阪急沿線文学散歩

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サンデー毎日創刊号(?)を飾った谷崎夫人、撮影は北尾鐐之助

 『近畿景観』の著者、北尾鐐之助は大阪毎日新聞の初代写真部長、『サンデー毎日』『芝居とキネマ』編集長を務めた人物です。


 彼が『サンデー毎日』に、当時まだ無名で18歳の将来の谷崎夫人(森田松子さん)を表紙に使われていたというのは、驚きでした。
 
 稲沢秀夫著『聞書谷崎潤一郎』で松子さんのお話が次のように紹介されています。
<これはね、大正十一年に、「サンデー毎日」の表紙絵になった時の。日傘さして。夏ですね。なんかサインがございますでしょう。探して野村尚吾さんが送ってきてくださったんですの。もう何かだいぶ色が薄くなって。北尾鐐之助って、そのころ、『近畿の景観』とかいう本をずっと続けて出していらっしゃった方で、写真家で、とってもお上手でしたけれども、毎日新聞の写真部の場長してらっしゃんです。わたしの満十八歳の時のですね。確か「サンデー毎日」の創刊号だったと思いますのよ。十一年だから、まだ谷崎とは全然会っていない時分のでしょう。大正十一年七月二日写すと裏に書いてありますね、これは野村尚吾さんが調べてくださったんです。>

 早速、「サンデー毎日」の創刊号を調べてみると、残念ながら表紙はどこかの街の写真。

 
 大正11年4月2日号が創刊号ですから、7月2日の撮影ですと、もう少し後の号の表紙に使われたようです。

 日傘をさした松子さんの写真は、『谷崎潤一郎の恋文』にも使われていますが、こちらの写真は18歳には見えません。

 ネットで「サンデー毎日」の表紙を調べていると、小さな日傘をさした少女の写真がありましたが、こちらかどうかはわかりません。


表紙絵になった経緯は次のように述べられていました。

<そのころ割合とよく毎日新聞へ行ってましたんですね。見学団と言いましたかしら、それによくお友達と行っておりましてね。そういう中でまだ若かったしね。ちょうど英国のプリンスオブウェールズが日本へいらしった時で、それから三浦環が日本へ帰って来て初めて公演した時で、そんな時にわたしが花束を舞台まで持って行ったりしたことがあったんです。そんなことで毎日新聞がわたしを表紙絵にね。>
さすが谷崎松子さん、若き日から北尾鐐之助の目を引くほどの美人だったようです。




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谷崎潤一郎と根津家の付き合いが始まった夙川の根津家本宅

 昭和四年から五年まで住み込みで谷崎潤一郎の助手を務めた高木治江は『谷崎潤一郎の思い出』で当時の数々のエピソードを素直な目で著わしています。


 当時は谷崎潤一郎は最初の妻、千代と娘の鮎子とともに武庫郡岡本梅ヶ谷(現・神戸市東灘区岡本)に新居を築き、岡本に住んでいました。

<七月に入って、夙川の根津家からの招待で先生と千代夫人は夕方から出かけていった。この根津清太郎氏は資産数百万といわれる三百年も続いた船場木綿問屋の若旦那で根津財閥の当主だが、夙川に本宅を構え、芸能人のスポンサーになることが好きで立派な衣装を贈ったり、本宅に招いたりして随分な銭をつぎ込むが、妻の松子夫人も藤永田造船所の森田専務の四人娘の次女に当たり、近代的な美貌と艶麗な容姿とで評判の女性である。この夫人も文壇の有名人との付合いが好きで、後年書かれた『細雪』の四女性の次女に当たり、三女の中はんと末娘のこいさんが根津家に同居していて贅をつくしている。>

