阪急沿線文学散歩

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伊集院静『琥珀の夢』鳥居信治郎の自転車と松下幸之助

 先日、BS4K放送スタート日の記念番組で、『 日経ドラマスペシャル 琥珀の夢 特別版』が放映されていました。

原作はは伊集院静が、日本経済新聞に連載した新聞小説で、壽屋(現在のサントリー)を創業した鳥井信治郎の人生を描いた『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』です。

NHKの朝ドラ『マッサン』では、堤真一が鴨居欣二郎役を演じ、自転車で走りまわる場面が登場していました。

 今回の番組でも主役の内野聖陽演じる鳴江萬治郎(原作では鳥居信治郎)が船場の街を自転車で疾走する場面があります。
 この自転車、実は松下幸之助と深いかかわりがあったのです。

 原作の冒頭に、五代自転車店の丁稚の少年が寿屋洋酒店に修理が終わった自転車を納品に来て、棚に並んだぶどう酒の瓶に見惚れる場面が描かれています。
<「そこで何してんのや」いきなり声がして少年は目を開き、声のする方を見た。そこに純白のメリヤスシャツを着てニッカボッカの作業ズボンを穿いた男が手袋を外しながらこちらを見ていた。 ―旦那さんや、ハイカラの鳥居信治郎はんや。>
 ここで信治郎は、丁稚の少年の頭をやさしくなで「おまえ、気張ってくれよ。お前には船場中の神さんがついてくれてはるからな」と笑いかけたのです。
<この少年こそ、のちに“経営の神様”と呼ばれるようになった松下幸之助である。松下幸之助は生涯、この日のことを忘れなかった。幸之助は鳥井信治郎を商いの先輩としてだけではなく、その人柄に魅了され、尊敬し続けた。幸之助の事業が成長しはじめた時期も、鳥井信治郎に相談し、信治郎は十五歳年下の幸之助に助言を惜しまなかった。>

 この二人の出会いとその後の関係は創作ではなく、実話だったようです。

鳥居信治郎の銅像完成の除幕式での松下幸之助のスピーチがそれを物語ります。
 昭和五十六年二月一日、大阪、築港のサントリーのプラント工場の中に、鳥井信治郎の銅像が完成し、その除幕式の案内状が各所に送られ、その中に生前、信治郎と懇意であった松下幸之助も含まれていました。しかし、この年すでに八十七歳になる幸之助は、商いに関わる席に一切出向くことはなく、公の席にもほとんど姿をあらわしませんでした。
<ところがサントリー本社に、松下幸之助、喜んで出席させていただきます、の返事が届いた。社内が大騒ぎになった。誰より驚いたのは、社長の佐治敬三である。
「まさか幸之助翁が・・・、そこまでオヤジのことを・・・」準備万端で社長以下が幸之助を迎えることになった。>

 この除幕式での幸之助のスピーチです。
<「本日は鳥井信治郎さんの銅像完成、誠にお目出度うございます……」そこまで言って幸之助の言葉が途切れた。皆が翁を見守る中で、幸之助は遠い日を懐かしむように語りはじめた。
「私が鳥井信治郎さんと初めてお逢いしたのは、今から丁度、七十四年前の春のことでした。
私は当時、和歌山から大阪、船場に出て、ふたつめの店へ丁稚奉公に出ておりました。そこは堺筋淡路町にある五代自転車店と申しました。五代自転車店は、主に舶来の自転車を扱う店でございました。自転車と申しましても、今と違って自転車に乗れる人は少のうございました。それもそのはずで一台が百円から百二十円するという高級品で、今のお金に換算すると、五十万円をゆうに超える値段でした。その五代自転車店の上得意に鳥井信治郎さんの"鳥井商店"がございまして、鳥井信治郎さん、店でも格別高級なピアス号に乗って船場の街を疾走していらっしゃいました。或る日、丁稚だった私は、そのピアス号の修理が出来上ったのをお届けに行ったわけです。そこで私は初めて鳥井信治郎さんから、よく来たと迎えられ、暖かい大きな手で頭を撫でられたことを今でもはっきりと覚えております。坊、気張るんやで、と励まされた時の、信治郎さんの笑顔が今も目に浮かびます……」
会場は水を打ったようにシーンとして皆が幸之助のスピーチに聞き入った。
社長の佐治敬三は幸之助のスピーチの途中で大粒の涙を流した。
「今日の銅像の見事な出来栄えと、あの空に"赤玉ポートワイン"をかかげた姿は、私が丁稚の時代に見た信治郎さんそのものです」。
この日の幸之助の恩義を忘れぬ出席に、佐治敬三は感激し、幸之助の葬儀の折は、その棺を自ら抱えてる。>

