阪急沿線文学散歩

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4年越しの懸案「甲南病院下、住吉聖心のれんが塀は?」ようやく解決!

 ちょうど4年前、2012年10月10日に「甲南病院下、住吉聖心のれんが塀は?」という記事をUpしました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10770910c.html

 当時、涼宮ハルヒに登場する甲南病院を訪ねた時のような記憶ですが、坂の途中で上のポスターを見つけ、赤煉瓦塀を捜して、その付近の急坂を何回も登り降りして探したのですが、どうしても見つけることはできませんでした。

 小林聖心女子学院の同窓会のホームページに設立までの歴史が詳しく述べられ、昔の写真も公開されています。
http://www.interq.or.jp/venus/mikokoro/50nen1.htm

 「大正12年4月3日、マザー・マイヤーとマザー・マーヌーリーが来阪し、玉造のヌーヴェル愛徳修道会に数日間滞在した後、同月9日、稲畑喜久子夫人の提供の兵庫県岡本の別荘に仮修院を開設、同時に数人の生徒を集めてプライベート・レッスンを開始した。なお9日、マザー・ウエルマン、マザー・ヘンダーソン、16日にはマザー・イスペック、シスター・ステンダーが岡本に来た。
さらに、それからほどなく5月25日には兵庫県武庫郡住吉村鴨子ヶ原184(現在の神戸市東灘区、甲南病院のすぐ南)にドイツ人の別荘を借り受けてここへ移り、住吉聖心女子学院を設立した。」

更にその光景が次のように描写されており、
「阪急の御影駅を降り、大きな石垣を右に見ながら坂道を登っていく。やがて道は松林の中にはいり、左寄りの小道をなおもたどっていくと、ドイツ風の洋館2棟とバラックの仮校舎が見えてくる。見晴らしのよい丘の上である。建物を取り囲む庭には、ある時は山茶花、またある時は椿と、色とりどりの季節の花が咲き乱れ、ふり返ると、光り輝く神戸の海が眩しく眼下にひろがっている。ときおり、ロザリオを手に松林を散策したり、3-4人で椅子を円型に寄せ合って編物をしたりしているマザーの姿が見られ、公立の学校とはおよそかけ離れた雰囲気をかもしだしていた。」

 このような文章を読むと、何としてもその場所を特定したかったのですが、今年の夏に小林聖心女子学院のアーカイブ室を訪れ、地図を見せてもらいようやく、その場所がわかったのです。

最近出版された『神戸線沿線まちあるき手帖』にも阪急御影駅にその場所が記されています。

 暑い盛りに、あの坂道(九重坂)を登るのはと思っていたのですが、ようやく涼しくなり秋晴れの今日、決断して探しに出かけることにしました。

阪急御影駅で降り、筒井康隆『残像に口紅を』に登場する深田池を通って、いよいよ九重坂を上ります。

こんな景色が見えるところまで登り切りました。

 煉瓦塀は甲南病院のすぐ下、御影ガーデンハイツの北側の境界にありました。(短い赤矢印)



 下の写真の現在の東京の聖心女子学院に残されているほどではありませんが、大正時代に造られた煉瓦塀が、戦災にも、大震災にも耐えて残っていたとは。


寄付を募って、何とか記念碑として残るようにしていただけないものでしょうか。

素晴らし景色を見ながら、懸案解決に満足して戻りました。




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いつもブログを見るのを楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね!

