阪急沿線文学散歩

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『にぎやかな天地』の舞台になった苦楽園口駅。イチョウ並木が紅葉

 いまや阪急苦楽園口駅前の目抜き通りになったイチョウ並木の苦楽園口通り。

綺麗に紅葉しています。

 苦楽園口駅周辺はベーカリーの激戦区。

 宮本輝『にぎやかな天地』でも、苦楽園口駅近くに開店した輸入食料品と窯で焼いたパンの販売をする店「トースト」が登場します。

<トーストは、苦楽園口駅からほんの少し夙川駅のほうに下ったところに並ぶ住宅街の細道を入ったところにあった。地震のときに損傷を受けた建物の修復もかねて改装したらしく、聖司が記憶している店構えとは異なっていた。からし色の鱗壁に「トーストパンと輸入食品の店」と書かれた看板がかかっている。>

 こちらは駅前のローゲンマイヤー。「ローゲンマイヤー」の名付け親は仁川の洋館喫茶店「ハッセルハウス」のオーナーだったと以前お聞きしました。

<聖司はそう思いながら、誰もいない店内の奥を目でさぐった。アルミのドアの上部にガラス窓があってそこからパンを焼く作業が見えた。何段もの金属製の棚が並び、その奥に古い煉瓦の窯があった。>

位置的にはケーズケベックがぴったりです。

 私も美味しいパンを求めてこのあたりを時々歩いていますが、秋の深まりを感じる苦楽園口通りです。

夙川さくら道も色づいていました。



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宮本輝が描いたもう一つの阪急電車今津線の物語

 有川浩の『阪急電車』は阪急今津線を舞台にした物語。遠藤周作や阪田寛夫、山口瞳も阪急今津線の街を舞台にした作品をいくつか書いていますが、宮本輝の短編『不良馬場』も昭和50年代の阪急今津線の西宮北口、門戸厄神、仁川を舞台にした物語です。


 『不良馬場』の冒頭は次のように始まります。
<さみだれの中を、十五分ほど行くと、病院らしい白い建物が見えてきた。阪急電車の西宮北口から宝塚行に乗り換えてひとつめの駅で降りたが、満員電車を降りる際、片手にかかえていたケーキの箱がひしゃげてしまった。>

当時の阪急西宮北口駅では、神戸線と今津線がダイヤモンドクロスで交叉したえいましたが、駅の様子もかなり変わりました。

西宮北口駅からひとつめの駅とは門戸厄神駅のこと。

 この小説は主人公花岡勲が、友人で同僚の寺井隆志が入院している結核病棟に見舞いに行く場面から始まるのですが、その病院はやはり『北病棟』のモデルにもなり、宮本輝が結核療養した門戸厄神駅近くの熊野病院のようです。

<休診日で正門は閉ざされていたが、お見舞いの方はこちらからお入り下さい、という張り紙の矢印にそって病院の横手に廻ると、あけはなたれた頑丈そうな鉄製の扉に突き当たった。>

病院の裏側に廻ると、鉄製の扉が今もありました。

そして病棟の様子も、小説に書かれているとおりです。
<鉄筋の建物はまだ真新しいようだったが、それと棟続きになっている木造の結核病棟は、白いペンキで誤魔化してはいたものの、かなり老朽化して、歩くたびに強い軋み音が響いた。>

さて、競馬がある日は今津線の様子が一変します。
<「電車がえらく混んでてさあ、日曜日だってのに、降りるのに苦労したよ」「きょうは、競馬があるんだ」と寺井隆志は、息を大きく吐きながら言った。言葉が長く伸びて、いかにも疲労に覆われた人の物言いに思えた。「二駅向こうが仁川って駅で、阪神競馬場があるんだ」>


阪急西宮球場で競輪が開催される日の阪急神戸線の風景も様変わりです。

<「競輪のある日は、反対の線が混むんだよ。西宮球場の中にリンクを作ってやるんだ」「ずっと入院しているくせに、いやに詳しいじゃないか。滅多にやらないあなんて、怪しいもんだ。ときどき病院を抜け出して、遊びに行ってんだろう」>


