阪急沿線文学散歩

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遠藤周作と夙川カトリック教会聖堂の正面に戻された聖テレジアの像

 先日、テレマン・アンサンブルのチャリティ・コンサートで夙川カトリック教会の聖堂に入らせていただきました。

 これまでと違った、優しさにあふれた聖堂の印象。何故かというと聖堂の正面に、以前は告解室の隣にあったリジューの幼きイエズスの聖テレジアの像が正面のアルコーブに移されていたからです。


 以前は正面のアルコーブには十字架に架けられたイエス・キリストの像がありました。
 コンサートに先立って、梅原神父のご挨拶があり、聖テレジアの像についての説明がありましたが、遠藤周作ファンでもある私には、この教会で洗礼を受けた彼が、『沈黙』をはじめとする小説のテーマにしてきたキリスト教への思いが実現されたような不思議な感覚で、しばらく聖テレジアの像を見つめていました。

 たとえば、新潮社から出版された遠藤周作『母なるもの』は次のように紹介されています。
<裏切り者や背教者、弱者や罪人にも救いはあるか? というテーマを追求する作者が、裁き罰する父なる神に対して、優しく許す“母なるもの”を宗教の中に求める日本人の精神の志向を、自身の母性への憧憬、信仰の軌跡と重ねあわせて、見事に結晶させた作品集。>
 また、『沈黙』でも描かれているように、西洋人にとっての神は、父なる神、正義の神、そして、愛の神であり、キリストを否む踏絵を踏むことなど決して許されるものではないのです。


 しかし、遠藤の描くイエスは、あくまでも慈愛に満ちた、罪を犯す人の弱さをもすっぽり包み込む母なる神の像なのです。
そのようなことを考えながら聖テレジアの像を眺めていました。

 夙川カトリック教会のホームぺージを見ると、夙川カトリック教会月報の巻頭言が掲載されており、その3月号で、コーナン ミシェル 神父が聖テレジアの像がアルコーブに戻された経緯などを述べられていました。
http://shukugawac.exblog.jp/26457479/



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遠藤周作の子供の頃の遊び場、夙川公園(『一人の外国人神父』より)

 遠藤周作は昭和8年10歳の時から、昭和14年16歳で仁川に転居するまでの少年時代に、夙川に住んでいました。

 その頃の様子について、エッセイ集『心のふるさと』に収録された「一人の外国人神父」(初出;文芸春秋 1994年2月号)で次のように述べています。
<その夙川公園は少年時代の私の遊び場であった。今でもあの公園を友達と自転車のベルを鳴らしながら走っていた中学生頃のわが姿が思い浮かぶ。>


 遠藤周作は雲井町あたりに住んでいたそうなので、夙川公園とは自転車で走り回っていたのは蟋蟀橋と大井手橋の間のあたりのことでしょう。

<夙川はいわゆる阪神の住宅街で、少年時代、私はそこで育った。今は大分、様変わりしたが、当時は駅前に商店があるだけで、あとはのんびりとした住宅ばかりだった。>

遠藤周作が夙川に住んでいた、のんびりとした住宅ばかりの昭和11年の鳥瞰図です。

昭和12年ごろの夙川駅前の商店の配置図です。(「夙川地区100年のあゆみ」より)

<夙川の名所のひとつは、そこにフランス式の高い尖塔を持ったカトリック教会のあることだった。フランス式というのは、後になって私があの国に留学した折、田舎に行くと、小さな町や村に同じような大きさの、同じような形の教会をしばしば眼にしたからである。>

遠藤周作がフランス留学中に見たカトリック教会です。(NHK−BSプレミアムカフェ「ルーアンの丘から 遠藤周作・フランスの青春」より)


<向こうではあたり前の教会でも当時の日本では珍しいものだった。クリスマスや復活祭になると尖塔で鳴らす鐘の音が夙川の町のどこからも聞こえた。>

夙川カトリック教会の聖堂は昭和7年に完成し、直後にカリヨンも据え付けられました。


 2011年の修復が完成し、カリヨンの音が甦りました。
<私はこの教会で洗礼を受けた。別にそれは私の意志ではなく、母親のいいつけに従っただけだったが、同じように公教要理という基督教の基本的な教えを学ばされている信者の子供たちとここで仲良くなった。>
夙川カトリック教会で洗礼を受けたことが、遠藤文学の原点となっているのです。