[ 伊勢崎駅 美容室 ] 2016/10/11 9:36:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

私もまだ訪ねたことのない群馬県伊勢崎にブログを読んでいただいていたとは、ビックリいたしました。またコメントいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

[ seitaro ] 2016/10/11 17:18:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

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花森安治の描いた戦後復興の街角


 NHK朝ドラはまだ太平洋戦争勃発前ですが、ようやく花森安治らしき人物が登場しました。
 昭和23年に花森安治と大橋鎭子により創刊された『美しい暮らしの手帖』。

花森安治が手掛けた表紙。

 昭和24年1月に出版された第2号の表紙。外国の街角のようにも見えますが、果物屋さんの瓦屋根など、よく見ると日本の街角。

 昭和24年というとドッジ・ラインによりトヨタでさえ人員整理を余儀なくされた年。大変苦しい時代だったはずです。その戦後復興の苦しい中で、コーヒーショップ、果物屋、花屋、衣料品店を描いた花森安治、こんな街の姿にという願いを描いたのではないでしょうか。

 暮らしの手帖300号記念特別号を読んでいると、当時の記事が再録されていました。昭和24年10月第5号の東久邇成子「やりくりの記」を読むと、当時の御苦労がしのばれます。

 昭和25年7月8号の田中千代「暮らしのデザイン」では復興が進む御影の街角の様子が書かれています。
<私の住んでいる六甲の麓には郊外電車が走っている。家から近い御影の駅の横には近頃小さな花屋が出来た。春を告げる様に桜草パンディーそして今ではデージーが並べられている。大阪や神戸での忙しい仕事を終えて此の駅に下り家迄の帰り道に花屋を眺める事は一つの慰めになった。私ばかりでなく沢山の人が此の小さな花屋をキット愛しているだろう。簡素だった此の駅には先ず肉屋がそして八百屋、魚屋が次々に出来て、人通りの必要なものは買えるようになった。そして花屋迄出来てヤット潤いのある駅になったようだ。>
 やはり花屋は街の文化度を表すとうのは正しいようです。

ちなみに谷崎潤一郎の『細雪』の洋裁学院の玉置女史のモデルが田中千代さん。

芦屋の大原町の大きな棕櫚の木の下に、「田中千代学園発祥の地」と刻まれた石碑があります。



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市西の制服(女子)は田中千代さんがデザインされたんですよ。

[ 西野宮子 ] 2016/06/23 23:14:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

ありがとうございます。西宮に住んでいながらそれは全く知りませんでした。すっきりした清楚な制服だと思っていました。重松清の『アゲイン』第二章は市西OGが主役の小説ですよ。
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[ seitaro ] 2016/06/24 6:16:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

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御影の有形文化財・旧乾邸でお茶を

 阪神間モダニズムを象徴する御影の旧乾邸は、門や塀も含めた敷地全体が神戸市指定有形文化財に指定されています。

普段は公開されていないのですが、内覧会が開かれると知り早速訊ねました。


阪急御影駅を降り、筒井康隆「残像に口紅を」の舞台となった深田池の横を歩いて登って行きます。

深田池の向こう側には山崎豊子『華麗なる一族』の映画にも登場する旧・大林義雄邸(大林組)があり、少しのぼると旧・弘世助三郎邸(現・蘇州園)(日本生命)、

 

更に少し先には旧武田長兵衛邸、武田三男邸(武田薬品)、

などのそうそうたる建築物が点在しています。


 広大な敷地にあったヴォーリズの代表的な建築物・旧小寺邸は残念ながら取り壊され現在はこのような分譲地となっています。


 紆余曲折を経ながらも、幸いにして神戸市によって保存された旧乾邸は、乾汽船株式会社の設立者であった乾新治氏の自宅として、旧住吉村の山麓部に昭和11年に建築されたもので、名建築として知られた渡邊節氏による設計です。


 

三木市にある日本一のゴルフ場廣野ゴルフ倶楽部のクラブハウスの設計も渡辺節氏によるもの。

 

倶楽部ハウスの隣には、JGAのゴルフミュージアムがあり、乾新治氏の一人娘の道子と結婚し、乾汽船の社長に就任し事業を引き継いだ乾豊彦氏(元広野ゴルフ倶楽部理事長、日本ゴルフ協会名誉会長)の胸像がありました。

