阪急沿線文学散歩

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早川茉莉編『京都好き』に収められた「森嘉のお豆腐」が趣味どきっ!にも

 早川茉莉編『京都好き』に収められた絵本作家永田萌さんのエッセイ「森嘉のお豆腐」が、NHKの「趣味どきっ!」三都・門前ぐるめぐり、第4回「京の門前湯どうふ 東西味めぐり」でも紹介されていました。

まず永田萌さんのエッセイ「森嘉のお豆腐」から紹介しましょう。
 永田萌さんは兵庫県加西市生まれ。学生時代より京都に居住し、以来変わることなく仕事と生活の基盤を京都に置かれていますが、引越し魔で、京都市内だけで16回引越しているそうです。

<夏の京都に暮らすことの大変さばかり書いていますが、反対に「幸せだなァ……」と感じることをあげるなら、「嵯峨の森嘉の木綿豆腐を、冷や奴で食べること」でしょうか。>
<だいたい私は、京都に来るまでお豆腐というのはもっと固くてゴツゴツしていて、おはしにつきさして持ち上がるものだと思っていました。はっきり言って京都の食べ物なんて、さほどおいしいものではないのですが、お豆腐だけはまったく別。はじめて森嘉のお豆腐を食べた時は、あまりのショックにしばし茫然としました。ほのかに大豆の香りのする、口の中でとろりととけて、のどごしのさわやかなこのうすい黄味をおびた白い立方体。これこそ「豆腐」なのです。>

 
 永田萌さんがこのように絶賛している森嘉の豆腐が先日の趣味ドキッでも紹介されていたのです。


<こちらのお店は江戸時代から豆腐を作り続けています。
この店の…ここでは砕いた大豆を昔ながらのかまで炊いています。
京都ではかまの事を「おくどさん」と呼びこの言葉には「かまの守り神」という意味もあります。薪をくべ人の手で火を守りおよそ150年もの間続けてきたこのお店。>


<しかし邦夫さんのおじいさんは京都の豆腐の常識を覆しある革命を起こしたのです。
こちらが豆乳が炊き上がってますのでこれから凝固作業に入りますので。
あっこれから。これが凝固剤なんですけど…。
それは凝固剤に昔ながらのにがりではなくすまし粉を使う事。
これがあの滑らかさを生み出しているんです。
で流し込みました。
おお〜!おっ固まってきてるの分かりますよ。>

このあとは普通の木綿豆腐の作り方と同じ。

<そのすまし粉のお豆腐っていうのが非常にエポックメーキングっていいますか京都のお豆腐の一つのトレンドを多分作り上げたお豆腐だと思うんですけれどもそれがどんどん「嵯峨豆腐」という名前で広がっていったという事だと思いますけどね。
この滑らかな豆腐がはんなりとした京都らしい味わいと評判になります。
その後妙智院の他にも豆腐料理のお店が増え門前のにぎわいは今に続いています。>

 永田萌さんの「森嘉のお豆腐」に戻りましょ。

<「もしもし、お豆腐の予約をお願いします」「へ、おおきに。どちらさんどす?」「永田といいます」「へえ、何丁どす?」「一丁です」たった一丁?とは、お店の人は言いません。ここの一丁は、軽くふつうの倍はある大きさで、お豆腐好きのわが家の三人がせっせと食べても、お腹いっぱいになるのです。>

写真を見ると、確かに両手を添えるほどの大きさでした。

<さて、こわさないように大切に持って帰って、水を張った砥部焼の大きな鉢にそっと入れます。まわりに氷を散らし、マンションの玄関の入口の、青いもみじの葉をちぎってきたもの三、四枚浮かべれば、すがすがしことこのうえない一品です。
 わけぎをきざみ、私の田舎のおいしいおしょうゆを少しのみりんとおだしで割ったものを用意し、ガラスのおちょこを二つ。お酒は何といっても「月の桂」のにごり酒。>
さすが永田萌さんの美的感覚。目に浮かぶようです。
今度京都に行ったら木綿一丁買ってこよう。




