阪急沿線文学散歩

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ビアトリクス・ポターのヒル・トップ・コテージ1階

 ヒル・トップはビアトリクス・ポターの仕事場として、そして来客に応対する場所、パブリックな場所としても使われていたそうです。


 家の外観のみならず、内部も絵本の舞台となっていくつかの作品に登場します。

一階で一番目につくオーブンのついた暖炉です。

『ひげのサムエルのおはなし(The Tale of Samuel 
Whiskers)』では、冒頭にその暖炉の前の椅子に座っているタビタおくさんたちが描かれています。

このお話で、子猫のトム・キトゥンは暖炉の煙突の出っ張りに隠れます。


 この暖炉は『パイがふたつあったおはなし(The Pie and The Patty-Pan)』にも描かれています。


 リビーがパーティの準備をして、オーブンの中のパイの焼き加減をみている場面です。


リビーが暖炉の前に座っています。

リビーがオーブンからパイを出して、テーブルにセットする場面です。

暖炉の前のテーブルで食事するリビーと子犬のダッチェスの様子です。

このように作品にしばしば登場する暖炉とその前に置かれたテーブルです。

『こねこのトムのおはなし(The Tale of Tom Kitten)』に出てくる階段です。

次はこの階段を上って二階の部屋に行ってみましょう。




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ビアトリクス・ポターが暮らした家全景

 湖水地方にあるビアトリクス・ポターが暮らしたヒル・トップのコテージ全景が、『パイがふたつあったおはなし(The Tale of The Pie and The Patty-Pan)』の表紙の裏側の1枚目の絵に描かれていました。

絵の使用はThe Project Gutenberg eBookにより許可されています。(This eBook is for the use of anyone anywhere at no cost and withalmost no restrictions whatsoever.  You may copy it, give it away orre-use it under the terms of the Project Gutenberg License included with this eBook or online at www.gutenberg.net)


 1905年にビアトリクス・ポターはヒル・トップ農場の購入を決めており、その当時の屋根の両端に煙突が突き出たコテージの姿が描かれています。(スケッチしたのは1902年)


現在の写真と絵と比較すると、左側に建物が増設されていることがわかります。


 ポターは購入後、元々あった母屋を自分が住む場所にし、そこに続けて農場を任せる農夫一家の住いを増築したそうです。

増築した部分の壁に馬蹄型のマークの下に「1906 HBP」と書かれたプレートが埋め込まれていました。
1906年は完成した年、HBPはヘレン・ビアトリクス・ポターの頭文字です。

『あひるのジマイマのおはなし(The Tale of Jemima Puddle-Duck)』にはガーデン・エントランスとその後ろに玄関が描かれています。

美しいスチールの門扉と石垣、そして郵便受けか小鳥のための箱かわかりませんが、白い箱が100年以上前の姿のまま保存されていました。



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ピーターラビットの舞台ヒル・トップを訪ねる(『こねこのトムのおはなし』)

 1902年に出版された『ピーターラビットのおはなし』は115年経った今も人気が衰えません。今年初めて、ピーターラビットのおはなしの世界がそのまま残る湖水地方を訪ねました。
 作者のビアトリクス・ポターが暮らし、作品の舞台ともなったヒル・トップと呼ばれる家(写真赤矢印)と農場はニア・ソーリー村にあります。

 その光景は110年以上経った今も、ナショナル・トラストによって当時のまま保存されているのです。

そのヒル・トップを、今日は『こねこのトムのおはなし』と訪ねてみます。

(もう版権がきれているからでしょうか、青空文庫の海外版The Project Gutenberg Ebookで英語版を読み、挿絵も自由に使えます)

