阪急沿線文学散歩

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文化財カフェ西日本2位の中之島図書館Smorrebrod kitchen Nakanoshimaへ

 先週土曜日の日経プラスワン「何でもランキング 文化財カフェ」西の一位は京都河原町の「フランソア喫茶室」。

喫茶店として初めて国の有形文化財になった建物でもあり、文句なしの1位です。

 そして西の2位が、大阪府立中之島図書館内にある「スモーブローキッチンナカノシマ」。


 中之島図書館は、宮本輝『星々の悲しみ』にも登場する明治37年に建てられたネオ・ルネッサンス風の建物ですが、図書館の中に、そんなカフェがあるとは知りませんでした。
 今回は、梅田から『星々の悲しみ』の舞台として登場する梅田新道交差点から、喫茶店「じゃこう」のある簡易裁判所の北側、なにわ橋を渡って図書館まで歩きました。

『星々の悲しみ』のお話は次回にして、早速「スモーブローキッチンナカノシマ」へ。

図書館の利用案内の掲示板の隣に、Smorrebrod kitchen Nakanoshimaの看板がありました。

 2016年4月にオープンしたそうで、場所は図書館の正面玄関から入って右奥です。

店内の様子です。

この図書館の書架に見立てた棚の向こうがキッチンになっています。

お水はセルフになっていて、取りに行くとデトックスウォーターがありました。
 スープ、サラダ、ドリンクがセットになったランチを頼みましたが、メインはベジタブルスモーブローにしました。因みにSmørrebrød (スモーブロー)とは北欧の郷土料理オープンサンドのこと。

最初に出て来たサラダです。

ベジタブルスモーブローです。この下に薄く切られた食パンが隠れていました。

 謳い文句は「ナイフとフォークを手にとり、美しく飾られたスモーブローと向き合うひとときは忙しく過ごす現代人の心も体も癒してくれるでしょう。」
健康的な感じのランチには満足しましたが、文化財カフェ西日本ランキング2位の評価には、首を傾けてしまいました。




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 裁判所のあたりは 何故か父が良く散歩に行こうと連れて行ってくれました。中の島やあの辺りは子供時代に何度も 父に連れて行ってもらったので結構詳しかったです 道修町へのあたりですね・・・・昔々の記憶です 重厚な建物が多く 歴史を感じます。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/11/09 9:04:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

子供時代は大阪に住まれていたのですか。いい街並みでした。

[ seitaro ] 2017/11/09 17:53:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

おはようございます。ごぶさたいたしました。
明後日の日曜日、12日の夜9時5分から、ABCラジオで『サッちゃんの阪田寛夫が残したもの』がオンエアされます。
おそろく、童謡や同局在職中のエピソードが中心の内容になるものとおもわれますが、もしお時間があれば、お聴きになってください。

[ 373 ] 2017/11/10 7:54:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さん、ありがとうございます。楽しみに聞いてみます。

[ seitaro ] 2017/11/10 14:43:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ニューヨークで大人気という朝食を探りにサラベス大阪店へ

 2015年4月に西日本初出店という「サラベス大阪店」、ホームページを見ると、
<活気溢れるニューヨークの朝、店頭から伸びる行列は、マンハッタンの風物詩となり、レストラン格付けガイドブックザガット・サーベイでは「ニューヨークNO.1デザートレストラン」、「ニューヨークでブランチを食べたいレストラン」にも選出され、「New York Magazine」では "文句なしのニューヨークの朝ごはんの女王" と形容されました。>
と書かれており、どんなものかと日曜日の朝に梅田に出かけました。

9時半ごろ到着しましたが、約25分待ちで店内に。

オーダーしたのはサラベスの人気メニュー「クラシックエッグベネディクト」と「フラッフィーフレンチトースト」。
シェアー用の小皿とナイフ、フォークなども卒なく持ってきてくれました。

クラシックエッグベネディクトを半分に切ると、半熟の玉子がとろけでててきます。玉子の美味しさとベーコンを焼いた芳ばしさがミックスされ、さすがサラベスさんの人気メニューです。

オーガニックメープルシロップのついたフレンチトーストも見た目よりは甘さ控えめですが、アメリカ生まれでボリューミーでもありました。

店内のインテリアも落ち着いています。

 さてホテルの朝食に近い価格設定のコストパフォーマンスですが、料理の味などは満足できるものの、店内の狭さが値段の割に残念でした。

(人のいない店内写真はホームページより)

