阪急沿線文学散歩

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門井慶喜『屋根をかける人』W.M.ヴォーリズと心斎橋大丸

 門井慶喜『屋根をかける人』の最後には、ヴォーリズ建築の研究者として有名な大阪芸術大学教授・山形正昭氏から教示を得ましたとの謝辞が記されており、小説の中でも数々のヴォーリズ建築が登場します。
 広岡浅子の大同生命本社ビルはもちろん、昨年から建替え工事にはいっている心斎橋大丸も登場します。


 大正4年の秋か冬のこと、近江八幡の事務所に戻って来たヴォーリズは佐藤久勝を呼びます。
<メレルは彼の横に立ち、ぽんと肩をたたいて、「おもしろいところから話がきました。教会でも保険会社でもない、あなた好みの業界です。デパートメントストア」「でぱーと?」「百貨店ですよ。心斎橋の大丸」>と佐藤久勝にデザインをまかせるのです。
 佐藤久勝は、滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)出身で、ヴォーリズのバイブルクラスで学んだ生徒の一人でした。

2015年には「心斎橋大丸原図展〜ヴォーリズと佐藤久勝〜」が各地で開催されていました。

この人事が図に当たります。
<ひとたび心斎橋筋に面した東側の中央玄関から入った客は、「わっ。」わっ」大きな声をあげ、ぽかんと口をひらくのがつねだった。何しろ一階の天井がたかだかとしている。壁沿いに中二階がぐるりと浮いている。>

<親柱、太い。まるで床柱のような存在感だが、てっぺんが六角状になっていて、その六つの側面はそれぞれに雪の結晶にも似た幾何学模様の電飾がきらきらと埋め込まれているのが斬新だった。様式的にはアールデコに属するのだろうが、それにしても重厚で軽快、少々しちくどいほどのモダンさの演出。こういう異質感あふれる空間設計は、メレルのついぞ発想し得ないところだった。>

<この雪の結晶ふうの紋様はまた、全館を通じての主旋律ともなっている。壁、天井、エレベーターホール、いたるところで大きさを変え、色を変えつつ目立ちに目立っているため、― 商品がかえって貧相に見える。百貨店の支配人が当惑顔をしたほどだった。>

<いちばん街の話題になったのは、内部装飾ではなかった。外壁でもなかった。その境界線というべき東側の中央玄関。いったいに大阪はむかしから屋号をまったく憶えぬことを粋とする客が多く、−高島屋?どこの反物屋や。などとうそぶくのが常だったが。その彼らでさえ、こと大丸に関しては、−ああ、あの孔雀の。しぶしぶ言わざるを得なかった、その孔雀のレリーフが中央玄関の上に凛然とはめこまれていた。>

<常識的にはあり得ない選択だが、これもまた、発注先であるアメリカのアトランティック・テラコッタ社の担者が、−こんなのはどうでしょう。と提案してきたのへ、「メレル先生、これですよ。これにしましょう」熱心に言ったのは佐藤久勝に他ならなかった。>
<こうして大丸心斎橋店は「あの孔雀の」になり、日本最高の百貨店建築のひとつとなった。>
 しかし佐藤久勝は完成少し前、大丸の建設現場で肺炎で突然倒れます。
昭和7年1月6日佐藤久勝は、完成した大丸の建物を見ることなく永遠の眠りについたのです。

昭和 20 年3 月の大阪大空襲で5 階以上を焼失しながらも耐えた歴史的建造物。
どのような姿でよみがえるのでしょう。

発表されている完成予想図です。





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門井慶喜『屋根をかける人』に描かれたヴォーリズ設計の広岡本邸

 W.M.ヴォーリズの波乱の人生を題材にした門井慶喜『屋根をかける人』では、広岡浅子がヴォーリズに依頼し、建てられた広岡本邸の場所が明らかにされています。

 小説では、広岡浅子が亡くなる直前に、見舞いに来たメレルに次のように言い残します。
<その直前、メレルは満喜子とともに浅子をみまった。浅子はベッドのから起きられなかった。指で押した痕がのこるほど顔がむくんでいて、意識もやや遠かったが、それでも目を見ひらいて、「……ほんてい」「え?」「本邸、はよ建てなはれ」>
広岡浅子が亡くなったのは大正8年1月ですが、その翌年に本邸が完成しています。

