阪急沿線文学散歩

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北村薫『リセット』に描かれた戦時下の宝塚大劇場最後の公演

 北村薫『リセット』で昭和19年3月の宝塚少女歌劇最後の公演の様子が描かれています。


 二月の末から始まった雪組公演は、歌劇「桜井の駅」、舞踏劇「勧進帳」、歌劇「翼の決戦」の三本立て。主人公水原真澄は六甲ハミガキの社主の娘、田所八千代に誘われ始まったばかりの雪組公演を見に行きます。「翼の決戦」の観劇の様子が詳しく描かれていました。
<幕開きから、もう飛行場です。題材がわたし達に近かったのです。春日野八千代は、海軍航空隊の撃墜王、伊勢中尉の役です。途中から舞台は南方の戦場に移ります。敵の大群に対して、我が軍は飛行機が足りない。伊勢中尉は単身、群がる敵機を倒し、最後には体当たりをし、味方を守るのです。>
このような体当たりの光景は当時実際にあった話ですから、皆なの涙を誘います。
<最後に登場人物全員が二列に並び、『海ゆかば』を歌います。それは、ラジオから聞こえて来た神宮外苑の合唱と重なりました。四か月前に、それを歌ったお兄様が、もうこの世にはいないのです。『海ゆかば』と共に、後方に、翼をピンと張った、双発の大きな飛行場が迫り上がって来ました。上には、伊勢中尉が立っています。手にした軍刀が高々と揚げられます。>

このシーンがWikipediaに掲載されていました。

 三月になると全国十九の高級興業場の閉鎖が発表され、宝塚大劇場の公演も、数日で終わることになります。
田所八千代は学校をさぼって、3月3日の公演に再び行っていました。
<四日が宝塚大劇場最後の日です。閉鎖の発表があってから、行けるのは三日、四日の二日間しかなかったのです。名残を惜しむ人の波で、宝塚は暴動でも起こったような騒ぎだといわれていました。昨日は平日でしたが、緊急に、夕方の追加公演まであったそうです。>

3月4日の最終日の公演の様子は、阪田寛夫『わが小林一三』にも詳しく描かれています。


その行列の長さについて、
<当時甲子園から今津を使って宝塚に通勤していた作家で演出家の高木史郎は、いつもの通り南口駅の改札を出ると、ホテルの前まで人が並んでいた。砂糖の配給の列かと思って橋のたもとまで来て初めてその列が川向こうの大劇場からつながっていることに気がついた。若い娘たちばかりが並んでいるのならすぐにそれと判ったのだが、ふだん来ないような人が多かったので判らなかった、と高木は語った。「工員さんから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、こんなにみんなが支持してくれるのかと思ったら、橋から楽屋口まで涙がとどめなく流れて来て」>
そして最後の公演を見た女学校の生徒の証言が記されていました。
<「翼の決戦」で戦死する特攻隊の海軍将校に扮した春日野八千代が最後の挨拶をした時、みんなが泣き出して悲鳴のような別れの声をあげて舞台へ寄って行った。満員で通路も身動きならないので、誰もが椅子の上をとびこえとびこえ駆け集まったから大騒ぎになtった。その時、自分の考えでは憲兵の下士官が銀橋に上って、軍刀を引き抜き、「非国民め!」と叱った。友達の中には、あれはお巡りさんがサーベルを抜いたんだという人もいる。>

この後、宝塚大劇場は海軍に接収され、航空隊の少年たち、いわゆる予科練の訓練場になったのです。



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北村馨『リセット』に登場する戦時下の芦屋市立山手小学校

 芦屋市立山手小学校は、小川洋子『ミーナの行進』で本田美奈子がコビトカバに乗って通う学校として登場していますます。

また『シズコズ ドーター』の著者キョウコ・モリが通った小学校は山手小学校で、『めぐみ』に登場する小学校も山手小学校でした。

 北村馨『リセット』でも、昭和20年2月4日の最初の神戸大空襲当時の姿が描かれています。

<神戸を襲った最初の大空襲は、二月四日午後の、川崎、兵庫地区へのものでした。B29の群れが、規則正しい編隊を作って進んで行きました。硝子板に描いた飛行機の列を、そのまま動かしていくようでした。やがて、重い唸りに爆弾の音が加わりました。
 主目標は、川崎重工、三菱重工の造船所でした。地響きと共に、黒い布を引き上げたように、煙が西の空を覆いました。>

当時川崎重工の造船所で特殊潜航艇のけがき作業にかり出されていたのが小松左京でした。

『リセット』では、甲南女学校に通う真澄らは、川西航空機甲南製作所に動員されています。
川西航空機は生駒山にも分工場を作り、生産の分散を図り、甲南製作所の余分な部品も疎開させます。
<その上で、取り敢えず余分な部品の疎開も行われました。遠くに持って行ってしまっては仕事になりません。芦屋の山際の小学校まで、運ばれました。必要になったものが随時、工場に戻されます。小学校は、学童疎開で空になったところが、まえから軍の倉庫になっていました。子供達の出た後に、資材が疎開して行ったわけです。>
 真澄らは交替で小学校の疎開資材の番に当たりました。「芦屋の山際の小学校」とはつぎの「山の上の船」と例えられた描写から、山手小学校であることがわかります。

<順番で何班か割り当てられます。これは名目だけの仕事でした。ただ、小学校にいればいいのです。芦屋ですから、家からも近く、半分、お休みのようなものでした。
 小学校の校舎は、軍が使おうというだけあって、三階建ての立派なももです。わたし達の女学校は、木造の建物を渡り廊下で繋いでありました。それより、余程、頑丈そうです。設計もモダンでした。高い屋上に、さらに船の艦橋のような塔が付いていました。一番上は煙突の形になっています。芦屋の浜からも、この「山の上の船」が見えました。>

昭和27年の吉田初三郎の西宮市鳥瞰図に描かれた山手小学校です。

戦前は芦屋浜あたりからも見えたようです。

<倉庫となった今は、上空からの偵察に備え、迷彩が施されています。山の緑に紛れるように、屋上から側面にかけて木の枝をめぐらし、葉を茂らせ、小高い丘のように見せかけています。>

迷彩が施された校舎の写真が残されていました。北村薫氏はよく調べられています。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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