ヒル・トップのチケット売場で指定された時間に入場します。

 さっそく、『こねこのトムのおはなし』で、トムたちが並んでいた木戸と石垣がありました。

トムたちが石垣の上でアヒルのパドルダックたちの行進を見ているところです。

服をパドルダックたちに取られてしまって、石垣の上にいる子ねこたちです。

石垣の向こう側に見える景色は、家の数が増えていますが、右上に伸びていく石垣など今も変わりません。


 石垣の門を入り、この花畑のアプローチを歩いて行くと、ヒル・トップの玄関です。

この道は、おくさんが子ねこたちを石垣から降ろして、家に連れて帰る道です。


玄関が見えてきました。


絵本の一番最初に掲載されている絵と一緒です。

これが玄関ですが、基本的にはポターが住んでいた頃と変わっていないそうです。

ピンクの小バラが壁を伝っていましたが、絵の中ではジギタリスやシャクヤクが描かれています。
さあ次回はポターの家に入ってみましょう。


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英国を代表するイングリッシュ・ガーデンで見つけたイモリ

 憧れのイングリッシュ・ガーデンを見てみようと、コッツウォルズにあり、20世紀のイギリスを代表する庭園といわれているヒドコート・マナー・ガーデンを訪ねました。

 アメリカ人の ローレンス・ジョンストンがイギリスのケンブリッジ大学卒業後に、母が購入したヒドコート・マナーに移り住み、独学で造園を学び、40年の歳月をかけて広さ1万2千坪の庭を、生け垣で区切った25種類の庭園につくりあげたそうです。1948年、ナショナルトラスト所有となり、現在もその美しさを保ちながら管理されています。


カントリーヤード 地図@

レセプションを抜け中に入り振り返ると、オールドガーデンの向こうにマナーハウスが見えます。地図A

立派なヒマラヤ杉です。

オールドガーデンから見える茅葺の屋根。地図A

西洋風あずまや地図H

雄大なロングウォーク 地図Q

端まで歩くとこんな風景が広がっています。

スティルト(竹馬)ガーデン地図F

プールガーデン地図K

ロングボーダー地図㉖

スイレンのプール地図㉔

ここで綺麗なスイレンを見ていると、イギリス人(だと思いますが)Newt! Newt!と指さして叫んでいます。

ネス湖の怪獣でもいたのかと目をこらすと、イモリが泳いでいたのです。

どうもイモリはイギリスでも珍しいらしい。

それにしても広大なイングリッシュ・ガーデン。さすが英国を代表すると言われるだけあります。毎回聞くナショナル・トラストの力にも感服しました。



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アガサ・レーズンも訪れたチッピング・カムデン

 コッツウォルズに住む主人公アガサ・レーズンのミステリーはTVドラマかされているようで、You Tubeでも舞台となっているコッツウォルズの風景が楽しめます。

第1作目の『アガサ・レーズンの困った料理』では、アガサは自転車を車に積み、コッツウォルズを走りまわり、チッピング・カムデンを訪れます。
 チッピング・カムデンはかつて毛織物業で発達しマーケット・タウンとして栄えた町で、歴史的建造物が多く残り昔ながらの美しい町並みから「王冠の中の宝石」と呼ばれているそうです。
<チッピング・カムデンでは、やせようという決意を忘れ、「エイト・ベルズ」の古めかしい落ち着いた店内でステーキ・アンド・キドニーパイを食べ、村のメインストリートを下っていった。>


小説に登場するチッピング・カムデンのエイト・ベルズ・インとレストランです。

イギリス名物ステーキ・アンド・キドニーパイは旅行一日目のエディンバラのパブで食べましたが、スタミナがつきそうな料理です。

ちなみにここで飲んだSt.Stefanusという瓶ビール、アウグスティニアン修道会発祥のビールで3種類のイースト菌で醸造され、樽から出して瓶詰めにして3か月後から瓶の中で塾生が進み、瓶を開けるまでの期間によって味が変わるという説明書きが貼ってありました。

『アガサ・レーズンの困った料理』に戻ります。

<道は緑に縁どられ、蜂蜜色の石造りの家々は切り妻、高い煙突、アーチ、ペディメント、柱を備え、窓は縦枠か鋸枠がついていて、大きな石の階段がある。観光客の団体はいたが、村はひっそりしてひなびた雰囲気だった。ステーキ・アンド・キドニーパイで満腹になって、アガサはようやく平和な気分になった。>

