阪急沿線文学散歩

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『華麗なる一族』に登場していた思い出のカイザー・スチール

 山崎豊子『華麗なる一族』では、万俵家の次女・万俵二子と阪神特殊鋼の社員で鉄平を慕う一之瀬四々彦は密かに交際しており、二人が神戸の南京町で食事をする場面があり、こんな会話が交わされます。
<「いいお店ね、よくいらっしゃるの?」「ええ、時々―、僕はこうした、熱気が漲っているような町が好きなんですよ、去年の春、ロスアンゼルスのカイザー・スチール社へ出張した時も、ロスのチャイナ・タウンへ晩飯を食べに出かけたんです」>

 日本ではほとんど知られていないカイザー・スチールの名前が出てきたのには驚きました。

上の写真は昭和49年の映画で、一之瀬四々彦を空港で万俵二子が迎える場面です。
 

 一之瀬四々彦は鉄平と同じ東京大学工学部冶金学科に進み、卒業後はマサチューセッツ工科大学へ留学した経験を持ち、東大在学中から鉄平を慕っていた人物として描かれ、映画では北大路欣也が演じていました。

 一之瀬四々彦がカイザー・スチール社へ出張した理由は、阪神特殊鋼で建設中の高炉操業の技術を習うためと述べられています。
<四々彦は、昨年の末にロスアンゼルスのカイザー・スチール社へ高炉操業の技術指導を受けに渡米した時、シカゴへも寄り、南駐在員と会って、現地の事情をよく知っていたが、阪神特殊鋼の優れた技術に自信を持っていたから、最後まで事態の好転を信じているのだった。>
 カイザー・スチールは、第二次世界大戦中に船舶や武器製造のための鉄を供給するため西海岸に、初めて建設された製鉄所です。 ロサンゼルスのフォンタナにあるこの工場は、戦後も操業していましたが、1980年代に破産を宣言し、工場の多くは解体されました。

上は1943年に稼働を開始した第1号高炉とエンジニアたちの写真です。

 この日本ではあまり知られていないアメリカの製鉄所を山崎豊子さんがなぜ御存知だったのか不思議でなりませんでした。
 調べてみると、神戸製鋼が神戸製鉄所の第1号高炉に火入れを行い、銑鋼一貫メーカーとなったのは1959年でしたから、神戸製鋼のエンジニアが高炉操業についてカイザー・スチールに指導を仰いだことは十分可能性があり、山崎豊子さんは取材時にそれを聞いて、小説に織り込んだのかもしれません。

カイザー・スチールはハリウッドに近いことから、映画「ターミネーターU」のサイボーグとシュワルツェネッガーの対決の場面がここで撮影されています。


 その後1990年代に工場設備の一部は、中国の製鉄所に売却され、中国人が乗りこんで分解し、中国に輸送し再組み立てされました。
 残りの部分はカリフォルニア・スチールに売却され、現在も圧延工場として稼働しています。
私は、20年以上前になりますが、あるプロジェクトで2週間ほどカリフォルニア・スチールに滞在したことがあり、丁度中国人部隊が乗りこんで、製鋼工場の解体をしている時でした。

その解体される製鋼工場を背にして撮った写真です。
「ターミネーターU」はこの工場の解体前に撮影されています。

 色々思い出のある、カイザー・スチールの名前が『華麗なる一族』に登場していたのには驚きました。



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山崎豊子の驚くべき取材力(『華麗なる一族』熱風炉爆発)

 山崎豊子さんの取材力には驚きますが、『華麗なる一族』の阪神特殊鋼の高炉建設完成まぎわでの熱風炉爆発事故の場面も迫真の描写です。


 あと二か月で高炉完成に漕ぎつけ、万俵鉄平が神戸灘浜の事務所から高炉建設現場を見ていると、突然爆発音が鳴り響き、高炉建設現場で爆発事故が起こったと報せが来ます。

映画では、どこかの製鉄所の高炉改修工事現場を撮影したようです。
<高炉建設現場に近付くと、高炉と熱風炉のあたりから濛々と土煙がたっているのが見えたが、そこで何が起こっているのかは解らなかった。……
 「熱風炉が、爆発したのか!」「そうです、専務、危ない、近寄らないで下さい!負傷者がたくさんいるんです!」>