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 江戸時代からの伝統を守り続けているのは凄いと思います。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/05/05 9:47:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

相変わらず薪で炊いているところにもびっくりです。

[ seitaro ] 2017/05/05 10:52:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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早川茉莉編『京都好き』は文学好きには手放せない京都案内

 リタイアして、京都に時々出かけるようになりました。多くの文学作品の舞台になっている京都ですが、地理に詳しくなく、どのように巡るかが悩みの種でした。

それを解決してくれたのが、早川茉莉さんの『京都好き』。

 森茉莉、渡辺たおり、植草甚一、池波正太郎、山田詠美ら29人の、作家、詩人、エッセイストの魅力ある京都のアンソロジー。

 もちろん早川茉莉さんの「のばら珈琲」のエッセイも含まれています。

巻末には、各作品で紹介されているお店や名所等のリストとMAPが付いているので、京都歩きにはとても便利です。

 最後に早川茉莉さんの「塩一トンの京都」と題した編者解説がありました。早川さんも須賀敦子さんの作品はよく読まれているようです。
<京都を特集したテレビ番組や雑誌を見るたびに、知らなかった場所やエピソードに出合う。本当にビックリする位、知らないことだらけなのだ。いやはや何とも……と思い、そのたびに須賀敦子さんの『塩一トンの読書』の冒頭の一文を思い出す。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ」(『塩一トンの読書』河出文庫)
京都もまた、気が遠くなるほど長く付き合っても、理解しつくせない街なのだと思う。だが、歩くたび、お気に入りの場所を訪れるたびに、襞の細部にあるものを少しずつ見せてくれる、それが京都という街である。>

 西宮からは少し時間がかかりますが、まだまだ京都に通わないと本当の良さがわからないようです。訪ねた場所を少しずつブログでも紹介していこうと思っています。



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 植草甚一さんと聞いただけで読みたくなります。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/04/28 9:01:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

植草さんのエッセイは銀閣寺の近くにある喫茶店のお話などが述べられており、訪ねてみたくなりました。

[ seitaro ] 2017/04/28 10:18:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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川端康成『古都』に描かれた京都府立植物園を訪ねる

 梅が見ごろとなり、先日京都府立植物園の梅林を訪ねました。


ところでこの植物園は、川端康成の小説『古都』にも登場します。

『古都』は京都を舞台に、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命が描かれた作品で、京都各地の名所や史蹟、年中行事が盛り込まれています。

 また何度も映画化、テレビドラマ化、舞台化された作品でもあり、初回映画化(昭和38年)の主演は岩下志麻さんでした。

 京都府立植物園は日本で最初の公立植物園として、大正13年に開園していますが、昭和21年から12年間は連合国軍に接収され、昭和36年4月にようやく再開しています。
 朝日新聞に『古都』が連載され始めたのは、再開直後の昭和36年10月からですから、『古都』では次のように書かれています。
<植物園はアメリカの軍隊が、すまいを建てて、もちろん、日本人の入場は禁じられていたが、軍隊は立ちのいて、もとにかえることになった。
 西陣の大友宗助は、植物園のなかに、好きな並木道があった。楠の並木道である。楠は大木ではないし、道も長くはないのだが、よく歩きに行ったものだ。楠の芽ぶきのころも…。
「あの楠は、どないなってるやろ。」と、機の音のなかで思うことがあった。まさか占領軍に伐り倒されてはいまい。宗助は植物園が、ふたたび開かれるのを待っていた。>
朝日新聞連載時の挿画は小磯良平によるものでした。




「くすのき並木」は今も健在で、楠木は大木になっています。

 仁和寺の御室の花見に行った太吉郎、しげ、千恵子の三人は、花見客の騒々しさに辟易し、静かなところへ行こうと車で、再開したばかりの植物園に向かいます。
<植物園は、この四月から、ふたたび開かれて、京都駅の前からも、新たに植物園行きの電車が、しきりに出るようになっていた。「植物園もえらい人やったら、加茂の岸を少し歩くのやな。」と、太吉郎はしげに言った。>