チッピング・カムデンではKingsというホテルのレストランで昼食。

これぞ本場フィッシュ・アンド・チップスでしたが、結構洗練されたフィッシュ・アンド・チップスでした。

<村の中心には1627年に建てられたマーケット・ホールがあり、短い頑丈な柱が道に黒い影を投げかけている。人生は気楽だ。カミングス・ブラウンの死のことは、きれいさっぱり忘れてしまえばいいのだ。>
マーケットホールは、町の中心に有り、かつてここでは、羊毛の取引の他、バターやチーズ、そして食用肉も販売されていたそうです。

がらんとした建物の中に入って見上げると、木の梁が見えていました。

この建物もナショナル・トラストにより管理されています。

そばにあるタウン ホールは、かつては裁判所、牢屋、羊毛取引所として利用されていたそうです。

さすが「王冠の中の宝石」、蜂蜜色のコッツウォルズ・ストーンの美しい家並みが印象的でした。アガサ・レーズンもここではリラックスできたようです。



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アガサ・レーズンも訪れたボートン・オン・ザ・ウォーター

「英国ちいさな村の謎」シリーズの第一作「アガサ・レーズンの困った料理」でコッツウォルズに引っ越してきた主人公アガサはボートン・オン・ザ・ウォーターを訪れます。


 ボートン・オン・ザ・ウォーターは、コッツウォルズのベニスと呼ばれるほど水辺が美しく、コッツウォルズ地域の中でも人気が高い街です。


 アガサはこんな風に感想を述べています。
<ボートン・オン・ザ・ウォーターはまちがいなくコッツウォルズでもっとも美しい村のひとつだった。村の真ん中にある石橋の下を緑に縁どられた川が流れている。問題は有名な景勝地なのでいつも観光客であふれていることだ。>
 たしかに歴史の刻まれた建物や素敵なカフェが建ち並ぶ美しい街並みです。

街の中央を流れるのはウィンドラッシュ川。

アガサが言っているように川の両側の遊歩道はボートン・オン・ザ・ウォーターに住む人々のみならず、多くの観光客であふれていました。


訪れた時は、天気も良くVery hot day 、水遊びをする犬や、鴨を追いかける子どもたちで,川の中までにぎわっていました。
<そこらじゅうに観光客がいた。大人数の家族連れ、ぐずって泣いている子どもたち、ウェールズからバスを仕立ててやって来た年金生活者たち、バーミンガムあたりの入れ墨をした筋骨隆々たる男たち。白いスリット入りスカートに白いハイヒールをはき、足下のおぼつかない若い女の子たちはアイスクリームを食べながら、あらゆるものに笑いころげている。>


同じような風景が広がっていました。

 街全体を見て回るには時間がなく、ボートン・オン・ザ・ウォーターの一番の人気観光スポット、モデルビレッジに行ってみました。

ボートン・オン・ザ・ウォーターの街を正確に9分の1のミニチュア版にしたもので、上から見ると高台からボートン・オン・ザ・ウォーターの街を見渡すのと同じように、はちみつ色のきれいな街並みを一望した気分になれます。

街の中央を流れるウインドラッシュ川と橋もこのとおり。

建物に使用されている石もこの地方で採れるコッツウォルズストーンです。

建物は木やカーテン、お店に表示してある屋号など細かなところまできちんと再現してあるのに驚きます。

ダイアルハウスホテルのミニチュアがありました。

実物のダイアルハウスホテルです。

ポストオフィスも本物そっくり。

このモデルレッジへの入口のミニチュア。

こちらが実物です。

みんな笑いだすのが、モデルビレッジの中にもモデルビレッジがあること。
9分の1のモデルレッジの中にあるモデルビレッジですから、81分の1のミニチュアレッジです。
このモデルレッジは1937年に一般公開が開始され、1940年に完成したそうです。オランダのマドローダムほど大きなテーマパークではありませんが、充分楽しめました。



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『アガサ・レーズンの困った料理』に見る英国人のコッツウォルズ感

 コッツウォルズは、ウィリアム・モリスがそのひとつの村バイブリーを「この世で最も美しい村」と賞賛したので有名ですが、都会の暮らしに疲弊した人々の心を癒す田園風景によって、英国人たちが「老後に最も暮らしたい場所」として一番に挙げる桃源郷と言われているそうです。
 実際のところはどうなのか疑わしく思っていましたが、コッツウォルズを舞台としたM.C.ビートンによるミステリー、アガサ・レーズン・シリーズを読むと英国人のコッツウォルズ感がよくわかります。

