阪急沿線文学散歩

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山田太一『空也上人がいた』空也上人立像

山田太一『空也上人がいた』から続けます。


 六波羅蜜寺の正門に到着した草介は、吉崎老人から携帯で指示を受けながら、宝物館に向かいます。

<「正門のところにいます。すぐ向こうにお堂が見えます」「そうなんだ。本堂だよ。いくらもあきがない。門も道ぎりぎりで、閉まってるだろ」「閉まってます」「少し先に入り口がある」「あります」>
 確かに正門は閉まっていました ので、私たちもその先の入り口から入りました。

正門には菊の御紋がありましたが、尋ねてみると、開基した空也上人は醍醐天皇第二皇子ということからだそうです。

<「そっちの正面には朱色に塗った社の巳成金弁財天があってちょっと古寺というよりお稲荷さんにでも来たようだ。この気取りのなさがいい、人が来てるだろ。いい季節だ」「はい、何人も、五人とか、三人とか」「人気がある。宝物館に入るチケットを売っているはずだ」「売ってます」>

こちらがその弁財天のお堂です。
手前にある入り口で、宝物館のチケットを買いました。
<「折角だから本堂にも手を合わせなきゃいけない。賽銭は私の分と二百円だ」「入れました。拝みました」「左へ行くと回廊がある。その脇は小さな墓場だ」「墓場です」「澄ました石庭なんかよりずっといいじゃないか。そして、つき当りが収蔵庫だ。宝物館だ」>

本堂で参拝して、左手の回廊から宝物館に向かいました。
小さな墓場とは「六波羅浄心苑」という永代供養の樹木葬墓地でした。

さていよいよ宝物館です。

<狭い場所にいくらの間隔もなく、薬師如来、持国天像や増長天像やら平清盛座像などが陳列され、そのどれにも赤字で「重要文化財」と添え書きがあり、その列の中に、特別扱いもなく、空也上人立像があった。>

写真撮影は禁止されていますので、入館時にいただいたパンフレットの写真からです。

<小さな僧侶の像だった。一米少しという印象。粗末な衣はわずかに膝をかくすまでしかない。細い二本の足が露わで紐でしっかり結んではいるが、すっかり薄くなっている草鞋。首から吊るした鉦。それを叩く種目が右手に。その先に鞘のように鹿の角。髪のない頭。薄目でやや上向きに顎を出し、その小さくひらいた口から、針金に支えられて小さな仏像が六体。
「だからこれ、南無阿弥陀仏の六文字ね。空也上人が念仏を称えると口から次々阿弥陀さまが現れた」と私と前後してやはり上人の像に立止まる何人かの、誰にいうともなく係の中年男性が説明をはじめた。>

草介はその係の男性から肩を軽く叩かれます。
<正面からばっかり見ていないで、ここらへしゃがんで。しゃがんでお顔を見上げてみなさい。ここら、ほら、ここら、ほら」断りにくく、しゃがんで見上げた。声が出なかった。動けなかった。「どう?もうええでしょう。他の人に場所をゆずって。さあ、ゆずって、立って」三十代の女と替わった。すぐ女は声をあげた。「目が光った」「そうでしょう。下から見ると目が光る」「生きとるよう」「そう。生きておられるようでしょう」>
 私も下から見上げて、光る目を見せていただきました。木像の目の部分には水晶玉が埋め込まれているのですが、わかっていても感動します。 
山田太一は、実際に空也上人立像を見た時の感動を小説に著わしたくて、この小説を書いたのではないかと思ってしまいました。





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山田太一『空也上人がいた』六道の辻から六波羅密寺へ

 脚本家、小説家の山田太一の『空也上人がいた』は、妻を亡くしたひとり暮らしの81歳の男、 ずっと独身を通してきた46歳の女性ケアマネジャー、老人介護の仕事をやめたばかりの27歳の僕(中津草介)が登場する、老人介護の問題を背景にした物語。

 27歳の中津草介は、特別養護老人ホームでヘルパーとして働いていたが、ある日、廊下で躓いて車椅子に乗っていた老女を放り出してしまい、死なせてしまったことから辞職したばかり。そんな草介に知り合いのケア・マネージャーである47歳の女性・重光雅美に紹介されて、81歳の独り暮らしで車椅子の老人・吉崎征次郎の在宅介護をすることになります。
 草介と吉崎さんの生活が始まり、初日・2日目と豪華な食事を吉崎さんは草介にご馳走してくれる。やがてブランドものの服や靴を買いそろえ、草介に与え、「用件は京都へ着いてからにしよう、携帯でね」と理由を告げずに京都へ行ってくれと依頼されます。

