阪急沿線文学散歩

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「夙川界隈がもっとも輝いていた八〇年代」の映像

 清水博子さんが苦楽園に住んだのは大学卒業後の1990年代と推定していますが、小説『カギ』では、姉も妹も日記に夙川界隈は80年代が最も輝いていたと書いています。
 姉の四月二十五日木の日記には
<父の勤務先が所有していた苦楽園の社宅で暮した一九八〇年代、夙川は夙川だった。いまは着飾った犬ばかりがめだち、街並みはすすけている。>と書かれています。
 また妹の9/12の日記には
<東京の大学に入ってから十年以上関西に足をふみいれていません。理由はいくつかあります。ひとつは大学を卒業した翌々年に阪神淡路大震災があったこと。わたしは九歳から十八歳まで苦楽園で過ごしました。俗に「芦屋」とよばれる夙川界隈がもっとも輝いていた八〇年代でした。記憶の街の美しさをぬりかえたくなかったのです。>
 たしかに1986年から1991年までがバブル景気真っ盛りの時代であり、輝いて見えていたのでしょう。


 その時代の夙川・苦楽園口界隈の映像がありました。


 昭和62年10月にNHKで放映された「きんき紀行 清流に映すモダンの影〜西宮市夙川〜」です。アナログ放送のビデオの複写ですから映像は相当粗くなっています。

案内役は若き日の文芸誌編集長河内厚郎さん。

 

当時の夙川カトリック教会。

阪急夙川駅付近から望む甲山。

 


夙川河岸の散歩道。

 

バブル華やかなりし頃の苦楽園口駅界隈。

 

 

 

 

 


確かにバブリーに輝いていた80年代でしたが、最近はどうでしょう。

大阪名物串カツのお店まで進出してくる時代になりました。

 




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おはようございます。
↓「西宮文学案内」のDMハガキは、たしか17日(火)ごろ届きましたし、チラシも北口ギャラリーのラックで見つけましたよ。

若き日の河内さんの映像が登場した途端に、会場中が「ホーッ!」と感嘆の声がひびいていましたね。

[ 373 ] 2015/03/22 6:42:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

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清水博子『カギ』姉妹の出身校は?

 清水博子『カギ』では、妹の娘ルウの進学問題で、東京の有名私立学校の話題がでてきますが、姉妹が通った阪神間の私立女子高の話題も豊富です。
妹の日記からです。

<3/20 あんたの先輩がテレビに出てるよ」と姉が言うのでテレビをみました。ひさしぶりにM野Y子さんを拝顔しました。わたしはM野Y子さんが出た中学校に通っていました。そのことを東京で言うとたいそう驚かれるのですが、わたしが中学校に入ったときM野Y子さんは高校に進んでいるので、接点はありません。>
M野Y子さんとは南野陽子さんと容易にわかります。

そうすると中学校は小磯良平の絵でも有名な松蔭中学に通ったことになります。


<3/23 きのうのつづきです。F原N香さんはわたしが通った女子高の一学年下です。M野Y子さんの件とおなじく、そのことを東京でいうと驚かれますが、一学年に四百人もいる女子高の後輩なんて記憶にありません。>
F原N香さんも容易に想像がつきます。

妹はわけあって、高校は松蔭から親和に転校したことになっています。

 

次は姉の日記です。
<三月二十九日金 妹が詰めていたのでパソコンがおもうように使えなかった。テレビで松蔭女子学院出身のタレントを観て、プライドばかり高い関西の学校村社会を思い出した。妹が帰ってから、いかりと灘生協(現コープこうべ)のウェブサイトを熟視。>
 ここでは関西の学校村社会が強調されていますが、小説では東京の学校村社会についても色々述べられていました。
<6/23 誕生日でした。ひとりきりで歳をひとつ重ねました。ちなみにきょうは伊丹出身のM野Y子さんの誕生日でもあります。姉の誕生日は五日後、こちらも兵庫出身のF原N香さんとおなじです。>
 南野陽子さんの誕生日は1967年6月23日、藤原紀香さんの誕生日は1971年6月28日。因みに作者の清水博子さんは1968年6月2日生まれ、日記が書かれている2002年は34歳の誕生日をむかえ、姉の年齢設定と同い年です。

