阪急沿線文学散歩

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近藤修平氏の西宮文学案内「音楽と文学のダイヤモンドクロス」

 先日、近藤修平氏による「音楽と文学のダイヤモンドクロス」と題した平成28年度西宮文学案内が開催されました。

申し込みは定員オーバーで抽選となり、会場の西宮市大学交流センター大講義室は開演前に満席状態となっていました。


 近藤修平氏は、西宮北口のバーTOP WINを舞台にした『マスター先生』の著者香盛修平氏。


本にサインをお頼みすると、そっくりな似顔絵とサインを書いていただきました。

絵の才能まで持たれているようです。

 某大企業の営業で、取引先から誘われ30歳を過ぎてオペラに出会い、ザシンフォニーホールでソリストとしてデビューするまでの驚くべき自己紹介から始まりました。

 高校時代は音楽はとらず、美術を選択していたとのことで、お話だけ聞いていると、自分でもできそうな気にさせられますが、陰では並々ならぬ努力をされたはずです。きっとそれも苦労と思わないマルチタレントぶりには驚くばかり。

 楽屋裏でお聞きした話も、更に驚くことばかり。

近藤氏は、早川茉莉さんが「修道院のお菓子と手仕事」のなかで、紹介された仁川のハッセルハウスのオーナーでもありました。

「修道院のお菓子と手仕事」からです。
<西宮カルメル会修道院からの帰り道、こんな小さな洋館カフェでのお茶時間はいかが、ハッセルさんの居間で寛いでいるような、静かですてきなカフェ時間を過ごせます。>
 これを読んで私が2年前、ハッセルハウスに伺ったとき、山と渓谷別冊が置かれており、WAKKUNのイラストとともに、修平氏の弟で現代音楽作曲家という近藤浩平氏の六甲縦走のお話が掲載されていました。

皆様それぞれ素晴らしい才能の持ち主です。

もうひとつ驚いたのが、近藤氏の父上が「ローゲンマイヤー」の名付け親だったこと。
現在の阪急仁川駅前にあるビゴの店。

ここはもともと、近藤氏の父親が経営していたブティックがあったそうですが、お菓子のコトブキのパン専門店に売却し、その時、父上の提案で「ローゲンマイヤー」と名付けられ、ローゲンマイヤー1号店となったそうです。(その後ビゴに転売)
ハッセルハウスといい、父上のネーミング能力も大したっものです。

今回は次から次にビックリポンの西宮文学案内でした。



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香盛修平『マスター先生』と西宮北口焼き鳥屋「花咲くころ」の関係は?

『マスター先生』のモデルであり、『西北バー物語』の著者でもある泉高弘氏は、自称higemasterとして、『桜とトップの珍日記』と題したブログを書かれています。
http://topwin.blog16.fc2.com/blog-date-201204.html
プロフィルを読むと、
<桜咲くころ=淡路島の地鶏焼きをメインに熊本直送馬刺し、鹿児島の親鶏、黒毛和牛のてっちゃん、ほか、おいしい一品料理を楽しめます。また、日本酒、焼酎、ワインがリーズナブルに楽しめます。
ピアノバー・トップウイン=1935年製の古いスタインウェイのグランドピアノがたまに鳴ります。ワインを中心にカクテル、シングルモルト、日本酒、焼酎等できるだけ品質の高いお飲みものをそろえるように努力いたしております。 >

 そうなのです。トップウィンは2階にありますが、その一階にある焼き鳥屋「花咲くころ」もhigemasterの経営でした。
ここも一度入ったことがありますが、早い時間から一杯になって、結構繁盛しています。

 

焼き鳥屋にはあまり似つかわしくない絵皿も飾られていました。


 さて「花咲くころ」という変わった店名がどうして付けられたのか、香盛修平『マスター先生』を読んで理解できました。
<ピアノバー出店準備をしている時に知った、一本の焼酎。洋酒ばかりにこだわっていた時、その素朴で深い味わいの焼酎と出会い、日本の酒に惚れ直した。惚れこんだのは味だけではなかった。その酒蔵で働いた一人の杜氏の言葉を知った瞬間にピアノバーの名前が決まった。>
小説では「ピアノバーさくら」の由来として書かれています。
<手作りの味にこだわった杜氏の言葉をバーの入口のガラスに書き込んだ。>

 

