阪急沿線文学散歩

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神戸女学院特別講演会「石戸コレクション」でふりかえる神戸女学院へ

 10月1日(土)神戸女学院で石戸信也氏による講演会、「石戸コレクションでふりかえる神戸女学院」が開催され出席させていただきました。

校門を入っていくと、案内図には、「重要文化財神戸女学院」と明記されていました。

ヴォーリズ建築をそのままの姿で守られてきたことが認められた結果だと思います。

会場はいつもの講堂です。


最初、学院長 森孝一氏から挨拶があり、今回の講演が開催された理由を披露されました。

 院長は無類の温泉好きで、時々有馬温泉に一人で出かけられるそうで、温泉からの湯上りで置いてあった石戸信也氏の著作『むかしの六甲・有馬 絵葉書で巡る天井のリゾート』を読まれたそうです。

そこには院長も知らなかった、神戸の山本通りに開校した神戸女学院の建物が富士ホテルとして使われていたというエピソードと絵葉書が掲載されており、石戸氏を招いて講演していただくことになったとのことでした。


石戸信也氏は、神戸や阪神間の戦前の絵葉書・古写真など約5000点にのぼる蒐集をされ、研究されており、著書には前述のほか、『神戸レトロコレクションの旅』『神戸のハイカラ建築』など多数あります。

また氏が、私の母校でもある県立西宮高校の出身で、現在も歴史を教えられていると知り、驚いてしまいました。


講演では、石戸コレクションをもとに、神戸外国人居留地・神戸のハイカラ文化・神戸女学院のあゆみなど興味深いお話をされました。

講演後は図書館で石戸コレクションの展示を見せていただくことができました。

その中にはお話いただいた富士ホテルのパンフレットも展示されていました。

昭和8年の岡田山への移転後残され建物は、移転してきた神港中学に講堂などは売却されたそうですが、理化学館は富士ホテルとして生き残ったそうです。

しかし戦時中は日本海軍の宿泊所となり、敗戦で将校宿舎用に接収され、昭和21年にはオリエンタル・ホテルが経営を請け負ったそうですが、残念ながら現存していません。


 

神戸女学院の跡地は現在神港学園となっていますが、金網越しに「神戸女学院創設の地」と刻まれた石碑が残っています。

 

最後に重要文化財に指定されたキャンパスを見学してまいりました。

陽射しが美しいソール・チャペル。

美しく続く回廊。

 

 いつも有意義な講演を企画される神戸女学院のイベント情報は見逃せません。

また紅葉の時期に美しいキャンパスを見せていただきたいと願っています。




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辻原登『ジャスミン』に登場する神戸女学院を卒業した二人の女性

 辻原登『ジャスミン』では主人公脇彬彦の妹みつるは神戸女学院の卒業生であり、神戸華僑を代表する実業家許禮平の次女許蘭(ヒロイン李杏の母親)も神戸女学院の卒業生として登場します。


 彬彦が宿泊している上海大厦の部屋でのヒロイン李杏との会話です。

(写真は上海外灘のシンボルとなっている5星の上海大厦)
<「母は日本で生まれ育った中国人、つまり華僑ね。お話したかしら」「ええ、でもまさか、お母さんの名前が許蘭だなんて言い出すんじゃないでしょうね」「そうよ、許蘭というの。でも、どうして?」「じゃあ、生まれは神戸……」「ええ、神戸です。でも、なぜ?」「あなたの老爺も名は許禮平。彼をよく知っています」「まあ、何てこと!私は老爺の顔も知らないけど……」トアロードの鼎鼎で、許禮平の母が、スワトウのハンカチで目頭を押さえながら語ったとおり、許禮平の次女の許蘭は、神戸女学院を卒業してすぐ大陸へ渡った。>

当時の神戸女学院は既に西宮の岡田山キャンパスに移転していました。


 許蘭が中国に渡ったのは戦後のことですが、その後文化大革命に遭遇し、日本からの帰国者ということで反革命の烙印をおされ、辛酸をなめます。


<許蘭は李杏に厳しく日本語教育を施した。下放されて、離ればなれになっていたときは、決して日本語を忘れてはいけないと書き送りつづけた。ほんとうは日本語で手紙を書きたかったのだが、それは許されなかった。李杏がうつむいて、大学ノートに何か書きつけようとしている。
「媽媽は神戸のことを話してくれましたか」李杏は、書きとめたばかりのページを差し出した。彬彦はそれを声に出して読む。
「六甲山、有馬温泉、須磨寺、神戸女学院のチャペル、淡路の人形......、人形?ああ、これは人形浄瑠璃のことだ」>