今回は読書会のメンバーで京都を訪ねました。

河原町駅に到着して、まず八坂神社前の「いづ重」で昼食。

鯖姿寿司で名高い祇園「いづう」で修業を積んだ初代が別家を許され、明治末年、東山真葛原に店舗を構えたのが始まりだといいます。

デザートは場所を移して創業300年の老舗甘味処「祇園 鍵善良房」へ。

名物のくずきりを黒蜜でいただきました。

いよいよ六波羅密寺へ。
『空也上人がいた』では、京都に着いた草介が吉崎さんからの携帯の指示により、タクシーで、まず六道の辻に向かいます。

上の地図で松原通あたりが六道の辻です。

<「六道の辻はな、この世とあの世の境といわれててな。死んだ者は辻を通ってあの世へ向うという信心があった。平安時代には、鳥辺山といって清水から五条あたりの東山は遺体の棄て場所のようになっとった。そこへ空也上人が寺をつくった、とまあいわれとるんやけど、西光寺といってそりゃあ広大なもんやったらしい。それがいまの六波羅蜜寺の元でね。鎌倉時代になるとそこへ平家がやって来て、どしどし寺の周りに武家屋敷をつくった。清盛の頃は六波羅に三千の余も邸があったというんやから、いっとき京都の一大中心地ですよ。ここです。ここが六道の辻。そこをまっすぐ登って行くとお寺」>

角に「六道之辻」の石碑がありました。後ろは空海が地蔵堂を建てたのがこのお寺の始まりだ、と伝えられてる西福寺です。この寺のお地蔵さまは、檀林皇后(嵯峨天皇の皇后)がわが子(正親親王)の病気が治るよう祈願をしたことがきっかけで、「子育て地蔵」と呼ばれるようになったそうです。

反対側に「幽霊子育飴」という名の飴屋さんがありました。

草介はここでタクシーを降りて、携帯で吉崎老人と話しながら六波羅蜜寺に向かいます。
<「正門のところにいます。すぐ向こうにお堂が見えます」「そうなんだ。本堂だよ。いくらもあきがない。門も道ぎりぎりで、閉まってるだろ」「閉まってます」「少し先に入り口がある」>

我々もようやく六波羅蜜寺の正門に着きました。
次は、いよいよお寺の中の空也像へ。



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昭和28年ドナルド・キーンさんが初めて京都で過ごしたお正月

 昨年11月にBSで「ドナルド・キーン95歳心の旅」が放映されていました。キーンさんも既に95歳、心温まる番組でした。


 失礼かもしれませんが、私がドナルド・キーンさんとイメージを重ねるのが、最近また再放送が始まったBSの「京都人の密かな愉しみ」で団時朗が好演している、イギリスヨークシャー出身の文化人類学者エドワード・ヒースロー。

「京都は美しい。しかし、京都人はわからない」という名セリフ。このような日本通の学者をドラマに登場させることができたのも、ドナルド・キーンさんの存在があったからかも知れません。

 ところでキーンさんが1953年に京都大学大学院に留学のため来日して初めて京都で過ごしたお正月についてのエッセイがあります。初出は月刊「リーダーズダイジェスト」連載の「ドナルド・キーンの日本診断」(1984年1月号)「正月という英知」。

 外国人から見た京都のお正月について、次のように述べられています。
<日本で初めて過ごした正月のことを、私は決して忘れないだろう。その年(1953年)暮れが近づくと京都の人々は何週間にもわたって、来るべき“お正月”についてしきりに言葉を交わし、その興奮ぶりが外国人の私にもいやでも伝わってくるのだった。それはちょうどアメリカの子供たちがクリスマスについて語るときの熱の入れように、どことなく似ているように思えたものである。>

忘年会についても次のように述べています。
<日本人の新年の祝い方は実に念が入っている。なにしろ、忘年会という前座まで用意されているからである。ちなみにこの忘年会というものは、私の知っている限りでは他のどの国にもない習慣である。一年の間に起こった不愉快なことをすべて忘れてしまうことを目的としたこの習慣は実に結構なもので、外国に紹介されてしかるべきではないだろうか。>