賀茂川沿いの道もいい散歩道になっています。

<植物園は門の前の並木道から、ひろびろと明るかった。左は加茂の川づつみである。しげは入園券を、帯のあいだにはさんだ。ひらけるながめに、胸もひろがるようだった。>

植物園の正門に至る並木道です。
<植物園に入ると、正面の噴水のまわりに、チュウリップが咲いていた。「京都ばなれした景色どすな。さすがに、アメリカさんが、家を建ててはったはずや。」と、しげは言った。「そら、もっと奥の方やったんやろ。」と、太吉郎は答えた。噴水に近づくと、そう春風もないのに、こまかいしぶきが散っていた。噴水の左向うには、円い鉄骨のがらす屋根の、かなり大きい温室が、つくられていた。>
正門を入り、少し歩くと大きな温室が見えてきます。

4月になれば、書かれているようにチューリップが一面に咲くことでしょう。

今は、かわりにキンギョソウが花盛りでした。

正面にあった噴水というのは今はなく、洋風庭園に移したようです。

< ひまらや杉の若芽の下枝が、孔雀の尾をひろげたようだとするなら、ここに咲き満ちる、いく色ものチュウリップは、なににたとえたものだろうかと、太吉郎はながめつづけた。花々の色は、空気を染め、からだのなかまで映るようであった。>

ひまらや杉のある洋風庭園、現在はばら園になっていますが、小説を読むと、当時はチューリップ畑だったようです。

< 叡山、東山、北山は、植物園のほとんどいたるところでながめられるのだが、しゃくやく園の東の叡山は、正面のようであった。「比叡山は、濃いかすみのせいか、なんやら、低う見えるようやおへんか。」と、宗助は太吉郎に言った。「春がすみで、やさしいて……。」と太吉郎はしばらくながめていて、「そやけど大友はん、あのかすみに、ゆく春を、お思いやさしまへんか。」「そうどすな?」>と話は進みます。

しゃくやく園にも行ってみましたが、養生中でした。

植物園の木が大きく育ったせいか、叡山が眺められる場所も限られています。


<「大友はん、あんたのお好きやいう、楠の並木を通って、帰りまひょうか。」と、太吉郎は言った。「へえ、おおきに。わたしは、あの並木を歩いたら、それでよろしいのどす。来る時も、くぐって来ましたんやけど……。」と、宗助は千重子を振りかえって、「お嬢さん、つきおうとくれやすな。」楠の並木は、木ずえで、左と右の枝が交わしていた。その木ずえの若葉は、まだ、やわらかく薄赤かった。風がないのに、かすかにゆれているところもあった。五人はほとんどものを言わないで、ゆっくり歩いた。めいめいの思いが、木かげでわいてきた。>

最後は再びくすのき並木を通って帰って行ったようです。

 3月も梅林や、クロッカスなど美しく、園内の散歩を楽しめましたが、4月、5月になれば緑も芽吹き,花も一面に咲きそうですから、もう一度訪れたくなりました。



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レストラン菊水の屋上ビアガーデンへ(片岡義男『五月最後の金曜日』から)

 片岡義男の新刊『ジャックはここで飲んでいる』に収められた「五月最後の金曜日」で、瀬川と荻野は、森見登美彦の小説にも登場する四条大橋東詰のレストラン菊水の屋上ビアガーデンに行きます。

私も久しぶりに、『ジャックはここで飲んでいる』を片手に訪ねてみました。
 ふたりはタクシーで四条大橋を渡り、歩道に寄って止まり、タクシーを降ります。
<「目の前だよ」「どれですか」「ここ」>