 写真の4本の円筒状の構造物が灘浜にある某製鉄所の熱風炉と高炉です。
<「こんな大事故を起こして申し訳ありません、実はうちの作業員が、明日から炉内の煉瓦乾燥作業に入る準備のために、熱風炉の点検窓を開いた途端、熱風炉の上の方で給水塔へ続く水パイプの取付作業をしていた溶接の火花が落ちて引火し、あっという間に爆発を起こしたのです」>

映画の熱風炉爆発の場面ですが、中の耐火煉瓦も映し出されて、現実味があります。

山崎豊子さんは熱風炉の構造もよく勉強されています。
<熱風炉は蜂の巣のように穴が通る空気も熱せられ、穴を通る空気も熱せられ、その熱風が高炉に入って鉱石を溶解し、鉄をつくるのだった。>

 普通に考えると、高炉が稼働していないとガスが熱風炉のなかに通っているはずはないので、建設中に大爆発が起こるはずがありませんが、原因もうまく考えられています。

<「しかし、爆発が起きたということは、炉内にガスが充満して爆発限界に達していたことになるが、どうしてガスが充満したのだ」「そこが、私にも解らないところですが、思うに炉の外側に接続しているガス・バーナーのバルブが緩んでガス漏れし、爆発限界になっていた時、たまたま作業員が点検窓を大きく開けたことによって、外で溶接作業中の火花が引火したのだと思います」>
 きっと山崎豊子さんは製鉄所での実際に起こった熱風炉の爆発事故を聴き、熱風炉の仕組みも勉強されたうえで、このストーリーを組み立てられたのでしょう。
専門家でもないのに、驚くべき理解力です。



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山崎豊子の驚くべき取材力・理解力(『華麗なる一族』)

 山崎豊子さんは「私の作品は、取材が命」と語るほどしっかりした取材をされています。銀行の合併をテーマにした『華麗なる一族』の取材ノートでは、銀行や大蔵省の取材の難かしさを述べられていますが、作品を読むと鉄鋼業界の取材にも熱心だったことがよくわかります。

 例えば阪神特殊鋼の工場や操業の描写、様々なエピソードは、鉄鋼業に携わった者が読んでも、現実味があり、取材の細やかさに驚かされます。
 まず万俵家から見える阪神特殊鋼の工場風景。


 これは山陽特殊製鋼がモデルとなった阪神特殊鋼の場所を、灘浜の神鋼神戸製鉄所に移し、高炉建設の様子を次のように描いています。
<裏山の谷川から引いた流れにかかっている石橋のところまで来ると、眼下に芦屋、岡本、御影の住宅街が一望のもとに見渡され、その先に灘浜臨海工業地帯が拡がって、工場群の煙突が林立しているのが見える。
 「臨海工業地帯の東端がうちの会社ですが、海岸よりに一際高く聳えたっているのが高炉です。そしてその横の円筒状の高い構造物が熱風炉、その向こうが転炉の建屋、向かいは送風機の建屋―」鉄平は、この一年余、全力を傾け、今一息というところに迫った高炉建設現場を一つ一つ、いとおしむような熱っぽさで説明した。>
 これは多分、神戸製鋼神戸製鉄所に取材して書かれたものと思われますが、高炉・熱風炉・転炉などの建屋を正確に描写しており、山崎豊子さんはきっと神戸製鉄所の設備を見ながら説明を受けたのでしょう。

上の写真は以前の神戸製鉄所。中央に高炉が見えています。

 時代の移り変わりは早く、2017年10月末に神戸製鋼所神戸製鉄所の高炉、製鋼工場は休止し、加古川製鉄所に集約されました。
最近の航空写真がありました。高炉と周辺設備が撤去されて更地になりつつあります。

