阪急沿線文学散歩

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芦屋での読書会課題図書はベルンハルト・シュリンク『朗読者』

 読書会のミーティング・ルームからベランダに出ると大阪湾の景色が広がります。

すぐ下には、先月オープンしたばかりのリゾートトラストのリゾートホテル「芦屋ベイコート倶楽部」と芦屋マリーナが見えます。

芦屋マリーナから神戸港の景色、春霞か黄砂のせいか、少し霞んでしました。

 さて読書会の課題図書はベルンハルト・シュリンクの『朗読者』。
 
発売後五年間で二十以上の言語に翻訳され、アメリカではミリオンセラーになった作品です。

2008年に映画化され、邦題は『愛を読むひと』。

十五歳の少年と三十六歳の女性の切ない恋物語かと思いきや、人間の尊厳を問う読み応えのある物語でした。

第T部は作者の得意とするミステリー仕立てになった構成になっており、読み出すと引き込まれていきます。

15歳の主人公ミヒャエルは黄疸による嘔吐で、36歳の女性ハンナと巡り合い、その後の官能的関係が綴られます。

その中でミヒャエルにも読者にも理解できないハンナの言動があり、途中でそれが物語の伏線であることに気づき、引き込まれていきます。

そして少しずつハンナの経歴があかされていきますが、最後に彼女は姿を消してしまいます。

第U部ではホロコーストについての問題提議がなされ深く考えさせられます。
 大学生になったミヒャエルは、ナチスの戦争犯罪に関する裁判を傍聴し、被告となっているハンナの姿を認めます。数週間続いた裁判によって、彼女が戦時中にどういう事件に関与していたのかが明らかにされますが、その中で戦争犯罪に対するミヒャエルの考え方は徐々に変わっていきます。これは、1944年生まれ法学者でもあるシュリンクの思考の変遷でもあるように思われます。
 ハンナが裁判長に向かって尋ねた、「あなただったらどうしましたか?」は読者に向かっての問いでもありました。

 
 傍聴を通じてハンナの秘密も明かされていきます。ハンナは、読むことも書くこともできなかったのです。それでようやく不思議な出来事のすべてのつじつまが合います。

第V部でミヒャエルは刑務所のハンナに本の朗読テープを送り続けます。
ハンナは刑務所の中で読み書きを覚え、ミヒャエルに手紙を書き始めますが、それでもミヒャエルのほうからは手紙を出しませんでした。

 刑務所長から語られる刑務所内におけるハンナの自己形成は感動的でした。
しかしある時期から彼女は修道院のような生活を投げ出してしまいます。

最後に彼女が自殺した理由は何だったのか、読み終えて再び深く考えさせられる小説でした。

本を読んだ後で、DVDを借りて見てみました。映画も優れた作品でしたが、原作を読んだ時の驚きと感動を超えることはありませんでした。





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芦屋の中山岩太邸跡を訪ねる

 1930年代の都市モダニズムを色濃く反映した作品などで知られる中山岩太は1927年にパリから帰国し、1929年に芦屋市に移住、ハナヤ勘兵衛らと「芦屋カメラクラブ」を結成しました。

写真は中山岩太による《神戸風景(トアロード)》1939年頃 

ところで1927年に建てた芦屋の家について中山正子著『ハイカラに、九十二歳 写真家中山岩太と生きて』に詳しく述べられていました。

中山岩太は将来、写真学校にしたいという考えで自ら設計したそうです。
<一階のアトリエはパリーのベロニのアトリエそのままに天井は吹き抜け、丸太造り、窓は高く大きく造り、二階は各部屋カギをかけられるようにした。その中の一室は私の部屋。私はパリーの友人の主婦の部屋をまねて、天井はオレンジ色の柔らかい絹の布で覆い、まん中にしゃれたシャンデリアをつけたいと夢をいっぱいふくらませた。>
新築にあたっての構想は二人が過ごしたパリのベロニ街のアトリエでした。