『カギ』で姉は神戸女学院卒(大学は東京)となっておりますが、東京には似たような名前の高校、「女子学院」や「東京女子学園中学校・高等学校(東京高騰女学校の前身)」があるそうで、妹の日記ではこんな話がでてきます。
<3/13 夫と姉は学生時代からのしりあいです。大学は別です。わたしたちの結婚が決まり、夫と姉がひさしぶりに再会したときのことです。夫は照れ隠しなのか、「おねえさんのほうはたしかコウジョでしたよね」と質問しました。すると姉は、「コウジョちゃう、ジョガクインいいますねん」とふだんまったく使わない関西弁ですごみました。>
しかし姉の日記では、ジョガクインのトモの話はでてきますが、ほとんど神戸女学院については触れられていませんでした。



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ワセジョ清水博子が著した関東人の芦屋感覚「神戸はややこしい」

 清水博子さんの『カギ』を読んでいると、西宮在住の者にとって、そんなアホなことあるかいなというお話が沢山でてきます。スノッブのアホさかげんを揶揄するため、かなりデフォルメされてはいるのですが、関東からは阪神間の土地柄がそのように見えるのかと思ってしまいます。
 9歳から18歳まで苦楽園に住み、阪神間の名門私立女子中・高に通った妹の日記からです。
<10/1 神戸で夫はわたしが十代のとき住んでいた阪急甲陽線のあたりへ行きたがりました。「芦屋へ行こう」夫はそう言うのですが、わたしが住んでいたところは正確には芦屋市ではなく、西宮市です。東京では田園調布は田園調布駅に、目白は目白駅にあります。けれども兵庫県では芦屋という名がつく駅だけでも阪急芦屋川駅とJR芦屋駅と阪神芦屋駅の三つがあり、……>
どうも妹の夫は、夙川は芦屋と思っているようです。

(写真は阪急夙川駅、夙川の松並だけが今も残されている緑地帯です)
更に妹は夙川から御影あたりまでを「芦屋」と呼んでいます。

阪急芦屋川駅と阪神芦屋駅は、いずれも芦屋川沿いにあります。

<10/2 きのう書いた芦屋の話をもうすこし。阪急の夙川駅、苦楽園口駅、甲陽園駅、芦屋川駅、岡本駅、御影駅のあたりは「芦屋」と称してさしつかえありません。
 でも夙川駅と苦楽園口と甲陽園駅は西宮市、岡本駅と御影駅は神戸市なのです。西宮北口はたんなる交通の要衝、武庫之荘は高級住宅地ですが、「芦屋」ではありません。阪神でも香櫨園は別格であるとか、JR芦屋駅にはショッピングモールがあるので付近のひとが集まりやすいとか、いろいろです。芦屋市といっても、小道一本はさむと地価がぐんとちがいます。芦屋市最高の高級住宅地は六麓荘ですが、車を持っていないわたしたちはあんな山のなかまで行けません。神戸はややこしいのです。>
 2002年の日記ですから、まだ西宮北口には阪急西宮ガーデンズもなく、使われなくなった阪急西宮スタジアムの建物がまだ残っていた時代です。当時西宮に住まれていたと推定される清水さんにとって西宮北口はたんなる交通の要衝だったようです。

上の写真は芦屋川、公光橋の風景。


芦屋市六麓荘町の景観、見晴らしは素晴らしいですが、大型外車が保有できる人でなければ住めません。


姉の日記です。
<十月二日火 妹の日記に「神戸はややこしい」とあった。たしかにそうだ。京都のひとが一生ややこしいとすれば、神戸のひとは東京にでるとややこしくなる場合が多い。だいたい、「神戸はややこしい」と書く妹からして神戸市ではなく西宮市育ちなのだ。あんたは神戸の子やなくてヒョウゴの子やん。>
西宮市育ちには宮っ子という言葉がありますが、清水博子さんはご存知なかったようです。