 以前トップウィンの階段の入口で撮った写真をよく見ると、入口の横のガラスに小説の杜氏の言葉がそのまま書かれていました。


<「桜、咲くころ人は出会い、あらたな出発をする。桜、咲くころ焼酎(そつ)はうまくなる」
 桜井榛名は、書き終えた焼酎杜氏の言葉を、焼酎(そつ)をショパンや、教師として教えた生徒達に置き換えて、何度も読み返した。焼酎杜氏の残した言葉を噛みしめて。
 桜、咲くころ、ここにまた人やどる。2005年3月、ピアノバーさくら開店!>


『マスター先生』に書かれた店名の由来、実は一階の焼き鳥屋「花咲くころ」のお話でした。

 



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香盛修平『マスター先生』 ピアノバーさくら誕生

 泉弘高『西北バー物語』でも、「ピアノバートップウイン」誕生のいきさつが述べられていますが、香盛修平氏も『マスター先生』で「ピアノバーさくら」と名前を変えて、桜井榛名(さくら先生)がピアノバー開店するまでの経緯を描いています。


 桜花高校音楽科(県立西宮高校)の教師を辞した桜井榛名は、教師時代にアルバイトしていた古くからの商店街の中にある小さなバーのバーテンダーとなっていました。そこへあの大震災が発生したのです。

 場所は西宮北口、『マスター先生』からです。
<小さなバーがある古くからの商店街は、見る影もない黒い塊になっていた。衛星都市という言葉が出来、一気に人口が増えた時代から愛された小さな商店街。近くにできたスーパーに客足を奪われ、元気だった店主も高齢となり、シャッターを閉めた店も多かった。
それでも、人の温かさは昔と変わらず抜群で、ピアノしか知らなかった男に酒や食材の仕入れを教えてくれた。客足が途絶えると、「一杯だけ」と言って、誰かが顔を出してくれた。>
 現在のアクタ西宮周辺には2つの市場と1つの商店街がありました。北口市場と新北口市場、そして北口本通り商店街でした。

 

 西宮北口を中心とする再開発の計画は阪神淡路大震災前から存在していたようですが、そんな時、市場と商店街は震災によって壊滅的な打撃を受けたのです。


 さくら先生はピアノバーを開くことを決意します。
<誰もが被災者であり、自分より悲惨な思いをしている人も多かったが、桜井榛名に協力を惜しむものはいなかった。経済的な余裕もなく、夢の実現は簡単なことではなかったが、一歩、また一歩と前に進んでいった。>
 小説ではカウンターも、酒を並べる棚も、全てが手作りで、材料は仲間達がどこからか調達してきてくれたと書かれていました。

 

そして自分が飲んで納得した酒だけを一本一本並べた結果が、現在の姿でした。

 

<ある日、桜井榛名にとんでもない朗報が届いた。桜井榛名がピアノバーをオープンさせようとしていることを知った、楽器店のオーナーからの一本の電話だった。「スタインウェイ買わんか?古いけど状態は悪くない。桜井先生に弾いてもらえるなら幸せや。利益はいらん。安くないがどうや」スタインウェイの話が舞い込んでから、時間の流れは加速し、あっという間にオープンの日が近づいていた。思い出の商店街での出店は、区画整理のため叶わなかったが、それでも思い出の地から遠くない雑居ビルの二階を借りることができた。>

スタインウエイはカウンターの奥のコーナーにありました。


マスターがピアノを弾く場面はこんな風に。
<桜井榛名は一段落したところで、スタインウェイの前に座った。鍵盤の上にあるのは、大学に入ったばかりの得意げな天才ピアニストの細い指ではなく、カウンターにする分厚い一枚板を仲間と持ち上げた、ごつごつと太く真っ黒な指だった。>確かに太い指でした。

 

ホームページの写真はこんな風です。



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香盛修平『マスター先生』で県立西宮高校が桜花高校として登場

 香盛修平氏の『マスター先生』のモデルは『西北バー物語』の著者泉高弘氏ですが、桜井榛名という名前で登場します。
教え子の緑川凛子との会話からです。
<さっきお話した通り、さくら先生は、桜花高校の音楽教師をしておられたんです。私は教え子。ピアノの個人レッスンもしていただきました。厳しい先生だったなー。一度も誉められたことがない。先生の目は怖かった。練習をサボってき たことも全てお見通し。>
桜井榛名のモデルとなったのは泉高弘氏、京都市立芸術大学音楽学部卒業、元日ノ本学園音楽科、県立西宮高校音楽科講師という経歴ですから、桜花高校とは県立西宮高校のことなのです。

