阪急沿線文学散歩

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芦屋のセレブな生活を垣間見る高殿円の『上流階級 富久丸百貨店外商部』@

 西宮文学回廊で紹介されていた高殿円『上流階級 富久丸百貨店外商部』は西宮も舞台として登場するとのことで、早速読ませていただきました。

http://nishinomiya.jp/bungaku/work/work-s24.html

 通俗小説ですが、それだけにエンタテイメント性は素晴らしく、調べてみるとフジテレビ系列で2015年に放映された竹内結子主演スペシャルドラマ『上流階級〜富久丸百貨店外商部〜』の原作でした。

 ドラマは神戸の老舗一流百貨店でバイトから契約社員、そして正社員となり外商部にやってきた竹内結子演じるアラフォー女性・鮫島静緒が、女性社会の百貨店の中で唯一男性社会の外商部で生き残るために、ノルマ月1500万を目指し一癖も二癖もある日本屈指のお金持ちを相手に奮闘する姿を描いたものです。

撮影は、神戸大丸や神戸のお屋敷などが使用されたそうです。
 小説で登場する百貨店は「富久丸百貨店芦屋川店」。

 実際には阪急芦屋川駅付近には小川洋子『ミーナの行進』にも登場する芦屋山手サンモール商店街しかありません。

 モデルとなったのはJR芦屋駅の大丸芦屋店のようですが、イメージは心斎橋店や神戸店なみに豪華に仕立ています。

<富久丸百貨店芦屋川店は、大阪の本店と比べると規模も小さく地域密着型に近いが、場所が場所だけに利用者に富裕層が多い。そのため、二階はすべてシャネル・エルメス・ブルガリ・カルティエなど名だたる海外の一流メーカーでテナントが埋まっている。(二階だけ、あからさまに大理石と真っ赤な絨毯敷きなんだもんな)
 やや低さを感じるヴォーリズ建築のレトロな内装、エスカレーターで二階へ上がったとたん、目が合った店員は無言のうちに「お前はここの客じゃない」と一瞥をくれる。>

心斎橋店のヴォーリズ建築、内装をモデルにしたようです。

プロローグではこんな風に書かれていました。

<いま、ガラスのドアの内側で、私はあのころの私と同じ目をした少女を出迎えている。「いらっしゃいませ。ようこそ富久丸百貨店へ」ここは私が愛した百貨店。夢の宝石箱。>


次回は『上流階級』に描かれた芦屋や阪神間に住む「日本屈指のお金持ち」の暮らしというのを見てみましょう。



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堀江珠喜さんの講演「華麗なる芦屋マダムの世界」

 先日芦屋市立公民館で、堀江珠喜さんの「華麗なる芦屋マダム」と題した魅惑的な講演会が開催されました。


堀江さんは夙川で生まれ、中学から大学院修士課程まで神戸女学院という華麗なるお嬢様で、現在は芦屋市在住という、芦屋マダムを語るに十分な資格をお持ちのかたでした。しかし、お嬢様らしからぬ、歯に衣着せぬ楽しいお話で、思わず引き込まれてしまった90分でした。


 
講演では、昭和のはじめに作られた「なのりそ会」という芦屋の名流夫人たちの社交クラブの紹介にはじまり、日本で初めてのファッション月刊雑誌『ファッション』が柴山Y子によって芦屋から刊行されたことや、そのファッションクラブの会員の面々のお話など、芦屋マダムの源流に遡って紹介いただきました。

 講演内容は、堀江さんの著書『人妻の研究』の第3章「ファッション誌の花形夫人 −芦屋マダム」にも詳しく述べられていますので、ご参照ください。

 
 そこには講演では触れられなかった面白いお話も書かれていましたので、少し引用させていただきます。
 マスコミが作った芦屋のイメージとして『週刊朝日』(1988年6月17日号)の記事からです。
<まるで一流ホテルのロビーで、ディナーショーの開演を待つ奥様、お嬢様のような雰囲気だ。その人たちが、みんなゆっくりと買い物カートを押している。ここは「日本で最もハイグレード」といわれているスーパーマーケットである。場所は、日本のビバリーヒルズ、兵庫県芦屋。一般のスーパーマーケットと変わらない趣なのは、この買い物カートだけだった。>

