阪急沿線文学散歩

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クラブ化粧品の創業者中山太一が苦楽園に建てた迎賓館「太陽閣」の絵 

 先日「芦屋の歴史・文化を語り継ぐ会」で「六麓荘というまち」と題した六麓荘町町内会長 川口辰郎氏の講演がありました。


 そこで六麓荘開発当初の写真と大石輝一の描いた「六麓荘風景」を比較して見せていただき、描かれている赤い屋根の洋館が、クラブ化粧品の中山太一が建て、大阪市の迎賓館としても使われた太陽閣だったことがわかりました。

 
 双美人で有名なクラブ化粧品の創業者中山太一が苦楽園四番町に中山太陽堂の貴賓接待に使用し、大阪市にも迎賓館として提供した「太陽閣」が竣工したのは大正11年。

 現在その跡地の一部が堀江オルゴール館になっています。


 太陽閣の外観は、これまでクラブコスメチックスのホームページの小さな写真でしか見たことがありませんでした。
http://www.clubcosmetics.co.jp/pdf/history.pdf

 下の絵の左手に見える赤い屋根の洋館が、なんと「太陽閣」だったのです。

 六麓荘の宅地開発が始まったのは昭和3年からで、大石輝一がこの絵を描いたのは昭和5年のことでした。白い山肌が見え、まだほとんど家は建っていないので、太陽閣がひときわ目立ちます。

 大石輝一は開発当初の六麓荘の画を何枚も描いており、親しんだ画でしたが、まさかこの建物が「太陽閣」だったとは知りませんでした。。




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太陽閣の屋根は赤かったのです。潟Nラブコスメチックスの文化資料室に尋ねたところ、屋根を赤く印刷したマッチのラベルがあるとのこと。他に、吉田博の「六甲山より」にも苦楽園尾根から見下ろした赤い太陽閣が描かれています。ただし、芸術家はポイントとなる対象を強調されるので実景とは異なります。両作とも洋館部分を特徴的に巨大化されているようです。

[ ぷりん ] 2016/07/13 0:00:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

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昭和11年の六麓荘・苦楽園(吉田初三郎の西宮市鳥瞰図より)

吉田初三郎の昭和11年の西宮市鳥瞰図から六麓荘・苦楽園に上がってみましょう。


夙川小学校が描かれており、その上に六麓荘が見えていますが、まだ建てられたお屋敷は少ないようです。

 六麓荘は昭和3年香港の白人専用街区をモデルに開発され、日本で初めて電線類を地中化し、電柱のない街並みを実現しました。下の写真は大石輝一が描いた昭和5年開発中の六麓荘風景です。

現在訪ねてもその美しい街並に驚かされます。自然を生かし、鳥瞰図では六麓荘の山の上に描かれている池から流れる小川を敷地内に取り込み、道路には風情のある橋が架けられています。現在でもその橋が残っており、以前十の橋めぐりをしたことがあります。
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 現在の六麓荘が舞台に登場するミステリー拓未司『蜜蜂のデザート』では次のように紹介されています。


<六麓荘町は、芦屋市の東北部、六甲山麓の高台に広がる瀟洒な高級住宅地である。樹木や地形などの自然を保つために乱造成を避け、良好な環境を高度に維持する目的を理由とする、景観保護条例が施行されているその地には、マンションや商業施設はおろか、信号や電柱さえもない。>


六麓荘からの景色です。香港島ビクトリアピークからの景色には及びませんが、素晴らしい見晴らしでした。

 鳥瞰図で越木岩神社の位置は少しずれているようですが、当時の苦楽園を見てみましょう。

谷崎潤一郎は大正12年の関東大震災の後、しばらく苦楽園の菊水や万象閣に逗留し、ラジウム温泉も楽しんだようです。ラジウム温泉での出来事は「阪神見聞録」に書いておりました。

 

 また細井和喜蔵の『奴隷』でも、大正末期の苦楽園を主人公江治が訪れています。
<今を盛りと咲き誇る躑躅(つつじ)が辺りの山々を時に染めて、逝く春の名残を飾っている。江治は今日もまた傷める胸を抱いて憂鬱な面持ちに鎖されながら、独り香櫨園を這い回った。そして暖かい春風が含む花の香と若葉の匂いに蒸されて過ぎし恋の日の追憶に耽り、甚く感傷的になって胸をふさがせつつ山の中腹へ登ってラジューム温泉旅館の在る六甲苦楽園の処まで遣って来た。碧海を背にした赤い瓦の家がきりたてたような断崖の上に幾つもの箱を据えた如く建って西洋の油絵を見るように美しい。玩具のような電車が長閑な村里を抜けてその山の端をぐるりと揺るやかに廻って行く。>