戦時中、農場に徴用されていた広野ゴルフ場を、1947年乾氏を中心に7名の委員会を結成し、批判されながらもいち早くコース再建に着手したそうです。


 御影の乾邸に戻りましょう。

素焼きのタイルの塀に囲まれた1200坪の敷地の中央部には、赤い瓦の大きな屋根とやわらかな風合いの洋館の母屋があります。

アプローチを進むと、赤い瓦の載った車寄せがあります。

 


車寄せに続く玄関アプローチの壁には、貴重な黄竜山石が使用されています。

圧倒されるゲストルーム。豪華なシャンデリア,内装です。

 

ゲストルーム正面中央の暖炉の上の絵は小磯良平。

 


この部屋は普段食堂として使われていたそうです。

 

階段の手すりの重厚な意匠は、英国のジャコビアン様式とのこと。

サンルームの3階からは、洋式庭園の先に、神戸の街と海を見通すことができます。

 

最後に再びゲストルームに戻ってお茶を。今回の内覧会での粋な計らいです。

 


神戸・住吉にあるチーズケーキ専門店 パティスリーカッサレードさんの出張サービスによるケーキセット。


庭の景色を見ながら楽しんでまいりました。



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1960年代、まだ廃墟となって存在していたヘルマン屋敷

小山牧子著『死の商人の館』から続けます。
著者が1960年ごろ、初めてヘルマン屋敷に出会った時の光景です。
<幽鬼―、そんな言葉がぴったりする建物が、いや厳格に言えば廃墟が、私の目の前にそびえていた。頑丈に石を積み上げて築いた地下室と、その上のレンガの壁。木の材質の部分はすべて焼けおちていたが、建物の骨格はそのままに残っていて、それがいっそう私の好奇心や想像力をかきたてるようである。>


著者は何度もこのヘルマン屋敷の廃墟に足を運んだようです。
<ヘルマン屋敷の幽寂な姿に魅せられ、足しげくかよう私のまえに、廃墟は日々その姿を変えてゆく。いま、屋敷の周囲の丘は掘り返され、赤土の地肌をむきだしにしている。堀かえされた土はダンプ・カーにつみこまれ、住吉川の川床につくられた専用道路を海に運ばれていくのだ。やがて、丘全部が白濁した灘の海に投げ込まれ、海岸べりには煙突が林立する臨海工業地帯の新しい土地ができあがってゆくのだろう。>
1960年代、上流にある渦森山を切り開いて渦森台団地を造成する際、土砂の運搬のため住吉川の両岸の河川敷の部分に専用道路が建設されたそうです。

 この道路には「ダンプ道路」呼ばれ、現在は「清流の道」という遊歩道になっています。

 

 著者はある日、土とり作業を指揮している男に、「おたくら、あの廃墟もとり払うてしもてんですかァ?」と尋ねます。
<「そやけど、もったいないことやわァ、数少ない異人館の遺物やし、それに異人さんの館で日本の政治史の汚点になった屋敷なんて、そうざらにないんと違うかしらん」
「へえ?なんど変わったことでもおましたんか?あの屋敷に」男は興味をそそられたのか、問いかけてきた。「そうよ、おじさん、“シーメンス事件”って知らん?」>

 日本の政治史の汚点となったとしても、建物に罪は無く、明治時代に建築された古城のような立派な歴史的建造物が廃墟と化し、やがて撤去されてしまったのは残念でなりません。
 もう少しシーメンス事件の舞台を訪ねてみましょう。



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辻原登『ジャスミン』の御影を歩く

 辻原登『ジャスミン』は次のように作品紹介されている神戸と上海の二都物語。


<上海・神戸、男と女、馥郁たる香りの傑作長篇。中国大陸に消えた父を追って上海へ。天安門事件の余燼くすぶる中、逃亡リーダーの恋人と出会い……小説の醍醐味を堪能する逸品です。>

 描かれている時代は天安門事件から阪神淡路大震災まで。

 私にとって中国を時々訪れていた時代でもあり、懐かしく久しぶりに再読いたしました。表紙の写真はハードカバーも文庫本も平和飯店(Peace Hotel)の玄関。

 20年以上前に上海で泊まったホテルはまだリニューアルされる前のクラッシックな平和飯店。各階には見張り役の女性の服務員、部屋の大きな扉、高い天井、大きなベッドが印象的でした。