このスーパマーケットとは白羽弥仁監督の映画『She’s Rain』にも登場したイカリスーパーに違いありません。


そして堀江さんは次のように解説されます。
<さて、芦屋マダム自身は、それほどオシャレをしている自覚はないと思うが、それでもこの女性記者を驚かすファッションだったのは、「使用人」ではないことを無意識のうちに示すためかもしれない。そもそも先代の芦屋マダムなら、このような買い物は、お手伝いさんか御用聞きまかせだったはずだ。しかし今はそうもゆかず、奥様みずから、夕飯の材料、もしくはおかずそのものを買いに行かねばならない時代になった。とはいえ、依然として使用人をおつかいに行かせる裕福な家だってある。というわけで、奥様方は、しかるべく身なりを整えて、スーパーマーケットに行き、他家のお手伝いさんとの差別化をはからなければならないのだ。>
 
 この章は雑誌『VERY』で2000年から使われた新語「アシヤレーヌ」のお話で終わりますが、清水博子著『カギ』にもアシヤレーヌ談義がありました。

<1/11 「アシヤレーヌなんて言葉聞いたことがない」と姉が言うので、参考資料を持って池田山へ行きました。わたしたち姉妹はむかしアシヤレーヌの圏内に住んでいました。姉は今シロガネーゼの圏内に住んでいます。なのに姉はそういうことにちっとも興味がないみたいで残念です。シェルガーデンで買い物をしてきました。>

 参考資料とは雑誌「VERY」。
芦屋マダム談義はなかなか奥深いものがあります。


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清水博子さんの「Vanity」(新潮社)ご存知ですか?

[ Mitts ] 2017/02/13 8:24:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

Mittsさんコメントありがとうございます。
「vanity」は清水博子さんの阪神間スノビズム批判の最高傑作。
当ブログでも紹介させていただき、どこまでが事実であったのか探るのが面白かったのですが、若くして亡くなられたのは残念です。

[ seitaro ] 2017/02/13 9:34:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

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稲畑邸の応接間が芦屋教会の始まり

 先日河内厚郎氏と稲畑邸に伺い、応接間でお話を伺う機会に恵まれました。


 立派な洋館ですから、当然のごとく占領軍に接収されたようで、稲畑家はカトリック教徒であったため、教会として使われていたそうです。

占領軍接収地図(神戸市文書館所蔵)を見ますと、芦屋川下流では三つのお屋敷が接収されており、その一邸が稲畑邸だったのでしょう。


応接間の暖炉の上に祭壇が置かれ、日曜日にはミサが行われていたとのこと。


 その後、芦屋教会が1945年に設立され、翌年には献堂式が行われて、カトリックの教会として正式に発足したそうです。



そういえば、聖心女子大でも戦後の創立当初は、クニハウスの建物を靴で出入りできるように床にリノリュームを張り、謁見の間は聖堂として使用されていたそうです。

おそらく稲畑邸と同様に、暖炉の上に祭壇が置かれていたのでしょう。



高浜虚子のお孫さんで、現在も「ホトトギス」名誉主宰を務められる稲畑汀子さんは、その頃、まだ小林聖心の寄宿舎にいて、偶然、聖歌隊として稲畑邸を訪問されたそうで、当時はまさかお嫁に来るなんて夢にも思っていなかったと話されていました。

 



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中谷美紀が再演する原作井上靖の『猟銃』は芦屋に住む家族の物語

 2011年にNYメトロポリタン・オペラも手掛ける演出家 フランソワ・ジラールが、井上靖の小説『猟銃』を、中谷美紀を起用して完全舞台化しカナダ、日本で上演し、好評を博した公演が、日本でふたたび上演されています。兵庫県立芸術文化センターでの公演はこの5月、楽しみにしています。