 夙川の根津家とは武庫郡大社村森具字北蓮毛847。

現在の相生町です。
 この時は夫婦で根津家に招待されていますが、まだ根津家の羽振りも良かったようです。

 松子夫人は先年既に、芥川龍之介に紹介してもらうため、北の料亭を訪れたとき、同席していた谷崎潤一郎に会っているのですが、その時は分かれ分かれとなっており、この夙川の根津家本宅への招待から家族ぐるみの付合いが始まったそうです。
 谷崎潤一郎は帰るなり、
<「根津夫人は客を招待する朝は自分で買い出しに行き、自分で料理をして、時間までは普段着のまま、まめまめしく働き、時間にはさっとあでやかに装い、全く船場のご寮人さんの格式を備えて客人のもてなし振りが素晴らしい。女はあるえでなくっちゃ駄目だ」と私共の前で頻りに誉め立てた。「お金がないんだもの、そんなこと出来やしない」と、さりげなく千代夫人は言い......と話し、松子さんにぞっこんだったことが窺えます。
 しかし、まだ谷崎は松子さんとの結婚など頭になかったようで、この後「細君譲渡事件」で佐藤春夫に千代夫人を譲りますが、その後結婚した相手は古川丁未子です。松子夫人と正式に結ばれたのは夙川で根津家との付合いが始まってから6年後のことでした。




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神戸モダニズムの風景を冒頭で活写した谷崎潤一郎『赤い屋根』

 大正3年(1914)からの第一次世界大戦は日本に好況をもたらしましたが、とりわけ港町神戸では船成金が輩出し、神戸経済は未曽有の繁栄を享受します。その結果、外国人商館が中心であった元居留地に日本商館が進出し、ハイカラ都市神戸が生まれたのです。
 大正12年の関東大震災で関西に移り住んだ谷崎潤一郎は大正14年に『赤い屋根』という短編を発表しますが、その冒頭はモダニズム時代の神戸の街を見事に活写しています。

<中山手三丁目で電車を降りて、三ノ宮の方へ一直線に下がっているアスファルトの坂道を歩きだすと、繭子の姿勢には自ら一種の「形」がつき、足はひとりでに弾んで行った。>

これはトアロードど山手幹線が交差する中山手三丁目の交差点、当時は市電の駅が現在のNHK放送局前にありました。

<一帯に街が綺麗で、大概な路面はアスファルトで固めてある神戸の中でも、土地の人がトーア・ロードと呼んでいる此の坂は一番気持ちがいい。後ろの方には新緑の衣を着けたトーア・ホテルの丘があって、そこから真っ直ぐに、恰も白墨で描いたようにカッキリした道が。、海岸へ向って降りている。>

上の写真は現在のトアロード。

谷崎が見たのは下の写真のようなトーア・ロードでした。


<海岸の方には、晴れた五月の青空の下に、明海ビルディングだの、オリエンタル・ホテルだのの高い建物が、角砂糖を重ねた如く遠望の中に際立っている。繭子は此処を歩いていると、嘗て一年ばかりを過ごした上海の街を想い浮かべて、今でも彼処に住んでいたような気がするのである。>

トアロードを真っ直ぐ南へ降りてくると、神戸大丸があり、旧居留地の明石町筋へと続きます。


 明石町筋にある明海ビル(旧居留地明石町32番)は大正10年に竣工され、美しい洋風建築でしたが、残念ながら阪神大震災により被災し全面的に建て替えられています。


 そのまま海岸通りまで下ると、角に大正11年築、渡辺節設計の商船三井ビルディング (旧居留地海岸通5番)があり、現在は、大丸インテリア館「ル・スティル」として営業中です。

 
 谷崎が小説に書いた当時は、下の写真のような風景だったのでしょう。

商船三井ビルディングの後ろに少し見えているのが明治40年に移転してきた三代目のオリエンタル・ホテル((旧居留地海岸通6番)です。

 この風景、確かに上海のバンド地区に似ています。
(写真は5年ほど前撮影)

谷崎は大正7年に中国を訪問しており、その時の印象と重ね合わせたのでしょう。

 ここで登場する繭子は、『痴人の愛』の主人公・ナオミのモデルにもなった最初の夫人・千代の妹の映画女優・葉山三千子(本名石川せい子)と言われており、次のように描かれています。