 寺井と花岡は病院を抜けて門戸厄神駅から阪急電車で仁川の阪神競馬場に向かいます。
<西宮北口から乗り込んでくる競馬客で、電車はひどく混んでいた。立っている乗客も、坐っている乗客も、みんながみんな、窮屈な姿勢のままスポーツ紙か予想紙に見入っている。>
阪急仁川駅から競馬場に向かう場面です。

<その鼻をつく寒々とし風は、雨に濡れた人々の足元にまとわりつきながら、踏切を横切り、おけら坂と呼ばれる急な坂道を下り、ダフ屋やガードマンや警官や、息せききって入場券売り場へ駆けて行く酒臭い男たちで渦巻く広場へと、ぴったり寄りそいつづけていた。>
 現在の仁川駅は西側にも東側にも改札口があるので、踏切を横切る必要はありません。

現在では、競馬場に向かう東側の改札口がメインとなっているようです。
「おけら坂」を見つけたかったのですが、1990年から1991年にかけて阪神競馬場は全面改築され、「おけら坂」も無くなったのではないでしょうか。

現在は東側の改札口を出ると、地下通路が阪神競馬場に直結しています。
このエスカレーターが「おけら坂」に代わって「おけらエスカレーター」になっているのかもしれません。

『不良馬場』の最後は本命馬がゴール直前のぬかるみで倒れ、前足を骨折する壮絶なシーンで終わります。誰かの人生を象徴したのでしょうか。



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宮本輝『北病棟』の舞台となった阪急門戸厄神駅近くの病院

 宮本輝の短編集『星々の悲しみ』に収められている『北病棟』の舞台となった馬野病院は、小説を読み進むと描かれた情景から、阪急門戸厄神駅の近くの熊野病院とわかりました。


 後で、宮本輝の公式サイトThe Teru’s Clubを調べてみると、年譜に
<1979年(昭和54年)32歳
肺結核で伊丹市民病院に入院。その後、西宮市の熊野病院に転院。>
と書かれており、間違いありませんでした。

 小説では主人公尾崎は転院したことにはなっていませんが、
<はじめは、兵庫県のS市にある結核療養病院に入る予定だったが、普通の病院と違って、専門の療養院はおいそれとは退院させてくれないという話を誰かから聞きつけて、急遽知人の紹介でこの馬野病院医に変更したのである。>
と書かれており、同様の理由で昭和47年から伊丹市に住んでいた宮本輝は伊丹市民病院から熊野病院に転院したのかもしれません。

 さて、馬野病院は次のように説明されています。
<馬野病院は、もとは結核専門の病院だったのだが、患者数が減ってきたことと、予防法の設置によって医者にとってはあまり儲けにならない病気になったことで、いつの間にか胃腸科や他の外科とか肛門科などを主とする病院に変わってしまったのだった。>
熊野病院に行くと、小説通りの現在の診療科の掲示がありました。


 北病棟は次のようにうらぶれて寂しく描かれています。
<北病棟は、病院の中にあって、ぽつんと忘れ去られたような建物だった。広い敷地内の奥の、裏門の傍に建てられた小さなプレハブは、病院の器材や薬品を収納しておく倉庫みたいに見える。雨は、その雫をいつも天井に直接打ちつけてくるようだったし、風はガラス戸をやかましく鳴らして隙間から吹き込み、太陽は薄い屋根やら壁やらをじりじりと焦がすのである。>
 
 表玄関から北病棟があると思われる裏側にまわってみました。

 左手にはまだ畑が残っており、結核専門の病院だった頃は、周りには何もなかったのでしょう。

閉ざされた裏門からの病院の景色です。
プレハブのような病棟?が今も残っていました。


<ぼくはパジャマ姿のまま階段を降りて、病院の庭に出た。真新しい鉄筋の三階建ての病棟と、ぼくのいる北病棟との間は中庭になっていて、古い藤棚と丸い小さな泉水があった。>

