阪急沿線文学散歩

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北丹大震災から復興中の城崎温泉の情景

 北丹大震災から復興中の城崎温泉で、藤村たちが靴の紐を解き泊まった宿は油とう屋でした。
<私達の泊まった宿は、油とうやといって、土地でも古い家柄と聞く。偶然にも一夜の客となってみて、私達はそこの老主人から、京都方面との交通の多かった時代のことを聞かせられた。>

「ゆとうや」は今も健在でした。
<新しい木の香のする宿の二階から町の空が見える。そこはもう山陰の空だ。新築中の家々の望まれる方に行ってみた。そこにもここにも高く足場がかかって、木の削るかんなの音が聞こえてくる。>
震災後は立派に復興され、風情のある温泉町となっています。

<この温泉宿へ着く前に、私達は町の中央を流れる河の岸を歩いて、まだ焼けない前の、一の湯とか御所の湯とかいった時分からの意匠を受け継いだという建物や、新規にできたらしい橋の意匠などを見てきた。>


 藤村らは停車場から川沿いにゆとうやまで歩いたのですが、一の湯はその途中にありますが、当時の御所湯は現在の位置より更に奥の、千年の湯古まんの斜め前にありました。


現在と昔の一の湯、現在と昔の御所湯です。
外湯めぐりは昔からのようです。
<震災前まではその数が五六十件であったのに、新築中のものがすっかり出来上がったら百件にものぼるであろうと聞く。停車場まで私達を出迎えに来てくれた宿の若主人からその話しを聞いて、よくそれでもこんなに町の復興がはかどったものだと私が言ってみたら、「みんな一生懸命になりまいたからね。この節は少しだれてきましたが、一頃の町の人たちの」意気込みとというものは、」それはすさまじい物でしたよ。これまでに家のそろったのも、そのおかげなんですね。」と若主人は私に言ってみせた。
一時は全滅と伝えられたこの町が、震災当時の火炎に包まれた光景も思いやられる。>


その時の努力が実を結び、今も多くの観光客を集めています。


ゆとう屋

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島崎藤村「山陰土産」福知山から城崎へ

福知山駅に近づくと、アナウンスで福知山城が見えることを知らせてくれます。


天正7年(1579年)、明智光秀が中世に造られた横山城を攻略し、ここに近世的な城郭を築き、城名も福知山城と改めたそうです。小さなお城ですが、美しいお城でした。

 

福知山駅到着です。


<福知山は北丹鉄道乗換の地とあって、大阪からも鉄道路線の落ち合う山の港のようなところである。………僅かの停車時間もあったから私は汽車から降りて、長い歩廊(プラットホーム)をあちこち歩いてみ、生糸と織物の産地と聞く福知山の市街を停車場から一目みるだけに満足してまた動いてゆく車中の人となった。>
 福知山では古くから養蚕業が栄え、藤村が訪れた昭和初期には全盛期を迎えていました。また昭和4年にはグンゼの工場も置かれていたそうです。
<摂津から丹波、丹波から丹後という風に、私達は三つの国のうちを通り過ぎて、丹波の和田山についた。そこは播但線の交差点にもあたる。案内記によると、和田山はもと播磨ざかいの生野から出石、豊岡方面へ出る街道中の一小駅にとどまっていたが、汽車が開通してからだんだん開けて、今では立派な市街になりつつあるという。

和田山駅に着くと、構内北側に明治45年に建築された旧豊岡機関区のレンガ造りの車庫と給水塔が残されていました。
<養父という駅を過ぎて、変った地名の多いのにも驚く。ここにむずかしい名がある。八つの鹿と書いて、(八鹿)だそうだ。読めないね。」私達はこんなことを語り合いながら乗って行った。>


<玄武洞の駅まで行くと、城崎も近かった。………間もなく私達は震災後の建物らしい停車場について、眼に触れるもの皆新規巻き直しであるような温泉地の町の中に自分等を見つけた。そこが城崎であった。
 何よりもまず私達の願いは好い宿について、大阪から城崎まで七時間も、汽車に揺られ続けて行った自分等の靴の紐を解くことであった。>
私もようやく城崎温泉に着きました。昭和の初め、七時間もかっかたそうですが、特急こうのとりで宝塚から約2時間20分の旅でした。