広岡浅子の実の娘が広岡亀子、その夫がヴォーリズの妻・満喜子の実兄・広岡恵三です。

<兵庫県武庫郡本山村の広岡本邸は、翌年、完成した。
 施工は神戸の気鋭の会社、竹中工務店が担当した。実質上の施主である浅子はもうこの世にはいなかったが、それでも広岡恵三・亀子の主人夫婦に五人の子供、アメリカ人家庭教師、執事、それに多数の女中や下僕がいっぺんに住み始めたため、村そのものが活気づいた。一家というより、一企業が誘致されたような騒ぎだった。>

現在の住所は神戸市東灘区本山町森で、現在の甲南女子大一帯が広岡本邸の跡地だったのです。


小説に書かれているように、ヴォーリズ建築には珍しい、お城のような広岡本邸でした。


大同生命大阪本社の特別展に展示されていた、広岡夫妻・ヴォーリズ夫妻の写真です。

神戸の大邸宅のベランダで撮影したもののようです。



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門井慶喜『屋根をかける人』に描かれたW.M.ヴォーリズの結婚式

 玉岡かおるさんの『負けんとき』以来、久しぶりにウィリアム・メレル・ヴォーリズをモデルにした門井慶喜著『屋根をかける人』が刊行されました。


 内容は、次のように紹介されており、早速読ませていただきました。
<「日本人として生きる」ことを選んだアメリカ人建築家の壮絶な一代記
明治末期にキリスト教布教のために来日したアメリカ人建築家、メレル・ヴォーリズ。彼は日本人として生きることを選び、 終戦後、昭和天皇を守るために戦った――。彼を突き動かした「日本」への思いとは。>

 そのなかで、ヴォーリズの人生のハイライトである満喜子との結婚式のシーンを紹介しましょう。やはり小説ですから、明治学院のチャペルで挙式した経緯などは『負けんとき』とは捉え方が異なりますが、結婚式の様子の描き方はそれぞれ興味をそそられます。
 結婚式を挙げたのは、メレル自身が設計した、東京白金台の明治学院チャペル。大正8年6月3日、メレル38歳、満喜子34歳のときでした。

近江八幡の旧八幡郵便局の二階展示場で、二人の結婚式の写真が展示されていました。

<結婚式の二週間前、メレルは満喜子と共に会場の下見をしたのだが、そのときはもう我ながらどうしようもないはしゃぎ声で、「ほら、満喜子さん、あそこに祭壇があるでしょう」「あります」「さっき外から見たとき、ひときわ高い尖塔があったでしょう」「ありました」「あの尖塔の真下がこの祭壇なのですよ」「へえ」満喜子は苦笑いしたようだった。それくらいわかると言いたかったのかもしれない。>

ヴォーリズが設計した明治学院チャペルです。高い尖塔が見えています。

<メレルは天井のあちこちを指さしながら、「天井も、わざと木の骨組みを見せているんですよ。あの木と、あの木は再利用」「再利用?」「旧チャペルの廃材です。いくら好景気の世の中でも、建築費は惜しまなければ」>

チャペル内部の様子です。木の骨組みが見えていて、華美に走らないヴォーリズ建築の設計思想が伺えます。

当日の列席者は、約三百人に及んだそうです。

満喜子の隣に立っているのが、満喜子の兄広岡恵三の妻かめ子です。
 かめ子の実母で、ふたりの結婚をいちばん応援した広岡浅子は、この半年前に腎臓炎の悪化により亡くなっていました。


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南郷山にヴォーリズ建築事務所設計の建築物が出現か

 今年110周年を迎える夙川地区自治会長様より、夙川に残っているヴォーリズ設計の建物について教えていただきました。

(「夙川地区100年のあゆみ」より)


 多くのヴォーリズ設計の外国人住宅があった夙川地区ですが、旧ナショナルシテイ銀行社宅やヨスト邸は既に取り壊されてしまいました。

(映画『She's Rain』より)


(旧ヨスト邸)


 今もメンテナンスされ残っているのは西田ひかるさんのご主人の実家や広岡邸など数軒にすぎないとお話されていました。

(上田安子記念館)

 夙川地区に近年新たに建てられた一粒社ヴォーリズ建築事務所設計の建築物としては、上田安子記念館やレディース&マタニティクリニック サンタクルス ザ シュクガワがあるそうです。

(ホームページより)

 まさかあの煌びやかな産婦人科の建物がヴォーリズ建築事務所設計によるものとは、想像もできませんでした。

 
 南郷山も上野邸はじめ多くの豪邸が並んでいますが、今日普段あまり歩かない一角がまたまた更地になっているのを見つけました。

以前はどんな景色だったかと、グーグルストリートビューで調べみました。


 このような邸宅の跡地に、次に出現する建物は何かと掲示物を見てみますと、

用途は賃貸長屋、申請代理人は一粒社ヴォーリズ設計事務所となっているではありませんか。

一粒社ヴォーリズ設計事務所設計の2階建て中庭付きの集合住宅になるようです。
どんなデザインの建物が出現するのでしょう?



