阪急沿線文学散歩

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小川洋子さんがここは南仏かなと思ったという芦屋川の風景

 小川洋子さんは『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞を受賞され、その記念講演で初めて芦屋の街並みを見た時の感想を次のように述べています。
<芦屋で家を探そうと、不動産屋さんの車に乗って、北から南に向かい芦屋川沿いに走ったとき「ここは南仏かな」と思うくらいに驚きました。自分が生まれ育った岡山とは、あまりにも風土が違う感触を得ました。松林がありテニスコートがあって、その反対側にはすごく大きなお屋敷が並んでいて、前を見ると海が見え、振り返ると山があり川が流れている。風景がとても洗練されていて、どこか外国にいるような、とても乾燥した新鮮な風景だなと思い、一度で芦屋が好きになりました。>

 今日は天気も良く、乾燥した一日で、芦屋川沿いを歩いていて、ふと小川さんのお話を想い出し写真に撮ってきました。

海の方を見ると、ルナホールの向こうには芦屋カトリック教会の尖塔が見え、海を挟んで泉南の山並みまで見えます。


山の方を見ると、白壁にオレンジ色の屋根、アーチのベランダ、青い空に風見鶏が印象的なビルも見えてきました。

なるほど、小川洋子さんが「ここは南仏かな」と思ったのも無理はありません。


天気に恵まれた今日の芦屋川のすがすがしい風景です。
須賀敦子さんの「風が違うのよ」という言葉も重なっていました。



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小川洋子『ミーナの行進』にも登場するクラブコスメチックスのミュージアムへ

 4月1日から5月31日まで、クラブコスメチックスのミュージアムで第14回企画展「人によりそう〜中山太陽堂に見る販売促進・営業活動〜」展が開催されています。

http://www.clubcosmetics.co.jp/museum/

 クラブコスメチックスは小川洋子さんの『ミーナの行進』でも、ローザおばあさんが使っていた双美人シリーズの化粧品として登場します。

<特に開けてみないではいられない引き出しをたくさん持っていたのは、鏡台だった。そこにはありとあらゆる種類の化粧品が揃っていた。そのすべてが、化粧水から白粉にいたるまで、女の人二人が並んでいる図柄をシンボルマークとした<双美人シリーズ>で統一されていた。女の人は二人ともうりざね顔で、巨大な薄桃色の花を頭に飾り、澄ましてどこかを見つめている。
「ああ、それ、とってもよく効くよ。美肌クリームね。塗れば塗るほど、お肌すべすべしてくる。」ローザおばあさんは私を鏡台の前に座らせ、シルクの化粧ケープを肩に広げ、どんなに高価な化粧品でも、惜しげもなく使わせてくれた。それは茶色い蓋で乳白色の丸い瓶に入った、いかにも効き目ががありそうなねっとりとしたクリームだった。>

 株式会社クラブコスメチックスの歴史はは明治36年.に中山太一が創業した「中山太陽堂」のクラブ化粧品にまで遡ります。

苦楽園四番町と六麓荘町にまたがる土地に中山太陽堂の貴賓接待に使うための「太陽閣」が竣工したのは大正11年のことでした。

(写真は大石輝一の描いた苦楽園の太陽閣;現在の堀江オルゴール館の位置にありました)

 今回の企画展では、大衆の娯楽が多様化した明治末から昭和初期にかけて、中山太陽堂が販売促進のため展開した博覧会への出展やイベント開催等の活動がご紹介されています。

レトロなポスターや、看板なども数多く展示されています。

 中でもひときわ目を惹いたのが、博覧会の展示のコーナーでした。
 明治から大正期は博覧会の時代と言われるほど様々な博覧会が全国各地で開催され、中山太陽堂は積極的に参加し、大正末までに58の賞を獲得したそうです。
 大正11年の上野公園で開催された平和記念博覧会では特設館を設置し、無料で希望者の髪やお化粧を整えたり、休憩室も併設したそうです。