 ひとりの男の13年間にわたる不倫の恋を、妻、愛人、愛人の娘の三通の手紙によって浮き彫りにした恋愛小説ですが、原作は芦屋を舞台としているのです。
 
 井上靖は昭和11年、京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞大阪本社に入社。昭和24年には西宮球場を舞台にした「闘牛」で芥川賞を受賞しています。

また井上靖は当時西宮市の川添町に下宿しており、その家の写真が西宮市市制90周年『西宮という街』で紹介されていました。


二十歳の娘薔子の手紙から、芦屋川沿いに住んでいたことがわかります。
<それは一年ほど前のことです。お友達と一緒に学校へ行く途中、阪急電車の夙川まで来て、私は課外の英語読本を家に忘れて来た事を思い出したのです。そしてお友達に駅で待って戴いて、自分一人家に取りに帰ったのですが、家の御門の前まで来て、私は何故か門の中へ這入る事が出来なかったのです。>

 結局、薔子は英語読本を持ってくることはあきらめて、友達の待つ夙川の駅に引き返します。

<もし私が這入って行ったら、母さんはお困りになるのだ、母さんは悲しそうな顔をなさるのだ、そんな気持ちでした。そして私は言いようのない孤独な気持ちで、蘆屋川に沿った道を石を蹴り蹴り歩いて、駅へ着くと、お友達の話しかけるのも上の空で聞きながら、待合室の木のベンチに身を持たせかけていたのです。>

以前は気にかからなかったのですが、読み返すと、薔子が友達に待ってもらったのは夙川駅なのに、次に戻ってきた駅は何度読み返しても阪急芦屋川駅になってしまうのです。

 夙川と芦屋川の風景を登場させるために故意に書かれたのかもしれませんが、このあたりの住民にとっては気になるところです。



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戦時下、芦屋の高台に住むお嬢様の暮らしを描いた北村薫『リセット』

 北村薫『リセット』の第一部では阪神大水害の起こった昭和13年に保土ヶ谷から芦屋の高台に移り住んだお嬢様の昭和20年神戸大空襲までの、戦時下の暮らしが歴史的事実とともに描かれています。


 小説ですから、実在した固有名詞は避けられていますが、あとがきに
<歴史的事実にそえば、真澄の通ったのは『甲南高等女学校』、飛行機工場は『川西航空機甲南製作所』、飛行艇は『二式大艇』、最後に起こるのは『三河島事故』ということになっています。しかし、この物語はあくまでも創作であり、個々の人物、出来事に特定のモデルはありません。>と著者の解説が述べられていました。


<保土ヶ谷には、小学三年の初めまでいました。それから、父の仕事の都合で、神戸の芦屋に越して来たわけです。せっかく、これから東京でオリンピックがあるのにと残念な気がしました。ところが、それどころか万国博まで延期という話でした。−後から、とうとう両方とも中止と決まってしまいましたから、いずれにしろ見られなかったのです。>
「神戸の芦屋」とは関西人にとっては奇妙な表現に感じますが、関東ではそのように認識されているのでしょう。

 1940年(皇紀2600年)には「東京オリムピック」「万国博覧会」を開催する予定だったことが指南役著『幻の1940年計画』に当時の世相とあわせて詳しく述べられています。

しかし、順調だった東京オリンピック計画も1937年に日中戦争が勃発したことで、開催権を返上せざるを得なくなります。

「札幌オリンピック」も1940年2月3日から12日間の開催が決定していたとのこと。

オリンピックと同じく、皇紀2600年の記念として、日本最初の万博が1935年に国の事業として認可されます。1940年3月15日から170日間、東京月島の埋立地、100万坪が会場予定地だったそうです。

<父は会社では、かなり重んじられているようでした。関東での実績もあげて、凱旋将軍いったところでした。もうこちらに腰を落ち着ける気で、芦屋の高台に家を買いました。眺めはよく、遠く大阪の辺りまで見通すことができます。
 少し離れたところに、「六甲ハミガキ」社主の田所さんのお屋敷があります。>