そして大晦日に八坂神社でをけら詣りをして、火縄を持ち帰り、下宿で生まれて初めて味わった御節料理については、
<御節料理のほとんどは私にとって初めてのものだったが、いずれもおいしかった。蛤の御雑煮は特に気に入った。エビをはじめとした種々の海の幸にもすっかり堪能したものである。御節料理が日本の料理の中で特においしいものだとは、私は思わない。だが、正月には必ずこの特別な料理を食べて育ってきた日本人が、御節料理に深い愛着と郷愁を感じていて、今ではすっかり品薄になってしまった数の子や、その他正月には欠かせない珍味を、法外の値段をいとわず買おうとするのは、無理からぬことだと思う。>
と解説されています。

 初めて日本で経験した京都のお正月風景から、「日本の正月は、多くの場合顧みられない日本伝統の重要性を、どんなに短い間にせよ、現代人に再認識させてくれるという特別の意味を持つ」と述べられており、キーンさんに改めて日本の良さ、伝統を気付かされるエッセイでした。

 最後に、正月にハワイに出かける多くの人々について、
<しかし、太平洋の楽園で陽光を体いっぱいに浴びながら、コバルト・ブルーの海を眺めてご満悦の彼らも、心の底のどこかで何となしに物足りなさを感じているはずである。それはつまり、正月に日本にいることによって初めて味わえる、日本人の伝統的精神性の重要な一部たるべきあの“正月気分”に、ハワイなどにいたのでは決して浸れない、ということなのではなかろうか。>と結ばれています。
 これが書かれたのは1984年のことですが、今や日本の正月風景もかなり変わり、そのようなことを感じる世代も少なくなっているのではないでしょうか。




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買って読んでみます

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/01/07 9:11:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

ドナルド・キーンさんのエッセイはどれも日本人として忘れていたことを思い出させてくれるお話で、興味深いです。今や我々世代にとっては外国人的発想の若い世代の人たちにも読んでもらいたい本です。

[ seitaro ] 2018/01/07 13:11:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

 読みました 良い本を紹介していただき ありがとうございます。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/01/15 23:47:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

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森茉莉さんの「京都のお正月」とは

 早川茉莉編『京都好き』に森茉莉さんのエッセイ『京都・お正月』が収められています。


 森茉莉さんの古都京都のお正月のイメージを代表して語られているのが、北野天満宮の東隣に位置する上七軒のお茶屋「中里」。

<ここに掲げたのは京都の「中里」というお茶屋の門口である。惹きこまれるようになって、私はこの時代のついたお茶屋のたたずまいを見た。色彩もよくて、ほんとうにこの「中里」

という家の前に佇んでも、この写真が立体になって逼ってくるだけで、感じはほとんど違わないだろうと思われるくらいである。しんと底冷えのする、京都の冬の中にしずまりかえったように建っているこの家は、伝統が重みになって上からおさえているように見える>

 読んでいると、森茉莉さんは「中里」の常連であったわけではなく、写真を見ながら、そこの暮しについて想像を膨らませていることがわかります。

<このかわら屋根の下、格子戸の中には京都の人々、ことに女の生活が、何年となくしっくりといとなまれていた、という、生活の滲みのようなものが感じられる。>


 そして見事にそこでの暮らしを言い当てられています。

<ところでこの「中里」の、多分百年くらい前から朝夕、水を替えてはよく揉み洗いした雑巾で、少女(おちょぼというのだろうか?)や女中が拭きこんだ、何年目かには灰汁洗いしているらしい格子戸、板囲いの一部、をみていると、誇りのある芸者(京都は芸妓か?)、女中、お内儀さんが、出入りする店だろうという感じがある。>


最近はあまり見かけなくなった門松についても言及されています。

<この「中里」の戸口の門松のやさしさのある美しさは、素晴らしい。権勢欲をあらわしたような東京の大々しい門松よりもいい。正月の風習の、門松とか、お飾りのようなものは面倒だが、昔のしきたり通りの儀式ばったものの方が情緒がある。>