手に持っているのは赤玉ポートワインのビンです。


 さて片や松下幸之助が戦後住んでいたのは西宮のニテコ池の畔の名次庵。


幸之助が愛した自邸の桜の樹は、春になると今も見事な花を咲かせます。



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朝ドラ「まんぷく」大大阪時代に登場する建物は超一流

 NHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」が始まりました。
第一話を見て、ストーリーだけでなく映像が楽しみになりました。
最初の映像。

もちろんCGでしょうが、大きなビルは阪急百貨店でしょう。

上の写真は昭和45年の阪急百貨店。

時は昭和13年、大東京市が誕生し勢いは陰りつつあるものの、まだ大大阪時代です。

「べっぴんさん」で登場した大急百貨店、「半分青い」「マッサン」でも登場した?日の出ビールの看板が見えます。

ヒロインの福ちゃんが勤める大阪東洋ホテルには、遠藤新設計の旧甲子園ホテルが使われています。

 東の帝国ホテル、西の甲子園ホテルと言われたくらいの高級ホテルでしたが、営業した期間は短く、このような形で本来のホテルとしてよみがえった映像には感激しました。

ロビーの上にこんな2階があったのかと思いましたが、遠藤新のデザインの椅子も見えています。

ホテルの裏庭の映像。遠藤新にこの映像を見せたいと思うくらい、国際色豊かな素晴らしいホテルになっています。

福ちゃんが卒業した高等女学校として、ヴォーリズ建築の神戸女学院が登場。

神戸女学院の中庭にセーラー服姿はしっくりしませんが、これからも登場しそうです。
しばらく目が離せません。



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一番上の写真、中央の白い建物はミナミの高島屋百貨店のようです!
二番目の写真は阪神百貨店ですね。

[ Z探偵団 ] 2018/10/02 14:41:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうだったのですか、とんだ勘違い。

[ seitaro ] 2018/10/03 16:02:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『大阪倶楽部』と明治時代創設の神戸の独逸人倶楽部を比べてみました

 月刊神戸っ子6月号に大阪倶楽部が登場しています。
https://kobecco.hpg.co.jp/32491/

 私も以前から見学させてもらいたいと願っていた建物で、取材に同行するチャンスをいただき、一緒に事務局長にお話を伺うことができました。

(「館内見学会」は2カ月ごとに実施されているそうです)


現在の建物は大正13年に竣工。設計はモダニズム建築を代表する建築として名高い大阪ガスビルディングなどを設計した安井武雄。近代化産業遺産の認定を受け、国の登録有形文化財として登録されています。

外壁の装飾も趣があります。

エントランスホールにある魔除けの「邪鬼」。

 明治時代にイギリス女王ヴィクトリアの「社交クラブのない国は野蛮な国」という発言を受けて、日本にも社交クラブが設立されるようになったそうですが、大阪にも社交クラブをという声があがって、大正元年に大阪倶楽部が創設されたそうです。

各階にはこのような電話室が設置され、今も残されています。

事務局長から伺ったお話で、面白かったのは
<本来社交倶楽部は、大広間、自前の食堂、ビリヤード場の3つが揃ってはじめて社交クラブと位置づけられました。やはりジェントルマンの館ですからね。>というお話。

 神戸の居留地にドイツやオランダ、スイス出身者を中心に明治12年に設立された社交クラブ『クラブ・コンコルディア』の50周年記念誌に内部の写真がありました。
それを見ると、確かに大広間、食堂、ビリヤードがそろっています。
各部屋を少し比べてみましょう。

上の写真はクラブ・コンコルディアのビリヤード。


大阪倶楽部のビリヤード台のひとつは、ここのメンバーでもあった実業家の加賀正太郎の別荘、京都の大山崎山荘にあったものを昭和28年に移設されたものとのこと。

こちらは大広間。

大阪倶楽部ではこの部屋で毎月著名人の講演会が催されているそうです。

こちらが食堂。

上がクラブ・コンコルディアのバー。下が大阪倶楽部のバーです。


図書室も備えられています。(上がクラブ・コンコルディア、下が大阪倶楽部)


