阪急沿線文学散歩

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グリコ・森永事件が題材の『罪の声』に登場する思い出の阪神パーク

 グリコ・森永事件を題材にして、昨年の「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位に選ばれた『罪の声』の作者は、尼崎市生まれ、関西学院大学社会学部卒業、2012年に神戸新聞社を退社し、専業作家となったという塩田武士氏。


 著者は、「この一冊を書くために、グリ森の関連書籍や公表されている資料に可能な限り当たったのはもちろん、事件が起こった84年から85年にかけての新聞すべてに目を通しました。事件現場にも何度も足を運びましたし、周辺に住んでる方への「聞き込み」もやりました。」と取材への情熱を語り、
『罪の声』の最後のページには、<本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ。森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の文言、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。>記しています。

 現場の様子から脅迫状の文言に至るまで、忠実に再現しながら、80年代半ばの日本社会の世相を描き、事件が紐解かれていくという構成によって、「グリコ。森永事件」の臨場感を味わいながら読み進むことができた作品でした。

 著者が取材する過程で、特に印象に残ったのは大阪の摂津市にある水防倉庫と述べています。

<ここは「グリ森」で江崎勝久社長が実際に監禁された場所ですが、行ってみると、倉庫だけがぽつんと立ち、周辺には何もない。「犯人に土地鑑がなければ、絶対にここには連れてこないだろう」と改めて思いましたね。>

 私がこの作品の中で印象に残ったのは、今も当時の姿のまま残っている水防倉庫とは対照的に、2003年に閉鎖され、今や跡形も無くなっている「阪神パーク」の光景。


 ネタバレになりますので、登場人物の説明はいたしません。
<「時期は分からないんですが、達夫さんは一度、俊也さんを動物園に連れていかれたみたいですよ。阪神パークやったかな」阪神パークはかつて甲子園球場前にあった娯楽施設で、動物園のほかジェットコースターや観覧車なども設置していた。
「あっ、そうや。レオポン見に行ったとか言うてましたね」久しぶりにレオポンと聞いて、俊也の海馬が疼いた。何かあると思った後、すぐ頭に浮かんだのは、ヒョウとライオンの間に生まれた珍獣の姿ではなく、キツネ目の男だった。>

レオポンの剥製は現在もリゾ鳴尾浜に展示されていました。

<たまに思い出すキツネ目の男を尾行するシーン。あれは阪神パークの伯父の後をついて歩く光景だったのではないか。今はなき素朴な施設の情景が甦り、俊也の胸に懐かしく、切ない気持ちが込み上げる。>

著者は1975年生まれ、グリコ森永事件発生時は6歳ですから、この光景は著者の幼いころの思い出と重ねているのかもしれません。

その跡地には今は何も残っていません。




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重松清の原作から生まれかえった大森寿美男『アゲイン28年目の甲子園』

 今年1月に封切られた中井貴一と波瑠が演じる「アゲイン 28年目の甲子園」、既にDVDレンタルが始まっており、TUTAYAから借りると、原作を越える感動物で涙なしでは見れません。


 原作は重松清が小説スバルに連載した『アゲイン』で既にご紹介しました。


http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11147225c.html


 さらに映画の脚本をノベラライズした小説が大森寿美男『アゲイン 28年目の甲子園』(原作重松清)で、集英社文庫から出版されています。

この本を読んだ時も、目がうるうるしてきました。
 

その最後で「おまけの話」と題して重松清が原作と映画とノベラライズ版の複雑な成り立ちについて解説しています。
<本書は、いささか複雑な成り立ちをしている。まず、映画『アゲイン 28年目の甲子園』のために、僕が「原作」となる大まかな物語を書いた。いわば設計図、いや、音楽の譜面のほうが近いだろうか。それを基にして僕は僕で小説作品をつくり、監督・脚本の大森寿美男さんを中心とする映画チームは映画をつくる −という方法を採った。>
ほとんど同時進行だったようです。
<今回の仕事は、小説の雑誌連載と並行して映画製作が進められるという、変則的なスタイルをとった。つまり、小説と映画が、それそれの登攀ルートで頂を目指すということである。登るべき山の形は、僕が描いた。映画チームに必ず立ち寄っていただきたいポイントもいくつか置いた。そのうえで。あとは大森監督の原作の「食いっぷり」に任せることにした。>
「いっきゅう・ひとだま」のお話など、まさに必ず立ち寄っていただきたいポイントだったのでしょう。