森茉莉さんが見られた門松と、現在ののものが変わっていなければ、少し小振りの門松が調和がとれていて、お気に召したようです。


 お正月のお茶屋の奥座敷の様子については歌舞伎『廓文章〜吉田屋』の奥座敷の場面を思い出して紹介されていました。


近寄りがたい京都ですが、魅力的。

お茶屋遊びなど、遠い彼方のことでしたが、最近は体験ツアーもあるようです。




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早川茉莉編『京都好き』に収められた「森嘉のお豆腐」が趣味どきっ!にも

 早川茉莉編『京都好き』に収められた絵本作家永田萌さんのエッセイ「森嘉のお豆腐」が、NHKの「趣味どきっ!」三都・門前ぐるめぐり、第4回「京の門前湯どうふ 東西味めぐり」でも紹介されていました。

まず永田萌さんのエッセイ「森嘉のお豆腐」から紹介しましょう。
 永田萌さんは兵庫県加西市生まれ。学生時代より京都に居住し、以来変わることなく仕事と生活の基盤を京都に置かれていますが、引越し魔で、京都市内だけで16回引越しているそうです。

<夏の京都に暮らすことの大変さばかり書いていますが、反対に「幸せだなァ……」と感じることをあげるなら、「嵯峨の森嘉の木綿豆腐を、冷や奴で食べること」でしょうか。>
<だいたい私は、京都に来るまでお豆腐というのはもっと固くてゴツゴツしていて、おはしにつきさして持ち上がるものだと思っていました。はっきり言って京都の食べ物なんて、さほどおいしいものではないのですが、お豆腐だけはまったく別。はじめて森嘉のお豆腐を食べた時は、あまりのショックにしばし茫然としました。ほのかに大豆の香りのする、口の中でとろりととけて、のどごしのさわやかなこのうすい黄味をおびた白い立方体。これこそ「豆腐」なのです。>

 
 永田萌さんがこのように絶賛している森嘉の豆腐が先日の趣味ドキッでも紹介されていたのです。


<こちらのお店は江戸時代から豆腐を作り続けています。
この店の…ここでは砕いた大豆を昔ながらのかまで炊いています。
京都ではかまの事を「おくどさん」と呼びこの言葉には「かまの守り神」という意味もあります。薪をくべ人の手で火を守りおよそ150年もの間続けてきたこのお店。>


<しかし邦夫さんのおじいさんは京都の豆腐の常識を覆しある革命を起こしたのです。
こちらが豆乳が炊き上がってますのでこれから凝固作業に入りますので。
あっこれから。これが凝固剤なんですけど…。
それは凝固剤に昔ながらのにがりではなくすまし粉を使う事。
これがあの滑らかさを生み出しているんです。
で流し込みました。
おお〜!おっ固まってきてるの分かりますよ。>

このあとは普通の木綿豆腐の作り方と同じ。

<そのすまし粉のお豆腐っていうのが非常にエポックメーキングっていいますか京都のお豆腐の一つのトレンドを多分作り上げたお豆腐だと思うんですけれどもそれがどんどん「嵯峨豆腐」という名前で広がっていったという事だと思いますけどね。
この滑らかな豆腐がはんなりとした京都らしい味わいと評判になります。
その後妙智院の他にも豆腐料理のお店が増え門前のにぎわいは今に続いています。>

 永田萌さんの「森嘉のお豆腐」に戻りましょ。

<「もしもし、お豆腐の予約をお願いします」「へ、おおきに。どちらさんどす?」「永田といいます」「へえ、何丁どす?」「一丁です」たった一丁?とは、お店の人は言いません。ここの一丁は、軽くふつうの倍はある大きさで、お豆腐好きのわが家の三人がせっせと食べても、お腹いっぱいになるのです。>

写真を見ると、確かに両手を添えるほどの大きさでした。

<さて、こわさないように大切に持って帰って、水を張った砥部焼の大きな鉢にそっと入れます。まわりに氷を散らし、マンションの玄関の入口の、青いもみじの葉をちぎってきたもの三、四枚浮かべれば、すがすがしことこのうえない一品です。
 わけぎをきざみ、私の田舎のおいしいおしょうゆを少しのみりんとおだしで割ったものを用意し、ガラスのおちょこを二つ。お酒は何といっても「月の桂」のにごり酒。>
さすが永田萌さんの美的感覚。目に浮かぶようです。
今度京都に行ったら木綿一丁買ってこよう。