城崎温泉駅を出てすぐのところにある外湯が「さとの湯」。ここには足湯があり、皆さん楽しんでおられました。
 藤村らが城崎を訪れたのは昭和2年の夏でしたが、その2年前の大正14年5月、円山川河口付近でマグニチュード6・8の直下型地震が発生し、豊岡、城崎の家屋は倒壊、火災により壊滅状態となったそうです。

北丹大震災と呼ばれていますが、その復興間もない頃に訪れていますので、震災の爪痕の話しが少し述べられていました。
相当激しかったようですが、泉源が保たれたのは幸いでした。



北丹大震災
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島崎藤村 | コメント( 1 ) | トラックバック( 0)

福知山、和田山、そして津山、いよいよここから山陰という雰囲気がします。旅情の切り替わるところ。戦後は材木で栄えたといいますが、いまはどこも静かな街ですね。

[ だんご ] 2013/02/21 7:25:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

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蟹と雪景色と温泉を求めて城崎へ(福知山線の旅)

 蟹を求めて昨年のTV番組「見知らぬ関西新発見!みしらん」で紹介された城崎温泉の宿に行ってまいりました。宝塚から福知山線・山陰本線に乗って、島崎藤村の「山陰土産」を読みながらの小旅行となりました。今日は福地山までの旅です。
 「山陰土産」は、JR城崎駅前にある石碑に刻まれているように、次のように始まります。

<一 大阪より城崎へ
朝曇りのした空もまだすゞしいうち に、大阪の宿を發つたのは、七月の八日であつた。>
昭和2年に、大阪朝日新聞から依頼を受けた藤村は、息子の鶏二を伴って、山陰への旅に出ます。季節は夏でしたが、その頃の様子がよくわかります。
<大阪近郊の平坦な地勢は、甲、武庫、六甲の山々を望むあたりまで延びて行っている。耕地は良く、ぶどう畠、甘藷の畠なぞを除いては、そこいら一面の青田だ。>
現在は福知山線の廻りはぎっしり住宅で埋っています。


<大阪から汽車で、一時間半ばかり乗ってゆくうちに、はや私達はかなり山間に分け入る思いをした。同乗した乗客の中には、石のあらわれた渓流を窓の外に指さして見せて、それが武庫川であると私達に教えてくれる人もある。これからトンネルを一つ過ぎると丹波の国であるとか、ここはまだ摂津の国であるとか、そんなことを語り合うのも汽車の旅らしかった。
正午すぐる頃に、藍本というひなびた停車場を通って丹波の国に入った。>


宝塚駅を出ますとすぐトンネルですが、途中武田尾駅で水上勉「櫻守」の舞台となった武庫川が見えます。


更に進むと、昔の摂津と丹波の境界であったようですが、三田市と篠山市の境界にある無人の藍本駅です。
<重なり重なる山岳の輪郭を車窓の窓かの外に望みながら、篠山まで来た、丹波大山まで来た、とゆく先の停車場で駅々の名を読み、更に次の駅まで何マイルと記してあるのを知り、時に修学旅行の途中かと見えるような日に焼けた女学生の群れが、車窓に近くゆき過ぐるのを眺めることすら、私はそれを楽しみにした。>


篠山口あたりでは、わずかですが篠山川に添った約 4kmの川代渓谷の渓谷美が楽しめました。
<更に山地深く進んだ。「父さん柏原というところへ来たよ」「柏原と書いて、(かいばら)か。読めないなあ。」私も鶏二も首をひねった。土地不案内な私達は、ゆく先で読みにくい地名に逢った。石生と書いて、(いさふ)と読ましてあるのも、むづかしい。>


島崎藤村でもやはり地名は難しそうです。
車内で近くに座った大阪の女性グループが、小説と同じような駅の名前の読み方の話しをしていて、大阪の地名はもっと難しいと言っておりました。
<京都から福知山を経て、城崎の間を往来した昔は、男の脚で四日、女の脚なら五日路といったものであると聞く、………おそらくあの上方辺りの人達が「しんどしんど」といいながら山また山を越えたろう昔を思うと、一息に暗い穴の中を通り過ぎて行く今日の汽車旅は比較にもなるまいが、それでも私達はかなり暑苦しい思いで幾つかのトンネルを迎えたり、送ったりした。車中の人たちは、と見ると窓のガラス戸を閉めたり開けたりするのに忙しいものがある。襲い来る煙のうず巻く中で、煙煙草の火を光らせるものがある。ハンケチを顔に覆て横になるものがある。石炭の煤にまみれて、うっかり自分等の髪にもさわられないくらいであった。幾たびとなく私は黒ずみ汗ばんだ手を洗いに行って、また自分の席に戻って来た。>

