阪急沿線文学散歩

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久々に面白く読めた、トーマス・セドラチェク『善と悪の経済学』

 NHKドキュメンタリー「欲望の資本主義〜ルールが変わる時〜」の再放送を見ていて印象に残った話をしていたのがチェコ人のトーマス・セドラチェク。

 その著書『善と悪の経済学ーギルガメシュ叙事詩、アニマルスピリット、ウォール街占拠』もベストセラーになっているそうで、早速読ませていただきました。

「よい暮らし、よき人生」を語るためにとして、著された第一部の「ギルガメシュ叙事詩」から始まる「古代から近代へ」も経済学の物語としては大変面白いのですが、第2部以降は、
より考えさせられる言葉が次々と出てきます。
第8章の中の「欲望の経済学」では、
<絶えず多くを欲しがるうちに、私たちは労働の楽しみを台無しにしてしまった。あまりに欲しがりすぎ、あまりに働きすぎている。現代の文明は、過去のどの文明よりゆたかではあるが、満足感すなわち「十分」という感覚からほど遠いという点では、はるか昔の「未発達」な文明に劣るとは言わないまでも、さして変わらない。>
科学の発展は次々と新しいものを生み出し、それを手に入れたいという欲望を生じさせ、「額に汗して」働きすぎても、満足感からは遠ざかっていくのです。

そして第9章では
<消費に関して幸福になる道は二つありそうだ。一つは、永久に消費し続けること(次の幸福を手に入れるためには、もっと消費する必要がある)。もう一つは、すでに十分持っていると気づくことだ。私たちに不足している唯一のものは、不足それ自体である。>
と述べており、ストア派の哲人たちに従えば、
<多くを必要とするのは貧しい人である。真に「ゆたか」な人はすでに持っている以上には欲しがらない、ということになる。したがって満足を知らない億万長者は、満足した貧乏人よりはるかに貧しい。>となります。

 更に「安息日の経済学」と題して、次のように現在の市場主義経済に警鐘を与えています。
<この数十年を振り返ると、人類はじつに多くを成し遂げたと感じる。私の祖国チェコは共産政権の残照から脱し、なんとか欧米スタイルの経済の体制を整えた。しかしその間に先進国は、技術でも経済でもさらに大幅な進歩を遂げている。だが、馬にあまりに鞭を入れすぎたのではないだろうか。経済と社会が至上命令とするのは最大化であって、満足ではない。成長を最大化し、消費を最大化しなければならない。新技術は時間の節約になるというふれこみだが、だからといって休憩が増えるわけではない。−正確には、私たちは自分に休憩を与えようとはしない。>

 たしかに技術の進歩によって得られた時間の節約は、すべて生産に投じられているのです。

最終章にある「崖っぷちで暮らす」では、
 <現代の経済学(およびこれに基づく経済政策)は、新しい考え方の一部を捨てて、古い考えの多くに立ち戻るべきである。恒久的な不満足を断ち切り、人為的に作り出された社会的経済的な不足を排除し、すでに持っているものへの充足と感謝を取り戻すべきだと信じる。
 実際私たちは、ほんとうに多くをもっている。物質的・経済的観点から見れば、ヘブライ思想、古代ギリシャ思想、キリスト教に根ざす西洋文明の歴史において、いや、これまでに判明した世界のどの文明の歴史においても、現代以上に豊かだった時代はない。だからもう物質的な快適さはよしとし、物質的繁栄がもたらす幸福を躍起になって追い求めるのを止めなければならない。>
と述べ、無制限の欲望が、成長を前提とする資本主義を生み出し、そこから降りれなくなってしまっていると主張するのです。 

 日本では、1980年代のサッチャリズム、レーガノミクスを追随し、市場主義経済を推し進めるアベノミクス。こんな状況がいつまで続くのだろうと不安になりますが、野党も対抗できる経済政策を出せず、自民圧勝を許しています。
 アメリカの民主党でクリントンと最後まで戦った、サンダース候補の主張が「市場主義経済からの脱却」でした。しかしグローバル化した世界で、一国だけでは実現困難な主張。