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 江戸時代からの伝統を守り続けているのは凄いと思います。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/05/05 9:47:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

相変わらず薪で炊いているところにもびっくりです。

[ seitaro ] 2017/05/05 10:52:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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早川茉莉編『京都好き』は文学好きには手放せない京都案内

 リタイアして、京都に時々出かけるようになりました。多くの文学作品の舞台になっている京都ですが、地理に詳しくなく、どのように巡るかが悩みの種でした。

それを解決してくれたのが、早川茉莉さんの『京都好き』。

 森茉莉、渡辺たおり、植草甚一、池波正太郎、山田詠美ら29人の、作家、詩人、エッセイストの魅力ある京都のアンソロジー。

 もちろん早川茉莉さんの「のばら珈琲」のエッセイも含まれています。

巻末には、各作品で紹介されているお店や名所等のリストとMAPが付いているので、京都歩きにはとても便利です。

 最後に早川茉莉さんの「塩一トンの京都」と題した編者解説がありました。早川さんも須賀敦子さんの作品はよく読まれているようです。
<京都を特集したテレビ番組や雑誌を見るたびに、知らなかった場所やエピソードに出合う。本当にビックリする位、知らないことだらけなのだ。いやはや何とも……と思い、そのたびに須賀敦子さんの『塩一トンの読書』の冒頭の一文を思い出す。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ」(『塩一トンの読書』河出文庫)
京都もまた、気が遠くなるほど長く付き合っても、理解しつくせない街なのだと思う。だが、歩くたび、お気に入りの場所を訪れるたびに、襞の細部にあるものを少しずつ見せてくれる、それが京都という街である。>

 西宮からは少し時間がかかりますが、まだまだ京都に通わないと本当の良さがわからないようです。訪ねた場所を少しずつブログでも紹介していこうと思っています。



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 植草甚一さんと聞いただけで読みたくなります。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/04/28 9:01:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

植草さんのエッセイは銀閣寺の近くにある喫茶店のお話などが述べられており、訪ねてみたくなりました。

[ seitaro ] 2017/04/28 10:18:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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川端康成『古都』に描かれた京都府立植物園を訪ねる

 梅が見ごろとなり、先日京都府立植物園の梅林を訪ねました。


ところでこの植物園は、川端康成の小説『古都』にも登場します。

『古都』は京都を舞台に、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命が描かれた作品で、京都各地の名所や史蹟、年中行事が盛り込まれています。

 また何度も映画化、テレビドラマ化、舞台化された作品でもあり、初回映画化(昭和38年)の主演は岩下志麻さんでした。

 京都府立植物園は日本で最初の公立植物園として、大正13年に開園していますが、昭和21年から12年間は連合国軍に接収され、昭和36年4月にようやく再開しています。
 朝日新聞に『古都』が連載され始めたのは、再開直後の昭和36年10月からですから、『古都』では次のように書かれています。
<植物園はアメリカの軍隊が、すまいを建てて、もちろん、日本人の入場は禁じられていたが、軍隊は立ちのいて、もとにかえることになった。
 西陣の大友宗助は、植物園のなかに、好きな並木道があった。楠の並木道である。楠は大木ではないし、道も長くはないのだが、よく歩きに行ったものだ。楠の芽ぶきのころも…。
「あの楠は、どないなってるやろ。」と、機の音のなかで思うことがあった。まさか占領軍に伐り倒されてはいまい。宗助は植物園が、ふたたび開かれるのを待っていた。>
朝日新聞連載時の挿画は小磯良平によるものでした。




「くすのき並木」は今も健在で、楠木は大木になっています。

 仁和寺の御室の花見に行った太吉郎、しげ、千恵子の三人は、花見客の騒々しさに辟易し、静かなところへ行こうと車で、再開したばかりの植物園に向かいます。
<植物園は、この四月から、ふたたび開かれて、京都駅の前からも、新たに植物園行きの電車が、しきりに出るようになっていた。「植物園もえらい人やったら、加茂の岸を少し歩くのやな。」と、太吉郎はしげに言った。>