 

中国に渡った李杏の母、許蘭の思い出の神戸、淡路の風景が語られていました。

 


ヴォーリズ建築を代表する神戸女学院のチャペルは外せません。



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映画「繕い裁つ人」に登場する神戸女学院図書館の映像

 神戸女学院を母校とする三島有紀子監督による映画「繕い裁つ人」で、ヴォーリズ建築の中でも秀逸な作品の一つ、神戸女学院図書館本館が登場します。


「西宮流」にも三島有紀子監督のインタビューが掲載されており、次のように述べられています。
<神戸女学院は私の母校でもあり、図書館は他にも探しましたが、やはりどうしても女学院の図書館を撮影したくて直談判しました(笑)
女学院の中では、この図書館と礼拝堂がとても好きな場所です。季節で言えば秋の女学院が好きです。秋になって図書館や礼拝堂に入ってくる、傾いた日差しが好きです。>
http://nishinomiya-style.jp/blog/2014/12/14/10857

 

 

私も図書館を何度か見せていただき、その落着いた雰囲気と決して華美ではない内装の美しさには感銘しておりました。

 

 プロの撮った映像は光線やランプの明かりを捉えた素晴らしい映像になっています。

 


 中谷美紀演じる主人公南市江は図書館のギャラリーとなっている中二階で本を読んでいます。


 女学院出身の監督が選んだ図書館の一角は、屋上展望台へ通ずる螺旋階段のある場所。


 この螺旋階段と神戸女学院岡田山キャンパス建設を実務的に支えたハロルド・ウォレス・ハケット氏との関係について、2013年神戸女学院発行の「神戸女学院岡田山キャンパス −ヴォーリズ建築の魅力とメッセージ」に井出敦子氏が「図書館本館の螺旋階段とハケット氏」と題して、次のように述べています。
<図書館本館に螺旋階段を設けるよう指示したのはハケットであるという話が伝わっている。リンカーンの言葉を真理探究におきかえ、「真理への途は螺旋階段を上がるが如し」という精神を象徴するものとして。>

 

 それを記念するかのように螺旋階段の横にはハケット氏の肖像画が掲げられていました。


 ところで窓からの光と影を上手く使った映像はなんとなく光と影の天才画家と言われたフェルメールの絵を思い出しませんか。


 三島有紀子監督が、「秋になって図書館や礼拝堂に入ってくる、傾いた日差しが好きです。」と述べられているように、本編のあらゆるシーンで素晴らしい光と影の映像が見られます。

 

 神戸女学院の礼拝堂も、もし三島監督の映画の場面に登場したとすればどのような映像になったのでしょう。

 もう少し『繕い裁つ人』の光と影の映像の話を続けましょう。



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宝急電鉄の神戸女学院と小林聖心貸切専用車(多島斗志之『黒百合』)

 多島斗志之『黒百合』では、話が昭和27年から昭和16年に遡り、香の叔母の倉沢日登美も神戸女学院に通っており、通学場面が次のように描かれえています。
<昭和十六年のその当時、宝急電鉄は沿線の高等女学校の登校時間帯にそれぞれの貸切専用車を走らせていた。朝の混雑から女生徒を守るためにだ。日登美の通う神戸女学院にも専用車があり、一両編成の各駅停車で生徒達を拾って学校の最寄駅へ送り届けていた。>
 神戸女学院専用車の存在については以前も記事にしたことがありました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10755496c.html

 


 神戸女学院100年史を読むと、昭和11年には神戸から門戸厄神まで女学院貸切車が出ていたそうで写真までありました。

 現在は専用車はありませんが、朝の通学時間帯の西宮北口から門戸厄神までの阪急今津線先頭車両は神戸女学院のお嬢様達で埋まり、男性は先頭車両にはとても乗れず、実質専用車両となっているようです。