 

(佐渡裕さんも御卒業の名門「京都市立芸術大学」は「鴨川芸術大学」として登場し、「兵庫芸術文化センター」は「関西芸術劇場」という名前で登場します。)


 しかしわが母校県西に「音楽科」なるものができていたとは。音楽科については次のような説明があり、個人レッスンもなされているようです。


「音楽科は、高等学校普通教育の上に音楽の専門的な学習を積みあげ一般教養と専門的技能の調和のとれた人間性豊かな生徒を育て、また音楽の諸活動を通して、将来広く音楽文化の発展に寄与する人材の育成を図ります。なお専攻実技の授業については個人レッスンによって行われます。」
公立高校に音楽科が設置されるようになるとは、昔より民度が高くなったのか、それとも単に裕福になったからか。
因みに県西の音楽科には寄贈された1908年製のスタインウェイ社のピアノがあるそうです。
(県西随想27『県西スタインウェイ物語』)
http://www.hyogo-c.ed.jp/~kennishi-hs/

学んだ木造の校舎は無くなったようですが、懐かしい図書館はそのままの姿で残っていました。


<「私が卒業した時、先生は学校におられなかったんです。さくら並木を通って高校の入学式に行ったときに、初めて先生と出会いました。でも夏の終わりとともに先生は……」
「だから……さくら先生」>

 さくら並木とは、現在は「学園花通り」と名付けられている県立西宮高校と甲陵中学に挟まれヴォーリズの関西学院に続く道のことでしょう。

春には名前にふさわしい桜並木となります。


 ピアニストとして成功するまでの生活の糧として臨時教員となっていたさくら先生は、ある夏の日、校長から呼び出しを請け、あっさり「わかりました。わし教師辞めます」と言ってしまいます。
<頼まれたら断われない性格で、学校に内緒でバーを手伝っていた。安月給でもうまい酒が飲めると期待して、うっかり引き受けてしまったが、知らず知らずのうちにのめり込んでしまった。見よう見まねでシェイカーを振ったが、ピアニストとして磨いてきたリズム感で、すぐにそれらしい雰囲気を身につけた。気分よくシャカシャカとシェイカーを鳴らして、バーテンダー気分を味わった。うまい酒も飲め、常連さんからの情報でかなりの食通になっていた。しかし、一番興味を持ったのは飲みに来るお客さんだった。
 教師を辞め、ピアニストとして成功しなくても、バーテンダーとして生きていけばいいかとも考えた。しかし、時間が過ぎれば過ぎるほど、緑川凛子と須藤鍵太郎の存在が心を占領していき、校長室を飛び出した時の勢いはあんくなっていた。>


これがピアノバーさくら(TOPWIN)誕生の始まりでした。

 



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『西北バー物語』の続編? 香盛修平『マスター先生』

 先日笹舟倶楽部さんが西宮関連本として紹介された香盛修平『マスター先生』、早速読ませていただきました。


 もともと東日本大震災復興支援作品として電子書籍で発表されたものだそうで、泉高弘著『西北バー物語』を読んだことがある方なら、舞台として登場する「ピアノバーさくら」が「ピアノバートップウイン」であることがすぐに分かります。『西北バー物語』も阪神淡路大震災から始まる物語ですから、復興支援作品として「トップウイン」を舞台にされたのではないでしょうか。文庫本の帯もN響主席オーボエ奏者の茂木大輔氏が書かれており、大した作品です。

 『マスター先生』は2007年8月西宮(西北とは書かれていませんが)の駅前ロータリー近くの路地にやってきた主人公香盛がバーを見つける場面から始まります。
<仕方なく駅前に引き返そうとして振り向いた香盛は、白く光るバーの看板を見つけて足を止めた。「あれ?こんなところにバーがあったっけ?」白い光を放つ看板に、グランドピアノの形が黒いコントラストを描いていた。>

 

「白く光を放つ看板」とはSTEINWAY&WINEと書かれたこの看板のことでしょう。

<看板にデザインされた、黒いグランドピアノのシルエットに吸い寄せられるように。足は完全に止まってしまった。どうやらピアノバーは、ピンク色の提灯がぶら下がった居酒屋のある雑居ビルの二階にあるようだった。>