もちろん全国的に知られている言葉でもありません。


<10/3 東京で出身を問われたときは「神戸」または「兵庫県」とこたえることにしています。するとかならず、「芦屋とか?」と反応されます。「芦屋というか、西宮市なんですけど」と謙遜する。「ふーん芦屋じゃないんだ」と言われておしまいです。>
西宮市の名前は最近はメジャーになったのでしょうか。私も学生時代の旅行先では、大阪と神戸の間と説明しておりました。



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「夙川ミッシェルバッハのクッキーローゼ」が小説に登場

 以前ご紹介したことのある夙川ミッシェルバッハのクッキーローゼが、遂に清水博子さんの小説『カギ』に登場しました。


私がクッキーローゼを知ったのは、ロミ山田さんの『誰かと行きたいとっておきのお店ガイド』PHP研究所(1997年初版)。「兵庫県夙川・ドイツ菓子」という表題で掲載されていました。


<クッキーがどうも苦手。なぜといってあのパサパサしたドライさが厭なのだ。喉にひっかかりそうになり、おいしくも何ともない。そのクッキー嫌いの私が、日本中で一番おいしいと思うクッキーが、’’夙川のローゼ’’なのだ。それを売っているのがミッシェルバッハ。ドイツにある村の名前を、そのままお店の名にしているこのクッキーとケーキの店は、阪急沿線、夙川にある。>

 


 さてそのクッキーローゼが清水博子著『カギ』に網代の穴子寿司とともに登場したのです。
<四月二十五日木 架空日記承前。
きのうは散り桜の夙川公園で脱力し、芦屋のホテル竹園に泊まる。父の勤務先が所有していた苦楽園の社宅で暮した一九八〇年代、夙川は夙川だった。いまは着飾った犬ばかりがめだち、街なみはすすけている。社宅跡には怖くてちかよれない。京都のともだちへおみやげとしてミッシェルバッハの夙川クッキーロゼと網代の穴子寿司を買う。>

 1980年代夙川は夙川だったという清水博子さんの夙川のイメージとはどのようなものだったのでしょう。
『vanity』で登場していた住吉の網代の穴子が『カギ』にも登場していました。


クッキーローゼは8月17日の日記にも登場していました。
<八月十七日土 A子からこんどはミッシェルバッハの夙川クッキーローゼが届く、これで甘味もそろい、いよいよ外に出なくてすむ。>


 夙川のローゼは私は以前予約してから入手できるまで二週間かかりました。

一昨日も午前十時ごろ夙川ミシェルバッハの前を通ると、平日にもかかわらず、こんなに長い行列が。昔の堂島ロール並みです。

 何年経っても行列が絶えず、人気が衰えない秘訣は何なんでしょう。


因みに、ミッシェルバッハの約100m南には、清水博子さんが傾倒した谷崎潤一郎が執筆の場所に使い、『細雪』で妙子が借りた松濤アパートのモデルにもなった甲南荘がありました。



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遂に清水博子『カギ』で姉が苦楽園口に登場。オステリア・エノテカへ。

清水博子著『カギ』からです。
姉は京都の友達から遅咲きの桜を見に来ないかと誘われ、飛行機とフジタを予約するものの、気が乗らなかったのかキャンセルしてしまいます。しかし、日記には架空の日記と断わって関西に来た様子が書かれています。


<四月二十四日水 以下、行かなかった京都の架空の日記。
羽田発伊丹着。いまは伊丹空港ではなく大阪国際空港と呼ぶらしいが伊丹は伊丹。バスで京都へ直行するつもりだったが、モノレールのコンコースに向かっている。モノレールで南茨城まで乗車し阪急京都線に乗りかえれば京都はちかいのに、一駅乗ったら満足して蛍池で降りる。阪急宝塚線に乗りかえて十三、阪急神戸線のホームで京都とは逆方向の三宮行きについ乗車している。夙川で降り阪急甲陽線に乗りかえ苦楽園へ。エノテカで昼食。京都にはなかなかたどりつけない。>