裏門の左手にパイプ製の藤棚がありました。

 泉水は見えなかったので、航空写真で見てみると、プレハブの棟に囲まれた中心部に今も残っているようです。


 航空写真を見ていて気付かされたのは、実際の熊野病院の鉄筋コンクリート3階建ての病棟が敷地の北端にあり、宮本輝が入院していた病棟は南側の端にあったこと。

でも「南病棟」では、この小説のテーマの表題にすることはできなかったでしょう。

 




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宮本輝『北病棟』の舞台となったのは西宮市の熊野病院

 宮本輝の短編集『星々の悲しみ』に収めらている『北病棟』は、主人公の病室の真下で暮らす58歳の女性の死と、彼女が残した『宇宙の精力』という言葉によって「生きる」ことの意味をあらためて考えさせる物語。


 小川洋子さんは、『物語の役割』で「人の死が、いかに論理的に説明不可能なもので、この言葉にはできない問題を繰り返し言語化しようとしているのが物語だ」と述べていますが、正にそのような作品でした。

 ところで、宮本輝は昭和54年32歳の時、結核にかかり約1年間の闘病生活を送ります。『北病棟』の主人公尾崎は24歳という設定ですが、その時の経験をもとに創作されたものと思われます。
 小説の冒頭は入院した病院の棟の説明から始まります。
<馬野病院の北病棟は、広い病院の敷地の奥に、他の新しい鉄筋の病棟からぽつんと離れた格好で立っていた。結核患者だけを収容する小さな二階建てのプレハブで、ぼくが入院した頃は……>
 この表現だけでは、舞台となった馬野病院がどこにあるのかわかりませんが、次の描写で明らかになりました。
<病院の近くに西宮球場があり、いまテレビで観ていた試合が、まだそこでつづけられている。球場の明かりが、廊下の向こうの夜空を照らしていた。近くといっても、球場は何キロも先で、ぼくのいるところからは見えないのである。>

ここで、現在は阪急西宮ガーデンズに生まれ変わった西宮球場から数キロの距離にある病院であることが分かります。


 更に、<建物の屋上にネオンが点っていたので、ぼくは寝転がったまま、目を凝らした。市立中央病院という文字が読み取れた。そういえば、この附近に市立の病院があると誰かから聞いたことを思い出し、ああ、あれがそうなのかと思いながら、ぼんやり眺めつづけた。>
これは六階建ての西宮市立中央病院に違いありません。

<六階建ての、大きな白いビルがあり、そこにたくさんの病人が寝ている。その病院は遠い背後から、大観衆で埋まった球場の光を浴びている。それを、ぼくは別の病院のベッドから見つめているのだ。ただそれだけのことが、ぼくの心をゆったりとさせてきたのだった。ぼくは長い間、市立病院の窓の灯と、背後に茫洋と浮かびあがるナイターの照明を見ていた。>

 このような位置関係から呼吸器科のある総合病院を探してみると、熊野病院であることがわかったのです。

それで小説では「馬野病院」と名付けたことも合点がいきました。

航空写真で黄色の丸で囲ったのが、熊野病院、下のオレンジの丸で囲ったのが、西宮球場跡地にできた阪急西宮ガーデンズです。蛇足ですが、熊野病院の左手の緑の中の学校が神戸女学院です。

現在の北病棟はどうなっているのかと、熊野病院を訪ねてみました。それは次回に。



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『星々の悲しみ』宮本輝が通った頃の中之島図書館

 宮本輝『星々の悲しみ』は宮本輝の予備校通いの日々をそのまま小説にしたような物語。

 自身で、「高校時代は読書に精を出し、勉強は二の次だったから、大学受験は失敗しました。1年だけの約束で浪人させてもらいましたが、予備校に3日通っただけで、自分には合わんと思いました。もっとも、合うという人はいないでしょうが。大阪の中之島図書館に通い、勉強はせず、ロシアやフランスの小説を時間を忘れて読みふけった。」と語っています。