<此の服装で、手には一本の、革紐の附いた籐のケーンを振りながら行く恰好は、西洋娘のタイピストが午の休みに運動に出たと云う形で、遠目に見たら間違える人もあるかも知れない。彼女も実はそう見られたい気持ちもあって、此の往来を通るときは帽子を眼深に、鍔の先からやや仰向いた鼻の頭と、仏蘭西製のルージュを塗った唇だけが目立つようにした。>

まさに谷崎潤一郎と同じく、神戸モダニズムの時代を過ごした中山岩太が撮影したトアロードの風景を思い起こさせます。


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谷崎潤一郎記念館で「細雪に見る阪神大水害」展

 6月17日まで谷崎潤一郎記念館ロビーギャラリーで「細雪に見る阪神大水害」展が開催され、『細雪』に描かれた場面の引用とともに、当時のニュース写真が展示されていました。


 その中で今回初めて見た写真が倚松庵の隣に住む「シュトルツ家」のモデルとなった「シュルンボルム家」の人々の写真。

大水害の場面では、隣家のシュトルツ夫人が境界の金網の上から首を出して、青ざめた顔をしながら、幸子に話しかけます。
<「わたしの旦那さん、ペータァとルミーを迎えに神戸へ行きました。大変心配です」
シュトルツ氏の三人の子供たちのうち、フリッツはまだ幼いので学校へ行っていなかったが、ペータァとローゼマリーは神戸の山手にある独逸人倶楽部付属の独逸小学校へ通っていた。>
写真にはモデルとなったシュルンボルム夫人と三人の可愛い子供たちが写っています。


展示されていた引用文の「隣家の生還」です。

『細雪』に記述されている独逸人倶楽部は英人倶楽部より歴史が古く、大正9年の神戸新聞「居留地の今昔」によると、
<英人倶楽部が建つ以前に独逸人倶楽部が存在した事は前述の如くであるが是は頗る奇妙な事で種々の難関を排して居留地を経営したのは英国人であるのに商館を一番に建てたのも独逸人であった、英国領事館が居留地外人の代表者たる程の勢威があったに拘らず不完全なる領事館を持った独逸人が商売を真先に始めて居った。倶楽部なども然うである。>
と、興味深い記事が記されていました。

 さらにこの独逸人倶楽部の流れを汲むクラブ・コンコルディアは昭和2年に北野坂に移転し、昭和55年まであったそうです。




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優雅な花見を小説に描いた谷崎潤一郎

 花見を題材にした小説はいくつかありますが、その優美さや機微を見事に描ききっているのは、何といっても谷崎潤一郎『細雪』でしょう。

<毎年春が来ると、夫や娘や妹たちを誘って京都へ花を見に行くことを、ここ数年来欠かしたことがなかったので、いつからともなくそれが一つの行事のようになっていた。此の行事には、貞之助と悦子とは仕事や学校の方の都合で欠席したことがあるけれども、幸子、雪子、妙子の三姉妹の顔が揃わなかったことは一度もなく、幸子としては、散る花を惜しむとともに、妹たちの娘時代を惜しむ心も加わっていたので、来る年ごとに、口にこそ出さね、少なくとも雪子と一緒に花を見るのは、今年が最後ではあるまいかと思い思いした。>
 蒔岡家のお話ですが、実際に谷崎潤一郎が春になると京都に花見に訪れた様子が、そのまま小説になっています。


<その心持は雪子も同様に感じているらしくて、大方の花に対しては幸子ほどに関心を、持たない二人だけれども、いつも内々此の行事を楽しみにし、もう早くから、−あのお水取りの済む頃から、花の咲くのを待ち設け、その時に着て行く羽織や帯や長襦袢の末にまで、それとなく心づもりをしている様子が余所目にも看て取れるのであった。>
 描かれたのは、一泊二日の祇園の夜桜、嵐山の桜、平安神宮の桜を巡る花見旅行でした。