当時の芦屋の高台からの風景写真が『あしや子ども風土記』に掲載されていました。

<学校は私立でした。今までいたところとは、まったく違った感じですが、八千代さんのおかげで、早く溶け込むことができました。弥生原優子さんは、八千代さん達のグループの一人で、お父様は、航空機を作っている会社の技術重役です。>

航空機を作っている会社の技術重役のモデルは、川西航空機で九七式大型飛行艇、二式大型飛行艇、紫電、紫電改などの設計に関わった菊原静男氏でしょうか。

<そういった方々との出会いもさることながら、関西の地に来て、衝撃だった事件が阪神大水害の年でしたから、他の記憶は全て消えてもおかしくないのです。>

主人公の真澄が芦屋に移ってきたのは阪神大水害の発生した昭和13年のことでした。

開戦後の芦屋のお嬢様たちの暮らしについてもう少したどってみましょう。



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最後の戦闘機「紫電改」碇義朗著によると
菊原静男氏は芦屋にお住まいだったが、お子さんはいなかったようですね・・・もう少し上の重役なのでしょうか?

[ Z探偵団 ] 2016/04/22 14:33:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

Z探偵団さん、ありがとうございます。著者の解説どおり、特定のモデルはいないということなのですが、ついついモデルではと考えてしまいます。でも芦屋にお住まいは合致しましたか。

[ seitaro ] 2016/04/22 15:07:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

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[芦屋・西宮ウイーク]文学散歩(1)村上春樹「風の歌を聴け」

本日の神戸新聞阪神版です。
[芦屋・西宮ウイーク]文学散歩(1)村上春樹「風の歌を聴け」

吹田仲記者による記事で、うまくまとめられています。

<村上作品では定番となっている、一人称で語る主人公「僕」が、車であてどなく街を回るシーンだ。少し高い場所から芦屋を眺めると、その情景のいくつかはすぐに見つけることができる。
 彼の小説やエッセーには、至る所に阪神間の実在の場所と分かる描写が刻まれる。その一部を、村上作品に詳しい西宮芦屋研究所の小西巧治さん(67)と巡った。>

写真は小西さんのお勧めスポット芦屋市民センターのバルコニーから眺めた芦屋の街並み。
インターネットで見ることが出来ます。
http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/201507/p1_0008188550.shtml


インターネット時代となり、驚くのは新聞の世界も動画が普通に使われるようになったことです。



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芦屋川のむら玄へ

 先週の土曜日、天気も良く、ドライブを兼ねて芦有道路入口にあるむら玄に行ってきました。

 2011年の「ミシュランガイド、京都・大阪・神戸2011」で、1つ星の評価を受けたそうで、当時はかなり混雑して大変だったようです。食べログでもTOP5000に入っているお店です。
 到着したのは丁度12時過ぎでしたが、駐車場(約8台)は満車で、道路沿いに2台目に駐車して待ちました。

 

お店の直ぐ下を芦屋川が流れています。

 駐車場からも山は新緑におおわれ、見ているだけで心が安らぎます。
土曜日のせいかもしれませんが、かなり長く待って店内に。

 

 芦屋川のせせらぎが聞こえる外のテラス席もこの時期、良さそうです。
店内は空きテーブルも有り、空いているのですが、オーダーしてからも結構待ちました。
 しかし、新緑が美しく、店内からの景色も良く、静かにゆったりとした時間を過ごすことができました。

 


私がオーダーしたのは玉子焼きと盛り蕎麦。

 

 

 車を運転していてお酒を飲めなかったのが残念です。
お値段も普通のお蕎麦屋さんと変わりません。
ゆっくり新緑を楽しみたい方にはお勧めで、秋には紅葉が楽しめそうです。



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今頃の季節なら最高に良い場所ですね。但し、聞いたところによればこの場所は、土地利用規制の用途地域上は、このような店は建てられないとか・・・深くは追求していませんが・・

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2015/04/27 21:16:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

