阪急沿線文学散歩

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有栖川有栖『幻坂』から「天神坂」

 いよいよ大坂の夏の陣で勝機のない大坂方についた武将、真田幸村こと真田源次郎信繁がついに打ち取られた終焉の地、安居天満宮の登場です。

『幻坂』では安居神社に続く天神坂は次のように、描写されています。
<坂道を上るほどにゆるやかに左手へカーブしているため、坂下からは坂上がかろうじて見えず、上るほどに勾配がきつくなる。昼下がりには老人グループが絵筆を執って坂道を写生していた。>

坂道は、安居神社の石垣と曹洞宗・興禅寺に白壁に挟まれています。


<雨は視界をぼやけさせるだけで、石畳の上で弾けることもなく、舗道をただ湿らせていく。それでも微かに聞こえる。ちょろちょろという水音が。名水として知られた清水を再現したものが、路傍に設えられているのだ。>

残念ながら、私が訪ねた時は水が枯れていて、水音を聞くことはできませんでした。
小説では天神坂の中ほどにある路地をはいると「割烹 安居」があります。その亭主濱地が名水の説明をします。
<高いビルやら通天閣やらがない時代、大坂で見晴らしがええのは、このあたりだけやったでしょう。景勝に加えて、ここらは水も良かったんです。大坂は水の都といいながら淀川の水を水屋が売り歩いてたぐらいで、水に恵まれんでした。たまにええ水の出る井戸があったら、二つ井戸てな地名がついたほっです。けど、天王寺の界隈には七名水と称される湧き水がありました。>
七つの名水の名前は、金龍、有栖、増井、安井、玉出、亀井、逢坂。

安居天神に入ってみました。


<鋭角的な形をした真田幸村戦死跡之碑と片膝を立てた幸村公の坐像もまた、雨に洗われている。霧雨は木々の葉を濡らすばかりで、音もない。>

坐像はまだ新しそうです。終焉の地で幸村は何を考えていたのでしょう。






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有栖川有栖『幻坂』から生國魂神社を歩く

 有栖川有栖『幻坂』の「真言坂」からです。
<知らずに迷い込んだのなら、一瞬、緑に包まれた閑静な公園かと思うことでしょう。芝生の中に石畳の道が延びて、その片側に十ばかりベンチがほとんど隙間なく並んでいます。木立の中には遊歩道が。しかし、南側の生國魂神社本殿に続く鳥居や背の高い石灯籠が目に留まり、ここが神域であることが判ります。>

 北門の鳥居をくぐって中に入ると、確かに公園と見まがうような緑に包まれた境内です。

 ゆかりのオダサクの像の向こうに石畳の道と隙間なく並んだベンチが見えています。

<ここから見て一番奥、右端にあるのが浄瑠璃神社、そこから左へ順に家造祖(やづくりおおみや)神社、鞴(ふいご)神社、城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)。あなたは資料も見ずに言いました。>

正面が鞴神社です。

<―ここはお気に入りの場所なんで、何べんも来てるうちに覚えたんや。なかなか面白い眺めやろ。まるでラーメン横丁か古書店街みたいに神さんが並んでいる。しかも、どの佇まいも美しい。さすがは難波大社と呼ばれる生玉さんだけある。>
 たしかにこんなに沢山神社が並んでいると、どこにお参りしようか、神社参りのはしごをしようかと迷ってしまいます。

<いつもどこか一社を選んでお参りするので、今日は奥の浄瑠璃神社で手を合わせました。近松門左衛門を始めとする文楽関係の御霊をお祀りした神社で、芸能上達の神様なのでわたしには関係がないのですけれども。>

一番奥の文楽関係の御霊をお祀りしている浄瑠璃神社です。

<それからきた道を戻り、中ほどのベンチに腰を降ろしてハンカチを取り出し、額にわずかに滲んだ汗を拭きます。>

主人公が休んだのは、このベンチのことでしょう。

目の前には精鎮社と、左手に積み上げられた滝組の間からせせらぎが流れ落ちています。


境内には織田作之助の銅像や、井原西鶴の座像などがあり、文芸の話題にはことかかない、珍しい神社でした。


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有栖川有栖『幻坂』から浪花百景に描かれた真言坂を歩く

 有栖川有栖『幻坂』の「真言坂」からです。

<坂の下には真言坂の碑。こんなに短くて何でもない坂に碑を建てるとは大袈裟な、と思う人がいそうです。>

 天王寺七坂の中では、ほかの六つの坂が東西方向なのに、真言坂だけは南北方向。

 マンションの灰色の壁に囲まれ、ごく短くて、七坂のひとつと数えるのは分不相応な感がありますが、主人公と結婚するはずだったフリーランスのライター「あなた」が携えていた資料を見せます。

