阪急沿線文学散歩

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3月末再び札幌農学校と新渡戸稲造を訪ねる

先日札幌を訪れる機会があり、夏に見学した札幌農学校第2農場はどうなっているのだろうと訪ねました。


緑と赤い屋根と青い空が美しかった牧牛舎とモデルバーン、夏の牧草の緑は全て雪で覆われていました。

 


れんが造りの製乳所です。


ポプラ並木も葉を落とし、その手前にある新渡戸稲造像です。

 

 


夏にお会いした時より、気のせいか少しお年を召されたような。

 


最後に古河記念講堂と雪の中の北海道大学農学部を見て、クラーク像に別れを告げ、帰らせていただきました。

 

JR北海道車内誌3月号で新渡戸稲造の紹介がされています。

3月末再び札幌農学校訪れました。

東京は既に桜満開。

札幌もかなり暖かくなりはじめましたが、雪はまだ積もっていました。

 


 



モデルバーン

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こんばんは また、北海道にいらしたのですね。いいですね。
私は小学生のときに祖父母に連れて行って貰った以来、?ぶりの昨夏でございました。
美しい雪景色です。冬にも是非訪れてみたいと思いました。

[ ロックウェル ] 2013/02/03 23:25:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

こんばんは、雪の北海道初めてだったのですが、夏に多くの方が絵を描かれていた第2農場の景色がどうなっているのか楽しみで、構内の雪道を滑りそうにながら見て参りました。観光客はませんでしたが、ご覧のように印象にのこる景色でした。

[ seitaro ] 2013/02/03 23:40:06 [ 削除 ] [ 通報 ]

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北大総合博物館と新渡戸稲造

 北大を歩くと緑と歴史の宝庫のように思えてきます。



正門を入り、左手にサクシュコトニ川を見て、古河講堂を右に曲がり、メインストリートをまっすぐ進むと、左手に古めかしいレンガ造りの旧理学部の建物があり、これが現在の総合博物館です。



 まず入るとすぐに、北大の歴史展示があります。125年にわたる北大の歴史が詳細に展示され、農学校時代の教育や、新渡戸稲造をはじめとする著名な卒業生の功績も振り返ることができます。ノーベル賞受賞の鈴木章名誉教授の部屋もありました。
 さらに1階と2階には、2000年の有珠山噴火や最新の遺伝子治療、情報技術、海洋に宇宙、サハリンやシベリアといった北方圏の研究から考古学に至るまで、様々な展示があります。3階では化石や鉱物、昆虫・植物の標本、恐竜をはじめとする動物の骨格標本などの資料展示が中心となっています。



 最後に玄関に戻る時通るのがアインシュタイン・ドームの三階まで吹き抜けになった階段です。理学部教授堀健男がポツダムにある「アインシュタイン塔」を訪問した時、北大理学部のドームは、「アインシュタイン塔」の吹き抜けやドーム状天井によく似ていたので、帰ってからアインシュタイン・ドームと呼んだそうです。大学の総合博物館としては東大の総合博物館よりはるかに広く、親しみやすい展示でした。
私がこれらの展示のなかで深く感銘したのは、札幌農学校の二期生であり、英文のBushido: The Soul of Japanを著し、世界に日本の精神文化を紹介した新渡戸稲造の功績の一つ、「遠友夜学校」に関する資料でした。



「遠友夜学校」とは、明治24年に母校札幌農学校の教授として札幌に戻った新渡戸稲造が、その2年後に私費で創設した夜学校です。
留学中に結婚し、札幌の官舎に共に住む妻のメリー夫人に届いた1000ドルの遺産で、稲造の夢であった、学校に行こうとしても行けなかった子どもたちのための夜学校を実現したのです。
校名の由来は論語の「友あり、遠方より来たる。また楽しからずや」で、遠い国から届いた遺産を役立てたことの喜びが表現されています。
 新渡戸はクラークの強い影響を受け、リンカーンの"With malice toward none, With charity for all."「何ぴとに対しても邪な心を抱くことなく、すべての者に慈愛の心を持て」を座右の銘としておりました。



また、この学校で新渡戸が掲げた教育理念は、「学問より実行」、「知識より見識」、「人材より人物」でした。
 授業料は勿論無料、学用品も無料提供、講師は稲造自身や稲造の友人、札幌農学校の教え子の学生たちの奉仕でした。彼が特に意を用いたのは、貧しい家庭の、学校に行かせてもらえない恵まれない女子への教育で、遠友夜学校は男女共学でした。
 「願わくはわれ太平洋の橋とならん」と言われた新渡戸のように、奉仕の精神と広い心を持った、世界でも通用する人物は現代の日本にいないのでしょうか。私が知らないだけならいいのですが。



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北大キャンパス散策

 厳しい残暑が続きますが、ここで少し文学散歩を休憩し、北大キャンパスの散策をさせていただきます。北大のキャンパスに入るのは数十年ぶりでしたが、依然変らぬ緑に溢れたキャンパスに、新たに総合博物館ができていました。キャンパス内には歴史的建造物も多く残され、美しい風景を保っています。



北海道大学の歴史は明治9年の北海道開拓に必要な人物養成のための札幌農学校開校に始まります。その時、マサチューセッツ農科大学長ウイリアム・クラークが札幌農学校教頭として派遣されてきました。クラークはわずか八ヶ月しか在任しませんでしたが、残したものは大きく、’Boys,be ambitious!’はあまりにも有名です。しかし今の青少年が大志と聞いても何のことか理解できないのではないでしょうか。
 着任の時、第一期生16名に述べた言葉も’Be gentleman!’であり、「ジェントルマンというものは、規則に縛られて守るものではなく、自分の良心に従ってそれを行うものである。だからこの学校にはやかましい規則を作る必要はない。」と述べたそうで、学生だけでなく社会人としてもそうありたいし、日本の社会もそうあってもらいたいという素晴らしい言葉を残しています。