もう少しゆったりとしたテーブル配置なら、ゆっくりおいしいいブランチを楽しめたのですが。

 本来のニューヨークはどんなレストランで、どんな価格設定になっているのかと、調べてみました。
 
メニューはニューヨークの方が豊富でしたが、
CLASSIC EGGS BENEDICT*Canadian bacon, hollandaise, peppers, chives 19.5
クラシックエッグベネディクトは$19.5
SWEET BREAKFAST 19
Doerfler Family Farm Pure Organic Maple Syrup
FAT & FLUFFY FRENCH TOAST strawberries, bananas
フラッフィーフレンチトーストは$19
いずれも1750円程度
消費税は同じくらいとしても、チップが15%程度必要ですから、3割程度ニューヨークの方が割高です。

店の様子はどうなのかとホームページで見てみました。

In 1981, Sarabeth and Bill Levine opened a tiny bakery-kitchen to make and sell her preserves and baked goods.
1981年の1号店は最初ベーカリーだったようですが、暫くしてテーブル席が設けられたようです。

ホームぺージの店内写真は大阪より広そうでしたが、ブログを見た限り、ニューヨークの店内もそれほど広くさなそうです。


 ニューヨークのブログを読むと、食材を地域の農場から仕入れていることや、オーガニックもあること、サービスが行き届いていること、リーズナブルな価格であるなどと、絶賛しているのが多くありました。

1943年 ニューヨーク市に生まれたサラベス・レヴィーンさん。

料理の本も出版されています。

 帰ってきてから、色々調べ上げたあげく、これが国際標準のリーズナブルな価格でおいしい朝食かと、とりあえず納得しました。


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大阪城公園梅林のあとはNHK大阪放送局で「べっぴんさん」セット見学

 大阪城公園にある梅林は100品種以上、約1270本もの梅が植えられていると聞き、見学に行ってきました。


 JRで行きましたが、大坂城公園駅を降りて目についたのが、改札口の上に飾られている司馬遼太郎の大阪城公園駅誕生記念の詩文が焼き付けられた見事な陶板レリーフ。


次のように始まります。
<おごそかなことに、地もまたうごく。私どもは、思うことができる。この駅に立てば、台地のかなたに渚があったことを。遠い光のなかで波がうちよせ、 漁人(いさりびと)が網を打ち、浜の女(め)らが藻塩(もしお)を焼いていたことども。秋の夜、森の上の星だけが、遙かな光年のなかで思いだしている。>
読んでいると、はるか昔の大坂に思いを馳せることができます。

最後は次の様に終わります。
<悲しみは、この街に似合わない。ただ、思うべきである。とくに春、この駅に立ち、
風に乗る万緑の芽の香に包まれるとき、ひそかに、石垣をとりまく樹々の発しつづける多重な信号を感應すべきであろう。その感應があるかぎり、この駅に立つひとびとはすでに祝われてある。日日のいのち満ち、誤りあることが、決してない。 司馬遼太郎>

 さて、春近い大阪城公園駅に立ち、梅林に向かいました。

大阪城梅林は内濠の東側、約1.7haの広さに約1,270本近くの梅が植えられています。

梅の木が太いので古くからの梅林かと思いましたが、1972年に北野高校同窓会から22種880本を寄贈されたのを機に1974年3月に開園され、現在では97品種1270本となっているそうです。


品種の豊富さでは関西随一の梅林となっており、それぞれの木に品種のタグがついて、わかりやすくなっています。

日本一の城をバックにした梅林は見ごとです。


また京橋の高層ビル群をバックにした梅も、ある種の風情があります。

梅林でしばらく時間を過ごしたあと、NHK大阪放送局へ。

大阪放送局では、「連続テレビ小説べっぴんさん」のセットが3月26日(日)まで1階アトリウムで公開されています。

キアリス本店


あさや靴店

世界の料理「レリビィ」

ハットリベーカリー

など港町商店街のドラマセットが並んでおり、歩かせていただきました。
ようやく、どうなることかと心配した「べっぴんさん」も終わります。



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大阪城をバックの梅林スケールがちがいますね 感動しました
素晴らしい画像を有難うございました。

[ チエリー ] 2017/03/25 21:52:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

チェリーさんコメントありがとうございます。いくつか梅林をまわりましたが、品種といい、数の多さといい大阪城梅林が、やはり一番見事でした。

[ seitaro ] 2017/03/25 22:06:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