 小説では、予備校に通い始めて四日目に最初の実力試験があり、その二日後に結果が掲示板に張り出された日のことから始まります。

<図書館の真ん中の石段に腰かけて、ぼくは煙草をすった。中之島公園の方から、無数の鳩が飛んできて、図書館の窓や丸いドーム型の屋根にとまったのを見つめているうちに、ぼくの中のあるものが突然萎えていった。受験勉強など、もうどうでもよくなってしまったのだ。それできょう一日だけ休憩だと思った。きょう一日だけ、好きな本を読もう。勉強はあしたからだ。>

正面の石段の赤いコーンのあるあたりに腰かけたのでしょう。

 鳩の糞の話が出てくるのですが、季節によるのかも知れませんが、最近は鳩をほとんど見かけませんし、糞害もなさそうです。


<図書館には入口が二つあった。むかって右側が自習室で、左側は一般閲覧室だった。自習室は高校生や浪人たちで満員になるから、朝早くから開館の時間まで並んでいなくては到底はいることが出来ないのだが、一般閲覧室の方はたいていの場合は空席があった。>

 現在の中之島図書館の配置図ですが、自習室は残っていません。1996年に大阪府立中央図書館が開館したのに合わせて、中之島図書館がリニューアルしたそうなので、その時に自習室も無くなったのでしょうか。


<ぼくは階段をのぼって二階のがらんとした丸い部屋に行った。天井のステンドグラスから光が降りていた。正式には、そこが玄関の大広間で、突き当りに小さな受付台があるのだが、係の人の坐っているのを、ぼくは一度も見たことがなかった。ぼくは長い間ステンドグラスの赤や青のかけらを見上げた。黒い影が、ステンドグラスの上を歩いていた。鳩がいるのだ。>

正面の玄関から入った二階のホールです。


見上げると天井のステンドグラス。鳩の影は見えませんが。


<三階の廊下が、大広間を取り囲むように円型に突き出し、そこをひとりの女子大生らしい娘が足音を忍ばせて歩いていた。手すりから顔をのぞかせて、見あげているぼくを一瞥しどこかの部屋に姿を消した。>

三階の廊下です。ここを女子大生らしい娘が歩いていたようです。


小説には出てきませんが、二階ホールにこんな掲示がありました。

八哲の名前が記されているそうなので、中間帯とはどこかとキョロキョロ見廻すと、ありました。

これはDARWINの銘板です。


 小説に戻ります。三階の「外国文学」の部屋で、彼女を見つけ、話しかけます。ぼくはその後、彼女に会うのが目的なのか、毎日図書館通いすることになります。

<ぼくはまい日図書館に通った。そしていつも同じ場所に坐った。目の前の書架には、ぼくが受験勉強を放擲して、意地でも全部読み切ってやろうと思っている二百数十冊の本があり、湿気に満ちた紙臭い色褪せた背表紙が、年代物の木製の書架の中で押し黙っていた。>


 現在の中之島図書館は府立図書館と機能分担しているため、中之島図書館の蔵書は大阪、古典籍およびビジネス関係資料に限られ、外国文学はありません。

 宮本輝が通った1965年の頃は外国文学も置かれていたようで、その頃の読書量が宮本輝の小説家への素地を創ったに違いありません。




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宮本輝『星々の悲しみ』図書館への古い石の橋とは?