 

残念ながら原作第二章の地元では、「イチニシ」と呼ばれている市西OGのプラカードガールの物語は映画には登場しませんでしたが。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11147559c.html


<そして完成試写 −。シナリオが描いた登攀ルートは、中井貴一さんをはじめとする俳優・女優陣の渾身の演技によって、さらに深くて熱い魅力に満ち溢れたものになっていた。>


<心からの喝采を捧げた。『マスターズ甲子園』の素晴らしさをあらためて噛みしめ、なにより、原作が「生まれかわる」ことのスゴさを教えていただいた。>

 重松清の原作と大森寿美男の「アゲイン 28年目の甲子園」を読み比べ、見比べて、その実感がよくわかりました。

 


 さて今年のマスターズ甲子園は11月7日、8日の二日間にわたり開催されたそうです。またここでも映画に劣らない感動の物語が生まれたことでしょう。



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大正11年の鳴尾野球戦(下村海南『新聞に入りて』より)

 甲子園球場の春の選抜高校野球もいよいよ明日は福井代表と北海道代表の決勝戦でワクワクします。第一回の全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)は大正4年(1915年)に大阪府豊中村の豊中グラウンドで開催されましたが、大正6年から大正13年(甲子年)に甲子園大運動場ができるまで、鳴尾球場で開催されることになります。
 下村海南は『新聞に入りて』で「鳴尾野球戦」と題して、次のような短歌を読んでいます。
<社主催の年中行事第八回全国中等学校選手野球大会は、八月十三日より十八日に亘り鳴尾のグランドに開催さる。第五日松山商業神戸商業と戦い一対二にて惜敗し選手皆泣き観衆又泣く。第六日和歌山中学再び月桂冠を得て井口投手以下勝戦に嗚咽し衆又泣く。

 

万人の歓呼のうちに勝ちし群れは 旗を先にし静かにぞすすむ

 

刀折れ矢つきても猶雄たけびの こゑなりやまず三津が濱邊に

 

戦のいやはての勝得し人の おもわに光る涙を見ずや    >


今も変わらぬ、感涙のシーンです。

 さてこの鳴尾球場とは、当時すでにあった鳴尾競馬場のトラックの内部に二面設けられていたそうです。

 


 昭和11年の吉田初三郎の西宮市鳥瞰図では、既に撤去された後で、その姿は描かれていませんでした。

 


鳴尾競馬場は相当広かったらしく、見取り図を見ると、競馬トラックの内側に観覧席、陸上トラック、野球場、テニスコートなどがあったようです。



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上甲子園にあるムレスナティーハウス西宮本店へ

 フレーバーティーで有名なムレスナティーハウス本店が西宮の上甲子園にあるとのことで、娘に誘われ、訪ねてみました。

 

お店は国道2号線から少し入ったところ。

オーナーもおられて、楽しいお話を聞くことができました。

 

 お店に入ると甘い香りにつつまれ、紅茶のパッケージデザインなどに目を奪われます。デイヴィッド.Kと名乗るオーナーこだわりのようで、京阪神エルマガジン社から「ART of TEA ―紅茶人生をアートにしたいのです−」という著書まで出版されていました。


お昼に行ったので、頼んだのはフレーバーティーとホットケーキ。

 待つ間にオーナーから色々お話を聞かせていただきました。(青いエプロン姿の方)

 