かろうじて中央に熱風炉がまだ解体されず残っているようです。その後ろに見えるのは、転炉・連続鋳造設備などがある製鋼工場で、ここも既に休止されており、この建物もやがて撤去されるのでしょう。
 この高炉跡地には発電規模130万kWの火力発電所が増設される予定です。
 この写真の説明を長々としたのは、あたかも小説の阪神特殊鋼が高炉建設を始める前の姿を彷彿とさせるからです。

在りし日の高炉、熱風炉、手前が製鋼工場建屋。

3号高炉建設直後と思われる写真もありましたが、これも阪神特殊鋼が建設した高炉と熱風炉(4本の円筒状の青く塗られている設備)のように見えてきました。

小説ではこの熱風炉が爆発するのですが、次回にさせていただきます。



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『華麗なる一族』阪神銀行のモデルは

 山崎豊子は『華麗なる一族』取材ノートで、「なぜ銀行を選んだか」と題して、銀行悪とそれにからむ官僚悪を描くことにあったことを明かしています。
そして執筆前に、三菱銀行頭取の田実渉氏に取材したそうです。
<三菱銀行本店の頭取室、役員会議室をはじめ、本店営業部などを見学させてくださり、さらに日をあらためて、三菱、第一銀行の合併話の始まりから、破談に至るまでの詳しい経緯を自ら淡々と話してくださった。成功談ならともかく、苦い思いを噛み締められた話を、はじめて銀行を小説の素材にする一人の作家のために話して下さったお気持ちは今もって頭が下がる思いである。>

この頃から金融再編の動きが起こり、変遷を経て現在の3大メガバンクに統合されましたが、名前が消えてしまった銀行はどこに統合されたのか忘れてしまいます。

 昭和49年の映画に登場する阪神銀行本店は、丸の内にあった元第一銀行本店のようです。

(映画撮影時は第一勧業銀行)

 ところで阪神銀行のモデルが神戸銀行であり、万俵家のモデルが岡崎家と噂さされるのは、阪神特殊鋼のモデルが明らかに山陽特殊製鋼であり、その倒産事件の際のメインバンクが神戸銀行だったからです。


 山陽特殊製鋼倒産事件をきっかけ神戸銀行の経営体質が問題視され、昭和42年、それまで20年間オーナー頭取として君臨していた岡崎忠は会長に退き、神戸出身の元大蔵事務次官・石野信一が頭取に就任しています。その後、昭和48年に石野の先輩である元大蔵事務次官・河野一之が頭取を務める太陽銀行と合併し太陽神戸銀行が誕生しています。


 ただ岡崎氏は『華麗なる一族』のモデルと言われることを大変嫌われていたそうですが、山崎豊子はそれを知ってか知らずか、取材ノートで次のように述べています。

<小説の中の阪神銀行は、神戸銀行だと取沙汰され、神戸銀行では頭取から一般行員、守衛さんに至るまで愛読して下さったそうであるが、決して神戸銀行がモデルではないことを、この誌面をかりてお断りしておきたい。作者としては、何とか、阪神銀行を大阪市内に持って来たかったのであるが、万俵家という地方財閥的な家柄、万俵大介というオーナー的頭取を設定するには、大阪の市中銀行にすることは現実性を欠き、さりとて京都ではもう一つ、そぐわない。ということで銀行の所在を神戸においたのであるが、小説に書かれている一つ一つの事柄は、現在のどの銀行にも共通する問題であるため、神戸に所在する銀行というだけで、神戸銀行がモデルということにされてしまったようだ。>

 小説はあくまでフィクションですから、当然事実とは違うのですが、どこのだれをモデルにしたかは、山崎豊子さんは一切明かさず亡くなられました。





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『華麗なる一族』万俵鉄平のもう一人のモデルは西山弥太郎

 山崎豊子は『華麗なる一族』の副主人公万俵鉄平のモデルは、高炉建設に情熱を傾けた元住友金属社長日向方斎氏であったことを、『大阪づくし私の産声山崎豊子自作を語る2 (山崎豊子自作を語る 2)』で明かしています。

<小説の副主人公である万俵鉄平の人間づくりのために、鉄鋼会社の経営者の中で、“鉄鋼マン”以外のものでもないない人物像をと、二、三人の経済記者の方に推挙していただくと、異口同音、住友金属社長、日向方斎という名前が撥ねかえって来た。>