<一つは『浪花百景』、もう一つは『摂津名所図会大成』から抜き出した二葉の古い図版でした。前者のそれの中央には、幅が五十メートルもあろうかという大路から石垣を備えた高台に伸びる石段が描かれています。道の両側には商家があり、高台の上には枝ぶりのいい松と大きな石灯籠、そして寺社らしきものが見える。後者はそれを斜め上方から鳥瞰した図で、やはり描かれている石段は巨大なままでした。
―江戸時代の真言坂や。誇張がしてあって、今とはだいぶ地形も違うみたいやけど
まぎれもなくここ。立派な坂としか言いようがないやろ。
 失われ、見られなくなったことを惜しまずにはいられない風景でした。>

現在は真言坂を上ると、鳥居の前に少しだけ石段があります。昔はこの石段が下まで続いていたのでしょうか。
誇張されているとはいえ、江戸時代にはあんな風景があったなんて。


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有栖川有栖『幻坂』に登場する高津神社

 高津神社のお話は「真言坂」の章で登場します。
主人公絹江が散歩の途中で高津神社の表参道の石段を登って本殿にお参りするところからです。

<大喧騒の只中にあって、静謐と荘厳さを保った空間です。わたしは、鈴を力強く鳴らし、お賽銭箱に五円玉をそっと投じてから、二礼二拍手一礼。柏手は、大きく乾いた音をさせて打ちました。手水は無精にも略してしまいましたが、ほかはあなたに教わったとおり。>

そのあと、写真の左手にある絵馬堂の方へ進みます。

<今日と同じような五月の日。あなたが次々に繰り出すお話が面白くて、風が気持ちよくて、本当に楽しい時間でした。
 −高津の宮の昔より、よよの栄を重ねきて、民のかまどに立つ煙。
急に歌いだした時は、わけが判らずきょとんとしました。 ―大正十年にできた『大阪市歌』や。大阪人やったらみんな歌える。絹江ちゃん、知らんかった?……嘘や、嘘。こんなん歌える人、会うたことない。>
絵馬堂の前まで行くと、大阪市歌の碑がありました。


『万葉集』で難波天皇と称され、仁政で名高い仁徳天皇の高津宮があったのは、このあたりであり、その地を選んで九世紀に高津神社が建てられたことが述べられています。
<宮殿から町を見渡したところ夕刻だというのに家々から食事の支度をする煙が上がっていないので、民草の苦しい生活を察して租税を免除し、竈の賑わいが戻るまで自らが倹約に努めた、という逸話。 −それを想い出したところで『大阪市歌』の意味が判りました。>

絵馬堂に入ってみましょう。

<絵馬堂には、まだ新しい額が飾られています。あなたは見たことがないものです。上方歌舞伎にとって待望だった中村鴈治郎あらため四代目坂田藤十郎の襲名を記念して奉納された絵馬で、藤十郎をモデルにした『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛が画題であるのは言うまでもありません。それこそまさに、この高津神社の境内が舞台の物語なのですから。>

小説通りに、坂田藤十郎の新しい額が飾られていました。

その後、相合坂を下ります。

<団七を描いた額から視線を逸らし、絵馬堂を出た私は、相合坂の立て札が立つ傍らの石段を西へと下ります。少し下りると二手に分かれるのですが、上がってくると途中で合流することになるため、この名称がついたのですね。明治後期にできたという新しいもので、またの名は縁結びの坂。>

写真は石段が合流する踊り場です。

<絵馬堂の反対側には悪縁を絶つ坂があって、用意のいいことです。こちらは、かつて三つと半分曲がった形をしていたため、離縁状の三行半にからめて縁切り坂なる俗称がついたということでした。>

今でも少し曲がっている西坂、俗称縁切り坂です。

七坂のある天王寺区とは千日前通りを挟んで、北側の中央区にある高津宮。

これだけ詳しく書かれているのは、有栖川有栖のお気に入りの神社だったからでしょう。


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口縄坂(有栖川有栖『幻坂』より)