<レストラン菊水にふたりは入った。エレヴェーターで五階へ上がると、屋上はビアガーデンだった。テーブルはひとつだけ空いている、とウェイターが荻野に言った。「ひとつで充分だよ」案内されてふたりは差し向かいにパイプ椅子にすわった。>

写真の左手のエレベーターで五階まで。

<「いい風ですね」感嘆した瀬川は笑顔の荻野に顔を向けた。「これも鴨川を渡る風ですか」
「おそらく」「平安時代の京都に生きた人たちが、この高さで鴨川の風を受けることは、まったくなかったのですね」「想像した人すらいなかっただろう」>

私が訪れたときも、この鴨川からの風がここちよく吹いていました。

<ふたりがメニューを見ているところへ、ウェイターが注文を取りに来た。「中ジョッキですね」「俺も」「チキンバスケットは、はずせませんよ」と瀬川は言い、かたわらのウェイターを見上げて、「チキンバスケット」と言った。「フライドポテトもな」「そう来たなら、枝豆と冷奴も必須です」「BGMはハワイ音楽だよ」頭上のどこかにあるはずのスピーカーを、荻野は指さした。「ただし、ひと昔前のハワイアンではない。ハワイ語のコーラスを正調のファルセットが引き締めている。>
まったく同じものをアラカルトで注文。

まずはビールと枝豆で乾杯。

BGMも小説と違わず、ハワイ音楽。スピーカーは写真の柱の陰に隠れています。

<「枝豆三百五十円」「中ジョッキ六百円」そう言って荻野は振り向いた。
「振り向けば南座の屋根だよ」「あちらには北座がありますよ」「井筒屋八つ橋本舗の建物だよ」「そうでしたか」「その昔には、北座という芝居小屋もあったんだが」「そして向こうにはキエフというビストロが」「そこも屋上はビアガーデンだ」「いい風に提灯が揺れますね」等間隔に吊ってある頭上の提灯の列を、瀬川は見上げた。「これもすべて、鴨川の風ですね」>

周りを見晴らすと、南側に南座。

東側には東山が。

北側には、北座。いえ、井筒屋八つ橋本舗でした。

井筒屋八つ橋本舗の右側に、ビストロキエフと屋上のビアガーデンが見えていました。

このときも、提灯が鴨川の風に揺れていました。

<「メニューの読み合いごっこ、という遊びをしないか」荻野が言った。「メニューのなかから、気になるものをひとつずつ、交互に読み上げていく」「キムチシューマイ」さっそく瀬川が言った。「おでんの盛り合わせ」「中華ちまき」「小海老のチリソーース」「オードブル取合わせ」「コールミート取合わせ」「きれい梅酒コラーゲン入り」>

置いてあるメニュー通りです。

<そのテーブルにふたりのビールが届いた。枝豆と冷奴がそれに続いた。乾杯しているふたりの前に、チキンバスケットとフライドポテトがならんだ。ふたりは中ジョッキからそれぞれにビールを飲んだ。「いいビールだ。そして、いい風だ」>

私のテーブルもようやく全品そろいましたが、もうかなり進んでいます。

気になるメニューでおでん盛り合わせとソーセージ盛り合わせを追加。

ようやく日も落ち、風の通る鴨川縁を三条大橋まで散歩して帰ってきました。

 それにしても、片岡義男さんは、小説を書くときは、ビアガーデンの情景を克明に想い出しながら書かれたのでしょうか、それとも飲みながら手帳にでもメモされていたのでしょうか。
帰りの阪急電車の中で、「五月最後の金曜日」を読み返しながら考えていました。


レストラン菊水のビアガーデン、京都に行かれた時は、お勧めです。




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今日の神戸新聞夕刊、見ました。田中真治記者が書いておられました。
seitaroさん、よく頑張っておられて敬意を表します。

[ akaru ] 2016/08/04 15:34:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaru様ありがとうございます。メルシェ神父の獄中記は我々が忘れてはならない、意義深い内容となっており、多くの方に知ってもらいたいと、田中記者にご連絡いたしました。
あらためてメルシェ神父の偉大さに感銘いたしました。
獄中記は郵送していただけますので、その入手方法を本日の記事にさせていただきます。

[ seitaro ] 2016/08/04 21:49:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

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卵サンドイッチは関東と関西で違うのか?

