阪急沿線文学散歩

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『異人館の少女』五堂英雄氏の最後は市立芦屋病院

 藁科れい『異人館の少女』では中学生時代の主人公・橋本京子と田所リサ、そして六ノ荘館の五堂英雄との奇妙な関係が回想されます。

<“三人”は、ほんとうに友達だった。時の枠を超えて、社会の枠をこえて、かろうじて触れた −ふれあおうとした。しかし所詮、わたしたちは目に見えぬ何かによって、隔てられていた……。>

 そのような幻想のような中学時代の関係が語られるのですが、最後に現実の世界に引き戻されます。それはサラリーマン向け週刊誌に掲載された五堂英雄の死亡記事。タイトルは「画廊主から実業家に転じて二十余年 五堂英雄氏のゴーモク人生」で、彼の素性と最後が掲載されています。

<私が死をしったのは、東芦屋町の家にかかってきた別れの電話の数か月後のことだった。入試を目前に控えていた私は、何もしなかった。六ノ山館の葬儀にも行かなかった。ただ週刊誌の記事を黒布にくるみ、箱に入れて、机の奥にしまいこんだのだ……。>

 その週刊誌の記事によると、五堂氏は
明治四十四年十月生まれ。東京出身。一高をへて、東京帝国大学文学部卒業。美学専攻。
昭和二年に五堂産業創設。私邸は六ノ山館。

六ノ山荘町(六麓荘町がモデル)の宏大な屋敷に住んでいました。

<数年来の“疑獄”事件に加え、音楽ホール建設にまつわる代議士の汚職問題が表面化した昨年十月、氏は“休養のため”市立芦屋病院に入院。持病の“心臓”をたてにマスコミをシャットアウト、再起に備えていた。>
ここで「市立芦屋病院」という実在する病院名がでてきました。

公立病院でありながら、このような人物の籠城先として小説に登場するのは、やはり芦屋ブランドのせいでしょうか。
<疑獄の渦中、かねて別居中だった正代夫人(54)と正式離婚。浪人中の長男(19)を東京に、次男(17)を元夫人のすむ芦屋市内のマンションに、雇人を解雇し宏大な私邸を”閉鎖“、まったくの単身にもどって、なじみの芦屋病院に”籠城“−>

その後、旧友の逮捕も続き、大きなショックを受けます。
<さすがの五堂氏もショックを受けたらしく、一カ月後には“心不全”で、早々と世を去ることになった>

 震災後に芦屋に戻ってきた橋本京子は、数十年前の週刊誌のページを閉じ、きちんと折りたたみ、再び黒布でくるみます。そして涙をポロポロこぼしながら、芦屋川沿いを歩いて行ったのです。





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藁科れい『異人館の少女』エピローグは「芦屋川べりで」

『異人館の少女』の最終章は、「芦屋川べりで」。震災の翌年に芦屋に戻ってきた橋本京子の追想が語られます。
<いま、しずかにふりかえってみると、私の少女期 −感性の時代は、二人の親友とのわかれと共に終わったのだといえる。>

六麓荘町(六ノ山荘町)に戻った京子はバス停にいた男の子とこんな会話をします。
<「じゃぼく、はしって帰って、百円玉、ママにもらってくる」標準語に、ゆるやかな関西の音。芦屋のある地域の人々特有のことば。ママはきっと、私より年下のひとなのだろう。>
 この特有の話し言葉については、阪田寛夫さん、田中康夫さんはじめ多くの方が同様の印象を述べられています。

 手をふって男の子と別れた京子は、バス(小説では市バスとなっていましたが、阪急バスでしょう)にのって阪急芦屋川駅に帰ってきます。

そして母が独り住んでいる岩園町の小さなマンションに向かいます。
<「外国なんか、とんでもない!今さら知らない土地で苦労したくないんよ」と、芦屋を離れたがらなかった母だが、ここ数年来のリューマチ痛に、すっかり参っていた。いずれこの町を引き払って、ウィーンの私の住居に一緒にすむことになるだろう。今回の帰省は、その打合せもかねていた。京都で林学を学び、ウィーン工科大学に留学した私は、現在は当地の林産試験場で技師として働いていた。>
 この部分が、私にどうしても主人公・橋本京子と著者の藁科れいさんを重ねさせます。
藁科れさんは京都大学農学部卒業後、昭和53年に渡墺。ひょっとして、小説にあるように留学されたのでしょうか。
その後、20年間ウィーンに住まれています。そうすると日本に帰ってきたのは1998年、震災の3年後です。
 帰国前に故郷の芦屋に戻られれ、取材されて小説を書きあげられたのかもしれません。