 宮本輝『星々の悲しみ』で、「ぼく」が中之島図書館に向かう場面で、古い石の橋が登場します。
<老舗の漢方薬店の二年前と少しも変わらぬ店構えを眺めながら、車の通りの激しい広い道に出て、ぼくはまた飛び跳ねるような歩き方で、図書館へ古い石の橋を渡った。>
 漢方薬店もきっとどこかにモデルとなった店があるのでしょうが、見つけることはできませんでした。

 大阪高等裁判所のあたりから、中之島図書館に向かう古い石の橋とは、中之島公会堂に向かう鉾流橋(オレンジ色矢印)か、図書館の正面玄関につながる水晶橋(水色矢印)かと思ったのですが、次のように獅子の座像がでてきます。
<橋の名が刻まれた四角い石の上に、大きな獅子の座像があり、鳩の糞にまみれて四頭とも表情は判別できなくなっていた。見ると、獅子だけではなく、図書館の屋根も、そのむかい側の裁判所の古めかしい建物も、いたるところ鳩の糞だらけで、盛りあがっている筈なのに、光をあびて弾痕みたいにえぐれて映っているのだ。>
 ここまで読むと、登場した古い石の橋は獅子の座像がある「なにわ橋」に間違いなさそうです。


 ところが、更に読み進むと、ぼくが予備校で顔見知りの二人に出会う場面があります。
<汚れた獅子の座像を両端にすえた石の橋の真ん中で、二人の青年が小石を投げ合って遊んでいた。二人は欄干を背にして、向かい側の欄干の下に置いた牛乳瓶の中に小石を放り込もうとしているのだった。>
この場面は、どう考えても幅が広く車が頻繁に通る「なにわ橋」では考えられません。

中央公会堂に通じる「鉾流橋」も車道があり、この橋でもなさそうです。(上の写真)

 やはり歩行者専用の「水晶橋」をイメージして書いたのでしょう。(下の写真)

そうすると、
<獅子だけではなく、図書館の屋根も、そのむかい側の裁判所の古めかしい建物も、いたるところ鳩の糞だらけで>
という描写も、獅子以外は、水晶橋から見える図書館のドーム、中之島中央公会堂(裁判所ではなく)の建物を描いたものだと理解できます。


宮本輝はきっと、印象に残る「獅子の座像を水晶橋に持ってきて、小説を書いたのでしょう。



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宮本輝『星々の悲しみ』の喫茶店「じゃこう」を探して

 宮本輝『星々の悲しみ』は主人公の「僕」が、絵画と文学、友人の有吉・草間を通して「死」と「生」について考える物語。


 小説の冒頭は次のように始まります。
<その年、ぼくは百六十二篇の小説を読んだ。十八歳だったから、一九六五年のことだ。大学の入試に落ちたので、高校の卒業が済むと、ぼくはすぐに大阪の梅田にある予備校に入る手続きをして、授業の始まる四月半ばまで家に閉じこもって寝てばかりいた。>
 この「僕」とは宮本輝自身の浪人時代をモデルにしているようです。
 2012年10月3日日経新聞夕刊で、宮本輝は次のように述べています。
< 1965年、関西大倉高校を卒業。受験に失敗し、1年間浪人する。
 高校時代は読書に精を出し、勉強は二の次だったから、大学受験は失敗しました。1年だけの約束で浪人させてもらいましたが、予備校に3日通っただけで、自分には合わんと思いました。もっとも、合うという人はいないでしょうが。大阪の中之島図書館に通い、勉強はせず、ロシアやフランスの小説を時間を忘れて読みふけった。>
その通りのことが、『星々の悲しみ』にも描かれているのです。

 日経新聞に続くかのように、小説では予備校に通い始めて四日目の様子が冒頭に書かれています。
<梅田新道の交差点を横ぎって淀屋橋に向かう道の一角に左に折れ、細い露路に入って行った。質流れの品を専門に売っている店の前に来て、そこで歩調を弱めた。>

梅新交差点を過ぎて、写真の左手の方に入って行ったのでしょう。
<近くに裁判所があるので、附近には司法書士事務所がたくさん看板を出していた。四つ辻のところに大きな漢方薬店があり、その二階では「じゃこう」という名の喫茶店になっている。>

 私も左手に折れて入って行くと、最初に目についたのが、このレトロな大江ビルヂング。大阪高等裁判所に近いことから、大正時代に大江という弁護士が建てた法律家向けのテナントビルで、現在も法律事務所が多く入っているそうです。