 前回は、織田作之助の『木の都』から、大正から昭和の初めの「口縄坂」を紹介しましたが、今回は有栖川有栖の『幻坂』から現代の「口縄坂」がどのように描かれているか、読み進めてみましょう。


有栖川有栖は「口縄坂」に、織田作之助の『木の都』をうまく取り込んでいます。
主人公美季はインターネットで『木の都』を読んで、感想を述べています。
<ノスタルジックな気分になり、心が澄むような気がしたが、作品の価値を理解できたとは思えない。そもそも、作者らしい男が語り手になっていて、小説というよりエッセイのようななのだ。友人に感想を聞かれて「文学的やねぇ」と適当なことを応えた。>

『木の都』の文学碑が坂を上りきったところにありました。

<坂の下からやてきた中折れ帽の老人が、文学碑の前で立ち止まって写真を撮り始めた。スニーカー履きの軽装でカメラを構えているところを見ると、この近所の住人ではなく、わざわざ散策にやってきたのだろう。五、六人連れ、あるいはもっと大人数の中高年グループを見かけることも多い。>
私のように街歩きする中高年が七坂には多いようです。

<美季はその傍らを過ぎて、石畳の道を下りていく。美しい坂だ。片側に竹を模した手摺が設けられ、ランタンのような街灯のデザインも瀟洒である。>

ランタンは目につきましたが、手摺が竹を模していたとは、家に帰って写真を確認して、ようやくわかりました。

<幅三メートルばかりの坂道を、両側から四つの寺が挟んでいる。どれも江戸時代のとても有名な人 −松尾芭蕉や豪商の淀屋、難しい名前の天文学者など− に所縁がある寺らしい。>

著名な人物のお墓があるようです。

<石段を下りた左手にも碑があった。かつて大阪府立夕陽丘高等女学校があったことを示すものらしい。台地の上に移転した現在の夕陽丘高校のことである。『木の都』には、主人公がそこの美しい女生徒に恋心抱いたことが、さらりと綴られていた。>

写真の右下に夕陽丘女学校跡の碑が写っています。右の石垣は夕陽丘女学校のものだったのでしょうか。

<その石垣の犬走や塀の上に、猫の姿があった。左右に一匹ずつ。「この坂のへんには、美季が好きな猫がいっぱい住みついてるねん」>
小説に書かれている通り、口縄坂で猫に遭遇しました。

有栖川有栖の「口縄坂」は怖い猫の物語です。


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有栖川有栖『幻坂』と織田作之助『木の都』

 有栖川有栖『幻坂』の「口縄坂」では冒頭から織田作之助『木の都』の碑が登場します。
<坂が始まるところに、御影石の碑が建っている。鏡のように磨かれて黒光りする表面に、織田作之助の『木の都』の一節が刻まれている。>

刻まれているのは短い小説の最後の部分です。
 そして「口縄坂」の主人公美季は「大阪は木のない都だといわれているが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついている。」という書き出しの部分が印象に残ったと述べています。

今回は青空文庫でも読める織田作之助『木の都』から紹介しましょう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/507_19626.html

<大阪はすくなくとも私にとつては木のない都ではなかつたのである。
 試みに、千日前界隈かいわいの見晴らしの利く建物の上から、はるか東の方を、北より順に高津の高台、生玉いくたまの高台、夕陽丘の高台と見て行けば、何百年の昔からの静けさをしんと底にたたへた鬱蒼うつそうたる緑の色が、煙と埃に濁つた大気の中になほ失はれずにそこにあることがうなづかれよう。>

 織田作之助が生まれたのは大正2年、したがって『木の都』に書かれているのは大正末期から昭和の初めにかけての大大阪と呼ばれた大阪。

東洋のマンチェスターと呼ばれた時代ですが、写真のようにオダサクが「煙と埃に濁つた大気の中」と述べている通りの大阪でした。当時それが嫌で、健康的な「郊外生活」を求めて河野多恵子、谷崎潤一郎夫人となる森田松子、湯川秀樹などが阪神間に引っ越しています。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11090333c.html
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10884941c.html
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 しかし、そんな中でも『木の都』は残っていました。
『木の都』に戻りましょう。
<数多い坂の中で、地蔵坂、源聖寺坂、愛染坂、口繩坂……と、坂の名を誌しるすだけでも私の想ひはなつかしさにしびれるが、とりわけなつかしいのは口繩坂である。>と述べられているように、オダサクお気に入りの口縄坂です。
 そこには年少の頃の、夕陽丘女学校の美しい少女への淡い恋の思い出がありました。
そして、どの坂を登つてその町へ行かうかと、ふと思案したが、足は自然に口繩坂へ向いた。しかし、夕陽丘女学校はどこへ移転してしまつたのか、校門には「青年塾堂」といふ看板が掛つてゐた。かつて中学生の私はこの禁断の校門を一度だけくぐつたことがある。>
続いて夕陽丘女学校の籠球部の美しい少女の思い出が語られています。