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そんな賃貸住宅に住んでみたいものです。

[ せいさん ] 2017/04/23 10:39:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

家賃はいくらくらいでしょう。

[ seitaro ] 2017/04/23 11:16:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

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近江八幡の市民が甦らせた八幡掘(秋月達郎『伝道師の形見』より)

『伝道師の形見』では、市役所の市民課に勤める沢美智代が主人公竹之内潤一郎を案内してヴォーリズの設計した建物をまわります。


 途中、二人は八幡掘りのすぐ脇にある「茶房・浜ぐら」という喫茶店に立ち寄った後、八幡掘に沿って歩きます。


<そうそう、このお堀のこと、お話しなくちゃいけません。ここ、いまはこんなに綺麗ですけど、むかしはものすごく汚くて、荒れ果ててたんですよ。こんなに立派になっちゃってからは想像もできないことなんですけどね、草が茫々に生えてて、ヘドロの異臭もして、どうしようもなくて、完全に見捨てられてたんです。死せる八幡掘、とかいわれて……。それが、ここまで綺麗に甦ったんですよ。」>

そんなにひどいお堀になっていたとは現在の風景からは想像もできません。

<「八幡掘を守る会っていう環境ボランティアのひとたちが頑張ったんです。そもそも琵琶湖の水位が低下したことで水の還流しない運河になってたんですね。それで、昭和四十年代には埋め立ての計画まで具体化されてきたんだそうです。あたしの生まれる前の話ですから詳しくは知らないんですけど、でも、それじゃいけないって声をあげたひとたちがいて......」「住民運動が始まったんですか……?」>

この堀を埋め立てる計画まであったなんて。

<結局、二十年くらい前から本格的に整備と浄化が始められたんですよ。三百人のボランティアのひとたちが汗水ながして頑張ったんです。四百年前に秀次が造ったものを、いまの近江八幡の市民が自分たちのちからで甦らせたなんて、凄いことだって正直、おもいます。>

八幡掘りを守る会は現在も活動を継続されているそうです。
http://hachianbori.shiga-saku.net/
その御かげで、今も近江商人の町、ヴォーリズの町を訪れる人は絶えません。



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池田町の洋風住宅街(秋月達郎『伝道師の形見』より)

 近江八幡のウォーターハウス記念館を訪ねました。


 池田町の洋風住宅街について、秋月達郎『伝道師の形見』では、次のように由来が述べられています。
<両親をつれたヴォーリズが近江八幡に戻ったのは、大正三年三月二十九日のこと。すでに池田町にはヴォーリズと悦蔵の新居となる西洋館が二棟、竣工していた。>
 土地の広さは一千坪、支援者であるツッカー女史より贈られた寄付金をもとにしたそうです。

<もっとも、池田町は神の国というよりは神の国のモデル地区とでもいうべきところで、敷地内にはヴォーリズ邸と吉田邸にくわえてウォーターハウス邸も建てられた。>

 建設当時の近江ミッション住宅の写真がありました。右側北よりヴォーリズ邸、ウォーターハウス邸、吉田邸の3棟が並んでいますが、現在はヴォーリズ邸はありません。

現在の旧ウォーターハウス邸、左奥に旧吉田邸が見えます。

現在の旧吉田邸。

<周囲には赤い煉瓦の壁を建てたが、決して高くはせず、ひょいと覗きこめる程度のものにした。近江に住むひとびとに理想的な暮らしを見てほしいという希望からだった。また、おのおの屋敷の正面には庭園を整備し、テニスコートも設けた。町のひとびとは仰天した。
 黒々とした和風家屋しかなかった片田舎に、突如として「アメリカ」が出現したのだから驚かない方がおかしい。だが、ふしぎなもので、しばらくするとこの緑繁る池田町の住宅は近江の景観に融けこみ、町のひとびとも奇異にはおもわぬようになった。>
突如池田町に現れたアメリカです。