クラブ・コンコルディアには、ボーリングに近い、ドイツのケーゲルのレーンも設置されていました。私も45年位前にケーゲルを楽しんだことがあり、懐かしい写真です。

大阪倶楽部にはさすがにケーゲルはありませんが、その代わり立派な囲碁・将棋室がありました。

 このように明治時代からある独逸人倶楽部の設備と比べてみると、大阪倶楽部の建物も外国の社交クラブを範として設計されたことがよくわかりました。


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文化財カフェ西日本2位の中之島図書館Smorrebrod kitchen Nakanoshimaへ

 先週土曜日の日経プラスワン「何でもランキング 文化財カフェ」西の一位は京都河原町の「フランソア喫茶室」。

喫茶店として初めて国の有形文化財になった建物でもあり、文句なしの1位です。

 そして西の2位が、大阪府立中之島図書館内にある「スモーブローキッチンナカノシマ」。


 中之島図書館は、宮本輝『星々の悲しみ』にも登場する明治37年に建てられたネオ・ルネッサンス風の建物ですが、図書館の中に、そんなカフェがあるとは知りませんでした。
 今回は、梅田から『星々の悲しみ』の舞台として登場する梅田新道交差点から、喫茶店「じゃこう」のある簡易裁判所の北側、なにわ橋を渡って図書館まで歩きました。

『星々の悲しみ』のお話は次回にして、早速「スモーブローキッチンナカノシマ」へ。

図書館の利用案内の掲示板の隣に、Smorrebrod kitchen Nakanoshimaの看板がありました。

 2016年4月にオープンしたそうで、場所は図書館の正面玄関から入って右奥です。

店内の様子です。

この図書館の書架に見立てた棚の向こうがキッチンになっています。

お水はセルフになっていて、取りに行くとデトックスウォーターがありました。
 スープ、サラダ、ドリンクがセットになったランチを頼みましたが、メインはベジタブルスモーブローにしました。因みにSmørrebrød (スモーブロー)とは北欧の郷土料理オープンサンドのこと。

最初に出て来たサラダです。

ベジタブルスモーブローです。この下に薄く切られた食パンが隠れていました。

 謳い文句は「ナイフとフォークを手にとり、美しく飾られたスモーブローと向き合うひとときは忙しく過ごす現代人の心も体も癒してくれるでしょう。」
健康的な感じのランチには満足しましたが、文化財カフェ西日本ランキング2位の評価には、首を傾けてしまいました。



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 裁判所のあたりは 何故か父が良く散歩に行こうと連れて行ってくれました。中の島やあの辺りは子供時代に何度も 父に連れて行ってもらったので結構詳しかったです 道修町へのあたりですね・・・・昔々の記憶です 重厚な建物が多く 歴史を感じます。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/11/09 9:04:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

子供時代は大阪に住まれていたのですか。いい街並みでした。

[ seitaro ] 2017/11/09 17:53:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

おはようございます。ごぶさたいたしました。
明後日の日曜日、12日の夜9時5分から、ABCラジオで『サッちゃんの阪田寛夫が残したもの』がオンエアされます。
おそろく、童謡や同局在職中のエピソードが中心の内容になるものとおもわれますが、もしお時間があれば、お聴きになってください。

[ 373 ] 2017/11/10 7:54:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さん、ありがとうございます。楽しみに聞いてみます。

[ seitaro ] 2017/11/10 14:43:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ニューヨークで大人気という朝食を探りにサラベス大阪店へ

 2015年4月に西日本初出店という「サラベス大阪店」、ホームページを見ると、
<活気溢れるニューヨークの朝、店頭から伸びる行列は、マンハッタンの風物詩となり、レストラン格付けガイドブックザガット・サーベイでは「ニューヨークNO.1デザートレストラン」、「ニューヨークでブランチを食べたいレストラン」にも選出され、「New York Magazine」では "文句なしのニューヨークの朝ごはんの女王" と形容されました。>
と書かれており、どんなものかと日曜日の朝に梅田に出かけました。