 片岡義男『ジャックはここで飲んでいる』に収められた短編「五月最後の金曜日」で、53歳の作家荻野明彦と41歳のフリーランサー瀬川雄二が京都寺町通りのスマート珈琲店で注文したのは、ふたりともホットケーキにコーヒー、そして卵のサンドイッチ。


ホットケーキを食べている間に、卵のサンドイッチが運ばれてきます。
<卵のサンドイッチの皿を、若いウェイトレスがふたりのあいだに置いた。
「これはまた」顔を寄せて瀬川が言った。ホットケーキの途中でふたりはサンドイッチを食べた。皿の両方からふたりで手を出したから、サンドイッチはすぐになくなった。
「おいしいのがあんなに豊かにあったのに、いまはもう跡形もありませんね」という瀬川の言葉を、笑いながら荻野が訂正した。
「けっして消えたのではない。居場所を変えただけだ。いまはきみの体のなかにある」
「そしてそれは、今日の僕のエネルギーになるのですね」>

 その卵サンドイッチを私も試してみました。さすがスマート珈琲店の看板メニューの一つ、ふわふわの卵焼きのサンドイッチをおいしくいただきました。

 ところで先日、テレビで関西人が驚く東京の食べ物の一つとして、卵サンドイッチが話題になっていました。
 あのゆで卵を細かくしてマヨネーズで和えたサンドイッチが許せないというのですが、関西人のはずの私は、子供のころから、ずっとそれが正しい卵サンドイッチと思っていました。

苦楽園口のブーランジェヤマウチの卵サンドイッチも同じです。

 よく考えると、パン屋さんで売っているのは、関西でも、ほとんどがゆで卵で、喫茶店で出す卵サンドイッチは卵焼きを挟んでいる店が多いのかもしれません。
神戸でもそうだったような記憶が。


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片岡義男『ジャックはここで飲んでいる』にも登場、スマート珈琲店

 片岡義男『ジャックはここで飲んでいる』に収められた短編「五月最後の金曜日」は珍しく京都が舞台です。

 主人公は、53歳の作家荻野明彦と41歳のフリーランサー瀬川雄二。二人は京都寺町通りのスマート珈琲店の前で出会います。

<「僕たちは店のまん前で会ったのですか」ふたりは店に入った。平日の午後一時過ぎにはどのテーブルにも客がいた。いちばん奥のテーブルだけが空いていた。調理室の配膳カウンターのすぐ手前だ。案内されたふたりはテーブルをはさんで差し向かいとなり、瀬川は鞄を肩から降ろした。>

私も森見登美彦『聖なる怠け者の冒険』以来、回2度目の訪問です。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11263928c.html

<「まだ子供の頃の美空ひばりが、このお店でお母さんと、しばしばホットケーキを食べたのだと、先日の電話で荻野さんはおっしゃてましたけれど、本当なのですか」「本当だよ。この席だ」と、荻野はは自分たちのテーブルを真上から指さした。
「僕は信じますよ」「信じてくれ。ここは他の席から見えにくいだろう」「そうですね」「お母さんが予約して、いつもこの席だった」「荻野さんは、ご覧になったのですか」という瀬川の問いに、荻野は笑顔で首を振った。>

上の写真、カウンターの左手のちょうど見えない座席が美空ひばり母子の指定席だったとのこと。
<「俺がまだ影もかたちもなかったころの話さ」「さっそくそのホットケーキを。昼をまだ食べていません」ふたりともおなじホットケーキにコーヒー、そして卵のサンドイッチを一人前、注文した。>

