阪急沿線文学散歩

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神戸の町は海軍操練所から始まる(陳舜臣)

 諏訪山の金星台に登ると。金星観測記念碑の後ろにもう一つ「海軍営之碑」があります。


 神戸に幕府の海軍操練所がおかれたのは、文久三年(1863年)、総管は勝海舟でした。
陳瞬臣は『神戸ものがたり』で、神戸の町は海軍操練所の設置に始まるとしています。
<神戸市は、京都や大阪とちがって、明治以後にできた新興都市なのだ。神戸の町は、いつ
生まれたのであろう?制度のうえではなく、実質的な誕生を考えるなら、筆者はそれを、「海軍操練所」が設置されたとき、としたい。>
 その理由については、咸臨丸艦長として外国を見て、新しい時代の海港の条件を知っていた勝海舟が、神戸の地形がその条件に合うと判断したことを挙げ、
<海軍営の設置は、神戸の地形のもつ力を軍事的に利用したものであり、その「地形力」は同時に、近代海港都市を育てる酵素でもあった。海軍営ができたとき、この地は新時代の港都たるべき運命の第一歩を、踏み出したといえよう。
 その意味で、金星台の海軍営之碑は、神戸の町の誕生を記念するモニュメントでもある。
神戸の町のたましいをさぐろうとするなら、その源流を「海軍操練所」にもとむべきである。
―これは、かならずしも奇矯の説ではないと思う。>
 
この海軍営之碑、感慨深いものがありますが、数奇な運命をたどったようです。

 土居春夫『神戸居留地史話』によると、
<勝海舟が軍幹奉行の職にあり、神戸に在勤していたとき、将軍家茂の徳を讃えるため、操練所構内に建てようとした。碑が出来上がった直後、海舟は江戸に召し帰された。おそらく再び神戸に戻ることはないと予想し、建碑を中止し、神戸村庄屋生島四郎太夫に、いずこでも埋めておくようにと、依頼した。生島はそれを奥平野村の実家に運び。庭に建てて置いていた。>
 碑文の日付は勝が召喚の命に接するわずか2週間前の元治元年10月8日となっており、海軍操練所に建てられずにお蔵入りしてしまったのです。

 海軍操練所は後に造成される外国人居留地の南西角にありました。

現在は京橋の南側に錨の「海軍操練所跡」の碑が立てられています。(地図のBの位置)

この碑Bのあたりから東側一帯に操練所がありました。
勝海舟は本来このあたりに海軍営之碑を建てるつもりだったのでしょう。

 奥平野村で眠っていた海軍営之碑は、大正4年になって四郎太夫の子息が神戸区に寄付し、11月に金星台の現在地に移設され日の目を見るようになったそうです。
<大正四年十一月、有志の手で金星台に移された。近づいてみると、碑は石でなく銅板のようで、裏面の松平春嶽の和歌も同様である。碑の上部に、貴族院議長候爵徳川家達の「海軍営之碑」が篆字で刻まれている。>

当時の写真です。
海軍営之碑には多くの人々の思いが詰まっているようです。





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陳舜臣 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
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神戸の散策は「金星台から」

 しばらく神戸を歩いてみたいと思っています。
陳舜臣『神戸ものがたり』の「金星台から」で「神戸をみたいが一時間しか余裕がないとき、どこへ行けばよいだろう?」という質問に対して、陳舜臣が勧めているのが諏訪山金星台です。

<金星台からの眺めは、けっして雄大ではない。あまりにも町に近く、甍が一枚一枚見える。町の息吹きと人々の生活のにおいが、とどいてくるのだ。金星台のうえの再度山ドライブ・ウエーのそばにも展望台があり、ビーナス・ブリッジという優雅な陸橋がかかっているが、すこし高いので、そこからの眺めでは、町の呼吸はすでに感じられない。>

金星台へと続くこの道を上がってみましょう。

<金星谷に立とう。真下が、神戸の中心部である。十二階の県庁の新庁舎が、まるで視野を遮るように建ち、その西側にポートタワーが、脇仏のようにつっ立っている。あおれを中心に、あかるい町が海に向かって、ひろがっているのだ。>

現在の金星台からの眺め。県庁とその後ろに現在ではあまり目立たないポートタワーが見えています。高層ビルが増えたここから海はあまり見えなくなりました。

<金星台という名称は、明治七年にフランス人ジャンセンが、ここで金星を観測したことに由来する。それを記念する円柱形の碑が台上の広場に立っている。>

こちらがその碑です。

 明治7年の金星観測について、少し調べてみました。
明治7年12 月9 日、105 年ぶりに金星が太陽面を通過することから、太陽までの正確な距離を求めることができるとして注目を集め、先進国の観測隊が太陽面を通過する時間を正確に求めることができる場所を求めて、基地を設営しました。 
 日本ヘやって来たのは、フランス隊、アメリカ隊、メキシコ隊です。その中で、神戸にはフランスからJ.ジャンセンが来訪。ジャンセンは長崎で観測を行う一方、神戸に別働隊として観測員のドラクロワと日本人・清水誠を派遣しました。

