光の降り注ぐ 池のほとりで 三人の少年少女は 出会った。夏休みの宿題、ハイキング、次第に育まれる淡い恋、そして死。一九五二年夏、六甲の避暑地で、少年たちはかけがえのない時間を過ごす。>

 

『酸素』では、その二年前の昭和15年の夏の六甲山別荘地帯と神戸ゴルフ倶楽部が舞台となります。


 

 昭和16年6月14日のドイツ軍のパリ無血入城を機に、日仏酸素(株)の取締役営業部長の瀬川夫妻やフランス人たちが、六甲山の貸別荘に移ります。
<ドイツ軍のパリ入城の記事が新聞に載った翌日、瀬川夫婦は六甲山上の貸別荘に移った。敗報があるごとに、激しくなって行く日仏酸素のフランス人達の焦燥を回避するため、例年の予定をひと月繰り上げたのである。>

 


ヴォーリズ山荘のあるあたりかもしれません。
<朝の八時から夕方の五時までしか運転していないケーブルカーを口実に、瀬川は事務所に遅く出て、早く帰った。
 梅雨に入っていた。神戸港の水面より八百メートル高い山上は、冷やされた大阪湾の水蒸気のため、六月から霧に閉ざされていた。>

六甲山上の貸別荘からケーブルカーと電車を乗り継いで三宮まで通うとは優雅な羨ましい生活ぶりです。

 

六甲山の霧のシーンは『黒百合』にも登場していました。私も六甲山上では、よく霧に会います。


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兵庫県人には肯けないところもあるけれど面白かった『兵庫あるある』

「三毛田 タマコの好きなこと!」で紹介されていた『兵庫あるある』読ませていただきました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000091771/p11130818c.html

 

 

 本当に面白いネタ満載で、あっという間に読めます。その中の三つの話題をご紹介。


1.冬の始まりは六甲山小学校のストーブ
<神戸では、冬が近づくと毎年必ず、六甲山小学校のストーブに火が入ったというニュースが新聞に載り…….>


 以前ヴォーリズ六甲山荘を訪ねた時、六甲山小学校の前を通り、私が子供の頃、いつも冬になるとTVニュースに登場していたことを懐かしく思い出していました。現在はエアコンもあるし、昔の風物詩は今や無くなっていると思っていましたが、まさか今でも続いているとは。私は平日は西宮にいないので、まったく知りませんでしたが、調べると、今年は10月23日の産経WESTニュースで紹介されていました。
<本格的な冬の訪れを前に、標高約800メートルの六甲山上にある神戸市立六甲山小学校(同市灘区)で23日、児童らがおこした火種を薪ストーブに入れる「火入れ式」が行われた。>
今でも薪ストーブが使われているのですね。

 

2.「KOUBE」ではなく「KOBE」と書く
 この話題、<そこは文字ですら独特のオシャレ感を漂わせたいと思う神戸っ子の心意気>と結ばれていますが、おしゃれな神戸でなくともOSAKA, TOKYO, KYOTO などOO,OUはOと標記されるのが一般的なようです。

 

因みにJR神戸のローマ字標記は小学校で習った通りの正統表示でした。

 

3.阪急・西宮北口駅は「きたぐち」と呼ぶ。
<純度100%の神戸人は、「きたぐち」と言う。「にしきた」というと「神戸の人やないな……」と見透かされてしまう。>
 この話題、西宮ブログでも盛り上がりましたが、どうも年齢差によるもので、純度100%の西宮人でも若い人は「にしきた」と呼ぶでしょう。

 

 兵庫県人にとって少しひっかかる所もあるのですが、岡山県生まれの著者新田哲嗣氏は取材を重ね面白くまとめられていました。



六甲山小学校
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以前にこうべルールという本を読みました。神戸と大阪などを扱ったものならわかりますが、広い兵庫県、行ったこともないところが、多いですが、どのようにして、ひとくく理にするのでしょう。と、ちょっと興味が湧きました。そうそう、今は六甲山小学校って六甲山以外から通ってるようです。

[ ふく ] 2014/11/25 20:09:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

どなたかが、この本、兵庫といいつつ攝津の話ばっかりやと怒っておられました。
六甲山小学校、子供の頃は、冬休み、夏休みの期間も下界とは違っていたようで、遠い田舎の小学校というイメージでしたが、今や神戸のええしの子が通う学校になっているのでしょうか。