今歩いてみると、確かに坂の途中に大阪府立夕陽丘高等女学校跡と刻まれた碑がありました。

 坂を上りきって、北へ折れてガタロ横町の方へ行く途中にあった矢野名曲堂というレコード屋の一家の話が続き、最後は
<口繩坂は寒々と木が枯れて、白い風が走つてゐた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思つた。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直つて来たやうに思はれた。風は木の梢にはげしく突つ掛つてゐた。>
と終わります。

季節は違いますが、口縄坂の途中から振り返った情景です。


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有栖川有栖『幻坂』に描かれた風情のある源聖寺坂とスピリチュアル体験

 主人公河合樹が子供のころ奇妙な情景を見た源聖寺坂ですが、次のように美しく描かれています。

<たまたま通りかかって、大阪市内にこれほど風情のある坂道があったか、と嘆じる人もいるそうだ。松屋町筋から見上げても、その全容を見ることはできない。土塀に挟まれた石畳を敷いた道がまっすぐに伸びているのだが、途中から石段になり、その先で右手に折れているためだ。石段が切れると今度は左手に曲がる。そんなクランクのおかげで坂道に変化がつき、よその六坂にはない趣がうまれていた。>

 
 
小学校五年の担任だった村田先生は「ぼくは、あの坂が大阪で一番好きやな」と話します。
<「下から見上げたら、棟瓦を葺いた両側の土塀がカーブを描いて、伸び上がるように続いているやろ。まるで二頭の昇り龍や。あんなん、なかなかないで」とか。>

二頭の昇り龍を支える両側の土塀です。

<「石段が終わるあたりに立って振り向いたら、ええ景色や。大都会の真ん中やのに緑が多いから、よそとは違う眺めが見られる。坂道がしゅーっと流れ落ちるようなんも素晴らしい」とか。>

坂の途中で振り返ったしゅーっと流れ落ちる景色です。

<「白い土塀の中に錆びたトタン板が貼ったところがあるやろ。あれがようない?違う、あれがええんや。侘び寂び……言うても、きみらにはまだ判らんか」とか。>
さすが錆びたトタン板は、修復が終わったのか残っていませんでした。

坂を上りきると、銀山寺がありました。

<坂を上りつめた右手に曲がったところが銀山寺の門。近松門左衛門の『心中宵庚申』などで知られたお千代・半兵衛の墓があり、そのまま南へ進むと生玉寺町の名のとおり寺が軒を連ねている。>

『心中宵庚申』は大坂新靫の八百屋の養子半兵衛と,姑のために離縁された女房の千世とが宵庚申の夜,生玉の大仏勧進所で心中した事件を脚色したものです。

 銀山寺に入らせていただき、比翼塚にも参ってきました。


「源聖寺坂」の章は次のように終わります。
<中ほどで立ち止まり、村田先生お気に入りの夕陽を眺めるのもいい。だけど長居はせず、あの絵に描かれたような黄昏がくるまでには立ち去りたい。白い服を着た男の子と、たまたま出会わすのは怖いから。>と。

今日は明るいうちに帰らせていただきました。


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二人の出会いは6月30日の愛染坂(有栖川有栖『幻坂』を歩く)

 有栖川有栖『幻坂』の「愛染坂」は大阪三大夏祭りのひとつ愛染まつりから始まります。

<娘たちを乗せた駕籠が高々と持ち上げられるところを見てみたかったが、濡れるのは嫌だ。行列がからくも雨に遭わなかったことを祝福しながら、門前を通り過ぎた。勝鬘院の先には夕陽岡の碑がある大江神社。道は狛犬の左で愛染坂に続く。>
 勝鬘院・愛染堂が宝恵駕籠の終点で、本堂の前で威勢よく駕籠上げをするそうです。