 まず舞台となっている神戸から歩いてみましょう。
小説はトアロードの中ほどにある元広東料理店で現在はフランス料理店の鼎鼎で食事する主人公彬彦と妹のみつるの会話から始まります。二人の母親は御影の特別養護老人ホームにいます。
<「あしたママを見舞うつもりだけど、どんな心構えがいるかな。ママの健忘症ぶりはそんなにひどいの?」「ええ。ついこのあいだも、ここはどこかしら、ときくの。昔、ママのおうちがあった御影よ。ほら、すぐ下に深田池が見えるでしょう。アヒルが泳いでいるわよ。池の向うはアンリ・シャルパンティエよ。上のほうには林さんの蘇州園があるわ。……御影ねえ、とぴんとこないようずで、首をかしげてつぶやくだけ。>

 

 読んでいると深田池の東側のマンションが、ママのいる特養のような設定になっています。

 

 池の向うのアンリ・シャルパンティエとは当時御影ガーデンシティ1Fにあったアンリ・シャルパンティエのようですが、現在はアンリ御影店はなくなっています。

蘇州園はここから約5分北に上がったところ。

 

一度使わせていただきましたが、秋には素晴らしい紅葉が見られる庭園です。

 

 深田池周辺の景色は筒井康隆「残像に口紅を」にも同様にでてきます。


<神戸市街の中心部から約十キロ東、阪急電車御影駅のすぐ山側に洒落た二階建てのレストラン・ビルが建っている。そのすぐ近く、深田池という神功皇后ゆかりの古い池の周辺は公園にもなっていて、池の北西側のほとりには七年前マンションができた。佐治勝夫が購入した三DKの住まいがそのマンションの三階なのだった。レストラン・ビルの一階奥の洋菓子店を兼ねた喫茶店に佐治はしばしば出かけ、窓際の席でぼんやり時間を過ごす。>
 ここに登場する一階奥の洋菓子店を兼ねた喫茶店がアンリ・シャルパンティエではないでしょうか。
 主人公佐治勝夫が住む深田池北西のマンションが、『ジャスミン』では特養老人ホームとなっているのです。
『ジャスミン』に登場するフランス料理店の最後の場面です。
<鼎鼎はフランス料理店だが、石英はいつもコースの終わりのほうでジャスミン茶を出す。今夜も石英夫人が白磁の急須に入れて運んできた。「いい香りね」とみつるはうっとりとしていった。二杯目には、六甲牧場のしぼりたてのミルクを少し入れる。これも石英工夫の飲みかたのひとつだった。>

ジャスミン茶とミルクの組み合わせは初めて知りました。今度試してみましょう。



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吉永小百合主演映画『あすの花嫁』に登場する阪神間の風景

 昭和37年の映画『あすの花嫁』では神戸女学院の他にも阪神間の懐かしい風景が登場します。


阪神間ロケ地の紹介地図がありました。


芦屋川の公光橋から見えるカトリック芦屋教会です。

当時はまだ昭和26年に架けられた木造の橋でした。


現在の上流からの芦屋川の風景です。

 

阪急御影駅も登場しますが、駅の木の看板も懐かしい風景です。

現在は駅も周辺もかなり変わりました。
神戸女学院がロケ地となった藤蔭女学院は御影駅近くの設定です。やはり原作の藤陰女学院は阪急六甲駅近くの松蔭をイメージしていたのでしょうか。


 

 

岩本多代演ずる藤蔭学院の学友の酒井十糸子の家は灘五郷の蔵元酒井酒造店です。

後ろに阪神電車が走っているのが見えていますが、ロケをしたのはどこの酒蔵だったのでしょう。

 