おはようございます。
昨日、『西宮文学案内』の受講当選通知がとどきました。
4月22日、楽しみです。

いつでしたか、大阪城梅林内の「盆梅展」で、苗木を買ったものの、早々に枯らしてしまいました。無精モノには無理でした。

[ 373 ] 2017/03/26 6:36:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さんおはようございます。会場の都合上定員が限られていましたので、よかったです。お会いできるのを楽しみにしております。

[ seitaro ] 2017/03/26 9:53:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大急百貨店(阪急百貨店?)のCGがうまくできていました

 このところ、朝ドラ「べっぴんさん」では、すみれたちのキアリスと大急百貨店との話題になって、昭和20年代後半と思われる大急百貨店のCG映像がでるようになりました。


 ドラマのモデルとなったファミリアが阪急百貨店に出店したいきさつについては、「大河歴史好きブログ」に詳しく説明されていました。
http://rekishi.sseikatsu.net/fami-hankyu/

 ファミリアが大阪・梅田の阪急百貨店うめだ本店に初の直営店をオープンしたのは昭和26年のこと。当時の阪急百貨店の写真が絵葉書として残っていました。

これと大急百貨店のCG見比べると、うまく当時の様子が再現されていることがわかります。

 その頃、梅田の阪急百貨店で出版記念サイン会をしていたのが幸田文さん。
幸田文さんが抱いている猫の名は「阪急」なのですが、そのように名付けられた経緯が『幸田文どうぶつ帖』のあとがきに、孫で随筆家の青木奈緒さんが書かれています。

<この猫は、猫好きの祖母を見こんで家の玄関前に置かれていた捨て猫だった。その日、大阪の阪急百貨店で出版記念サイン会を開くことになっていた祖母は、仕事に追われて飛行機で大阪へ飛ぶ予定になっていた。支度をして家を出ようとし、母が送りに出した玄関で、捨てられた仔猫と対面したのである。今のように空の旅があたりまえではなかった昭和32年のこと。祖母は仔猫を邪険に扱うことに気あたりがして、留守番に残った母にミルクをやるように頼んで出かけた。祖母は大阪から無事に帰り、猫はサイン会のあった場所にちなんで阪急という名で家族の一員となった。>

 その頃が、戦後日本の高度経済成長のはじまりで、貧富の格差は大きかったのかもしれませんが、夢を追える時代でした。
ところで、キアリスはこれからどうなっていくのでしょう。



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「近大マグロの奇跡」を食しにグランフロント大阪『近畿大学水産研究所』へ

 3年前のグランフロント大阪に開店した養殖魚専門店「近畿大学水産研究所」。

 オープン当初は、すごい人出で、とても並ぶ気にはなりませんでしたが、そろそろ下火になっているのではと、ランチに出かけることにしました。


 世界人口の増加にともない、海洋資源もどんどん枯渇、高騰しており、養殖は有効な手段でしょうが、マグロの完全養殖というのは奇跡と呼ばれるほど難しかったことが林宗樹『近代マグロの奇跡 完全養殖成功への32年』を読んで、よくわかりました。

 それによるとマグロにはえらを動かす能力がなく、口をあけて泳ぎ続けることでしか酸素を取り込むことができないので、生まれてから死ぬまで泳ぎ続けなければならない宿命があるのです。

 戦後間もない昭和23年に水産研究所が白浜に開設されたのは、近大初代総長の世耕弘一が、戦後の食糧不足の中にあって「日本人全員の食糧を確保するには、陸上の作物だけでは不十分である。土地と同じように海を耕し、海産物を豊かにしよう」という理念からだったそうです。

 近畿大学水産研究所で国家プロジェクトとしてクロマグロの養殖実験が本格的に始まったのは昭和45年のこと、その後の実験は挫折の連続だったようですが、熊井英水氏(名誉教授)が、平成五年に研究所のトップとして近畿大学二代目総長の世耕政隆のもとを訪ね、「このままクロマグロの研究を続けていいものだろうか?」と相談したときに、「生き物というのは、そういうものですよ。簡単にいくはずがない。気を長くもって、長い目でやってください」と言われ、やってやろうという気力が湧いてきたと述べられています。
<そして、熊井は初代総長の世耕弘一の言葉を思い出していた。「不可能を可能にするのが研究だろう」>
感動的な『近大マグロの奇跡』なのですが、これは何をおいても食べなくてはという気持ちになります。
 
