阪急沿線文学散歩

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六甲山耐寒登山とパラボラアンテナ(『浜風受くる日々に』より)

 風見梢太郎『浜風受くる日々に』を読んでいると、昭和39年頃甲陽学院では六甲山耐寒登山が開催されていたようです。


 コースは芦屋の奥池から宝殿橋経由で一軒茶屋まで登り、山上の縦走路を経て寒天山道を下り白鶴美術館に至るコースです。

 主人公波多野哲郎は、その年の耐寒登山で体を動かすことがひどく苦手な脇田の世話をすることになり、疲労困憊した脇田と一軒茶屋で休憩します。


<脇田は甘酒を飲み終えると、畳の上に大の字になって動かなくなった。水滴で曇った窓ガラスを通して、峰を越えてきた雪が深い谷に落ちていくのがかすかに見えた。
 体が暖かくなると、哲郎はさっき見た不思議なものが気になり始めた。
「先生、僕さっき変なものを見たんです。とっても大きくて御椀のような形をした不気味なものやったんです」>
 六甲山最高峰には米軍の巨大パラボラアンテナがありました。大戦中は旧陸軍の高射砲陣地があり、戦後米軍が接収し、巨大なパラボラアンテナを設置したそうです。
 Webで調べると1992年の写真が日本共産党兵庫県委員会発行のWeb版「兵庫民報」に掲載されていました。

 

 私が小学生の頃、下界から見る六甲山のパラボラアンテナはただ珍しいだけでしたが、色々なご意見がありました。
<あれはパラボラアンテナや、米軍のな。この山の一番高いところに二つ建ってるんや」
「パラボラって電波を出すやつですか」「そうや」「米軍のアンテナ言うたら、ここからアメリカまで電波飛ばしてるんですか」「まさか、いくらなんでもマイクロ波はここから直接アメリカまでは飛ばん。日本の中の米軍基地の間を飛ぶ回線なんや」「ここの電波はどこにいってるんですか」「東は箱根の大観山、そこから座間、府中、横須賀」
中澤はそう言って、くもった窓ガラスに地図を書き始めた。「西の方はなあ、呉の灰ヶ峰から福岡の背振山、そこから分かれて、一つは対馬を経て韓国のチャンサンへ、もう一つは鹿児島から沖縄の嘉手納基地につながっているんや」「そうですか、全然知りませんでした」
「日本の山も空も海も米軍が我が物顔や、危険なことやな」中澤は苦々しい表情になってそう言った。>


 子供の頃は、平地からも二つのパラボラアンテナが見えていましたので、六甲山最高峰の場所がよくわかりました。

 今はどうなっているのかと登ってみると、現在も大きな電波中継塔があり、柵で囲われていました。掲示物がなかったので、よくわかりませんが自衛隊の所管でしょうか。

六甲山最高峰の碑を次々とハイカーが訪れ、記念撮影していました。

 

傍には一等三角点もありました。


私には六甲山のパラボラアンテナも懐かしい記憶です。




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おじゃまいたします。
きのうは、大手前大学に足をはこばれたのでしょうか?

小松左京さんについては、5月17日にもっと詳しいお話しをうかがっていました(笑)。
とはいえ、その小松さんと久坂葉子さんの、あったかもしれない奇縁の「発見」は、さすがSF作家ならではの面目躍如でした。
そうそう、いま一番西宮で有名なアノ人の話題まで飛び出しました。

学長さんの、気取りのないお人柄と、美しい校舎にもふれることができて、わたしにとっては、得がたい土曜日の昼下がりになりました。

[ 373 ] 2014/07/13 14:11:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

373さんも出席されていましたか。小松左京と久坂葉子の邂逅の
SF作品、是非実現して頂きたいと願っています。私は茶話会まで参加させていただき、本当に楽しい講演会でした。ありがとうございました。
当日の内容はこれからアップさせていただきます。

[ seitaro ] 2014/07/13 19:23:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『浜風受くる日々に』に描かれた甲子園ホテル(その2)