9時半ごろ到着しましたが、約25分待ちで店内に。

オーダーしたのはサラベスの人気メニュー「クラシックエッグベネディクト」と「フラッフィーフレンチトースト」。
シェアー用の小皿とナイフ、フォークなども卒なく持ってきてくれました。

クラシックエッグベネディクトを半分に切ると、半熟の玉子がとろけでててきます。玉子の美味しさとベーコンを焼いた芳ばしさがミックスされ、さすがサラベスさんの人気メニューです。

オーガニックメープルシロップのついたフレンチトーストも見た目よりは甘さ控えめですが、アメリカ生まれでボリューミーでもありました。

店内のインテリアも落ち着いています。

 さてホテルの朝食に近い価格設定のコストパフォーマンスですが、料理の味などは満足できるものの、店内の狭さが値段の割に残念でした。

(人のいない店内写真はホームページより)

もう少しゆったりとしたテーブル配置なら、ゆっくりおいしいいブランチを楽しめたのですが。

 本来のニューヨークはどんなレストランで、どんな価格設定になっているのかと、調べてみました。
 
メニューはニューヨークの方が豊富でしたが、
CLASSIC EGGS BENEDICT*Canadian bacon, hollandaise, peppers, chives 19.5
クラシックエッグベネディクトは$19.5
SWEET BREAKFAST 19
Doerfler Family Farm Pure Organic Maple Syrup
FAT & FLUFFY FRENCH TOAST strawberries, bananas
フラッフィーフレンチトーストは$19
いずれも1750円程度
消費税は同じくらいとしても、チップが15%程度必要ですから、3割程度ニューヨークの方が割高です。

店の様子はどうなのかとホームページで見てみました。

In 1981, Sarabeth and Bill Levine opened a tiny bakery-kitchen to make and sell her preserves and baked goods.
1981年の1号店は最初ベーカリーだったようですが、暫くしてテーブル席が設けられたようです。

ホームぺージの店内写真は大阪より広そうでしたが、ブログを見た限り、ニューヨークの店内もそれほど広くさなそうです。


 ニューヨークのブログを読むと、食材を地域の農場から仕入れていることや、オーガニックもあること、サービスが行き届いていること、リーズナブルな価格であるなどと、絶賛しているのが多くありました。

1943年 ニューヨーク市に生まれたサラベス・レヴィーンさん。

料理の本も出版されています。

 帰ってきてから、色々調べ上げたあげく、これが国際標準のリーズナブルな価格でおいしい朝食かと、とりあえず納得しました。


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大阪城公園梅林のあとはNHK大阪放送局で「べっぴんさん」セット見学

 大阪城公園にある梅林は100品種以上、約1270本もの梅が植えられていると聞き、見学に行ってきました。


 JRで行きましたが、大坂城公園駅を降りて目についたのが、改札口の上に飾られている司馬遼太郎の大阪城公園駅誕生記念の詩文が焼き付けられた見事な陶板レリーフ。


次のように始まります。
<おごそかなことに、地もまたうごく。私どもは、思うことができる。この駅に立てば、台地のかなたに渚があったことを。遠い光のなかで波がうちよせ、 漁人(いさりびと)が網を打ち、浜の女(め)らが藻塩(もしお)を焼いていたことども。秋の夜、森の上の星だけが、遙かな光年のなかで思いだしている。>
読んでいると、はるか昔の大坂に思いを馳せることができます。

最後は次の様に終わります。
<悲しみは、この街に似合わない。ただ、思うべきである。とくに春、この駅に立ち、
風に乗る万緑の芽の香に包まれるとき、ひそかに、石垣をとりまく樹々の発しつづける多重な信号を感應すべきであろう。その感應があるかぎり、この駅に立つひとびとはすでに祝われてある。日日のいのち満ち、誤りあることが、決してない。 司馬遼太郎>

 さて、春近い大阪城公園駅に立ち、梅林に向かいました。

大阪城梅林は内濠の東側、約1.7haの広さに約1,270本近くの梅が植えられています。

梅の木が太いので古くからの梅林かと思いましたが、1972年に北野高校同窓会から22種880本を寄贈されたのを機に1974年3月に開園され、現在では97品種1270本となっているそうです。