賀茂川沿いの道もいい散歩道になっています。

<植物園は門の前の並木道から、ひろびろと明るかった。左は加茂の川づつみである。しげは入園券を、帯のあいだにはさんだ。ひらけるながめに、胸もひろがるようだった。>

植物園の正門に至る並木道です。
<植物園に入ると、正面の噴水のまわりに、チュウリップが咲いていた。「京都ばなれした景色どすな。さすがに、アメリカさんが、家を建ててはったはずや。」と、しげは言った。「そら、もっと奥の方やったんやろ。」と、太吉郎は答えた。噴水に近づくと、そう春風もないのに、こまかいしぶきが散っていた。噴水の左向うには、円い鉄骨のがらす屋根の、かなり大きい温室が、つくられていた。>
正門を入り、少し歩くと大きな温室が見えてきます。

4月になれば、書かれているようにチューリップが一面に咲くことでしょう。

今は、かわりにキンギョソウが花盛りでした。

正面にあった噴水というのは今はなく、洋風庭園に移したようです。

< ひまらや杉の若芽の下枝が、孔雀の尾をひろげたようだとするなら、ここに咲き満ちる、いく色ものチュウリップは、なににたとえたものだろうかと、太吉郎はながめつづけた。花々の色は、空気を染め、からだのなかまで映るようであった。>

ひまらや杉のある洋風庭園、現在はばら園になっていますが、小説を読むと、当時はチューリップ畑だったようです。

< 叡山、東山、北山は、植物園のほとんどいたるところでながめられるのだが、しゃくやく園の東の叡山は、正面のようであった。「比叡山は、濃いかすみのせいか、なんやら、低う見えるようやおへんか。」と、宗助は太吉郎に言った。「春がすみで、やさしいて……。」と太吉郎はしばらくながめていて、「そやけど大友はん、あのかすみに、ゆく春を、お思いやさしまへんか。」「そうどすな?」>と話は進みます。

しゃくやく園にも行ってみましたが、養生中でした。

植物園の木が大きく育ったせいか、叡山が眺められる場所も限られています。


<「大友はん、あんたのお好きやいう、楠の並木を通って、帰りまひょうか。」と、太吉郎は言った。「へえ、おおきに。わたしは、あの並木を歩いたら、それでよろしいのどす。来る時も、くぐって来ましたんやけど……。」と、宗助は千重子を振りかえって、「お嬢さん、つきおうとくれやすな。」楠の並木は、木ずえで、左と右の枝が交わしていた。その木ずえの若葉は、まだ、やわらかく薄赤かった。風がないのに、かすかにゆれているところもあった。五人はほとんどものを言わないで、ゆっくり歩いた。めいめいの思いが、木かげでわいてきた。>

最後は再びくすのき並木を通って帰って行ったようです。

 3月も梅林や、クロッカスなど美しく、園内の散歩を楽しめましたが、4月、5月になれば緑も芽吹き,花も一面に咲きそうですから、もう一度訪れたくなりました。



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レストラン菊水の屋上ビアガーデンへ(片岡義男『五月最後の金曜日』から)

 片岡義男の新刊『ジャックはここで飲んでいる』に収められた「五月最後の金曜日」で、瀬川と荻野は、森見登美彦の小説にも登場する四条大橋東詰のレストラン菊水の屋上ビアガーデンに行きます。

私も久しぶりに、『ジャックはここで飲んでいる』を片手に訪ねてみました。
 ふたりはタクシーで四条大橋を渡り、歩道に寄って止まり、タクシーを降ります。
<「目の前だよ」「どれですか」「ここ」>


<レストラン菊水にふたりは入った。エレヴェーターで五階へ上がると、屋上はビアガーデンだった。テーブルはひとつだけ空いている、とウェイターが荻野に言った。「ひとつで充分だよ」案内されてふたりは差し向かいにパイプ椅子にすわった。>

写真の左手のエレベーターで五階まで。

<「いい風ですね」感嘆した瀬川は笑顔の荻野に顔を向けた。「これも鴨川を渡る風ですか」
「おそらく」「平安時代の京都に生きた人たちが、この高さで鴨川の風を受けることは、まったくなかったのですね」「想像した人すらいなかっただろう」>