 昭和39年『濱風受くる日々に』で哲郎と木下は甲陽学院高校から甲子園ホテルまで歩きました。


昨年テレビで放映された建設当時の甲子園ホテル。枝川を堰止めて建てられていることがよくわかります。

<「あれだよ」木下が立ち止まった。
「すごい。ホテルというより城郭やなあ。まるで竜宮城や」「そうだね。どことなく日本風だね」「青山の家の近くにあったのと、大分感じが違うなあ」「ホテルと住宅の違いだろうか」「そんなもんかなあ」「あっ、そう言えばちょっと違うかもしれない」木下は首をひねった。>
私には日本風という印象はなかったのですが、よく見ると瓦屋根の部分があります。


<「思い出したよ。山邑邸は確かにライトの設計で、実際の建築は愛弟子の遠藤新が担当したけど、甲子園ホテルの方は最初から遠藤新の設計だ。その違いかもしれんなあ。甲子園ホテルは、帝国ホテルのライト館に非常に似ているとは言われているけどね」>


ライトの設計から離れられなかった遠藤新と言われることもあるそうですが、外観も内装にも、水の雫や打出の小槌があしらわれた遠藤新の斬新なデザインが印象的です。


ホールの天井には障子を模したライティングがありました。

 

遠藤新による客室スケッチでは洋室と和室を組み合わせた、現代的な作りの部屋となっています。

 

<どんな人が泊まったんやろな、こんなすごいところに」「ここは、上流階級の社交場だったみたいだよ」鹿鳴館みたいなものかと思ってそのことを木下に訊くと、木下は鹿鳴館とは時代も、目的も違う、とあきれたように言った。>
昭和の初めに開業した甲子園ホテル、リゾートホテルの顔と同時に、大坂の迎賓館としての役割を果たしたそうです。


(写真は開業当時のパンフレットから)


 開館後最初のVIPは新婚旅行を兼ねてヨーロッパ歴訪旅行に向かう高松宮夫妻でした。また阪神間に住む中産階級の会合やロータリークラブや酒造組合の会合にも使われていたそうです。

 甲子園ホテルは現在、武庫川学院甲子園会館として再生され、建築学科のキャンパスとなり、あらかじめ申し込めば見学させてもらえます。
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kkcampus/

 



遠藤新
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『浜風受くる日々に』に描かれた甲子園ホテル(その1)

 風見梢太郎『濱風受くる日々に』で文化祭の日、波多野哲郎は新聞部の部室で木下と雑談し、帰る段になって甲子園ホテルを見に行くことにします。

 昭和11年の吉田初三郎の鳥瞰図では甲陽学院は当時甲陽中学として描かれ、甲子園ホテルも上甲子園の北側に描かれています。
<このまま帰ってしまうのが惜しいような気がした。もう少し木下と話したい気がした。「あんたこの近くにライトが設計した建物があるってしっとるか」「甲子園ホテルのことだろうか」木下が首を傾げた。「いや、名前は知らん。青山が、言うてたから」「たぶん甲子園ホテルのことだろうね」「見られるんか」「外からだけど」「何で」「今はやってないから。
戦前には東の帝国ホテル、西の甲子園ホテルって言われたけど戦争が終わってから米軍に接収された。今は日本に帰ってるけど、ホテルとしてはやってない、大蔵省かどこかの管理になっていると思う」「そうか、そとからだけでも見たいな」「あんた、建築に興味あるの」「そういうわけやないけど、この前ライトの建築見たらすばらしかったから」哲郎は一分の隙もない建物を思い出しながら言った。>

哲郎が見た一分の隙もないライトの建築とは、旧山邑邸でした。

 哲郎と木下は校門を出て甲子園駅下のガードを通ります。
<ガードの下は、鋪石を敷き詰めた路面電車の道だった。「ここ、昔、川が流れてたところやろ、木下、ちょっと待ってくれ」哲郎は立ち止まった。大きな鉄の梁を支える脚が、いかにも川の中に立つ橋脚に似ていた。>
二人は梁と脚との境目当たりに「枝川橋梁」と書かれているのを見つけます。
先日行ってみましたが、甲子園駅改造工事中のため、もうその文字をみつけることができませんでした。


Webで調べてみると、凛太郎さんが『ちょっと歴史っぽい西宮』で、詳しく解説され、「枝川橋梁」と書かれた銘板の写真も掲載されていました。
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55416440.html