 ウォーターハウス記念館に模型が展示されていました。
反射して見えにくいですが、一番奥にダブルハウスと呼ばれた建物が見えます。

 そのダブルハウスについて、『伝道師の形見』では次のように紹介されています。
<ちなみにヴォーリズの両親ジョンとジュリアはしばらくヴォーリズ邸に住んでいたが、ほどなくヴォーリズの結婚が決まったことで、そうもいかなくなった。そこで大正九年には二家族用の洋式長屋(テラスハウス)ともいうべき「ダブルハウス」が計画され、翌年十月の竣工とともにそちらへ移り住んでいる。
 ダブルハウスはその後もさまざまな入居者を得た。ヴォーリズの両親だけでなく、アメリカ人の教師らも住み、昭和十三年には「近江セールズ」の佐藤安太郎と諸川稔が入った。そして現在に至っている。>

現在もダブルハウスはしっかり残っており、住居として使われていました。



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ヴォーリズの赤煉瓦塀(秋月達郎『伝道師の形見』より)

 近江八幡のヴォーリズ建築の散策を続けます。

ようやく旧市街の西端にちかい池田町通りの洋館街にまでやってきました。

 すぐに目につくのが赤煉瓦の塀です。
秋月達郎『伝道師の形見』でも次のように述べられています。
<ことに、池田町の洋館街に長々と続いている赤煉瓦の塀は手作りの風合いがとても見事なものだった。煉瓦はどれもこれも歪にできている。大きいものもあれば小さいものもあり、欠けたものもあれば炙った餅のように胴の膨れ上がったものまで、さまざまに見られた。>

作られたのは大正の初めの頃のようです。

<おそらく、当時から八幡市の船木町にあったホフマン窯(旧中川煉瓦製造所)で焼かれたものなのだろうが、歪な焼き上がりのものを失敗作として処分するのではなく、モルタルでもって繋ぎ、塀として積み上げ、独特な意匠として表現あせている。>

市街地北部の八幡堀と接する敷地に建つ旧中川煉瓦製造所のホフマン窯は国指定の登録有形文化財として残されていました。

<しかも、煉瓦は大小あるにもかかわらず、天をぴったりと揃えてしまうのはまさに職人芸としかいいようがない。>

確かによく見ると「ふぞろいのれんがたち」でした。

<失敗作を利用しろという指示をくだしたのはヴォーリズその人かもしれないが、実際に赤煉瓦とモルタルを手にしたのは当時の名もない職人たちであったであろうことを思うと、彼らの心意気が現代にまで息づいているようにおもわれ、清々しさすら感じられる。>
 工夫して材料費を安く抑えても、当初の設計思想を守るヴォーリズの手法、2013年に神戸女学院岡田山キャンパス移転80周年記念シンポジウム「ヴォーリズ建築の魅力とメッセージ」での隈研吾氏の講演でもお話があったことを記憶しています。

<ただし、こうした腕前を後世にまで披露できるのは、この近江八幡という町が安土桃山の時代から瓦を焼いてきた実績があることと決して無縁ではないだろう。>と締めくくられています。

秋月達郎の小説を読んでいなかったら、不揃いな煉瓦の意味もわからず、見過ごしてしまったことでしょう。



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NPO法人一粒の会により再建された旧八幡郵便局(秋月達郎『伝道師の形見』)

 秋月達郎の『伝道師の形見 近江八幡殺人事件』が刊行されたのは2005年、旧八幡郵便局が復元されたのは2004年のことですから、小説でもその復元の苦労が述べられています。


 主人公竹之内潤一郎が、近江八幡市商工会議所の堤英彦に旧八幡郵便局に案内される場面です。
<これからご案内する郵便局は、しばらくの間、廃屋になっていたんですよ。郵便局をやめてから貸店舗になっていたんですがね、管理が悪くて、入り口の軒部分も壊されて、しかも経営の仕方が悪かったのか夜逃げして、以来二十年以上も放置されたままだったんです。それを見るに見かねた人達が腰を上げて整備復元をはじめたわけです」>

立派に復元され、多くの観光客が訪れる現在の旧八幡郵便局です。

<魚に箸をのばしながら、堤は言った。
「それじゃあ、行政が復元しているんじゃなくて、ボランティアのひとびとが作業してるってことですか」「一粒の会といいましてね、NPO、つまり非営利法人になっています。しかし、大変ですよ。残された商品の片付けから始めて、雨漏りを直して、白蟻にやられている付属部分を取り壊して、外されていた玄関ポーチ……ああ、軒の部分ですが……そこも復元してと……」「そりゃあ、大変な奉仕作業だ……」>