写真は2階建ての半丸太張りの中山邸。
残念ながら阪神淡路大震災で倒壊してしまいました。

<二階の廊下は丸太の手すりををつけた。応接間の入口の戸は二人で濃淡をつけて手で染め、壁土は板に布を巻いて二人して型をつけた。たのしい作業だ。椅子も彼の好きな形に大工さんに作ってもらい、二人して何か彫ろうと楽しんでいたが、とうとうそれは果たせなかった。>

二階の丸太の手摺。

応接間の入り口の扉。

<たたみの嫌いな彼は全部板張り、一枚も畳はない。赤穂から来た静子ねえやが「お願いですから、一枚でいいからたたみを敷いてほしい」と言うので、彼は彼女のためにたたみ一枚敷きで寝台にも使えるものを考案し、その台の下にはふとんがしまえるよう三段の引き出しを作り、身のまわりのものを入れるように大工さんに作らせた。なかなか便利だ。どの部屋も靴で歩くよう油でみがきじゅうたんを敷く。>
欧米の生活に慣れ親しんでいた中山夫妻の邸の中は総板張りだったようです。

跡地がどのようになっているか尋ねてみました。

上の地図に示した業平橋を国道2号線沿いに少し西に行ったところにハナヤ勘兵衛写真店(青丸印)があり、その次の角を右に曲がった所(赤丸印)が中山邸のあった場所です。

業平橋を西に向かいます。

同じように丸太を使った建物がハナヤ勘兵衛写真店。

上の写真の左角に震災前まで中山岩太邸がありました。

 ハナヤ勘兵衛との関係も『ハイカラに、九十二歳 写真家中山岩太と生きて』に紹介されていました。
<芦屋にただ一軒あった写真材料店のハナヤ勘兵衛店に材料を買いに行くうちに親しくなった。写真の同好者を集めてクラブを作ろうという話が持ち上がり、この材料店へ来るお客さまや中山の知人を集めて出発したのが芦屋カメラクラブだ。>

芦屋カメラクラブ写真展は1930年から現在まで続いています。




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昭和3年の芦屋の風景(中山正子『ハイカラに、九十二歳』)

 写真家中山岩太夫妻は昭和3年の夏、夏休み中だけのつもりで、子供を連れて芦屋に来ます。借家でののんびりした海辺の生活が気に入った夫妻は翌年家を建てて本格的に引っ越しました。

 中山正子著『ハイカラに、九十二歳 写真家中山岩太と生きて』に当時の芦屋の様子が述べられています。
<芦屋というところはパリーの町によく似て、気候もあまり変化のない静かな美しい町だ。たくさんの松に囲まれている。みどりが多い。朝早く起きて朝露を踏み、松林の中に松露を集めることができるという東京の町中では味わえぬたのしみでもでもある。>

芦屋公園にはまだ少し松林が残っていますが、昭和の初めには松露がとれたとは。


<静かな流れの芦屋川沿いには松や柳の並木道がある。夕暮れともなるとカジカの声も聞かれる。たくさんのホタルが飛びかう。川沿いには立派な家が並んでいる。ここは大阪の商人さんたちの別荘地でもある。>

現在の芦屋川。

<海岸は広々としている。水着のままで家から行くことができる。波も静かだ。ただ貝殻やガラスのかけらが多くて足をいためるので足袋をはく。きれいな貝もある。ホウズキも流れついている。そして別荘に住む夫人たちが美し水着を着て、海に入るでもなく、犬を連れて歩くあでやかな姿も目につく。>

昭和の初めの芦屋浜。

犬を連れる夫人の姿がありました。
芦屋は当時から高級住宅地としての名を馳せていたようです。

平田町のシンボル的な存在であった旧田中岩吉邸も今やなくなってしまい、風光明媚でハイソな芦屋の風景も大きく変わっています。
次回は中山邸の跡は現在どうなっているか、確かめにいってみましょう。




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小出楢重『枯木のある風景』阪神電車の電線にとまっている物体は?