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遠藤周作にとってゴッド・マザーのようなロビンヌ夫人

 3月にNHK−BSプレミアムカフェで「ルーアンの丘から 遠藤周作・フランスの青春」が放映されました。


 その中で、遠藤周作がフランスに到着した最初の夏に、本当の家族のように受け入れてもらい、お世話になったロビンヌ家の写真や兄弟のお話が収録されていました。
 遠藤周作は当時の体験を『赤ゲットの仏蘭西旅行』と題して、「カトリックダイジェスト」に連載し、その後PHP研究所より『ルーアンの丘』と題して単行本として出版されました。


 もちろん、その中には体験し、思索した重たい話も多く書かれているのですが、遠藤周作のサービス精神か、はたまた「いたずら坊主」の本性が隠せないのか、ユーモアたっぷりの部分もあります。
「ロビンヌ家滞在日記より」と題した章からです。
<ジャンヌ・ダルクで名もたかき、フランスはルーアンの都市にロビンヌとよべる家庭あり。さることより一夏日本の青年をあずかることになりしがこの青年、生まれつき粗忽の小僧なれば、夫人いとど驚き給いて、あるいは叱り、あるいはなだめ、フランス典雅の道をひたすら教え給う。小僧、半泣きづらにも学べども、才あしければ効あきらかならず。暮つ方など、窓べに靠れ、日本を思いて涙ぐみおるも、いとど憐れなり。(異本枕草子)>
などとユーモアを交えて当時の心境を枕草子風に語っているのです。

ロビンヌ家の建物も残されていました。

この三階の部屋で遠藤は過ごしたそうです、

 遠藤がフランスに到着した時、「ポール、今日から、あなたをポールと呼びますよ。今日から、私を本当のママと思って下さい。私たちの家はあなたの家であり、子供たちはあなたの兄弟です」と家族として受け入れてくれたロビンヌ夫人。

遠藤周作の後ろに立つのがロビンヌ夫妻です。

 戦後間もなく、まだ戦災の爪痕が生々しかったフランスで、このように暖かく日本人を迎え入れてくれた家族があったことは、驚きです。

 長男のギイや三男のアランが、遠藤周作が真面目に努力していたことや、当時の様子を楽しそうに話していたのが印象的でした。

写真は笑いをこらえながら遠藤の思い出を語る三男のアラン。右側は長男のギイ。


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遠藤周作『赤ゲットの仏蘭西旅行』ロビンヌ夫人の作法教育

 遠藤周作は昭和25年27歳のとき、戦後最初の留学生としてフランスの現代カトリック文学を勉強するため、フランス船マルセイエーズ号で横浜港を出港します。船艘で寝起きする四等船客で、三雲夏生・昴兄弟とフランスのカルメル会修道院で修行をめざす井上洋治が共にいました。


 先月、NHKプレミアムカフェでハイビジョン特集 ルーアンの丘から 遠藤周作・フランスの青春(初回放送:2006年)が再放送され、当時遠藤が夏を過ごしたロビンヌ一家にお話を聞く貴重な映像が紹介されていました。

 それでは「いざ、エチケットの国へ」と旅立った遠藤周作の『赤ゲットの仏蘭西旅行』ロビンヌ家の作法教育からです。
<今、しみじみ、振りかえってみると、あの北仏、ルーアンでの夏休みは、ぼくのフランス留学の中、一番牧歌的なたのしかった季節であったように思われます。緑したたる丘と、金色の谷、ノルマンディの澄んだ夏の光とをこの町から離して、ぼくは思いうかべることはできません。>

昭和25年のルーアンの街は、まだ戦禍のあとが残っており、現在の情景とはかなり異なっていたようです。

<その丘の上に、ロビンヌ家の館はありました。十月、夏休みが終わって大学が始まるまで、ぼくはこの建築家の家でフランス家庭の空気を知り、その生活に慣れることになったのでした。>

<七月十二日、ぼくはぽつんとルーアンの駅におりました。五、六人の降客の後にくっついて、ゆっくり階段をのぼり、改札口に出た時、一人の、中年のしかし、美しい夫人が近よってきました。「あなたが、ムッシュー・エンドウですか」「はい」夫人はやさしく微笑みました。その眼は、青く夢見るような翳をおびていました。「私は、マダム・ロビンスです」
夫人の横には金髪の、賢そうな少年がぼくを見上げていました。「ドミニック」と夫人は園子に言いました。「皆をよんでらっしゃい」子供は走っていきました。「あなたがどこの出口から出られるか。わからないので、各出口に、子供を一人ずつおいておきました。私は、十一人の子供があるのですから……」>