モデルとなっている実在のピアノバーの名前は2階のTOP WINです。


<勾配のきつい階段を上ると、風景画が描かれた手作り風の看板と、飴色の木製ドアに迎えられた。店の中はシンとして、ドア越しにも客の気配は感じられなかった。ピアノバーのドアにしては、洒落ているというよりは手作り風のつくりで、ドアノブも本来の目的と違う材料が取り付けられているように見えた。>

TOP WINの手作り風のドアです。
<何ということもないドアのはずだが、開ける人間を選んでいるような気がして、少し息を吸ってからドアを開けた。カウンター席と奥に五人くらいが座れるテーブル席が一つの、それ程大きくない店だった。予想通り先客はいないようで、マスターらしき男性がカウンターの中からじっとこちらを見つめていた。
達磨!マスターの顔を見てそう思った。>
達磨さんのお写真と絵は笹舟倶楽部さんのブログからご覧ください。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061232/p11249135c.html



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西宮プレラホールで池澤夏樹さんと小池昌代さんのトークイベント

 西宮プレラホールで池澤夏樹さんと小池昌代さんによる「日本文学全集の作り方」というトークイベントがあると、373さんに教えていただき、出席させていただきました。河出書房新社主催の「池澤夏樹=個人編集日本文学全集」刊行記念トークイベントとして開催されたものです。

 
 文明や日本についての考察を基調にした小説や随筆を書かれている池澤夏樹氏と、詩人で作家の小池昌代氏とのトークイベント。お二人の語り口も良く、西宮でもこのようなお話を聞きけるのかと感心して聞いておりました。


 1980年代までの教養の時代からその後の消費の時代になり途絶えていたと自ら解説される文学全集、池澤氏は2011年の東日本大震災をきっかけに、日本の風土や自然や、気候について考えるようになり、長い文学史と言語史を持つ日本文学から日本について多くのこと学ぶことができると考え、一旦断わっていた河出書房新社の依頼を引き受けられたそうです。

 古典から現代文学まで網羅した池澤氏個人編集の新しい日本文学全集、日本最初の文学作品『古事記』は池澤氏自ら現代語訳されています。


また第2巻『口訳万葉集 百人一首 新々百人一首』で「百人一首」の新訳と鑑賞にあたられた詩人で小説家の小池昌代氏のお話。現代自由詩人からみた百人一首の魅力が語られました。


お二人の古事記、百人一首の新訳のお話を中心にした文学へのいざない、文学者らしいレベルの高いお話で、お二人の聡明さに感心いたしました。なかなかチャンスの無い作家のお話を聞くことができ、古典に親しむきっかけになりました。

 



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おはようございます。
お2人の小説や詩集、エッセイ集にはずいぶん親しんできましたし、もちろん申し込みもして当夜を楽しみにしていたのですが、野暮用で出席がかないませんでした。
西宮でこんなイベントが開催されるなんて、ホント、びっくりですね。
とても全巻を揃えることはできませんが、古典の新訳を何巻か、購入するつもりです。
嗚呼っ、出席したかたったなあ!

[ 373 ] 2015/03/30 6:14:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『マッサン』との出会いは泉高弘著『西北バー物語』から

 楽しみにしていたNHK連続テレビ小説『マッサン』が始まりました。


 楽しみにしていたと申しますのは、二年前に泉高弘著『西北バー物語』を読んで、西宮北口にあるピアノバートップウインを訪ねた時nのことです。

 カウンターにニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝による半生記『ウイスキーと私 竹鶴政孝』が置かれており、少し読ませていただいたことがきっかけでした。

 この本、昭和四十七年二月一日発行、非売品で、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝による半生記。日本経済新聞の『私の履歴書』の連載を補筆したものですが、二年前には古書としてamazonでも5000円以上の高値がついていました。


『西北バー物語』ではこんな話もでてきます。
<「マスターはブラックニッカがお好きなの?」特別に好きというわけではなかった。しかしこの値段ならすごくよくできているウイスキーだと思う。それにまじめにウイスキー作りに取り組むニッカの姿勢が好きだ。>


 お店に入っても目に付くのが、ニッカウヰスキーの樽のミニチュアでした。
私も最近はウイスキーは専ら「竹鶴」を飲んでいます。

 非売品であった『ウイスキーと私 竹鶴政孝』は朝ドラに呼応してでしょうか、幸いにして今年の9月にNHK出版から改訂復刻版が刊行されましたので、ゆっくり読むことができました。