 

昭和39年はまだ甲子園線の路面電車が走っていたようです。


この甲子園線の走っているところ、現在の340号線が枝川でした。


<「この電車、何や?阪神電車の急行にちょっと似とるけど」「これ、阪神電車が運営する路面電車だよ。阪神国道線っていうんだ。本線は東神戸から大阪の野田まで行ってるんだ。ここはその支線で、甲子園線って呼ばれてる。上甲子園から浜甲子園まで行ってるんだ」
歩道と車道の境には並木が植えられていた。>


二人は甲子園線に沿って上甲子園のほうに歩きます。国道2号線との交差点です。


<道が斜めに走る大きな道にぶつかった。の道にも石畳があり、軌道が敷設されていた。「これが阪神国道の本線だよ。」「そうか、これが大阪までいってるのか、すごいなあ」「一本の路面電車としては日本で一番長いんだ。端から端まで乗ると二時間近くかかるらしい」
信号をわたると、道が細くなり微妙にカーブしていた。やがて楠の林の向こうに驚くほど大きな建物が見えはじめた。>

甲子園ホテルは現在、武庫川学院甲子園会館として再生され、建築学科のキャンパスとなり、あらかじめ申し込めば見学させてもらえます。

http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kkcampus/



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『浜風受くる日々に』に登場するF.L.ライトのヨドコウ迎賓館

 『浜風受くる日々に』の主人公波多野哲郎は夏休みの終わり近くに級友で東京から編入学した青山の家を訪問します。青山の家は阪急芦屋川駅から川沿いの急坂を十五分ほど上がった大きな家です。


(写真は芦屋川の開森橋から芦屋浜を臨む)


 家でミサ曲のレコードを聞いた後、青山は哲郎を散歩に誘います。

青山の家は上の写真の坂道を上がったところにあります。

 


<裏木戸を出て木立の間の細い道を抜けると、急な坂道に出た。さっき哲郎が登ってきた道であった。道を下っていくと、木々に囲まれて、地を這うような灰色の建築物が右手に現れた。>


<「これ、有名な建物だよ。アメリカの建築家のライトっていう人が設計したんだ」
「そうか、なんやすごい建物やなあ」ライトの名前は聞いたことがあったが、どういう建築家なのか、哲郎は知らなかった。>


<主要部分は装飾のほどこされた大谷石でできていた。高台の凹凸に応じて建物が高くなったり低くなったりしていた。各層に取り付けられた平面的な屋根は水平に長く張り出していた。一部のスキもない完璧なつくりだった。>


展示されている模型から、山の斜面をうまく利用した建物であることがよくわかります。


<「誰の家?」「ええと、もともと、山邑家の別荘として造られたものだけど、それを大きな鉄鋼所が買い取って、いまは外国人に貸しているんじゃないかな」「やまむらって変なムラ書くんと違うか」「そうそう、色に似た字だよ、知ってるの」「ああ、多分、灘五郷の酒屋のなかでも三本の指に数えられる名家やと思うわ」「あとの二本の指はどこなの」
「『白鶴』と『菊正宗』の嘉納家、それとうちの学校のスポンサーのT家って聞いた」>

嘉納家と山邑家が共同で設立したのが遠藤周作も通った旧制N中学でした。
<「すごいななあ、個人の別邸やったんか、これ」哲郎は酒造家の財力に目を見張る思いだった。「僕もね、ライトの建築が自分の家の近くにあるとは思わなかったよ」「ライトってどんな建築家や」「フランク・ロイド・ライトはね、東京の帝国ホテルを建てた人だ。今世紀最高の建築家と言われてる」
「そんなすごい人なんか」「僕は、この地方を見直す思いがしたよ。ライトの建築はもっとすごいのが学校の近くにあるようだし、僕たちの高校自体も建築物としてはかなり有名なものだ」>

 

その後、阪神間の住宅開発について青山が知識をひけらかします。

<このころ、近畿地方では、都市をつなぐ電車の路線の建設がさかんになっていた。私鉄各線が開通し、沿線の農村地帯は住宅地として開発が進んだ。特に六甲の南斜面は日当たりがよく景色も美しいので人気が高く、最初は京阪神の豪商の屋敷が、次いで中産階級の住宅が建設された。>