 彼女の風貌も、小説の中ではこんな風に描かれています。
<象さん。これが高校時代のあだなで、今はウィーンで近所の子供たちに、“フラウ・ギガンティン(巨人おばさん)”と私は呼ばれている。大柄で、どっしりした体躯で、仕事以外のことでも頼ってくれる人が多く、現在は、市の東欧避難民援助にも参加している、きびきびした日本女性 −それが私だ。>
でも藁科れいさん本人は全く逆の風貌なのかもしれません。

 最後の場面は月若橋です。

月若橋は阪急芦屋川駅バス停のすぐ近く。
<月若橋までくると、バッグを足許に置き、橋の欄干にもたれかかった。夏のひざしが、淡く翳りはじめた。らんかんの石のくぼみに、ちいさな溜まりができている。昨夜、雨がふったらしい。ひじをついたまま、私は、水かさのました芦屋川の流れをながめた。
 ふたたび薄日がさし、ひざしが眩しくなり、やわらかな風がふき、川ぞいの樹木の匂いをはこび……。>

芦屋の風景を懐かしむ主人公が情感豊かに描かれた小説でした。


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『異人館の少女』に描かれた橋本京子の県立芦屋高校時代

 藁科れい『異人館の少女』は震災の翌年に戻ってきた主人公橋本京子が、昭和30年代に芦屋の六麓荘町(小説では六ノ山荘町)で過ごした日々の回想が綴られます。
 山手中学三年生の時に、京子と級友田所リサ、六ノ山館の主人・五堂英雄の奇妙な関係の解消と別れがおとずれます。 六ノ山館のハウスキーパーを務めていた京子の母は、勤め先を変え、東芦屋町のさる貿易商の邸の離れに住み込みで働き、京子も一緒に移ります。そこで受験勉強に励んで西芦屋高校に入学します。

東芦屋町には芦屋神社もあり、昔は多くの洋館がありました。

かつて東芦屋にあった竹内才次郎邸(現存せず)

こんな東芦屋町のマンション広告もありました。

現在の東芦屋町。

 京子が入学した西芦屋高校とは、どうも宮川町の県立芦屋高校のようです。

<西芦屋高校はいわゆる受験校だったが、のびやかな気風が漂っていた。中学時代よりも、私はしあわせだった。幸せ。この言葉は私のばあい、薄い絵の具をとかした水のように淡々と穏やかな、さらりとしたものであった。私は生物研究会に所属し、“ぞうさん”というニックネームをもらい、みんなに信頼されて書記を律義につとめた。“やせギスのめがね”の少女はもう、いなかった。背が伸び、幅もできて、大柄なずっしりした感じに変わっていた。>

 京子の思春期は高校入学で終わったのでしょうか。この描写は、著者の藁科れいさんご本人の実体験を元に書かれているとしか思えません。
<二年も半ばになると、進路のことを考えねばならなかった。私の成績はまあまあだった。四五〇名中、八〇番くらい。中学時代のようなわけにはいかなかたった。母と私は進路指導の先生によばれ、どの大学をめざすかで相談を重ねた。「神戸大学農学部は、どや?」担当の老先生は、好意的だった。母子家庭でることも考えにいれて、畿内の大学をあれこれ調べてくれた。>

 当時の県立芦屋高校での成績を考えると、進路指導の先生の推薦は妥当です。でも京子はひそかに、芦屋を遠く離れたいと思っていました。

 高三の晩秋、入院している五堂英雄から電話がかかってきます。
<氏はしばらく黙っていたが、やがてふと調子を変えて、「来年はどこを受けるのかね。神戸?京都?それとも……」「あの、たぶん北海道……」地名がそのまま大学名をさすことは、二人のあいだでは了解できた。「そうか……」暗闇の中で、氏がほほえんでいるらしんおがわかった。「しっかり勉強するんだぞ。がんばれよ」>
 京子は母には内緒で、ひそかに北海道を狙っていたようです。この気持ち、私の高校時代と似ていて、よく理解できます。
 ところで著者が実際に入学したのは京都大学農学部でした。よっぽど頑張ったのでしょう。