 この写真、学友の酒井十糸子が入院した神戸の病院です。このアーチには見覚えがあるのですが、どうしても思い出せません。後ろにはレトロな建物も写っているのですが、どこでしょう。

 


商船三井ビルディングも当時はメリケン波止場から見えたようです。


現在の商船三井ビルです。

 


クレーンが見える中突堤です。

 

壺井栄原作の映画『あすの花嫁』では小豆島のみならず昭和36年頃の阪神間の風景が、かなり登場しましたが、懐かしい風景ばかりでした。

 



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ストーリーは忘れましたが懐かしい。「愛と死をみつめて」や「若い人」(たしか石原裕次郎との共演)なども見た覚えがあります。

[ akaru ] 2014/07/18 13:42:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

でもよく覚えられていたことです。『あすの花嫁』の共演者も奈良岡朋子さんや清川虹子さんなど、こんなに若かったんだと懐かしく見ておりました。しばらくお待ちください。

[ seitaro ] 2014/07/18 18:10:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

このおふたりは、本当にゴールディンカップルだと思います。
清純と言うに相応しいですね。日本中の誰もが愛したお二人ではないでしょうか?!私は映画では見ていませんが、キューポラの
ある街をテレビで見て魅せられてしまいました。

あまりにも美少年だった浜田光夫さんは、その後
目に怪我をされたとかでお気の毒でした。

[ ショコママ ] 2014/07/19 10:48:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

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神戸松蔭女学校の同窓会パーティ(田中良平『バラード神戸』より)

 第一編で登場する高田洋治が第二編「天女たちの美術館」では神戸松蔭女学校の同窓会パーティの世話役を依頼され、御影の世良美術館を会場として世良臣絵による「師小磯良平と私の思い出」と題したスピーチを提案し、同窓会幹部たちから大賛成されます。

 同窓会はシャンパンで乾杯、母校の学院長の祝辞のあとデュオコンサートが始まります。


登場したのは祖母と母と娘で、祖母が当日の同期生会員の三代にわたる同窓の松蔭生でした。
<現役高校生の孫娘が母校の制服姿でチェロをかかえて登場し、母がピアノに向かい、祖母が締めくくり役で付き添った。孫娘が着ている制服は八十年昔の大正期に制定されたもので、ワンピースに黒皮ベルトの清楚なスタイルの胸に赤糸で母校のマークの刺繍がある。激動の歴史を超えて制服はそのまま現代に受け継がれて、ミッションスクールの多い神戸でも女子学生のステイタスシンボルとなってきた。>


今でもスマートな制服です。
そしてお楽しみ企画の世良臣絵館長の講演が始まります。
<私は東京の麻布の生まれで東洋英和女学校を出ていますから、本来はまじりけなしの東京人なのですよ。でもね、先日もある方から、神戸に住んで何年ですかと聞かれて
数えてみると六十年を超えているのよね。………>と話が始まり、小磯良平との出会いについても話が及びます。

途中で同窓生の中から手が挙がり、その夫人が話されます。
<「小磯さんがわが校の美術倶楽部の顧問だったのを皆さん憶えてはるわね。この中にも部員だった人もいるわ。ちょうどその頃、世良先生と小磯さんが最初の出逢いをしはったのね。そして小磯さんの代表作『斉唱』が描かれたのもその頃でした。クラスメイトの誰かがモデルになったとうらやましい噂が広がったわ。>


TV番組『美の巨人たち』では「斉唱」について、次のように紹介されます。

<そんな小磯が38歳の円熟期に描いたのが、今日の一枚『斉唱』です。しかも、この絵が描かれたのは、激動渦巻く太平洋戦争開戦前夜のことでした。しかし、今日の作品からは戦火の不安も世相の混沌も全く伺うことが出来ません。あるのは、ただひたすらに少女たちが歌う姿のみ。ただ気になるのは、この少女たちの表情です。どの顔も不思議なほど似通っているのです。画家はなぜ少女たちを同じ顔に描いたのでしょうか?画家がこの絵で表現したかったものとは…?>
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin//backnumber/120728/index.html