 宇野浩二『枯木のある風景』では、楢重の友人黒田重太郎をモデルにした八田が、古泉(楢重)の絶筆となる「枯木のある風景」の感想を「鬼気人にせまる」と述べています。
<とにかく、そんな抽象的な理屈は別として、僕は、その絵を見た時、頭から水を浴びせられたような、ぞオッとした感じがした。それは、もう、凄いとか、妖気とか、いうことを通り越して、正に『鬼気人にせまる』という感じがしたなア>

 更に、絵の説明をし、
<入井君、いま僕の云うたことを、目をつぶって、構図にして考えてみたまえ、それだけでも十分妖気がさ迷うている感じが浮かぶやろ。ところが、その上の方の電線の一番上の線に、黒い鳥のようなもんが、ちょこりんと止まっているんや、入井君、それを何やと思う」
「ちょっと待った……」入井がさえぎった。「しかし。君。あの古泉君の家のそばの明き地には、普通の電信柱はあるけれど、高圧線なんてあれへんやないか。よし又あったとしてもや、高圧線の電線に人がとまったら、人は死んでしまうやないか、象徴か空想か知らんけど、そんな……」>

この高圧線とは阪神電車の架線のことなのです。

 
小説では、二人がこのような話をしている時に、小出楢重がモデルとなっている古泉が死んだという知らせを受けるのです。
 私には、小説に出てくる高圧電線にちょこりんと止まっているのは、そのシルエットからシルクハットをかぶった小出楢重自身にどうしても見えてしまうのです。

(写真は昭和3年、芦屋のアトリエ前に正装しシルクハットをかぶり、得意げな小出楢重)

 そこで解説書を調べていると、岩阪恵子『画家小出楢重の肖像』にもこの絵について述べられていました。
<高圧線上に描きこまれた人の姿については、いろいろな人によって鴉とも電線工夫とも画家自身の姿とも言われてきている。石濱恒夫によると、彼の父純太郎は「とうとう自分を電線の上へとまらせてしまいよってからに。これはこうやないといかんね、いうてききよれへんね。あれは鴉や電線工夫やあらへん、自分や。みてみ、いつものあの黒い帽子かぶっとうるやないか」と漏らしていたらしい。>

やはり黒い帽子をかぶった小出楢重自身と考えるのがよさそうです。
<一方当時の阪神電車では高圧線上で修理などの工事を行うことがあったというから、実際に電線工夫のいる風景を描いたとも言えるわけだ。この小さな、ふしぎな人の姿をどうとるかは見る側の自由である。>

 小出楢重は電線工夫の姿を見て、そこに自分自身の姿を置き換えて描いたのだと思われますが、どのような意図をもっていたのでしょう?

小出楢重はこの絵を最後に、42歳の若さで亡くなってしまったのです。




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宇野浩二『枯木のある風景』に描かれた電信柱が鉄骨になった理由

 宇野浩二の短編『枯木のある風景』は小出楢重の最後の作品に題材をとった小説です。
 宇野浩二は、小出楢重がモデルとなっている古泉の「枯木のある風景」を同じ構図の「郊外の風景」と比較しながら、次のように紹介しています。
<「今度のんは、画面の下半分がまるで枯野の明き地、前の絵の花壇のあったとこに、大きな枯木の丸太が五六本、のさばるように、横倒しに転がっているんや。>

 前の絵とは『郊外の風景』ですが、宇野浩二の記述に従って、見比べてみましょう。

<つまり、この異形な枯木の丸太が古泉君の絵心をそそった動機らしい。その証拠に、枯木の丸太のないとこは赤土と枯草だけの明き地の野原で、あと画面の上半分は冬らしい冷たい色の空が占めていて、その空と枯野の間、つまり地平線は、あのバラック建ての平屋と低い丘とで仕切られていて、あの平屋の前の往来と思えるとこには、二本の電信柱のかわりに、この絵では、ばかに大きな、これ亦、異形な高圧線の鉄骨の電柱が立っていて、それが冬空を二分している。>