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芦屋神社ですが、わたしが敬愛した詩人、杉山平一先生に深いゆかりがあります。https://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/d7474780bbf992237153972cd9c8174a

[ imamura ] 2018/11/04 23:03:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

ブログ読ませていただきました。そのような縁があったとは。
ありがとうございました。

[ seitaro ] 2018/11/05 11:08:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『異人館の少女』舞台は芦屋市立山手中学校

 芦屋市出身と思われる藁科れいさんの小説『異人館の少女』、ウィーン工科大学に留学し、そこで技師として働いていた主人公橋本京子が、帰国し芦屋の六ノ山荘町(六麓荘町)にたたずむ場面から始まります。

 
主人公が過ごした中学校は芦屋市立山手中学校のようで、三章の「学校生活」では不安定な思春期の少女の心が見事に描かれています。
<わたしの学校生活 −それは、理由もわからない苛だたしさにあふれていた。小学校を終え、こどもらしさという救いが脱げ落ちてしまうと、苦しみは深まった。やがて、あらゆることが脆い神経に触れ、一切が苦痛に感じられる時期がやってきた。芦屋市内の公立中学校 −風光明媚な、山と海を望める土地のあかるい校風のなかで、一人がんじがらめにされて動けない、虫けらのような感情を私は味わった。>

 六麓荘町に暮らす主人公が通った芦屋の風光明媚な中学校となると、芦屋市立山手中学校に違いありません。

山手からは海まで見はらせます。
 因みに山手中学は小川洋子さんの『ミーナの行進』で岡山から出てきた朋子が通った中学校でもあります。

 京子の中学時代の劣等感に苛まれる様子が次のように述べられています。
<歳月はのろのろと流れた。六ノ山荘と学校を往復するだけの日々を重ね、私は十五歳になった。三つ編みの髪、めがね、さえない膚の色、ふつりあいに大きな頭(わたしの頭は、ぐらぐらゆれるほど重く、左に、みょうにひずんでいた)、このあたまをささえる、爪の蔓のように細いくび。>
 歳をとると、光陰矢のごとしですが、まだ子供のころは書かれているように歳月はのろのろ過ぎて行くように感じていました。

 主人公は級友とつきあうのが苦手で、いつも一人。ところがある事件をきっかけに、転校生で、皆から“キヘン”と嫌われている田所リサとの交流が始まります。
 そして更に物語が非現実的で複雑なものになってくるのは、田所リサが六ノ山荘の主人、五堂英雄と芦屋病院で出会い、親密な交際を続けていたことです。

 芦屋病院とは朝日ケ丘にある市立芦屋病院のことでしょう。また田所リサが住んでいたのは清水町で、馴染みのある場所が小説にしばしば登場します。
 
 主人公京子が、遠くから眺めるだけで話したこともない、灘中に通う五堂家の次男英一郎に、意を決して公衆電話から電話する場面も、思春期の少女の心がうまく描かれています。

今はみんな携帯電話を持っており、公衆電話というのも昭和の懐かしい話です。

 社交的なところが感じられない主人公ですが、勉強は得意です。
<六月末の県下一斉テストで、わたしは総合首位をしめた。主任の先生は、わたしを大げさに褒めちぎった。「ようやった、ようやった橋本。これでおまえも、芦中の校史にのこるわけや……」おごそかな口調がおもはゆい。私はうつむき、ゆっくり顔をあげ、てれ笑いで賛辞に答えた。>

小説に描かれた主人公の姿は、著者の藁科れいさんの中学時代の思春期の思い出をそのまま書かれているのではないかと、どうしても思ってしまいます。



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芦屋の六麓荘を舞台にした小説を見つけました

 芦屋の高級住宅街として日本中に名を轟かせている六麓荘ですが、何故か小説に登場するのは稀です。


拓未司の推理小説『蜜蜂のデザート』に登場するくらいだと思っていたのですが、新たに1999年に発刊された藁科れいさんの『異人館の少女』という小説を見つけました。

本の帯に、「帰らぬ懐かしい時代 ・・・・昭和の半ば。兵庫県芦屋市の異人館。五十代の実業家と、十四歳の少女の”愛“。それは時間も空間も超えていた。」と書かれているとおり、何とも奇妙な物語でした。