 上の写真の右側のビルが大阪高等・地方・簡易裁判所合同庁舎ですが、この建物の北側あたりに喫茶店「じゃこう」を設定したのではないでしょうか。

 行ってみると、画廊喫茶や法律事務所が軒を連ねており、本当に「じゃこう」がありそうな雰囲気でした。

小説に戻りましょう。
<ぼくは高校二年生のときも、ときどき学校をさぼって中之島の中央図書館へ行き、外国の古い小説を読みふけったことがあり、帰りにこの「じゃこう」で紅茶やジュースを飲んだりしたのである。>
日経新聞に宮本輝が語った通りのことが、小説になっていました。
きっと「じゃこう」のモデルとなった喫茶店も実在していたのでしょう。



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宮本輝も小説の舞台にしていた芦屋浜の埋立て

 芦屋浜が埋め立てられ、高層住宅建築により劇的な景観の変化をもたらしたことから、昔の景色を知る遠藤周作、村上春樹らがその変化を小説に描いています。


 『羊をめぐる冒険』の道路拡張のため移転した三代目ジェイズ・バーからの眺めです。


<新しいジェイズ・バーの西側と南側には大きな窓があって、そこから山なみと、かって海であった場所が見渡せた。海は何年か前にすっかり埋め立てられ、そのあとには墓石のような高層ビルがぎっしりと建ち並んでいた。僕はしばらく窓際に立って夜景を眺めてから、カウンターに戻った。「昔なら海が見えたね」と僕は言った。「そうだね」とジェイは言った。「よくあそこで泳いだよ」>

また遠藤周作の『口笛を吹く時』では、


<小津はコンクリートの堤防の上に登り、あっと声を出した。 ずっと遠くまで砂漠のように埋立てられているのだ。その砂漠のような埋立地にミキサー車が二台、地面を走っているだけであとは何もない。あの日平目が波にもまれながら愛子たちを追いかけたのは、どのあたりだったろう。愛子たちが笑いながら走った浜もどのあたりだろう。今、海は消えた。白い浜もなくなった。>と埋め立て中の芦屋浜が描かれています。


 宮本輝も芦屋浜の埋立て工事を小説に登場させていました。短編集『五千回の生死』に収められた『バケツの底』です。


<ぼくは一度、子供のときに、そこへ行ったことがある。松林が、六甲山から伝い流れてくる芦屋川の終着点付近を包んでいて、茶色い粗い砂が海の堤防へとつづいていた。小学校三年生のぼくは、近所の中学生に連れられて行ったのだが、海水にひたった記憶はない。舟虫の這い回る堤防の上を走ったり、近くの小商いの店で、かき氷を食べたのを覚えている。海水浴をするつもりだったのだが、堤防の向こうは汚染し始めた深い海で、結局、水着にも着換えないまま、夕暮れまで堤防の上で遊んでいたのだろう。>

上の写真は、埋め立て前の芦屋川河口と芦屋浜、現在残されている堤防跡です。

 昭和22年生まれの宮本輝が主人公を同年代にしたとすれば、昭和32年ごろのお話で、当時は確かに海は汚れ、泳ぐ人はいませんでした。

 ここで登場するかき氷を食べた店とは「ひまわり」でしょうか。
<けれども、いまそこには海がない。芦屋川の横の枯れた疎水路を渡ると、広大な原っぱが、晴れた日は砂塵でかすみ、雨の日は粘りつく泥濘に弾けるしぶきで幕を張られ、あたかも果てしない荒地みたいにひろがっている。芦屋浜団地建設共同企業体の立て札を掲げたにわか造りの受付には、警備会社の初老のガードマンが、出入り業者の車をチェックしている。海を埋め立て、そこに巨大な団地と街を作るために、建設会社と電機メーカー、それに空調メーカーの三社が、共同企業体を設立し、第一期工事が始まっていたのである。>

 芦屋浜の埋め立てが始まったのは、昭和44年のことで、宮本輝も遠藤周作もこの時期に埋め立てされている様子を見たのでしょう。
 宮本輝『バケツの底』では一流会社をやめて小さな建築金物店に採用された主人公の埋立地の工事を通じての悲哀が描かれています。