[ seitaro ] 2014/11/25 20:56:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

紹介していただいて、嬉しいです!
私はまだ全部は読んでませんが、兵庫出身でないのでそうなんだって面白かったです(^^♪先も読んでみようと思います(#^.^#)

[ タマちゃん ] 2014/11/26 22:58:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

ちょっと横道ですが。
「nishinomiya」について。外人が「ないしょのまいやーはどこですか?」と言ったというエピソードがあると、昔の杉山平一氏の随筆にありました。

[ akaru ] 2014/11/28 17:58:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

タマちゃんさん、こちらこそありがとうございます。面白かったですよ。

[ seitaro ] 2014/11/28 22:27:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさん、あなるほどです。最近時々杉山平一氏の作品を図書館で読んでいます。このお話も巡りあえたら、またご紹介させていただきます。

[ seitaro ] 2014/11/28 22:29:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

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1942年夏、少年少女が行った六甲山見晴らし台とは(田島斗志之『黒百合』)

『黒百合』1942年、14歳の寺元進の日記です。
七月二十六日(土)晴れ
 一彦君と香さんと三人で見晴らし台へ行った。すばらしい眺めだった。

 さてここに書かれている六甲山上の見晴らし台とは何処のことでしょう。『黒百合』で三人はゴルフ場沿いのなだらかな道をのんびり一時間足らず歩いて見晴らし台に到着します。


<やがて見晴らし台に着いた。周囲から小高く盛り上がった丘だった。近くに六甲山の北側を有馬温泉へと下るロープウェイの発着所があった。南側は、なるほど青々とした大阪湾が一望できる。私たちの他にも数人の男女が眺望を楽しみに来ていた。
 この日もよく晴れていたが、夏の空気にこもる湿気がうすい靄となって遠くをかすませている。「向こうが大阪の街」と香が私に指さして教え、双眼鏡を貸してくれた。
「ちょっと手前のあのへんが芦屋かな。夏以外はあそこに住んでるねん。それから、もうちょっと右の方を見てごらん。あのへんはもう神戸や。」>


 近くに有馬温泉へ下るロープウェイ駅があると書かれており、どうも現在の六甲ガーデンテラスの上にある、「自然体感展望台 六甲枝垂れ」のあたりのことのようです。


ここには昔「回る十国展望台」がありましたが、調べると1957年開業。三人が訪れた1942年は見晴らし台と呼ばれていたのかもしれません。

 

 私が訪れた時は六甲ガーデンテラスでちょうど「〜ピーターラビットと楽しむ〜 六甲山英国フェア」の開催中でした。

 

 

 

 


上の写真は見晴らしの塔と名付けられています。

 


見晴らしのテラスからも小説に書かれているように大阪湾が一望できました。

 


見晴らしの塔、見晴らしのテラス、見晴らしのデッキがあるこのあたりが、やはり多島斗志之が『黒百合』で見晴らし台とした場所でしょう。



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六甲山ホテルで小芝一三さんに会う(多島斗志之『黒百合』より)

 多島斗志之『黒百合』からです。


 主人公寺元進は1952年7月27日の日記に「六甲山ホテルで小芝一三さんに会った。宝急をつくったすごい事業家だ。緊張した。」と書いています。そして小芝一三について次のように説明されており、小林一三をモデルにしていることがはっきりわかります。


<畑や原っぱばかりが広がっていた沿線にゆったりとした住宅地を造成し、大阪から人を移り住ませて電車の乗客を増やしていった。そして宝塚線の終点・宝塚。ここは有馬などとは比較にならないちっぽけな温泉地に過ぎなかったが少女歌劇団を養成して客を集めた。さらに大阪の始発駅・梅田に世界で初めてのターミナル・デパートをつくった。>

 寺元進が浅木一彦と彼の父と一緒に、歩いて六甲山ホテルに向かう場面からです。
<「小芝さんは昔から別荘というものを持ちたがらない人でね」とまた浅木さんが歩きながら言う。「その代り、ご自分が造った六甲山ホテルの一室に、毎年夏のあいだ滞在することを習慣にしておられた。」>と浅木の父は話します。

 