芦有道路入口を右に折れ、ゴルフ場につながる道の左手にありました。よくこんな所に建てたものだと思いましたが、事情があるのですか。

[ seitaro ] 2015/04/27 21:39:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大正11年阪神沿線風景(下村海南)

 下村海南は大正10年に台湾総督府を退官すると朝日新聞社に入社、大正11年に欧米視察から帰国し、しばらく武庫郡御影字柳の里に住みます。

 阪神電車で御影から大阪朝日新聞本社まで通ったのでしょう。
その当時の阪神電車からの車窓を短歌に詠んでいます。


『新聞に入りて』の「阪神電車」からです。
<御影石の粉末となった白砂のゆるい傾斜、萌黄に紺に藍に緑に濃く淡く彩られた六甲武庫の山並、住むこと半歳に満たず。居るところ僅か百坪に足らざりしも、塵と泥と灰色の空に包まれた東京から居を移した者には、青き空白き砂、眼に見ゆるもの皆我心を和ましめる。>
 関東の風景と比較して、白い砂は印象深かったようで、谷崎潤一郎、森田たま、遠藤周作らもエッセイや小説で、その印象を述べていました。また山並迫る風景は、先日の池澤夏樹、小池昌代さんのトークイベントでも触れられ、東京では見られない美しい風景として、古典は関西の景色から始まっていると述べられていました。


 下村海南の詠んだ歌です。


 五月晴れ朝の光に六甲の  山なみはにほふわが庭の軒に

 

 武庫の里苺畑にパラソルの  もつれてゆくも白きと青きと


阪神鳴尾駅あたりの景色を詠んだものと思われます。『西宮あれこれ』によると
<兵庫県のイチゴの発祥地は鳴尾と考えられている。………鳴尾では明治37年ころから綿作は皆無となり、その代作として、武庫川河口の砂地に適するイチゴが栽培され始めた。>とのことで、昭和7年の最盛期には約480町歩(約48万m2)栽培されたそうです。


 佐藤愛子『女優万里子』でも甲子園に新築した佐藤紅緑邸の南側に苺畑が広がっていたそうです。
<家の南は苺畑が連なり、その広がりの向うに武庫川の堤が真横に緑の筋を引いていた。庭には三つの築山があり、中庭は苔と竹林でなり立っている。夏は武庫川の堤から苺畑を渡って来る南風が前庭から中庭へと吹き通るその十二畳の大座敷が父の書斎で、………>

 

 

 松並樹中を一すじ真白にぞ  水なき川はくれのこりたる


 この川は芦屋川だと直ぐに想像がつきます。阪神芦屋駅からの眺めを詠んだのでしょう。周りの景色は大きく変わりましたが、川の流れは今も変わりません。



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芦屋が舞台となった有栖川有栖『菩提樹荘の殺人』

 今年の3月に兵庫芸術文化センターで河内厚郎氏が司会をされた「伝承される古典と、変貌する古典」という講演で大変面白いお話をされていましたので、有栖川作品を少しづつ読み始めました。

有栖川氏は大阪生まれ、同志社卒ということですので、関西が舞台の作品を多く書かれており、『菩提樹荘の殺人』は芦屋が舞台でした。

 

 アンチエイジングの寵児といわれた桜沢友一郎が芦屋の別荘・菩提樹荘で殺されるという事件。被害現場やアリバイ証言で頻繁に出てくる地名は芦屋や西宮周辺なので、土地勘があると更に面白く読めます。


小説は芦屋川沿いの風景から始まります。


<阪神高速道路を芦屋出口で降り、市内を北西から南東にかけて貫流する芦屋川に沿って北へと向かう、七月初めの空は晴れ渡って、愛車ブルーバードのご機嫌は麗しく、六甲山頂へでもドライブをしたい気分になりかけるが、そうはいかない。私はこれから殺人現場へ行こうとしているので。>