 それが世界の潮流となるのはいつのことでしょう。



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話題のトマ・ピケティ著『21世紀の資本』

 最近は、経済書・経営書からとんと遠ざかっておりましたが、経済的不平等、格差問題を扱った『21世紀の資本』が話題となり、Amazonで立ち読みすると、データも豊富で経済史的な側面もあり、読みやすく、購入いたしました。Amazonの「なかみ検索」で読める前書きの部分で主張の要点は述べられています。


 まず格差社会について、「人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率(r)は成長率(g)を上回っており、r>gであると、富は賃金所得を上回って成長し、持てるものと持たざるものの格差はどんどん拡大する。」とし、ピケティは、21世紀後半に向け、資本収益率は4%台前半となる一方、経済成長率が1.5%に低迷し、貧富の格差が一段と広がると予測しています。

 さて、国会論戦にもなった格差の進展について調べてみると、日本の種々の経済指標推移が、「社会データ図録」にも示されていました。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index.html

 日本の所得格差の推移(年間収入下位20%の所得に対する上位20%の所得割合)の推移グラフでは1960年代の高度経済成長時代に格差が急速に縮まり、その後徐々に増えています。
 確かに小学生時代(1960年頃)は、りんご箱机組みだった私が、級友の家に行くと、住み込みのお手伝いさんがいて、おやつを出してくれるような家庭が沢山あって、現在よりは当時の方がはるかに格差社会だったと実感しています。


 

 ピケティが論じているように高額所得者(上位1%)の所得シェアの推移は、第二次世界大戦により、急激に低下し、その後徐々に増加していますが、冨の集中について日本はアメリカやイギリスほどではありません。
 しかし、日本でもレーガンやサッチャーが強力に推し進めた市場原理主義を基本とする経済政策アベノミクスが軌道に乗れば同様の結果をもたらすことは容易に想像できます。


 日本で近年になって格差が進展しているという実感について、経済指標を更に調べると、高額所得者(上位10%)の所得シェアの推移グラフがありました。

 あたかもピケティの法則を証明するかのように、日本ではバブル崩壊以来急激に上昇し、英国、カナダと同様40%になっています。戦前のような大金持ちは少なくなったが、小金持ちが増えてきたということでしょうか。


 ピケティは格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎とした累進資本税の導入が最適な解決策であるとしていますが、大前研一は<「21世紀の資本論」という左翼思想の亡霊を見る思いがする。>と断じています。冨の再配分についてはまだまだ議論が続くことでしょう。

 

 そのようなことを考えていると2月10日の日経、中外時評に「教育格差が未来を奪う」として、大島三緒氏の論説が掲載されていました。
<往年の大ヒット曲「いつでも夢を」は、いつまでもカラオケでよく歌われる歌だ。1962年、高度成長まっ盛りのころの流行歌である。翌年には同名の映画も封切られた。定時制高校生たちの苦闘を描いたその作品は、貧しさのなかの希望を描き、努力が切り開く未来を語ってやまない。>

 


 出自に関係なく、能力と努力が到達地位を決めるという近代の基本理念をメリトクラシーと呼ぶそうですが、現在の日本では親の経済力や家庭環境が学力を左右しているという事実が明らかにされており、
<「21世紀の資本」をきっかけに格差議論が盛んだが、経済格差がもたらす学力格差についても真剣に考えるべきであろう。人生の出発点で機会不平等が生まれるのを放置していてはメリトクラシーへの信頼が崩れ、社会は急速に活力を失っていくに違いない。>

とし、文教行政の側から取り組むべきことも山ほどあろうと述べていました。


 この部分は大いに共感するところであり、経済格差がもたらす学力格差を解消し、出自に関係なく努力が報われる社会に戻すための、教育改革は待ったなしでしょう。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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