ところで先だってBSプレミアムで放映された『平成細雪』は撮影シーズンが秋だっため、紅葉の美しい映像を見せていただきましたが、春の桜の映像を見ることができませんでした。

 そこでロケ地として登場した日本さくら名所100選にも選ばれている夙川の翠橋付近の桜はどうなっているか昨日訪ねてみました。

高岡早紀演じる幸子が翠橋の上から、妙子と啓坊が歩いて来るのをみつけるシーンです。

昨日翠橋から見た夙川です。見事に桜が咲いていました。見比べると川べりの歩道に降りる階段に掲示板がありますが、撮影の時は取り払っていたようです。

高岡早紀さんが歩いていた翠橋です。


阪神間モダニズムの時代に架け替えられた夙川の橋はそれぞれ趣があり、『平成細雪』でも第一話と第四話に登場します。

川べりの歩道からのシーンが最も趣があります。
昨日は午前中にゆっくり夙川べりの花見をさせていただきました。



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蒔岡家三人姉妹が歩く芦屋水道路は『平成細雪』では宇治の興聖寺参道

 谷崎潤一郎『細雪』では、幸子、幸子、妙子の蒔岡家三姉妹が艶やかな着物姿で阪急芦屋川駅北の水道路(現在の山手サンモール商店街)を歩く様子が次のように描かれています。

<幸子の家から蘆屋川の停留所までは七八丁と云うところなので、今日のように急ぐ時は自動車を走らせることもあり、又散歩がてらぶらぶら歩いて行くこともあった。そして、この三人の姉妹が、たまたま天気の好い日などに、土地の人が水道路と呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、余所行きの衣裳を着飾って連れ立って歩いて行く姿は、さすがに人の目を惹かずにはいなかったので、あのあたりの町家の人々は、皆よくこの三人の顔を見覚えていて噂し合ったものであったが、それでも三人のほんとうの歳を知っている者は少かったであろう。>

 さてこの場面『平成細雪』では、芦屋の分家から雪子の見合いに長女鶴子が加わった四姉妹が雪子の見合いが行われる神戸に向かうシーンとして登場します。

まず阪急芦屋川駅の西にあることになっている蒔岡家の分家は、宝塚市雲雀丘花屋敷にある国登録有形文化財の洋館・正司泰一郎邸。

そこに本家の鶴子が分家を訪れ、四姉妹そろって見合い会場の神戸のホテルに向かいます。

雪子の見合いの場面は神戸ポートピアホテルで撮影されていますが、そのロビーの撮影には、大阪船場の綿業会館が使われています。

 そして、見合い会場に行くために四姉妹が紅葉のきれいな道をそぞろ歩くシーンは、どう考えても芦屋でなければならないのですが、宇治市にある興聖寺の本堂に通じる参道が使われていました。

原作では芦屋の水道路なのですが、土地勘のある人には不自然に感じます。

 ところで宇治の興聖寺は、私の好きなドラマで最近も再放送されていた『京都人の密かな愉しみ』、その中でも面白かった「わたしは京都が嫌い編」にも登場していたお寺。

京都と京都人を嫌う外国人言語学者エミリー(シャーロット・K・フォックス)の京都の挨拶の誇張した解説は傑作でした。

そして「久楽屋春信」の女将沢藤鶴(銀粉蝶)が夫が祇園の芸妓との間に儲けていた隠し子清哲に会いに訪れたお寺が聖興寺でした。

龍仁老師を演ずる伊武雅刀の名演技も光っていました。



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『平成細雪』は市川崑監督作品へのオマージュ

 谷崎潤一郎『細雪』では、京都での花見が最も大切な家族の行事として描かれています。
<毎年春が来ると、夫や娘や妹たちを誘って京都へ花を見に行くことを、ここ数年来欠かしたことがなかったので、いつからともなくそれが一つの行事のようになっていた。>
 小説で花見に行くメンバーは貞之助、幸子、雪子、妙子、悦子であり、長姉の鶴子は参加していません。
<明くる日の朝は、先ず広沢の池のほとりへ行って、水に枝をさしかけた一本の桜の樹の下に、幸子、悦子、雪子、妙子、と云う順に列ならんだ姿を、遍照寺山を背景に入れて貞之助がライカに収めた。>
『細雪』は谷崎潤一郎自身の生活をモデルとしており、谷崎が写した小説そのものの花見の写真が残されています。