 


さてトンネルで蒸気機関車の煙モクモクが、冷房がなく開け放した窓から車内に入ってきた経験、今やどのくらいの方が理解できるでしょう。



山陰土産
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島崎藤村 | コメント( 12 ) | トラックバック( 0)

懐かしいですね。記憶の隅っこにあります。日本海側に出るときにはトンネルの多さに、開閉せずに閉めっぱなし。たまに開けたままトンネルに入ると、煙が入ってくるのですが、窓際の人が閉めなくてはならぬ係のようでした。汽車、冷凍みかん、ゆで卵、そしてちいさな蓋のついたお茶ボトルと。かなり小さいときだったと思います。

[ ロックウェル ] 2013/02/19 22:36:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

ロックウェルさまもご存知ですか。冷凍みかん、ゆで卵なつかしいです。蓋のついたお茶ボトル、いま考えると風情がありました。

[ seitaro ] 2013/02/19 22:56:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

汽車に乗った回数は少ないのですが、映画や博物館でみているので違和感はありません。ただ、煙というのは、大昔の記憶でした。
おみかんやら赤いネットに入っていましたね。昔、コーラやジュース、コーヒーに続いて、自動販売機でお茶を売り出したときには、お茶が有料なのかしら、と思ったものですが、考えてみたら、随分昔から買っておりました。

[ ロックウェル ] 2013/02/19 23:09:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

なんだか、武庫川とは思えません。武田尾まで行くと、川の色が違いますね。城崎温泉には行ったことがありません。というより温泉にいったことがないのだと思います。

[ ロックウェル ] 2013/02/19 23:11:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

親戚は但馬ばかりなので、この路線もよく利用しました。今は車で行くので滅多に乗りませんが。

[ akaru ] 2013/02/19 23:12:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうですね。突然水の色が変わりました。温泉は結構行っておりますが、中でも城崎温泉は風情が有ります。だいたい温泉街はどこにいっても、○○関係の一角があるものですが、城崎温泉は家族づれで安心して散策できます。
(○○は言葉をいれていたのですが、投稿禁止用語が含まれていますと拒絶されました。よくできています。)

[ seitaro ] 2013/02/19 23:34:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

私も、久しぶりの列車の旅でしたが、運転するのと違い、ゆっくり車窓から雪景色を楽しめました。特急で行きましたが、普通列車のほうが楽しめたのかしれません。

[ seitaro ] 2013/02/19 23:38:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

私は子供の頃兄に連れられて夏休みを富山で過ごしました。
富山の親戚の家に行くのですが運賃の安い普通で・・・
恐ろしく長い間乗っていました。数えられないほどのトンネルが
あったと思います。富山に着くと迎えにきた
叔父が「・・・ちゃん、顔が真っ黒」と笑いました^^
懐かしい日々を思い出しました。

[ ショコママ ] 2013/02/20 0:03:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

紀勢線や東海道線で数度乗りました。トンネルになると窓をしめました。福知山線はSLの音を聞きながら授業を受けていました。あとは東海道線の大垣駅でよくみかけました。福知山線は大阪駅でみかけましたが、東海道線とは全然車輌が違いました。高校の時、大山に合宿で行くのに、初めて福知山線にのりました。そういえば、最近名古屋でSLを走らせているようですね。

[ ふく ] 2013/02/20 1:07:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

ショコママさん そんな経験がおありですか。なんとなく目に浮かぶような光景です。時々記事にされるショコママさんのお話は心に響きます。

[ seitaro ] 2013/02/20 7:48:24 [ 削除 ] [ 通報 ]

スポーツ少女でしたか。最近は大山への自動車道も整備され、楽に行けるようになっています。夏の盛りには大山平原によくゴルフに行きました。

[ seitaro ] 2013/02/20 19:55:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

1968年廃止とあります。ただし、昭和40年代の後半にわんぱく列車というSLがが走っていたとも書いてあります。ピー、シュッシュツみたいな独特の音は遠くまで聞こえてきます。それからどこかの発破の音もでした。当時は航空騒音も半端ではなく、アメリカ軍の後ろがつながった双発機だとか、国際線が飛んでいました。宝塚は西宮とはまた違う不思議な音のする町でした。

[ ふく ] 2013/02/20 21:55:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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