写真は中山太陽堂の特設館。

 平和記念東京博覧会の会場図も展示されておりましたが、この鳥瞰図はインターネットで探しても見つけることができず、当時の様子を窺がえる貴重な図です。

 鳥瞰図でも目立っているクラブ化粧品の新戦略商品の広告塔ともいうべき「カテイ石鹸大噴水塔」の写真もありました。

噴水の頂点にはカテイ石鹸の商標となつているルブラン夫人の『母と子』の純白な石膏模型がおかれているそうです。

見比べてみてください。

『平和記念東京博覧会案内』には、この大噴水塔について、
「不忍池の真中に屹然として立つた噴水塔がある、その噴水の奔騰高さは百五十尺、夜となれば電気応用の大仕掛けに只見る満天の飛沫、五彩の光龍、爛として虹と流れ、燦として火花と散る、その壮観は言語に絶して居る。この噴水は頂点にはカテイ石鹸の商標となつて居る泰西名画ルブラン夫人の『母と子』の純白な石膏模型も置かれてある」と説明されています。

大阪駅前の貴重な写真もありました。
 会場を回りながら、この時代の中山太陽堂の先進的で興味深い販売戦略など説明していただき、充実した展示であることが良くわかりました。

 ところで、大正7年に大阪市南区水崎町690番地(後、浪速区水崎町40番地。現在のJR環状線新今宮駅線路沿い)に敷地約1875坪の中山太陽堂化粧品工場が竣工されています。

沿革を見ると、「昭和51年に大阪市西区西本町に本社タイヨービルを新築し、移転。奈良県五條市に新工場竣工。」となっておりますが、その工場跡地(の一部)に、最近話題となっている星野リゾートが大阪に初進出し都市観光ホテル建設するとのことです。




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小川洋子『ミーナの行進』と須賀敦子さんの実妹北村良子さんの御関係

 先日、小川洋子さんからお話を伺っていた時、須賀敦子さんのお話に及び、実妹の北村良子様のお話しになりました。
 北村良子様には、昨年の芦屋文学サロン「須賀敦子と芦屋・西宮」で稲畑汀子様と映像出演していただき大変お世話になりました。

 
 その時の北村様のお話で、昭和12年に父上が須賀商会東京支店へ転勤となり、夙川から麻布本村町に転居し、白金の聖心女子学院に編入されたとき、「あら関西弁なのね」と言われ、「おしゃべりなのにしばらくお話ができなかった」と笑って言葉の苦労を話されていました。

 小川洋子さんも北村良子さんとお知り合いのようでしたので、お尋ねすると何と『ミーナの行進』に深く関係されていたのです。

 小川洋子さんの『ミーナの行進』は2005年2月12日〜12月24日まで毎週土曜日読売新聞に連載された作品ですが、その連載を始めるにあたって、ミーナのような芦屋のお嬢様が語る関西弁を話せる人を紹介してもらいたいと編集者に頼まれ、北村良子さんを紹介されたそうです。

 小説では、ミーナと通いの庭師の小林さん、住み込みのお手伝いの米田さんは根っからの関西弁を喋り、伯父さん夫婦のイントネーションは標準語に関西ニュアンスが四十パーセントほど含まれた状態、とされています。
 たしかに、芦屋のお嬢様のミーナという小説の設定から考えて北村様は、まさに適役だったと思います。
毎週小川洋子さんの原稿を北村様に送り、話し言葉の更生を頼まれていたそうです。

『ミーナの行進』でミーナが岡山から来た朋子を連れて家の中を案内する場面からです。
<「ここはママがおばあちゃまに隠れてお酒を飲むところ。そやから絨毯は焼け焦げだらけなん」「どないしたらこんな趣味の悪いカーテンを選べるのか、こっちが説明してほしいわ」「米田さんの家事室。あそこだけ壁紙の色が違うのは、いつやったかヒステリーを起こした米田さんがアイロンを投げつけた跡」と、始終こんな調子だった。>
芦屋のお嬢様も我々と同じ関西弁なので安心いたしました。