日向氏も鹿島製鉄所の高炉建設に邁進した人でした。
<この日向氏の齢を若くし、体躯を大きくし、精悍な顔つきにすると、小説のなかの万俵鉄平という鉄に生き、鉄に死んで行った一人の鉄鋼マンの人間像が出来上がる。人間を書くこと、人間臭さが大好きな私は、こうして絶えず、強烈な個性を持った人に接し、そこから小説の人物を創り出すのである。>


しかし、日向方斎氏よりもっとピッタリのモデルがいます。
『華麗なる一族』が執筆された1970年には既に亡くなられていましたが、川崎製鉄の創業者で、高炉建設に情熱を燃やした西山弥太郎、東京帝国大学工学部冶金学科卒の技術屋鉄鋼マンという経歴は鉄平と同じなのです。

 黒木亮『鉄のあけぼの』に高炉建設のエピソードが描かれています。


 昭和22年ごろまだ川崎重工業であった時代の、平炉の葺合工場での出来事です。

<「日鉄が銑鉄をくれんからなあ」平炉の中にスクラップと一緒に入れる銑鉄は高炉を持つ日本製鉄に供給を仰いでいる。しかし量が不十分なので、先日、インド製の銑鉄を独自に入手して使ったところ、それを知った日本製鉄が「勝手なことをするなら銑鉄はやらん」と、供給を一時停止してきた。「やっぱり平炉メーカーでは駄目なんや。自分のところで銑鉄をつくらんことには、安くていい鋼はできん」>

この頃から、高炉を持つ銑鋼一貫メーカーにならなければ会社の将来はないというのが西山の考えで、どうしても鉄平とイメージが重なるのです。

 昭和25年川崎重工の株主総会が開かれ、製鋼部門の分離独立が決議されます。
その総会が開かれた場所は海岸通にある海岸ビルでした。
<神戸のメリケン波止場に近い生田区(現中央区)海岸通り三番地にある海岸ビルに人々が集まっていた。旧三井物産神戸支店として大正七年の建てられた四階建ての洋風建築は、和風の破風を持ち、外壁には幾何学模様が施されている。午後一時、三階にある神戸船舶倶楽部の一室で、川崎重工の四年ぶりの株主総会が開かれた。>

写真手前のビルが海岸ビル。

 西山は千葉に一貫製鉄所の建設を計画しますが、高炉メーカー三社(八幡・富士・日本鋼管)と通産官僚の激しい批判にさらされます。当時、「法王」と呼ばれるほど権勢をふるっていた日銀総裁一万田尚登からは「建設を強行するなら製鉄所の敷地にぺんぺん草が生えることになる」と毒づかれた逸話は後々まで語り継がれました。

 しかし西山は「だれが反対しようと、やると決めたらやるんだ。わたしに金を貸さん人がいても、協力せん人がおっても、日本一立派な従業員を持っているのだから、絶対にやれるよ」と千葉製鉄所建設を成し遂げたのです。

どう考えても『華麗なる一族』万俵鉄平のモデルです。



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『華麗なる一族』帝国製鉄のモデルとなった会社

 山崎豊子『華麗なる一族』で阪神特殊鋼の銑鉄(高炉で製造した溶けた鉄を固めたもの)の購入先が帝国製鉄の尼崎製鉄所です。

<資力が足らずに溶鉱炉を持てない特殊鋼メーカーは、どこでも、原料の大半がスクラップであったが、鋼の質をよくするために、溶鉱炉を持っている大手メーカーから銑鉄を買い入れて混入しており、阪神特殊鋼は地理的に最も近い帝国製鉄尼崎製鉄所から月三千トンの銑鉄を買い入れていた。>