  究極のホットケーキと自称される、オーナー自ら美味しいホットケーキが食べたくて材料の選定から、焼き方にまでこだわり、自ら設計して職人さんに手作りしてもらったという銅版のプレートと焼き型。

 

 たっぷりかけていただいたシロップはメイプルソースではなく、キャラメルティーを煮出して作られたもの、店頭販売もされていました。

 

 フレーバーティーとホットケーキの美味しさは食べログで3.7という高得点が物語っています。またコースターやティーポットのデザインにもこだわられている様子。
 ティーパーティやセミナーも時々開催されているそうです。


 オーナー社長のディヴィッド氏がムレスナティーの日本初店舗となる西宮本店をオープンしたのは1998年とのことですが、西宮から本店を移さず、「僕はあえて、ここから発信するのが良いと思っている。どこにもないものがつくりたいからね。」というのは嬉しい心意気です。
 ART of TEAに書かれていた事で、一番気に入ったのは、『ディヴィッド語録傑作選』の一つ、「経営者はオーナーシェフと同じ。現場を離れてはだめ。」という言葉。この言葉、「ものづくり」の世界でもまったその通りなのです。
当日もお店に出てそのまま実践されている姿は、たのもしく思えました。



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市立西宮高校OGが主役の重松清『アゲイン』第二章

 重松清『アゲイン』第二章「胸をはって、前を向いて」からです。


いよいよマスターズ甲子園の開会式が始まります。

<開会式は八時半に始まる。あと二十分。球場の中では、入場行進で『栄冠は君に輝く』を演奏する兵庫県警音楽隊は、高校生の甲子園大会でも入場行の演奏を担当している。『マスターズ甲子園』は、そういうところでもホンモノにこだわるのだ。学校名を記したプラカードを掲げて先導するもの、高校生の大会と同様、西宮市立西宮高校 −ただし、現役の女子高生ではなく、『マスターズ』の理念に則って、OGの元・女子高生がボランティアで担当する。>


<県立西宮高校と区別するために地元では、「イチニシ」と呼ばれている市立西宮高校と甲子園とのかかわりは、1949年にまでさかのぼる。戦後の男女共学をアピールする意味もあって、入場行進で女子生徒がプラカードを持つことになり、地元のイチニシに白羽の矢が立ったのだ。プラカード・ガールは、二年生の女子が担当する。代表校のプラカードに加え、大会旗を持って入場するのもイチニシの生徒なので、四倍近い競争率になる。>


 この章の主人公、市西OGの明美さんの結婚生活は四年で終わり、女手ひとつで長女と長男を育てあげます。明美さんの辿ってきた人生は決して幸せなものではありませんでした。高校時代にプラカード・ガールへの応募をあきらめた明美さんは行進をしながら思います。
<三十年前の夏、もしもプラカード・ガールの審査会に合格して、甲子園で入場行進をしていたら、その後の人生はどう変わっただろう。ガリガリの痩せっぽちでも大役を果たせたんだ、という自信を胸に、どんな道を歩んでいただろう。逆にもし本番で貧血を起こして倒れてしまっていたら、情けなさと申し訳なさにさいなまれ、心に深い傷を負って、その後はどんな人生になっていただろう。>


明美さんは開会式を終えて、駅に向かって歩きます。
<しばらく球場に残って余韻にひたりたい気持ちもないわけではなかったが、だからこそ、さっさと帰んなきゃ、と自分をせきたてた。夢はかなえた。後悔も消し去った。次は −。
おなかに力を込めて、がんばろう、と小さくうなづいた。長い道のりになるかもしれない。苦しい上り坂だらけかもしれない。とぼとぼと歩いていてはだめだ。グッと胸を張った。背筋もピンと伸ばした。入場行進で演奏された『栄冠は君に輝く』は、音は消えてしまっても、まだ耳の奥で響いている。>
 原作ではマスターズ甲子園に携わる一人一人の人生が描かれています。


 