 私も頭の片隅に、昔『ミーナの行進』の単行本のどこかに北村良子様の名前を見て不思議に思った記憶が残っていました。

 家に帰って、本を見てみると、最後のページの謝辞の一番初めに北村良子様のお名前がありました。ようやく長年の謎が解けました。
ミーナの話し言葉は北村良子様の監修によるものだったのです。



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小川洋子『ミーナの行進』伯父さんの家のモデルはヴォーリズの旧小寺邸

『ミーナの行進』の伯父さんの洋館のモデルは、小説に書かれた位置から、芦屋川の開森橋から高座の滝に行く道を登っところにあった右近権左衛門邸と考えていました。
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 しかし、先日小川洋子さんに直接お尋ねして、そのモデルが御影にあったヴォーリズ建築の旧小寺敬一邸だったことがわかたのです。これで今までの疑問が氷解です。


 寺田順三さんが挿画に描かれているのはヴォーリズの住宅に違いないと思っていましたが、旧小寺邸の写真と比較すると、モデルになっていることが良くわかります。

2本の棕櫚の木は芦屋の右近権左衛門邸を参考にしたのかもしれません。

『ミーナの行進』では岡山から伯父さんの家に着いた朋子が、「これが家ですか?」更に声を上げて、「これが家なんですか?」と叫んだ邸宅です。

 小説では芦屋にある洋館なのですが、小寺邸は絵地図に示したように、東灘区住吉山手四丁目、武田邸の北側にありました。

 その建物は関西学院大教授だった小寺敬一氏がヴォーリズに設計を依頼し、1931年に完成した3階建て邸宅で、当時の住宅では珍しい鉄筋コンクリート造りで、赤いスペイン瓦や明るい白壁などが特徴の、阪神間モダニズムの時代のスパニッシュスタイルの典型とされています。

『ミーナの行進』では次のように描かれています。
<一九七ニ年から七三年にかけて一年あまり過ごしたあの芦屋の家を、私は決して忘れることができない。アーチ状の玄関ポーチに差す影の形、山の緑に溶け込むクリーム色の外壁、ベランダの手摺りの葡萄模様、飾り窓のついた二本の塔。>
<玄関ポーチやテラスに多用されるアーチ、南東の角に設けられた半円形のサンルーム、オレンジ色の瓦屋根など神経が行き届き、全体のバランスは上品にまとまっている。>
ヴォーリズ建築を見事に表現されています。

 残念ながら、この建物は2011年に撤去され、現在は航空写真でわかるように広い敷地は分割され、それぞれの敷地に住宅が建てられています。

(写真中央の台形の区画の部分)

小寺氏の別荘だったヴォーリズ六甲山荘は、幸いにしてアメニティ2000協会がナショナルトラストの第1号として購入し、保存されています。

ヴォーリズ建築の旧小寺敬一邸は小川洋子さんの『ミーナの行進』の創作に当たって大きな役割を果たした建造物でした。



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3月25日(土)にこの近辺の街歩きをしますので、この話を参加者にご披露させていただきます。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2017/03/09 10:13:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

小寺先生のお宅は取り壊されたんですね ショッカーのアジトになっていました(テレビでは)

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/03/10 9:10:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

残念ながらきれいさっぱり取り壊されてしまいました。
隣には少し小さめのヴォーリズ設計の住宅が残っています。

[ seitaro ] 2017/03/10 10:46:47 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ミーナが小川洋子さんに会わせてくれた

 先日、幸運にも小川洋子さんから直接お話しを伺う機会に恵まれました。

 このようなチャンスに巡りあえたきっかけは、この西宮ブログでロックウェル様から建石小学校ご出身の栗田明子さんの『夢の宝石箱』をご紹介いただいたことからでした。

 栗田さんは甲南高等女学校を卒業後、「女が大学に行ったらお嫁のもらい手がなくなる」と父親から言われ素直に伊藤忠商事に就職。その後、著作権代理店(株)ユニ・エージェンシーに勤務され、1981年には日本の出版物を海外に広めるべく自ら著作権代理店栗田板東事務所を設立、ドイツ・ケルンを本拠に欧米出版社に日本の図書を紹介し、日本著作権輸出センターを創業された方です。