 「斉唱」には9人の女学生が描かれていますが、小磯は一人ないし二人のモデルに様々の方向を向かせて写生し、それを組み合わせるように描き上げたともいわれています。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/728-a18c.html


「斉唱」に描かれなかった制服のイニシャル・マークについて小説の中ではこんな話も語られます。
<『斉唱』の絵には小磯さんらしい学校側への気配りが、かなりあるようですね。当時、セーラーではなくワンピースの制服は珍しくて、制服姿を見ただけで神戸松蔭女学校の生徒だとすぐに分かったようです。だから服の色は濃紺なのに絵では黒に変え、胸元のマークも描いていない。これが同窓生の間では、「残念」と「当然」と意見の分かれるところです。臙脂色の刺繍でSMS(Shoin Mission School)のイニシャル・マークは生徒たちが誇りとしていたそうですね。これらの変更は学校側への配慮ばかりか、軍部や急激に軍国化する社会への気配り、率直に言えば迎合とも言えるかな。>

 

第二編では高田洋治と「斉唱」のモデルになった人物とのロマンスが描かれます。



小磯良平
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小磯のモデルといえば日航機墜落で一人お亡くなりになったこたが思い出されます。

[ ふく ] 2014/06/04 8:16:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

日航機事故でそのようなことがあったとは存じませんでした。調べてみると、あの赤坂の迎賓館の壁画「絵画」「音楽」のモデルもつとめられた方とか。残念です。ご冥福をお祈りいたします。

[ seitaro ] 2014/06/04 18:49:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

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イタリアの少女の頬色のタイルをまとう世良美術館

田中良平短編小説集『バラード神戸』第二編天女たちの美術館からです。


世良臣絵が個人美術館を建設する決断をし、二人の建築家に提案を依頼します。
<関西出身で独学で建築を学び、コンクリート仕上げの建物で世界に名を広めた有名な建築家。もう一人は、生まれも育ちも神戸で、事務所を海岸通の文化財的な石造りの神戸郵船ビル内に開設し、ひたすら地元の建築に情熱を燃やす純粋の神戸っ子の建築家 ―いわば、世界で著名、神戸で著名、という二人の建築家に美術館建設の提案を依頼した。「小磯先生が私に残された絵と、私の絵を並べて展示し、訪れた女性がほっとできる空間を持つミュージアム」を創る。彼女は夢を明確に伝えた。
出された提案を彼女は一人で検討した。
世界に著名な建築家はコンクリートの打ち放しの建物を提案し、神戸で著名な建築家は優しいイタリアの少女の頬色のタイルをまとう建物を提案してきた。>


世界に著名な建築家の想像はつきますが、世良臣絵が選んだ建築家は瀬戸本淳氏でした。
<今も住吉台に住む神戸っ子の代表とも言える存在だ。建築に志し、名声を得てからも神戸を離れず、海岸通の神戸郵船ビルに瀬戸本淳建築研究室を構える。自社設計のビルにオフィスを構える建築家の多い中で、あえて大正期建設の古ビルに腰をすえるところに瀬戸本の神戸にかけた思いの深さがる。>

 

住吉台のシンボリックな塔のある瀬戸本淳氏の私邸です。


瀬戸本淳氏のオフィシャルサイトでは「神戸と私」と題して次のように述べられています。
<まちに溶け込む建築デザインとは・・・ お客様が真に望む安全安心の住空間とは・・・ 神戸の街、阪神間の街、は光る宝物です。
住んでいる一人ひとりの人間こそ、そのまちの歴史や文化の総体だからです。その人をやさしく包み込むための建築だからこそ、大切に創らなければなりません。私の建築家としての原点は、いまだ私を魅了してやまない “神戸”“阪神間”そのものです。>

http://www.jsao.co.jp/jun_setomoto/story/index.html


本当に神戸・阪神間を愛する建築家です。

『バラード神戸』に戻ります。
< 郵船ビルは大正期の石造建築で神戸近代化の象徴として市民の愛着深い存在であった。文化遺産保存と称して上屋にガラス外壁の近代ビルを継ぎ足す奇妙な建築風潮の時期にも。効率や経済性よりも受け継いだ文化遺産はそのまま残すのが本道だと郵船ビルは動じなかった。「瀬戸本さんの建築事務所があるかぎり安心や」と神戸っ子は密かに噂した。>