 阪神特殊鋼のモデルが山陽特殊鋼であれば、帝国製鉄尼崎製鉄所のモデルは、姫路にある富士製鐵広畑製鉄所(現在の新日鉄住金広畑製鉄所)と考えられます。

<帝国製鉄の尼崎製鉄所は、阪神特殊鋼の約七倍、百七十万坪の広大な敷地を持っている。
そこには十数棟の工場が並び、三基の高炉がひときわ高く聳えたっていた。>

航空写真で見ると、左の大きく黄線で囲んだ所が、新日鉄住金広畑製鉄所。右の小さな黄線の丸で囲んだ所が山陽特殊製鋼です。

 広畑製鉄所は昭和14年に日本製鐵によって銑鋼一貫製鉄所として建設された大製鉄所でした。
昭和16年には遠藤新設計による京見会館を建設しています。


 京見会館は現在も迎賓館として使われていますが、昭和51年に当時の皇太子ご夫妻、現天皇と美智子皇后が広畑製鉄所を訪問され、宿泊用に新館(遠藤新の設計ではありません)を増築していますが、宿泊された部屋は現在もそのまま保存されています。


広畑製鐵所は、昭和25年に日鉄が解体され富士製鐵が継承、昭和45年には八幡製鐵・富士製鐵の合併により新日鉄広畑製鐵所となっています。
広畑製鉄所も平成5年には高炉を休止しており、生産規模も戦前に比較するとかなり縮小しています。

上の図は戦後最盛期の広畑製鉄所鳥観図。

 映画でも帝国製鉄の高炉が出てきますが、この高炉の撮影は新日鉄か神戸製鋼の高炉だろうと想像しています。


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『華麗なる一族』阪神特殊鋼の場所とそのモデルとなった会社

 山崎豊子は『大阪づくし 私の産声』で、阪神特殊鋼のモデルについて次のように述べています。

<モデルというと、小説の中の阪神特殊鋼は、山陽特殊鋼をモデルとしていると云われているが、これは作家の想像で特殊鋼の工場を建てることは不可能であったから、優れた特殊鋼技術を持つ山陽特殊鋼を見学し、その規模、生産設備などを下敷きにして、小説の中の阪神特殊鋼を作り上げたのであるが、工場見学した時、感動したことがある。
 それは、戦後最大級といわれる大型倒産をし、厳しい世論にも叩かれた会社であるから、まだどれほど傷跡が残っているかという想像のもとに見学に行くと、電気炉工場はじめとして、圧延、製管などの工場にも張り詰めた熱気のようなものが感じ取られた。>
 山陽特殊製鋼はベアリング鋼の製造においては、他社の追随を許さないほどの技術とシェアを持った会社ですが、昭和40年に過剰な設備投資により、一度倒産しています。(昭和49年には会社更生に成功しています)
 しかも、昭和37年には大幅赤字に陥っていたにもかかわらず、社長の荻野一氏は昭和38年に高炉建設計画を発表しており、『華麗なる一族』には高炉建設が重大なテーマとして織り込まれています。

 昭和49年の映画『華麗なる一族』では、山陽特殊鋼の電気炉でロケをしたようです。

小説でもこの映像の出鋼場面は、実に詳しく描かれており、元鉄鋼マンが読んでも間違いはなく、山崎豊子さんがよく取材、勉強されたことがわかりました。

 ところで、阪神特殊鋼のモデルとなった山陽特殊鋼は姫路にありますが、小説では、その場所を灘浜の東端に移し、
<神戸港に臨んだ灘浜臨海工業地帯は、朝からスモッグにおおわれ、石油化学工場や、機械、造船工場から吐き出される煙が、北西の季節風に煽られて、海側の上空へ幾筋もの縞模様を描き出している。その中で一際、高い煙突から煙を吐き出しているのが、万俵コンツェルンの一翼である阪神特殊鋼であった。>と書かれています。

この場所は神戸製鋼の神戸製鉄所の場所なのです。
灘浜の神戸製鋼の高炉、製鋼工場は昨年から休止し、現在は圧延工場のみ稼働しているようです。

 先日芦屋マリーナから神戸港までクルージングを楽しむ機会があり、神戸製鋼を沖合から見てきました。

写真中央の茶色い建物は休止している製鋼工場ですが、高炉は既に撤去されており、見えませんでした。鉄鋼業界の流れも速く、業界地図は昔とかなり変わりました。




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小説『華麗なる一族』の万俵邸の場所は?