ロビンヌ一家と遠藤周作の写真、本当に大家族でした。

その兄弟たちから長塚圭史が当時の遠藤周作の様子をインタビューします。
洗礼名のポールで呼ばれていたのかと思いきや、愛称は日本と同じ周ちゃんでした。

 ロビンヌ家の一員として迎えられた遠藤は、ロビンヌ夫人からマナーを教わりますが、なるほどものぐさの遠藤ならずとも、これを守るのは大変です。
<ものぐさでは、日本にいた時、いかなる友人にもひけをとらなかったぼくであるから、第一日目から始まった、マナーの上品、動作の典雅という夫人の原則は面倒くさくて仕方ない。髪はぴちんとわけ、靴はちょっとでも、よごしていると夫人から、叱られる。食事のたびにたえず注意しておかなければならぬ。食事は眼のまわるように忙しい。
1.夫人がフォークをとるまではフォークをとらぬ。
2.一皿ごと夫人が、すまさぬうちに、食べ終えてはならぬ。
3.魚料理にナイフ(肉用)を使っては絶対いけない。
4.コップは正面に必ず置くこと、etc。
 日本でのテーブル・マナーは英国風だから、3、4など英国式にすると夫人に叱られる。
「ポール、食事中葡萄酒を飲む時、前もってナプキンで口をふくことを忘れぬように」
「食事中、黙っていてはいけません。話しなさい。話さぬということは礼儀じゃないのです」
昼食の後のコーヒーの時、ぼくが煙草を半分、喫って捨てた時は、今思い出しても、こわいくらい叱られました。>

 学生時代、欧米の学生たちと旅をしたとき、オランダ人のテーブルマナーは、イギリス以上の大変厳しものだと驚いたことがありましたが、フランスも劣らず厳しいようです。
2.などとても私にはできそうにありませんが、大変参考になりました。



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 全然知らない話ばかりです 留学されていたんですね〜

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/05/06 9:09:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

戦後初めての留学生でした。灘高では劣等生だったらしいですが、遠藤周作の生き様を調べれべ調べるほど、偉大な人だったと実感しています。

[ seitaro ] 2017/05/06 9:54:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

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遠藤周作の未公開恋文みつかる(4月22日日本経済新聞文化面)

 4月22日の日本経済新聞文化面に遠藤周作の未公開の恋文がみつかったことが報じられていると「パイン」さんから教えていただきました。


 遠藤周作は昭和25年6月に戦後最初の留学生としてフランスの現代カトリック文学を勉強するため、横浜港を出港しました。しかし昭和26年末から血痰が出、体調を崩し、療養生活を送り、昭和28年2月にマルセイユを発ち、日本に帰国しています。

 その当時の様子や心の葛藤は、『ルーアンの丘』に収められた「滞仏日記(一九五二年九月〜一九五三年一月)」に書き残しています。


 帰国前のフランスでの最後の三日間(1月9日〜11日)は、遠藤が愛したフランソワーズという女子学生と二人でパリからリヨン、マルセーユへと旅したことが述べられています。
 加藤宗哉氏は次のように解説しています。
<それは「明日ぼくが断腸の思いで巴里を去る」という日なのだ。この日、日記の冒頭には大きく「フランソワーズ」という文字が書き込まれている。なぜなら、フランス滞在の最後の思い出に、船が出るマルセイユまで三日をかけて、フランソワーズとふたりだけの旅に出るのだから。>

 この出来事について、3月のNHKBSプレミアム「ハイビジョン特集 ルーアンの丘から 遠藤周作・フランスの青春(初回放送:2006年)」再放送でも触れられていました。