私が訪れたときも、この鴨川からの風がここちよく吹いていました。

<ふたりがメニューを見ているところへ、ウェイターが注文を取りに来た。「中ジョッキですね」「俺も」「チキンバスケットは、はずせませんよ」と瀬川は言い、かたわらのウェイターを見上げて、「チキンバスケット」と言った。「フライドポテトもな」「そう来たなら、枝豆と冷奴も必須です」「BGMはハワイ音楽だよ」頭上のどこかにあるはずのスピーカーを、荻野は指さした。「ただし、ひと昔前のハワイアンではない。ハワイ語のコーラスを正調のファルセットが引き締めている。>
まったく同じものをアラカルトで注文。

まずはビールと枝豆で乾杯。

BGMも小説と違わず、ハワイ音楽。スピーカーは写真の柱の陰に隠れています。

<「枝豆三百五十円」「中ジョッキ六百円」そう言って荻野は振り向いた。
「振り向けば南座の屋根だよ」「あちらには北座がありますよ」「井筒屋八つ橋本舗の建物だよ」「そうでしたか」「その昔には、北座という芝居小屋もあったんだが」「そして向こうにはキエフというビストロが」「そこも屋上はビアガーデンだ」「いい風に提灯が揺れますね」等間隔に吊ってある頭上の提灯の列を、瀬川は見上げた。「これもすべて、鴨川の風ですね」>

周りを見晴らすと、南側に南座。

東側には東山が。

北側には、北座。いえ、井筒屋八つ橋本舗でした。

井筒屋八つ橋本舗の右側に、ビストロキエフと屋上のビアガーデンが見えていました。

このときも、提灯が鴨川の風に揺れていました。

<「メニューの読み合いごっこ、という遊びをしないか」荻野が言った。「メニューのなかから、気になるものをひとつずつ、交互に読み上げていく」「キムチシューマイ」さっそく瀬川が言った。「おでんの盛り合わせ」「中華ちまき」「小海老のチリソーース」「オードブル取合わせ」「コールミート取合わせ」「きれい梅酒コラーゲン入り」>

置いてあるメニュー通りです。

<そのテーブルにふたりのビールが届いた。枝豆と冷奴がそれに続いた。乾杯しているふたりの前に、チキンバスケットとフライドポテトがならんだ。ふたりは中ジョッキからそれぞれにビールを飲んだ。「いいビールだ。そして、いい風だ」>

私のテーブルもようやく全品そろいましたが、もうかなり進んでいます。

気になるメニューでおでん盛り合わせとソーセージ盛り合わせを追加。

ようやく日も落ち、風の通る鴨川縁を三条大橋まで散歩して帰ってきました。

 それにしても、片岡義男さんは、小説を書くときは、ビアガーデンの情景を克明に想い出しながら書かれたのでしょうか、それとも飲みながら手帳にでもメモされていたのでしょうか。
帰りの阪急電車の中で、「五月最後の金曜日」を読み返しながら考えていました。


レストラン菊水のビアガーデン、京都に行かれた時は、お勧めです。




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今日の神戸新聞夕刊、見ました。田中真治記者が書いておられました。
seitaroさん、よく頑張っておられて敬意を表します。

[ k.imamura ] 2016/08/04 15:34:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaru様ありがとうございます。メルシェ神父の獄中記は我々が忘れてはならない、意義深い内容となっており、多くの方に知ってもらいたいと、田中記者にご連絡いたしました。
あらためてメルシェ神父の偉大さに感銘いたしました。
獄中記は郵送していただけますので、その入手方法を本日の記事にさせていただきます。

[ seitaro ] 2016/08/04 21:49:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

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玉子サンドイッチは関東と関西で違うのか?

 片岡義男『ジャックはここで飲んでいる』に収められた短編「五月最後の金曜日」で、53歳の作家荻野明彦と41歳のフリーランサー瀬川雄二が京都寺町通りのスマート珈琲店で注文したのは、ふたりともホットケーキにコーヒー、そして卵のサンドイッチ。


ホットケーキを食べている間に、卵のサンドイッチが運ばれてきます。
<卵のサンドイッチの皿を、若いウェイトレスがふたりのあいだに置いた。
「これはまた」顔を寄せて瀬川が言った。ホットケーキの途中でふたりはサンドイッチを食べた。皿の両方からふたりで手を出したから、サンドイッチはすぐになくなった。
「おいしいのがあんなに豊かにあったのに、いまはもう跡形もありませんね」という瀬川の言葉を、笑いながら荻野が訂正した。
「けっして消えたのではない。居場所を変えただけだ。いまはきみの体のなかにある」
「そしてそれは、今日の僕のエネルギーになるのですね」>