 その瀬戸本氏の設計した世良美術館は様々な賞を受賞していました。
<竣工した世良美術館は、1922年の神戸市建築文化賞、兵庫県くすのき建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞などを受賞。世良臣絵の選択眼は見事だったといえよう。>



瀬戸本淳
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世良美術館(田中良平『バラード神戸』第二編天女たちの美術館より)

第二編の古田義弘氏の扉絵は御影の世良美術館です。


 第二編「天女たちの美術館」は世良臣絵の世良美術館開館と小磯良平にまつわるお話ですが、その時代背景として阪神間モダニズム文化についても語られます。

 


<最高部でも約千メートルの、ほどよい高さの六甲山脈と、南面した傾斜地、おだやかな瀬戸内海の海という、ゆるやかな空気に満ちた神戸一帯を急速に都市化すると同時にわが国髄一の文化ゾーンに育て上げたのには大きなきっかけがあった。交通機関の整備と沿線開発による関西富裕層の移住、そして大正12年の関東大震災による避難地として、関東から経済人や文化人たちが大挙して移住してきたことであった。>


 その阪神間モダニズム文化を背景に登場した画家が小磯良平です。

<わが国近代化のベルエポックのような阪神間モダニズム時代の風と、実力のある富裕層のサポーター、まぶしいような文化人たちの活躍の現場に、二十歳代の新進若手画家小磯良平が登場する。神戸で生まれ東京美術学校を首席で卒業し、その後は神戸を本拠にして世界のR.KOISOとなるのだが、神戸市民は当時も今も「小磯さん」と親しげに呼ぶ。>
 その小磯良平の最大の支援者であった武田長兵衛の一族や小磯良平一家、世良臣絵夫妻が絵画や音楽を通じてコミュニティをつくり愛着したのが灘、御影、岡本の風景でした。


御影の旧武田長兵衛邸は銜艸居(かんそうきょ)と命名され、現在は武田資料館となっています。

 

また阪急御影駅の北側、深田池の西側には昭和7年に竣工した大林組ゲストハウスがありますが、この建物は映画「華麗なる一族」の万俵邸として登場した建物です。

 

 

 第二編で登場する世良美術館は阪急御影駅から少し南に下がったところにあります。
<そして、豊かな存在感で周囲を酔わせている彼女は、世良臣絵。画家でありピアニストであり、世良美術館の館長であった。
 世間では、長い画業の生涯を通じて弟子をもたなかったといわれた小磯良平の、唯一の弟子ですと彼女は誇りと愛惜を込めて口にする。そして師小磯が生涯の夢とした理想の具現が、この世良美術館なのですと彼女は優しい目を上げて言い切る。>
小磯が世を去って4年後の1992年に世良美術館は開館されました。世良臣絵81歳の時でした。


<一階、二階を美術品の展示と合わせて、雰囲気を楽しむサロンとして計画した。それは「女性がほっとできる空間」の実現であり、美術館のコンセプトとして建築家に示された。
だからこの美術館は、壁面と静粛だけの空間ではない。一階中央はアトリウムから落ちる日差しを大理石の床が受けて輝き、広い窓から青空が望めて中央奥にすえられたグランドピアノが弾き手を待つ。その背景の壁を飾るのが世良臣絵の油彩や水彩画。二階の回廊壁面には小磯良平の作品が並び、アルコープには時代物のチェンバロがすえられて良質で優しい空間を演出している。
一、 二階の長椅子にくつろげば、極上の安息時間がゆっくり流れる。>