 大阪空港へ電車で行く時は、モノレールができて便利になったものの、十三―蛍池間の宝塚線は時間がかかるので、便数さえあれば神戸空港のほうが便利です。

 


 私の知らなかった苦楽園のエノテカというお店。調べてみると、2007年に移転してしまいましたが、関西でも随一のレベルを誇るイタリアン・レストランだったとのこと。

 

場所は阪急苦楽園口駅の近くのいかりスーパーの北側、南越木岩町6-5 ラポール2階にあったそうです。


オーナー八島淳次氏のホームページによると、


1989年イタリアから帰国し、西宮 苦楽園に「オステリア エノテカ ダル ジュンジーノ」開業。
2007年「オステリア エノテカ」 を神戸に移転「コンソランテ イゾラベッラ」 と合併、「リストランテ エノテカ イゾラベッラ」に改名
2012年「リストランテ エノテカ イゾラベッラ」 を大阪 淀屋橋に移転
「ダ ジュンジーノ」 に改名 現在に至る

 

ところで清水博子さんが実際に苦楽園に住んだのは、早稲田卒業後の1990年代後半ではなかったかと推測され、その頃苦楽園口にあったエノテカにも行かれていたのでしょう。


どんな料理か、一度淀屋橋のダ・ジュンジーノにも行ってみましょう。

 

 



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ずいぶん前に苦楽園の「エノテカ」がお勧めで美味しいと
聞いたことがありました。その後、探したのですが見つかりませんでした。そんな経緯があったのですね。私もいつか
ダ・ジュンジーノに行ってみます^^

[ ショコママ ] 2015/03/14 14:57:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

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清水博子のスノッブ日記『カギ』と「アシヤレーヌ」談義

 谷崎潤一郎の『鍵』はある年の1月1日から6月11日まで、夫と妻の日記が交互に並べられたちょっとエッチな物語。

 夫の日記は漢字とカタカナの文体なので、読みづらいのですが、どちらの日記かすぐにわかります。

 一方清水博子の『カギ』は、谷崎潤一郎の諸作品に対するオマージュとも言われ、2002年1月1日から12月31日まで、姉妹それぞれの日記が交互に並べられています。


 ウェブ上で日記を公開している妹と、パソコンで自分だけが読む日記を綴っていく姉。その日記を盗み読み合う姉妹という設定は少し気味悪いのですが、私まで日記を盗み見するように引き込まれてしまいました。
 小説では両親は鷺沼、妹夫婦は神保町、姉は品川区の池田山近くのマンションに住んでいますが、中学、高校時代は7年間ほど、父の転勤で西宮の苦楽園に住んだという設定です。そこにはスノッブを揶揄する子育て、学校村等々の虚構の生活が描かれており、馴染みのある関西の部分を中心に紹介させていただきます。


 まずは私が初めて聞く言葉、「アシヤレーヌ」談義。(妹の日記の日付はアラビア数字が使われています。)
<1/11 「アシヤレーヌなんて言葉聞いたことがない」と姉が言うので、参考資料を持って池田山へ行きました。わたしたち姉妹はむかしアシヤレーヌの圏内に住んでいました。姉は今シロガネーゼの圏内に住んでいます。なのに姉はそういうことにちっとも興味がないみたいで残念です。シェルガーデンで買い物をしてきました。>
 参考資料とは雑誌「VERY」。

「シェルガーデン」は自由が丘の関西でいえば「いかり」のような高質食品スーパーマーケットとのこと。また妹の言葉によると、苦楽園はアシヤレーヌの圏内だそうです。

 