一階内部の様子です。

二階はギャラリーとして使われていました。

ヴォーリズと満喜子の結婚式の写真も展示されていました。

<だが、日本中、朽ち果てようとしている建築物を修理復元しようとしているところは、どこも似たようなもので、資金といえるほどの資金もなく、あるのはさあやかな善意の寄付金と可憐なまでの労働力だけというのが実情とおもっていい。
「情熱だけが財産のような感じですよ。ただ、こちらの郵便局の場合は、ヴォーリスの設計であるということがわかっているだけ、まだましかもしれません」>

 西宮にはもうほとんどヴォーリズの設計の住居は残っておらず、一粒の会の皆様のご努力に頭が下がりました。



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秋月達郎『伝道師の形見』に登場するヴォーリズ記念館

 近江兄弟社の創立者であり、近江八幡市第一号名誉市民であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳(ひとつやなぎ)米来留(めれる))が満喜子夫人と共に過ごした住居がヴォーリズ記念館として保存されています。

 
 秋月達郎『伝道師の形見』では、主人公で亜細亜福祉大学助教授の竹之内潤一郎が近江八幡市商工会議所業務課の堤英彦に案内されて、訪れます
<「建築家として名をなしたヴォーリズは、のちに帰化しましてね。そのおり、奥さんの実家へ……子爵だったそうですが……そこへ養子になるという形で一柳の姓を名のりました。一柳米来留。米来留はミドルネームのメレルから取ったものですが、米国から来たりて留まるもの……という意味の漢字をあてています。日米開戦の前夜のことといいますから、おそらく帰化しないかぎりアメリカへ送還されていたでしょう。ですが、そんな時代に、日本に骨をうずめようと決意したんですから、なみなみならない覚悟だったと思いますよ」「でしょうねえ……」>
小説といえど、かなり詳しくウイリアム・メレル・ヴォーリズについて解説されています。

<相槌を打ちつつ、潤一郎は一柳記念館を見上げた。どうぞ……と案内されるまま、堤について館内に入る。
 聞けば、当館はヴォーリズ来幡百年に合わせ、今年全面的に修繕されたらしい。ヴォーリズの死後、遺品を展示するために改築されていた部分を、生前の使っていたままの戻したというのだが、その修繕ぶりは大したもので、いかにヴォーリズなる青い目の日本人がこの町の人々に愛されているのかがよくわかった。>
 内部には愛用したピアノや資料が展示され、広い居間や応接室のほか、畳の和室もあるそうです。残念ながら電話で予約していなかったので、今回は外観のみです。



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ヴォーリズ建築第一号のアンドリュース記念館へ(秋月達郎『伝道師の形見』)

 秋月達郎『伝道師の形見』第二章ひとつぶの芥子でヴォーリズ建築第一号となったアンドリュース記念館について紹介されています。

明治38年に日本で初の中等学校における学生YMCAを創立させたヴォーリズは、その拠点となるYMCA会館を建てることを決意します。
<自身で設計しよう。ヴォーリズは決意し、生まれて初めての図面をひいた。建築資金は、おもわぬところから出た。すでに他界していた友の親ハーバード・アンドリュースがヴォーリズの活躍を知るところとなり、資金を提供してくれたのである。>

<かくして明治四十年二月十日、旧市街の為心町に、ヴォーリズの住宅部も備えた木造二階建て、真壁造り、日本瓦葺き、入母屋屋根、延床面積百十四坪という和洋折衷の八幡YMCA会館「ハーバード・アンドリュース・メモリアル」が竣工し、献堂式が執り行われる運びとなった。>

早速中に入ってみましょう。

「祈りの部屋」と呼ばれ、ヴォーリズが建設当初から7年間過ごしたひと間続きの書斎と暖炉のある小部屋。以前は2階にあったそうです。

1932年のヴォーリズの書初め。<名前のサインの下の落款代わりに記された丸と・は、近江八幡は世界の中心であり、ここから近江のみならず日本全国に、いや世界中に向けてキリスト教活動のノロシを上げ、神の国建設運動の発動拠点にするという、彼一流のユーモアを含めた決意表明を示しているという。>(岩原侑『青い目の近江商人ヴォーリズ外伝』より)

2階からは隣の近江八幡教会が見えます。


アンドリュース記念館の通りを挟んだ向かいには昭和初期にヴォーリズにより建てられた旧近江兄弟社地塩寮がありました。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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