『黒百合』から続けます。
<単に「女学院」と阪神間で略称されるこの学校は、プロテスタント系のミッションスクールだ。数駅離れたカトリックの小林聖心女子学院は躾のきびしいお嬢さん学校として知られており、専用車の中もわりあい静かだったが、女学院の専用車は、ひっきりなしのお喋りに甲高い笑い声がまじって賑やかだった。>


 これによく似たお話、やはり『神戸女学院のものがたり』の中の寄稿文にありました。

 昭和16年高等部家政科卒の方が「はるかな思い出」と題して次のように述べられています。


<学校に行くにはその頃皆、西宮北口で下車して歩くのだ。今津線の門戸厄神まで乗る人もいたが、歩く道のりはさほど変わらなかったし、今津線は車体も小さくその上、仁川、小林には関西学院や聖心女学院があって、混雑するのでなるべく北口から歩くように、と言われている。もっとも聖心には専用車があった。聖心はカトリックのお嬢さん学校で、白いブラウスに紺のジャンパースカートが清楚であった。大人しく上品でちょっとおすましで、それに比べると女学院の子はヤンキーで、お行儀が悪くて車中で騒いでいた、と時々同窓生から苦情がきてチャペルの礼拝のときに全学院が注意される。>


 その頃の小林聖心に通っていたのが須賀敦子さんでした。躾の厳しさについては『ユルスナールの靴』で、月曜日に上靴を磨いて持っていくのをよく忘れて叱られた思い出を次のように述べられています。


<月曜日っていうと、あんたは赤い鼻緒の大きなゾウリをはかされて、学校の廊下をペタペタ歩いてたよ。二度と上靴を忘れてこないようにと、外国人のシスターたちが考え出したにちがいない。女の子にとってはずいぶんきつい罰則と思えるのに、私はいっこう気にかけることもなく、また月曜がくるとペタペタと音をさせながら歩いていたという。>
 当時須賀さんも夙川から小林まで専用車両で通われていたのでしょうか。


 きっと多島斗志之は『神戸女学院のものがたり』を読んでいたのだと思います。『黒百合』は戦前、戦後の時代背景を巧みに織り込んだ阪神間を舞台にした小説で、最後にようやく表題の黒百合の意味が分かるという面白い推理小説でした。



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阪急今津線の進駐軍専用列車に乗った神戸女学院生(小説『黒百合』と実話)

 多島斗志之『黒百合』で三人の少年、少女は見晴らし台で腰を下ろし、香が持ってきたビスケットを齧りながら父親の職業の話をします。
<「おれとこは宝急電車や」と一彦が答えた。香は私の父の仕事には興味を示さなかったが、一彦のほうには、「へえ、宝急に勤めたはるの。そしたら、あたしはお客さんやよ。芦屋川の駅から学校に通うてるねん」と応じ、二人の会話が弾みだした。
「どこの学校」「神戸女学院」「女学院か」>
香は宝急電車で芦屋川駅から門戸厄神駅まで神戸女学院へ電車通学していたようです。

(上の写真は少し古いですが、1936年の鳥瞰図です。)


<「ねえねえ、ことしの春まで宝急電車にも進駐軍の専用車両があったでしょう?あたしねえ、いっぺん間違えてあれに乗ってしもたことあるんよ。発車まぎわに飛び乗って。まわりを見たら進駐軍の軍人やらその家族やら、とにかく外人さんばっかりやねん。ぼんやりした子が乗ってきよったゆう顔して、ニヤニヤしたはる人がおったり、睨む人がおったり、ほんまに汗かいたわ」
「専用列車は窓の下にぐるっと白い帯が塗ってあったやろ。何で間違うんや。よっぽどの慌て者やな」「そうやねん。あたし、そそっかしいとこあるねん」>

 国鉄を走っていた進駐軍専用列車の写真は見たことがあります。

武井武雄の『戦中・戦後気侭画帳』にも「途中所見 どちらも人である」と題して、窓の下を白い帯で塗った進駐軍車両と一般車両の様子が描かれています。

    