(姉の日記の日付は漢字で書かれています。)
<一月十一日金  妹が雑誌「VERY」持参でまたやってきた。これがアシヤレーヌこれがマイドンナ、とやかましいこはなはだしい。雑誌に書いてある言葉を真に受けるアホぶりはもう治らないだろう。せっかく入った中高一貫の中学で周囲にみくだされている自覚すらないほどアホだった妹は、仲間からはぶかれたストレスが原因でつまらない失敗をしでかし、高校へあがるときべつの高校に新高へと転校せざるをえなかった。それからあまたの事件をおこしたにもかかわらすなにもなかったかのようにのうのうと生活している。世間はアシヤレーヌくずれの味方なのか。>
 調べていると、シロガネーゼとアシヤレーヌを造語したのは雑誌VERYであることを、既に西宮芦屋研究所員さんが2010年に記事にされていました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061422/p10735763c.html


 姉と妹の「アシヤレーヌ」談義は面白いのですが、Wikipediaを見ると、更に的を得た解説がありました。
概要

<女性誌「VERY」が作った造語。いわゆるシロガネーゼの芦屋版である。
一般的に「芦屋」と呼ばれる地区は、行政区分としての芦屋市ではなく近隣の神戸市東灘区の山手地区(岡本、御影等)や西宮市(夙川、甲陽園、苦楽園)を含んだ文化圏の総称である。それは芦屋市の面積そのものが狭く南北に細いという事も起因している。また、六麓荘町など山手の一部が際だった高級住宅地となっていると言われているが、六麓荘町は歴史的に新興住宅地であり、芦屋市の住環境はさまざまである。>
更にその他として
<「アシヤレーヌ」という言葉を地元民や近隣住民(芦屋市・西宮市・神戸市東部の人間)が使うことは全くなく、「アシヤレーヌ」という造語は地元では冷笑の対象であり、知らない人間の方が多い。>
Wikipediaの「概要」を書いた人と「その他」を書いた人物は異なるのでしょうか。
西宮人にとっては、東灘区と西宮まで芦屋文化圏に含められるというのは、納得できませんが、関東の人々にはそのように映るようで、清水博子さんも『カギ』、『vanity』で同じような感覚で、西宮を神戸と呼んでいました。



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東灘区の山手地区(岡本、御影等)や西宮市(夙川、甲陽園、苦楽園)を含んだ文化圏とは、東灘区と西宮まで芦屋文化圏に含めるのではないかと…。西宮文化とか芦屋文化とか東灘文化というものがあるというよりも、やはり全国的に共通する阪神間の山の手と阪神間の下町なんじゃないかと…。

[ ふく ] 2015/03/11 20:41:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

まったく異論ございませんが、清水博子さんの『カギ』で姉妹が語る神戸や芦屋の認識が面白く、小説を読んでおります。阪神間のスノッブを揶揄して楽しんでいるといった小説で、またご紹介させていただきます。

[ seitaro ] 2015/03/11 21:56:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

よんでみようともおもいましたが、やめておくことにしました。

[ ふく ] 2015/03/11 22:54:32 [ 削除 ] [ 通報 ]

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清水博子が『vanity』で描いた阪急京都線と居酒屋「たつみ」

 東京から西宮の恋人の母親の邸宅に行儀見習いに来た画子が、生まれて初めて京都へ行く場面です。
<阪急神戸線の大阪方面へ乗り込み、兵庫も脱出し、梅田で阪急京都線に乗りかえる。阪急神戸線では禁じられているらしき缶ビールを構内で買い求め、ボックス席の進行方向窓側に座った。>
缶ビールは神戸線でも清水さんなら大丈夫です。古い関西人は京都線特急はロマンスシートと呼んでおりましたが、画子は扉近くの対面掛けになるボックス席に座ったようです。


<ふたつてまえの十三で乗りかえても空いているが、ビールのために終点であり始発である梅田に寄った。たいらな淀川をながめていると膝の骨が溶けるような疲労感におそわれた。>