書かれているとおりの世良美術館の空間でした。



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小磯さんが描かれた薬草の絵は見事な写実で素晴らしいですよ。もっともわたしは写真でしか見たことがありませんが。

[ akaru ] 2014/05/27 12:57:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさんお詳しいです。私はこの本を読んでいて、「武田薬報表紙絵の薬草描写に込めた技術と情熱は、小磯を語るときに欠かせない貴重な一章となるほどだ。」と書かれているのを調べて、初めてその存在を知りました。小磯さんはこんな絵も描かれていたんだと驚きました。

[ seitaro ] 2014/05/27 19:53:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

わたしの所持してる美術雑誌「木」に4点の薬草の絵の写真が載ってます。この「木」には小磯さんのことがたくさん載ってます。また機会があればご覧にいれます。

[ akaru ] 2014/05/27 23:42:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

たのしみにいたしております。6月には伺わせていただきます。

[ seitaro ] 2014/05/28 20:21:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

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御影ザ・ガーデンプレイス蘇州園で紅葉を楽しむ

 阪急御影駅のすぐ北側には深田池があり、映画「華麗なる一族」の万俵家として撮影された丸い塔のある邸宅も直ぐ近くです。筒井康隆の「残像に口紅を」も深田池のあたりのマンションを舞台とした物語でした。
<神戸市街の中心部から約十キロ東、阪急電車御影駅のすぐ山側に洒落た二階建てのレストラン・ビルが建っている。そのすぐ近く、深田池という神功皇后ゆかりの古い池の周辺は公園にもなっていて、池の北西側のほとりには七年前マンションができた。佐治勝夫が購入した三DKの住まいがそのマンションの三階なのだった。レストラン・ビルの一階奥の洋菓子店を兼ねた喫茶店に佐治はしばしば出かけ、窓際の席でぼんやり時間を過ごす>
 そのレストランビル「御影ガーデンシティ」から少し上に歩いていくと、阪神間モダニズムの時代の昭和9年に建てられた「蘇州園」があります。


 建物は絢爛豪華な三層の純和風建築「旧弘世邸(日本生命の元会長の別邸)」でした。
終戦の年、現オーナー黄氏の祖父が譲り受け、後に中華レストラン「蘇州園」を開業されたそうですが、現在はリニューアルされ、ザ・ガーデンプレイス蘇州園として営業されています。

 阪神間モダニズムの時代のお屋敷とはどのようなものであったのか訪ね、紅葉の美しい1600坪の庭園を堪能して参りました。

 


オリジナルの部分は宮大工によって建てられた木組みのみで、釘を一本も使用していないそうです。


三階の窓からは庭園の美しい紅葉が広がります。


二階の部屋からの紅葉。


一階にはバーもあり、テラスでも楽しめます。

 

 

さらに奥に行くとダイニングルームでした。

 

現在はウエディング会場としても運営されているThe Garden Place Soshuen 。

庭園の木々に包まれたチャペルは、嘗ては邸宅夫人の礼拝堂だったそうです。

 

 蘇州園の北側には銜艸居(かんそうきょ)と命名され、現在は武田資料館となっている旧武田長兵衛邸があります。

その上にはヴォーリズ建築の旧小寺邸がありましたが、広大な敷地は更地として分割され個人住宅が建てられています。


更に上がると旧乾邸です。

 

 


乾汽船創業者の乾新兵衛・新治の邸宅として1936年にモダニズム建築で知られる渡辺節の設計で建てられたものです。この建物の保存も紆余曲折があり、現在は神戸市土地開発公社が購入し、2011年より、2012年末まで保存修復工事が行なわれたそうです。とりあえず保存が決まり良かったです。



阪神間モダニズム
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 蘇州園では何度かお食事をいただいたのですが、いつも1階でした。2階、3階からの眺めがこんなに素晴らしいとは知りませんでした。

[ mamimi ] 2013/12/09 10:27:24 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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