 六甲山郵便局の裏手にある例のロープウェイの廃駅にさしかかり、ロープウェイの話をしながら、少し先の六甲山ホテルに向かいます。
 小林一三記念館雅俗山荘に展示されていた昭和11年ごろの阪急百貨店包装紙に幻の六甲登山ロープウエイが描かれていました。

 


更に沿線案内図にも、カラーで六甲登山口から六甲山ホテルまで結ぶ六甲登山ロープウェイが描かれていました。

 

<ヨーロッパかどこかの山荘旅館のようだ、というのが六甲山ホテルに着いたときの私の感想だった。もちろん当時の私は海外になど行ったことはなかったが、何かでそんな写真を見たような気がしたのだ。>

現在の六甲山ホテルの玄関です。

この右手に旧館の玄関が遺されていました。

 

六甲山ホテル旧館の山荘ホテル風の玄関です。

阪神間モダニズムの時代に関西の山岳ホテルの先駆けとして営業を開始したとの説明がありました。

 

設計者は異なるのですが、旧小林一三邸雅俗山荘も同じような趣です。


<三階建てで、客室は四十だという。天井を支える黒褐色の木の太い梁。あちらこちらに見られるアーチの意匠。古民具風の椅子。そんなラウンジで、私は小芝翁に引き合わされた。>


六甲山ホテルの旧館のラウンジは昔の面影を残しています。



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六甲登山ロープウェイが昔あったのをご存知ですか?(多島斗志之『黒百合』)

 多島斗志之『黒百合』で主人公寺元進は1942年夏、ケーブルカーで六甲山上駅まで上がりますが、昔ケーブルカーの他にロープウェイがあった話をします。


<山荘をかたどった駅舎で切符を買いながら、このケーブルカーは宝急の競争相手の阪神電鉄が経営しているのだ、とおばさんが言った。昔はロープウェイもあって、そちらは宝急の経営だったが、戦争中に撤去されてしまったのだという。>
 吉田初三郎の昭和11年の西宮市の鳥瞰図をじっくり見てみると、西端に六甲山ケーブルカーと共に、ロープウェイが描かれてるではないですか。

 このようにロープウエイとケーブルカーが両方描かれている絵地図は他に見たことがありません。
 このロープウエイについて更に調べると、ブログ「祖父の見た六甲山」で、昭和6年から昭和19年まで六甲登山ロープウェイとして存在していたことが詳しく説明されています。
http://www2.osk.3web.ne.jp/~morichi/rk/


小説に戻りましょう。
六甲山の浅木家の別荘に着いた翌日、進と一彦は別荘の近くを散歩し、ロープウェイの廃駅に行きます。
<郵便局の裏手にそれはあった。入口に通せんぼをするロープがおざなりに張ってあるだけで、しかもそれは弛んでだらりと下がっていた。大人がいれば注意されただろうけれど、まわりに人影はなく、私たちは当然のように中に入り込んだ。
 荒廃した駅舎。まるで飛び込み台のように斜面に迫り出している。私たちは先端まで行って谷を覗いた。そこから斜め下へ伸びていたはずの鋼鉄の架線は跡形もなく取り去られ、駅舎は未練がましく下界を見下ろして途方に暮れているようだった。>

 小説にも登場する六甲山郵便局は明治43年、別荘に避暑に訪れる外国人ら向けに、6〜10月の季節郵便局として開局した歴史ある郵便局です。
現在でも観光客へのサービスは満点。「パノラマテラス、休憩所、トイレ、あります。どうぞお気軽に。」と誘ってくれます。

車をここで停めて、中に入ってみました。


お茶の無料サービスもあり、ちょっとした喫茶店並み。展望テラスからは景色を一望出来ます。


ここにロープウェイの山上駅があったようです。

山上駅には月見橋を渡って行ったようで、好奇心旺盛に郵便局の裏の林の斜面に分け入りました。

 

 

戦前に使われていた橋の残骸が残っており、幻を見ているような気持ちになりました。


上の写真のようなロープウェイが昔あったとは。

 

 このロープウェイが戦後も復活されなかった理由は、『黒百合』でこんな風に語られます。
<「ロープウェイの復活を望む声をよく耳にするんだけどね、小芝さんが首を縦にふらないんだ。もともとご自分が造ったものなので愛着があるんじゃないかと思っていたんだが、そういうことにはこだわらない人なんだな。これからは自動車の時代だから、ロープウェイを復活させるより、ちゃんとした登山道路をつくるのが先決だ、と言っておられる」>