 美空ひばりが食べていたというホットケーキ。当然片岡義男もここで食べたのでしょう。

さてここからが、ホットケーキの食べ方の片岡流作法が詳しく書いてあります。
<ふたりのホットケーキとコーヒーがテーブルに届いた。ホットケーキの皿を引き寄せてナイフを手にした荻野は、重ねてあるホットケーキを左手でめくり、二枚目の表面にナイフで縦横に切れ目を入れ、添えてあったバターをふたつに切り、そのひとつをホットケーキに載せた。バターをナイフの先で細かくしながらホットケーキの切れ目に擦り込み、そこにメープル・シロップを容器から半分、ホットケーキの表面に広げるようにかけ、なかばめくっていた二枚目のホットケーキをもとに戻した。上のホットケーキの表面に広げるようにかけ、なかばめくっていた二枚目のホットケーキをもとに戻した。上のホットケーキの表面にもナイフでいくつも切れ目を入れ、そこにバターを塗り、メイプルシロップをかけた。
 荻野を真似ておなじ手順を自分のホットケーキで繰り返した瀬川は、ひと切れをフォークの先端に刺して口にれた。>

その感想は、
<おいしいですよ、これは」と瀬川は感嘆した。「鈍な感触があります」「余計なものがないよな」「大変結構です。まさに東京キッドですよ、これは」「知ってるのか」「右のポケットには夢があり、左のポケットにはチューイングガムがあって、ついさっき食べたのはホット―ケーキです。ホットケーキのあと、空を見たくなったらビルの屋根に出るのです」>

 まさにその通り、ホットケーキの王道でしょうか。期待通りのホットケーキでした。


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大山崎山荘美術館と山本為三郎コレクション

 大山崎山荘を建てた加賀正太郎は喉頭癌のため死期の近いことを悟ってマッサンのニッカウヰスキーの持ち株のほとんどを、アサヒビールの初代社長山本為三郎に譲渡し、2001年にはニッカはアサヒビールの完全子会社となっています。 

 そのような繋がりからか、アサヒビールにより再建された大山崎山荘美術館本館では、柳宗悦はじめ民藝の山本コレクションが常設展示されていました。

 山本為三郎も趣味の人で、種々の文化事業を支援しており、その一つが民藝運動でした。


『私の履歴書』で次のように述べています。


<民藝運動は民藝が庶民の素朴は生活と感情から生まれ、その中に生き、また、それが工芸へ通じる本道でもあるとの、民藝への情熱から出発したもので、私もこの同人たちの主張に強い共感を覚えた。>


 民藝館設立に向けての運動が本格化し、御大礼記念博覧会で素朴な飾り気のない民藝館が建てられます。

 

 博覧会終了後、山本為三郎がこの建物や什器を私費で買い上げ、大阪の三国の山本邸内に移築して「三国荘」と名付けられました。
 三国荘には、柳宗悦が各地から蒐集した品をはじめ、陶磁器、家具などが新しい様式を目ざした生活を彩り、三國荘は初期民藝運動の重要な拠点となったそうです。


 大山崎山荘美術館では、河井寛次郎や濱田庄司、バーナード・リーチといった「民藝運動」の作家作品を中心にしたコレクションが展示されていました。

 

 


最後に日本庭園を廻って帰ってきましたが、期待通りの充実したアサヒビール大山崎山荘美術館でした。



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民芸作品は、知人が大阪日本民芸館で働いていることから出会いました。バーナード・リーチの作品は滋賀の日登美美術館に行くと堪能できます。ひとみワイナリーという国産ワインの販売している建物と繋がっています。近くでは赤いこんにゃくが買えます。

[ 香盛修平 ] 2015/09/19 9:46:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

香盛さんコメントありがとうございます。私が民藝運動について詳しく調べはじめたのは、パボーニの大石輝一が三田アートガーデンに柳宗悦の讃碑を建てたことや、学習院大学での白樺派の特別展を見学してからのことです。バーナード・リーチの作品も、素晴らしい感性を感じ、日登美美術館も訪ねてみようと思います。