品種の豊富さでは関西随一の梅林となっており、それぞれの木に品種のタグがついて、わかりやすくなっています。

日本一の城をバックにした梅林は見ごとです。


また京橋の高層ビル群をバックにした梅も、ある種の風情があります。

梅林でしばらく時間を過ごしたあと、NHK大阪放送局へ。

大阪放送局では、「連続テレビ小説べっぴんさん」のセットが3月26日(日)まで1階アトリウムで公開されています。

キアリス本店


あさや靴店

世界の料理「レリビィ」

ハットリベーカリー

など港町商店街のドラマセットが並んでおり、歩かせていただきました。
ようやく、どうなることかと心配した「べっぴんさん」も終わります。



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大阪城をバックの梅林スケールがちがいますね 感動しました
素晴らしい画像を有難うございました。

[ チエリー ] 2017/03/25 21:52:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

チェリーさんコメントありがとうございます。いくつか梅林をまわりましたが、品種といい、数の多さといい大阪城梅林が、やはり一番見事でした。

[ seitaro ] 2017/03/25 22:06:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

おはようございます。
昨日、『西宮文学案内』の受講当選通知がとどきました。
4月22日、楽しみです。

いつでしたか、大阪城梅林内の「盆梅展」で、苗木を買ったものの、早々に枯らしてしまいました。無精モノには無理でした。

[ 373 ] 2017/03/26 6:36:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さんおはようございます。会場の都合上定員が限られていましたので、よかったです。お会いできるのを楽しみにしております。

[ seitaro ] 2017/03/26 9:53:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大急百貨店(阪急百貨店?)のCGがうまくできていました

 このところ、朝ドラ「べっぴんさん」では、すみれたちのキアリスと大急百貨店との話題になって、昭和20年代後半と思われる大急百貨店のCG映像がでるようになりました。


 ドラマのモデルとなったファミリアが阪急百貨店に出店したいきさつについては、「大河歴史好きブログ」に詳しく説明されていました。
http://rekishi.sseikatsu.net/fami-hankyu/

 ファミリアが大阪・梅田の阪急百貨店うめだ本店に初の直営店をオープンしたのは昭和26年のこと。当時の阪急百貨店の写真が絵葉書として残っていました。

これと大急百貨店のCG見比べると、うまく当時の様子が再現されていることがわかります。

 その頃、梅田の阪急百貨店で出版記念サイン会をしていたのが幸田文さん。
幸田文さんが抱いている猫の名は「阪急」なのですが、そのように名付けられた経緯が『幸田文どうぶつ帖』のあとがきに、孫で随筆家の青木奈緒さんが書かれています。

<この猫は、猫好きの祖母を見こんで家の玄関前に置かれていた捨て猫だった。その日、大阪の阪急百貨店で出版記念サイン会を開くことになっていた祖母は、仕事に追われて飛行機で大阪へ飛ぶ予定になっていた。支度をして家を出ようとし、母が送りに出した玄関で、捨てられた仔猫と対面したのである。今のように空の旅があたりまえではなかった昭和32年のこと。祖母は仔猫を邪険に扱うことに気あたりがして、留守番に残った母にミルクをやるように頼んで出かけた。祖母は大阪から無事に帰り、猫はサイン会のあった場所にちなんで阪急という名で家族の一員となった。>

 その頃が、戦後日本の高度経済成長のはじまりで、貧富の格差は大きかったのかもしれませんが、夢を追える時代でした。
ところで、キアリスはこれからどうなっていくのでしょう。



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「近大マグロの奇跡」を食しにグランフロント大阪『近畿大学水産研究所』へ

 3年前のグランフロント大阪に開店した養殖魚専門店「近畿大学水産研究所」。

 オープン当初は、すごい人出で、とても並ぶ気にはなりませんでしたが、そろそろ下火になっているのではと、ランチに出かけることにしました。


 世界人口の増加にともない、海洋資源もどんどん枯渇、高騰しており、養殖は有効な手段でしょうが、マグロの完全養殖というのは奇跡と呼ばれるほど難しかったことが林宗樹『近代マグロの奇跡 完全養殖成功への32年』を読んで、よくわかりました。

 それによるとマグロにはえらを動かす能力がなく、口をあけて泳ぎ続けることでしか酸素を取り込むことができないので、生まれてから死ぬまで泳ぎ続けなければならない宿命があるのです。