 そこにはニッカウヰスキー西宮工場の果たした大きな役割についても述べられていましたので、次の機会にご紹介しましょう。

 ニッカウヰスキーのホームページを見ると、マッサンとリタの物語はじめ、ニッカウヰスキー80周年を記念するいくつかの感動的なストーリーが掲載されています。http://www.nikka.com/80th/


 

マッサンとリタ、実在した二人の人物の信念は強烈なものがあり、つまらない人間関係などはるかに超越しているように思われます。まだまだNHK朝ドラでは実話以上のものを描ききれていないように感じますが、これから幾多の実話に負けないような感動ストーリーが展開するものと期待しております。



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西宮球場から駅への線路沿いの道(「勇者たちへの伝言」から)

「勇者たちへの伝言」では正秋は四十ニ年前の「過去」に迷い込み、始めて父と阪急ブレーブスの試合を観に行った帰りの場面で、「いつの日か来た道」の線路沿いの道の店の名前や情景が詳しく描かれています。


 私もおでんを食べたあの通りに面した食堂はかすかに記憶に残っていますが、魔法のカレーの匂いが漂う、美味そうなカレー屋「サンボア」があったことなど覚えていません。 


 阪急西宮ギャラリーのジオラマでは、今津線に沿った球場への通りの建物は白いボックスになっており、残念ながら当時の雰囲気がよくわかりません。

 現在は、西宮北口駅のダイャモンド・クロスはなくなり、今津線は高架になり、道の景色も様変わりです。
 作者の増山実氏の記憶力には驚きましたが、読み進めるうちにその理由がわかりました。それはゼンリンの住宅地図にあったのです。

 現在の自分に戻った正秋は阪神電車で香櫨園にある西宮の中央図書館に行きます。


<「昭和四十四年の西宮の住宅地図を見たいのですが」係員はすぐに書架から大判の地図を持ってきてくれた。>


震災後の西宮市立中央図書館、谷川流「涼宮ハルヒの消失」にも描かれた図書館です。


私もよく利用させてもらっていますが、この図書館の職員の方々の利用者に対する対応は間違いなく日本一です。


 私も中央図書館で昭和44年の住宅地図を取り出してもらいました。

目的の地図は10ページです。


<西宮球場のあった高松町のページを繰る。ページをめくる手がかすかにふるえる。あった。ルーペで街をのぞく。>
本当にルーペで見ないと読めないくらい小さな文字もあります。
<球場の角にあるのは他の店より大きめのグリル「りら」。
中華料理「タモン」があって、隣に不動産屋。
そして「スポーツマン食堂」。「くるみ食堂」「ふるさと食堂」「グリル・喫茶グランド」
「松代食堂」「とんかつ聖屋」「カレー サンボア」
視線を地図に走らせる。歯医者をはさんで、木村屋のパン屋。
美容室と薬局とカメラ屋があり、あの傷痍軍人が立っていた「喫茶カトレア」>
住宅地図にはそのとおりの名前が並んで、カレーサンボアも読めないような小さな字で書かれていました。
ただ小説の要の、父と入った「ひびき食堂」は実在せず創作のようです。

 角川春樹事務所PR誌ランティエ2月号に増山実氏のインタビューが載せられています。
http://www.kadokawaharuki.co.jp/rentier/interview/#person02


「増山> 細かいテクニックについては語り尽くせませんが、フィクションの中にノンフィクションの要素を持ち込んだのは、工夫のひとつと言っていいかもしれません。阪急ブレーブスに関係した何人かの実在の人物を取材し、その人たちの人生を物語に織り込んだことがそれです。」
 フィクションとノンフィクションのコラボレーションで私も小説の世界にのめり込んでしまいました。応援団長今坂氏、代打男高井選手、それに今も西宮北口に住まれているらしいロベルト・バルボンさんの物語りにも感動いたしました。


 ジオラマを見ていると、あの一塁側スタンドから今坂さんのダミ声が聞こえてくるような、代打高井がホームランを打ちそうな、バルボンがマルカーノの通訳に出てきそうな気がしてきます。



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Hの地図は交番前の「ひなた緑地」から北に行き、但馬銀行がある辺りなのでしょうか?
グーグルのストリートビューを見ると自転車専用道路が見えます。私の記憶では、ここは神戸線の下を北に行く地下自動車道だったと思いますが間違いでしょうか。
いつも球場に行くのは今津線と並行して正面玄関に向かわなかったのでHの位置がわかりません。