[ seitaro ] 2015/09/19 17:01:00 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大山崎山荘美術館の『睡蓮』と喫茶室でいただいたケーキ「モネの庭」

 本館で加賀正太郎の遺品である『蘭花譜』を見せて頂いた後、楽しみにしていたクロード・モネの『睡蓮』を見に、安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」と名付けられた新棟・地中館へ移ります。


 本館と地中館は、コンクリート打放しの通路で結ばれており、両側を高い壁に囲まれた階段を下りると、地中の展示空間にたどり着きます。
デザインは瀬戸内海の直島で見た「地中美術館」とそっくりで、半地下構造で設計されています。


 ここでモネの『睡蓮』3作品観たあと、本館一階テラスに戻りました。

丁度、池に睡蓮の花が可憐に咲いていました。

 

一階の加賀正太郎の蘭栽培のための温室があった所には、現在安藤忠雄設計の山手館が建てられており、ガラス張りの廊下(下の写真右手)でつながれています。

 睡蓮の咲く池には、縮石が配置され、その向うに少し木に隠れていますが、天王山に溶け込むように建つ塔、栖霞楼(せいかろう)が見えています。

 


二階から見た栖霞楼です。

 

二階の喫茶室で少し休憩し、別荘気分を味あわせていただきました。


テラスに出ると三川合流の雄大な景色が見えます。


テラスで期間限定のスイーツをいただきました。

説明によると手前が、‘アクア・ヴィテ’で竹鶴ピュアモルトを贅沢に使用したサヴァラン風ケーキ&ゼリーに、ビスキュイチョコマカロンを添えて。
向こう側が‘モネの庭’
モネのジヴェルニーの庭園に着想をえた、緑色と紫色のコントラストが美しいケーキ。美味しくいただきました。

 


テラスから雲の流れを見ているだけで、贅沢でゆったりした時間を過ごすことができました。


 



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大山崎山荘からの景観 三川合流

 大山崎山荘を建設した実業家加賀正太郎は、その景観について


<大山崎山荘の景観は、北の国英国のウインザー・キャッスルのテムズを俯瞰する景観、南の国ジャワのバイテンゾルグのホテル・ベルビューより見る川を中心とする景色、ジョージ・ワシントンの隠棲したマウント・バーノンの景色などにはよく似ているが、その何れにも勝るとも劣るとは思えない>

と絶賛しています。

 加賀はきっと若き日に訪ねたウインザー城から見たテムズ河畔の景観を思い出しながら、チューダー様式の山荘を設計したのでしょう。


 更に大山崎山荘からの自慢の眺望について、次のように詳しく述べています。
<大山崎山荘は京都府乙訓郡大山崎村天王山に在る。天王山の南側海抜約八〇メートルの位置す。北に山を負い東南西三方は天空開闊にして眺望広闊である。大和の国の水を集めたる木津川は真正面より北流し、近江一国の水を集めたる宇治川は西に向かって流れ、山城一国の水を集めたる桂川は東北方より来たり会して三川は眼下に於いて合流して淀川となる。淀川は蜿蜒摂津河内の平野を西南流して大阪湾に注ぐ。男山は淀川を隔て、近く比叡山、奥醍醐より宇治朝日山を経て鷲峯山に至る山城大和の山々は、一連をなして生駒山系に連なり、これが外環を成している。露台に立てば山河襟帯、山紫水明にして風光明媚である。>

 三川合流の景色は、現在も喫茶室のベランダから見渡すことができます。

 


現在の景色です。

 

ベランダには眺望を説明する絵が掲示されているので、見比べると川の名前がわかります。

 


わかりやすいマップがありましたので、追加しておきます。

 