 山崎豊子『華麗なる一族』では、万俵邸は阪急岡本駅の山側に設定されています。
<阪急岡本の駅まで来ると、車は山手に向って坂道を上りはじめる。車の正面に、六甲山脈が列なり、その豊かな稜線から、小さな山々の尾根が襞のように柔らかく重なり合いながら、分かれている。その一つが、万俵家が数千町歩にわたる山林を所有している天王山の尾根であった。>
実は岡本には、天王山という山は実在しません。

この文章だけ読むと、岡本梅林あたりが万俵邸の位置のようにも思われますが、どうもしっくり来ません。

<天王山に登る山裾の坂道を六丁ほど上がると、海を見下ろす高い丘になり、そこが万俵家であった。天王山を背にして鬱蒼とした樹木に囲まれた一万坪に及ぶ敷地であったから、外からは建物はもちろんのこと、邸内の様子も全く見えない。御影石を積んだ大きな門の前まで来て、はじめてそこが人の住んでいる邸であることがわかる。>

 この説明を読んでいると、敷地四万坪の現在の甲南女子大のところにあった広岡恵三・亀子邸のようにも思えます。

 ところで、阪神特殊鋼の位置は、灘浜の神戸製鋼の位置に設定されています。
<眼下に芦屋、岡本、御影など阪神間の街が一望のもとに見渡せ、その先には神戸港の海が広がり、海を埋め立てた灘浜臨界工業地帯が凸字型に突き出、工場群の煙突が並んでいる。
 そしてその東端の、一際大きな煙突が、長男の鉄平が経営にあたっている阪神特殊鋼で、黒ずんだ煙を今日も吐き出している。毎日、見慣れた風景であったが、大介は、朝、邸を出る時と帰って来た時、必ず邸内の道の中程にたって阪神特殊鋼の煙突を眺める。>

 航空写真左下の黄線で囲ったところが神戸製鋼です。
その煙突を朝夕眺めるとすると、左側の赤丸で囲った甲南病院のあたりかもしれません。

甲南病院へ登る道の途中からはこのように神戸製鋼の高炉がはっきり見えます。

 甲南病院のすぐ下には大正12年に住吉聖心女子学院が設立され、その後小林に移転していますが、そのレンガ塀が今も残っています。

そこから見た西宮方面の海です。

このあたりの光景は小林聖心女子学院のホームページに次のように著されていました。
<阪急の御影駅を降り、大きな石垣を右に見ながら坂道を登っていく。やがて道は松林の中にはいり、左寄りの小道をなおもたどっていくと、ドイツ風の洋館2棟とバラックの仮校舎が見えてくる。見晴らしのよい丘の上である。建物を取り囲む庭には、ある時は山茶花、またある時は椿と、色とりどりの季節の花が咲き乱れ、ふり返ると、光り輝く神戸の海が眩しく眼下にひろがっている。ときおり、ロザリオを手に松林を散策したり、3-4人で椅子を円型に寄せ合って編物をしたりしているマザーの姿が見られ、公立の学校とはおよそかけ離れた雰囲気をかもしだしていた。>

ところで昭和49年の映画『華麗なる一族』に万俵邸として登場しているのは阪急御影駅すぐ傍の、大林邸です。

現在は大林組ゲストハウスとなっているようですが、大林組第2代社長・大林義雄の邸宅として昭和7年に竣工した建物です。

非公開の建物ですが、外からわずかに特徴ある塔を見ることができます。




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小説『華麗なる一族』に登場する郵船ビル

 山崎豊子『華麗なる一族』の阪神銀行は栄町通にあり、近くにある郵船ビルが次のように登場します。
<万俵鉄平と銀平は、神戸港に臨んだ海岸通りの郵船ビルの地下のバーから外へ出、タクシーを探したが、つかまらないまま、海岸通りを三宮の方に向って歩き出した。>


 実は郵船ビルには地下はないので、これはまったく山崎豊子による創作ですが、このような歴史的建造物にバーがあれば訪ねたくなります。
<各国の珍しい酒が置いてある静かなバーで、たまたま、阪神特殊鋼の技術者たちをねぎらっていた鉄平が、見合いの帰途、抜け出して来たらしく、独りカウンターで飲んでいる銀平を見つけ、一緒に帰ろうと促したのだった。>