 さて国鉄だけかと思っていましが、阪急今津線にも、戦後しばらく実際に進駐軍専用列車が走っていたそうです。
「私たちの学生時代」を発行する会編『神戸女学院のものがたり』に「岡田山の春秋」と題して昭和24年卒の方が、進駐軍専用列車に乗った経験を寄稿されていました。引用させていただきます。


<当時の阪急の今津線が神戸線と地上で十字にクロスしていて、今の今津線への乗換えとは全然趣が違った。>

<いつだったか、友人四、五人と門戸厄神の駅に電車の来るのを待っていた。日本が占領下のときである。進駐軍用はピカピカの電車、私たち日本人の乗るのは、電車の中に窓際に手すりがあるだけのまるで動物の乗るような車両もあった。それに帰校時は関西学院の学生も乗っているので満員で乗れないこともあった。そんなとき、目の前に進駐軍用の空いた車両が入って来た。プラットホームには私たちだけだったからか、電車の中から黒人兵四、五人が「どうぞお乗りなさい」と言った。百八十センチはあろうかと思われる大男ばかり、一瞬ひるんだが顔を見合わせて「乗せて下さい」と皆で声を揃えて言って、思い切って乗り込んだ。「一駅だけだもの」と不安とありがたさもこもごもの気持ちだった。北口に着くとあたふたと「サンキューベリーマッチ」と大声で叫んでやっと解放された気分になった。>
 阪急今津線で実際に進駐軍専用列車があったとは驚きました。武井武雄が描いた絵のように、進駐軍の車両は特別扱いで、新しい車両が使われ、空いていたようです。
 多島斗志之は『神戸女学院のものがたり』を読んで、小説に織り込む話題を思いついたのではないでしょうか。

 



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以前に西宮を走った進駐軍専用車両について調べようと思ったのですがなかなか諸資料が出てこず頓挫したことがありました。「神戸女学院のものがたり」という書籍を知りませんでした。さすがはseitaroさんです。本当に貴重な情報をありがとうございます。

[ 凛太郎 ] 2014/10/13 6:44:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ヴォーリズ建築の神戸女学院が舞台となった吉永小百合主演映画

 表題の映画は以前akaruさんから教えて頂いた壺井栄原作の『あすの花嫁』です。

 神戸女学院のサイトでも次のように紹介されていました。
<本学がロケ地になった「あすの花嫁」(昭和37年公開)がDVD化されています
本学はかつて、昭和37年9月9日公開の映画「あすの花嫁」のロケ地になりました。
「あすの花嫁」は吉永小百合さん主演で、小豆島を舞台にした母と娘の恋物語です。
物語の中で本学は、母・フヨ(奈良岡朋子さん)の母校という設定で、百合子(吉永小百合さん)が進学する短大として登場しています。>
http://www.kobe-c.ac.jp/files/dtl/sp_0000001200.html


 その貴重なDVDをようやく入手いたしました。
若き吉永小百合演じる主人公汐崎百合子は小豆島から母の母校の神戸の藤蔭女学院に入学しますが、藤蔭女学院のロケ地が神戸女学院だったのです。

校章も神戸女学院の三つ葉のクローバーにそっくりです。昭和37年の公開ですから、ロケは昭和36年でしょう。映像を見ると、今は無くなっている建物もあります。

美しい中庭の噴水と図書館の風景は現在も変わりません。

 

グラウンドから見た講堂の景色です。

 


講堂の北側の藤棚と第一体育館です。

屋上から見た第一体育館です。位置は配置図から現在のめぐみ会館あたりと思われますが、どの建物の屋上でロケされたのでしょう。

 


現在の配置図を見ると、その後第二体育館、第三体育館が増設されていますが、第一体育館は今も健在のようです。

 

貴重な映像はこの建物で、どうも北寮のようです。

 


昭和6年のヴォーリズの計画図(LAYOUT OF KOBE COLLEGE JAPAN)では、北端に菱形の建物POWER HOUSEが描かれており、寮はその隣に破線でFUTURE COLLEGE DORMITORYと描かれ、建設当初はなかったようです。

 


『負けんとき』の著者で神戸女学院の北寮におられた玉岡かおるさんは神戸女学院の思い出について
<寄宿舎生活については拙著『恋をするには遅すぎない』(角川文庫)に著したのでそちらに譲るが、美しい菱形の洋館で暮らした時間のすべては、今ではどうやっても得ることのできない貴重なものだ。>と述べられています。
寮の食堂の映像もあります。