リポーターは長塚圭史。
列車の旅の様子を再現し、長塚は1月9日(金)の日記を読みます。

<朝、巴里を発つ。フランソワーズと…… 巴里からフォンテンブローにかかる郊外は白い凍雪が一杯につもっていた。裸の樹々が風にゆられえていた。>

1月10日(土)リヨンで遠藤はスルシエ神父に別れを告げに行きます。


その日の日記の最後は、
<夜、再びフランソワーズに手をふれなかった。>


 長塚は撮影中リヨンで大きな虹に出会います。

まさに遠藤が確信していた「目に見えない力」が虹をかけてくれたのでしょう。

1月11日(日)早朝の汽車で二人でマルセイユに向かい、ホテルでフランソワーズとの最後の夜を過ごします。
<窓の外が黎明の白い光にさされ、海風にカーテンがゆれるまで、我々は時々眠った。月光に照らされたお前の寝顔はあまりに清潔で純粋だった……
 そのお前を起こさぬよう、ぼくはあけ方の窓に靠れ、覚め始めたこの大都会の入口をじっと眺めていた。今日、今日の午後ぼくはお前と判れ、このフランスを去る。長かったこの二年半の滞仏の日々よ。しかし、昨夜最後の夜すらも、お前に触れなかった自分に満足しながら……>

1月12日(月)<朝、お前と二人でベッドで朝食をとった。クロワッサンと紅茶とで……
お前がそれから風呂にはいっている間、ぼくは鞄をつくった。お前に貸したピジャマを入れた。バス・ルームでお前は歌を歌っていた。戸を少し半開きにしていたので、偶然、その間からお前の整った白い体がバスの湯気の間にちらりと見えた。>

 あまりにも美しく描かれているので、遠藤周作の作り話かと思ってしまいましたが、事実だったようです。

 夫人の遠藤順子さんも当然この事実をご存じで、多感な時期にこのような経験がなければ不思議よと、この日記を公開されたそうです。

また結婚の約束をして分かれたフランソワーズは、その後遠藤に会いに日本を訪れています。そのことについては、今回の日経の記事に詳しく書かれていました。

<フランソワーズは日本文学の研究者となり、65年に来日する。遠藤とも再開し、「沈黙」を翻訳することになった。このころ遠藤に出そうとしていた手紙の下書きも今回みつかった。「私は自殺することを決めました」「沈黙の作者の誠意を信じています」。恋が破れて10年。和解にはほど遠く、そこにはなお癒えぬ心の痛みが切々とつづられていた。
「沈黙」は苦い過去を思い出させる小説だったのかもしれない。作品を批判したことで口論になり翻訳は途絶。病を得てフランスに帰り、生涯独身のまま71年に世を去った。41歳だった。>
遠藤周作にももうひとつの「舞姫」物語があり、大きな苦しみを抱えていたのです。
日経新聞が、おおきく「遠藤周作「罪」の原点」として取り上げているのも、よくわかりました。


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遠藤周作の戯曲『薔薇の館』のブルーネ神父のモデルはメルシェ神父

 遠藤周作の戯曲『薔薇の館』は昭和17年4月から昭和21年にかけての軽井沢の教会が舞台。かつて薔薇の花で彩られていた瀟洒な教会で、戦争という事態に直面した修道士や信者、教会に集う人々の苦悩が描かれ、それは遠藤周作自身が抱えていたキリストを信じることへの苦悩でした。

遠藤周作は次のように述べています。
<幸い私は、この戯曲を執筆する前に現実に戦争中、日本のある村で起こった一つの事件を知っていた。その事件はここではそのままのべるわけにいかないが、私はそれを幾分、変えることによって自分の意図が実現できそうな気がしたのである。>
 この事件とは、夙川カトリック教会のメルシェ神父の拘留のことを指しているのではないでしょうか。

舞台に選ばれたのは、堀辰雄『木の十字架』にも出てくる軽井沢聖パウロ教会です。
 遠藤周作は戦争末期に軽井沢の堀辰雄の病床を毎月のように訪ねていたそうで、その頃の思い出を次のように述べています。
<堀辰雄氏も書いておられた何処かスイスの寒村にもありそうな素朴なこの教会は、チェコのレイモンド氏が設計したもので、村のメイン・ストリートと並行した水車小屋道に建てられているのだった。あの頃、僕は友達と自転車を手ばなしで走らせながらここに遊びに来たものだった。>