『夢の宝石箱』を読んで驚いたのは、ミーナが成人して就いた仕事が栗田さんのお仕事だったことです。

小川洋子さんの『ミーナの行進』からです。
<ミーナは中学の卒業式を待たずにヨーロッパへ渡り、スイスの寄宿学校へ進学した。その後、フランクフルト大学で文学を学び、貿易会社で大使館に勤務したあと、三十五歳でケルンに出版エージェンシー会社を設立した。ヨーロッパと日本の文学作品の翻訳出版を、仲立ちする会社だった。>まさに栗田さんのお仕事です。

そしてケルンのミーナから朋子への手紙です。
<おかげさまで私は、なかなか儲かれへんわ、と愚痴をこぼしながら楽しく仕事に励んでおります。翻訳出版のエージェントなんて、誰が褒めてくれるわけでもない地味な仕事ですが、それでもたまには、ささやかな、かけがえのない喜びをもたらしてくれます。今日、町の本屋さんで、私の手がけた絵本を買っている女の子に出会いました。大事そうに本を抱え、お母さんと手をつないで家へ帰っていくその子の後姿をずっと見えなくなるまで見送りました。>

 栗田明子さんは「くまたんのたんじょうび」他、多くの日本の絵本を海外に紹介されています。


 栗田明子さんが成人したミーナのモデルになったのは間違いないと確信できたのは、『海の向こうに本を届ける』の帯を見たときでした。

「日本文学を海外へ導いたのは、海図のない航海へ出た栗田さんの熱意だった。」小川洋子
と書かれていたのです。

 その栗田明子さんは現在芦屋に戻って来ておられ、偶然にも芦屋でお会いし、ご講演の資料作りのお手伝いなどさせていただきました。このようなチャンスに恵まれたこと自体、私にとっては大変な幸運だったのですが、更に栗田さんに小川洋子さんとお会いできる機会を作っていただいたのです。

 小川洋子さんにお話をお聞きすると、病弱だったミーナが成人したときは世界で元気に働く女性にしたくて栗田さんをモデルにさせてもらったとのことでした。
 ロックウェル様から紹介していただいた本から、ミーナのモデルの栗田明子さんに巡り合い、その巡り合いが『ミーナの行進』の小川洋子さんとの出会いにまで発展しました。
そして驚いたことに、ミーナは須賀敦子さんの実妹の北村良子様にまでつながっていたのです。そのお話は次回にでも。



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初詣は越木岩神社でした

 今年の初詣は越木岩神社。小川洋子さんの『原稿零枚日記』にも泣き相撲で登場する神社です。いつもは比較的静かな山の上の越木岩神社ですが、お正月には、参拝の行列が正面の鳥居の外まで続いていてびっくり。

本殿で参拝の後、は本殿の奥に進み、ご神体の「甑岩」に詣でてきました。


 小川洋子さんは、『原稿零枚日記』でこんなふうに説明されています。

<社殿の裏、石段をしばらく登ったあたりには巨大な石が祀られている。近辺の丘陵地帯で多く産出される質のいい花崗岩で、高さは十メートルほどもあるだろうか。いくつかの岩が組み合わさっているようんみも見えるが、説明書きによれば一塊の巨石であるらしい。入り組んだ形状と、天辺の割れ目に根を張り枝を広げている樹木のせいで全体像をつかむのは容易ではなく、周囲を一周するにも足場が悪くて骨が折れる。その樹木がじわじわと岩を割り砕いているようでもあるし、逆に岩が樹木を飲み込んでいるかのようでもある。そんな巨大なものがどういうバランスでそこに留まっているのか、支点となるポイントを見つけようと何度か試みたが上手くいかなかった。>