 作者の藁科れいさんはPHP研究所人名辞典によると、
<1952年9月10日、兵庫県生まれ。京都大学農学部林産工学科卒業。1978年から約20年、オーストリア・ウィーン市に在住。ウィーンについてのエッセイや翻訳を中心に執筆活動を行う。2000年にエッセイ「ウィーンのバレエの物語」で報知ドキュメント大賞を受賞。
著書に『永遠と一日』(幻冬舎)『異人館の少女』(文芸社)がある。>
 私とあまりかわらない年齢ですが、ネットで調べても残念ながらご本人の写真は見つかりません。兵庫県生まれというのは、きっと芦屋市生まれ、少なくとも小、中学時代は芦屋で過ごしたにちがいありません。著作は少ないですが、彼女の特殊な経歴にも興味があり、『永遠と一日』は是非読んでみたい小説です。

 『異人館の少女』の冒頭は次のように始まります。
<六ノ山荘町はしずかだった。芦屋川べりでそこかしこに見られた前年の地震の爪痕も、深山のこの地んまでは及んでいないようにみえた。あじさい。六甲山脈に群生する。このユキノシタ科植物の花びらは、べにいろを幽かにふくんで、ずしりと青い。花球はいくえもの房をつくって、たっぷりと咲いていた。>
 小説では「六ノ山荘町」となっていますが、六麓荘町をモデルにしていることは間違いありません。
 少女時代を六麓荘で過ごした主人公・橋本京子が、震災の翌年、1996年に六麓荘町に戻ってきた場面から始まります。
 藁科れいさんは京大卒業後、1978年から約20年、オーストリア・ウィーン市に在住とありますから、震災後芦屋に戻ってきて、六麓荘町あたりを取材されたのでしょう。

<山道の交差する三叉路 −バス停のそばに、私は立ちつくしていた。昭和三十年代のころそのままの、古式蒼然とした型のバス。大儀そうにバスが走り、遠ざかるのを見送ってから、私は丘の上へと登りはじめた。>
 このバス停、三叉路になった六麓荘入り口にある阪急日の出橋バス停でしょう。今も赤いポストが目立ちます。

古色蒼然とした型のバスとは、ボンネットバスのことでしょう。創作だとは思うのですが、ひょっとすると当時まだ残っていたのでしょうか。

 舞台となるのは、<明治の末ごろ、独人技師が築いたという石の家、かつて個人の所有で、六ノ山館とよばれていた屋敷だ。>で、この敷地内にあり、今は廃屋となっている細長いコンクリートハウスに主人公京子とハウスキーパーをしていた母親フミは住んでいたのです。
 ところで六麓荘町が開発されたのは、1928年(昭和3年)から、この洋館は創作です。もう少し読み進めましょう。


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IBBY世界大会皇后さま基調講演秘話(末盛千枝子『私を受け容れて生きる』

 今月の芦屋での読書会の課題図書は、末盛千枝子さんの自伝エッセイ『「私」を受け容れて生きる』でした。

カバーは安野光雅氏、挿絵は実父で彫刻家の船越保武氏の作品です。

 皇后さまの『橋をかける』を手掛けた名編集者、末森千枝子さんは慶應義塾大学卒業後、絵本の出版社である至光社で働かれ、この頃皇后美智子様と出会われたそうです。

G.C.PRESSで最初に出版した本のうちの一冊『あさ One morning』が1986年にボローニャ国際児童図書展グランプリを受賞。2002年から2006年まで、国際児童図書評議会(IBBY)の国際理事を務め、2014年には名誉会員にも選ばれています。

『「私」を受け容れて生きる』の「IBBYと私」と題した章では、1998年のIBBY(国際児童図書評議会)ニューデリー世界大会での皇后さまに基調講演を頼まれた時の様子が述べられていました。
 私がこの基調講演について知ったのは、須賀敦子さんが『遠い朝の本たち』で紹介されていた「日本少国民文庫 世界名作選」からでした。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10790849c.html