 さらに詩人生田春月は昭和3年に苦楽園に宿泊し、その景色を次のように述べています。
<春、春―身にしみる今年の春。この春どうして過ごそうかと、私は惑う。
はじめて宿った六甲の苦楽園の朝は、小鳥の声ばかりであった。
きりひらいた山の小松は、山とは思えない姿で、乾いた砂のような土さえも、海辺の感じがした。半日、宿の二階の欄干にもたれて、ぼっと霞んだ海を遠望していると、そのまま煙のように消えてしまいそうな、何とも云えぬ寂しさ。>


 しかしその後、昭和11年となると温泉街や六甲ホテルは既に寂れていたようです。
次回は当時苦楽園に住んだ湯川秀樹夫妻の「旅人」「苦楽の園」から鳥瞰図が描かれた頃の苦楽園を訪ねてみましょう。



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芦屋六麓荘が登場する拓未司「蜜蜂のデザート」

 珍しく六麓荘が舞台に登場する小説がありました。「蜜蜂のデザート」、主人公柴山幸太は神戸でフレンチスタイルのビストロを営む料理人。パティスリー界の裏側で繰り広げられるパティシエたちの葛藤を描いたミステリー小説です。

 著者拓未司氏は辻調理師専門学校を卒業後、神戸のフランス料理店に就職。その後様々な飲食業に従事した経験も持たれているとのこと。小説を読んでいると、登場するスイーツを想像して食べたくなります。
 さて物語の冒頭では、六麓荘に実家のある誠一と交際し、ついには婚約にまで至った千夏が彼の両親との挨拶を控え、その手土産として有名スイーツ店のケーキを持っていくことにします。偶然、そこで働いていた千夏の元カレ坂本に出会いますが、手ぶらで行くわけにはいかない千夏は、しぶしぶ坂本の作ったケーキを持って彼の実家へと向かいます。

「蜜蜂のデザート」で六麓荘は次のように紹介されます。
<六麓荘町は、芦屋市の東北部、六甲山麓の高台に広がる瀟洒な高級住宅地である。樹木や地形などの自然を保つために乱造成を避け、良好な環境を高度に維持する目的を理由とする、景観保護条例が施行されているその地には、マンションや商業施設はおろか、信号や電柱さえもない。>
以前苦楽園の旧湯川邸を訪ねた後、六麓荘の10の橋めぐりをしたことがありました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10753000c.html


 久しぶりに紅葉が残る頃、小説の舞台を訪ね六麓荘にまで上がってきました。


<誠一の実家であり、その両親が住んでいる屋敷は、この桁外れのステータスシンボルが連なる町の一角にあった。千夏がこの地を訪れるのは初めてのことだった。………
話には聞いていたものの、その想像以上のスケールの大きさは、しばらく瞬きをするのを忘れてしまうほどだった。>


 この香港島の白人専用街区をモデルにしたという邸宅街、それを守る交番も景観を損なわないよう配慮された建物です。

 

 さて小説でここまで典型的なお屋敷街として描かれる六麓荘、よく田園調布と比較されますが、立地条件がかなり違います。

 

お金持ちが山の上の風光明媚さを選ぶのか、都会の利便性を選ぶのか。

 

 元々開発コンセプトも自然豊かな地に東洋一の別荘地を作ろうとした六麓荘、中流以下の勤め人に適した賃家の建築を目的とした田園調布という大きな差がありました。



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面白そうな小説ですね。
さわりの部分からは“ミステリー”というのが想像しにくいですが(笑)
ブックオフに並んだら買ってみよう(~_~;)
芦屋大学で開かれた講演を聞きに出かけたオット。車は避けた方がいいのか?と思いバスで。
バス停を一つ乗り過ごし歩いて戻ったのですが、その道すがら↑の写真のようなお屋敷ばかり…
(人が住んでいるのか?)と思うほど、し〜〜〜〜んだったそうです。

以前、都立大に住んでいましたが、確かに田園調布とは趣が違いますね。

[ Lady J ] 2013/12/30 18:04:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

知らなかったスイーツの名前がでてきたり、神戸の風景がちりばめられていて、結構面白いミステリーでした。六麓荘まで登っていくのは大変なのですが、私のような物見遊山の人を寄せ付けないことには役立っているようです。

[ seitaro ] 2013/12/30 20:28:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

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六麓荘 10の橋巡りA

橋めぐりを続けます。



6番目の清見橋です。


 



7番目の日の出橋。写っていませんが左側に赤い丸型ポストがありました。


 