 更に登って、あの話題となった磐座のマンション建設予定地も覗いてみましたが、ここは以前見た時と全く変わっていません。

『原稿零枚日記』が書かれた頃は、まだ夙川女学院があった頃のお話です。

<神社の周囲は案外近くまで宅地開発が進み、新しい住宅が整然と立ち並んでいる。斜面の真下には女子大もあり、木々の隙間からは所々校舎が覗いて見える。しかし森の静けさを侵すものはどこにもない。>

と述べられていますが、神社の森はこの先どうなるのでしょう。


 

参拝から戻り、邸宅が並ぶ名次山や南郷山のあたりを散策していると、エントランスや道路に面した花壇に、冬の寒さに負けないビオラやパンジー、アリッサム、ガーデンシクラメンなどが咲いており、目を楽しませてくれました。





静かで気持ちのいい散歩道です。




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小川洋子『ミーナの行進』の成人したミーナのモデルとなった栗田明子さん

 小川洋子『ミーナの行進』の主人公ミーナが成人してからのモデルは実在していました。

 著作権輸出センターの創業者で、相談役となられて現在は芦屋に戻られている栗田明子さんです。


『ミーナの行進』では次のように描かれています。
<次の年の夏、ローザおばあさんが静かに米田さんの後を追って旅立つと、ミーナは中学の卒業式を待たずにヨーロッパへ渡り、スイスの寄宿学校へ進学した。その後、フランクフルト大学で文学を学び、貿易会社で大使館に勤務したあと、三十五歳でケルンに出版エージェンシー会社を設立した。ヨーロッパと日本の文学作品の翻訳出版を、仲立ちする会社だった。>
 栗田さんは甲南女子高校を卒業後、伊藤忠商事に就職。1981年には日本の出版物を海外に広めるべく自ら著作権代理店栗田板東事務所を設立し、ドイツ・ケルンを本拠に欧米出版社に日本の図書を紹介する事業を展開されるのです。

 ケルンのミーナから朋子への手紙です。
<朋子様
 ケルンは一年中で一番美しい季節を迎えています。そちら、岡山はいかがですか。叔母様もお変わりなくお元気でしょうか。
おかげさまで私は、なかなか儲かれへんわ、と愚痴をこぼしながら楽しく仕事に励んでおります。翻訳出版のエージェントなんて、誰が褒めてくれるわけでもない地味な仕事ですが、それでもたまには、ささやかな、かけがえのない喜びをもたらしてくれます。今日、町の本屋さんで、私の手がけた絵本を買っている女の子に出会いました。大事そうに本を抱え、お母さんと手をつないで家へ帰っていくその子の後姿をずっと見えなくなるまで見送りました。>

 栗田さんは実際に、1975年のボローニャ国際児童図書展に初参加して以来、ブームとなりつつあった児童書、特に絵本の日本語版権利の交渉にあたっておられたのです。
「なかなか儲からへんわ。」というお話も事実だったようですが、日本著作権輸出センターを創業後、ヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』の日本での出版を手掛け、黒字化に成功されたようです。

 栗田明子さんは『海の向こうに本を届ける』で、『ソフィーの世界』について次のように述べられています。
<やがて、ソフトカバーでも出版され、二〇〇万部に近いという、信じられないような部数が、九歳から九十六歳までの読者に売れました。JFCにとっては、「天からの贈りもの」でした。そして、発足時には恐らく期待されていなかった株主たちに、はじめて配当を出すことができました。その黒字の由って来るものが、本当の会社の設立のも目的である「著作権輸出」によるものではなかったことを、残念に思いました。>

 それにしても創業された会社が利益を上げるようになり、喜びもひとしおだったと思います。

 もし『ミーナの行進』の続編を書くとすれば、その後世界を駆けまわって活躍したミーナは事業を成功させ、芦屋に戻ってくるというお話になるのでしょう。

 先日、栗田明子さんにお会いする機会に恵まれ、お話を伺うことができました。栗田さんは、小川洋子さんの作品の海外出版企画を通じてお知り合いになられ、小川洋子さんからミーナが成人してからのモデルを海外で活躍する栗田さんにさせていただきたいと言われたそうです。