立て替えられた現在の寮の写真も丸テーブルで似たような雰囲気でした。

 

北寮に続く渡り廊下の映像でしょうか、これも現在は無いと思われます。

北林谷栄が演じる寮監瀬川が手を振るのはケンウッド館ではないでしょうか。

 


吉永小百合が走っているのはケンウッド館からグラウンドへ向かう道だと思いますが、周りの建物は震災後変わっているようです、
このDVD、後日喫茶「輪」にお持ちいたします。



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小学校の低学年の頃、西宮北口に住んでいた二人の同級生がお誕生会を神戸女学院のお庭で開いてくれました。門戸厄神から総勢十数名が、歩いて上がり、芝生でお弁当をたべたりしました。この映画が撮影された少しあとのようです。浜田光男と吉永小百合といえば愛と死をみつめてが有名ですが、同じ頃の作品でしょうか。

[ ふく ] 2014/07/15 23:45:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

おはようございます。

きのうあたりから、鉄道ファンのあいだで「阪神線に阪急電車が乗り入れている?」と、ウワサになっているようです。
わたしは、鉄道に関してはまったくわからないのですが、先日『決戦!日本シリーズ』の話題を耳にしたばかりです。
もしかしたら、近日中になにかニュースがとびこんでくるかもしれません。

[ 373 ] 2014/07/17 6:53:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

うわっ、うれしい!昭和37年の映画でしたか。わたしは19歳だ。

[ akaru ] 2014/07/17 15:38:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

その頃はakaruさんも吉永小百合や浜田光夫のようにさぞかし初々しかったことでしょうね。

[ seitaro ] 2014/07/17 18:30:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

「西宮経済新聞」で検索なさってみてください。

しつこいようですが、わたし、鉄道ファンではないので、どの程度、心ざわめく出来事なのか、判断つきかねますが(笑)

[ 373 ] 2014/07/17 18:34:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

見ました。見ました。神戸新聞にもありましたよ。阪神、阪急、山陽の電車が並んでいました。

[ seitaro ] 2014/07/17 18:55:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「神戸女学院とヴォーリズ建築」(その2)

 5月9日のアッセンブリーアワー金曜日公開プログラムは講堂で開催されました。


中へ入り、後ろを振り返ると大きなパイプオルガンが目を引きます。


このパイプオルガンは「院長室だより」によると
1974年に、オット社によって学院の講堂にあわせて製作され、パイプの数2,536本、高さ5.5m、幅7m、重さ7tで、音色の調整にはコンピュータシステムを取り入れた最新鋭の装置でした。その後、阪神淡路大震災によって大きな被害を受けたものの、ボッシュ社の技師の方達が、学院内のケンウッド館に泊り込むこと4ヶ月、見事にオルガンをよみがえらせたそうです。
http://www.kobe-c.ac.jp/foundation/chancellor/news/post_17.html

 

定刻となり松田央氏の司会による礼拝のあと、史料室の佐伯裕加恵氏による講演「神戸女学院とヴォーリズ建築 ―Beauty Becomes a College― 」です。

 講演では、退路を断って太平洋を渡ってきた二人のアメリカ人女性宣教師タルカット女史とダッドレー女史によって明治初頭に神戸山本通りに寄宿学校が建てられ、そこから始まったキリスト教主義リベラルアーツ教育のお話や、岡田山キャンパスの開墾と基礎工事から始まる貴重な建設中の写真も見せていただき大変興味深く聴講した50分でした。

 

 講演のあと、グラウンドを通ってヴォーリズ設計の宣教師住宅を見に行くことにしました。

グラウンドでは高校生でしょうか、お嬢様方がソフトボールを楽しんでいます。その光景を見ながら。啓蒙活動とはいえ、金曜日公開プログラムで女学院に私のような部外者にも立入許可をいただけるのは、しっかりしたキリスト教思想に基づくポリシーだと感心いたしました。