この不可能を可能にした研究の成果を実際に楽しもうと、梅田のグランフロント6Fにある「近畿大学水産研究所」というレストランに行ってきました。

平日でしたが、12時過ぎに行くと、30分待ちでしたが、並んではいりました。

頼んだのはランチメニューの海鮮丼。

中トロと赤身、鯛、ヨコワ、シマアジの5種類。赤だしは自由でした。

 中トロの味はさすがでしたが、その味をコラムニストの勝谷誠彦が『近大マグロの奇跡』の解説で、これ以上には書けないくらい書いていました。
<醤油につけるとぱあっと脂が皿の中に広がる。一方で醤油をはじく身の表面を見て、私はもう味を確信していた。付着の分布が均一なのだ。脂が表面で自己主張することなく、赤身の細胞の間に宿っている感触がある。口にして、それは確信にかわった。繻子のような舌触り。いかなる夾雑物もない。きわめて均質な、完成度の高い味だ。赤身の持つあのヘモグロビンの香りと、大トロの猥雑といっていい脂肪ののたくり具合の双方を兼ね備えている。たまたたまだが、中トロに当たったというのは、近大マグロというものを識る上で幸運であったかも知れない。>

 随分長い説明ですが、この通りの味か、確かめに一度でかけるのもいいかと。


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いつもブログを見るのを楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね!

[ 足利・足利市 美容院 mod's hair 足利のホットペッパーブログ ] 2016/10/27 21:56:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

足利市の方に読んでいただいているとは驚きました。よろしくお願いします。

[ seitaro ] 2016/10/27 22:03:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大山崎山荘の加賀正太郎と大同生命初代社長広岡久右衛門との意外な関係

 先月の末に、大同生命大阪本社の特別展示と大山崎山荘美術館を訪ねたのですが、大同生命初代社長の広岡久右衛門と大山崎山荘を建てた加賀正太郎の意外な関係がわかりました。


広岡久右衛門正秋は広岡浅子の義兄にあたる人物です。

 

 広岡久右衛門はアメリカ留学中、ゴルフを覚え、帰国後、神戸ゴルフ倶楽部(六甲山)はじめ鳴尾、舞子などの倶楽部でゴルフを楽しんだそうですが、いずれも大阪市内からは遠く、どのコースも「3回まわって18ホール」といわれるほど距離が短く、グリーンは芝生のないサンド・グリーンでした。

武庫川河口にあった当時の鳴尾ゴルフ倶楽部の鳥瞰図を見てもコースが短いことがわかります。

 

 そこで広岡久右衛門は「大阪近郊に本格的ゴルフ場を造れないものか」と同志を募って計画を実行に移す決意をし、ともに西日本で唯一の社交倶楽部だった大阪倶楽部の会員の加賀正太郎を誘いこんだのです。

 

若手会員が中心となって大正12年茨木カンツリー倶楽部が創立されます。
(写真は茨木カンツリー倶楽部ホームページから)

しかし夫妻で欧米のゴルフ場視察の旅に出ていた加賀氏が帰国、ひと目見て「これで本格コースといえるのか」と憤慨し、「土地を買い足し、一からやりなおすべきだ」「倶楽部ハウスなど掘っ立て小屋でよろしい。倶楽部経営は、コース第一主義でなければならない」と理事会で発言、紛糾したそうです。

 

 当時の様子は、中山 禎輝『天王山の宝石箱―アサヒビール大山崎山荘美術館」誕生物語』に詳しく述べられています。
<大正十二年、千代子夫人を伴って欧米視察旅行に旅立つ。ところが、その外遊中に母レイが急逝し、二人は急いで帰国する。詳しい経緯はわからないが、このことが結果として、彼を建設中であった茨木カンツリークラブの改良工事にのめり込ませていった。
 海外で最新のゴルフコースを見ていた上に、庭造りが好き、そして、熱中した時のあの集中力、自分の仕事は午前中に終え、午後は造成現場で陣頭指揮をとった。だが完成するまでの評判は、いろんな意味で芳しくなく、何度も他のメンバーと衝突したが、彼は信念を貫き通した。会員のお金で作るものであっても、責任は全て自分が取る。俺は一国一城の主だ、という気概が原動力となった。完成したコースの出来栄えは素晴らしく、外人のプレーヤーからも賞賛され、名門コースのステータスを得ていく。>