「英国ちいさな村の謎」シリーズ第一弾「アガサ・レーズンの困った料理」では、労働者階級出身の主人公アガサはPR会社の経営者にまでのし上がりますが、長年の夢であったコッツウォルズで暮らす為53歳で引退します。

「アガサ・レーズンの困った料理」からです。
<仕事上の努力は、ひとえにある目標を達成するため、長年の夢を実現するためだった。それは、コッツウォルズのコテージで暮らすこと。
イギリス中部地方のコッツウォルズは、世界でも数少ない人工美のひとつだ。蜂蜜色の石造りの家々が並ぶ風情のある村が点在し、美しい庭園、曲がりくねった緑の小路、古びた教会がある。>
やはりリタイア後、住みたい村No.1は間違いないようです。

(TVドラマにもなったようです)

 小説に登場するのはカースリーという村ですが、ここに描かれた景色の特徴そのものの村バイブリーを訪ねました。
バイブリーはアーツ&クラフト革命のウィリアム・モリスが、『イギリスで一番美しい村』と称したことで有名な村。

橋の向こうのスワンホテルとアーリントンロウを結んで美しい小川が流れています。

川では美しい鴨だけでなくブラックスワンまで泳いでいました。


川に沿って歩いて行くとバイブリーを代表する蜂蜜色のコッツウォルズストーンでできたコテージ、アーリントンロウが見えてきました。

中世に建てられたコテージは、修道院のウール倉庫として使われ、それが17世紀に織物工が住むコテージに改築されたそうです。


コッツウォルズ地方の家の多くは、地元で採れる蜂蜜色のライムストーン(コッツウォルズストーン)を積んで建てられています。

イングリッシュガーデンです。

小説に書かれている「古びた教会」もありました。
バイブリーはまさにコッツウォルズを代表する村のようです。
もう少し『アガサ・レーズンの困った料理』を読み進めてみましょう。


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アメリカ文学の父アーヴィングが200年前に訪れたシェイクスピアの墓

 アメリカ文学の父と呼ばれるW.アーヴィングの最高傑作と言われる『スケッチ・ブック』下巻は約200年前の1815年にヨーロッパへの旅に出た作者が、そのときの体験や見聞を綴った作品集です。

その中に「ストラットフォード・アポン・エイボン」という章があり、シェイクスピアの墓を訪れたことが述べられています。
<さて、シェイクスピアの墓は生家から歩いてすぐのところにあった。この大詩人は教区のトリニティ教会の礼拝堂に埋葬されていたのだ。この教会は時の流れと共に朽ちかけていたが、その大きく荘厳な外観は豪華な装飾が施されていた。教会は鬱蒼とした樹木に囲まれてエイボン川の岸辺に建っており、その周辺を取り巻く庭園により大都市の雑踏から隔絶されていた。そこは閑静な場所となっていたのである。教会の下方を流れるエイボン川のせせらぎの音がやさしく聞こえてきたし、岸辺に生い茂るニレの木の枝は澄んだ川面に垂れ落ちていた。>

地図の右上の赤矢印が生家の位置、左下の青矢印がトリニティ教会の位置です。

シェイクスピアの生家からしばらく歩くとトリニティ教会が見えてきました。

近くのエイボン川ではボート競技をしていました。岸辺の木はアーヴィングによるとニレの木のようです。

<私たちは菩提樹の並木を通り、教会に近づいた。そして、華美を極めた装飾の、ゴシック風の玄関に辿りついたが、そこには精巧な彫刻が施された頑丈そうな樫材の扉が取り付けられていた。その内部は広々とした空間となっていて、建築様式や装飾は田舎の他の多くの教会よりも優れていた。>