8番目の宝来橋です。橋の上流側にはお邸から出たところに小さな滝が(上から3枚目)、そして下流側は六麓荘を出て行きますが(上から4枚目)、この先の流れは地図でたどっていくと東側に急カーブし、久出川から夙川に合流します。(5枚目)


 


続いて東側に位置するもう一つの小川にかかる二つの橋を捜しにいきました。現在の地図にはこの小川はありません。


 



9番目の虹見橋がありました。道路に橋だけはしっかり残されており、水の流れは見えず、端の下にはヒューム管でも埋設されているのでしょう。このような所にまで橋を残し、六麓荘町の面影を守ろうとする熱意が強く感じられました。


 


いよいよ最後の10番目の橋です。昔の地図では六麓橋と書かれています。この橋は西宮市側に位置するのですが、残念ながら残されておらず、苦楽園5番町のバス停の下から水の流れだけ見えました。六麓荘の橋の保存の思いは西宮市までは伝わらなかったようです。



それでは六麓荘の橋は九つかと思いましたが、10番目の橋がありました。六麓荘の石碑のある所に、モニュメント風の門が保存されており、その横に川の流れとはまったく離れていますが、橋があったのです。説明書きはありませんが、見事な10番目の橋でした。


 



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六麓荘 10の橋巡り@

六麓荘町では山からの湧水の流れを敷地内に小川として取り込み、道路には開発当時に出土した花崗岩で作った橋を架けたとのことです。町内には10の橋があるとのことで、現在の様子を散歩しながら見に行きました。



開発当時の六麓荘経営地区画図に小川と道路が示されています。小川をピンクで色づけしました。その道路との交わりに、北から雲渓、紅葉、月見、落合、剣谷、清見、日の出、宝来橋が、東側の小川には北から、虹見、六麓橋が記され、確かに10の橋があります。それぞれ北から順に廻ることにしました。



最初の橋は北端の浄水場の下にある雲渓橋です。



2番目は紅葉橋、紅葉滝も見られ、秋の紅葉の季節の風情が楽しみです。紅葉橋の下流はお邸の中に入って行きます。(4枚写真右下)きっと美しい庭園を作っているのでよう。



3番目の月見橋です。歴史の風格が感じられます。(4枚組み写真の上段2枚)4番目は落合橋です。オブジェのあるお城のような邸宅が後ろに見えます。(下段2枚)



5番目の剣谷橋です。ひらがなで「つるぎや」と書いてありました。


あと残された五つの橋を捜しに行きます。



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六麓荘の散歩

秋の一日、湯川秀樹も散策した六麓荘を散歩しました。六麓荘は昭和3年香港の白人専用街区をモデルに開発されたそうですが、久しぶりに訪れると、ビバリーヒルズの高級住宅街を思わせる街並みでした。また日本で初めて電線類を地中化し、電柱のない街並みを実現し、美しい景観を支えているのには驚かされます。



六麓荘に今も残されている石碑と街路灯の台座のロゴマークです。ロゴは六の漢字を円周に六個並べ、真ん中に荘の漢字を配しています。



六麓荘のそれぞれの建物自体大変立派なのですが、所々に芸術的なオブジェまで配され、散策していると美術館に来たような気分にもなります。




新しい大きなお邸があり、近づいて行くと大きな黒い犬が走ってきました。大きな声で吼えられるかと思ったのですが、犬好きであることを解ってくれたのでしょうか、尻尾を振ってカメラに応えてくれました。今にも抱きつかんばかりの歓迎振りで、あの大きな犬に抱きつかれるとと考えると防犯効果は十分です。




住宅地全体が自然の地形を尊重した曲線道路により構成され、南斜面の自然に溶け込んだ、瀟洒な街並みを作っています。歩いていると懐かしい赤い丸型ポストと公衆電話がありました。時代が遡ったようです。



六麓荘からの景色です。香港島ビクトリアピークからの景色には及びませんが、素晴らしい見晴らしでした。


付録:丸型ポスト


帰宅後丸型ポストについてWikipediaで調べると、芦屋市内のポストの半数以上が丸型と書かれていました。いくらなんでもと更に調べると、ホテル竹園芦屋さんの芦屋便りには、市内89本ある郵便ポストのうち19本が丸型郵便ポストで全ポストの20%を越えているとのこと。(兵庫県内の全平均は3%)詳しく記述されていました。現在の角型ポストに比べ丸型ポストは集配能率が悪いそうです。古いものを残そうとする芦屋市民の熱意とそれに応える芦屋郵便局の皆様の努力に敬意を表します。


 


 



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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