もう十年以上前でしょうか、一度だけ茨木カンツリー倶楽部東コースでプレーしたことがありますが、確かに素晴らしいコースだったと記憶しております。



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『あさが来た』の広岡浅子と『花子とアン』の村岡花子

 大同生命大阪本社の特別展示に、御殿場二の岡別荘での合宿の写真が展示されており、広岡浅子を囲んで、『花子とアン』の村岡花子が写っています。


 古川智映子『土佐堀川』でも御殿場二の岡の夏季合宿について述べられえています。

<浅子は秀を加えて、御殿場の別荘での夏季講習会の開催を企画した。女子を育てるといっても、女子高等教育の期間はすでに存在している。浅子個人の力でできるのは、形式にこだわらず、自由な発想と発言で研鑽しあうことなのである。寝食を共にし、机上の学問ではなく実学を身につけさせたい。福沢諭吉流にいえば、共同生活での掃除も、洗濯も、みな実学ということになる。>


 この御殿場の別荘もW.M.ヴォーリズの設計だそうですが、残念ながらその写真を見つけることはできませんでした。
第一回のメンバーは
「亀子、木下さく子、よね子の姉妹、井上秀、秀の関係で出席を希望しているという愛知県女子師範生の市川房枝、安中はな(村岡花子)、小橋三四子(新聞記者)、小藤の娘松井蔦子、さらに三井一族からは寿天子を含む三人が出席することになった」そうです。


<第一回目の御殿場二の岡夏期講習会が開催された。浅子は「理想の女性」と題し、加島屋を再考した苦労話を混じえながら、女性の向上について語った。体験に基づいた講話だけに迫力があり、全員が時間のたつのも忘れて聞き入った。>
 広岡浅子はまさに日本におけるWomen’s Lib.の活動の先駆者でした。

広岡浅子が村岡花子に短歌を添えて贈ったポートレートも展示されていました。

 


<愛する安中花子嬢によみて贈る
友祈祷
相思う清き心をとことはに
かみにいのりて深さくらへん 浅子>

 

 村岡花子はエッセイ集『曲り角のその先に』で「夏のおもいで」と題して、御殿場二の岡で出会った広岡浅子について次のように述べています。


<私ははたち代のころよく二の岡へ行った。広岡浅子という老人がいて六十歳をすぎてクリスチャンになったという女性である。三井財閥に生まれ広岡家に嫁したのだが、夫というのはいわゆる大家のおん曹司で趣味人。
夫人は二十八歳のときに、自ら鉱山事業に手を染めたという人である。現在の考えからいったら、へんなことだけれど、夫には二号を推薦し自分は事業に打ち込んだのである。もっとも既に一人の実子を得ていたから老後はこの娘に養子をとり血肉を分けた人と生涯を共にした。>
 実子とは広岡亀子のことであり、養子となったのがヴォーリズ満喜子の実兄でした。

(写真は広岡恵三夫妻とヴォーリズ夫妻)

 また、村岡花子は「二の岡ですごした二夏は私の後年の生活をある程度決定したともいえる。」とまで二の岡での夏期講習会の経験の尊さを語っています。



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100年を経てよみがえる九転十起の女「広岡浅子」とは

 大同生命大阪本社で開催中の特別展示“大同生命の源流 加島屋と広岡浅子”で戴いた資料SANKEI EXPRESS「九転十起の女 広岡浅子伝」には、広岡浅子について「100年を経てよみがえる明治駆けたパイオニア」と題して、大隈重信による浅子の追悼の辞を引用して、次のように述べています。

<浅子とともに評議員をつとめた大隈重信が追悼を述べている。「男子もおよばぬ多大な力を発揮した。その精神と人格は永久に生きていくことを信じる」しかし浅子が逝って約百年。大隈の言葉とは裏腹にその存在は忘れられてしまった。
 そんな浅子がこの秋よみがえる。9月28日にスタートするNHKの連続テレビ小説「あさが来た」のヒロインとなって。>


 古川智映子著『土佐堀川』は小説ですから、事実とは少し異なるところも有りますが、広岡浅子伝に近いものです。広岡浅子の生涯が、もっと短時間でわかるのが、大同生命大阪本社で見せて頂いた広報部製作の「九転十起 広岡浅子波乱万丈の生涯」というビデオでした。

 