 山本有三編『世界名作文庫』は皇后さまの基調講演がきっかけとなって復刻版が出版されることになったのです。
ニューデリー世界大会には、皇后さまは公務の都合で出席されず、結局ビデオでなされたのですが、その理由にも触れられていました。
<一九九八年のIBBYニューデリー世界大会にて皇后さまに基調講演をお願いしたいというインド支部の四年にわたる熱心な申し出に、どうにか皇后さまのまわりの情況も応えられそうになった矢先、インドで核実験をするということがあった。私は新聞の一面に特大の活字でそのニュースが報道された朝のことが忘れられない。ああ、これで、皇后さまのインド行きはなくなってしまったと、とっさに思った。そして、案の定、皇后さまに行っていただくわけにはいかないという政府の決定がなされた。>
でもこのお陰で、基調講演がビデオによる講演で会場で放映されることになり、現在でも原文を宮内庁ホームページで読むことができますし、
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html
ご講演ビデオも、YOUTUBEで見ることができ、皇后さまの素晴らしいQueen’s Englishを聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=rUAJinl6Di8&list=PL9RJMmiHpfQSt6vX6qRzCZ7Ya7tZTOOhF

また『橋をかける』には皇后さまの子供時代の読書の思い出として、基調講演も収められれています。(装丁は安野光雅氏)

 さらにご講演で引用された新見南吉の『でんでんむしのかなしみ』について、収録を担当するディレクターから、皇后さまがお小さいときはまだ出版されていなかったとの連絡を受け、頭の中が真っ白になるようだったと述べられ、それを皇后さまに伝えた結果、皇后さまはすぐに陛下にご相談されます。
<陛下は、「その本が出版された時期と、実際に新見南吉が書いた時期とは違うかもしれないから、まずそれを調べてはどうか」と沈着にアドバイスされたとのことだ。そして、新見南吉が書いた時期は、皇后さまがそのお話を聞かれた時期と齟齬がないということが確認された。ほっとして、同時になんと良いご夫婦なのだとうかと思った。>
このようなエピソードまであたっととは、初めて知りましたが、本当になんて良い夫婦なんでしょう。




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今月の芦屋での読書会、課題図書は向田邦子『思い出トランプ』

 今月の課題図書は向田邦子『思い出トランプ』でした。

天気は曇っていましたが、会場のベランダから甲山と夙川河口が見えます。

夙川河口から少し東側に目を移すと、西宮砲台が見ていますが、台風21号の高潮で、御前浜の全域が一端水没し、西宮砲台も被害を受けたとのこと。遠目にはわかりませんが、大丈夫でしょうか。

 読書会に戻りましょう。
向田邦子さんは、私の好きな作家のひとり。

東京にいたとき、向田さんが生前住まれていたという青山のマンションを訪ねたことがあります。

その横にある大松稲荷神社は、『父の詫び状』の「隣の神様」という章で登場するのです。
<私の住いは青山のマンションだが、すぐ隣はお稲荷さんの社である。大松稲荷と名前は大きいが、小ぢんまりしたおやしろで、鳥居の横にあまり栄養のよくない中位の松がある。七年前、マンションに入居した最初の晩に、お隣さんでもあることだし、ご挨拶をして置こうと、通りかかったついでに鳥居をくぐったのだが、……>
この章の最後は、
<私は、何となく素直な気持ちになり、十円玉をひとつほうって、頭を下げた。隣の神様を拝むのに、七年かかってしまった。>と結ばれています。

課題図書の『思い出トランプ』はトランプの13枚のカードを意識して集められた13の短編。トランプに関する言葉が登場する章は最後の「ダウト」だけですが、どの作品も温かいハートのイメージはそぐわず、スペード、本性を隠したダイヤモンド、そしてジョーカーに思えて来ます。

 初出は小説新潮昭和55年となっているので、昭和30年代後半の戦後高度成長期を迎える頃の向田邦子の思い出から着想した作品ではないでしょうか。登場人物は自分の父であり、母であり、弟、妹、付き合ってきた男性達、そして自分自身の経験と人生観をベースに描かれているように思われます。
今回久しぶりに向田邦子さんの短編を読んで、昭和のノスタルジーを強く感じる作品になっていました。