[ さとっさん ] 2014/01/15 21:27:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

今津線線路沿いの道から東進する球場へのアプローチ道のしょっぱなに移転前の『土筆苑』がありましたね。
カレーの『サンボア』に見覚えがあるような気がするのは私の記憶違いでしょうか。いつごろまであったのかな。
懐かしくて落涙ですよ。

[ せいさん ] 2014/01/15 22:56:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

タモン何度か行きました。二階だったのでは?。昭和46年頃からです。です。相互タクシーの路地のお好み焼き、タモン、キャラバン、ホープによく行きました。皿の色で値段の違う寿司屋もありました。行く店はなんとなく決まっていました。サンボアはなぜかいかない店に分類されていました。競輪客を嫌ったのか雪駄と下着姿のお客様はお断りしますの張り紙のある店がありました。肝心の本がよめていないのですが。地図のもう少し球場よりが気になりました。

[ ふく ] 2014/01/15 23:33:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ホームランボールを埋めた日野神社へ(「勇者たちへの伝言」より)

 「勇者たちへの伝言」で主人公正秋の父と李安子が日野神社を訪れるシーンが描かれています。日野神社は西宮北口駅を神戸線沿いに約15分歩くと、武庫川鉄橋の手前、北側にあります。

 二人で映画を観た帰りちょっと散歩しよと、安子が連れて行きます。
<境内にはうっそうとした木々が茂っていた。西宮北口の駅を、線路沿いに東へ一キロほど歩いた住宅地の中に、その神社は突然姿を現した。一歩足を踏み入れると、街の音がうそのように消えた。
枝を風に揺らして天を突くのはクスノキやトチノキの大木やった。深緑色の幾重にも重なった葉が太陽の光をさえぎって、昼間でも薄暗い。まるで深い森の中に迷い込んだみたいや。都会の中にこんな静かな場所があるやなんて、なんやきつねにつままれたような気分やった。入口の鳥居の横には「日野神社」と刻まれた石碑があった。>


大きな神社の森があり、参道入口には瓦林城跡という石碑があります。

<七百年も遠い昔、ここには城があり、城の鎮守として神社が作られた。その鎮守の森が今もそのまま残っている。城が作られる前は百済王の後裔と関係のある土地だった。>
この瓦林城については凛太郎さんが既にかなり詳しく調べられていました。
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55410902.html
 
 西宮球場で競輪が開催される時に、母と屋台のホルモン焼き屋を開いてた安子は、ナイターの時の球場を見たことが無く「野球、観にいこうよ」と若き日の正秋の父を誘います。外野で観ていた二人の席に、最終回バルボンが打ったホームランボールが飛び込んできたのです。


<「あの夜、父ちゃんと安子の席に飛んできたホームランボールや。試合を観たあと、球場の近くの日野神社まで行って、西側の燈籠の脇の、クスノキの下に埋めたんや。北の根元に小さな洞がある。その中に埋めた」>


その大きなクスノキです。
その夏から五十二年後、正秋はそのホームランボールを掘りに行きます。
<父の言葉どおり、阪急の線路沿いを十分ほど東へ歩くと、その神社はあった。おそらくもう何百年も植生の変わっていない、うっそうとした森に囲まれた神社だった。鳥居をくぐり、百メートルほど行くと燈籠があった。いつも安子さんはこの燈籠にもたれて父を待っていた。その脇に、巨大なクスノキがそびえ立つ。北側の根元に小さな洞があった。>

クスノキの北の根元の洞です。茶色い塊となったボールを掘り出した正秋は、父と安子のことを思い、再びそこに埋め戻しました。
 皆様日野神社を訪れても、決してクスノキの根元を掘り返さないように。二人のホームランボールを静かに寝かせてあげてください。



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日野神社、頭には入っていました。7日の帰りに寄ろうとしましたが電車に乗ってしまい、武庫川の手前の森を見つめていました。ここも、これまで何回も見てきた風景です。いずれは行きます。

[ さとっさん ] 2014/01/11 21:58:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

郵便屋になって最初の受け持ちが熊野町・松山町・日野町でした。夏はこの神社で汗を拭いて小休止してました。
思い出深い場所です。1983年には日野町も隣接の大森町の大部分も空地と行き止まりだらけでした。震災後道は拡幅され経路も変わり今の姿です。
記事を拝見して私もしばし脳内は30年前にタイムスリップ致しました。
あのあたりから人生やりなおしたいです。
そしたら、二度と西宮から出て行きません。