 映画ではプラカード・ガールたちはどのように登場するのでしょうか。来年の公開が楽しみです。


 アゲイン第一章、第二章は全文、集英社WEB文芸RENZABUROで読むことができます。
http://renzaburo.jp/contents_i/081-shigematsu/001/index.html
しかし、小説すばるに掲載されたオリジナルとは登場人物名やストーリーが少し変わっていました。私のブログの引用は、第一章は小説すばるの初出版から、第二章はWEB版からです。

今年のブログ投稿は今日が最後です。皆さま良いお年をお迎えください。



栄冠は君に輝く
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この映画、昨年の12月に甲子園球場で撮影がおこなわれたそうですね。
スタンドのエキストラのみなさん、さぞかし寒かったことでしょう。

5月の夙川公民館での西宮文学案内『ラ・パボーニを訪れた作家たち』、とても楽しかったです。
あれから北新地の「ラ・パボーニ」にも初めておじゃまさせていただきました。
いつもジュンク堂書店へ向かうときに前を通っていたのに、まったく気づかなかったです。
そして7月には大手前大学での堀晃さんの講演会もありました。
あの県会議員さんの話題までとびだしたのにはビックリしました(笑)

今夜から寒い年明けになるようですが、良いお年をおむかえください。

[ 373 ] 2014/12/31 8:03:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さんありがとうございました。何度もお話できるチャンスがありながら失礼いたしました。堀晃さんの講演、大変印象に残るものでした。また大手前大学であのような講演会が開かれればいいのですが。また来年もよろしくお願いいたします。

[ seitaro ] 2014/12/31 11:16:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

プラカード持ち、わたしの中学生の時のクラスメートも出場しました。もう50年以上も昔の話です。

[ akaru ] 2014/12/31 11:40:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

そのクラスメートにとっては、貴重な想い出となっているでしょうね。毎年入場行進を見るのをきっと楽しみにされていることでしょう。

[ seitaro ] 2014/12/31 11:50:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

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重松清『アゲイン』の主人公は神戸大学学生ボランティア

 小説すばる2012年5月号から重松清『アゲイン』の連載がはじまりました。


「かつての高校球児たちが、もう一度夢を叶えるチャンス。『マスターズ甲子園』の一日が始る」と副題がついた第一章いっきゅう・ひとだま の主人公は大会実行委員会で写真や動画撮影、そして選手へのインタビューなどをおこなう記録班の神戸大学の学生ボランティア美枝ちゃん。

 

 美枝ちゃんの父、晴彦さんは、高校時代には甲子園には届かなかった野球部員で、市役所の職員でしたが、一年半前の東日本大震災の津波で亡くなり、職場からみつかった遺品はロッカーにあったグローブだけ。マスターズ甲子園のはじまる日の早朝、美枝ちゃんはアパートからそのグローブとアクリルのフォトフレームに入った晴彦さんの写真をバッグに入れてでかけます。

<アパートの最寄の阪急御影駅から、梅田行きの始発に乗った。五時十一分発 ―こんな時間の電車に乗るのは、大学に入ってこの街に引越して来て以来初めてのことだった。阪急の本線で西宮北口駅まで行き、今津からは阪神電車で二駅乗れば、五時四十五分に甲子園駅に着く。>


<バッグから晴彦さんの写真を取り出した。両手で胸に掲げて、「お父さん、ここだよ、甲子園」と声に出して言った。「連れて来てあげたからね」>


そして同じ大学のボランティアで球拾いの担当をするカズ君が遺品のグローブを使うことにするのですが、震災の津波でグローブの土手についた泥をこそげ落とすと文字が現れます。
<「なんて書いてあるか、カズくん、読める?」「うん、たぶん、一球入魂だと思うけど」
「へえーっ、ちょっと見せて」最初は「わっ、お父さんの字だ、お父さんの字、そう、こんな字だったんだよねー」と笑っていた君の声が、不意に止まった。うつむいて、目を伏せて、肩が小刻みに震えはじめる。>
と小学生の頃、「いっきゅう・ひとだま」と読んだ時のお父さんとの会話を思い出すのです。