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「新しいジェイズ・バー」の位置は、国道43号線と芦屋川が交わる場所の西南、現在のフランス料理、メゾン・ド・ジル、その前はプレイバッハ、更にその前は何軒かのテナントビルだった場所のようです。この中の一軒が、現在は東山町にあるレフトアローンでした。ここのオーナーは、中国人で「中国語が話せない中国人」であるジェイによく似ています。先日、この方とこの話題で話をしましたので、いつか西宮芦屋研究所レポートでもご紹介します。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2015/04/16 9:24:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

若い頃から時々行ってました。プレイバッハもレフトアローンもよく言ってましたので、昔からお見かけしていますが…。小説とはイメージがなんとなく重なりません。

[ ふく ] 2015/04/16 21:52:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

プレイバッハ!懐かしい名前です。宮本輝の「錦繍」にでてくるお店は、三宮で2人姉妹でなさっていたモーツアルトかプレイバッハかと(私の周りだけでしょうが)話題になったことがありました。

[ フー博士 ] 2015/04/18 20:52:47 [ 削除 ] [ 通報 ]

プレイバッハは宮本輝にでてきそうですが、プレイバッハもレフトアローンも田中康夫的で村上春樹は嫌いだったのではないでしょうか。

[ ふく ] 2015/04/19 13:08:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

昔のプレイバッハは田中康夫の小説にでてきそうです。私も懐かしく思い出しましたが、現在は山手町に移り、ウエディングがメインのようです。元プレイバッハのところはメゾン・ド・ジル芦屋というレストランになっているらしいので、一度探検に行ってきます。

[ seitaro ] 2015/04/19 20:23:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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宮本輝 『錦繍』の香櫨園、亜紀の家

 『錦繍』の主人公亜紀の家は阪神香櫨駅から浜のほうへ十分ほど歩いた、香枦園テニスクラブの手前にあるミモザアカシアのある大きな屋敷です。


『錦繍』喫茶モーツァルトでの夫人と亜紀の会話からです。
<そのうち夫人が私に話しかけてきました。「奥様は、この近くにお住まいでいらっしゃいますか?」。そんなようなことを訊かれました。私が、この道を浜の方に十分程歩いたところだと答えると、夫人は丸と目をきょときょとさせて考え込みながら、幾つかの名前を思いつくままにあげました。私の近所の家の名も入っていましたが、私の家は出て来ませんでした。「星島という家なんですよ。テニスクラブの手前の」と言いますと、「それやったら、存じあげますよ。お庭に大きなミモザアカシアの木があるお屋敷ですよねェ」。>]


宮本輝の『青が散る』の舞台にもなた香枦園テニスクラブは、大浜町ですから、ミモザアカシアのある亜紀の家は、甲陽学院中学のある葭原町近辺でしょう。

]

 

 私がこの小説で一番好きな、最後の二人の手紙にも、そのあたりの風景が、情感豊かに描かれています。有馬靖明から勝沼亜紀への最後の手紙です。
<そして、もしかしたら何年か後、私は阪神電車の香櫨園駅で降りて、あの懐かしい住宅街を抜け、テニスクラブの手前にあるあなたの住んでいる家の前に行ってみるかもしれません。そうやって、そっとあなたのいる家を見、あの大きなミモザアカシアの古木を眺めて、またそっと帰ってくるかもしれません。どうかいつまでもお元気でお過ごし下さい。御子息が、きっときっと、あなたの願いどおりに成長されますよう、陰ながら心よりお祈りいたしております。>


亜紀の最後の手紙も次のように始まります。
<前略 あなたからの最後のお手紙、テニスクラブの中の藤棚の下のベンチに坐って、穏やかで暖かい秋の陽差しを浴びながら読ませていただきました。>