私も時間を気にしないときは、梅田まで出て、ゆっくり座って河原町まで出かけます。

 梅田駅のホームの先端に立って、一斉に電車が出て行く様子を見るのは壮観です。


<郊外のベッドタウンのつづく阪急京都線の車窓にもすぐ飽きた。阪急神戸線からのぞむ山と川は上方ならではの景色だが、京都線は日本のどこにでもありそうな色のない街並みがつづく。未知の土地をおとずれるときの期待や不安をいだくことができないまま、河原町駅のホームに着いた。>


木屋町で用事が済んだ画子は恋人の慎一郎に電話をかけます。
<慎一郎に電話をかけた。まえに京都で昼間から開いている店があるって云ってたでしょう。ぼくもうレジメ書いてくたくたで寝るとこやちょっと待ってなかっこちゃん。場所教えて。四条のゑり善ちゅう呉服屋さんの角のちっさい道入ってったとこの一階よゑり善のゑはふるいほうのゑ居酒屋の名前はいまよう出てこうへん。ありがとおやすみ。>


ゑり善は創業430年の歴史ある老舗呉服店で、現在は河原町四条の角に大きなビルが建っています。

<画子は電話を切りタクシーにむかい手をあげた。河原町四条の角のゑり善へ、と告げると、お嬢さん道こんでるやろ歩きはったほうが早いよ、と乗車拒否された。画子は疲労感をぬぐうように背をのばし早足で四条をめざした。>
木屋町のどのあたりから電話をかけたかわかりませんが、これは乗車拒否というより、運転手の親切でしょう。


<居酒屋のカウンターは男の常連客でいっぱいだった。全員いせいのまなざしが画子を縛りつけ、ほどなくほどけ、カウンターがつめられ空間がひとつ分つくられた。陽の高いうちにここでひとり飲むべきものはビールではないと察知し、画子はつめたい酒をたのんだ。壁に貼られたアテの札に鱧があったが、一見で鱧は許可されないような気がして、たこの造りと野菜の天麩羅をつまんだ。胃が満ちても身体が冷える一方なので途中で熱燗にかえた。酒を頼むたび十枚ためると一杯が提供される青い券をもらった。昼間なのに客足がとぎれず、あとからきた客は卓をつかわずカウンターの周辺につったったまま飲んでいた。>

 

 

 

ゑり善の角の細い道から入り、昼間から開いている居酒屋探すと、ありました。
「たつみ」です。

店内では小説に書かれている通りの世界が広がっていました。



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『猫と庄造と二人のおんな』と『 vanity』に登場する甲南商店街

 清水博子さんの『vanity』の前作『カギ』は谷崎潤一郎の諸作品に対するオマージュと言われており、文芸評論家の川村湊氏は「谷崎潤一郎が『鍵』や『卍』や『瘋癲老人日記』などで、関西弁の一人称の語りや、瘋癲老人による日記体の語りといった「趣向」を、小説の大事な要素として重要視していたことの顰みに倣ったのであると思う。」と述べられています。
『vanity』では、二週間ぶりに東京に戻った主人公画子は、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読もうとします。
<東京に明暗はない。そこにあるのはさむざむしさだった。『陰翳礼讃 東京をおもう』を読もう、それから芦屋の谷崎潤一郎記念館に遠征しよう、とあさってには関西へ戻らなければならない自身をなぐさめた。>

清水博子さんはきっと谷崎潤一郎の作品に傾倒していたに違いありません。

 

 そうなると、自転車で西宮から国道2号線伝いに住吉まで走った画子の話は、やはり『猫と庄造と二人のおんな』のオマージュとして、庄造が当時新国道と呼ばれていた2号線を六甲まで走った話をベースとして書かれたと考えざるをえません。

 二つの小説の自転車行には、いずれも甲南商店街の様子が描かれています。
庄造が荒物屋から自転車に飛び乗って出かける場面からです。
<何と云うアテもなしに、ベルをやけに鳴らしながら芦屋川沿いの遊歩道を真っすぐ新国道へ上がると、つい業平橋を渡って、ハンドルを神戸の方へ向けた。>