 ケンウッド館の正面玄関上の2階ベランダの雰囲気は、創立時に山本通りに建てられた第一校舎・南舎を模しているといわれているそうです。


上の写真は木立に囲まれた現在のエッジウッド館ですが、JRのポスターにもなった横浜の異人館を思い出していました。

 

 宣教師館について、本日講師をされた佐伯裕加恵氏が「岡田山キャンパス移転80周年」の記念誌にコラムを書かれていました。
<神戸女学院岡田山キャンパスにはヴォーリズの設計による大小3つの宣教師住宅があった。大きい順にケンウッド館、グリーンウッド館、エッジウッド館である。このうち、グリーンウッド館は1995年に起きた阪神淡路大震災時に被災し、取り壊しを余儀なくされたため、現存しない。…..>


そのグリーンウッド館跡には茶室が建てられていました。

 

 さて野坂昭如が『凶乱旅枕』で神戸女学院学園祭実行委員会からもらった絵葉書について次のように述べています。
<実行委員会から、本校についての説明代わりと、絵葉書数枚が送られてきて、みれば庄助の思いえがいた通り、手入れ届いた芝生の中に、古びたチャペルと噴水があり、色とりどりの女学生が、読書にふける姿や、春はさぞ見事であろう桜並木の続く校門、図書館、礼拝する美女群、これを回覧すると一同納得し…>


その美しい光景を見に行きましょう。

中庭に戻って、総務館につづく荘厳なソールチャペルを拝見いたしました。

中庭から見た西側の文学館

東側の理学館です。


私の最も素晴らしいと思う図書館本館。

ヴォーリズがデザインしたこの部屋で読書できる学生はなんと恵まれているのでしょう。


以前の訪問では見逃していた、螺旋階段の横に掲げられた岡田山キャンパスの建築委員長ハロルド・ウォレス・ハケット氏の肖像も見せていただきました。

 


最後に蛇足になりますが、昭和11年の吉田初三郎の鳥瞰図に描かれた神戸女学院です。


神戸女学院の皆様、このような機会をいただき本当にありがとうございました。



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以前は見つからなかった情報がありました。吉永小百合がロケしたこと。わたし、この映画を観たのです。
http://www.kobe-c.ac.jp/files/dtl/hm_0000001200.html

[ akaru ] 2014/05/13 8:16:06 [ 削除 ] [ 通報 ]

以前akaruさんからコメントいただいていた続きですね。良く覚えておられました。調べてみると壷井栄原作の映画「あすの花嫁」で主演の吉永小百合さんの通う御影の女学校のロケに神戸女学院が使われたとのこと。
吉永小百合さんと神戸女学院という最強の組合わせとなると、DVD見てみたくなりました。

[ seitaro ] 2014/05/13 20:00:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

芦屋川あたりも映ってたような記憶があるのですが。
神戸女学院での場面はそんなに多くではなかたっと思います。
ああ、懐かしいなあ。わたしもDVD観たくなりました。

[ akaru ] 2014/05/14 11:40:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうなんですか。DVDさがしてみましょう。

[ seitaro ] 2014/05/14 20:13:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

5月17日読売朝刊に、文化審議会が神戸女学院を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した、との記事がありました。
「スパニッシュ・ミッションという修道院風の様式で、建物と中庭の自然が調和する意匠が特徴」と紹介されていました。
あらためてseitaroさんが載せられた写真を見にきました。

[ さとっさん ] 2014/05/17 16:01:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

さとっさん ありがとうございます。私も今日の朝刊を見て知りました。学校全体が指定されるということは珍しいそうです。プロテスタント系に所以するのかもしれませんが、地域にオープンな学院で、ヴォーリズ建築であることはもちろん日頃の活動の成果が認められたのだろうと、外野席から我がことのように喜んでおります。

[ seitaro ] 2014/05/17 18:41:00 [ 削除 ] [ 通報 ]

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アッセンブリーアワー「神戸女学院とヴォーリズ建築」(その1)

 神戸女学院大学でアッセンブリアワーとして、礼拝と講演会や音楽会が行われており、その中で金曜日公開プログラムは誰でも無料で参加できます。
http://www.kobe-c.ac.jp/cac/chapelhour.html
5月9日(金)には「神戸女学院とヴォーリズ建築 ―Beauty Becomes a College― 」という講演が開かれることを知り、新緑の岡田山の神戸女学院キャンパスを訪問させていただきました。