簡単に紹介しますと、

1849年京都三井家に生まれた浅子。

 

お転婆でお稽古事が嫌いの浅子は漢籍などの書物に興味を持ちますが、「女子に学問は不要」として、読書を禁じられてしまいます。

17歳で大坂の豪商加島屋に嫁ぎますが、「永久に家業が繁盛するか疑わしい。

何か起きれば、自分がなんとかしなければ」と実家では禁じられていた算術、簿記などを一人こっそり勉強。

 


明治維新の激動で加島屋も危機を迎え、浅子も経営に参画。炭鉱事業に進出。

 

 石炭不況で事業も難航するなか、閏野炭鉱を買収しますが、採掘が思うように進まず休鉱。事業が危ぶまれる中、再開発に着手。

 

常にピストルを忍ばせ、鉱夫たちと生活をともにしながら、採掘を監督し、優良炭鉱にまで成長させます。

 

 炭鉱ビジネスの成功で、浅子は「女だからといってできないことはない」と確信し、「女子に学問は不要」という古いしきたりに対抗し、女子に高等教育を受ける場が必要と考えていました。

 

そこで成瀬仁蔵と出会い、日本女子大学の設立に奔走。

 


1901年に日本女子大学校が開港します。


 その後、生命保険事業援助により大同生命を創業させます。

 浅子は1919年に死去しますが、「私は遺言を残しません。常日頃話している事が、全て私の遺言です」と語っていたそうです。


うまく纏められた広岡浅子伝で、よくわかりました。
 NHKの「あさが来た」が始まれば、広岡浅子の実像を求めて、大同生命大阪本社の特別展示の来訪者も益々増えることでしょう。

 



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幸田文さんの最後の飼い猫の名は「阪急」

幸田文さんの動物好きも相当なものだったようで、『幸田文どうぶつ帖』の帯には
<犬と猫との切実な物語。犬と育った幸田文にとって犬は家族だった。大人になってからは猫が家族。手放しで動物を愛した作家の愛情があふれ出る随筆集。犬好き、猫好き必読。涙なしには読めない一冊。>とあります。

 第一章は「犬好き」、第二章は「猫好き」、第三章は「どうぶつ好き」と題され、動物への愛情溢れる珠玉のエッセイ集でした。そのあとがきを幸田文さんの孫で随筆家の青木奈緒さんが書かれています。

 

 青木奈緒さんの写真を見ると、髪型を同じにされているせいかお祖母様によく似ています。
<祖母の家の居間に猫が寝ていた。白地に赤トラぶちののある大柄な猫で、横長テーブルの上いっぱい、横になったまま日がな一日じっとしている。>

 

その猫を抱く幸田文の写真も掲載されていました。


<この猫は、猫好きの祖母を見こんで家の玄関前に置かれていた捨て猫だった。その日、大阪の阪急百貨店で出版記念サイン会を開くことになっていた祖母は、仕事に追われて飛行機で大阪へ飛ぶ予定になっていた。支度をして家を出ようとし、母が送りに出した玄関で、捨てられた仔猫と対面したのである。今のように空の旅があたりまえではなかった昭和32年のこと。祖母は仔猫を邪険に扱うことに気あたりがして、留守番に残った母にミルクをたやるように頼んで出かけた。祖母は大阪から無事に帰り、猫はサイン会のあった場所にちなんで阪急という名で家族の一員となった。>

昭和32年の梅田の阪急百貨店での出版記念サイン会。
 そういえば私が子供の頃は、阪急百貨店にも書籍のフロアがあり、本を買うと昔の阪急百貨店のマークが付いた臙脂色のブックカバーを丁寧にしてくれました。

たしかこんな感じだったと記憶するのですが、マークは白抜きでした。

 

(追加訂正)

ふくさんが「阪急書籍部の書皮」として、お持ちの書籍の阪急百貨店の書皮の写真をブログに掲載されています。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p11167027c.html

 


 どの作品の出版記念サイン会だったのか、昭和32年に刊行された幸田文さんの話題作を調べると、どうも『おとうと』だったようです。

 この作品、昭和35年には市川昆監督で映画化され、更に2010年には山田洋次監督で、吉永小百合と笑福亭鶴瓶との初めての競演で話題になった映画の原作です。


<祖母にとっては最後に飼った一匹が、まだ小さかった私の最初の猫の思い出となり、やがて足繁く通う祖母の家の日常から阪急はひっそり抜け落ちて、居間の隅には空のテーブルだけが置かれるようになっていた。>
猫の阪急の想い出、美しい文章で綴られていました。