上の写真の水車小屋道で、遠藤周作は自転車で遊び回っていたようです。

 戦時中、敵国からの外国人宣教師は追放、あるいは抑留され、教会は監視下に置かれ、信者の若者は次々と戦地へ送られました。戯曲では、ブルーネ神父も昭和18年2月に警察に抑留されます。そして抑留から解放されたブルーネ神父は再びこの教会に戻ってくるのです。
<田端 本当だ。抑留生活で、神父さん、凍傷で左足を切って義足をつけられたそうだが、もう痛まんのかねえ。だが昔のように町の若い連中と山登りをしたり、兎狩りもできなくなったね。それにしても、流石はブルーネ神父さんだ。もうここには戻らんのかと思っていたら、戻ってきたんだから。
夫人 どうして戻っていらっしゃらないと思ったの?
田端 まあ、こう言っちゃ何だが……抑留生活で、辛い目にも会われたろうし……兵隊たちに撲られもしただろうし。戦争だったんだから仕方ないと言えば言えるんだろうが……神父さんにしてみれば日本人が嫌いにもなったろうとこう考えとったんですよ。それなのに、自分は日本から出ていかん。あの町にまた戻りますと、療養所から葉書をもらった時は、意外でしたなあ。>

その姿は、終戦後いたいたしい姿で夙川カトリック教会に戻ったメルシェ神父とどうしても重なるのです。


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4月22日本経済新聞朝刊の文化面に「遠藤周作の未公開の恋文見つかる」が掲載されています。

[ パイン ] 2017/04/23 11:57:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

えっー、そうですか、早速読ませていただきます。ありがとうございました。

[ seitaro ] 2017/04/23 12:40:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

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遠藤周作『赤ゲットの佛蘭西旅行』と戯曲『薔薇の館』に登場すウッサン師

 遠藤周作『赤ゲットの佛蘭西旅行』に留学でお世話になったウッサンというフランスの神父様の所に毎週フランス語会話を習いに行く話がでてきます。

<この神父様は今は東京の大神学校の副校長をしておられるが、ぼくらは、彼が大好きになりましたね。みんなウッサンとはいわずにオッサン、オッサンと言っていた。彼は生粋のフランスはアンジェ市の生まれを自慢するだけあって、そのフランス語会話教授法たるや、芝居か何かわからない。>
この後、面白いフランス語会話の教授場面が続きます。
そして、感想を次のように述べています。
<ずる休みをすると、オッサンは顔を赤くして、「このナマケモノ!」と覚えたての日本語で怒鳴りつけますから仕方ない。実際、いい、大好きな神父様でしたね。フランス人の善良さ、ヒューマニズム、そういったもの全てを、溢れさすばかりにもっている神父様でした。そのため一同、さらにフランス人が好きになった。>

 アレクシオ・ウッサン神父は1948年に来日し、東京練馬区の大神学校で副校長を務め、関町教会も手伝っていました。


 1958年からは広島の翠町教会に赴任されますが、1963年54歳という若さで、脳溢血の発作により天に召されました。

 この遠藤周作がお世話になり、大好きだったウッサン神父と同じ名前の人物が、『真昼の悪魔』では悪魔と対峙する神父として登場し、戯曲『薔薇の館』にも修道士ウッサンとして登場します。

『薔薇の館』は遠藤周作の追及している信仰の問題が、全て集約されている作品です。

(写真は「薔薇の館」の演出者芥川比呂志と遠藤周作)
その中で、修道士ウッサンは、背負いきれない重荷を負って死んでゆく無力で子供のような修道士として描かれ、遠藤周作は明らかにイエスの像を重ねているのです。


 この『薔薇の館』は堀辰雄の『木の十字架』にも登場するアントニン・レイモンド設計の軽井沢聖パウロ・カトリック教会が舞台のモデルとなっています。

しかし、そこに登場するブルーネ神父の姿は、明らかに夙川カトリック教会の主任司祭で、戦争中に抑留され、終戦後、痛々しい姿で教会に戻りながら恨み言ひとつ言わなかったというメルシェ神父がモデルになっています。

次回は『薔薇の館』についてもう少し説明しましょう。



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「真昼の悪魔」は読んだことはありませんが、今年の冬にテレビドラマで見ました。
原作と、脚色したテレビドラマは別物だと思うので、いつかは小説も読んでみたいと思いました。

[ 西野宮子 ] 2017/04/20 12:05:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

結構怖いお話だったと思いますが、残念ながらドラマは見逃してしまいました。よくご存じですね。

[ seitaro ] 2017/04/20 13:01:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