 菩提樹荘は周囲50mほどの小さな池に面しているのですが、奥池の手前ぐらいに設定されたのでしょう。

赤池緑地の辺りでしょうか。


 芦屋の殺人事件ですから、当然芦屋警察署の旧庁舎が登場します。

<芦屋署は、阪神・芦屋駅の北側にあって、玄関は芦屋川に面していた。火村とあちらこちらの警察署を訪ねるから、時折、興味深い建築物に出会うが、ここも面白いものながら、正面玄関のアーチにミミズクの彫刻をあしらうなど凝った意匠だった。それを二〇〇一年に耐震化を施してた建て替える、旧庁舎を保存しつつ、イメージを損なわぬような形で新庁舎を継ぎ足したのだ。西を向いた玄関から署内に入り、二階に上がる。>

 

芦屋警察署は小川洋子さんの『ミーナの行進』で登場したアンリ・シャルパンティエ芦屋本店のお隣。

 

昭和2年竣工の石造庁舎旧正面玄関のアーチのミミズクです。


<鬼怒川正斗が芦屋署にくるまで時間がありそうだったので、川辺の道をぶらつくことにした。松と桜 −何とも対照的な樹木だ− の並木が続いていた。春先にこのあたりを電車で横切ると、芦屋川はピンク色の谷間に沈んで見える。「長束多鶴の言ったことが引っ掛かっているんだ」カトリック芦屋教会の尖った屋根を見やりながら、火村が言う。>


昭和28年に建てられた、空を突き刺すようにすくっと立つ塔は、今や芦屋川の光景に馴染んででたたずんでいます。

 

吉永小百合主演の『あすの花嫁』にも登場していました。

 

主人公火村英生が犯罪学者で、警察の捜査に加わって様々な事件を解決し、小説家アリスも登場するシリーズで、楽しめました。



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読みましたが、短編はだいたいものたらないものが多いですが。これは読んで損しました。駄作では? ごめんなさい。

[ ふく ] 2014/12/05 23:31:47 [ 削除 ] [ 通報 ]

殺人現場ですが、どうも実在の場所ではないような気がします。阪神高速の芦屋でおりて、北に行く場合、意外なことに芦屋川沿いは殆ど走らないのです。それから奥池ですと、芦有だとゲートを通り、チケットを買うことになりますから、そこで足がついてしまうので、根本的に設定が変わります。犯行現場への所要時間も奥池周辺ですと10分ほど余分にかかります。などなど…。

[ ふく ] 2014/12/06 10:28:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

みなさんドライブに行かれるというのも不自然でした。芦屋川150bですから山手町か山芦屋町あたりなのでしょうけど…、土地勘の無さが見事にでているような…。現代ではなく、作者が若い頃の芦屋のイメージを思い描いて書いたような雰囲気です。

[ ふく ] 2014/12/06 14:41:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

近年、ご当地ものを読んでいて痛感するのは、共有するものがないほうが、かえって理解しやすいかもしれないということです。同じ景色を見ているのに、感動する場所が微妙にずれている作家のものは読んでいてつらいのです。特にミステリーは土地勘があると読むのが難しいと思います。たまたま北村薫の円紫さんと私シリーズを読んでいます。こちらは場所と時間に関わるような謎解きではないので読みやすいです。古典落語をそのまま受け継ぐかどうかなんていう話もでてくるので、へ〜っと思ったところでもあります。土地勘があると面白く読めますとのご推薦でしたので読んでしまったわけですが…、文庫本にはこれからなるのでしょうか。

[ ふく ] 2014/12/06 18:19:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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あにあん倶楽部阪神南再発見ツアー「文学探訪」(鵺塚橋から虚子記念文学館へ)

 虚子記念文学館は芦屋市平田町にありますが、閑静な住宅街に大型バスは乗りつけることはできず、手前で降りて、芦屋浜に流れ着いたぬえの遺骸を葬ったという、ぬえ塚を見ながら鵺塚橋を渡って行きます。

 