 神戸女学院にあこがれる野坂昭如は1970年の学園祭で講演の依頼を受け、
<その校舎の在りかを知らず、内容も心得ぬが、庄助の心につちかったそのイメージは、とてつもなく崇高かつ美しく、われながら想像を絶していて、とても言葉で伝えようがない。>(庄助のモデルは野坂昭如)と感激していた神戸女学院です。
 正門からしばらく上ると、最初のヴォーリズ建築の 音楽部1号館があり声楽のレッスンの歌声が聞こえてきました。


 玉岡かおる「負けんとき」では昭和8年満喜子とメレルが岡田山の献堂式に招かれた様子が描かれています。 (実際には献堂式にご夫妻は出席されていなかったそうです。)
<満喜子は母校でもある女学院の献堂式に、メレルと一緒に招かれた。音楽堂に至る坂道はスケールが大きく、神戸の山本通りに似通っており、屋根の上では旧校舎から移されてきた風見の少年が笛を吹く。>


 小説では風見の笛を吹く少年は神戸の旧校舎から移されたものとされていますが、これも実際には岡田山キャンパスのためにデザインされたもので、設計図も残っているそうです。

 確かに神戸にあった旧音楽館の校舎の尖塔には風見の少年は見当たりません。
 「風見の少年」について疑問に思ったのは、今回の訪問は3度目なのですが、風見の少年がいつも同じ方向を向いており、本当にくるくる回るのだろうかということです。どうなのでしょう。


 更に上っていくと途中に広田神社の境外摂社「岡田社」がひっそりとたたずんでいます。


小説「負けんとき」では女学院の献堂式に招かれたメレルと満喜子はここで足を止めます。
<そこを、息を切らせて登ったところに、こんもりとした木々に囲まれた神社の祠があった。あら、と満喜子は足を止めた。キリストのミッションによる学校に、場違いな鳥居と石垣を持つ日本古来の氏神さまとは。
「我々が来るより先にいらした地の神様だよ。おろそかにしてはいけないからね。」さっそくと姿勢を正して拍手を打つメレル。満喜子は微笑む。地の神、先住の神を追い立てることなく、後から来た外国の神であった仏教の仏様たちを大事に融合させてまつってきた日本人の感性を、彼はいつの間にか学んでいたのか。>


更にしばらく進むと五月が綺麗に咲く会場の講堂に到着しました。



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神戸女学院岡田山キャンパスにも残されていたヴォーリズの外国人教師住宅

岡田山キャンパス移転80周年記念シンポジウムの後は、見学会でした。


講堂の廊下は総務館からソールチャペルに続いています。

 


見学時は乳白色のステンドグラスから日が差し込む美しい回廊を見ることができました。


見えている説教台は1900年創立25周年の記念に同窓会から贈られ、山本通り旧キャンパスの講堂で第4代院長ソール女史が長年使われていたものとのこと。


ソールチャペルの正面玄関と北面外観です。


 ヴォーリズの関西学院では外国人宣教師住宅が併設され、遠藤周作「黄色い人」にもその情景が描かれています。
<昭和七年ごろ故国を遠く離れたカナダ人たちがここに関西学院を創り、赤松の林の中に、秋になると、さまざまの色彩のコスモスが咲くクリーム色の洋館をたてて住み着きました。>


神戸女学院キャンパスの北端のほうにも外国人教師住宅だったケンウッド館とエッジウッド館が残されています。


ヴォーリズの設計した個人住宅が次々と消えていく中で、貴重な存在です。


ケンウッド館の正面玄関上の2階ベランダの雰囲気は、創立時に山本通りに建てられた第一校舎・南舎を模しているといわれているそうです。

 

 山本通りの旧キャンパスのあった場所には、現在は神港学園がありますが、「神戸女学院創設の地」と刻まれた石碑が残されており、通りから金網越しに見えています。 


山本通りの旧キャンパスはどんな建物だろうと思っていたのですが、写真がありました。

南舎のベランダの雰囲気、確かにケンウッド館に似ています。

 