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戦後初めてのフランス留学記、遠藤周作『赤ゲットの佛蘭西旅行』

 先日NHK-BSのプレミアムカフェで「遠藤周作・ルーアンの丘から〜よみがえるフランス留学記〜」が再放送されていました。

 長塚圭史が、1998年に出版された「ルーアンの丘」など遠藤周作の著作をもとに、その足跡をフランス各地に訪ね、一人の偉大な作家が誕生するまでの心の軌跡を辿ったもので、遠藤ファンとしては、その映像は興味深く、参考になるものばかりでした。

『ルーアンの丘』には「赤ゲットの佛蘭西旅行」と「滞仏日記」が収められており、「赤ゲットの佛蘭西旅行」は、昭和26年11月から翌年7月まで「カトリッ/ク・ダイジェスト」に連載されたものをまとめたものです。

 
 遠藤周作はフランスの現代カトリック文学研究のため戦後最初の留学生として、フランスに渡り、おそらく不安でいっぱいだったはずですが、「赤ゲットの佛蘭西旅行」は、決して深刻なものではなく、後の狐狸庵仙人シリーズを伺わせるユーモアにあふれた作品になっています。
 例えば、最初の章「いざ、エチケットの国へ」では、
<だから、フランスに行くことが定まった時、どうも恐れ入りました。ぼくの大嫌いなエチケットの国へ行くのですからね。万感こもごもでした。もう破れた靴下は、はいたらいけねえ、髪は、バサバサ伸び放題というわけにもいけねえ、箸のあげおろしにも品よくしかめつらせねばならん。そう考えると夜、床の中で涙ぐみましたよ。しかし、フランスに行くことは嬉しかった。ぼくは大学はフランス文学で文士になろう、いつかはフランスに行けたら行こうと思っていたんですから嬉しかったですね。>
とユーモアを交えながら、率直にフランスに旅立つ喜びを語っています。

しばらく、映像と「赤ゲットの佛蘭西旅行」を比較しながら辿ってみましょう。



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ずっと以前に「狐狸庵閑話」シリーズで読んだ話を思い出しました。
フランス留学の面接のとき、面接官のネクタイをほめて点数を良くしようと思ったのですが、ネクタイをフランス語で「クラヴァット(cravate)」ということを知らなかったので苦し紛れに「ネクチー」と言ったとか。
作り話かもしれませんね。

[ 西野宮子 ] 2017/04/19 14:07:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

狐狸庵先生は、フランス留学の選考試験は難しくなく、誰でも行けたようにちゃかして話されていますが、わずか4名の戦後初めての留学生ですから、本当は才能があったのだと思います。そんなところも私が遠藤周作のファンになった理由です。

[ seitaro ] 2017/04/19 16:11:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

書店で『関西文学案内』(関西学院大学出版会刊)見つけました。
抽選漏れで受講できなかった講座のみならず、参加できた講座も、こうして活字化していただけると、当日の記憶がよみがえってきました。
週末は、葉桜を愛でながら、もちろん夙川公民館におじゃまさせていただきます。楽しみです。

[ 373 ] 2017/04/19 19:11:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

本日、対談予定の柴田自治会長と打ち合わせに行ってまいりました。村上春樹や夙川の歴史など興味深いお話をしていただくことになりました。講演開始前か後には入口に立っておりますので、是非お声がけください。

[ seitaro ] 2017/04/19 20:54:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

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「ニュースで英会話」に「沈黙」のマーク・スコセッシ監督登場

 NHK教育テレビの「ニュースで英会話」のインタビューに映画『沈黙』のマーク。スコセッシ監督が登場していました。


 どのようにして、アメリカ人の監督が日本の文化を詳細に理解できたかという質問に対し、何年もかけて、その時代のサイレント映画を見たり、ドナルドキーンや漱石、太宰、谷崎などの作品を読んで日本の文化に没頭したと話されていました。