左から重子(雪子)、信子(妙子)、恵美子(悦子)、松子(幸子)。

<あの、神門を這入って大極殿を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を蹈み入れた所にある数株の紅枝垂れ、―――海外にまでその美を謳われていると云う名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉もみながら、毎年廻廊の門をくぐる迄はあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女達は、忽まち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あー」と、感歎の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘わたって待ちつづけていたものなのである。>
と谷崎は桜の美しさを見事に描写しています。

美的センスを誇る市川崑監督は1983年公開の映画『細雪』で京都の花見の様子を、長女鶴子を加えた四姉妹の見事な映像に仕上げました。

一方、『平成細雪』で花見のシーンに対応した映像は紅葉の美しい宇治の興聖寺参道でロケされたシーン。撮影時期が秋であったことが影響したのでしょうが、春の桜に対抗する秋の日本の美を代表する紅葉の下の四姉妹が映像化されていました。

更に和服姿の美しい四姉妹に対抗して、最終回の第四話では左京区にある隋心院で、「平成」を意識した洋服姿でお茶を飲む四姉妹。


右京区二尊院の参道で撮影された紅葉のラストシーンも見事でした。

 映画『細雪』(市川崑監督)以来35年ぶりの映像化となった『平成細雪』は市川崑監督へのオマージュと言ってもいい作品でした。




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『平成細雪』妙子のデザイン工房ロケ地となった夙川のカフェ「茶家」

 『平成細雪』で妙子のデザイン工房のロケ地となったのは夙川の越木岩橋のたもとにあるカフェ「茶家」。

外観だけでなく、部屋の中も撮影されたようなので訪ねてみました。

女性オーナーが日本茶の美味しさを知ってもらいたい、とオープンしたカフェで、各地から厳選した茶葉を急須で三煎までいただくことができます。

いただいたのは丹波大納言小豆のたい焼きと静岡茶

ご自慢のたい焼きとあって、香ばしくほどよい甘みでした。

店内は、木のフロアと家具に囲まれた落ち着いた雰囲気になっています。

お茶柄の手ぬぐいや風呂敷も置かれていました。
 
 お茶を飲みながらロケの時のことを女性オーナーに色々お聞きしました。
 夏にぶらりと入ってきたお客から撮影に貸してもらえるかと尋ねられたことがきっかけとなり、10月の土、日2日間で準備し撮影を行ったそうです。

ストーリー展開から、水害で流されそうなくらい川の傍にある民家を探していたそうですが、芦屋川沿いの家は川べりから離れており見つからず、夙川をずっと歩いて探し当てたのが茶家さんだったそうです。

正面の橋が越木岩橋。茶家さんはその左手。水かさをCGで上げてやれば、流されそうな民家がでてきますが、芦屋川の川岸には、そのような条件に合った家はなさそうです。

店内のシーン、見比べると撮影に持ってきた家具と、もともとあった棚などよくわかります。

木の机や丸椅子は一部店内の物を使われたようです。

ところで、撮影に使われた小道具で店の前にある木の柵と鉢は残していってくれたそうです。

確かにFace Bookに載せられているお店の写真には柵がありません。


 初めて訪ねた客にもかかわらず、撮影の時の楽しい経験や女優さんとお話されたことなど色々聞かせていただき、店内の写真も気兼ねなく撮らせていただきました。

興味のある方は、ぜひ一度お訪ねください。




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『平成細雪』暴風雨シーンは平成29年の台風21号実写でした