 妹の向田和子さんが著わした『向田邦子の恋文』も読んでみました。

第一部は死後20年近く経って開けられた邦子とN氏の手紙、日記。第二部は「姉の秘め事」と題した、妹和子さんが語る思い出。
<父敏夫はそもそも娘を大学へ進ませる気などなかった。「受験だけでもさせてほしい」と姉が食い下がり、その勢いのあまりの凄まじさに母も父に頼み込んだという。>
「父のよそ見」という章では、
<母は家庭の危機に直面しても、実家や自分の兄弟に悩みを打ち明けたり、相談を持ちかけたりすることはなかった。長女の邦子だけを唯一頼りにし、邦子だけが母のよき理解者だった。そして邦子が黒子として家族を支え、家庭の危機を救った。>
 向田邦子さんは昭和4年生まれ、須賀敦子さんも同じ年の生まれで、須賀さんも同じだったろうなと考えていました。

<姉が父にむかって口答えしたり、反抗的な態度を見せた記憶が私にはない。どんなに理不尽なことでも父に従い、家長として父をたてた。ただそこには、ここで事件を起こせば、その余波は母に及ぶとの配慮もあったようだ。姉はどんなに帰りが遅く、徹夜明けであろうと、病気の時以外は朝の食卓についた。父が勤めに出るのを母と二人で見送った。それは娘として当然やるべきことと考えていたらしく、昭和三十九年十月に家を出るまで、その日課はつづいた。>
今の時代、とても考えられない昭和の女性です。

 人間の心の機微を見事に描いた13の短編を読ませていただき、女性の芯の強さを感じ、少し怖ろしくさえなりました。
 早逝された向田邦子さん、もし生きておられればと、改めて惜しまれます。


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小出楢重が綴った昭和の初めの芦屋風景

 小出楢重は昭和初年から阪神芦屋駅のすぐ近くの川西町にアトリエを構えていました。


 小出楢重は『芦屋風景』で次のように述べています。
<芦屋という処に住んで二年になる。先ず気候は私たちの如くほそぼそと生きているものにとっては先ず結構で申し分はない。そして非常に明るい事が私たち淋しがり屋のために適しているようだ。>
芦屋に住んで、大変気に入られていた様子です。

上の写真は阪神芦屋駅ホームから見た風景。

<南はすぐ海であり、北には六甲山が起伏し、その麓から海岸まではかなりの斜面をなしている。東には大阪が見え、西には神戸の港がある。電車で大阪へ四十分、神戸に二十分の距離である。>

芦屋市民センターより海を望む。

芦屋市民センターから見る六甲山系。

<その気候や地勢の趣が南仏ニースの市を中心として、西はカーニュ、アンチーブ、キャンヌ東はモンテカルロといった風な趣きにもよく似通っているように思えてならない。>


南仏ニースの海岸とまではいきませんが、芦屋ヨットハーバーの景色。


こちらは西宮新ヨットハーバー、大阪湾を望みます。


<殊に山手へ散歩して海を眺めるとその感が深い。小高い丘陵が続く具合、別荘の多い処、自然が人間の手によってかなり整頓されている処、素晴らしいドライブウェイがあり、西洋人夫婦が仲良く走る有様なども似ている。私は散歩するたびに南仏を思い出すのである。>

現在の景色は当時とかなり変わっていますが、そういえば小川洋子さんも、同じように
<芦屋で家を探そうと、不動産屋さんの車に乗って、北から南に向かい芦屋川沿いに走ったとき「ここは南仏かな」と思うくらいに驚きました。>
と述べられています。

 しかし、小磯楢重は当時の住宅について、次のように苦言を呈しています。
<それから風景としての重大な要素である処の建築が文化住宅博覧会であるのだ。或る一軒の家は美しくとも、その両隣りがめちゃなのだ。すると、悉くめちゃと見えてしまう。その家があるために風景がよく見えるという位の家が殆どない。これは何も芦屋に限らない、現代日本の近郊の大部分は同じ事であるが。それにつけても羨ましいのはモンテカルロ辺りの古風な石造りの家や別荘の積み重なりの美しき立体感である。マッチの捨て場所のない清潔な道路である。>
これは今でも変わりません。
どうしてヨーロッパの町並みはあんなに美しいのでしょう。



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 ヨーロッパは厳格に規制しているからではないでしょうか☆彡

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/09/12 9:17:47 [ 削除 ] [ 通報 ]

きっとそうなのでしょうね。どこも日本より、精神的に豊かな国に思えてしまいます。

[ seitaro ] 2018/09/12 15:11:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「藤本義一の書斎」を訪ねる(藤本義一はゴッホの大ファン)