この時期には歴史に残る建物が次々と建設され、地元の酒造資本はこれらの施設を作る上でも大きな役割を果たしました。



阪神間モダニズム
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おはようございます。やっと梅雨空がもどってきたようですね。

ところで来週末、7月12日(土)午後2時から、大手前大学・さくら夙川キャンパスで、SF作家の堀晃(ほりあきら)さんの講演会が開催されます。
阪神間のSFにまつわる内容とのことですから、親しかった小松左京さんや、仲良しのかんべむさしさんの作品について語ってくださるはずです。
くわえて、大谷崎や久坂葉子の話題も用意されているとか。
ご関心と、お時間の都合がつくようでしたら、ぜひどうぞ!
入場無料ですが、事前に申し込みが必要です。
同大学のホームページか、堀さんのブログ「マッドサイエンティストの日記」で検索なさってください。ネットから申し込めるようですよ。

[ 373 ] 2014/07/03 5:59:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

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『浜風受くる日々に』に登場するヴォーリズの神戸女学院

 『浜風受くる日々に』の著者風見梢太郎氏はこの作品を著した理由の一つとして「失われつつある阪神地方の広い意味の文化遺産を書き留めておきたかった。」と述べています。その小説の舞台として登場する文化遺産の一つが神戸女学院です。


 K高校(甲陽学院)に編入学した主人公波多野哲郎は新聞部に入部します。K高校新聞部には近隣の高校の様子を紹介する「他校訪問」連載の企画があり、同じ市内にあるプロテスタント系の女子高に同じ新聞部の青山と取材に出掛けるのです。
<金曜日の放課後、哲郎と青山は電車を乗り継いでM駅に出かけた。駅で待ち受けていた女学生は蔵川亜希、と名乗った。亜希はスラリと背が高く、日本人離れした整った顔立ちをしていた。哲郎は亜希が制服を着ていないことに驚いた。制服のない学校だろう。>

 今や珍しくもない光景かも知れませんが、五十年近く前には、私も私服の中高校生のお嬢様達が西宮北口駅で今津線の先頭車両に乗るのを眺めて、その華やかさに圧倒されていました。


<「あれなの?」青山が訊ねると、亜希は無言で頷いた。哲郎は、古いスペイン風の校舎に興味を覚えた。どんなひとたちが造ったのだろう。そのことを尋ねると、亜希は、待ってましたとばかりに校舎を設計したウイリアム・メレル・ヴォーリズについて語り始めた。>


<「とりあえず、一番ヴォーリズの建物らしいところに行きませんか」アーチ型の門のところに来ると、亜希が言った。哲郎と青山が頷いた。「多分、講堂のところが一番だと思います」亜希はそう言って、先に立って歩き始めた。>


講堂の入り口には昭和6年の定礎式の記念石が残されていました。

 

<哲郎は筒型に湾曲した屋根の瓦の色が一枚一枚微妙に違っているのに気がついた。なんという贅沢なつくりだろう。

「建物の間が全部回廊でつながっているんです」亜希は、右手に見える背の低い細長い建物に歩み寄った。「歩いてみますか」亜希が言うので、哲郎と青山はおっかなびっくりで、回廊に足を踏み入れた。
 ずっと向こうまで続く静かな回廊に夕日が斜めに差し込んでいた。回廊に人気はなかった。歩くためだけに作られた細長い空間は、哲郎に不思議な落ち着きを感じさせた。>

講堂から購買部へと続く回廊です。


そして総務館から文学館への回廊。


ソールチャペルの裏に廻ると、体育館とを結ぶ一番長く、美しい回廊があります。

置かれている長椅子も建設当時からのものらしく、落ち着いた雰囲気を作りだしていました。

 

<懇談が終わると、亜希は、帰る方向が一緒なので二人を送ると言った。
青山と哲郎が亜希の後ろについて坂道を下っていくと、見上げるような石垣の前で、亜希は立ち止まった。
「ちょっと寄っていきませんか」亜希は迷った様子で言った。石垣の上に聳え立っている邸宅が亜希の家なのだろう。….
 石垣を上がりきると、薔薇を一面に植えた前庭があり、その向こうに青緑色の瓦の二階家があった。白い壁には交差するように黒い木が埋め込まれていた。建物の入り口には凝った装飾をほどこした扉があった。>


 著者の風見梢太郎氏の描いたK女学院の令嬢は野坂昭如とあまり変わらないイメージのようでした。

 



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昨日お会いした時、吉永小百合の「明日の花嫁」の話をするのを忘れていましたね。DVD入手されましたか?