 原作の住吉川・芦屋川の阪神大水害シーンは『平成細雪』では夙川に場所を変えて登場します。

四女妙子のデザイン工房は夙川の越木岩橋のたもとにあるカフェ「茶家」さんでロケ。


夙川の上流、航空写真の黄色の丸印の位置。


 夙川の水位が上がり、デザイン工房が流されそうになり、妙子が暴風雨の中を芦屋の分家に帰る様子が描かれています。

これが台風の実写ではないかと思いだしたのは、「茶家」さんの外装が、上の映像のようにアトリエ風にされていない元のままの姿が映っていたことがきっかけでした。

さすがに、夙川の水位はCGですが、雨や風の様子はCGとは思えません。

北夙川橋のシーン。

大井出橋付近のシーン。

 ロケがあった「茶家」さんに伺って、ロケのお話をお聞きすると、やはりこの暴風雨のシーンは実写だったとのこと。
10月の「茶家」さんでのロケの約一週間前、台風接近で近くでロケをすると連絡があったそうです。CGはやはり実写には及ばないとのこと。

ただ妙子がアトリエ工房の中から、外の様子を確かめる場面は、撮影日が異なり放水車を呼んで雨を降らせたそうです。

 超大型で非常に強い台風台風21号が夙川に来たのは平成29年10月22日のことでした。神戸の瞬間風速が45・9メートルを記録し神戸の観測では、「ジェーン台風」に次ぐ歴代3位の強風で、「第2室戸台風」も上回ったそうです。

「茶屋」さんでお聞きしたロケの時のお話を次回にも続けます。

総合テレビで「平成細雪」の再放送が始まります。
●第1話 2月20日(火)午前0時15分〜 ※19(月)深夜
●第2話 2月20日(火)午前1時09分〜 ※19(月)深夜
●第3話 2月21日(水)午前0時15分〜 ※20(火)深夜
●最終話 2月21日(水)午前1時09分〜 ※20(火)深夜



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『平成細雪』で登場する美しい神戸の街

 今回は『平成細雪』で登場した神戸の観光スポットを紹介しましょう。
 谷崎潤一郎の原作『細雪』で雪子の最初の見合いの場所は、当時中央区京町にあったオリエンタルホテルでした。


<それも、井谷が双方をただ何となく招待すると云うかねての約束に従って、努めて見合いのような感じを起こさせないようにと云う条件付で、当日時間は午後六時、場所はオリエンタルホテル、出席者は、主人側は井谷と井谷の二番目の弟の、大阪の鉄屋国分商店に勤めている村上房次郎夫妻、此の房次郎が先方の瀬越なる人物の旧友であるところから今度の話が持ち上がった訳なので、これは是非共当夜の会合に欠けてはならない顔であった。>


この見合いの場面は1959年版映画『細雪』では六甲山ホテルが使われていました。

さて、『平成細雪』での瀬越との見合い場所は、ポートピアホテル最上階のフレンチレストラン トランテアンのようです。
その他にもいくつか神戸のシーンが登場します。

雪子と幸子と見合い相手の瀬越が食事をする場面は、神戸の街を見晴らせるビーナス・ブリッジを上がった諏訪山公園展望台にあるイタリアンレストラン「ジャンカルド」のようです。

神戸の絶景夜景も。

妙子と板倉がショーウインドウに置かれた二眼レフカメラを見る場面はハーバーランドのモザイクかと思ってしまいましたが、神戸北野町と紹介されていました。

四女妙子と奥畑啓三のスポーツカーでのデートスポットはライトアップされた神戸大橋下。

 ところで、1959年版の『細雪』で妙子と啓三がスポーツカーで走るのはは阪急甲陽線に沿った道路。後ろに禿げた甲山が映っています。

上は59年前の甲陽園道踏切。下は平成の甲陽園道踏切と阪急電車。

田圃は埋め立てられ、ここからは甲山も見えなくなりました。


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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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