彼らは諏訪山に拠点を設けて観測を実施。その時の観測風景です。
これを記念して名付けられたのが諏訪山公園の「金星台」だったのです。

 ジャンセンが来る前の諏訪山の麓は、鉱泉(炭酸泉)が湧き出ていたことから温泉場として開発され、大阪商人の前田又吉が、神戸髄一の酒楼という名声を誇った常盤花壇という料亭が開かれていました。


 その後も常盤花壇を筆頭に大小さまざまな料理店や茶屋が無秩序に建設され、観測後建てられた記念碑は、なんとその屋内に取り込まれていたそうです。
 明治35年になって第五回内国勧業博覧会の協賛事業として、諏訪山に遊園地を設置することになり、遊園地が造成されました。

 

 金星過日観測の記念碑は、元の位置と経度を変更せずに現在の場所に移設されたのです。
 フランス副領事館は移設にあたり記念碑の汚れを落とし、判読不能になっていた碑文の溝に黒いエナメルを施し、太陽の円を金色に塗り直したそうですが、現在は全くあとを留めていません。金星の位置には大粒の鉛弾がはめ込まれたそうですが、これもわかりませんでした。

 表面の最上部には太陽面を通過する金星とその経路を示した図が描かれていました。(3年前撮影した写真)
 このみごとな円柱の石碑はは生田神社の折れた鳥居の一部が使われたそうです。

裏面には日本語で「金星過日測檢之處」と刻まれています。


このように観測には成功したものの、この観測だけでは目的とした精度が得られないことがわかり、金星を使って太陽の大きさを正確に求めるという試みは失敗でした。



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陳舜臣 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

『神戸ものがたり』は珍しく私が単行本で持っています。
陳舜臣氏というのはこちら首都圏ではかなり大型の書店でも独立したコーナーを持っていません。宮本輝氏でさえなかったりする土地柄なので致し方ないのですが。
今でも時おり読み返します。

[ せいさん ] 2018/06/27 22:52:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

私のは文庫本ですが、昔の神戸の懐かしい風景が描かれており、私も時々読み返しています。高層ビルが乱立してしまいましたが、ようやく規制するようなことを先ほどニュースで言っておりました。

[ seitaro ] 2018/07/04 21:47:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

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神戸に生まれ神戸を愛した作家陳舜臣さん逝く

 昨日のニュースで神戸をこよなく愛した作家陳舜臣さんが亡くなられたことを知りました。

 


 陳俊仁を主人公とする『青雲の軸』は昭和初期の神戸を舞台とした自伝的小説でした。
 もう一冊、神戸散策に使いたかったのが、陳さんの『神戸ものがたり』です。


まえがきでは次のように述べられています。
―人間は誰でも他人に自分を理解してほしいと思う。快適に生きるためには、そうした努力は必要なのだ。神戸も理解されることを望んでいる。私の文章がそれをはたせたとは思わないが、すくなくともそのつもりで書いた。―


 亡くなられたのは午前五時四十六分だったそうですが、心を痛められた阪神淡路大震災のあと、神戸新聞に寄稿した『神戸よ』の全文が、『神戸ものがたり』に転載されています。
<我が愛する神戸のまちが、壊滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった。
 私たちはほとんど茫然自失のなかにいる。
 それでも、人々は動いている。このまちを生き返らせるために、けんめいに動いている。亡びかけたまちは、生き返れという呼びかけに、けんめいに答えようとしている。地の底から、声をふりしぼって、答えようとしている。水害でも戦災でも、私たちはその声を聞いた。五十年以上も前の声だ。いまきこえるのは、いまの轟音である。耳を覆うばかりの声だ。それに耳を傾けよう。そしてその声に和して、再建の誓いを胸から胸に伝えよう。>

 


最後は次のように結ばれています。
<神戸市民の皆さま、神戸は亡びない。新しい神戸は、一部の人が夢みた神戸ではないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、あたたかみのあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる。>


 推理小説のほうはあまり読んでいませんが、十八史略は私の愛読書でした。


昨年オープンした陳舜臣アジア文藝館も伺ってみたい場所です。

 

心より、ご冥福をお祈りいたします。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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