二つの絵は、芦屋市川西町にあった小出楢重のアトリエの南側の広場(現在の芦屋市立体育館)の風景を描いたものです。

したがって「空と枯木の間、つまり地平線」とは阪神電車の線路が走る土手なのです。
 電力ケーブルを支える架線柱は、たしかに『郊外の風景』では「二本の電信柱」に見え、『枯木のある風景』では「鉄骨の電柱」が描かれています。これは小出楢重の筆の綾かと思ったのですが、阪神電車の架線柱の歴史を調べると、その理由がわかりました。

 もともと、開業当初の阪神電車では、架線柱として丸太棒が使われていましたが、その後設備の強化を図り、昭和6〜8年にかけて木製架線柱を鉄製に置き換えた記録が残っているそうです。(「阪神電車情報局」より)

 高架工事がなされていない西宮・芦屋市境〜神戸・芦屋市境では、昭和6年に建設された架線柱が今でも残っているのです。
 小出楢重が亡くなったのは昭和6年でしたから、ちょうど鉄製に変わった時に、絶筆となる『枯木のある風景』を描いたのです。

現在も残る古い鉄製架線柱は、まさに小出楢重が描いた当時のものなのでしょう。
絵に描かれた阪神電車の土手をくぐり抜けるガードと架線柱の位置関係から、描かれた鉄製架線柱は写真の黄色の矢印の位置のものだとわかりました。



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日本の絵本の海外出版で栗田明子さんがご苦労されたお話

 来年3月10日(土)に日本著作権輸出センター創業者で相談役の栗田明子さんが芦屋市立公民館で「芦屋から海の向こうに‘日本の文化’を届ける」と題してご講演されます。


 その中で、少しだけ絵本の海外出版でご苦労されたお話もされますので、ご紹介。

 渡辺茂夫さんの「くまたくんのたんじょう日」


 レストランの前で家族写真を撮ったシーンは、「レストランに行くのは、行事には当たらないから、動物園の帰り、という話にしたい」とアメリカの編集者から、文章の変更を申し入れられたそうです。著者の渡辺一夫さんは、「熊が檻に入っているのを、熊が観に行くのか!ブラックユーモアにも、ほどがある!」とご立腹。

最終的には、アメリカ人の大好きな「パレードを見に行った帰り」で落ち着いたそうです。

We all went to a parade.

 更に、1キロのお餅を1歳の誕生日に担ぐ習慣は、その絵を見た読者が、動物虐待だと思うかも知れないので、「枕を担いで遊ぶ」ことに変更を希望し、それは受け入れていただいたそうです。

“What‘s that on my back?”
“A pillow -to help you walk.”
says Daddy.

 和田義臣さんの「プータンいまなんじ?」は、時間を学ぶ仕掛け絵本で、野球のシーンがあるのですが、イギリスの編集者は、イギリスでは野球は知られていないので、サッカーに書き換えてほしいとの要望。

これも編集者と作家の理解で協力して貰われたそうです。


来年3月10日の『海の向こうに本を届ける』の著者栗田明子さんのご講演、問い合わせ先 は芦屋市立公民館 TEL 0797-35-0700 です。



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宇野浩二『枯木のある風景』 同じ構図の『郊外の風景』

 宇野浩二の短編『枯木のある風景』は小出楢重の最後の作品『枯木のある風景』を題材にした小説ですが、小出楢重は同じ構図の『郊外の風景』を描いています。
 小説では次のように登場します。
<「そんなら、今、君がいった『郊外の風景』を覚えてるやろ、あの構図を」「ぼんやり覚えてるけど、構図といわれると。ちょっと……」「そら画面の半分が夏の野原で、近景にカンナの花壇があって、左手に叢があって、その向こうに森のはずれが見えて、右手に西洋館の一部がちょっと覗いていて、野原の向こうのちょうど地平になるとこにバラック建ての平屋と、それと同じ高さに見える遠い丘があって、その家の前に電信柱が二本立っていて、下に道があることを現しあって、画面の上三分の一に夏らしい紅味がかった空が見える……」「君は実に覚えのええ男やなア。」>