[ akaru ] 2014/06/28 19:42:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうでした。私もすっかり忘れておりました。DVDはまだですが、次回までにはお持ちいたしましょう。

[ seitaro ] 2014/06/28 20:08:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

ありがとうございます。内容はほぼ忘れましたが、懐かしさが満点の映画です。

[ akaru ] 2014/06/28 20:51:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

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昭和39年甲陽学院(『浜風受くる日々に』の舞台となった関西の伝統校)

 風見梢太郎『浜風受くる日々に』では主人公波多野哲郎が高校から編入学した昭和38年前後の関西の伝統校K高校が舞台となっています。

 


上は昭和11年の旧制甲陽中学が描かれた吉田発三郎の鳥瞰図です。


 第一編「編入生」に昭和39年の甲子園駅近くの高校の風景が描かれています。
<校門を出た哲郎は、頬が火照るのを気にしながら駅に向かった。
 改札口のある建物の中は森閑としていた。甲子園駅の改札口は二つあり、哲郎たちが利用する西側の小さな改札口は、野球観戦の客が通過する改札口とは違っていた。いわば、K高校の生徒専用のようになっていたので、通学時以外は改札口が混雑することはなかったのだ。>

現在の甲子園駅の西改札口はダイエーもあり、大きくなって賑わっています。
今回の改装工事で更に大きく変わることでしょう。


 学校の窓からの見える風景として、今津っ子さんが紹介されていた今はなき大阪ガスの球形タンクも当時の甲陽学院から見えていたようです。
http://imazukko.sakura.ne.jp/nishinomiya-style/blog/imazukko/C.html
<哲郎は窓の外に目を向けた。瓦屋根を連ねる民家のずっと向こうに、複雑に絡み合う曲がりくねった配管の群れや丸いガスタンクや太い煙突が見えた。>


 さらに哲郎はK高校の戦前の学校新聞のバックナンバーを見て想像します。
<写真に写っている松の木の並び具合に見覚えがあった。校門を出たところに土の盛り上がった低い土手のようなものが続いていて、その上に茂る松林と形が似ていた。駅前の広場をはさんで向こう側にも同じような土の盛り上がりと松の林がある。
 昔はあの二つの松並木の間をこんなきれいな川が流れていたのだろう、と哲郎は思った。>


昭和40年前後はまだ松林がかなり残っていたようです。


第二章ではその川について、主人公と佐武との、こんな会話もでてきます。
<「それはそうと、こっから松林が見えるやろ、校門のすぐ向こう」哲郎はそう言って指を指した。明るい日差しの中で高々と聳える松の林がひどく立派だった。「ああ、それがどうした」「あれ何か知ってるか」「知らん」「あれなあ、川の上に植えられた松並木や」「ふーん」「もう一つ見えるやろ、向こうに、松林が」「ああ」佐武は目の上に手をかざした。
「あの間に、川が流れてたんや。枝川いう」「そんなこと、なんで興味あるんや」
「まあ、面白いやないか、このあたりの昔のことも」「変なことに関心持つやつやなあ。そんなことに貴重な時間を費やすなんて、あほらし」>


現在でも松並木があったとわかるのは甲子園駅を出て東側の松です。
この東側には佐藤愛子さんが住まれていた家がありました。


まだ枝川が流れていた明治時代の地図です。
枝川から申川が更に西に分かれます。その分岐点が現在の甲子園園球場の位置です。

昭和5年の甲子園住宅経営地鳥瞰図です。

 

甲陽学院のグラウンドに沿ってある松並木は申川に沿ったものでしょう。

 

甲陽学院高校は昭和53年に角石町に移転し、その跡地にはノボテル甲子園が立てられています。

 