 次回は栗田さんのケルン時代に出会われた絵本『トミーが三歳になった日』についてご紹介したいと思います。



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小川洋子の「ミーナ」が成人してからのモデル栗田明子さんにお話を伺いました

 『夢の宝石箱』、『海の向こうに本を届ける』の著者、栗田明子さん。東京在住と思っていましたが、3年前に芦屋に帰ってこられたそうで、私の長年の夢が叶って、お会いしてお話を聞くことができました。


 栗田さんは昭和9年のお生まれで、甲南女子高校 を卒業後、「女が大学に行ったらお嫁のもらい手がなくなる。」という古風な父親から言われ素直に伊藤忠商事に就職。その後、著作権代理店(株)ユニ・エージェンシーに勤務。そして1981年には日本の出版物を海外に広めるべく自ら著作権代理店栗田板東事務所を設立。ドイツ・ケルンを本拠に欧米出版社に日本の図書を紹介。その事務所は日本著作権輸出センターへと発展し、現在は同社相談役をされています。
 その彼女の姿こそ、小川洋子『ミーナの行進』の主人公ミーナが大きくなった時のモデルに違いないと思っていました。
『ミーナの行進』からです。
<ミーナは中学の卒業式を待たずにヨーロッパへ渡り、スイスの寄宿学校へ進学した。その後、フランクフルト大学で文学を学び、貿易会社で大使館に勤務したあと、三十五歳でケルンに出版エージェンシー会社を設立した。ヨーロッパと日本の文学作品の翻訳出版を、仲立ちする会社だった。>まさに栗田さんのお仕事です。

 先日、栗田明子さんにお会いして最初にお尋ねしたのは「ミーナのモデルになっていますよね」だったのですが、お話を伺うと小川洋子さんは、ミーナが成人してからは国際的に活躍する女性にしたくて、栗田明子さんの了承を得て、ミーナの成人してからのモデルにされたそうです。

 『海の向こうに本を届ける』の帯には小川洋子さんが、「日本文学を海外へ導いたのは、海図のない航海へ出た栗田さんの熱意だった」と書かれているのです。

 栗田明子さんは10歳まで西宮におられ、河野多恵子さんも通っていた建石小学校に通われていたそうです。
是非とも、西宮文学案内」などでご講演いただきたいと願っています。



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小川洋子さんのエッセイに登場する愛犬ラブの写真も展示中

 芦屋市民センター展示場で、10月3日まで「芦屋のペット大集合」と題して、ペットの写真展が開催されています。そこに『犬のしっぽを撫でながら』や『とにかく散歩いたしましょう』などに登場する小川洋子さんの愛犬ラブの写真を提供いただき、展示させていただきました。

「いつも犬や猫といっしょだった作家たち」というコーナーに写真と著作を展示しています。


『犬のしっぽを撫でながら』には、子犬のころのラブのお話が。

<三十数年前の人生で初めて、犬を飼ってみようか、という気になったのは、優雅にして思索的な散歩にあこがれてのことであった。小説を書いているとどうしても運動不足になる。散歩が手っ取り早くていいのは確かだが。倉敷の田舎では道を歩いている人はほとんど見かけない。ランドセルを背負った小学生か。農作業へ出るお年寄り以外、皆車で移動するので、手ぶらでふらふら歩いていると異様に目立ってしまう。
 そこで登場するのが犬である。しかも大きくてどっしりとした賢い犬。それを従えていれば、誰に遠慮することもなく、心行くまで散歩を楽しめるだろうし、机の前に座っている時には思いもつかなかった斬新な小説のアイデアが、浮かぶかもしれない。
 以上のような夢をのせて我が家へやって来たのが、ラブラドールの子犬ラブだった。>