 戦後間もない昭和23年に水産研究所が白浜に開設されたのは、近大初代総長の世耕弘一が、戦後の食糧不足の中にあって「日本人全員の食糧を確保するには、陸上の作物だけでは不十分である。土地と同じように海を耕し、海産物を豊かにしよう」という理念からだったそうです。

 近畿大学水産研究所で国家プロジェクトとしてクロマグロの養殖実験が本格的に始まったのは昭和45年のこと、その後の実験は挫折の連続だったようですが、熊井英水氏(名誉教授)が、平成五年に研究所のトップとして近畿大学二代目総長の世耕政隆のもとを訪ね、「このままクロマグロの研究を続けていいものだろうか?」と相談したときに、「生き物というのは、そういうものですよ。簡単にいくはずがない。気を長くもって、長い目でやってください」と言われ、やってやろうという気力が湧いてきたと述べられています。
<そして、熊井は初代総長の世耕弘一の言葉を思い出していた。「不可能を可能にするのが研究だろう」>
感動的な『近大マグロの奇跡』なのですが、これは何をおいても食べなくてはという気持ちになります。
 
この不可能を可能にした研究の成果を実際に楽しもうと、梅田のグランフロント6Fにある「近畿大学水産研究所」というレストランに行ってきました。

平日でしたが、12時過ぎに行くと、30分待ちでしたが、並んではいりました。

頼んだのはランチメニューの海鮮丼。

中トロと赤身、鯛、ヨコワ、シマアジの5種類。赤だしは自由でした。

 中トロの味はさすがでしたが、その味をコラムニストの勝谷誠彦が『近大マグロの奇跡』の解説で、これ以上には書けないくらい書いていました。
<醤油につけるとぱあっと脂が皿の中に広がる。一方で醤油をはじく身の表面を見て、私はもう味を確信していた。付着の分布が均一なのだ。脂が表面で自己主張することなく、赤身の細胞の間に宿っている感触がある。口にして、それは確信にかわった。繻子のような舌触り。いかなる夾雑物もない。きわめて均質な、完成度の高い味だ。赤身の持つあのヘモグロビンの香りと、大トロの猥雑といっていい脂肪ののたくり具合の双方を兼ね備えている。たまたたまだが、中トロに当たったというのは、近大マグロというものを識る上で幸運であったかも知れない。>

 随分長い説明ですが、この通りの味か、確かめに一度でかけるのもいいかと。


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いつもブログを見るのを楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね!

[ 足利・足利市 美容院 mod's hair 足利のホットペッパーブログ ] 2016/10/27 21:56:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

足利市の方に読んでいただいているとは驚きました。よろしくお願いします。

[ seitaro ] 2016/10/27 22:03:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大山崎山荘の加賀正太郎と大同生命初代社長広岡久右衛門との意外な関係

 先月の末に、大同生命大阪本社の特別展示と大山崎山荘美術館を訪ねたのですが、大同生命初代社長の広岡久右衛門と大山崎山荘を建てた加賀正太郎の意外な関係がわかりました。


広岡久右衛門正秋は広岡浅子の義兄にあたる人物です。

 

 広岡久右衛門はアメリカ留学中、ゴルフを覚え、帰国後、神戸ゴルフ倶楽部(六甲山)はじめ鳴尾、舞子などの倶楽部でゴルフを楽しんだそうですが、いずれも大阪市内からは遠く、どのコースも「3回まわって18ホール」といわれるほど距離が短く、グリーンは芝生のないサンド・グリーンでした。

武庫川河口にあった当時の鳴尾ゴルフ倶楽部の鳥瞰図を見てもコースが短いことがわかります。

 

 そこで広岡久右衛門は「大阪近郊に本格的ゴルフ場を造れないものか」と同志を募って計画を実行に移す決意をし、ともに西日本で唯一の社交倶楽部だった大阪倶楽部の会員の加賀正太郎を誘いこんだのです。

 

若手会員が中心となって大正12年茨木カンツリー倶楽部が創立されます。
(写真は茨木カンツリー倶楽部ホームページから)

しかし夫妻で欧米のゴルフ場視察の旅に出ていた加賀氏が帰国、ひと目見て「これで本格コースといえるのか」と憤慨し、「土地を買い足し、一からやりなおすべきだ」「倶楽部ハウスなど掘っ立て小屋でよろしい。倶楽部経営は、コース第一主義でなければならない」と理事会で発言、紛糾したそうです。