トリニティ教会の玄関に着きました。

アーヴィングが述べているように広々とした内部の様子です。大きなパイプオルガンが見えています。

<シェイクスピアの墓は教会の礼拝堂にあったが、そこは静寂と陰気な雰囲気に包まれた墓所であった。>

礼拝堂に行ってみました。
<平坦な一つの石碑がシェイクスピアの墓であることを示しており、その石碑には、かの有名な四句から成る碑銘が刻まれていた。それはシェイクスピアの直筆によるものだと伝えられていることも手伝ってか、見る者に畏怖の念すら抱かせる何かがある。>

シェイクスピアの墓です。
石碑に刻まれた四句から成る碑銘が見学者にも見えるように掲示されていました。

<もし、その碑文がシェイクスピア本人の直筆であるならば、それは彼が墓所の平穏を願っていたことを裏付ける証拠となるし、思慮深く繊細な詩人としては至極当然のことのように思える。

よき友よ、願わくばイエスのために、忍んで
ここに埋葬された屍を掘るなかれ、
この石碑に触れざる者に幸いあれ、
わが遺骨を動かす者には呪いあれ。   >
彼の墓碑銘は、それなりの効果があり、持ち上がったウェストミンスター寺院への改葬計画も見あわせれたそうです。

アーヴィングは墓の上にある胸像についても説明しています。

<ちょうどこの墓の上の壁がんにシェイクスピアの胸像が飾られているが、これは彼の死後まもなくして制作されたもので、本人の相貌に近いと言われている。その顔立ちは快活で清澄な雰囲気を醸し、額は丸く盛り上がったような形で美しかった。>

<シェイクスピアの墓のそばには妻のアン・ハサウェイや長女スザンナ(ジョン・ホール夫人)、その他一族が眠っている。そのすぐ近くの墳墓の上には、有名な高利貸しとして知られたシェイクスピアの旧友ジョン・クームの全身像があった。>
シェイクスピアの家族の墓が並んでいました。

<何しろ、ここにはシェイクスピアの思いが充満しているので、聖トリニティ―教会全体がまるで彼一人だけが祀られている霊廟のように思えて仕方がない。>
と述べられており、そのままの印象の教会でした。
200年前には朽ちかけていたというのが、信じられないくらい多くのシェイクスピアファンが訪れるています。


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6月29日はビートルズが1966年に初来日した記念日でした

 テレビで見ていたビートルズの初来日の様子は半世紀前の懐かしい思い出の一つですが、今回初めてビートルズの街リバプールを訪問しました。

かつての貨物船の荷下ろし場で世界文化遺産にもなっている港湾地区のアルバート・ドッグ、世界初の完全耐火倉庫で赤煉瓦が目立ちます。

函館の赤レンガ倉庫みたいなものでしょうか。

その一角にあるビートルズ・ストーリーはビートルズについて紹介する博物館。

街を歩くとリバプールがビートルズ観光で成り立っていることがよくわかります。

中でも有名なのがマシュー・ストリートのキャバーン・クラブ。

ビートルズが1961年に初めて、この場所でライブを行ったことで世界的に知られることとなったクラブです。

ビートルズはここで292回ライブを行いました。

その名のとおり、洞穴のように地下につながっており、その中にはレンガでできたアーチ型の天井のスペースに、小さなステージが一つだけありました。

今もビートルズの懐メロを演奏し、観光客や地元の人を楽しませているそうです。

グレープスはキャバーン・クラブの目の前にある歴史あるパブ。キャバーン・クラブで演奏していた4人がお酒を飲みにしばしば訪れたパブです。

同じく、キャバーン・クラブからすぐ近くにある1880年代から残るパブ、ホワイト・ハウス。

店内はクラシックなインテリアでした。

マシュー・ストリートには、革ジャンスタイル、足を組んだジョン・レノンの銅像もありました。

世界遺産に登録されているピア・ヘッドに2015年12月に設置された4人の銅像。

数ある銅像の中でも一番立派でした。
これは、ザ・ビートルズの最後の地元公演から50年経つのを記念し、ザ・キャバーン・クラブが市に寄贈したものだそうです。

リバプールは観光業で復活したビートルズの街でした。



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『ハリー・ポッターと賢者の石』20周年!J.K.ローリングからメッセージ