 門前を過ぎると、大江神社の鳥居が見えてきました。左手に行くと愛染坂です。


 大江神社の境内、百歳(ももとせ)の階段の横にある夕陽岡の碑です。


 帰りには百歳の階段を下るつもりだった主人公青柳慧ですが、間違えて左手の愛染坂を下ります。
<右手は大江神社の石垣で、頭上から木立の葉擦れの音がする。左手では大阪星光学院のグランドが次第に高くなっていき、塀とフェンスが伸びていた。傾斜のきつい坂の敷石には、滑り止めのため稲妻形の溝が刻まれている。急な石段を男坂、それよりはなだらかなこちらを女坂とも呼ぶそうだが、楽に歩ける坂ではない。
傘を持っていない女が一人、髪が濡れないようハンドバッグを頭上に翳しながら坂を上がってきた。>

書かれている通りの女坂。ここで慧と美咲が出会いました。

 美咲と初めて出会った日の宵、慧は再び愛染堂へ向かいます。
<境内の隅に聳える愛染かつらの前では、恋人同士が写真を撮ってもらっていた。桂の巨樹に赤橙色の花を咲かせる凌霄花(ノウゼンカズラ)が絡まった様が夫婦和合の象徴とされる霊木で、かつてこの近くで暮らしていた川口松太郎の名作『愛染かつら』はここから採られたという。>

これが有名な愛染かつらですか。ノウゼンカズラの花はもう少し先のようです。

翌日も慧は再び愛染堂を訪れます。
<人波に揉まれながら、金堂の裏に回る。堂々とした二層の多宝塔は聖徳太子が創設し、豊臣秀吉が再建した大阪市内で最古の木造建築だ。重要文化財に指定されており、大空襲から逃れた数少ない文化遺産である。>

祭りの日ではなかったので、ゆっくり見て回ることができました。

 小説の最後は悲しい物語が待っています。最後の大江神社の階段を上がる場面です。
<大江神社の下まできたところで顎を上げると、石段の果ての空が美しかった。夕闇に薄く濁りながら、なお鮮やかな瑠璃色。この世のものではないかのようだ。>


<彼は、奇妙な静けさの中を進んだ。五十段上がったところに踊り場があるから、そこで耳を澄ましてみよう。思いもよらないものが聴けるかもしれない。三十八段目でそう思い、四十三段目に右足を掛けたところで、それを耳にした。愛染坂を誰かが下ってくる。>

五十段目の踊り場から振り返ってみました。

「愛染坂」は次のように終わります。
<石段を上りつめ、神社の境内を横切る。黄昏は夜に呑まれ、社殿も、石の鳥居も、狛犬も、色を失っていた。彼は愛染坂の上に立ち、たった今、恋しい女が下った道を見る。常夜灯に照らされた敷石は、雨で濡れたように光っていた。>

明るい時の写真で、小説のようには撮れませんでした。


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有栖川有栖『幻坂』の「清水坂」を歩く

 有栖川有栖『幻坂』は「清水坂」から始まります。

<清水坂と聞いたら、京都にあると思わはるでしょう。清水寺に続く坂やろと。ところが、これからわたしの話に出てくるのんは、そこと違うんです。大阪にある清水坂。その坂の上には有栖山清光院清水寺があります。これは偶然やのうて、京都の清水さんから千手観音をいただいたことに由来します。>
私も大阪に清水坂があるとは知りませんでした。

清水坂の上からの写真ですが、左手が清水寺です。

<建ってるのんが坂の上、高台やいうんで本家を真似して舞台をつくり、境内に音羽の滝もどきもこしらえた。大坂版清水寺のでき上がりです。舞台の規模は本家と大違いですけど、当時の大坂には今みたいに高いビルはないし、家もごちゃごちゃ建て込んでない。湾岸の埋め立て地ものうて海がぐっと近かったさかい、けっこうな眺望が楽しめたでしょう。そこからの眺めについて、「浪華の全市を瞰下ろし、播淡の滄海絶妙」と古書に残ってます。>