 

 当時の様子は、中山 禎輝『天王山の宝石箱―アサヒビール大山崎山荘美術館」誕生物語』に詳しく述べられています。
<大正十二年、千代子夫人を伴って欧米視察旅行に旅立つ。ところが、その外遊中に母レイが急逝し、二人は急いで帰国する。詳しい経緯はわからないが、このことが結果として、彼を建設中であった茨木カンツリークラブの改良工事にのめり込ませていった。
 海外で最新のゴルフコースを見ていた上に、庭造りが好き、そして、熱中した時のあの集中力、自分の仕事は午前中に終え、午後は造成現場で陣頭指揮をとった。だが完成するまでの評判は、いろんな意味で芳しくなく、何度も他のメンバーと衝突したが、彼は信念を貫き通した。会員のお金で作るものであっても、責任は全て自分が取る。俺は一国一城の主だ、という気概が原動力となった。完成したコースの出来栄えは素晴らしく、外人のプレーヤーからも賞賛され、名門コースのステータスを得ていく。>

もう十年以上前でしょうか、一度だけ茨木カンツリー倶楽部東コースでプレーしたことがありますが、確かに素晴らしいコースだったと記憶しております。



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『あさが来た』の広岡浅子と『花子とアン』の村岡花子

 大同生命大阪本社の特別展示に、御殿場二の岡別荘での合宿の写真が展示されており、広岡浅子を囲んで、『花子とアン』の村岡花子が写っています。


 古川智映子『土佐堀川』でも御殿場二の岡の夏季合宿について述べられえています。

<浅子は秀を加えて、御殿場の別荘での夏季講習会の開催を企画した。女子を育てるといっても、女子高等教育の期間はすでに存在している。浅子個人の力でできるのは、形式にこだわらず、自由な発想と発言で研鑽しあうことなのである。寝食を共にし、机上の学問ではなく実学を身につけさせたい。福沢諭吉流にいえば、共同生活での掃除も、洗濯も、みな実学ということになる。>


 この御殿場の別荘もW.M.ヴォーリズの設計だそうですが、残念ながらその写真を見つけることはできませんでした。
第一回のメンバーは
「亀子、木下さく子、よね子の姉妹、井上秀、秀の関係で出席を希望しているという愛知県女子師範生の市川房枝、安中はな(村岡花子)、小橋三四子(新聞記者)、小藤の娘松井蔦子、さらに三井一族からは寿天子を含む三人が出席することになった」そうです。


<第一回目の御殿場二の岡夏期講習会が開催された。浅子は「理想の女性」と題し、加島屋を再考した苦労話を混じえながら、女性の向上について語った。体験に基づいた講話だけに迫力があり、全員が時間のたつのも忘れて聞き入った。>
 広岡浅子はまさに日本におけるWomen’s Lib.の活動の先駆者でした。

広岡浅子が村岡花子に短歌を添えて贈ったポートレートも展示されていました。

 


<愛する安中花子嬢によみて贈る
友祈祷
相思う清き心をとことはに
かみにいのりて深さくらへん 浅子>

 

 村岡花子はエッセイ集『曲り角のその先に』で「夏のおもいで」と題して、御殿場二の岡で出会った広岡浅子について次のように述べています。


<私ははたち代のころよく二の岡へ行った。広岡浅子という老人がいて六十歳をすぎてクリスチャンになったという女性である。三井財閥に生まれ広岡家に嫁したのだが、夫というのはいわゆる大家のおん曹司で趣味人。
夫人は二十八歳のときに、自ら鉱山事業に手を染めたという人である。現在の考えからいったら、へんなことだけれど、夫には二号を推薦し自分は事業に打ち込んだのである。もっとも既に一人の実子を得ていたから老後はこの娘に養子をとり血肉を分けた人と生涯を共にした。>
 実子とは広岡亀子のことであり、養子となったのがヴォーリズ満喜子の実兄でした。

(写真は広岡恵三夫妻とヴォーリズ夫妻)

 また、村岡花子は「二の岡ですごした二夏は私の後年の生活をある程度決定したともいえる。」とまで二の岡での夏期講習会の経験の尊さを語っています。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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