 6月26日、児童文学「ハリー・ポッター」シリーズ第1作の出版から丸20年を迎え、作者のJ.K.ローリングはTwitterで「20年前のきょう、私が独りで生きてきた世界は突然外に開かれた。素晴らしいことだった。ありがとう」とつぶやいています。
J.K. Rowling ✔ @jk_rowling

20 years ago today a world that I had lived in alone was suddenly open to others. It's been wonderful. Thank you.#HarryPotter20

 何年前だったでしょう、私は映画を見てから原作も読みましたが、大人も引き込ませるストーリー展開に興奮したものです。


「ハリー・ポッター」シリーズが世界的ベストセラーとなり、今もなおこのように称賛されるのは、その裏に、J.K.ローリングのシングルマザーとしての苦難と波乱万丈の人生経験やミリオネア―となった現在も続けている社会貢献活動があるからでしょう。

 J.K.ローリングは1992年ポルトガルで結婚し、翌年、一女ジェシカを出産します。しかしその4ヶ月後には破局を迎え、妹ダイが住むエディンバラに向かったのです。
1993年12月の雪が降りしきる日にエディンバラの社会保障局で生活保護と住宅手当を申請しますが、その時のことをタブロイド紙ザ・サンに「シングルマザーとして」という見出しで、次のように述べています。
<これからは週に70ポンドで暮らすんだと実感しました。たった70ポンドで、自分と娘の食べものや身のまわりのものを買って、すべての支払いをしなくてはならなかかったのです。>
シングルマザーの苦境は英国でも同様のようです。
<ほとんどのシングルマザーはそれほど運が良くないと言われますが、それは控えめな表現にすぎません。英国では、シングルペアレントを家長とする家庭の60%が貧困にあえいでいるのですから。>
 その頃から、ローリングは義理の弟のロジャーが買い取ったカフェ、ニコルソンズで「ハリー・ポッター」を書き始めたのです。

その様子は、ショーン・スミス『J.K.ローリングその魔法と真実』に詳しく書かれていました。
<ロンドンで働いていたときも、その後オポルトで暮らしたときも、コーヒーハウスはジョアンの創造力の源となっていたが、乏しいと言えるほどのお金すらない身では、特製のコーヒーを何杯もお代わりしながら居座り続けるというわけにはいかなかった。ニコルソンズはまさに天からの贈りものだった。家族が経営する店だったので、スタッフもジョアンには好意的で、一時間、ときには二時間かけて一杯のコーヒーをすすっていても文句は言わなかった。>

娘のジェシカを乳母車に乗せて家を出て眠るのを待ってDrummond StreetとNicolson Streetの交差点にある「Nicolson’s Cafe」に入ったようです。(赤矢印)
その娘のジェシカも今や22歳です。

昔のニコルソンズの写真がありました。

しかしその場所に行ってみますと、現在は一階がThe Black Medicine Coffee Co.  というカフェになっており、2階の外壁は白く塗り替えられSpoonというお店に変わっており、それも閉鎖されていました。

通りに面したコーナーにJ.K.ローリングがこの建物の二階(イギリスではFirst Floor)で初期のハリー・ポッターの章を書いたという小さな掲示がありました。
<ジェシカがすやすやと眠っているときは、まっすぐニコルソンズへ向かった。そして、苦労しながら二十段の階段をのぼって二階のフロアに行くと、静かな隅のテーブルに陣取って、ハリー・ポッターの構想を練るのだった。当時のニコルソンズには、庶民的で、陽気な学生風の雰囲気があった。店内は青と黄色で彩られ、壁にはマティスの複製画が並び、窓や照明は個性あふれるアールデコ調。ジェシカが眠っている間に原稿を書くといいうのが理想的なパターンだった。>

 NHKBSプレミアムのアナザーストーリーズ 運命の分岐点「ハリー・ポッター 魔法のような誕生劇」で、ローリングがいつも座っていた場所が再現されていました。

J.K.ローリングにとってカフェは安らぎの場でもあり、創造の場でもあったようです。


「ハリー・ポッター」第1作の出版から丸20年、ハーマイオニー役のエマ・ワトソンが美女に化けるのも無理はない。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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