 そして庄造は阪神国道を通って自転車で阪急六甲駅の近くに住む前妻品子の家に向かいます。

<そんなことを考えながら甲南学校前あたり迄やって来ると、国酔堂というラジオ屋の前で自転車を停めて、外から店を覗いてみて、主人が居るのを確かめてから、「今日は」と、表のガラス戸を半分ばかり開けた。「えらい済んまへんけど、二十銭貸しとくなはれしまへんか」>
とあつかましく頼まれた国粋堂の主人は、手提げ金庫から十銭玉を二つ取り出して、黙って、掌へ載せてやります。
<直ぐ向こう側の甲南市場へ駆け込んで、アンパンの袋と筍の皮包みを懐に入れて戻ってきて、「ちょっと台所使わせとくなはれ」>
と庄造はリリーを呼び寄せるための餌にする鶏肉を甲南市場で買ってきて水煮きにするのです。

 

 

 一方『vanity』では魚住小学校から灘中へ入学した画子の会社の先輩の話に甲南商店街が登場し、かなり詳しく述べられています。

 魚住小学校とは魚崎小学校のことで、地図を見ると、灘高のすぐ北側の魚崎中町41丁目にあります。

 

<魚住小学校から魚住中学校へ進学した同級生の多くは甲南商店街の子で、ほとんど毎日おつかいに行った肉屋は堺の包丁で薄切りにした牛肉を薔薇の花のかたちに盛ることを考案し大正天皇に献上した由緒ある店だったがあとつぎとなるはずの朋友が家出したせいで廃業を余儀なくされたこと、好きだった女の子の家は花屋を営み、商店街で十年にひとりの別嬪とよばれ看板娘になるはずだった彼女がオランダへ造園の勉強に行きドイツ人と結婚し帰ってこないため店はたたmれたこと、先輩の父親はピアノの調律師で毎日鍵盤をいじってばかりいて花隈や十三といった歓楽街にまるで縁のないミシン針みたいなまじめなひとだったこと、商店街は震災でめためたになりいまや歯抜けの状態であることなど、魚住界隈のノスタルジーばかり語っていた。>


『vanity』は私小説らしいので、ここに書かれた甲南商店街の肉屋さんや、花屋さんのお話は事実に近いのではないでしょうか。


阪神間で残っている数少ないアーケード商店街。私も商店街を歩いてみました。

昔ほどの賑わいはなくなってしまったようですが、一応の商品は揃っていました。


途中には震災の経験を生かした防災コーナーがあります。

 

国道側から入って南に抜けたところです。


商店街をあるくのは、スーパーにはない楽しさがありました。



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seitaroさんのように文学散歩を楽しまれるのは本当に
楽しいことだと思います。私は文学散歩ができるほど
本を読んでいませんが、いろいろな街の商店街を歩くのは
大、大好きです。一緒に歩かせてもらっています(^_-)-☆

[ ショコママ ] 2015/03/08 10:14:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 残念ながら甲南本通りは往時の面影全くありません。

[ ふく ] 2015/03/10 23:08:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ワセジョ清水博子が描いた阪神間マダムのvanity生活

 画子は阪急神戸線北側の芦屋のドッグカフェで休憩したあと、また自転車に乗って甲東園に戻ります。
<画子は品のよい芦屋の犬たちに圧倒され、フレンチソーダがなんであるか確認することを忘れたまま飲み、店をあとにした。サドルにまたがり、進路を迷った。さらに海のほうへ下れば谷崎潤一郎記念館があるらしいが、きょうは犬をたくさんみたから見学はもうたくさんだった。>


 JR芦屋駅から阪急神戸線まで上がって来て、また芦屋浜の谷崎潤一郎記念館へ行くとなると大変です。
<マダムにおみやげが必要だ、と気がつき、自転車をこぎはじめる。
ビゴの店本店でケーキを六個みつくろった。おやつには気がきくようになった。他人の金銭でなにかを買うのは痛快だ。>