上の写真は木立に囲まれた現在のエッジウッド館ですが、ふと横浜の異人館を思い出していました。


 岡田山キャンパスに阪神大震災まであった家政実習館は、山本通りキャンパスから移設されたヴォーリズによる洋式モデル住宅だったそうです。ヴォーリズは満喜子さんとの結婚前から神戸女学院の建築にかかわっていたことがようやくわかりました。
 また玉岡かおる「負けんとき」では山本通りの神戸女学院音楽館は次のように描かれています。
<ピアノの音に彩られた満喜子の第二の学生時代が始まった。神戸山本通りにあるその学校は、後に諏訪山の緑を控え、坂道を上がったところで見えてくる。煉瓦造りの洋館の、尖った三角屋根の音楽館。ささやかながらもそれが塔だと示す証拠に、笛吹く少年のかたちの風見がこの日も海風によってくるくる動く。>


山本通りにあった三角屋根の音楽館の写真、しかしそこには岡田山の音楽館の笛吹く少年はいませんでした。でもやはり小説の方がロマンチックです。

私は現在の音楽館の風見の少年を見ながら岡田山キャンパスを後にしました。
神戸女学院関係者の皆様、本当にありがとうございました。



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野坂昭如オン・ステージ −74・11・2 於 神戸女学院大学 

 神戸女学院講堂に入らせていただくと、私はどうしても「野坂昭如オン・ステージ」を思い出してしまいます。


 1974年11月2日の学園祭のことで、その4年前に野坂が初めて神戸女学院に招かれた様子は「凶乱旅枕」という短編に詳しく書かれており、以前ご紹介いたしました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10755607c.html

 二度目の神戸女学院での登壇の様子は光文社「学生諸君!」に「野坂昭如オン・ステージ」として一部始終が記録されています。
「マリリン・モンロー・ノー・リターン」を歌いながら登壇した野坂は語り始めます。
<夢にまで見た神戸女学院のステージにこれで二へん上がることができまして、まことに感激というか光栄というか。といいますのも、いまからちょうど四年前ですが、一度ここへ来たことがあるんです。ぼくは神戸女学院に対して、非常に特別な思いを抱いておりますもので、そのときは、あがりにあがっていました。それで、神戸女学院の催しだから神戸女学院の生徒ばかりいると思っていたんです。ところが、ソデからずっと出てきたら半分以上男だったわけで、それまでぼくは自身の抱いていた熱い想いがあまりに高かったもんですから、ものすごく毒気を抜かれて、そのあと何をやったかさっぱりわからない。>

 野坂昭如が特別な思いを抱いている理由は、太平洋戦争末期に小説「火垂るの墓」の舞台となった満池谷の遠い親戚の家で神戸女学院五年生と約一ヶ月の間一緒に暮らし、夙川のパボーニや香櫨園浜に一緒に行った思い出があり、自分の娘も一度は入学させたいと思った、あこがれの神戸女学院だったのです。
「野坂昭如オン・ステージ」は「黒の舟歌」で終りました。

 私はシンポジュームが終ったあともしばらく講堂に佇んで、約40年前に野坂があそこに立って歌っていたのかと感慨深く眺めていました。

 

 その後、野坂は二度と神戸女学院に招かれることはありませんでした。

何しろ、乙女の集うこの神聖なる講堂で当時NHKでは放送禁止になっていた「バー ジンブルース」を歌い、「四畳半襖の下張」裁判について過激に語ったわけですから。


 しかし「野坂昭如オン・ステージ」が収められている「学生諸君!」は<夏目漱石、宮沢賢治など明治から平成までの文学者、思索家たちが若い世代に語った人生の指針を集成。「人生如何に生くべきか」を学ぶ言葉の百年集。>という作品集です。


 その中の異色の一編とはいえ選ばれたのは、神戸女学院学生諸君にはそぐわなかったのかも知れませんが、「生きるとはなにか」を語る意義深いステージだったと評価されたからでしょう。



学生諸君!
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「学生諸君!」野坂の下り読みました。
>その後、野坂は二度と神戸女学院に招かれることはありませんでした。
大いに納得したのでした、超OGのネットワークで当日その場にいたお姉さまたち探してみます。

[ 笹舟倶楽部 ] 2013/12/14 8:53:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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