小林一三翁には先見の明があったようです。

 



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この郵便局の局長さんもとても話しやすい方です。
お弁当をお外のテラスで食べさせてくれました。
中へとも言ってくださりお茶もいただきました。

[ ちゃめ ] 2014/09/30 19:50:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

私も初めて入って、いたれりつくせりのサービスに驚いてしまいました。理想的な山の郵便局といった感じでした。皆さま用がなくても是非一度お立ち寄りを。本当ですから。

[ seitaro ] 2014/09/30 20:21:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

家にあった六甲ロープウェイの絵はがきを以前にアップしたのですが、どこだかわからなくなってしまいました。この作家の作品、雰囲気はあるのですが、途中からちょっと荒唐無稽すぎる感じで、?なところもあります。行方不明のままでしょうか。

[ ふく ] 2014/10/01 7:26:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 相かわらず精力的に動かれますね。スゴイです。

[ akaru ] 2014/10/02 11:03:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『黒百合』に描かれた六甲山の別荘とヴォーリズ六甲山荘

 多島斗志之『黒百合』の主人公寺元進は父の友人で、六甲山に小さな別荘を所有している浅木謙太郎氏の誘いを受け、1952年の夏六甲山を訪れます。
<そもそも私が六甲山を訪れたのは、浅木さんに招かれたからだった。浅木謙太郎さんは父の古い友人である。春、東京に出張してきた浅木さんを父が家に招いて歓待したとき、「夏休みになったら、うちへ来ないかね」と彼は私に言ったのだ。「六甲山に小さな別荘があるんだ。下の街とは気温が8度も違うから涼しく過ごせるよ。きみと同い年のひとり息子がいるので、きっといい遊び相手になる。一彦という名前だ」>


 浅木家の別荘は六甲ケーブル山上駅から十分あまり、ゆるい坂道を上がったところです。
<翌朝、鶯の鳴き声で目がさめた。涼しいとは聞いていたけれど、窓を閉め切って寝ても汗ばむことはなく、それどころか夏蒲団をしっかりかけて眠った。カーテンを開いて外を見ると、朝霧が低くたちこめて斜面の下を隠しており、その霧の海にこの別荘が浮かんでいた。>

 先日私が六甲山上にまで行った時も、最初濃い霧が漂っていましたが少しずつ消えていきました。
<よく晴れた日で、霧は早くも消えつつある。「別荘があるなんて、うらやましいな」歩きながら私が言うと、「斜面の土地やから安かったんや。それに山小屋に毛が生えた程度で、別荘と呼ぶほどのもんではない」と一彦はかぶりを振る。謙遜ではなく、本音のようだ。「戦前からの大きな別荘が六甲にはいっぱいある。そういうのが本物の別荘や」>


 六甲山の開発は、明治28年に、神戸の外国人居留地で貿易商を営むA.H.グルームが、三国池の湖畔に山荘を建てたことに始まります。明治43年には、50軒以上もの山荘が六甲山上にあったそうです。


 無料駐車場から記念碑台に上がると、現在はグルームの胸像が建てられていますが、戦前はここに六甲開祖の碑がありました。

明治45年に建てられた「六甲開祖之碑」は、排英運動の高まりを受けて昭和15年に倒されてしまったそうです。


 六甲山の別荘というと、瓢箪池とゴルフ場の近くにあるヴォーリズ六甲山荘を思い浮かべます。『黒百合』では倉沢香の別荘が、このあたりにあることになっています。


ヴォーリズ六甲山荘は御影にヴォーリズ設計の大邸宅があった小寺敬一氏の山荘として建てられたものです。

中に入ると、食堂や寝室など小寺家の生活を垣間見ることができます。
 昼は理事長でもあった神戸ゴルフ倶楽部で別荘仲間と過ごしたり、六甲山の散策を、夜は家族とともにカードを楽しむという優雅な生活のようでした。

(展示されていたカードや食器)

 


お風呂が五右衛門風呂だったのには驚きました。


 現在はアメニティ2000協会のナショナルトラスト運動によって保存されており、国登録有形文化財となっています。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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