 その卵サンドイッチを私も試してみました。さすがスマート珈琲店の看板メニューの一つ、ふわふわの卵焼きのサンドイッチをおいしくいただきました。

 ところで先日、テレビで関西人が驚く東京の食べ物の一つとして、卵サンドイッチが話題になっていました。
 あのゆで卵を細かくしてマヨネーズで和えたサンドイッチが許せないというのですが、関西人のはずの私は、子供のころから、ずっとそれが正しい卵サンドイッチと思っていました。

苦楽園口のブーランジェヤマウチの卵サンドイッチも同じです。

 よく考えると、パン屋さんで売っているのは、関西でも、ほとんどがゆで卵で、喫茶店で出す卵サンドイッチは卵焼きを挟んでいる店が多いのかもしれません。
神戸でもそうだったような記憶が。


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片岡義男『ジャックはここで飲んでいる』にも登場、スマート珈琲店

 片岡義男『ジャックはここで飲んでいる』に収められた短編「五月最後の金曜日」は珍しく京都が舞台です。

 主人公は、53歳の作家荻野明彦と41歳のフリーランサー瀬川雄二。二人は京都寺町通りのスマート珈琲店の前で出会います。

<「僕たちは店のまん前で会ったのですか」ふたりは店に入った。平日の午後一時過ぎにはどのテーブルにも客がいた。いちばん奥のテーブルだけが空いていた。調理室の配膳カウンターのすぐ手前だ。案内されたふたりはテーブルをはさんで差し向かいとなり、瀬川は鞄を肩から降ろした。>

私も森見登美彦『聖なる怠け者の冒険』以来、回2度目の訪問です。

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<「まだ子供の頃の美空ひばりが、このお店でお母さんと、しばしばホットケーキを食べたのだと、先日の電話で荻野さんはおっしゃてましたけれど、本当なのですか」「本当だよ。この席だ」と、荻野はは自分たちのテーブルを真上から指さした。
「僕は信じますよ」「信じてくれ。ここは他の席から見えにくいだろう」「そうですね」「お母さんが予約して、いつもこの席だった」「荻野さんは、ご覧になったのですか」という瀬川の問いに、荻野は笑顔で首を振った。>

上の写真、カウンターの左手のちょうど見えない座席が美空ひばり母子の指定席だったとのこと。
<「俺がまだ影もかたちもなかったころの話さ」「さっそくそのホットケーキを。昼をまだ食べていません」ふたりともおなじホットケーキにコーヒー、そして卵のサンドイッチを一人前、注文した。>

 美空ひばりが食べていたというホットケーキ。当然片岡義男もここで食べたのでしょう。

さてここからが、ホットケーキの食べ方の片岡流作法が詳しく書いてあります。
<ふたりのホットケーキとコーヒーがテーブルに届いた。ホットケーキの皿を引き寄せてナイフを手にした荻野は、重ねてあるホットケーキを左手でめくり、二枚目の表面にナイフで縦横に切れ目を入れ、添えてあったバターをふたつに切り、そのひとつをホットケーキに載せた。バターをナイフの先で細かくしながらホットケーキの切れ目に擦り込み、そこにメープル・シロップを容器から半分、ホットケーキの表面に広げるようにかけ、なかばめくっていた二枚目のホットケーキをもとに戻した。上のホットケーキの表面に広げるようにかけ、なかばめくっていた二枚目のホットケーキをもとに戻した。上のホットケーキの表面にもナイフでいくつも切れ目を入れ、そこにバターを塗り、メイプルシロップをかけた。
 荻野を真似ておなじ手順を自分のホットケーキで繰り返した瀬川は、ひと切れをフォークの先端に刺して口にれた。>

その感想は、
<おいしいですよ、これは」と瀬川は感嘆した。「鈍な感触があります」「余計なものがないよな」「大変結構です。まさに東京キッドですよ、これは」「知ってるのか」「右のポケットには夢があり、左のポケットにはチューイングガムがあって、ついさっき食べたのはホット―ケーキです。ホットケーキのあと、空を見たくなったらビルの屋根に出るのです」>

 まさにその通り、ホットケーキの王道でしょうか。期待通りのホットケーキでした。


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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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