 

映画と原作のストーリーは少し違うようですが、映画でも想い出のグローブは登場するようです。

 

 神戸大学のホームページを見ていると、こんな記事がありました。


<神戸大学大学院人間発達環境学研究科の長ヶ原誠教授と高田義弘准教授、そして数多くの学生・院生が中心となり、10年にわたり企画・運営してきた「マスターズ甲子園」が映画化されることになりました。直木賞作家である重松清さんが大会を題材とした小説「アゲイン」を『小説すばる』に連載し、これを原作として、「風が強く吹いている」等の映画制作を手がけた大森寿美男さんが脚本・監督を務め、2013年11月よりクランクインとなりました。>

 

昨年から撮影は始まったようです。



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アゲイン28年目の甲子園

 テレビを見ていると、来年1月17日封切の「アゲイン28年目の甲子園」の予告編が放映されていました。予告を見ただけで中高年オヤジが見に行きたくなる作品。主演は中井貴一。若いときに比べ、格段にいい役者になったと思います。


原作者は「僕はさえないオヤジたちのささやかな物語を好んで書いている作家である」と自称する重松清。
 2012年から小説すばるに連載小説「アゲイン」を書くきっかけとなったのは、2006年に週刊朝日ノンフィクション劇場「オヤジたちの甲子園」として『マスターズ甲子園2006』をルポしたことによるもののようです。


 マスターズ甲子園とは高校野球部のOB/OGが、世代、性別、甲子園出場経験の有無、元プロ・アマチュアなど、キャリアの壁を超えて出身校別にチームを結成し、すべての元高校球児の憧れである「甲子園球場」を再び目指すための大会。2004年、神戸大学発達科学部に大会事務局が発足し、第1回大会は19歳から75歳までの379名が参加。第2回大会から星野仙一氏が名誉会長に就任し、続く第3回大会には作家・重松清が応援団長になったそうです。

 

今年も11月15日16日の2日間開催されました。

 

 2006年のルポは朝日新聞社より『夢・続投!マスターズ甲子園』として出版されています。

 そのプロローグを少し紹介しましょう。
重松清は「高校野球の最大の魅力は終わりの美学にある」と認めた上で、高校野球が終わったあとの人生にスポットライトをあてています。
<高校野球は確かに終わった。でも、人生は終わったわけじゃないし、青春の夢だってそんなきれいさっぱり「ジ・エンド」とはいかないんじゃないか?>

<「終わり」の美学は、おとなには似合わない。「終わらない」こと、「つづける」こと −人が生きることは、決して勝ち続けなければ先に進めないトーナメントではない。勝ったり負けたりを繰り返すリーグ戦なのだと、僕は信じているし、この国のこの社会はそうであってほしい、とも祈っている。そんな僕にとって、髪が薄くなって腹も出てしまったオヤジたちが、もう一度甲子園を目指して仲間たちと白球を追うドラマは、とびっきりの輝きを放つものだった。>


 西宮で育ったおかげで、小学生時代に甲子園の土を踏んだことがあるとはいえ、甲子園など目指したことの無い私でも、読んでいて熱くなるドラマです。プロローグの最後の言葉はその理由を明かしてくれます。
<本書は、甲子園を舞台にした物語である。だが、ほんとうの舞台は、読んでくださった一人ひとりの胸にある「青春」なのだと思っている。>


それでは映画を見に行く前に、原作『アゲイン』を読んでみましょう。

 



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昭和11年吉田初三郎鳥瞰図に描かれた甲子園ホテル

昭和11年吉田初三郎鳥瞰図に描かれた甲子園ホテルです。

甲子園ホテルは大正十一年に武庫川の治水工事で埋立てられた枝川・申川の廃河川跡に、帝国ホテルの元役員であった林愛作を迎えて建設・運営会社がまとめられ、昭和五年に開業しました。