甲東園への帰り道、ドッグカフェから国道2号線に戻り、ビゴの店へ行くには少し後戻りせねばなりませんが、マダムのvanity生活の象徴として芦屋のドッグカフェとビゴの店は欠かせなかったようです。


ビゴの店本店、フランスパンだけでなくケーキも充実しています。六個も買うとは、マダムはスイーツがお好きなようです。


 <谷崎潤一郎記念館に立ち寄ろうとしてやめたことをマダムに報告すると、あのひと悪魔主義とかいうエッチな作家なんでしょう。まあお勉強はいいことですけど、と云いながら、画子が買ってきたケーキのうち一個と四分の三を食べた。画子もつられて一個と四分の一を食べた。>


 作者の清水博子さんは谷崎潤一郎の作品を意識されて執筆されており、新潮の編集長・矢野優氏も「ブルジョワという蛮族がいる」と題して次のように紹介されています。
<屯田兵の子孫であり団地育ちの画子はいわば蛮族だ。だが実は画子にとっても、ハイヤーを足代わりに贅沢で退屈な消費と社交に明け暮れる神戸の老マダムは、調査に値する独自の風習と行動様式を備えた蛮族なのだ。谷崎を意識しつつ、「陰翳礼讃」の王国で「東京をおもう」画子の日々を描く清水博子氏「vanity」は蛮族対蛮族の、階級対階級の、西対東の、優雅でおかしな闘争と和平の物語だ>

 

 さてもうひとつ西宮マダムのvanity生活に登場するのが、いかりスーパー。
<いかりへいきますわよ。マダムにせっつかれ、スーパーマーケットへセダンに乗って出かける。画子は道路で降り、マダムが駐車しているあいだに籠をショッピングカートにはめこむ。マダムを先頭に画子は手でカートを押し売り場をめぐる。>


 これはいかり門戸店だったのか、夙川店だったのか、芦屋店だったのか、作品を読むだけでは不明です。



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謎の作家清水博子の西宮マダムの物語『vanity』はほぼ実話

 西宮マダムの物語を書いた清水博子さん、経歴をいくら調べても西宮との関わりは詳らかにされていません。

(写真は清水博子著『カギ』より)

 

 しかしTwitterで調べると、2013年10月に亡くなった当時、かなりの記事がよせられており、幻想小説や怪奇・ホラー小説で著名な作家・津原泰水氏のブログから、どんな女性作家だったか想像できました。


<彼女とコミュニケーションをとるには、独特な話法を習得する必要があった。あまりに文学的、すなわち汚れを洗い落した言葉しか使わないので、逆にぎくしゃくとして感じられ、まるで幼児と喋っているような心地に陥ることがある。ぎょっとさせられることもある。言葉の機能美や恐ろしさを熟知していて慎重であるがゆえに、周囲とのギャップが生じてしまうという人だった。要するに文学そのものである。>


 そして小説『vanity』、『カギ』がほぼ実話であることが明かされていました。


<誤解されがちだが彼女の作品『Vanity』はほぼ実話、私小説である。そういう手法に清水さんは拘った。大傑作『カギ』も実話だらけで、すなわち文才、教養、書くべき素材の全てに恵まれた人だった。致命的に欠いていたのは、下劣な「欲」だ。
 もうこっちに逃げてきなさい、貴方の筆力と取材力があれば山崎豊子にさえなれると勧めていたのだが、頷いてはもらえなかった。>
 そうすると早稲田大学を出た清水博子さんは32歳の時、甲陽学院―京大卒の恋人の西宮にある実家に行儀見習いのため、しばらくの間住み込み、キャピタルゲインで生計を立てているプチ・ブルジョワの母親は、ハイヤーで買い物に行くような優雅な生活を送っていたことになります。


また、『カギ』は苦楽園に住んだことのある姉妹の日記帳。松蔭女子学院南野陽子さんや親和女子大藤原紀香さんのお話もでてきます。
どこまでが事実なのでしょうか。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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