 芦屋奥池に、小説家、テレビの司会者、放送作家作家など多彩な活躍をされた藤本義一氏のギャラリー「藤本義一の書斎」を訪ねました。


二女の藤本芽子さんと、ギャラリーを管理する画家の方がおられ、お話を伺うことができました。

義一さんの机です。

 若かりし頃は「東の井上ひさし、西の藤本義一」と呼ばれるほどの賞を競い合った仲ですが、井上ひさしさんからの葉書もありました。

 こちらは田辺聖子さんからのお手紙。

ペイネのイラストの便箋と封筒、田辺さんの字も可愛い。

こちらは義一さんの日記。

執筆した著書も多く、書棚を埋め尽くしていました。

昭和41年に発刊された「全調査京阪神周辺 酒、女、女の店」
目次だけ見ていても、時代が反映されていて面白いのですが、義一さんは全店踏破されたのでしょうか。

 ここで初めて知ったのは、義一さんがゴッホの大ファンであったこと。

今は残念ながら残っていませんが、ギャラリーの前に、このようなゴッホの「黄色いアルルの家」を模して別邸を建てられたとのこと。壁の色も黄色く塗られていたそうです。


 ゴッホの細長いベッドも再現して作られ、義一さんのお気に入りだったとのこと。


 義一さんの生前のDVDもたくさん見せていただきました。
ギャラリーは土曜と日曜に開廊されており、入場料は無料です。
http://giichigallery.net/information.html




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芦屋ですね 上ヶ原の自宅は学生時代前をよく通り 10テレビの迎えの車が良く来ていました。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/08/18 9:45:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

今でもご自宅は甲東園とのことです。先月「藤本義一の思い出」というイベントに藤本統紀子さんが出演されていましたが、お元気そうでした。

[ seitaro ] 2018/08/18 9:57:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』ヘールシャムは実在の町だった

今日の読書会会場は芦屋でした。ベランダからの写真。

左隅が回生病院。その隣が夙川河口。右端に西宮砲台が小さく見えています。

 課題図書の『わたしを離さないで』は、「小説には事実だけでは伝えられない重要な真実が含まれている」と述べ、生きることの真実を描こうとしたカズオ・イシグロの作品。

 物語はヘールシャムで学んだキャシー・Hの回想から始まりますが、「リアルで現実的な世界を書くことにはあまり興味がなかった」と言うイシグロが描く幻想的で奇妙に歪んだ世界は小川洋子の世界にも似たところがあります。

 イシグロは小説の構想が固まるとロケハンをするそうで、『わたしを離さないで』に登場するイギリスの町々の情景も非常に精緻に描かれています。

 しかし、主人公のキャシーらが少女時代を過ごした寄宿学校ヘールシャムは架空の町に存在するのだろうと思っていましたが、インターネットで調べると実在の町であることがわかりました。

地図のPointAがヘールシャムの位置です。 
https://cfneverletmego.wordpress.com/cultural-artifacts/map-of-england/

 Although the Hailsham boarding school is fictional, there is an actual town called Hailsham (point A) that exists in East Sussex, which is a county in the southeast of England.
ヘールシャム寄宿学校はフィクションだがヘールシャム(PointA)という町がイングランド南東部、イースト・サセクス州に実在する。

 ちょっとイギリスまで文学散歩とはいきませんが、Google EarthのStreet Viewで散策してみました。

小説に描かれたとおりの丘のある田舎町。


きっとイシグロはここのロケをして、寄宿学校の場所に設定したのでしょう。

 因みに映画のロケ地の紹介もありました。


Film locations for Never Let Me Go (2010)
http://www.movie-locations.com/movies/n/Never-Let-Me-Go.php
こちらのヘールシャムはロンドンのハムハウスで撮影されたそうです。

‘Hailsham House’ school: Ham House, Richmond
Ham House, Ham Street, Richmond-upon-Thames, southwest London (which previously stood in for ‘Kensington Palace’ in The Young Victoria).

こんな時、撮影場所を散策するのはGoogle Earthが便利です。



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芦屋 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

 実在した地名だったんですね グーグル凄いです☆彡是非 平和利用して欲しいです。 子供の頃に移住した結果 日本語が全く分からないと言うのも少し寂しいような気がします。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/06/17 21:40:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

架空の町と思っていたのですが、実在していました。簡単にその街を散策できるなんて、グーグルには感謝しています。

[ seitaro ] 2018/06/17 23:45:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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