『とにかく散歩いたしましょう』で登場するお利口さんのラブです。

<疲れきって家に帰ると、ラブがお利口に待っていた。ご飯ももらえず、散歩にも行けないままずっと放り出されていたのに、文句も言わず、待ちくたびれた様子も見せず、それどころか「何かあったんですか。大丈夫ですか」という目で私を見上げ、尻尾を振ってくれた。
 散歩に出ると、普段と違う暗闇に怖れる怖おともなく、いつも以上に元気に歩いた。その時々の不安を私が打ち明けると、じっと耳を傾け、「ひとまず心配事は脇に置いて、とにかく散歩いたしましょう。散歩が一番です」とでも言うかのように、魅力的な匂いの隠れた次の茂みを目指してグイとリードを引っ張った。>


 展示コーナーには有栖川有栖さんから提供いただいた愛猫‘イク’‘タマ’の写真も展示しており、その他野坂昭如、幸田文、谷崎潤一郎、村松友視、大佛次郎らの作品や写真も並んでいます。





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ついに発見!小川洋子『ミーナの行進』を生んだ芦屋のi伊藤動物園跡地

 小川洋子さんは『ミーナの行進』で受賞した谷崎潤一郎賞受賞記念特別講演で、昔、芦屋に私設動物園があったことを次のように紹介されています。
<住みはじめてしばらくした頃、「広報あしや」の中の『歴史散歩』という小さなコラムに、芦屋に私立の動物園があったという、そのような紹介記事がありました。そこには、戦前のことですけれど、ある製薬会社の社長さんのお家が、ロバ・サル・クジャク・リスなどを飼っていて、それを近所の子どもたちに無料で開放していたといったエピソードが紹介されていました。>
 その伊藤動物園の子息がロバに乗って小学校に通っていたことが、ミーナがコビトカバに乗って小学校に通う物語を生んだのです。

 小川洋子さんが読まれたのは、「広報あしや」平成14年11月15日号のようで、<昭和初期、その小字寺田の一角に入園無料の私設動物園「伊藤動物園」(通称)がありました。二百坪の園内には、ロバ・サル・クジャク・リス・ウサギ、池付きの小鳥小屋があり、ゾウの形をした滑り台・ブランコなどの遊具も完備され、手作りの砂山やトンネル(コンクリート管を代用)もありました。また、動物園の入り口には「布袋さん」の石造品もあったと言われています。この動物園は、七ふく製薬の社長であった伊藤氏が開園したものですが、戦後廃園になったと言われています。>
と書かれていました。

上の図は記憶をもとに描かれた伊藤動物園の見取り図です。

 以上については、2012年9月の私の記事で紹介し、伊藤動物園が西芦屋町にあったことまではわかったのですが、七ふく製薬の社長伊藤長兵衛氏の御屋敷と伊藤動物園の場所は遂に特定できずに終わっていました。

 しかし、このたび「芦屋の街角ウォッチンング」で『ミーナの行進』の舞台を案内することになり、芦屋の歴史に詳しいW氏に依頼して、昭和7年の精道村明細図を調べてもらい、伊藤長兵衛邸の場所が判明しました。

精道村詳細図で赤く囲んだところが伊藤長兵衛邸です。
 阪急芦屋川駅から南に下った一つ目の橋、「月若橋」の通りを西にしばらく歩いた所です。

 さらに幸運なことに、「芦屋の街角ウォッチンング」で現地を訪ねたとき、近くにお住まいの方から伊藤邸と道を挟んで東側に伊藤動物園があったことを教えていただきました。
したがって、上の明細図で赤く矢印した空き地の部分が伊藤動物園のあった場所なのです。

写真は現在の様子で、西芦屋町の能治歯科医院の西側が駐車場になっており、その場所が伊藤動物園だったのです。

「芦屋の街角ウォッチンング」の最後は旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)で解散となりましたが、屋上からは、『ミーナ行進』の舞台が見晴らせました。

そして芦屋の伯父さんの大きな洋館のモデルとなった右近権座衛門邸もはっきりと見えていました。


アーチが目を惹きます。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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