 小説で小出楢重がモデルとなっている古泉は住吉に住んでいることになっていますが、この画は小出楢重のアトリエがあった芦屋市川西町の南側の風景を描いたものです。

 画に描かれた右手の西洋館は、芦屋市立美術博物館に移設されている小出楢重のアトリエに展示されていたマップには白井邸と書かれています。

「家の前に電信柱が二本立っていて、下に道があることを現しあって」と書かれていますが、これは阪神電車の電線と線路だったのです。

画の右下にガードらしき道が見えていますが、下の写真が現在の様子です。

洋館(白井邸)があった場所にはマンションが建ち、野原だった所には現在、芦屋市立体育館・青少年センター.となっています。


 この体育館が建っているあたりで、昭和4年に撮影した写真がありました。右から二人目が小出楢重です。

次回は本題の『枯木のある風景』に。


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宇野浩二『枯木のある風景』小出楢重のアトリエ跡地を訪ねて

 宇野浩二の『枯木のある風景』は芦屋にアトリエがあった小出楢重の同名の画を表題にした短編小説です。

 小説には島木新吉と友人の古泉圭造という2人の画家が登場しますが、2人のモデルになったのが、宇野浩二と親しかった画家の鍋井克之(島木)と、鍋井の友人だった小出楢重(古泉)でした。

 今日は、小出楢重が「枯木のある風景」を描いた芦屋の川西町のアトリエの跡地がどうなっているか、訪ねてみました。


 小説では古泉のアトリエは、住吉にあることになっていますが、阪神芦屋から西に歩く時見える風景が南仏ニースに似ていると述べられています。
<天気がよかったので、古泉の家のある住吉の一つ手前の芦屋で下りた。それから住吉の古泉の家まで小一里の道を歩いてみた。南はすぐ海で、北には六甲山が起伏し、その麓から海岸までかなりの斜面をなしている。その地勢は島木が嘗て旅行した南フランスのニースあたりに似ているように思われた。小高い丘陵がつづく有り様、別荘の多いところ、自然が人工化されているところ、立派な国道が通じているところなど。>

 実際の小出楢重のアトリエと住宅は阪神芦屋駅を降りて数分のところにありました。

阪神芦屋駅を降りて、公光橋を渡ります。

現在は立派な橋になっていますが、吉永小百合主演の映画『あすの花嫁』では昭和26年に架けられたまだ木造の橋が映っていました。小出楢重が芦屋にアトリエを移したのは昭和元年のことですから、この一代前の橋だったのでしょう。

この坂道を下って少し行ったところにアトリエがありました。

県道御影・鳴尾線の西から東に向かって見た写真です。
右側のマンションの向こうの白い建物あたりにアトリエがありました。

上の写真あたりに住居とアトリエがありましたが、もうその面影はまったく残っていません。

1987年まで上の写真のように残っていました。

その後、アトリエは解体され現在は芦屋市立美術博物館の敷地に移設され、無料で見学できます。こういう芦屋市の文化行政は、西宮市に較べてはるかに優れています。

 帰りは先だって現代の名工に選ばれたビゴさんの「ビゴの店」本店に寄って、フランスパンとケーキを買って帰りました。もうシュトーレンもでていました。


『枯木のある風景』からもう少し当時のこのあたりの風景を探ってみましょう。



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小川洋子さん以前に芦屋に南仏の風景を見ていた作家宇野浩二

 小川洋子さんは初めて芦屋の街並みを見た時の感想を次のように述べています。

<芦屋で家を探そうと、不動産屋さんの車に乗って、北から南に向かい芦屋川沿いに走ったとき「ここは南仏かな」と思うくらいに驚きました。自分が生まれ育った岡山とは、あまりにも風土が違う感触を得ました。松林がありテニスコートがあって、その反対側にはすごく大きなお屋敷が並んでいて、前を見ると海が見え、振り返ると山があり川が流れている。風景がとても洗練されていて、どこか外国にいるような、とても乾燥した新鮮な風景だなと思い、一度で芦屋が好きになりました。>