このあたりは、遠藤周作『口笛を吹く時』の舞台を訪ねて散策したことがあります。
甲南女学校に通う東愛子の家が芦屋市平田町のあたりに設定されているのです。
<小津は黙って食い入るような眼で両側の家々を見つめていた。あの頃の黒い屋根と黒い塀を持った屋敷はなくなり、それに代わってあかるい洋館や高級マンションが建ち並んでいる。松林のなかには小さなテニスコートが作られて、若い男たちがテニスをやっている。橋があった。あの橋だった。「橋を渡って」小津は思わず叫んだ。「そう。その路を真直ぐに」東愛子の家。平目と彼とがその塀を撫で、そのあたりをうろついた家。なくなっていた。>

 愛子の家は上の写真の鵺塚橋を渡って直進したところなのですが、以前来たときは橋の左角に大きな洋館、「旧安部邸」が見えていました。

 

今回驚いたのは、小説の愛子の家と同様、あの洋館が無くなってしまっていたのです。(下の写真)


その洋館の絵は芦屋市ホームページ「芦屋の都市計画」に今も掲載されています。


http://www.city.ashiya.lg.jp/toshikeikaku/toshikeikaku.html


 看板を見ると工事をしているのは野村不動産。さぞかし立派なマンションが建てられるのでしょう。

 

 芦屋川の河口、海のすぐそばにある「虚子記念文学館」に到着です。


文学館は高浜虚子の孫で俳誌「ホトトギス」を主宰する稲畑汀子さんの住まいに隣接しています。反対側に回ると昭和初期に建てられたスパニッシュ様式の立派な稲畑邸がありますので、建築に興味のある方は、ここも見所の一つです。

 展示品の撮影は許可されておらず紹介できませんが、常設展では虚子の生涯や資料の展示を中心に、虚子が師と仰いだ正岡子規との往復書簡や夏目漱石直筆の「我輩は猫である」の原稿など貴重な資料が展示されています。

 記念館理事長の稲畑汀子さんは1931年生まれで、小林聖心女子学院に通われていたとき、遠藤周作の母、郁さんから教えを受けられています。そして稲畑汀子著『舞ひやまざる』で「うちの周ちゃん」と題して、遠藤周作の逸話を述べられています。


 <女学校五年生の最後の劇に監督岡田利兵衛先生で「細川ガラシャ夫人」をやり、その練習を見られた遠藤先生は感激して最後のタブローの場面でアベマリアを高らかに歌って下さったのであった。それがご縁になり先生の口癖のように言われていた「うちの周ちゃん」に劇の台本を書いていただき、学制が変わった高三のときにそれを上演したのである。「うちの周ちゃん」それは今では知る人ぞ知る遠藤周作氏のことである。>


 遠藤周作は小林聖心女子学院の卒業劇の脚本として『サウロ』を書いています。サウロはキリスト教迫害時代の悲恋物語で、遠藤周作文学全集14に掲載されていました。
 1997年に稲畑汀子さの思い出話がきっかけで、原稿が発見され、2000年に再演されたとのことです。

<周ちゃんも時々やって来ては腕組みをして恥ずかしそうに、うら若き女子学生が自分の書き下ろしの劇を一生懸命稽古するのに見とれていた。>
この時の青年コルネリオを演じたのが稲畑汀子さんでした。

 

さてこれで、虚子記念文学館を後にして、最後の訪問先の谷崎潤一郎記念館へ。



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最近、こちらのブログを知りました。西宮・芦屋に愛情のある内容が記載されていて、大いに感銘を受けています。
旧安部邸が無くなったのは大変残念でした。海に面したテラスがとても素敵でした。写真を撮っておけば良かったです。
これからもブログ、拝見させていただきます。

[ じゅん ] 2015/01/20 23:35:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

安部邸でなく、阿部邸では。

[ MIC ] 2015/05/14 16:50:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

失礼いたしました。阿部邸でした。

[ seitaro ] 2015/05/14 19:49:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

じゅんさん 今頃になってコメントをいただいているのに気付きました。よろしくお願いします。

[ seitaro ] 2015/05/14 19:50:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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