 現在の清水寺の舞台からの景色です。ビルの向こうに通天閣が見えています。

平安時代近くまで遡ると、高台の下まで海がきていたそうですから、昔は絶景が望めたのでしょう。

 清水寺の舞台から墓地を抜け、石段を降りていって、左手に曲がった奥に玉出の滝があります。
玉出の滝の入り口です。

<京都の清水寺を模した大阪の清水寺には、音羽の滝もどきもあるとお話ししました。こっちのんは玉出の滝と言います。谷町筋を挟んだ向こう、四天王寺さんかに湧き出る水を引たもんで、滝というても人工の滝ですけど。どんなもんを想像します?音羽の滝を知ってはったら、あれを思い浮かべてください。さすがはコピーだけあって、よう似てます。覆屋の下から筧が三本突き出してまして、そこを伝うた水が糸のような筋になってちょろちょろと落ちる。高さは、どっちも四、五メートルでしょうか。>

 写真では見づらいですが、書かれているとおり、三本の筧から糸のような水が落ちていました。

静かな雰囲気で、ちょうど滝業を終え、白装束を着替えておらる方がいました。

「清水坂」の最後は、次のように終わります。
<どこのどちらさんか存じませんけど、拙い話に最後までお付き合いいただいたのも何かのご縁。もし四天王寺さんをお参りでもした後、お時間があってお気が向いたら、いっぺん清水寺もた拗ねてくれはりませんか。ほん近くです。玉出の滝をご覧あれ。>
と。
ヒナちゃんの少し悲しいお話を思い出しながら清水坂を下りました。


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ここにはかつてはいろいろな文人のお墓がありました。以前に西宮芦屋研究所さんも書かれていましたが、つい最近改装されて、以前の面影がなくなりました。

[ ふく ] 2016/05/10 19:37:24 [ 削除 ] [ 通報 ]

初めてこのあたりを散策し、寺町ですから当然でしょうが、お寺の多いことに驚きました。また改めて散策しようと思っています。

[ seitaro ] 2016/05/10 21:06:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

摂津国と近畿36不動尊の札所となっているので 三度お参りにいきました。墓地が広くなりすぎて本堂が仮のままですね。
紹介された七坂は すべて歩けていないので、また私も歩いてみようと思います。

[ さとっさん ] 2016/05/10 23:46:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうでしたか。立派なお寺の割には、本堂がと思っていました。ありがとうございました。

[ seitaro ] 2016/05/11 6:39:32 [ 削除 ] [ 通報 ]

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評判の有栖川有栖『幻坂』を頼りに天王寺七坂を歩いてみました

 文庫本化されたこともあり、七坂を舞台に歴史的因縁や文化的背景を織り交ぜながら、大阪の人々をリアルに叙情的に描いた有栖川有栖の『幻坂』が話題を集めています。

 
その文庫本の最後の解説は、西宮文学案内のコーディネーターでもある河内厚郎氏によるもの。次のように始まります。
<奈良や京都より古い街なのに大阪の歴史というのは驚くほど知られていない。それどころか、今の本当の姿すら、ろくに報道されていないのだ。一例をあげると、大阪の街の中央を背骨のように南北に貫く上町大地のことが全国向けにほとんど紹介されないのは何故なのか。最も古くからあり、最も大阪らしいエリアであるにもかかわらず。>

 私もその例にもれず、平坦な街という印象があり、七坂の存在とその歴史をまったく知りませんでした。

『幻坂』は河内氏が、
<語られぬ歴史の断層を埋めるかのように、七坂やその周辺についての故事来歴を有栖川氏は小説の中に挿入してくれた。分かる人には分かってもらえればよいという書き方ではない。古語の意味や時代ごとの世相をさりげなく補足して噺を聞かせた、上方落語の大御所、桂米朝の親切な語り口を想い出す。>と述べられているように、私のように歴史に疎いものでも、歩いてみたくなる小説でした。

 休日に一日かけて、谷町九丁目の真言坂から順に、逢坂まで、一応七坂を歩きましたが、まだ「枯野」の章までは歩けていません。

写真は大阪星光学院のそばの藤原家隆の家隆塚の掲示板です。
これから、この七坂を順に歩いてみましょう。



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有栖川有栖 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

おはようございます。
「みどりの日」に、四天王寺さんの「春の古本祭り」をひやかしたあとに、久しぶりに口縄坂を歩いてみました。
オダサクの『木の都』は、大好きな短編です。

[ 373 ] 2016/05/07 5:41:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

口縄橋に『木の都』の一節が刻まれた石碑がありました。是非読んでみたいと思っています。『幻坂』では口縄橋の猫が登場するのですが、坂を登っていると3匹の猫に出会ってしまいました。

[ seitaro ] 2016/05/07 7:06:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

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seitaroイメージ
阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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