駐車場の横には甲陽学院発祥の地の石碑が建てられています。
この石碑について、既にもしもしさんが「消えたお稲荷さん」として記事にされています。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000080132/p11031468c.html

 


行ってみると確かにお稲荷さんは移されたようで、敷石が途切れて跡地に若い芝が生えていました。



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seitaroさん、こんばんは。
この鳥瞰図は、興味深いですね。ありがとうございます。
結構大きな建物だったのですね。今のダイエー以上に存在感あります。
碑の裏側に、高校の建物のレリーフがあります。
はじめて紹介した時に、写真をアップしています。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000080132/p10948174c.html

このレリーフの図は、鳥瞰図から見ると西から見たのかもしれません。

[ もしもし ] 2014/06/25 22:34:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん吉田初三郎の鳥瞰図、少しオーバーに描かれていますが、西宮中央図書館で閲覧できます。もしもしさんの記事を見て私もお稲荷様と碑を訪ねました。

[ seitaro ] 2014/06/26 19:49:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

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昭和39年の甲陽学院高校が舞台となった風見梢太郎『浜風受くる日々に』

 風見梢太郎『浜風受くる日々に』は2008年にしんぶん赤旗に連載された小説で、北陸の小都市の中学から甲子園球場のすぐ傍にあるK高校に編入した主人公哲郎の高校2年生の1年間を綴った作品です。


下の写真はノボテル甲子園の敷地にある甲陽学院発祥の地の石碑の裏側にはめ込まれた甲陽学院高校の姿です。


この学校での組合弾圧に苦悩する教師たちへの共感、新聞部で培われた友情、過酷な勉強についていけず退学を決意する友人への同情など、さまざまな出来事の中で主人公が視野をひろげ成長していく姿が描かれています。

 また主人公の家庭の「貧しさ」と友人達の家庭の「豊かさ」を描くことにより、思春期の少年に貧富の差を実感させるという身につまされる様な作品でもありました。
 昭和39年前後の甲陽学院で教員の組合問題が存在していたとは知りませんでしたが、高校で編入した生徒の話や、理系に進もうとする主人公に法学部への進学を勧める友人、「大学への数学」を思い出させる数学談義や授業風景、


チャート式という私もお世話になった参考書、

今で云う格差社会の一端など、身近な話題ばかりで、小説に引き込まれてしまいました。


  著者の風見梢太郎氏は団塊の世代の1948年福井県敦賀市生まれ。

1971年京都大学工学部卒業後は民間企業の研究者だったらしく、2009年の民主文学第34回関西研究集会での講演「格差社会と文学」では、<まだ現役の研究者である。今年4月に定年をむかえたが、再雇用に応じあと4年余りの間は職場にいるつもりである。まだ職場に居るのは、まあ、いわゆる活動家が職場に本当に少なくなってきたので、少しでも私が長く居ることで、職場の権利などを守る一助になるかな、と思っている。>
http://www2.big.or.jp/~kazami/
それから5年を経た現在は退職されているのではないかと思われますが、学生時代から会社生活まで活動家を貫かれた方のようです。
 また著者によると<連載終了直後、K高校の校長先生から電話があって、「本になるのか、なるなら是非それを生徒に読ませたい、本にする予定がないのなら、こちらで新聞切抜きを製本し図書館に置く」。即座に「本になります」と答えた。3ヶ月後、できた本を持って学校を訪問すると応対に出た先生方が大変褒めてくれた、連載を切りぬいて1回から最終回まできれいに閉じて誰でも読めるようにしてあった。連載中は先生方が競って読んでいた。学校として購読してくれていたようだ。


 地元意識 母校意識あるにしても、 しんぶん赤旗に載った小説しかも組合問題がからみ学校への批判も有る作品にもかかわらず大変な反響があった。>
とのこと。私も立場こそ違え、優れた作品だと思います。

 

 この作品を執筆されたのは、「一つはこういう学校に組合ができたことを書いてそれを作った先生方のご苦労に報いたい。もう一つは、失われつつある阪神地方の広い意味の文化遺産を書き留めておきたかった。」と述べられており、物語では甲子園ホテルやヴォーリズの神戸女学院も登場します。次回から小説の舞台を辿ってみます。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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