 また加賀はこの地形が蘭の栽培に適していたとも述べています。
<南に川を隔て、男山と近く対峙して峡谷の形をなすが故に、四時川霧深く、それが常に新鮮な空中流動湿気となって蘭科植物栽培に寄与する事頗る大である。>
 明治43年、ロンドン滞在中にキューガーデンで見事に栽培されている蘭を目にした正太郎は、帰国後、自ら栽培に着手します。以来約30年にわたり、およそ1140種の蘭が育てられ、東の新宿御苑と並ぶ西の蘭の聖地となっていたそうです。
 現在は山荘に温室はありませんが、加賀が自らの蘭栽培の記録として昭和21年に発行した版画の『蘭花譜』が遺されています。


 学術資料の域を超える日本画風の美しい色彩の蘭花譜が展示されておりましたが、とても版画にはみえませんでした。



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いい場所ですね。私の好きなバーナード・リーチの作品もあります。自然のミストを感じながら昼から飲むビールは格別です。

[ 香盛修平 ] 2015/09/15 8:06:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

『マスター先生』の香盛様、コメントありがとうございます。山本コレクションも素晴らしい作品ばかりでした。あの喫茶室のベランダでアサヒビールもいいですね。いつかお会いできる日が来ればと願っております。

[ seitaro ] 2015/09/15 12:50:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

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梶井基次郎の『檸檬』に登場する丸善京都本店が本日オープン

 一昨日“『横浜・山手の出来事』に丸善発祥の地が登場”と題して、丸善の発祥の地であることをご紹介しましたが、本日の朝刊に「京都で書店を始めて143年丸善京都本店」という全面広告を見て驚きました。およそ10年ぶりの復活だそうです。

写真の看板には丸善株式会社京都支店と書かれています。

 丸善の創業者早矢仕有的が横浜に「丸屋商社」を創業したのは明治2年(1869)のこと。京都店はSince1872と書かれていますから、そのわずか3年後でした。

上は創業時の横浜丸善。

 

 新聞広告には梶井基次郎の『檸檬』の引用文が載せられており、早速原文を読んでみました。


 初出は1925年(大正14年)で、三高時代の梶井が京都に下宿していた時の鬱屈した心理を背景に書かれています。
大正時代の丸善の店内の様子が次のように描かれています。
<生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色翡翠色の香水瓶。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。>
なかなか楽しい品揃え、本当に入ってみたくなります。

 

 体調を崩していた梶井は八百屋で檸檬を見つけます。今はありませんが、八百卯というお店だったようです。


<その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。>

 そして丸善に入るのです。
<どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。>

 梶井は袂の中の檸檬を憶い出し、本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、檸檬を据えることにします。
<やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。>

 

 最後は檸檬を置いたまま丸善を出て行き、少し面白い空想で終わっています。
<――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。>

 

 梶井基次郎、私など縁がない作家でしたが、少年時代の野坂昭如の愛読書で、いつか読んでみたいと思っていました。
 本日の新聞広告では「カフェ・洋書・文具にも力を入れ、幅広い顧客に利用いただける書店を目指します」とのこと。あの早矢仕有的さんのハヤシライスもありそうです。


 ところで丸善神戸店のRebornはないのでしょうか。



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京都 | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

こんにちは

たった3年で関内弁天通りから京都本店とは凄すぎて、やはり
早矢仕ライスも信じたくなります。この頃カレーはあったのでしょうか?

横浜[ じゃんさん ] 2015/08/22 9:53:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

じゃんさん こんにちは。神戸は近くて好きな街ですが、横浜も開港以来、日本に初めて伝わったものが多くて、楽しい街です。文学作品も多く、また行かせていただきます。

[ seitaro ] 2015/08/22 10:56:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

昔、カッコつけて丸善の原稿用紙を使ってたことがあります。この前、少し残っていたのを孫のkohの読書感想文のために与えました。それで終いでした。ちょっと高かったけど鉛筆の滑りがいいのです。

[ akaru ] 2015/08/23 8:31:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

丸善の原稿用紙もあったのですか。koh君も嬉しかったでしょうね。また本屋さんが復活してくると嬉しいのですが。

[ seitaro ] 2015/08/23 8:59:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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