このあたりの風景も随分変わってしまいました。宮本輝が執筆した当時は、本当に藤棚があったのではないでしょうか。



宮本輝 『錦繍』の香櫨園、亜紀の家
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この小説の話を10年以上前に鎌倉・銭洗弁天近くの喫茶店
『モーツァルト』のご主人にしたら、やはりよくご存知でした。

[ せいさん ] 2014/11/09 19:42:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

小説を読んでいると、きっとどこかにモデルとなった喫茶店があると思うのですが、さてどこでしょう。

[ seitaro ] 2014/11/09 21:41:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

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宮本輝 『錦繍』の舞台、夙川オアシスロードを訪ねる

『錦繍』では阪神香櫨園駅近くの「モーツァルト」という喫茶店が登場します。
<阪神電車の駅から家へと向かう道に沿って細い川が流れていましたね。あなたと正式に離婚してから二ヶ月ぐらいたった頃だったでしょうか、あなたもご存知のあの川沿いの多摩川書店が店をたたみ、そのあとに「モーツァルト」という名の喫茶店ができたのです。>


 阪神電車の駅とは、香櫨園駅。細い川とは夙川のことです。


 そうであれば多摩川書店とは夙川書店と言いたいところですが、場所が違いますし、香櫨園から下流の夙川沿いには喫茶店は実在いたしません。ここは創作の世界、でも小説の中でメインテーマが語られる重要な場となっています。
<私はそれまで殆んどクラシック音楽には興味がありませんでしたし、ご主人の言ったモーツァルトという人間の奇跡を理解する感性も素養も持っているとは思いませんでしたが、そのひとりの青年の姿と、店内に流れている静かなシンフォニイに接しているうちに、ふとひとつの言葉が頭に浮かんだのです。それは「死」という言葉でした。>

 

 喫茶店「モーツァルト」については次のように描写されています。
<「モーツァルト」は、避暑地でよく見かけるようなペンション風の造りで、外観も店内も茶色い木肌の美しさを強調して、まるで山小屋が一軒ぽつんと建っている。そんな風な喫茶店でした。>
Webで調べると岐阜県関市には外観がそっくりの喫茶モーツァルトがありました。


http://mozart7.seesaa.net/

 

 小説では香櫨園の「モーツァルト」が火災にあいます。 
<とりわけ寒い晩で、私は裏が毛皮のコートを着込むと、小走りで火の手のあがっている方向に進んで行きました。住宅街を横切り、川のところに来て小さな橋を渡ったとき、燃えているのが、間違いなく「モーツァルト」であることを認めました。夜中だというのに、たくさんの野次馬が火事の現場を取り巻いて、川沿いの道には七、八台の消防車が停まっていました。>

ここで登場する小さな橋とは、村上春樹ゆかりの「葭原橋」でしょうか。

 


それともう少し上流の香櫨園駅に近い「川添橋」でしょうか。

 

『錦繍』の亜紀の最後の手紙は次のように結ばれます。
<いつまで書いていてもきりがありません。いよいよ筆を擱くときが来たようでございます。私はこの宇宙に、不思議な法則とからくりを秘めている宇宙に、あなたと令子さんのこれからのおしあわせをお祈りいたします。この手紙を封筒に入れ、宛名を書いて切手を貼り終えたら、久し振りに、モーツァルトの三十九番シンフォニイに耳を傾けることにいたします。さようなら。お体、どうかくれぐれもお大切に。さようなら。>


 そして小川洋子さんは『錦繍』の書評、「当たり前の愛情」でも、次のように結ばれているのです。
<この小説はモーツアルトの三十九番シンフォニーが大事な役割を果たしている。秋が深まってくると私は、CDの棚からモーツアルトを、本棚から『錦繍』を取り出す。そして自分は身近な人たちに、当たり前の愛情をちゃんと注いでいるだろうか、と自問するのである。>


久しぶりに私もゆっくりコーヒーを飲みながらモーツァルトを聴いてみましょう。皆さまも秋の一日、色付いた夙川オアシスロードの散策などいかがでしょうか。


 



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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