設計は、帝国ホテルの設計者フランク・ロイド・ライトの一番弟子の遠藤新によるもので、現在も武庫川学院甲子園会館、建築学科のキャンパスとして使われ、美しい姿が保存されています。


http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10944468c.html

 昭和4年に刊行された北尾鐐之助の『近畿景観』「阪神風景漫歩」にも当時の甲子園の風景が述べられていました。
<武庫大橋を少し西にあるくと、そこに甲子園へ折れる、阪神の「上甲子園」という停留所ができた。線路の両側はずっと長い堤防だ。東海道線の通っている下新田のところから、西に流れていた武庫川の枝川を、そこから断ち切ったのだ。両方の堤防から低く沈んだ、川底の真ん中を電車が走る。甲子園の運動場も、その河の中にできたのだ。やがて、あの沢山な堤の松の景観もいまに形をなくすることだろう。元の堤であったこの丘の上は、生い茂った叢の中に、細い径を通じていて、まだ昔の寂しさをそのままに残している。>


鳥瞰図を見ると枝川の堤の松の景観が残っていますが、今は住宅が建ちならんで、北尾鐐之助が述べているように、ここが昔、川だったなんてとても想像できません。

 佐藤愛子は昭和11年には甲子園二番町に新築した佐藤紅緑邸に住んでいました。小説『愛子』には昭和の初めの甲子園駅の様子が描かれています。
<停車場の前は、いつも明るかった。いつも人がいなかった。横の方を小さなきれいな川が流れていた。停車場は新しく建ったばかりで、クリーム色に光っている建物の上の、高いところにゴトンゴトンと電車が入ってきては、まばらな人影を吐き出した。そのたびにどこからか眠たそうな声が、「こーしえーんー」と聞こえてきた。>
昭和の初めはまだ小さな川が流れる寂しい駅だったようです。
 <停車場前の広場に立っている銅像は、袴をはいた背の高いおじいさんだった。右手に扇子を持って、高い台座の上でプラットホームの方を睨んでいる。銅像のまわりの石段は、いつも太陽の光を吸って暖まっているが、長い間そこに腰をかけていると、夕方になるにつれて、お尻の下が冷たくなっていく。わたしはその広場がすきだった。>


銅像は阪神電鉄の初代社長外山脩造で、鳥瞰図にも小さく描かれています。
 佐藤愛子は昭和の初め鳴尾村(現在の阪神甲子園駅付近)に住んでいましたが、昭和8年には最初住んでいた家から、近くの甲子園二番町に転居しました。
 神戸新聞文化部編「名作を歩く」では、<小説で五番町となっているその屋敷跡は、大邸宅が立ち並ぶ甲子園二番町の角地。二メートルを超える石垣が残り、今も威容を誇るが、当時の建物は既になく、代ってある企業の寮として鉄筋三階の近代建築が建つ。>と書かれています。


「女優万里子」でも新しい家は次のように描かれています。
<家の南は苺畑が連なり、その広がりの向うに武庫川の堤が真横に緑の筋を引いていた。庭には三つの築山があり、中庭は苔と竹林でなり立っている。夏は武庫川の堤から苺畑を渡って来る南風が前庭から中庭へと吹き通るその十二畳の大座敷が父の書斎で、………>

鳥瞰図では上甲子園と甲子園を結ぶ線の丁度中間辺り、右側に一軒の家と松林が描かれていますが、この家が新築された佐藤紅緑邸ではないでしょうか。残念ながら苺畑は描かれていませんでした。



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現在は企業の寮となっているというあの石垣の場所はたぶん時々通る場所!
なるほど、あそこだったんですか〜、とびっくりしました。

[ にゃんこ ] 2014/04/10 8:35:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

立派な石垣と門扉でしたので、佐藤紅緑邸は大豪邸だったのでしょうね。

[ seitaro ] 2014/04/10 21:08:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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