さすがスコセッシ監督です。映画『沈黙』で、遠藤の描こうとした日本人の心を理解し、忠実に原作を映像化できた理由がわかりました。

 ところで私が「ニュースで英会話」を見始めたのは、数年前、鳥飼玖美子先生が出演されているのを見たことがきっかけでした。

 鳥飼玖美子さんが華々しく登場したのは、もう五十年近く前のアポロ11号月面着陸の頃。

 私の世代の人しかご存知ないと思いますが、「サユリスト」の向こうを張って「クミコスト」というファンができたくらいの人気でした。

 高校時代、先生の反対にもめげず、あこがれのアメリカに留学。大学生で同時通訳者になり、アポロ中継などで活躍され、英語教育・通訳界で幅広い活動を続けられてきた方。
アメリカが憧れだったのは我が世代だけでしょうか。
 私より年齢は五歳くらい上のはずですが、今も若々しく立派にご活躍の姿を久しぶりに拝見して、五十年ぶりの同窓会であこがれの人にお会いしたような気分になりました。



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夙川と文学のことをよく書かれていますが、『女工哀史』の作者、細井和喜蔵との関連はご存知でしょうか?

[ akaru ] 2017/02/07 14:55:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさんありがとうございます。
細井和喜蔵の『奴隷』ですね。高級住宅地香櫨園に生まれたプロレタリア文学「内外綿紡績工場」のお話、しっかり読ませていただきました。

[ seitaro ] 2017/02/07 20:16:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

今津の詩人、谷田寿郎さんは《鉄道自殺を決意した和喜蔵が徘徊った「香櫨園付近の鉄道線路」とは、東海道線夙川付近であろうか》と言っておられますが、あの地蔵さんの辺りでしょうかねえ。

[ akaru ] 2017/02/09 8:48:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

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映画『沈黙』を見る前に読みたい「遠藤周作とShusaku Endo」

 スコセッシ監督の映画『沈黙』を見るにあたって、どのくらい遠藤周作の原作を反映した作品になっているのかが一番興味のあることころでした。

 特に遠藤周作が『沈黙』の最後の章の「切支丹屋敷役人日記」について非常に大事な部分にもかかわらず、文語体で書かれているので、日本の多くの読者は、そこまで読んでやめてしまう(私もその一人でした)と述べている部分ですが、その非常に大事な部分も、映画『沈黙』では織り込んだロドリゴの最後の姿が描かれていましたので、スコセッシ監督の理解度に感心しました。

 キリスト教徒でない私が、遠藤周作の作品をどれだけ理解できているのか不安なところではありますが、キリスト教文化で育った欧米人がどのように遠藤の『沈黙』を受け止めるのかというのは、私の関心事だったのですが、それが書かれている本、『「遠藤周作」とShusaku Endo アメリカ「沈黙と声」遠藤文学研究学会報告』がありました。


 1991年に米オハイオ州にあるイエズス会系のジョン・キャロル大学で、「沈黙と声―遠藤周作の著作」と題した学会が開催され、その内容を中心にまとめられたものです。
 遠藤も「まえがき」で<外国人と日本人とでは私の作品の読み方が違うのが、私にとっては非常に面白い。読者の方にも面白がっていただけると有難いと思う。>と述べており、映画『沈黙』を見る前に、あるいは見た後でも、読んでみると『沈黙』をよく理解できます。

 この本の中に、マーチン・スコセッシ監督により『沈黙』の映画化が進行中と書かれていましたから、1991年には映画化を考えていたのは間違いありません。

 「学会記念講演」の後の質疑応答で、
<Q;遠藤先生にお聞きしたのですが講演者の方々三人とも。『沈黙』に出てくるキチジローが先生の作品を理解する上で大切な登場人物であると、おっしゃいました。これに対して先生は、賛成なさいますか?>に対し、

<遠藤 ;あのキチジローは私です。あのキチジローのもっている弱さは私がもっている弱さです。私はキチジローを愛しながらあの人物を書きました。>と答えています。

 その他にも「踏絵とソニーの国 ジョン・アップダイク」や「破られた沈黙 ウイリアム・C・マクファデン」など興味深い遠藤周作論が収められています。



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遠藤周作 | コメント( 3 ) | トラックバック( 0)

私も今これを読んでいます。読むのは早い方なんですが、この本はなかなか進みません。興味がないのではなくじっくり読まないと私自身がわからないからかなと思っています。

[ ちゃめ ] 2017/01/28 20:28:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

決して楽しいお話ではないのですが、私も遠藤周作を理解するために、まじめに読みました。是非映画と比べてみてください。

[ seitaro ] 2017/01/28 21:05:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

はい、そうします(^^♪

[ ちゃめ ] 2017/01/29 9:39:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

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