 ところで小川洋子さんより、ずっと昔、昭和の初めの頃の芦屋の風景を「南フランスのニースあたりに似ている」と述べた作家がいました。

宇野浩二『枯れ木のある風景』は芦屋にアトリエがあった小出楢重の同名の画を表題にした短編ですが、次のように書かれているのです。
<天気がよかったので、古泉の家のある住吉の一つ手前の芦屋で下りた。それから住吉の古泉の家まで小一里の道を歩いてみた。南はすぐ海で、北には六甲山が起伏し、その麓から海岸までかなりの斜面をなしている。その地勢は島木が嘗て旅行した南フランスのニースあたりに似ているように思われた。小高い丘陵がつづく有り様、別荘の多いところ、自然が人工化されているところ、立派な国道が通じているところなど。>
 ここで、古泉圭造は小出楢重がモデル、島木新吉は、フランス留学の経験もあり宇野と親しかった画家の鍋井克之がモデルと言われています。

宇野浩二は鍋井克彦から聞いた芦屋の風景がニースあたりに似ているという印象を小説に書いたのではないでしょうか。

上の写真は阪神芦屋駅から見た芦屋川と六甲山。
下の写真は、11月に撮った芦屋マリーナと六甲アイランド、ポートアイランド。

写真の左下に見えているのは完成間近の完全会員制リゾートホテル芦屋ベイコート倶楽部です。

もう完成したような写真もあり、会員募集が始まっているようです。
さすがニースに似ていると言われた街です。



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クロード・チアリ氏も同じことをお感じになったそうですね。

[ せいさん ] 2017/11/22 22:14:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

ほんとですか。初めて聞きました。ありがとうございます。

[ seitaro ] 2017/11/22 22:19:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

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今月の読書会は安野光雅さんお気に入りの『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』

 今月の読書会の課題図書は『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』。


いつものように芦屋マリーナを見下ろす部屋で、当日も快晴で甲山もよく見えます。


 パブロ・カザルスは20世紀最大のチェリストとして有名ですが、今話題のスペインのカタルーニャ生まれ、終生フランコ独裁政権への抗議と反ファシズムの立場を貫いた平和活動においても大きな社会貢献をした人物。

 私たちが購入したのは朝日選書版でしたが、日本著作権輸出センター創業者の栗田明子さんが持たれていたのは、1973年の初版の新潮社版。

 朝日選書の帯には次の安野光雅さんの推薦文が大きく載せられています。
<「なんと美しい言葉がそこに書きつけてあることだろうか。……カザルスが今世紀最大の音楽家だといわれる理由は、この本によってわかるはずである」安野光雅>
 
 安野光雅は著書『世界・わが心の旅 カタロニア カザルスの海へ』の冒頭でもこの本との出会いを述べています。

<わたしはパブロ・カザルスの弾く「無伴奏チェロ組曲」によってJ.S.バッハを知ったと言っていい。それまで、「ベートーベンだけが音楽だ」などと、勝手に考えていたことが恥ずかしくなる。
 その後、一冊の本に出会った。『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』という本で、いまは朝日選書に入っている。>

 この本を安野光雅さんに紹介したのは栗田明子さんでした。

 お話を伺うと、1971年の国連コンサートでカザルスが「カタロニアの鳥はピース、ピースといって鳴くのです」と語り、「鳥の歌」を演奏した場面をTVで偶然見ていた栗田さんが、そのあと『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』を読み、深く感動し、それを安野光雅さんに紹介されたそうです。

 その後、安野光雅さんは、当時ケルンに事務所を開かれていた栗田さんと、自動車でカザルスゆかりの地を巡られたそうです。


 すっかりカザルスファンになった安野光雅さんが、新潮社から出版されていたこの本を朝日選書に入れるべきだと強く主張し、1991年に朝日新聞社から出版されたのです。

こんなお話を聞くことができた楽しい読書会でした。


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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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