 



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阪急のつつみがみも小豆色でした。あれは電車の色だったのでしょうか。

[ ふく ] 2015/02/18 19:09:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

阪急書籍部 カバーで画像検索したら出るかと思いきや、自分のブログがでてきました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10845240c.html

[ ふく ] 2015/02/18 19:13:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

多分、臙脂色が阪急カラーだったと思うのですが。私も昔のブックカバーを検索したのですが、たどりつけず適当に作ってしまいました。

[ seitaro ] 2015/02/18 19:25:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、こんばんは。
手元に幸田文さんの「動物のぞき」があります。平成六年の初版みたいです。「どうぶつ貼」は知りませんでした。早速手に入れようと思います。おばあちゃんの世代の女性の文章はきれいで安心して読むことができます。

[ もしもし ] 2015/02/18 21:36:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさんこんばんわ。幸田文さんから、青木玉さん、青木奈緒さんと続くそうですが、皆様美しい文章を書く女性随筆家で、奈緒さんの作品を読んでみようと思っています。

[ seitaro ] 2015/02/18 21:52:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

初めまして。
いつも本屋さんや図書館で、読んだことのない作家さんの本、手にしては悩んでます。
参考にさせてください(*^○^*)

富山[ Green・Bell〜川上香織〜 ] 2015/02/19 11:33:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

素敵な色のブックカバーですね。
西宮在住4年目で、阪急電車に愛着を感じ始めております。

[ 西宮パナップ ] 2015/02/20 15:08:57 [ 削除 ] [ 通報 ]

奈緒さんは、わたしの書いたもの(幸田文さん)を読んで下さって、間接的に感想を戴いたことがあります。

[ akaru ] 2015/02/22 13:25:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大阪市中央公会堂岩本栄之助記念室(その2)

 地下1階には、公会堂の創建に大きな役割を果たした岩本栄之助の名前を冠した部屋「岩本記念室」があります。

 


岩本記念室には栄之助の銅像や遺品の他、当時の大阪市長から栄之助の遺児善子に送られた感謝状など、栄之助にまつわる資料が各種展示され、一般公開されていました。


 大阪市中央公会堂50年誌に岩本てる夫人が寄稿され、公会堂の建設を振り返り次のように述べられています。

 建設は、第一次大戦の時でございましたので建築資材の鉄骨、レンガ、大理石などを外国より取り寄せます関係上、運搬の途中潜水艦などの襲撃を受けて沈没したり損傷しないか大変な心配でございました。その後太平洋戦争が激しくなり、正面屋上の女神像や正面入り口のドア、暖房、エレベーターなどの鉄材が供出され、お国のお役に立つことができましたのは50年の遷り変わりの一つかもしれません。

 正面玄関屋上の彫刻は。ギリシャ・ローマ神話の神「メルキュール」と、科学・工芸・平和を象徴する神「ミネルバ」の彫像だそうですが、てる夫人がのべられているように昭和18年、戦時の金属供出のため撤去されていたそうです。


大正7年完成当時の写真には正面屋上の彫刻が見えますが、

上の昭和43年の写真には認められません。(大阪市中央公会堂50年誌より)
この彫刻、保存工事で復活させたようで、現在は屋上に見ることができます。

 

 主人は、公会堂の建設が無事進行し、予定どおり落成しますことを祈祷するために、毎日、北浜の店へ寄ります前に天満の天満宮に参詣し、その帰途公会堂の普請場に立ち寄りますのを日課としておりました。
 このようにして、大正7年10月末に無事竣工し、翌月17日落成奉告祭を挙行いたしましたが、主人はその落成を見ずして亡くなりましたのはかえすがえすも残念なことでございました。
 大阪市では、主人が公会堂を寄付した後、家族のことを大層ご心配くださいまして、毎年5万円づつ私どもにお渡ししたいと申されましたが、ご辞退致しました。………
私どもにとっては、公会堂は主人の残した唯一の形見のように思っておりますので、これからもますます大阪の皆様に愛され親しまれてお役に立つことを念じております。

大阪市民の皆様が昭和63年に、このような歴史ある中央公会堂を永久保存を決断し、市民募金を集められ、再生復元されたことに深く敬意を表します。



岩本栄之助
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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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