現在の郵船ビルを訪ねてみますと、一階は大きいサイズの紳士服店となっていました。

壁にはこのようなプレートが張り付けられており、初代米国領事館の跡地だったようで、次のように書かれていました。
ON THIS SITE JULY 1863
WAS ESTABLISHED THE FIRST
AMERICAN CONSULATE IN KOBE
1863年7月(明治元年)この場所において
神戸で最初のアメリカ領事館が開設されました。
兵庫県神戸市中央区海岸通1丁目1-1
神戸日米協会 創立80周年記念(1988年)

 郵船ビルはその跡地に1918年、曾禰達蔵・中條精一郎の設計により旧日本郵船神戸支店として建設された近代ビルで、当初はこのビルの上に銅葺きの屋根と円形ドームがあったのですが、1945年の神戸大空襲で焼失しています。
 幸運にも、1994年に施工された耐震補強工事によって、1995年の阪神・淡路大震災を軽微な被害で乗り越えたそうです。

 銀平と同期の阪神銀行頭取秘書の速水英二もこのバーによく来るようです。
<海岸通りにある郵船ビルの地下のバーで、速水英二は、ひとりカウンターに坐って、ハイボールを飲んでいた。洋酒通が女気無しに静かに酒をたしなむ溜まり場らしく、速水のようにカウンターにひとり坐って、黙って飲む常連が多い。>
 
旧居留地にあり、この雰囲気に近いバーは、BAR REQUEST(江戸町100 神戸旧居留地 高砂ビル1F)。


 何度か行きましたが、テーブルチャージをとられないのか、驚くほどの安さで落ち着いて飲めるお勧めのバーです。


 高砂ビルはいくつかの映画の撮影に使われており、4階の402号室で2009年夏にワーナーブラザーズ映画、北野武監督・ビートたけし出演映画『アウトレイジ』の撮影が行われており、無料でその部屋を見学できます。


興味のある方はお立ちよりください。



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山崎豊子『華麗なる一族』神戸の栄町通の阪神銀行のモデルは今

 『華麗なる一族』は山崎豊子の綿密な取材により、昭和30年代後半から40年代の出来事をうまく織り込んだ銀行の物語となっています。

そこには当時の神戸、阪神間の風景も描かれており、モデルとなった場所をしばらく訪ねてみようと思います。

 今回はまず、万俵大介が頭取を務める阪神銀行です。
場所は次のように栄町通となっています。
<神戸元町の栄町通は、電車通りを挟んで、戦災を免れた銀行、証券会社の建物が、両側にずらりと並んでいる。戦後になって、建物を新築した大銀行は、新市庁舎のある江戸町の辺りへ移転して行ったとはいえ、戦災に焼け残った建物がたち並ぶ栄町通りは、今でも戦前からの金融街のたたずまいを残している。>

早速、神戸大丸を少し下り栄町通を歩いてみました。(地図の黄色の着色部)

勿論今は市電は走っていません。


<その中でも阪神銀行の建物が一際、古めかしい。正面玄関に六本の石の円柱が聳え立ち、バロック風建築の分厚な石で囲まれた五階建ての建物の窓は高く小さく、容易に人を寄せ付けない荘重さを漂わせている。>

小説に描かれている六本の石の円柱が聳える建物が栄町通の昔の絵葉書にありました。

元は大正5年完成の三井銀行神戸支店です。

その後、第一勧業銀行神戸支店となっていましたが、残念ながら阪神淡路大震災で崩壊してしまいました。

現地を訪ねますと、そこには「ライオンズタワー神戸元町」が建っていました。

正面部分は昔の建物のイメージにあわせて作られたそうです。


アプローチに行ってみますと、震災前にあった建物の説明と、そこに使われていた石材が展示されていました。


石柱の一部でしょう。ここまで来た甲斐がありました。

ところで1974年の映画『華麗なる一族』の阪神銀行。

旧第一銀行本店に似ていますが、どうでしょうか。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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