[ せいさん ] 2014/01/11 23:58:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

日野神社の森は電車に乗ると目立っていたのでよく覚えていますが、行ったことはありません。周辺は田圃と畑ばかりでしたが、震災後あっというまに開発され、流入人口がすごいのではないでしょうか。小学校はきっと満杯だと思います。自転車に乗れれば駅までの距離も苦にならないかもしれません。阪急が武庫川橋梁の上に新駅を作ろうとしていますので、武庫川の両岸はさらに開けることと思います。

[ ふく ] 2014/01/12 12:09:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「勇者たちへの伝言」に描かれた阪急西宮ギャラリー 

 主人公工藤正秋は若い人から「昭和な人」といわれる五十歳の放送作家。阪急神戸線の夙川駅付近で自分が企画した番組の下調べをした帰り、「いつの日か来た道」と聞こえた西宮北口駅で電車を降ります。

 

<かつて駅前の線路沿いの道は、野球場へと続く道だった。>


現在は今津線も高架になりました。
 そして父に阪急の試合を見に連れて行ってもらった日のことを思い出しながら球場の跡地まで歩き、そこに建つ巨大ショッピング・モール五階のシネコンフロアまで上がるのです。

 帰ろうとしたとき、ガラス張りの小さな空間が目に留まります。


<『阪急西宮ギャラリー』四、五十坪ほどの静かな空間に、見物人は誰もいないようだった。足を踏み入れると入口の正面には、十三のレリーフが飾られていた。野球殿堂入りしたブレーブスの選手と関係者のレリーフだった。>


今も人影の少ないギャラリーに飾られているレリーフです。


< しかし、弾んだ心はすぐにしぼんだ。ギャラリーの壁面に並んでいるのは、阪急電車や阪急沿線の歩みを展示した年表パネルだ。ここはブレーブスの記念スペースというより、阪急という企業グループの足跡や記念物を展示した場所なのだ。入り口正面の選手たちのレリーフの傍らには、阪急電車の小豆色の模型、そしてその隣には、一行の解説もなく、唐突にブレーブスのユニフォームが二点、その足下にいくつかの楯とトロフィーが飾られていた。>

 


 ここで正秋は老人に突然話しかけられます。「かけがえのないチームがひとつ消えて、日本のどこにでもあるショッピング・モールが、ひとつ増えた」と。
 小説は元阪急ブレーブスファンの壷を外しません。その老人こそ、西宮球場でだみ声のヤジを飛ばしていた応援団長の今坂氏だったのです。私も忘れることができない、球場によく響く声でした。作者は今坂氏に取材までされたようで、本文で語られる今坂氏の人生は胸に迫るものがありました。

 この阪急西宮ギャラリーの真下の4階にもブックファーストがあります。(写真)

話題書に「勇者たちへの伝言」が並んでいます。西宮北口駅構内のブックファーストと同じキャッチコピーでしたが、真上のギャラリーについては触れていません。

 ギャラリーの真下にある書店であることを武器にしたキャッチコピーが欲しいところですが、小説での阪急西宮ギャラリーの扱いは「目立ってはならぬのだ。」と厳しいものがあるので作らなかったのでしょうか。



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西宮北口 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

昨日の夜と、今日の昼で一気に読みました。李安子(イ・アンジャ)との場面は強烈でした。私の近くにも朝鮮の家族が3軒ほどあり、その内の二家族が北朝鮮に帰りました。小説と同じ昭和35年です。どちらの家族にも私より2歳上の男がおり、よく遊んでもらいました。近くに友達がたくさんいたので、みんなで見送りました。大人の見送りはいなかったと記憶しています。今はどうなっているのか、もちろんわかりません。
まだ書ききれていませんが・・・・
すべてがフィクションですかね? 最後は安子と会ったような場面で終わっていますが・・・・

[ さとっさん ] 2014/01/07 21:51:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

昭和35年の北朝鮮への帰国のお話も身近にご存知でしたら、私以上にこの小説は衝撃的な作品ではなかったでしょうか。さとっさんのような方に読んでいただけたのを著者が知ればきっと喜ばれることと思います。

[ seitaro ] 2014/01/07 22:22:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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