 明治40年札幌農学校が東北帝国大学農科大学に改組されますが、それに伴い明治42年に古川家寄贈により旧東北帝国大学農科大学林学教室として建てられた、古川講堂です。



さらに進むと明治34年竣工の旧札幌農学校昆虫及養蚕学教室があります。これは札幌農学校(現:北海道大学)の校舎として現存する最古の建物です。



 その先にあるのが明治35年竣工の旧札幌農学校図書館読書室と書庫です。昭和40年まで中央図書館として、 その後昭和61年まで農学部図書室として使用されていました。



昭和10年竣工の旧北海道帝国大学農学部本館です。この建物は、札幌農学校農学教室を取り壊し、その跡地に建てられたものです。中央正面の主屋の左右の翼屋は、当初「北」の字をかたどって計画されたのですが、増築過程で左右とも「ロ」の字形となっています。
 農学部の前では、学生たちがバーベキューをしたり、日曜画家の方がおられました。
 美しい建物ではヴォーリズ建築の神戸女学院のキャンパス、歴史的建造物では学習院大学もそろっていますが、これほど広々とした緑のキャンパスに美しい建造物がそろったキャンパスは国内では他にないでしょう。
 今回の久しぶりの訪問で一番驚いたのは旧理学部が総合博物館となっていたことでした。次回はその紹介です。



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札幌農学校第二農場(その2)

 牧牛舎の東側南寄りには、同時に建てられた「根菜貯蔵庫」が建てられており、ビートや飼料用のカブなど多汁質飼料を蓄え、東側北寄りには「緑飼貯蔵室」が同時に建てられています。この言葉、何のことかと思いますが、後にサイロの名前で定着したものです。当時は英名サイローと注記しながら、和名では「緑飼貯蔵室」としていたそうです。



この建物は当時としては最大級の石造サイロで、盛岡市の小岩井農場にある煉瓦造り角形サイロに次ぐクラスということでした。
モデルバーン



 この建物は明治9年に新築され、クラーク博士が、北海道農業の模範となるようにと「モデルバーン」と呼んでいました。1階は牛馬舎で、46頭の成牛と育成牛室、10頭の耕馬室、7つの産室があります。2階は馬車道を使って乾草運搬車が直接進入できるようになっていましたが、平地に移設されたため取り払われました。さらに3階に相当する床もあり、膨大な量の乾燥草が貯蔵できるようになっています。
コーンバーン、収穫室、脱ぷ室



コーンバーンは、コーンを貯蔵する施設として建てられ、建物全体は、高床式構造になっています。貯蔵庫に鼠1匹も入れないよう配慮がされ、隣接する収穫室の2階から穀物を直接撒送できるように高架式廊下が架けられています。
 収穫室は後半の脱穀から籾摺り迄の作業を行う部屋で、脱穀機などを収容した作業場で、脱ぷ室は籾摺り部屋です。



 写真手前は製乳所で、搾乳した牛乳を加工する場所です。
その奥が釜場で、名の通り大きなかま)と釜を備えて豚などの餌を煮こみ、その隣の囲いのある床に広げて混和した家畜飼料の加工場です。この建物は、どっしりとした重量感があり、画家や写真家に好評で、そのモチーフが札幌駅前通りの歩道にタイルで描かれているそうです。



 この札幌農学校第2農場、少しの時間の散策でしたが、札幌市内にありながら北海道感が満喫できる穴場でした。



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札幌農学校第二農場(その1)

 暑い日々が続きますので、少し阪急沿線から離れて北海道札幌の風景をお届けします。
札幌で時間が取れましたので、何十年ぶりでしょう、北海道大学キャンパスツアーに出かけました。その広々とした緑のキャンパスについては、またゆっくりお話するとして、北端の北18条通りまで歩くと、以前は公開されていなかった国登録文化財の札幌農学校第2農場があり、無料開放され見学できるようになっていました。

 札幌農学校第2農場は、ウィリアム・スミス・クラークの大農経営構想に基づき、明治時代に建てられた木造の畜舎などの建築物群です。一部の建造物は内部が一般公開され、北海道開拓時代の農具など展示されていました。1969年には農場の建造物9棟が国の重要文化財に指定され、さらに2001年には北海道遺産にも登録されています。

 入り口右手にある事務所は、明治12年に第2農場派出所の名で新築されたものです。

 事務所の少し先に池があり、この木陰にイーゼルを立て絵を描いている方がおられました。またその他の場所でも、所々でスケッチされており、第2農場には画家たちの心をくすぐる風景が広がり、豊かな時間を過ごされているようでした。

 池の向うにある種牛舎は、明治12年に新築されたもので、繁殖用の種牛を飼育した場所です。

 第2農場で一番目立つ牧牛舎です。この建物は、明治42年に当時の最新技術を使って新築され、建物正面は、左右対称で落ち着いた外観であるため、写真・スケッチの題材としても多く使われています。屋根は人造石綿スレート茸で、8基の換気筒と屋根裏に採光のため4つの窓があります。
 内部の見学もでき、1階は搾乳牛が向かい合って各10頭毎並ぶ対頭式の牛床が並んでいますが、左右の設備の種類を変えたり、向かって右側の床を高くするなどで形態を大きく変え、両者で作業性の比較試験を行ったそうです。
写真枚数制限のため(その2)に続きます。


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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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